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朝日真也の魔導科学入門  作者: Dr.Cut
第二章:雷神鉄鎚-5『Golden Sun and Silver Moon』
57/91

57. 現地に対する一切の了承及び許可を取らずに行われた異邦の君主による壊滅的規模の大魔術の行使記録及びとある物理学者によるアルキメデスの原理の検証実験に端を発する高火力兵器作成実験の発案

 広場は静寂を取り戻しつつあった。


 銃撃によって術者の集中が途切れたからだろうか。

 地を埋め尽くさんばかりに蠢いていた土塊の兵士達は皆一様にその動きを止め、ボロボロと崩れ落ちては只の赤土へと帰っていく。

 乾燥した粘土が(ひび)割れていく様なその光景は、雨風に削られていく岩石の風化を早回し再生で見る様な印象を与えた。

 おそらくは今頃、街に(ひし)めく魔導兵達も同様に行動を停止していることだろう。


 砕けた兵士の残骸が拡散し、煙幕の様に漂っている。

 風に舞う土埃に僅かにその双眸を細めながら、朝日 真也は頬に付着した泥を白衣の袖で拭い、ゆっくりと立ち上がった。


「お兄ちゃん!!」


「…………っ」


 ――ドンッ、と。不意に背後から何かが腰に引っ付いてきた。

 ガクリと落ちそうになる膝に気合を込めて踏ん張り、真也は持ち前のポーカーフェイスで内心を覆いながら元凶を確認する。


「お兄ちゃん、スゴイです~!!

 わたし、お兄ちゃんみたいなヒト、初めてみました!!

 ホントウに勝っちゃうなんて思わなかったです~!!」


 視線を落とすと、腰元には例の黒髪八重歯なゴスロリ少女がピッタリと張り付いていた。

 もう危険が無いと判断したのか、或いは離れているのが心細かったのか。

 少女は見た目よりも随分と強い力で、真也の下腹部に抱きついてキュ~っと圧迫しながら、白衣の腰部に頬を擦っている。

 正直今の真也にとっては、身体を圧迫されるのは割とシャレにならなかったりもしたのだが……引っぺがすのも気が引けたし、それ以上に億劫だった為に彼は気にしない事にした。

 この半日ですっかりクセになりつつある、丁度良い位置にある少女の頭に手を置こうとして――自分の手が目に入ったので、彼はやっぱり止める事にした。


「――って、へ?

