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朝日真也の魔導科学入門  作者: Dr.Cut
第二章:雷神鉄鎚-5『Golden Sun and Silver Moon』
58/91

58. 不死鳥の羽根ペンを用いたアダマス鉱の自由変形を応用したとある物理学者による古代ギリシャの数学者が生み出したとされるとある兵器の構想を元にした銀の国王都に於けるエネルギー流速密度の計測実験

 ――“ソレ”は白昼の街を蹂躙していた。


 銀の国王都・シルヴェルサイト。“白銀の魔術大国”と称されるこの国を象徴する綺羅びやかな街並みは、しかし“ソレ”の図体に比すればミニチュアにもならない程度の玩具に過ぎない。火砕流の様な身体が前方へと“蠕動”する度にアダマス製の建造物は木箱の様に砕け散り、溶解されながら“ソレ”の血肉となって吸収されていく。

 もしも上空からその光景を眺める者が居たとしたら、巨漢に踏み砕かれる銀色のビスケットでも連想したかもしれない。

 “ソレ”の巨大な質量が乗る度に強固な筈の建物は面白いように砕け、その下に隠れていた蟻の様な民衆は半狂乱になりながら逃げ出していく。


 民衆を蟻と形容したのは正しかっただろう。

 何しろ、“ソレ”は足元で逃げ惑う民衆になど目もくれない。

 “精霊級”の名を冠する“ソレ”の能力をもってすれば、足元の民衆など1分と掛けずに溶解し尽くす事も容易だろうが、しかし幽鬼の様に歩む“ソレ”は足元に蠢動する蟻どもになど全く見向きもしてはいなかった。

 それはまるで、日常生活に於いて、多くの人間が道端に這う虫ケラなど気にも留めない様に――。

 或いは、それが“ソレ”と逃げ惑う民衆の間に存在する圧倒的な格差を現していた、とでも表現するべきだろうか。


 だが、それも無理からぬ事だっただろう。

 何しろ“ソレ”が創造主たる“魔王”より受け取る命令には、わざわざ道端の蟻どもを踏み潰せ、などという記号は一文字たりとも含まれてはいなかったのだから。

 如何にヒトの造形を保っているとはいえ、あくまでも“ソレ”は魔術によって形作られただけの、無情で無機的で無感情な“現象”に過ぎなかった。

 有り余る土の精霊の力を全てその身に宿した“ソレ”には、しかし自ら何かを攻撃しようなどという自我や意思といったモノが何も無い。

 故に“ソレ”――土塊の巨人は、自らが街を踏み潰すというその行為に一切の躊躇も罪悪感も歓喜すらも覚えず、只々前方に浮かぶ蒼い太陽を目指すかの様に、陽光に煌く街並みを蹂躙し、直進し続けていた。



 そして、どれほどの時が経っただろうか。

 自我も理性も本能すらも持ち合わせないこの巨人は時間を測る術など持たず、同時に時間という概念そのものすら持ち合わせない。

 よって巨人は、自分が今から行うであろう“その行為”に対する嫌悪も、達成感すらも覚えてはいなかった。

 確かに言える事は、一つだけ。

 眼下の、あとほんの僅かだけ足を“蠕動”させればプチリと踏んでしまえるその位置に、巨人の頭部に当たる高さからは目を凝らさなくては見えない程に小さな、本当にゴミみたいな大きさの噴水があったという事である。

 その周囲は白銀の街並みの中にあってやたらと目立つ土色に染められており、噴水より少し後ろの位置には、ボンヤリとした明かりを漏らす、地上絵を思わせる小さな図形が描かれていた。


