48. 物理法則の異なる異星に於けるとある魔導師と物理学者による重力及び空気抵抗の軽減魔術を用いた飛翔体打ち上げ実験から学ぶ宇宙開発に携わる者が決して忘れてはならない教訓を示唆する悲劇的な事例の一例
「準備はいいか? アル」
「うん、OK」
蒼い太陽が王都の向こうに沈み始めた夕暮れ時。
真っ直ぐに直立して立てられた円筒形の金属塊の前に佇みながら、二人は静かな高揚を含んだ声で頷き合った。
特に真紅の少女の目からは、彼が既に説明した“その器具”の用途に対する無垢な期待がありありと伺える。
「空気抵抗は?」
「“防風陣”を起動済み」
「重力!!」
「軽量化を敷設済み!!」
「よし、いくぞ!!
点火具起動、5秒前!!
4、3、2、1――、点火!!」
「了解!! 燃え上がれ!!」
魔法円の輝く右腕に魔力を流し込み、声高に詠唱された少女の言霊。
その音色に共鳴するかの様に、金属塊の内側に描かれた無数の魔法円は眩いばかりの閃光を発しながら共鳴し、円筒の下部から強い輝きを漏らし始めた。
――その間、実に2秒。
世界を越えて出会った二人の天才の手によって設計された“その器具”の内部構造は、律儀にも彼らの期待に答えた役割を果たし、次の瞬間には彼らの視界全てを覆い尽くす程の巨大な火柱を噴き上げた。
空気よりも遥かに重く、理の内では浮き得ないはずの金属の塊が大空へと駆け抜ける――。
―――――
「うわぁ~。なんかすご……」
神樹の葉の上に乗り、遥か上空から夕暮れ時の丘を見下ろす少女は感嘆した。
眼下にはオレンジの光に照らされた深緑の草本と、夕日を反射してキラキラと輝く白銀の都が広がっている。
そして彼女の視界の真ん中を切り裂くかの様に、オレンジの閃光と白煙を立ち上らせながら“ソレ”は彼女達よりも遥か上空へと飛翔し、あっという間に見えなくなってしまった。
その光景に少女、ウラノスは少なからぬ驚愕を覚えていた。
それは誰よりも風の精霊から祝福され、空の上は自分のモノだと無意識的に思ってしまっていたからだったのだろうか。
彼女の持ち合わせる数少ない常識からすれば、自分でも届かない程の高さにまで飛び上がる“ソレ”は、どんな魔法よりも遥かに奇妙なモノだったのだ。
夕焼け空を切り裂いて登っていくソレを見つめるウラノスの身体を支え、特徴的な緑の髪を梳きながら、緑衣の青年は穏やかな微笑を零していた。
「面白い人がいるんだね」
もう随分と遠くなった丘を眺め、呟く様にして言う。
緑衣の青年、ユピテルの目には、天空へと登って行くソレと“彼”がどの様に映っていたのだろうか。
端正な口元に浮かぶのはただ、微笑。
上層の風に乗る広葉の船は、それ以上何も語らずに遥か北に向けて航海を再開した。
―――――
――その道具の起源は10世紀の中国にまで遡る。
かの有名な“ギリシアの火”に類似した、しかし1段階程性能が上であったとすら見積もられている、“猛火油櫃”と呼ばれる火炎を遠方へと射出するポンプ式火炎放射器が原型であるとされている。
それが我々が“その道具”であると認識するに足る要素を備えるに至ったのは14世紀頃の話だ。槍に黒色火薬を充填した筒を取り付け、その噴射力によって槍を遥か遠方へと自走させる飛槍と呼ばれる道具が生まれた時代であり、これは現在我々が目にする花火に至るまで脈々と受け継がれている基本形状でもある。
近代的な“ソレ”が開発されたのは19世紀後半の話であった。“宇宙旅行の父” コンスタンチン・ツィオルコフスキーが計算によって“ソレ”を用いれば地球の重力圏から脱出し得る事を示し、その後ロバート・ハッチンス・ゴダードの打ち上げをもって“ソレ”は先端科学を代表する国力の象徴へと君臨し始める事になる。
特に、東西冷戦時代の“ソレ”を巡るアメリカとソ連の熾烈な開発競争は語るに及ばぬ程に有名だろう。
今回彼が目指したのは、簡易的なソレの再現であった。
無論、いかに彼が物理学者としての才能に秀でていようとも、本格的な“ソレ”であれば到底個人で手を出せる様な代物では無い。よって彼が目指したのはあくまでも“打ち上げる”という現象を見せる為だけの、あくまでも簡易的で小型化された、個人が趣味で扱えるサイズの玩具を作る事でしかなかった。