 お、お兄ちゃん――へ!? え!?」


「…………」


 ――少々、対応が遅かった様である。

 まあ、よく考えれば隠す様な事でも無いのだろうが……しかしこう面と向かって青い顔をされると、真也としても少々バツが悪くなった。

 緩やかに、しかしなるべく深く息を吸ってから、真也はそれを肺に負担の掛からない速度で口から吐き出した。



 考えてみれば自明の話である。

 柔らかい土の上にとはいえ、朝日 真也は10メートル近い高さのステージから自由落下したのだ。

 それも発砲しながら、受け身もろくに取らずに、である。


 彼の腹部は内蔵を直接捻られる様な痛みを訴えていたし、全身の骨は焼けた鉄を突っ込まれた様に熱を持って、そして軋んでいた。

 幸いにして折れている部分は無い様だが、今の彼ならどこに罅が入っていると言われてもすんなりと納得してしまったことだろう。

 慣れない威力の口径を、無理な体勢で撃った為だろうか。

 右肩の関節はどこかおかしくなって動かないし、男性にしては細い筈の彼の指の内何本かは、赤黒く変色して太さが倍近くに増してしまっている様に見えた。


 無理もあるまい。

 何しろ、勝てない事が大前提の戦いだったのである。

 あれだけ大量のバケモノを相手に無傷で圧勝するなんて芸当は、そもそも平和ボケした現代日本人がやる事では無い。

 今回の成果とて、負傷を覚悟で博打を打った上での結果なのだ。

 真也としては、寧ろこの程度の傷で済んだだけ運が良かったのだと比較的前向きに解釈していた。



 ――結論を述べれば。

 彼はズキズキと激痛を発する全身の骨も、或いは所々妙な向きに曲がっている関節も、もしくは異常な程に熱を持っている筋肉も、今はあまり気にしない事にしていた。

 守護魔である真也には魔術が主体のこの世界の治療なんか頼りにもならないし、どの道自然治癒に頼るしか無いのなら、そんなモノは気にするだけ無駄だからである。

 そして、同時に。

 今の彼には、そんな些事よりももっと気にするべき事柄が目の前にあったのだから――。


 真也は動かす度に意識が飛びそうになる関節を無理矢理に曲げて、しかしその激痛を努めて面には出さずに、静かに空気拳銃のシリンダーとマガジンを入れ替えた。



「嫌悪感で吐くかとも思っていたが。

 人を撃つっていうのも、存外聞くほどの感慨は無いものだな。

 ……まあ、“ヒト”じゃ無いからかもしれんが」


 腫れて突っ掛かる人差し指を引き金へとねじ込んで、空気拳銃を正面へと突き付けながら真也は言う。

 冷たく光る彼の銃口の先では、とうにただの土塊に変わり果てたドームにひびが入り、卵の殻の様に割れているところだった。

 地中に埋まった鉱石が風化によって露出する様に、薄汚れたローブが彼の視界に現れ始める。

 ――どうやら、銃弾は左腕に命中していたらしい。

 黒いフードの痩身の男は、口元しか見えない顔を苦痛に歪ませながら、赤い血液を止めどなく滴らせるその左腕を押さえ込んでいた。


「貴様……」


 消え入る程に無個性な声に、しかし壮絶な感情を乗せながら男は言う。

 刺すような鋭さを感じるその男の態度に、真也は強い困惑を覚えた。

 ――“怒り”、では無い。

 男が自分に向けている感情には、邪魔をされたことや腕を撃たれた事に対する憤怒などとは違う、全くベクトルの異なる色が含まれている様に思えたのである。

 訝る真也の視線を無視するかの様に、男は逸る様に患部となった左腕を覆う布地を捲り上げた。



 ――ゾッとする腕だった。


 

 男のローブの下から現れたその腕には、まるで服装と対比するかの様に“色素”という物が一切無かったのだ。

 病的なまでに細い、枯れ木を思わせるその腕は、今が黄昏時であったのなら白骨と見間違えられたとしても無理は無かっただろう。

 男は止まらない。

 まるで何かに急かされる様に右手の指を左腕に空いた穴に押しこみ、明らかに爪を立てながら、だらしなく赤黒い粘液を吐き出し続ける傷口下をガリガリと引っ掻き回している。

 激痛にくぐもる男の悲鳴の中には、ブチブチという筋繊維が引き千切られる音が混じっている様にも思われた。

 イチゴ味のヨーグルトを連想させる、血液に脂肪層の混じったピンク色の汚濁が傷口から飛び散り、男のローブを汚していく。

 そして男は、とうとう腕に埋まっていた“ソレ”を抉り出した。

 銀白色の筈の弾丸が、ヌラヌラとテカる血液に塗れ、男の人差し指と親指の間に直立している。



「ハ――ッ」



 ――そして。

 男は、“目”を見開いた。

 分厚いローブに阻まれて見えない筈のその双眸を、しかし男は、眼球が落ちそうな程に見開きながら――、



「フハッ――!!

 フハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハッ!!!!」


「!?」


 ハッキリと、笑った(・・・)

 あまりにも壮絶な、朝日 真也という人格をして尚怖気を堪え切れない様なその声で、男は確かに笑っていた。

 それも。驚くべき事だが、それは恐らく負の感情から生まれたモノでは無い。

 怒りや憎しみ、そして苦痛。男から伝わるその感情は、そのどれとも明らかに違う色を伴っていたのである。

 ――これは、“歓喜”だ。

 黒装束に身を包んだ男は、左腕を撃ち抜かれたというその事実をまるで神にでも感謝するかの様に、そして、只々心から喜ぶ様に狂笑していた。


 男は気が振れた様に笑い続ける。 

 笑い、笑い、笑い続けながら、ただ、真っ直ぐにその右腕を真也へと向けた。

 ローブに包まれた右腕に、膨大な魔力が収束していくのが分かる。

 そして、


「フハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハッ!!!!

 フハ!! フハハハハハハハハハハハハハハははははははははは!!!!

 フハハハハハハッハハハハハハハハハハハハハハハハハハッッッ!!!!!!」


「に――――!?」


 瞬間。男の腕からは、人一人を丸飲みに出来る大きさの火球が放たれた。

 使用された魔力量から判断するに、恐らくは狼霊級相当の火炎魔法。

 真紅の少女の物と比しても遜色の無い、明らかに常軌を逸した速度で収束された炎の魔力が、詠唱すら伴わずに真也に向けて疾駆する。

 驚愕に目を剥く真也は、しかしそれを軽く手を振るだけで消し飛ばして見せた。


 ――だが、男の攻撃はそれに留まらない。

 男が右手を振る度に霜を纏った冷気の弾丸が空中を駆け抜け、土塊の兵士が抱擁する様に両腕を広げる。小石を巻き上げた(つむじ)風が旋回しながら迫り、その陰からは更に別の火球が迫ってきた。