 ――そして、その中心。

 今にも消えてしまいそうな、あまりにも弱々しい光を放つ魔法円の中に。

 巨人の役にも立たないガラス玉の瞳は、地に這い蹲って藻掻く2つの“標的”の姿を認めた。

 無感情な筈の瞳は憐れむ様に、或いは蔑む様に。

 虫ケラの様に地を這い回る、愚かな獲物の姿を映し出した。



―――――



 白銀に煌く石畳に、青年は無心でペンを走らせていた。

 弾き出された計算結果に従い、一分の狂いも迷いすらも無く、天才と呼ばれた自らの演算能力をただ“その現象”を再現する事のみに費やしていく。

 少女のデータバンクから引き出された魔導の知識が、視界に流れる無数の方程式に定数として追加され、物理学的な意味を持った法則の中へと巻き込まれて処理されていた。


 青年の全身は滝の様な汗に塗れていた。

 いつも涼やかなポーカーフェイスを崩さないその表情は、今ばかりは激しい消耗の色に染まっている。

 その原因は、しかしペンを走らせるという行為そのものでは無い。

 膝を深く曲げ、小さなペン先を地面に押し付けながら走り回るという無理な体勢での連続運動。加えて思い描いた現象に必要な要素を演算しつつ、その通りに一分の狂いも無く図形を描き出すというその行為がどれほどの精神的及び肉体的な消耗を伴うのかは想像に難くないが、しかし今の彼を真に苛む疲労の原因はそれだけでは無かった。


 ――結論から言えば、青年は壊れかけていた。

 ペンを持つ右手の指は銃撃の反動によってブクブクと腫れ上がり、内何本かはあらぬ方向へと湾曲している。親指がおかしくなり、モノを握る事が出来なくなっていた為か、ペンは赤いハンカチで手に縛り付けられていた。

 赤いハンカチとは言ったが、しかし装飾を意図した鮮やかさは微塵も感じられない。

 ハンカチを染めている赤は、事実染料などでは無く青年自身の血液だった。

 既に相当な負荷が掛かっていた骨や血管が遂に限界を迎えたのか、彼の脇腹や手足は動く度にジクジクとした出血を繰り返し、彼の白衣やハンカチを所々赤黒く染めている。

 肋骨の負担は特に大きいらしく、彼は僅かに身体を捻っただけで肺から込み上げる吐き気と激痛に襲われ、その度に演算が停止しそうになっていた。


 だが、それだけの傷を負いながらも彼はその手足を休める事など無かった。

 否、今の彼にはそんな余裕なんか無かったと言った方が正しいだろうか。

 ――大きくなっていく雑音に、近づいて来る悲鳴。

 それは即ち、彼ら自身の余命を示す砂時計だった。

 彼我の距離(残った砂)が0になった瞬間にこそ、自分達のちっぽけな生命がゴミの様に食い尽くされてしまうという、あまりにも単純明快な死刑宣告。

 ならばこそ、生死を掛けたこの場に於いて、死を遠ざける為に存在する痛覚(機能)などに意識を裂く事になど何の意味もありはしないだろう。


 ろくに動かない身体に、いつ来るかも分からない救援。

 なら、そんな状態の彼に出来る事は、一つ。

 成せず(・・・)に“アレ”に飲み込まれるか、或いは成して(・・・)“アレ”を迎撃するかという、あまりにも両極端な2択のみ。



「クソ……間に合え!!」



 動かす度に吐き気を齎す横隔膜。

 胸の奥に焼け付く様な不快感を覚えながらも、彼は声帯の奥に込み上げたゴポリというナニかを全力で飲み込み、そう吐き捨てた。

 それは意地でも見栄えの問題でも何でもなく、そんな下らないモノを吐き出している時間が既に惜しいというだけの、この上なく実用的な理由である。

 役にも立たない自らの体調(そんな情報)など努めて意識から排除しつつ、彼は無意識下で尚も演算を続けていた。


 巨人の進行速度は、彼の想定よりも速かった。

 否、これは彼自身のペンを走らせる速度の方が遅かったと言うべきだろうか。

 どれほど痛覚を意識から除外しようとも、熱や疲労を無視して身体を動かそうとも、壊れかけの身体を動かせば健常時に比べてラグが生じてしまうのは当然だ。

 生粋の物理学者であり、そしてここまでの傷を負った経験すら無かった青年には、自己の身体がどれほどの負傷でどれだけのラグを生み出すのか、などというその値を正確に予測する術が無く、その甘い見積もりのツケが今ここで回ってきた形であった。