勿論そんな簡易的な玩具であろうとも、液体燃料どころか満足な性能の火薬すらろくに存在しないこの世界で成すには大変な苦労を伴い、最早不可能と断言しても良い様な代物ではあったのだが――。
真紅の少女が誇る魔術という神秘の理による助力を得ることで、重力と空気抵抗という2つの大きな障壁を打ち破る事が出来たのは彼にとって僥倖だっただろう。風魔法による空気抵抗の削減と重力の弱化を成立させる事が出来た今となっては、“ソレ”は問題なく大空へと飛び上がる事が出来たようであった。
「ほらな、言った通りだったろ?」
茜色の空を突き抜けるようにして飛び上がった“ソレ”から視線を戻しつつ、真也はどこか得意げな表情でそう言った。
――風魔法補助型魔力式エンジン・モデルロケット。
性能としては精々個人購入が可能な玩具程度の、しかし間違いなく彼の世界が誇る人類の英知の結晶。それが今回、朝日 真也が目指した道具の正体であった。
「ウソ……。
へ、ウソ!? まさか本当に月まで飛んでったの!?」
眼前に立ち上る白煙を眺めながら、少女が狼狽した様子で問う。
おそらくそれは、先刻青年が少女に協力を求める際に語った“とあるお伽話”の内容を信じたが故のセリフなのだろう。
真也は軽く肩を竦めた。
「それこそまさかだ。
この世界の月がどうだかしらんが、オレの居た世界じゃ月までの距離は38万km以上。モデルロケットの最高到達高度が大体110km程度だったはずだから、こんなモンじゃ話にもならない。
カーマン・ラインを超えてれば御の字だな」
今回真也が作ったロケットは、モデルロケットとしてもサイズ的にはかなり小規模なモノであり、本来ならば大気圏どころか旅客機程度の到達高度も怪しい程度のエンジン性能しか備えてはいなかった。
だがそれはあくまでも地球やこの星などの1G程度の重力下を前提とした話であり、アポロ計画での映像資料からも明らかな様に、重力と空気抵抗という二大障壁さえなんとか軽減できればロケットの打ち上げに大げさな機械など必要は無い。
それでも今回、少女に手伝ってもらったのはあくまでも重量と空気抵抗の“減少”であり“消去”では無かった為、この星が地球よりも幾分小さそうだという前提に則ったとしても、おそらくは大気圏を抜ける前に失速するだろうとは予想出来ていたのだが――。
今回の彼にとって、その成否は気にする程重要な事項では無かった。
「まあ何にしても。
大抵の事は、やってみれば意外と何とかなるもんだって事さ。
どうだ? 限界なんか決めるのがバカバカしくなってきただろ?」
真也は不敵な笑みを浮かべながらそう続ける。
――そして、少女はハッとした。
脳裏に浮かぶのは、とある静かな月夜の会話。
月明かりの下で本を読みながら、二人でなんとなく月を見上げただけの、本当になんてことの無い日常の1ページ。
そして紅い月を見上げながら呟いた、本当になんでもない少女の一言。
あんなの、当の少女だって全く気にも留めていなかったのに……。
でもコイツは、そんな小さなことを覚えていてくれたのだ。
コイツはあんな、本当にどうでもいい様な会話を覚えていて、たったそれだけの為に、こんなバカみたいな事を仕出かしてしまったのである。
それは、無駄な努力だったと言う人もいるかもしれない。
無意味な行動だったと笑う人もいるかもしれない。
それでも、この白衣の青年は、それだけの為に少女が決して届く事の無いと思っていたお伽話を成し遂げようとしたのだ。
少女には、それがどうしようも無いくらいに嬉しかった。
「バ~カ」
「……っ。おい、いくらなんでもバカはないだろ。バカは。
これも特務教諭の立派な仕事の一つ……」
どこか不機嫌そうに言いかけた彼の言葉は、少女の顔を見た瞬間に止まっていた。
真紅の少女はただ、本当に最高な、どこまでも可憐に過ぎる笑みを浮かべて微笑んでいる。
それだけで、人心に疎い真也にも、彼女の内心など十分に伝わった。
「シン。あんたそこまで言うんだから、ちゃんと責任取りなさいよ?