 しかも、その全てが無詠唱(・・・)である。

 術式構築無しで行使可能なモノは先天魔術かその劣化使用が前提とされるこの世界の魔術の定義に於いて、守護魔たる敵が振るう奇妙な理に、真也は心の底から困惑した。


 無論、如何に奇妙な魔術行使とはいえ、これらは全て第一工程魔術に過ぎない。

 守護魔たる真也には、それこそ4桁撃っても効果など無い代物だろう。

 だが――彼が背に庇っている、この少女はそうはいかない。

 今真也が踏み消した火球にしても、撃ち漏らせば腰元に感じるこんな小さな身体など瞬く間に焼き尽くし、グロテスクなバーベキューへと変えてしまえるくらいの殺傷力は十分にある。

 身体を蝕む激痛が、彼には恨めしかった。

 万全の状態でも対処しきれるか分からない魔術の雨を全て防ぐなど、今の彼には些か難易度が高すぎたのだ。

 自らの背後を確認する余裕すら無いままに、それでもせめて防ぎきれている事を祈りながら、彼は激痛に軋む身を強引に振り回して男の魔術を消去する。


 そして、その猛攻の中で。

 彼は信じられない、否、信じたくないモノを見た。



「ウソ、だろ……?」



 独白はどの様な感情を伴ったモノだったのか。

 この場にそれを冷静に判断出来る人物は居らず、同時に判断している暇も無い。

 言えるのは、一つ。

 男の腕から感じる“その魔術”の予兆を感じ取った瞬間、朝日 真也の意識は完全に凍り付いてしまったという事だけである。

 男の右腕の周囲では膨大な炎の魔力が収束しながら渦を巻き、解放の瞬間を今か今かと待ち望んでいたのだ。



火龍の火炎弾(ファーヴニル)、だって――!?」



 驚愕する様に、或いは絶望する様に、真也はその魔術の銘を呟いた。

 ――火龍の火炎弾(ファーヴニル)

 “龍霊級魔術”に分類されるこの大魔法は、火炎魔法を主に扱う魔導師にとっての到達点の一つと言われている。一流の魔導師達の間でも、個人ではほんの一握りの“天才”にしか扱えないとされている、大抵の魔導師が一度は目指し、しかし到達する事無く諦めてしまう魔導の頂。

 帝霊級すらも呼吸する様に放つ“あの少女”が身近に居る為に忘れそうになるが、本来ならばこれを扱える魔導師はそれだけで魔術団長クラスに等しい実力を持つと言える。


 無論、如何なランクの大魔術とはいえ所詮は魔術である。

 魔導を用いたこの世界の火炎では、守護魔たる真也には傷一つ付ける事は叶わないが――。

 しかし。

 広大な修練場すらも焦土に変えてしまうあの大魔術から、背後で震えるこの小さな身体を、果たして無傷で守り抜く事など可能なのだろうか――?

 そう思った瞬間、真也の脳裏には、ドロドロに溶解された金属の的と腰元の少女の姿が重なった。


「ちびっ子!! 絶対に動くな!!

 オレの後ろに隠れて、なるべく身体を密着させろ!!」


 動かす度に震える左手を少女の背に回し、抱き寄せる。

 激痛に視界は回り、背筋には冷たい汗が流れた。

 ――恐らく、少女は助からない。

 龍霊級相当の大魔法を受けて生存するなんていうのは、それこそ一部の魔導師が“抗魔術結界”を用いて初めて可能となる芸当であり、魔術の心得が無い一市民などには望むべくもない事柄だ。