「――――ッ!?」


 ――ゴポッ、という粘音と共に、吐瀉物が彼の足元に飛び散った。

 本日の昼食の内容など、豪華すぎて逆に覚えてもいない青年だったが、しかし口から漏れたそのナニかは何故か薄気味悪い黒赤色をしていて、どう考えても胃の中に突っ込んだ記憶が無いモノだった。液体のクセにやたらとドロドロして粘っているソレに、彼は車に轢かれた小動物の死骸を連想した。

 つい横道に逸れかけた思考を合理性のみで封殺し、彼はソレを再度演算機能に振り分け直す。


 詰まるところ。

 彼にはもう、他に手など残されてはいなかった。

 如何に身体が動かずとも、喩え彼我の速度差を鑑みるにその現象の“完成”が絶望的に思われたとしても、もう彼のプランには変更を許されるだけの遊びが無かったのである。

 今の彼には、奇跡でも祈りながらただその図形を描き上げるしか無かった。



「――ってろ」



 全身からは脂汗と共に血が滲んでいる。

 煮え滾る様に揺れる視界で数値を演算しつつ、現実を計算しつつ、それでも彼は心のどこかで祈り、そして願った。



「奇跡でも偶然でもなんでもいい。

 あと300メートルだけ、あと30秒だけそこで止まってろ!!」


 手足を休めず、ペンを走らせながら、それでも青年は叫ぶ。

 もう頂上が見えない程に近づいた、あまりにも巨大な土塊の巨躯を仰ぎながら、言葉も祈りも通じないと知りつつそう願った。

 世界には奇跡も例外もありはせず、あるのは確固たる法則に基づいた、あり得る可能性の中のどれかでしか無いと理解しながら、せめてこの状況を打破し得る新たな要素(ファクター)でも祈る様に。



「――――!!」



 ――そして、その瞬間。

 彼の涼やかな双眸は、“その姿”を映して見開かれた。

 絶望的な死を目の前にして、しかしその方角に向けて真っ直ぐに歩いて行く、小さな小さな“その姿”を確かに認めて――。



―――――



 少女の赤い瞳は、目前に聳える巨躯を真っ直ぐに見上げていた。


 あまりにもバカバカしい光景だった。

 山の様な巨躯とは良く言ったもので、こんなに大きなモノがこんなに近くまで来ると、もうソレが人なのか、山なのか、あるいはもっと恐ろしいナニかなのかを判別する事も出来ない。

 少女に認識出来るのは、視界の全てを完全に覆ってしまっている土の壁と、それが地面をシュウシュウと溶かしながら迫って来ているという事だけ。

 ソレが触れたモノを骨も残さず分解し尽くしてしまう、この世界で最強の土魔法であるという事実のみだった。


 少女はあと1分もしない内に自分を飲み込んでしまうであろうその壁を、しかし瞬きもせずにじっと見つめ続けていた。

 解けば腰まで届きそうな二つ縛りの黒髪は、土塊から吹いてくる腐臭と酸味を混ぜた様な空気に靡かされ、特に前髪は時折大きな目に入りそうなくらいに揺れているが、それでもルビーの様な彼女の瞳は見開かれたまま微動だにしない。

