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朝日真也の魔導科学入門  作者: Dr.Cut
第二章:雷神鉄鎚-5『Golden Sun and Silver Moon』
51/91

51. 異世界で異なる学問を学ぶ学生達に対する古典物理学の入門的講義と重力加速度及び空気抵抗の測定実験の結果から推測される万有引力と魔力の関係式及びアルキメデスの定理の魔力存在下に於ける検証実験

 ~~トロール、ひれ伏す~~

 本日早朝、王都郊外・ナタリーの農村地域にて“ヴル”が地面にピッタリと張り付いたまま動かなくなっているのが発見された。


 ヴルとは“果ての無い平原”に生息する凶悪な魔獣・トロール族の中でも特に凶暴で危険とされる種の一つであり、全身を覆い尽くす様に生えた深い体毛と、樹木を混紡替わりに振り回す程の強靭な筋力を持つことで有名な害獣である。

 今回発見されたヴルは小さく見積もっても体長4ラドを超えており、マンドレイクの値段交渉の為にたまたま農村に居合わせていた専門家によると、これまで国内で発見されたものの中では最大級になるという。


「いや~、おでれ~ただ。起床鳥さ叩き起ごされで見にぎでみだら、畑にでっかい緑の山さあっでヴ~ヴ~鳴いてんだもんよ~。子供らさワイワイ騒いでっがらこういっちばん低ぐいどこさ覗き込んでみたらよぉ、グリグリした目ん玉さあって動いてんの!! いや~おったまげただ~。どころで姉ちゃんも毛深いけど、オメエさんあれの親戚かなんがか?」

 などと、土地の所有者の男性は意味のわからない供述を繰り返しており、我々は騎士団に事件との関連を打診している。


 事態を聞いて駆けつけた騎士の話によると、ヴルには一切の外傷が見られないものの、何度つついても叩いても毛を引っ張ってもまるで何かに怯えたかの様に微動だにせず、地面に密着する様に伏せられた顔からは謎の透明な液体を滝の様に零し続けているのだという。

 専門家によると、ヴルには本来この様な液体を排出する習性は無く、新種の病原体に感染している可能性もあるとして付近の住民には触れない様に注意を呼びかけている。


 余談だが、大型魔獣との意思疎通が出来る先天魔術を持つという少年の話によると、ヴルが時折漏らしているヴ~ヴ~という嗚咽の意味は“ごめんなさい、調子に乗ってスンマセンでした、ホントもう勘弁して下さいお願いします”になるという。

 〈シルバー・タイムス朝刊より〉




「……穏やかじゃないな」


 魔導研究所のとある一室。

 雛壇状に配置された無数の机に囲まれ、数多の目線を一手に引き受けながら、新聞記事に目を通し終えた朝日 真也は呟いた。

 否、目線を一手に引き受けていると言えば語弊があるだろうか。

 正確に述べると、彼を取り囲む数多の人々、即ち漆黒の装束を纏った見習い魔導師達がその目を向けているのは彼自身では無く、その隣に存在する映画のスクリーンもかくやという巨大黒板に書かれた図と一つの文章であった。


『下図に対して運動方程式を立て、物体Bの摩擦係数μを求めよ』


 地球に存在しない文字にて記されたその一文の下には、親ガメの背に乗る子ガメの様に設置された箱が二つ描かれており、それらが乗ったソリを棒人間の様なナニかが一生懸命に引いている絵が描かれている。小さい方の箱にはm、大きい方の箱にはMの文字が記され、その他にもvやFやaなどの文字が随所に踊っていた。


 真也を中心としたその一室――即ち講堂には、黒板に踊る文字と戯れる様に、無数の筆音がカツカツというバックミュージックを奏でている。

 耳障りなその音楽を遮る様に、真也は新聞を折る音を響かせながら立ち上がった。


「そこまでだ。では解答をする。

 解けた者は挙手をしてくれ」


 透明感のある、しかし良く通る声で真也は言う。

 ――だが、彼の声に答える者は居なかった。

 黒い装束を纏った見習い魔導師(生徒)たちは、口々に顔を見合わせて雑談をしながら、真也が目を向けるとサッと顔を伏せてしまう。


「……一昨日教えたばかりの問題だが?」


 淡々と問う声に、反応を返す者はやはり居ない。

 彼が愛すべき(・・・・)生徒達はザワザワと耳障りな囀りを口腔から漏らしつつ、尚も真也の目から逃れようと顔を背け続ける。

 大学教授として教鞭を執っていた頃なら、こういう時には必ず真っ先に手を上げる便利なアホ毛が居たものなのだが……名前までは思い出せないし、この場に居ない人物を仮定しても非生産的に過ぎるので彼は思考を中断した。