 “アレ”が放たれたが最後、この広場は瞬きの間に焦土に変わり、真也は独りその地獄に取り残される事になるのだろう。

 背中に貼り付く、原型も無い程に崩れてしまった少女の亡骸と共に――。


 震える唇に歯を食い込ませながら、真也は自問した。

 “繰り返すのか”と自問した。

 たった独りが生贄(ぎせい)にされて、冷たい世界に自分だけが取り残される。

 冷え切って、色を無くしてしまった世界で、どんなに懐古して悔やんでも、呪っても、壊れてしまった(モノ)はもう戻っては来ない。

 ――狂った世界をどれだけ壊しても、決して元の温もりに触れる事は出来ない。

 フラッシュバックするのは涙と悔恨。そして、凍える様な憤怒と憎悪。

 記憶の奥底に封印して、“興味が無い”と札を貼った、鍵を無くした小さな箱。


「――――」


 幸運にも、結論は直ぐに出た。

 ――答えは、否だ。

 そんなモノは認められないし、そんな結末は許容されるべきでは無い。

 今となってはとうに人に対する興味を失った彼は、しかし、だからこそ、その結末だけは認めるわけにはいかなかった。

 その“箱”の中に詰め込んだのが、記憶から消したい程に醜いゴミばかりだったとしても。

 一緒に入れてしまった小さな小さな宝物が、まだ“消えたくない”と願うのなら――。


 顕在意識に上る事すら無い、あまりにも小さいが故に、無意識下に残る些細な行動原理。

 そして、彼は意識もせずにそれに従う。

 今の彼には、それを成す為の術があるからだ。

 敵が大魔術でこの少女を焼き尽くそうと言うのなら。

 詠唱に先んじて、敵を撃ち抜く事くらいは可能だろう――。


 真也はブレる右腕に力を込めて、銃口を男の胸部へと向けた。

 実銃特有の鉄の重さがより重く感じる。

 膨れた人差し指は引き金に噛んで、力を入れる度に照準が震えた。

 ――だが、それは決して撃つのを躊躇っての事では無い。

 朝日 真也は、そも嫌悪する人間という生き物の排除に戸惑いを覚える様な人格の持ち主では無い。

 男が腕を掲げ、その周囲に陽炎を纏わせる。

 術式の構築も詠唱も無く、まるでこの程度の魔術など呼吸に等しいとでも言うかの様に。

 彼はただ、何の感慨も無く、ガラ空きになったその胸部に銀の弾丸を叩き込もうとし――。



『そこまでだ、“サタン”。

 それは些か手札を見せ過ぎている』


「――――!?」



 ――突如として鼓膜を叩いた“声”によって、その動きを停止させていた。



 それは、地響きの様な声だった。

 文字通りに地の底から響いてくるかの様な、或いは大地そのものがスピーカーにでもなってしまったかの様な、聞く者の思考を一息で吹き飛ばしてしまう程の“力”を伴った声。

 “豪放磊落”という形容がここまで似合う声を、真也は今まで聞いたことが無かった。

 奇妙なのはそれだけでは無い。

 これだけ大きく、鼓膜に直接叩き付けられる様な声なのに、真也にはその発生源がどこなのか全く特定する事が出来なかったのだ。

 世界そのものが咆哮する様なその音波は、故に底知れない不気味さを伴い、確かな圧力となって真也の肺を圧迫する。



『中々に面白い余興だったぞ!!

 貴様が“白の守護魔”だったか!!』



 姿の見えない声は続ける。

 豪放磊落に笑いながら、真也へと舐め回す様な視線を向けながら(・・・・・・・・)、尚も続ける。



『今代の銀の国の魔人は戦力外だと聞いていたが――大した狐だったではないか!!

 儂とした事が、先刻はつい観戦に熱中してしまった。

 これだから、異世界人というモノは面白い』



 明らかにこの場に居ない筈のその人物は、明らかに見ていない筈なのに、しかしこちらの状況を完全に把握しているかの様に言う。

 見られていると感じたのは、恐らく気のせいでは無いだろう。

 ニヤリとした、故に余裕を醸す低い声は、真也自身よりも遥かにこの場の状況をよく把握しているという確かな自信を感じさせた。

 見えない視線は再び、静かに真也の前に佇む男の方へと流れ――。


『サタン、もういい。戻って来い』


 ――穏やかな、しかし否定を許さない声でそう告げた。

 狂笑していた男が凍りついたのが分かる。

 “声”を向けられた男は、突如として能面の様にその表情を凍らせながら、しかし確かにその口元を引き攣らせていた。


「お待ち下さい、王よ!!

 標的は目の前です!! 