 それは、彼女の胸の内にある何らかの意思を表している様にも思われた。


 その意思の意味は諦観か、決意か、或いは謝罪だったのか。

 少女自身にもそれはハッキリとは分からなかったが、しかし同時に、彼女は今自分がしなくてはならない事を一番良く分かってもいた。



「――――」



 無言のままに一度、振り返る様に背後を見る。

 ――視線の先には、“彼”が居た。

 狙われている少女を見殺しにし、囮にでもすれば、自分だけは助かる筈なのに。

 “彼”ならそんな単純な策くらい、一発で思いついている筈なのに、そんな素振りはおくびにも出さずに。

 あんなにボロボロになってしまった身体で、口から血を吐きながら、それでも諦めず、手を休めずに、まだ少女の味方でいてくれる“彼”が居た。

 思えば自分の為にここまでしてくれるヒトに会ったのは、少女にとって一体いつが最後だっただろうか。

 そしてさっき会ったばかりの自分なんかに、“彼”がここまでしてくれる理由は一体なんなのだろうか。


 少女には、それがなんとなく分かっていた。

 きっと自分と“彼”は似ているのだと、少女はなんとなくでも理解していた。

 どこが似ているのかも分からないし、本当は全然違うのかもしれない。

 それでもきっと、自分と彼は“違う”ところが“同じ”なのだと、彼の姿を見つめる少女はこのとき強く感じていた。


「…………」


 ――そこまで考えて、少女は小さく首を振った。

 本当は、少女はもっと前から、ここに来る前から感じていたのかもしれない。

 きっとそう感じていたからこそ、少女はこの街に来る事を選んだのだろう。


 一緒に居られるわけが無いとは思っていた。

 この街に来たって居場所なんか無いって事は、“お父さん”から与えられた話だけで、少女だって十二分に分かっていた。

 少女が“銀の国の大魔導”の居場所を聞いたのは半分以上がダメ元だったし、ダメだったとしても、せめてちょっとくらいは暖かい夢を見てみようと思っただけだったのだ。

 喩えこの後、すぐに暗くて寒い現実(場所)に戻らなくてはならなくなったとしても、それでもせめて、今日一日くらいはめいいっぱい楽しもうと思っただけ。



 そう。

 夢の中の“彼”と共に――。



 そして、今。

 現実の世界で、自分の後ろでペンを走らせる彼を見て、少女は一つだけ確かな確信を得ていた。

 ――彼は、死んでしまう。

 “アレ”が何なのかを少女は知らないし、それが本当にあの“魔王”が放った精霊級土魔法(フルングニル)を打倒出来るだけの威力があるのかも分からない。ただそれでも、彼の様子を見る限り、彼があの巨人に踏まれるよりも速くソレを作るのは旗色が悪そうだという事だけはハッキリと分かった。



 だからこそ少女は。

 キュッと小さな唇を結びながら、ゆっくりと正面の巨人へと視線を戻した。

 ――自分が“コレ”をするのは良くないと、少女だって分かっている。

 いや、良くないなんていう次元の話では無い。

 寧ろあの妖怪爺さんの目的を考えれば、“コレ”をする事は少女にとって敗北宣言と同等だとも言えるだろう。

 しかし、それでも。

 今の少女には、そんな些細な事よりもずっと大切なモノがあった。

 もっと大切なモノがあったからこそ、少女は咆哮する巨人の前に立ち、その小さな右手を高く高く掲げて見せた。



 ――“彼”をもっと見ていたい。

 この時の彼女は、ただ心からそう願っていた。



―――――



 青年の涼やかな双眸は、巨人に向かって歩み出る黒髪の少女の姿を捉えていた。

 ――馬鹿な、と彼は舌打ちした。

 今目の前にあるアレは、この世界最強の大魔術で、触れたモノ全てを角砂糖の様に溶解してしまう怪物なのだ。

 守護魔の抗魔術結界を纏う真也ですら圧殺されてしまうであろうあの土塊を前にして、あんな小さな少女が生き残る術など、一体どこに残されていようか。


 少女だって、ソレは分かっている筈だ。

 いや、アレを見て分からない筈が無い。

 あんな、ちっぽけな人間なんかじゃどうしようも無いくらい別次元の災害を前にして、真也よりも遥かにあの小さな少女に出来る事など何も無いのだと、理性も本能も関係無しに理解出来ていない筈が無い。