 そして、小さく溜息を零す。


「…………質問を変える。

 分からない事がある者は挙手をしてくれ」


 少しトーンを落として言う声に、今度は僅かに(・・・)反応があった。

 具体的に述べると、生徒たちはとうとう耳障りな雑談すらも止め、キョロキョロと辺りを見回しては気まずそ~に互いに目を見合わせている。

 焦れた様子で眉を顰めた真也。

 しんと静まり返った講堂の中で、やがて先頭に座っていた男子生徒の一人が手を上げ、恐る恐るといった様子で口を開いた。


 ――“コレが何の役に立つのかが分かりません”と。


 ふと見回すと、驚くべき事になんと講堂の約2割の生徒が同意する様にウンウンと首を上下に振っていた。

 真也は、軽く頭を抱えた。


「……ああ、そうか。そうだったな。

 まあ、確かに魔導ならそこから入るんだろう。

 だが何の役に立つかなんて考えてるうちは、こんなモノは何の役にも立たん」


 持ち前のポーカーフェイスを沈鬱そうな色に染めながら、黒板へと手を置きつつ答える真也。

 訝る様に彼を見つめている男子生徒。

 真也は静かに捕捉した。


「いいか? “何が出来るのか”なんてコトを考えるのはな、それこそ技術屋にでも任せておけばいいんだ。

 物理学者(オレ達)が本当に重要視するべき事が、そんなつまらない副産物(・・・)なんかである筈が無い。

 求めるべきは、何故そうなるのかという真理(・・)の方だ。

 ――覚えているか? オレは一回目の講義で、科学とは常識を破壊する学問だと教えた筈だな?

 もしも君が“何の役に立つか”なんていう即物的な要求にしか意味が無いと思っているのなら、そんな下らない常識は今この場で破壊しておけ」


 僅かに苛立った様子で言う真也に、男子生徒は目を丸くしていた。

 講堂にはカチャカチャという高い音が鳴り、シャラシャラとペンが走る音が響き始める。

 どうやら、メモを取っている生徒がいるらしい。

 その音を無視しながら、真也は思考の温度を下げる様に息を吐いた。


「だが、まあ。実際問題、君の考え方も大切なんだぞ?

 何しろこんな本音を正直に話したところで、頭の固いスポンサー連中は金を出さない。

 昨今では、特に国から金を引っ張るときには注意が必要だ。

 この国じゃどうか知らんが、オレの国じゃ事業仕分けに味を占めたオバサンが、人気取りに必死で鼻息を荒くしてたもんさ。

 よってナニが出来るかという、実利(エサ)という名の上手い言い訳(・・・)を考えるコトは、まあ現代の科学者にとっては必須技能の一つとも言える」


 ……コレが、テストに出るとでも思っているのだろうか。

 真也が一言発する度に講堂ではペンの音が響き、書き取り忘れた女子生徒が友達内でノートを見せ合っている様だった。

 手を上げた男子生徒は、尚も意味が分からないとでも言いたげに眉を潜めている。

 分かってもらうつもりもあまり無かったので、真也はなんとなく壁に掛かっている丸時計へと目をやった。

 定刻まで残り5分といったところだろうか。


「……まあ、これは今の君たちには関係の無い話だったな。

 とにかくオレが言いたいのは、何が出来るのかを重視するのなら魔導を学べばいい。わざわざつまらんオレの講義なんか受ける必要は無いってことさ」


 講師用のデスクの前に移動し、散らばった資料とノートを纏めながら真也は言う。

 先刻読み終えた新聞を小脇に挟んで、最後に白板(魔術的にスクリーンとリンクした板。コレに描かれた文字は、正面の巨大黒板へと投写される)を左手に持ちながら、出口の扉の方へと足を向けた。