 あの程度の障害など――っ」


 言いかけたところで、男の身体が不自然に傾いだ。

 それは立ち眩みや貧血の様な、或いは風邪で高熱を出しているかの様な、まるで身体から姿勢を保つ力が抜けた様な動きだった。

 明らかに不自然なその動きに、しかし真也は注意を払わない。

 ――聴覚から入ってきた遥かに大きな刺激によって、五感の全てを塗りつぶされてしまったからである。

 それは、王都に備え付けられた鐘楼だった。

 いつか聞いた、あのけたたましい警鐘が天高く鳴り響き、敵国民の襲撃を告げる大音声が街中の音という音を飲み込んでいた。



『“遮断”の魔術にも限度がある。

 そこの男に、少しばかり派手に暴れられすぎたな。

 もうじき“銀鏡”も出てくるだろう。

 それに――貴様とて、それ以上は保つまい?』


「――――」


 男は、悔し気に歯噛みする。

 それは“声”の決定に不満があるというよりも、自らの至らなさを悔いているかの様な、先の狂笑よりも幾分温度の下がった態度だった。

 否、或いはそれすらも憎悪に変え、故に歓喜しているのか。

 “声”は、尚も落雷の様な笑い声を発する。



『そう悲観するな。

 そうだな――折角、久しく見ない程に(たぎ)る魔術戦が見られたのだ。

 儂からも一つ、“置き土産”くらいはやろうではないか』



 “声”は男から視線を外し、再びそれを真也へと向ける。

 そしてそんな、どこか楽しむ様な声が聞こえた瞬間。



『白の守護魔。解けぬ理を解かんとする者よ。

 貴様の如き愚かなる賢者に、儂が魔導の真髄というものを見せてやろう。

 ――命ず(ansur)




 ――世界は、揺れた(・・・)




「何だ、これ――!?」


 吐露する様な声は、しかし彼が必死になって捻り出した物だった。

 否、今の真也には、その一言を口にする事すらも難しかったのだ。

 それはまるで、巨大で獰猛な肉食獣が背後に立っている様な威圧感。

 ほんの少しでも身動ぎしたり、物音を立てたりすれば即座に捕食されてしまうと、そんな馬鹿げた確信を持ってしまう程の、あまりにも圧倒的な世界の悲鳴。

 ――揺れているというのは比喩では無い。

 そこら中の空気が明らかに振動し、渦を巻きながら、僅か一点に向けて収束していくのが分かる。

 それは掻き集められた圧倒的な魔力量が齎す、最早悪寒と形容するのも不適な程に絶望的な寒気だった。

 魔術の発露に伴う燐光が地面という地面から全て舞い散り、その恐ろしい程に幻想的な光景に、まるで巨大な肉食獣の腹の中にでも収まっているかの様な錯覚を覚える。


 視界は揺れ、輝き、景色は捻れる様に歪んでいく。

 しかも、驚くべき事に。

 恐らく、その中心点は“ここ”では無い。

 この吐き気を覚える程に高密度の魔力の収束は、今彼が感じているこの怖気は、この街の中のどこかで、しかし明らかにここから離れた場所に向かう魔力の余波に過ぎなかったのである。


 ――“別格”。


 その二文字が、真也の脳裏に静かに過る。

 それは、“あの少女”が何度か見せた帝霊級火炎魔法と比較しても、否、比較する事事態が無意味に思えてしまう程の、あまりにも圧倒的に過ぎる魔術の兆候だった。

 否。そもそも、これは本当に魔術と言って良いのだろうか。

 こんな、街中の魔力を全て掻き集めて枯渇させてしまいそうな、こんな馬鹿みたいな規模の魔力の奔流が、本当に魔術と言えるのだろうか。

 ――否、と。青年の理性は否定した。

 何しろ、それではあの少女の扱っていた魔術ですら児戯にも入らなくなってしまう。

 自然災害と言われても納得出来そうな世界の振動の中で、真也の頭にはいつか聞いた、彼女の魔術の説明が過ぎっていた。



その(teiwaz)(mann)頂に立ちて神々に挑む(uruz thorn)



 ――魔術。それは精霊との契約だ。

 世界の森羅万象を司る四大精霊に、星の活力たる魔力を与える対価として、彼らの持つ力のほんの一部を借り受けるという神秘の総称であるという。



強靭なる(inguz)巨躯は(Thurs)雲を(ehwaz)突き(sigel)

 騎馬に(thurs)乗りては(eoh)主神に(uruz)比する(ansuz)

 石の頭に(geofu)砥石の心臓(hagal)楯の上に座しては(geofu)恐れを知らず(teiwaz)



 ――魔術のランクは全部で9つ。

 内一つは番外で、更に一つは現存していない。

 故に、実際のランクはほぼ7つ。

 誰でも扱える自然霊級魔術を除けば、実質は6つと言ってもいいだろう。

 下から順番に戦霊級、抗魔術結界の境霊級に狼霊級、龍霊級に、帝霊級。

 そして――、



死して(yr)(teiwaz)不敗の英雄すらも(yr)地に這わせん(thorn)