今じゃなくてもいいから、何十年掛かってもいいからさ。
いつかあたしを月まで連れてくこと。約束だからね?」
「断る、と言いたいところだがな。
地球に帰るより簡単そうなのが、また辛いところだ……」
半分以上冗談めかして言った、あまりにも大きすぎて逆に小さな約束。
真也は皮肉げに笑いながら、はにかむ様にしてそう答えた。
大空を突き抜けて、とっくに見えなくなった鉄の船。
その先に輝き始めた紅い月を、あまりにも対極的な二人は暫くの間見上げていた――。
―――――
その日、王宮の前には大勢の人集りが出来ていた。
人集りという単語が内包する雑多なイメージを具現化したかの様に、集まった民衆の服装には一切の統一性が無い。甲冑を着た騎士から酒場のバーテン、魔導師からゴロツキに至るまで、誰もが訝るような、或いは興味深そうにしながらもどこか白けた様な雰囲気を纏いつつ、正門の大扉の前を見つめている。
扉の前には半径50ラド程度の侵入防止用の柵が立てられ、その中心には複数の職人と思しき魔導師たちと、ジャラジャラと宝石が眩しい衣装を羽織った中年の男が佇んでいた。
――文部大臣・アスガルドである。
先週の事故による傷もすっかり完治させた彼は、シャンパングラスを片手にニヤついた笑みを浮かべながら、夕陽に照らされた扉の一角を満足そうに眺めている。
無論、この日は銀の国にとっての祝日でも祭日でもありはせず、本来なら王宮の前がこんなセレモニー染みた雰囲気になっているのはおかしい。
そしてこんな夕食時の真っ只中に、これだけの民衆が一堂に会しているのもまたおかしな事だと言えるだろう。
集まり得ない筈の民衆たちに囲まれた彼が心満たされた様に出来上がっているのには、実はほんの些細な裏事情があったりもする。
発端となったのは例のバカ二人によって引き起こされた“機械式騎馬の悪夢”であった。最も甚大な被害を被ったからだったのだろうか。審問会で決定された“あの二人”に対する処分の軽さとバイクの正式採用には、文部大臣アスガルドは断固として反対の意を示していた。一つ議題が進行する度に二人に聞くに堪えない罵詈雑言の嵐を浴びせかけ、会の進行そのものが危うくなる程の大騒ぎをなさっていたのである。
言い方はともかくとして主張の根幹が“国民に示しが付かない”という最もらしいモノであったために安易に摘み出すわけにもいかず、危うく前回の悪夢が蘇るかとすら思われた審問会。しかしながらそれを抑えたのは、やはり国王陛下の誇る“悪魔の囁き”であった。
「フム。確かにこの程度の罰では、国民は納得せんかもしれんなぁ。
あ~、アスガルドよ。お前さん、彼らの為に矢面に立ってはくれんかえ?」
飄々とした国王陛下の提案はこうだった。
幸いにして件の“襲撃者”は覆面状態であり、一部の騎士と魔導師を除けば国民に対して素性が割れていない。先日武の国からの襲撃があった事は既に周知の事実となっている為、それによる国民の警戒心の高まりを利用し、今回の事件をあくまでも“敵国民からの襲撃”であったとして処理しよう、と。
無論目撃者全員の口を完全に塞ぐのは難しく、一部から疑心暗鬼の声が上がる事が予想される。そこで襲撃者を撃退したのは文部大臣アスガルドの働きであると公表し、大手柄として祀り上げる事で既成事実化を図ってけむにまこうという目論みであった。
そして襲撃者の乗っていた“バイク”は特務教諭・朝日 真也が解析・量産化中であるとし、あくまでも“敵国の新兵器”であった物として扱う。矢面に立つという名目のアスガルドには、対価としてバイクによる収益の一部と王宮の前に像を立てる権利を与える、という提案であった。
国王の偶像や肖像すら一つたりとも残っておらず、像といえば創世の大魔導・ユミルの物しか存在しない銀の国に於いて、文部大臣の偶像の建設を許可するという条件は破格の物と言える。
結果としてアスガルドは王の提案を満足そうに呑み、その結果が今こうして現実の物になろうとしていたのであった。
「ああ、飾り帯に赤は避けて頂けますかな?