 扉の前で、最後に男子生徒の方を振り返って、


「ただし――。

 もし君が、この行為そのものに意味を見出せる人間なら安心していい。

 単位だけはオレが保証してやる。


 ――さて、続きは宿題にする。

 次回までに各自解いて来る様に」


 自分を追って来る無数の視線を受け流しながら、淡々とそう締めくくる。

 それで“退屈な講義”が終了した事を悟ったのか、真也が扉を開けた瞬間、席を立つ音と五月蝿い雑談が講堂を包んだ。

 辟易したかの様に溜息を零し、真也は廊下へと歩みを進めた。



―――――



 昼食時を過ぎた大通りは、活気がある中にもどこか気怠そうな雰囲気を湛えていた。

 頂点を過ぎた蒼い太陽が、アダマス鉱で作られた白銀の街並みを珊瑚礁の様に煌めかせている。

 ――初めてここを通った時に比べると幾分暖かくなってきた様な気もするが、まだまだ長袖を脱げる様な気温とは言えない。

 爽やかな冬の匂いを含んだ空気を肺いっぱいに吸い込んで、真也はソレを溜息として吐き出した。

 煙草の煙を連想させる白い息が、街の雑音の中に溶けていく――。



 彼が少女に召喚されてから3週間が経とうとしていた。

 突然拉致された上に体内に時限爆弾を埋め込まれ、尚且つ敵国の化け物達と殺し合いを強要されるという凄まじい状況に追い込まれる羽目になった彼の異世界ライフではあったが、どうやら人間大抵の事には慣れるものらしく、実際に暮らしてみるとそこまでリアルに死の恐怖を感じる様なことは稀になった。

 あの召喚2週目に発生した“3グループニアミス事件”以降、これといって敵国の召喚主や守護魔が攻めて来る様な事も無く、彼はこのところ比較的安寧な日々を甘受している。


 これには、あの少女との関係がそこそこ良好になってきたという要素(ファクター)も大きな割合を占めているだろうか。

 真也と少女は相変わらず顔を合わせれば言い争いが絶えない日々を送ってはいたが、それでも出会った当初に比べると、ここ最近は少女も比較的柔らかい表情を見せる事が多くなったと彼は感じている。

 人心に疎い真也には少女の心境など知る由もなく、また気を配ってまで知りたいと思える程の事でも無かったが……たまに彼女が見せる安心した様な笑みから察するに、少なくとも、どうやら嫌悪はされていないらしかった。


 まあ、これまであの丘にたった独りで暮らしてきたという少女のことである。

 もしかしたら、二人きりで居る時に時折彼女が見せる穏やかな表情は、これまで彼女自身も意識していなかった人恋しさの裏返しなのかもしれないが……これは、特に真也が関知すべき事柄でも無いだろう。

 要点は、一つ。この世界で暮らし始めた彼の生活はそこまで悲惨なモノでは無く、それ故に家の生活では無く外の仕事に対する鬱憤が強調されていたという事であった。



 ――結論から言うと、朝日 真也は教職になんか向いていなかったのだ。



 教師とは、即ち生徒との円滑なコミュニケーションが求められるサービス業の一種である。

 そして朝日 真也の人格を鑑みれば明らかな事ではあるが、偏屈で人間嫌いというパーソナリティを育んだ彼がまさか他人の為に自らの時間を浪費して教鞭を執る、などという行為に快感を覚えるなんて事がある筈も無く、そういった意味で言えば、教職とは本来彼の備える性質とはある意味対極に位置する職であると形容する事も出来る。

 何しろ真也という人間は、そんな無意味な(・・・・)事柄には一切の興味を示さない。


 ――そう。

 つまるところ、朝日 真也はとことんまで教職の才能が無かった。

 加えて、大学教授時代から生徒たちに“朝日教授の講義は鬼門。”特に女生徒達からは“あの顔に釣られただけなら後悔する”とまで讃えられてきた彼である。

 曲がりなりにも古典物理を習得してから講義を受ける日本の大学生達と違い、中学生レベルの理科すら満足に履修出来ていないこの世界の人間に物を教える事など、彼にとっては最早常人が猿に因数分解を教えるくらいに難易度の高い行為に感じられていたことだろう。