 ――精霊一体分の力を丸々使う最強の術式にして、魔術の最高峰。

 各属性に1つずつの、計4つしかないという、到達不能の魔導の極致。

 青年が思考する間にも世界は揺れ続け、眩い燐光は舞い続ける。

 それは宛ら、世界そのものが振りかざす理に耐え切れぬと悲鳴を上げるかの様に――。



怪傑巨兵(フルングニル)――』



 そして、声は。

 遂にその“銘”を口にした。



 瞬間、世界が変貌する。

 街の中で、正門前の方角から、止めどもなく響いてくる地響きと建物の断末魔。

 それは地下から生まれた“ソレ”の圧力に耐え切れなくなったアダマス鉱がひしゃげ、砕け、瞬く間に溶解されて蒸発していく最期の悲鳴だった、

 ――異変はそれに留まらない。

 街そのものを飲み込む様に肥大し、突き抜けた“ソレ”は、まるで世界の全てを覆うかの様に、或いは空そのものを隠してしまうかの様に盛り上がり、そして、立ち上がった(・・・・・・)



 ――それは、土塊で出来た巨大な彫像だった。



 山程もある体躯がハッキリとした人の姿を形作り、轟音を伴って流動している。

 重鈍ながらも確かな存在感と共に躍動する、筋骨隆々とした造形。

 巨体の上に乗った顔は厳めしく、ガラス玉の瞳が、小さな屋敷くらいならスッポリと入ってしまいそうな穴からこちらを見ている。

 ロードス島の巨像を思わせるその姿は、しかしどう考えても縮尺がおかしい。


 巨人の頭は、あの銀の国を象徴する白銀の防壁と比しても尚高い場所にあった。

 雲を突くという形容は正に正しく、巨人の鋭い眼光は、遥かな天空から街全体を俯瞰している。あの高さからならどこに逃げても見つかってしまうのでは無いか、などと、真也は漠然と過ぎった自分の馬鹿みたいな想像に背筋を凍らせた。

 正門前という、遥かに遠い場所から、しかし狂った縮尺故に目と鼻の先としか思えない場所に立つその巨人。

 土塊の怪物は、その洞窟の様な口を大きく広げ、そして猛々しくも咆哮した。

 “全てを食い尽くす”と、咆哮した。



 ――それは、この世界の誇る理の最高峰だと言われている。

 矮小な人間などとは次元を分かつ、人の身などでは抗うことの叶わない、あまりにも圧倒的に過ぎる神秘の力。

 どんなに喚こうが、泣き叫ぼうが、奮闘しようが、そんな些事など纏めて踏み潰してしまうような、相対したモノに絶対の絶望を齎す、世界の頂点に立つ神域の怪物。



 故に、彼らはこう呼称される。

 人の身で、最高存在たる精霊の力を扱えるその技量に対して、畏怖を込めて。



 “大魔導”と――。



―――――



 突然の警鐘に色めき立つ街並みを、アルテミア・クラリスは疾走していた。


 雪の様に白い肌を覆う漆黒のローブ。トレードマークの真紅の髪には頭をスッポリと覆うとんがり帽子が乗り、その先端がリズミカルに跳ねる肢体の振動を受けて風に靡いている。生地が厚い帽子は重たいが鍔が広く、軽やかに走る彼女の勢いに負けて頭から飛ばされそうになっていた。

 白銀の石畳を革製のブーツで蹴りながら、息を弾ませる少女は人混みを必死で掻き分けていく。


 人混みを掻き分ける、とは言ったが、実際のところ今の彼女の視線は周囲の雑踏など向いてはいない。

 否、勿論正面衝突をかましたりしない様に時折視線は人混みへと戻されるのだが、それでも、今の彼女の意識にはそんな余計な情報を処理している余裕なんか無かったのだ。

 彼女の意識が捉える先は、ただ一つ。

 正門前に聳え立つ、白銀の防壁と比しても尚巨大な“ソレ”だけであった。



 ――怪傑巨兵(フルングニル)

 それはこの世界の頂点に君臨する四大魔術、“精霊級”の名を冠する、土属性最強の大魔術である。

 土の精霊の力を全て宿した彼の土塊は強靭で、そしてその体力には底が無い。

 加えて触れただけで全てを分解してしまうあの大魔術は、一晩で城塞都市一つを跡形も無く消し去ってしまう程の戦力を誇る、破格の怪物なのである。

 発動してしまったが最期、常理の内に佇む者には何一つ抗う術の無い圧倒的災厄(・・・・・)