はは、なに、大した事では無いのですがな。何しろ赤は目に悪い。
ははっ、いやいや、やはり赤はいけませんよなぁ。赤は。
特に頭に乗せるなどもう言語道断!!」
自らの分身たる偶像のお披露目が近付くにつれて、アスガルドの気分も自然と舞い上がっていく。
――今日は飾りの一片に至るまで妥協は許すまい。
もう有頂天と言って良いほど高揚した意識のままに、アスガルドは職人たちに子細な指示を飛ばしていく。
「ああ、覆い布に白は避けて頂きたい。汚れが目立ちますからなぁ。
は? 白は縁起がいい?
ナニを血迷った事を!! そんな物は迷信!! 迷信なのです!!
白とはこの世で最も忌むべき、憎むべき悪魔の色なのですぞ?
特に黒と組み合わさった日にはそれはそれは恐ろしい――」
ふと、そこまで言った時。
アスガルドは、周囲が突然ざわめき始めた事に気が付いた。
苛立たし気に民草を見下ろすと、彼らは素晴らしい像のお披露目準備になど目もくれず、どこか呆けた様な表情で空を見上げている。
アスガルドは言い知れない憤りを感じたが、酒が入っていた為か無様に怒鳴り付ける様な真似はせず、何気なしに彼らの視線の先を追ってみることにした。
――キラリ、と、一筋の流星が空を駈けている。
まるで黄昏の夜空を切り裂く様な、或いは宵に瞬く一番星の様なそれは、彼には美しい輝きを放つ天からの贈り物の様に思えた。
「おお、見ろ!! 流れ星もワシを祝福している!!」
アスガルドは高らかに叫び、笑いながら、シャンパングラスの中身を一気に口へと流し込んだ。
何故か、周囲から悲鳴が上がっている。
人波が、一気に引いていくのが分かる。
像の飾り付けをしていた職人が、脱兎の如く走りだした。
――トイレにでも行ったのだろうか?
全く、こんな素晴らしい時に水を差すなどなんと嘆かわしきことか。
今席を外した連中は、後で減給は免れないだろうな。
ああ、それにしても。なんと眩しい流れ星なのだろう――。
~~〈シルバー・タイムス朝刊〉~~
昨日未明、アスガルド文部大臣の像完成式典が催される王宮正門前にて謎の爆発事故が発生した。
幸いにして速やかに避難が行われた為に怪我人はほぼ出なかった様だが、彫像技師の間では口々に「天罰だ、天罰だ」という声が上がっており、どうやら大臣様の像の建設は御破算になりそうである。
「一番星が落ちてきたみたいだった。キラキラと光る鉄の塊みたいなのが降ってきて、文部大臣様の像に直撃したんだ。擦れたのか砕けたのか、倒れた像の頭はピカピカ光っていた。抜けたのか取れたのか、吹き飛ばされた文部大臣様の頭もピカピカ光っていた」現場に居合わせた門番の青年は語る。
また事件の直前に最果ての丘より謎の発光体が打ち上がったという目撃情報が多数寄せられており、魔導研究所では事件との関連を調べているという――。