 ……要するに、彼は良くも悪くも生粋の天才物理学者なのであった。



 憂鬱そうな顔で大通りを闊歩する彼は、やがて噴水のある中央広場へと辿り着いた。

 今日の仕事が終わったから、では勿論無い。

 言うまでも無く、仕事をサボる為でもありはしない。

 彼がこの街の住人の憩いの場へとこうして足を運んだのには、彼の仕事に関連する極々些細な理由があったりする。


 真也は噴水の隣にまで足を運ぶと、予めそこに用意させておいたバケツを使って、同じく用意させておいたアクリル(みたいな金属製)の水槽へと水を汲み始めた。

 痺れる程に冷たい真冬の水温が、皮下に隠れた彼の神経を突き刺す。


「あー!! 白い兄ちゃんだー!!」


 ……と。

 真也が水槽の三号目くらいにまで水を汲み終えた時、鼓膜が痛くなる様な声が水音の立ち籠める広場へと木霊した。


「あ!! ホントだ!! 白い兄ちゃんだ!!」

「白い兄ちゃん、きょうも来たんだね~」

「ねえねえ、兄ちゃん!! またアレやってよ!!」

「レイくん、アレってな~に?」

「アレだよアレ!!

 あのたかいところから、てっきゅうボンッて落とすやつ!!」

「あー!! アレかー!!

 ねえ兄ちゃん!! やってやって!!」


 ドンッと背後から腰に抱きついてきた少年を皮切りに、どこからともなく大発生して群がってくる10人くらいの少年少女達。ある者は真也の肩によじ登り、ある者は白衣の裾の中に潜り込み、またある者はせっかく水を汲んだ水槽の中に入って水遊びを始めた。

 3人くらいが中に入ったのを合図に、バランスを崩した水槽が横転して、中身が溢れる。水槽に入っていた女の子が一人、ボテッと額を地面に打ち付け、痛みを堪え切れずにわんわんと泣き始めた。


 あまりにも耳障りな奇声を発し始めたので、真也は“不死鳥の羽根ペン”を使って石畳から“地球ゴマ”を造って女の子に渡した。

 ――次瞬。3人くらいの少年が女の子に群がり、駒を奪って取り合いを始めた。

 真也は静かにソレを仲裁すると、不死鳥の羽根ペンを使って更に人数分の駒を作り、そっと全員に渡した。

 サルの様な叫び声を上げながら、発狂した様に跳び回る子供達。


「ねえねえ!! 兄ちゃん!! 今日もアレやって!!」


「……いや、悪いが今日は別の実験をやる予定なんだ」


 背後から首にぶら下がって頸動脈を圧迫してくる少年に、真也は淡々と答える。

 “えーっ!!”という不満の声が子供達から上がったがあまり気にせずに、真也は倒れた水槽を起こして水を汲み直し始めた。

 少年少女はワイワイと騒ぎながら、真也の周りを円を描く様にして駆けまわる。



 因みに彼らが言う“アレ”とは、恐らく先日この広場で行った重力加速度と空気抵抗の測定実験のことだろう。“不死鳥の羽根ペン”を使って高さ100メートルくらいの台座を作成し、密度様々な物体を順次落下させてその時間を測定したのである。

 次々と高所から重い物が降ってくるその光景は、見物していた子供達の目には中々に派手に映ったらしく、それ以来真也は子供達の間で“実験ショーのお兄さん”という認識で人気を博してしまっていたのであった。

 無論、真也にしてみれば広場に出てくる度にどこからともなく群がってくる子供達を少なからず“鬱陶しい”と感じてしまって仕方なかったのではあるが……。

 嘗て同じく“科学の子”であった真也には、子供がこういった“実験ショー”を楽しみたい気持ちも分からないでも無く、無碍にするのも気が引けた為、こうして一々相手をする羽目になってしまっていたりするのであった。



 ――余談だが。先の実験の結果によると、どうやら万有引力の法則はこの時空では厳密には成り立っていなかったらしい。

 というのも、王都の中と外、そして修練場にて同様の実験を繰り返し行なってみたのだが、同一密度の筈の物体を落としても、場所によって明らかに落下速度が違っていたのである。