 それが、“精霊級”という魔術のランクだ。


 そして、この国には怪傑巨兵(あんなモノ)を扱える魔導師は居ない。

 つまりアレを放った者は敵国民であり、即ち、アレが狙っているのはこの街に居る誰かという事になる。

 ――敵国の大魔導が狙うとしたら、候補は自分か、それとも“アイツ”か。

 巨人の出現位置と移動方向から考えて、少女はその答えは後者であると確信していた。


「……あのバカ。

 死んだら絶対殴るから!!」


 強い瞳で巨人を見据え、少女はキュッと口元を結ぶ。

 走る少女の目の前からは、彼女と同い年くらいの少年少女たちが集団になって駆けて来ていた。

 彼らは恐怖を紛らわせる様に雑談し、しかし巨人と十分に距離が離れているからか、どこか他人事の様な安堵と共に避難しようとしている。

 自分が紛れても違和感が無さそうなその集団に脇目もふらず、少女はただ、無言で彼らと擦れ違う。


 もしかしたら自分が居たかもしれないその“日常”に視線をやる事も、また視線を向けられる事も無く。

 真紅の少女は、彼らが逃げてきた方角に向けて駆け抜ける――。



―――――



 噴水前広場に巨大な火柱が上がった。

 ――龍霊級火炎魔法・火龍の火炎弾(ファーヴニル)

 扱うには魔導師範級の実力が必要な、一握りの魔導師にのみ許された上級魔術である。

 黒い男が自らの足元に向けて放ったソレは、上空から削岩機でも叩き落としたかの様に大地を抉り飛ばし、生じた大穴の中へと男の姿を消し去った。



龍霊級火炎魔法(ファーヴニル)まで無詠唱、とはな。

 ……あの黒フード、どんな手品使ってるんだ?」



 男が消えた場所。

 奈落に続く様な、底の見えないその大穴に近づき、覗き込みながら、朝日 真也は些細な疑問の声を上げた。

 無論、彼がそこまで驚愕している様子が無いのは、別段男の魔術が大したことが無かったから、という訳では無い。

 寧ろこの、アダマスの銃弾ごと溶解して背後の少女を焼きかねない程の大魔術を平時の彼が見ていたとしたら、さぞかし驚きに目を瞠って自分達に使われなかった事を安堵していた事だろう。

 そうならなかった理由は、ただ一つ。

 男の魔術に先んじて使われた“ソレ”があまりにも、馬鹿馬鹿しいくらいに規模が違うモノだったが為に、最早青年には驚く余裕なんか残されていなかったというだけの話である。



「参ったな」



 真也は、吐露する様に呟いた。

 正門前に佇み、轟音と共に距離を詰めて来る“ソレ”を見上げながら。

 打開する手段も無く、半ば以上は諦めたとでも言うかの様に――。


「ちびっ子。お前、アレより速く走れるか?」


「ムリです~」


「……だよな。オレでも今は無理そうだ」 


 言葉を交わす彼らの視線の先からは、巨大な土塊の兵士が白銀の街並みを食い潰す様に溶解しながら突き進んで来る。

 そのあまりにも暴力的で、暴虐的な姿は、真也に怪獣映画のワンシーンを彷彿とさせた。


 ――唯一の救いがあるとすれば、あの巨人はそれほど速く動いているようには見えない、という点だろうか。

 対象物が大きく、遠い為にそう錯覚しているだけなのかもしれないが、それでも、何の荷物も持っていない人間が全力で走れば何とか逃げ切れそうな速度には見える。

 ……尤も。それは全力で走れる事が大前提であり、こうボロボロになってしまった今の彼には望むべくも無い事柄なのではあったが。



「仕方ない。

 それじゃあ、結局アレをなんとかしなきゃならない訳だな。

 ……全く、今回の連中はとことん穏やかじゃないな」



 溜息混じりに虚空を見上げ、ゆっくりと背を伸ばしながら真也は言う。

 ――瞬間。

 黒髪の少女は、驚いたように目を見開いていた。



「な、なんとかって――。

 お兄ちゃん、まだやるですか!?

 もういいです!! だって、お兄ちゃんの身体、もう……」


「気にしなくていいぞ? オレの身体は特別だからな。

 このくらいなら、どうせ日が暮れるまでには治ってる。

 それに――多分これで最後だろ」


「…………!!

 死んじゃい、ますよ……?」


 悲痛な顔で告げる少女の言葉に、真也は一度だけ黙った。

 その沈黙をどう取ったのか。

 少女はただ、断定する様に続ける。


「絶対に、ムリですよ?

 お兄ちゃんだって、本当は分かってるんじゃないですか?