 それにも関わらず少女は、まるで何かを諦めて観念したかの様に、そして青年を庇う様な所作と共に、静かに静かに前へと歩いて行く。

 まるで“止まってくれ”という青年の願いを身を以て叶えようとしているかの様に、右手を高く高く掲げながら、それでも迷う事無く歩んでいく。

 その姿を見た彼の頭の中には、不意に、先刻聞いた少女の声が響き渡った。



 “わたしがいなくなれば、お兄ちゃんはもう安全なんです~”。



「待――」



 ――“待て”と、言おうとした。

 “ソレ”は認められない。

 仮に“ソレ”でこの身が助かるとしても、朝日 真也が根底に抱える行動原理は、どうしても“ソレ”だけは認める事が出来ない。

 彼は“ソレ”をするくらいなら死んだ方がマシだと本気で思える様な正義漢でも無ければ、そう言い切れるほどに自分に酔っている偽善者でも無い。

 だが、それでも彼は、どうしても“ソレ”をしたいとだけは思えなかった。

 彼は声を張り上げ、少女がしようとしている“ソレ”を止めようとした。



 止めようとした(・・・・・)という表現が示す様に、ソレが為される事は決して無かった。



「ムフフ~。お兄ちゃん、本当に面白いですね~。

 わたし、最高に気に入っちゃいました」



 無邪気な、新しい人形を手に入れて喜ぶ様な少女の声と共に。

 高く掲げられた少女の手の甲から、否、少女自身の先天魔術(ギフト)を示す魔法円から目を潰す程に強烈な閃光が放たれ、彼の意識など一瞬で漂白してしまったからである。



 ――それは、“黒い光”だった。



 周りの景色という景色を歪ませ、色を奪い、飲み込んでしまう様な、星の無い夜空どころか時空の果てすらも連想させてしまう程の、どこまでもどこまでも黒い極光。

 底の見えない、原初の虚空を覗き込んでいるかの様なその現象は、同時に真也の意識など簡単に塗り潰して余りある程の強力な威圧感を伴っていた。


 何しろ、“黒い光”だ。

 黒とは即ち可視光が存在しない領域を示す概念なのであって、その意味で言えば、黒い光という現象そのものが既に解消不能の矛盾を伴っているとも言える。

 そして、その矛盾を体現して見せたというその事実こそが、まるでこの少女の特異性を証明してしまったとでも言うかの様に。

 少女の光の向こうでは、絶対であった筈の巨人の身に有り得ない異変が起きていた。



 巨人は、止まっていた。

 意思も理性も本能すらも持ち合わせない筈の巨人は、まるで目の前の少女の存在に恐れを成したかの様にその動きを止め、固まり、全身をガクガクと痙攣させてはその造形を揺らがせている。

 遠隔操作で動かしているアンドロイドに、別のリモコンから命令が来ればこんな動きをするのでは無いか、と真也は漠然と連想した。

 よく目を凝らしてみれば、少女の手の甲から漏れた光が黒煙の様に土塊の巨人に纏わり付き、その全身を縛っているのが分かる。



「楽しかったですよ?」



 少女は唄う様に続ける。



「やっぱりお兄ちゃんと居るの、全然つまらなくなんか無いです。

 本当に楽しくて、がんばってるのもかわいくて、見てるとスゴく応援したくなっちゃいます。

 ――だから。今日はちょっとだけ、わたしが助けてあげますです~」


 続けながら、少女はゆっくりと振り返った。

 右手の魔法円からは黒い光が放たれ、赤い瞳は魔性の様にキラキラと輝いている。

 だが、それでも。

 少女の口元には相変わらずの無邪気な笑みが浮かび、その端からは小さな八重歯が覗いていた。


「えっと。30秒、でしたっけ?

 そのくらいなら、わたしがなんとか止めますから。

 お兄ちゃんは、思いっきりやっちゃってくださいです~」


「――――」


 少女の声に、真也は口元から白煙の様な息を漏らした。

 朝日 真也はこの少女の事情も、素性も知らない。

 そんな“些末事”は知らないし、少女が言いたくないと言うのなら、特に聞きたいとも思わなかった。

 そんな事になど興味が無かったからこそ、今の彼が言いたかった事は、本当にたった一言だけ。



「――ったく。大したちびっ子だよ!!」



 持ち前のポーカーフェイスに涼やかな微笑を浮かべ、白い青年は右手のペンを加速させる。完成に近づいた図形は光を強め、蒼い太陽を受けて煌く石畳からは橙赤色の燐光が舞い散り始めた。