 ……最初は測定誤差だと思って流そうとした真也ではあったのだが、結果を表に纏めてグラフにしてみると、その差は見逃せない程に顕著である事が判明した。


 具体的な傾向を述べると、どうやら魔力が強い場所ほど落下速度が遅くなるらしいのである。


 この結果をどう解釈するべきかは悩ましいところではあるのだが……一番簡単な解釈としては、“この世界の重力は魔力に反比例する”というものだろうか。

 あくまでも感覚的な物であるため根拠にもなりはしないが、少女と魔術練習をしたあの“修練場”の気持ち悪さが重力の差異による前庭のズレが原因だったと仮定すると、これは中々に説得力があるのでは無かろうか。


 もしかするとこの世界では、万有引力の法則F=GMm/r^2を変数“マ”(魔力(マナ)の頭文字。Mもmも式内で既に使われているし、Maやmaにするとそれはそれで中々に紛らわしいので要検討。加えてGも要変更)で割った物にしなくてはならないのかもしれない。

 ……まあ、実際にこの式の正当性を検証しようとすると、少々困難な問題が発生するというのが心苦しい点ではあるのだが。


「…………」


 ハエの様に水槽に集る子供達を追い払いながら、真也は無言で水を汲み続ける。


 ――そう。ある程度分かっていた事ではあるのだが、どうやらこの世界の魔導という学問は、とことんまで物理学とは相性が悪いらしいのだ。

 具体的に言うと、霊地の魔力量を判定する為の根拠として“魔導師の感覚”なんていう曖昧なモノを大真面目に基準にしているらしく、簡単に言うとそもそも“正確な測定”という概念からして存在しない。

 それでも霊地の等級なんていう物が一応決められてはいるのだから、魔導師の感覚(コレ)も全く当てにならないというワケでは無いのだが……当然ながら正確な単位を決めて数値化する事なんか出来やせず、そういった意味では彼にとって何の役にも立ちはしない。

 いっその事“魔力と重力の関係式”を事実として仮定した上で、測定した落下速度の差から土地の魔力量を単位付きで同定してやろうか、などと、証明としては少々反則気味なヤケを起こしかけている真也なのであった。


「……と、そろそろいいか」


 十分な量の水が溜まったのを確認し、真也は水槽から噴水へと目を映した。

 止めどなく銀白色の水を吹き出し続ける、ウエディングケーキの様な噴水の麓には、一様な形に整えられた50cm四方の金属塊がゾロゾロと数十個も並べられている。

 これも、真也が予め雑用を頼んでおいた助手に用意させたものであった。


 準備が整った事を悟ったのか、子供達が興味深そうに目を輝かせている事が分かる。

 キャッキャッと騒ぐその雑踏を思考から排除しつつ、真也は手近な金属塊を一つ持ち上げると、水を張った水槽の中へとドボンと沈めた。

 水位の上昇をしっかりと確認し、水面の位置へとペンで印を付ける。



「こら、レイ!! 何やってるの!!」



 ――と。

 真也が水中から金属塊を引き上げようとした時、近くで喧しい声が上がった。

 不審に思って目を移すと、先程までいつもの様に広場の端で雑談に興じていた母親の一人が大慌てで真也の方へと駆け寄ってくる。

 母親は群がる子供のうちの一人、金髪蒼眼の少年の手を掴むと、キツい目線で睨みつけながらクイクイと引っ張った。


「このお兄ちゃんには関わっちゃダメっていつも言ってるでしょ!?

 どうして言うことが聞けないの!!」


「えー? なんで~?」


「なんでじゃないの!!

 このお兄ちゃんはね、危ない人なの!!

 怪我してからじゃ遅いんだから、さっさと来なさい!! ほら!!」


 駄々を捏ねる少年の腕を、母親は更に強く引く。

 その様子に気が付いたのか、今まで雑談に興じていた他の母親たちも慌てて駆け寄り、各々の子供を真也から引き離しに掛かっている様であった。

 尚もグズっている子供も多かった様だが……ある者は半ば強引に引き摺られ、またある者は「もう知らない」と突き放されたのを機に渋々といった様子で去っていく。


「やだ~!! 見たい~!!」


「ワガママ言わないの!!

 見てみなさい!! ほら、みんな居なくなっちゃったから!!」


「やだ!! みんないなくてもいいから見たいの!!

 何でみんないなくちゃ見ちゃダメなの!?」


「いい加減にしなさい!!