 “アレ”は、お兄ちゃんがどんなに頑張ったって、絶対にどうすることもできないんだって……」


 少女は土塊の巨人を見上げながら、身を案じる様な、祈る様な声でそう言った。

 全てを分かっている様な、今が本当にどうしようもない状況だと分かってしまっているかの様な、少女の小さな身体には到底似つかわしくない、諦めと悟りを孕んだ声で。

 だからこそ、彼は――。


「わたしなら、もう大丈夫ですから。

 だから、お兄ちゃんは……」


「……それが。お前にとっての“常識”なんだよな」


 ニヤリとした声で。


「そんな下らない常識は。

 オレが、今この場で破壊してやる」



 不敵な笑みを作りながら、そう断言した。

 “作った”と表現した様に、言葉に反して内心には僅かな焦りを伴いながら――。



 ――無理もあるまい。

 何しろ、触れるだけで万物を溶解する悪魔の土があれだけの量である。

 アレに追い付かれたら最後、この少女の身体をアレから守り抜く術など無く、真也自身とて、いかに魔術が効かなくともアレにのしかかられたら物理的に圧殺されるだろう。

 それが執行されるまでの猶予は、果たして数分か、或いは十数分か。

 正確な値など知る術は無かったものの、暫定的な数値を無意識下にて演算しながら、白い青年は真紅の少女のデータバンクへとアクセスして打開策を模索した。

 結果は――やはり、“火”が要る。

 それも、中途半端なレベルでは無い。

 それこそ、あの怪物に匹敵するくらい馬鹿げた火力の、巨大な花火が――。



「グ――――っ!!」



 そこまで思考したところで、青年は腹部を押さえ、地面へと崩折れた。

 少し身を捩った為に、肋骨に激痛が走ったのだ。

 途切れた思考を再度繋ぎ直し、背を撫でる少女の手の感覚に過敏になった交感神経を落ち着かせながら、彼は尚も静かに計算を続ける。


 火。あの巨人を焼き尽くせる程の、本当に巨大な炎の鉄鎚。

 我ながら馬鹿な事を考えていると、真也は自分の思考に苦笑する。

 そう。あんなバケモノを焼き尽くせる程の炎なんか生み出せるとしたら、それは最早戦略兵器規模の爆弾だろう。

 この場に居ない“あの少女”ならともかくとして、物理の才能以外は一般人の域を出ない朝日 真也という人間に、そんなモノをこの場で都合良く用意する術などある筈も無い。


 痛みと焦燥感で地に拳を埋めながら、彼は尚も思考する。

 巨人の咆哮と振動が近づいてくるのを肌に感じ、しかしその数倍の速度で思考回路を回転させながら、彼は必死に打開策を探り続ける。

 どんどん近づいて来る破壊音と悲鳴。

 それすらも思考から排除しながら、彼は地だけを見詰めつつ、ただ仮説を立てては破棄を続ける。



「――――?」



 ――そして、幾度目かの案を排除した瞬間。

 彼は、自分のすぐ目の前に落ちている“ソレ”の存在に気が付いた。



 それは、昼間のアルキメデスの原理の検証実験で使ったアッシュ鋼の塊だった。

 どうやらスケジュールの関係で、手伝いを頼んだ助手はまだ片づけに来ていなかったらしい。

 確かこの金属は、この後どこぞの金工業者に手渡されて刃物やら工具やらに加工し直されるという話ではあったのだが……この金属の末路など、今の真也にとっては関係の無い事だろう。

 要点は、一つ。

 そこまで考えた彼が、酷い頭痛と共に溜息を吐く羽目になったという事である。


 ――そう。

 この世界では、アルキメデスの原理なんていう基本的な大前提すらもまともに機能しないのだ。

 今彼が直面しているのは、既知の物理法則をフルに使える地球でも扱いが難しい命題だというのに、その上魔力なんていう不可思議な力が存在する異世界という追加条件。

 そんな世界で、都合よくあの怪物を焼き尽くせるだけの熱量を生み出せる兵器など、そうそう手元にある筈が……。



「!? アルキメデスの、原理――?」



 ――そこまで考えたところで。

 彼の脳裏に雷光が閃いた。

 目まぐるしく回る思考に、頭を過ぎった幾つかの情報とソレを象徴する単語、そして、ソレを成し遂げる為の無数の方程式が駆け巡っていく。


 計算結果が未来を暗示する。

 無意識下の機能がカタカタと演算処理を始め、視覚化出来る程のイメージがたった一つの解を導き出していく。 

 その解答によって発生する現象が無数の方程式として彼の瞼裏を走りぬけ、寸分違わず再生(リプレイ)されていく。


「は――」


 そして、彼は確信した。

 その解答ならあの巨人を相手にも十二分に戦う事が出来ると、彼の唯一の計算(さいのう)はそう確信した。

 ――否、戦う必要すら無い。

 何故なら、彼はそういう解答を導き出したのだ。


「さて」


 彼は、微笑った。

 驚いた様な、或いは“おかしくなったのか”と心配する様な表情をしている少女に向けて、彼は只々不敵な笑みで、


「実験開始といくか」


 ――静かに、“終わり”を宣言した。

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