 ――手応えは、十分。

 最弱の魔術師の手によって描かれる図形は、しかし最高の科学者の知識と演算によって世界を改変する為の下地を生み出し、たった1つの解を証明する為だけに疾走を続ける。


 彼が最後にペンを払ったのは、宣言からきっかり30秒後だった。

 疲労と激痛で落ちそうになる両脚に力を込め、青年はユラリと立ち上がる。

 翳されるオレンジの羽根ペンに共鳴して、足元の魔法円はオモチャを待ち望む赤子の様に光の放出量を変えた。

 その催促に急かされるかの様にして、青年は激痛を訴える肺に無理矢理酸素をねじ込んだ。


解放(jara)――ッ!!」


 終わりを示す静かな詠唱。

 レリーフの様な魔法円から放たれる閃光は、異常な常識に触れた世界が叫ぶ悲鳴の様にも見えた。

 青年の振り翳す理に耐え切れぬと叫ぶ、世界そのものの断末魔の様にも思われた。



―――――



 詠唱とその“異変”は同時だった。

 初めに少女の赤い瞳が捉えたのは、白銀の石畳が吐き出す眩い燐光。

 それは少女がこの1日ですっかり見慣れた、青年の魔装が発動する兆候であり、同時にこれまでとは桁が違う規模の魔術行使であった。

 微粒子状の光が朝焼けの様なオレンジ色に輝いて、白銀の通りからその両端に佇む街並みまでをも完全に覆っていく。


 そして、次瞬。

 少女の耳は、何かが引き攣れる様な鈍い音を聞いた。

 まるで柱を引っ張って建物を土台ごと持ち上げている様な、或いは巨大な鉄塔を万力で無理矢理に引き千切る様な、あまりにも常識を外れたナニかの産声。

 ソレが地下深くからこの街を形成しているアダマス鉱がその形状を変え、密度を奪われ、ある1点に向けて収束していく事による金属の断末魔だと、少女は最後まで気付く事が出来なかった。

 そして、彼女がその音によって思考を奪われたその瞬間。

 まるで常理を外れた敵に対抗するかの様に、あまりにも常理を外れたソレは少女の視界へと現れた。



 ――それは、“盾”だった。



 滑らかな流線を描く盾面が、蒼い陽光を受けて煌めいている。

 通りを形成するありとあらゆるアダマス鉱から体積を奪われ、形成されたであろうその盾は、しかしどう考えても縮尺がおかしい。

 直径120ラドはあろうか。

 驚くべき事にその円形の構造物の大きさは、高さだけなら街を取り巻く防壁すらも超えて、目の前に佇む土塊の巨人にすらも匹敵していた。


 ――“盾”。

 それは即ち、相対する脅威と自己の間に隔たる障壁となる事によって、使用者の身を敵から守る為の道具であると定義する事が出来る。

 縮尺が同じなら、素手の人間には破るべくも無い、鎧に並ぶ防具の代名詞。

 あの巨人の攻撃から自分達を守ってくれる筈の、大きな大きなアダマスの障害。



「お兄ちゃん――」



 だからこそ、少女は心の底から驚きの声を漏らした。

 何故なら――。



「盾――。

 どこに、出してるですか――?」


「…………」



 少女の問いに、青年はただ無言のみを返した。



 ……そう。

 あの、立派な立派なあの白銀の盾は、なんと驚くべき事に、土塊の巨人の丁度背後(・・)に聳え立っていたのである。

 具体的に述べるのであれば、青年と少女の真正面に巨人が佇んでいて、盾はその更に向こうに配置されている形であった。

 繰り返すが、盾とは“相対する脅威と自己の間に隔たる障壁となる事によって、使用者の身を敵から守る為の道具”である。

 即ち、巨人に盾の内側に入り込まれてしまっている今、あの盾は最早盾としての機能を一切果たす筈も無かったのだ。


 ――ミスった?


 ――このヒト、この土壇場で、まさかミスった?