 何でじゃなくて早く来るの!! ほら!!」


 初めに名前を呼ばれたレイ少年は中々に手強いらしく、母親は悪戦苦闘しながらも必死で引っ張っている様だった。

 少年は地面に転がったり石畳を掴んだりと頑張ってはいるが、流石に力では大人である母親には敵わないらしく、徐々にズルズルと引き摺られていく。

 少年の蒼目は、それでも必死に真也の方へと向けられていた。



「……喜んでいいですよ、お母さん」



 ――一度だけ、溜息を吐く。

 水槽から取り出した金属塊をボトリと地面に落とし、腰をゆっくりと伸ばしながら、真也は静かに呟いた。

 突然声を掛けられた事に驚いたのか。

 少年の母親は、訝る様にして真也の方へと目を向ける。

 不敵な笑みを浮かべ、彼はあくまでも淡々と続けた。



「あんたの子供は、あんたよりも遥かに優秀だ」


「……行きましょ」



 不愉快そうに眉を潜めた母親は、レイ少年を抱える様にして去って行った。



―――――



 すっかり静かになってしまった噴水前。

 両手の水分をジーンズの端で拭きながら、真也は独り苦笑した。


 先の言葉に皮肉は無かった。

 叱りつける母親の“常識”に対して、あの少年は“何故”という問を返した。

 誰もが当たり前として納得してしまう様な、少々の疑問があっても押し殺してしまうような常識を前にして、それでも納得がいかないからという理由で、あの少年は“何故”という問を口にしたのだ。

 魔導という神秘の理が、ある意味では“そうである事”をそのまま受け入れる事によって実用を突き詰めていく学問が席捲しているこの国に於いて、あの歳でああいった“科学の姿勢”を持てる人間は、果たしてどれほど居るものなのか。

 そういった意味で言えば、あの子供は間違いなく優秀だったと言って良いだろう。


 2つ目の金属塊を水中に沈めながら、真也は更に思う。

 ……否。もしかしたら、あれはあの歳だからこそなのかもしれない。

 まだ常識という枷を嵌められる前の無垢な子供だったからこそ、周囲の意に沿わない疑問すらも、恥じる事無く堂々と発する事が出来る。

 ――もしあの子供達があのまま成長して今日の講堂に居たとしたら、何人かは物体Bの摩擦係数μを求めてくれたのだろうか?

 魔術によるバイアスが掛かっていないだけ、子供相手の方が教えやすいのかもしれないな、などと少々現実逃避気味な呟きを漏らしつつ、真也は先程よりもずっと上昇した水位の位置に印を付け、金属塊を取り出す為に水中に手を突っ込むのであった。



「お兄ちゃん。これなんですか?」


 ――と。

 水中の金属塊を持ち上げる為に、両腕に力を入れようと顔を上げた時。

 真也は、直ぐ目の前にあった女の子の顔と対面する事になった。

 ……いや、目の前という表現でもまだ生ぬるいだろう。

 何しろ、今の真也は金属塊を取り出そうと両手を水槽の中に突っ込み、前屈みになりながら顔だけを前に上げている状態であり、女の子は水槽を覗き込む様にしながらグイッと身を乗り出し、頭が丁度水槽の真上に来ている状態なのである。

 具体的に述べると、少女と真也の顔の間には5cm程の余裕も無い。

 少女のしなやかな黒髪が、チクチクと鼻の頭に触れていた。


「アルキメデスの原理を確かめてるのさ」


「? 歩き……なんですか?」


「……“アルキメデスの原理”だ。

 ま、オレのやることなんかあんまり気にするなって事さ」


 少女から顔を引きつつ、ゆっくりと金属塊を取り出す真也。

 大粒のルビーを思わせる赤い瞳は、興味津々と言った様子でジックリと真也の挙動を眺めている。

 黒と白と基調にしたワンピースが、噴水から吹く気流に流されてかフワリフワリと揺れていた。

 解けば腰まで届きそうな二つ縛りの黒髪が、故郷で見慣れた日本人女性を連想させる。


 たった一人だけ残った観客の視線を受けながら、実験は静かに続けられる。

 真也が3つめの金属塊を水中へと落とすと、今度の水面は先の2回よりも遥かに下の位置で止まってしまった。

 一応その位置に印だけを付け、真也は軽く肩を落としながら金属塊を取り出した。


「……ダメだ。全く成り立たんな」


 自らが常識としていた物理法則がまた一つ打ち破られたのを確認し、真也は疲れた様な溜息を漏らした。


 アルキメデスの原理とはF=-pVg(F:浮力、ρ:水の密度、V:物体の水中部分の体積、g:重力加速度)で表わされる浮力の法則ではあるのだが、一般には寧ろこの原理が発見されたエピソードの方が有名だろう。

 即ち、時のシラクサの僭主・ヒエロン2世に自らの王冠が純金であるか否かを王冠を破壊せずに確かめる方法は無いか、と問われたアルキメデスが、風呂に入った時に湯が溢れるのを見て思いついたという逸話である。

 ――純金同士であれば、同温ならその密度は等しくなる。

 アルキメデスは王冠と同じ重量の純金をそれぞれ水を満たした水槽の中に沈め、溢れ出た水の量が異なることから王冠には混ぜ物がしてあるという事を証明したのだと言われている。


 ……まあ、これはあくまでも地球で語り継がれている“伝説”の一つなのであって、物理法則が異なるこの時空で同じように適応出来るモノでは無かった様ではあるのだが。



 アダマス鉱の例からある程度分かってはいた事ではあるのだが――。

 どうやらこの世界に於いて、密度とは基本的に変わるものであるらしい。

 今回真也が用意させた金属は、全て“アッシュ鋼”と呼ばれる刃物に良く使われる鉄鋼の一種である。それも職人によって同じ雛形から全く同じ様に作成させ、かなり厳密に“密度”を一定にする様に指示を出しておいたモノなのではあったが……。

 アダマス鉱程では無いにしても、この金属も保管されていた場所の“魔力量”とやらによって随分と体積が変わってしまうらしい。(厳密には密度の変化は“アルキメデスの原理”の破綻を意味しないのだが、この世界ではアルキメデスも“アルキメデスの原理”を発見出来なかっただろうという意味で破られている)


 実証科学に於いて、実験は誰がやっても同じ結果になるという“再現性”は生命線だ。

 もしやこの世界で科学的方法論が発達しなかったのは、“魔力”なる不確定要素のせいで同一になるべき物理法則がコロコロと変わってしまう事が原因だったのではあるまいか、などと、嘗て在り得たであろう“先人達”の苦労を思って彼は軽い頭痛を覚えたのだった。


「今日の実験はここまでだ。

 ちびっ子、お前も怒られる前に帰れ」


 金属塊を地面に落とし、手を拭いながら言う。

 少女は大きな目をパチクリとさせてから、真也の顔を真っ直ぐに覗き込んだ。


「帰れないです~。わたしも用事があるですから。

 ――あ、そうです。

 お兄ちゃん。“銀の国の大魔導さん”って、どこに居るか知らないですか?」


「? 銀の国の大魔導――ていうとアルか」


 何かを思い出した様に、お下げ髪をピョコピョコと跳ねさせながら少女は問う。

 勿論、知り合いどころか同じ職場で働いている上に同棲中(・・・)の“彼女”の居場所くらい、真也は当たり前の様に知っている。

 いや、確かに知ってはいるのだが……。


「でもアイツはな……。

 多分、今日1日は動けないぞ?」


 ――当たり前の話ではあるが。

 “銀の国の大魔導”、即ち魔導研究所の所長職に就いているあの少女の日常は、“特務教諭”である真也と比較しても更に多忙なモノであった。

 今朝も真也と一緒に“バイク”で魔導研究所に出勤してきた後は、大急ぎで今日の職務の内容を反芻しながら“朝の修練”に。このところ守護魔関連のゴタゴタのせいで溜まりに溜まったツケ(・・)の清算に追われている部分も多々あるらしく、さっき講義を終えて廊下を歩いていた時には、昼食も取れずに栄養剤替わりのポーションを呷りながら“補講中”の見習い魔導師達に睨みを効かせつつ、「遅い!! 今詠唱に4秒以上掛けたヤツは、列から離れて100回復唱!!」と声を張り上げているところであった。