 卒倒しかけている少女の、不安そうな目。

 青年はただ、無言のみを返していた。

 無言を貫いたまま、只々不敵な笑みだけを返し――。



「いや、あそこで合ってるぞ?」



 ニヤリ、と。

 一言だけそう答えてみせた。



「“盾”? それこそまさかだ。

 あんなモノじゃ、巨人どころか子供の拳一つ防げやしない」


 不安気な少女の視線を、しかし笑い飛ばす様に彼は続ける。

 ――アレは、喩え巨人の前に出していたとしても盾にもならない、ハリボテ同然の見せかけの障壁なのだと。

 それは、ある意味では当然の事だと言える。

 何しろ膨張する程に密度が低下し、強度を失うのがアダマス鉱という金属の特性だ。

 ならばこそ、喩え通りのあちこちから体積を奪ってアレを作り上げたとしても、あれだけの大きさにまで膨張させてしまったらその耐久性なんかたかが知れてしまう。

 それこそ、下手をすれば子供が手で押しただけで凹んでしまう様な、紙くず同然の強度しか無い程度に――。



 ――だが、彼はそれを認めた上で尚も言う。

 それで十分(・・・・・)なのだと断言する。

 何故なら、そもそも朝日 真也があの壁に課した役割は盾なんかでは無かったのだから。

 ソレを証明するかの様に、真也はゆっくりと、橙赤色の魔法円が輝く自らの左手を掲げた。

 自らの背後に浮かぶナニかを指し示すかの様に、真っ直ぐに指を伸ばしながら。

 彼の指先を追う少女の瞳が捉えたのは、“太陽”。

 この世界を象徴する、蒼白く燃える空の支配者――。



 それを理解した瞬間。

 背後から迸った強烈な閃光と熱波によって、少女はその意識を強制的に巨人へと引き戻された。


「――――!?」


 ――そして。

 少女はあまりの事態に目を瞠った。


 彼女の視線の先には、相変わらずあまりにも巨大な土の壁。

 大きすぎる為に全体像は見えないが、恐らく、遠くから見れば今でもハッキリと人型の造形を保っているのが分かっただろう。

 そして、それがあまりにも不動で、何の変化も無かったからこそ、巨人の中心部に起きているその異変がより一層際立って見えていた。

 何の冗談か。茶褐色の筈の土の壁はどこまでも赤く、赤く赤熱し、眩い光と共に白煙を燻らせ始めていたのである。

 そう。まるで、内部に焼けた鉄でも突っ込まれて炙られているかの様に――。

 未だ事態を把握出来ない少女に、白い青年は誇るでも無くその器具の正体を述べる。



 ――天才数学者・アルキメデスの伝説。



 紀元前214年頃のシラクサ包囲の際に、複数の鏡を用いて収束させた太陽光によって敵船を焼き払ったとされる、とある兵器の逸話。

 “ソレ”が本当に可能だったのかについては現在でも議論されているところであり、未だに真偽の程は定かでは無いものの、しかしその兵器の構想自体は“太陽炉”と呼ばれる実験器具として今日まで脈々と発展を続けているところである。


 彼が今回目指したモノこそは、その物理実験器具の兵器への還元であった。

 それがこの世の物質である以上、鉄でもダイヤでもタングステンでも、ありとあらゆるモノを焼き尽くしてしまう炎の鉄鎚。

 如何なる方法を用いても耐え得ない、3000度を超える熱光線。

 それは――、



「いっけぇぇぇぇぇぇええええええええええええっっっ!!!」



 パラボラ型の反射鏡によって、収束された太陽光線が標的へと炸裂する。

 それは巨人の胸部を燃やし、溶かし、貫きながら、遥か上空へと向けて帯を描き、そして駆け抜けていった。

 被害はそれだけに留まらず、身体の中心部に火を着けられた巨人はその身を連鎖的に発火させながら炎の海へと沈んでいく。

 その熱量が、あまりにも圧倒的であったが故か。

 巨人は山の様な全身を赤熱させ、瞬く間に燃え盛る業火の中へと叩き落とされた。



 ――アルキメデスの熱光線(ソーラーレイ)

 嘗て伝説の数学者・アルキメデスが考案したとされる“太陽の大魔術”。

 それのこの世界の理を用いた再現こそが、今回の命題に対する物理学者・朝日 真也の解答であった。



「――以上の実験結果より、この地域の太陽光エネルギー流束密度は地球の温帯地域と比してもほぼ相違ないと考えられる。

 証明終了(Q.E.D)



 巨人の断末魔と共に吹き抜ける熱風に、白衣の裾を靡かせながら。

 白い青年は、静かに実験の終わりを宣言した――。

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