 ……勤務初日に仕事中の彼女に迂闊に声を掛けてしまい、「邪魔!!」と言われながら強烈なクロスアッパーを叩きこまれて昏倒したのは彼にとって良い教訓である。


 流石に彼女とて、まさかこんないたいけ(・・・・)な少女にまで同じ仕打ちはしないのだろうが……。

 その分の被害を誰が負うことになるのかがこの上なく明確に想像出来た為に、真也は今この子を彼女の元に連れて行く事は気が引けた。


「む~、そうですか~……。

 運が悪かったですね~」


 真也が事情を説明すると、少女はしょげた様な顔で肩を落としてしまった。

 赤く大きな瞳が、心の底から残念そうに、どこまでもどこまでも哀しそうに細められる。

 その今にも泣き出しそうな表情を見ていると、流石の真也も少々の罪悪感が湧いてくるのを感じた。


「あ、そうです~」


 ――と。

 せめて慰めの言葉くらい掛けてあげようかと思案していた真也に向けて、少女はニマ~と、何やら最高にイタズラ気な笑みを浮かべると、


「お兄ちゃん、大魔導のお姉ちゃんと仲良しさんなんですよね?

 お姉ちゃんのお仕事が終わるまで、お兄ちゃんといっしょに居てもいいですか?」


 口元から可愛らしい八重歯をチョコンと見せながら、女の子は何やら含みのありそうな笑顔で言う。

 突然の同伴宣言に呆れ、黙って立ち去ろうとした真也。

 しかし女の子はそんな真也の正面に先回りし、“うんと言うまで離れない”とばかりにピッタリと腰に張り付いてしまった。

 ゴシック調のワンピースがジーンズ越しにフワフワと擦れ、赤い瞳は楽しそうに下から顔を覗き込んでくる。

 ……力尽くで引き離す事になんとなく抵抗を覚えた真也は、取り敢えず現状を一度分析し直してみる事にした。


 曰く。詳しい事情は知らないが、この女の子は“銀の国の大魔導”、つまりは真紅の少女に用があるらしい。だが、多忙な彼女は当然ながら子供のワガママに付き合っている暇などあろう筈も無く、もしも今連れていこうものなら仕事を邪魔された彼女の怒りの矛先が誰に向くのかなんて事は最早仮説を通り越して説・法則の域の話である。

 よって、今この女の子を“彼女”に会わせるなんて選択肢はあり得ない。


 そして、一応のところソレを納得してくれたこの女の子は、彼女の仕事が終わるまでの間真也に付き合って暇を潰したいのだという。

 この女の子の様なこの街の子供達にとってみれば、真也は“実験ショーのお兄さん”くらいの認識だろう。

 真也には勿論この女の子に付き合ってやる義務なんか無く、同時に自分と居る事で親に怒られかねないこの女の子の事を考えると取り合わないのがベストにも思われたのだが……しかし同時に、同じく子供の頃に“実験ショー”を楽しんだ身である彼はこういった子供を無碍にする事にも抵抗があった。


 そして何にも増して、この女の子はあの(・・)少女に会いたいと言っているのである。この子の事情など全く知らない真也ではあったが、しかし子供どころか“野良シャム”(犬と猫を足して2で割った様な生き物)にすら逃げられるあの少女にとって、この子はもしや非常に貴重な資源(・・)なのではないかと推測することくらいは出来た。

 ――否。寧ろ勝手に追い返したりなんかしようものなら、寧ろそっちの方が怒られるのではなかろうか。

 ……いや、まあ。割とサバサバしている彼女なら、意外と“あ、そう”くらいで済ませてくれそうな気がしないでも無いが。


 さて。ところで真也は、今日の午後は“アルキメデスの原理”の検証実験の為に時間を取っていたのだが――どうやら、ソレはもう全く成り立っていないらしいということだけは判明している。

 よって、研究所に帰ればある程度の仕事は残っているものの、取ろうと思えば少しくらい時間が取れない事も無い。

 よく考えたら昼食もまだ取っていないし、昼休み(・・・)くらいなら自由に使ってもバチは当たらないだろう。


 女の子は相変わらず真也の腰に手を回してキュ~ッと抱きついたまま、どこか不安そうに頬を膨らませて、真也の下腹部に顎を乗せていた。

 幼い子供に特有の高い体温が、ジーンズの布越しにジワリジワリと染み込んでくる。

 大きな大きな赤い瞳が、信頼を込めた色で真っ直ぐに見上げてきて、なんとも言えない保護欲を唆った。


「……つまらなくても良ければな」


 ため息混じりに言った真也の一言に、少女は天使の様な笑顔を零したのだった――。

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