47. 進化学及び遺伝学的に考えて恐らくは完全に別種と思われる異次元生命体の個体が示したとある世界の人類の雌性体に対する誘引性を示唆する生態観察記録
「いやぁ、運が良くてよかったよ。
まさかこんなに大きな建物が家だなんて思わなくてね。
危うく通り過ぎてしまうところだった」
この一日ですっかり来客に対する定番となってしまった、少女の屋敷の玄関前。シダ科に見える植物にて作られた二人掛けソファーに腰を下ろしつつ、ユピテルはニコやかな微笑で呟いた。
なんというさわやか系キラキラオーラなのだろうか。
所々焦土と化している筈の丘の一画は、彼の周囲だけ明らかに空気が違っている。
因みに彼の“運が良かった”というセリフは、皮肉でも何でも無くまごう事無き彼の本心であったりする。無論、ユピテルは火炎を浴びる事に快感を覚えるマゾヒストでも無ければ、死と隣り合わせの危険を好む様なデアデビルでもありはしない。空中飛行中に火炎魔法で撃墜された彼がソレを“運が良かった”と形容しているのには、実は極々些細な理由があったりもする。
そう。全ては件の爆撃によって空から落下し、事情の説明を求めたユピテルに真也が告げた、
「知らなかったのか? ここは魔術大国・銀の国だ。
この時間帯にはよく火の雨が降るんだよ」
という一言が原因である。
半分以上冗談めかして言ったそのセリフに、“もっと上手い言い訳なんかいくらでもあるでしょバカ~!!”と某真紅の少女が蒼白な表情で掴みかかるなんていう事故もあったりはしたが、それは本筋とはあまり関係が無いので省略する。
重要な点は、ただ一つ。ユピテルは真也のこの言い訳を、
「驚いたよ……。不思議な事ってまだまだあるんだね」
……なんと、信じたのであった。
緑髪の少女は何かを言いかけていた様にも見えたが直ぐに面倒臭くなったらしく、結果として天の国の二人はパトリオットもかくやというあの迎撃ミサイル攻撃に何の疑問も抱かないまま、少女の家の玄関前にまで招かれる事になったのであった。
「そ、良かったじゃない」
本日三度目となる金属塊に腰を下ろし、淡々と答えたのは真紅の少女であった。
ユピテルは彼女の分もソファーを作ろうかと持ちかけたのだが、(“敵”の用意するモノに座るなど正気では無いので)少女は丁重にお断りした。
少女は何やら激しい頭痛を堪えている様な仕草で、正面の“植物製二人掛けソファー”に寄り添って座る緑のバカップルを眺めている。
「それで? 一応聞いとくけど、武の国での一泊はどうだったの?
まさかあんた、剣を向けて来た連中皆殺しにでもして来たんじゃないでしょうね」
「面白い冗談だね、そんなわけが無いじゃないか。
剣を向けてくるどころか、みんなすごく良い人たちだったよ。
ちょっと変わった風習があって大変だったけどね」
「変わった風習……?」
肩を竦めながら言うユピテルに、少女は訝しそうに首を傾げた。
少女とて、武の国には出合い頭に“剣を合わせる”挨拶がある事くらいは知っている。そしてそれは、先刻の王女ウェヌスがそうであった様に、身分の高い者にほど骨身に染みた日常動作の筈なのだ。
少女はウェヌスから、彼らは“地方領主の嫡子夫婦”という素性で王宮に説明されたという話を聞いていた。ならばその彼らを相手に、武の国王宮内の貴族達が剣を抜かないなんていう可能性があり得るのだろうか?
疑問符を飛ばしている少女に、ユピテルは向かい合っただけで赤面が抑えられなくなる様な、あまりにも甘い微笑を浮かべていた。
「本当に驚いたよ。
なんでもあの国では、お客さんは目についた武器を一つ残らず叩き壊すのがマナーだそうじゃないか。
大変だったよ。だってあのお城、廊下中全部武器だらけだったんだからね。
皆が手伝ってくれて、本当に助かったよ」
「…………待って。ちょっとだけ待って」
……少女は、何かを深く考え込み初めてしまった。
彼女は知るよしも無かったことではあるが。
それは戦闘行為を嫌うユピテルと戦闘行為が挨拶代わりの武の国民とのギャップを埋める為の、武の国宰相が講じた一世一代の執り成しであったのだ。
つまりは武装姫に彼らの対応を任された宰相殿は、彼らに“剣を合わせる”という挨拶を“武器の破壊”という一見平和主義な儀式に変換して教える事で事無きを得ようとしたのである。
元々ユピテルは、あのネプトやマルスですらも正面からでは太刀打ちが出来なかった程の実力者である。有象無象の貴族達程度の技量では、それはもう剣を抜いた瞬間にポキポキとそれを叩き折られる事になったのであった。
――尤も。まさか当のユピテルが、剣を抜いて向かってくる貴族達を“折らなくちゃならない剣を持ってきてくれている”くらいにしか解釈していなかったなんて事実は、流石の宰相殿にとっても予想を遥かに上回る脅威だったのではあるが。
何はともあれ。ソレは誤解を構成する両陣営が必然的に“ある条件”を満たしていなければ成り立たないという正に奇跡的な、そして綱渡りの様な差配であったのだった。
「本当に素晴らしい人たちだったよ。
まさか突然来た僕達なんかの為に、一晩部屋を貸してくれるなんてね。
今朝は忙しくて会えなかったみたいだけど、あのお姫様には今度お礼をしなきゃいけないな」
“ね”と、隣にひっついているウラノスの髪を梳きながらユピテルは締めくくる。さっきから妙に静かだと思っていたら、ウラノスは“ゴロにゃ~ん”なんて鳴き声が聞こえそうなくらい夢見心地な表情で、半分くらいトリップした目で惚けていた。
アルは微かに苛立たし気な、そして9割の呆れを含んだ視線でソレを見下している。
――と。右隣からは、深い深い溜息の音が聞こえた。
「アル。まさかと思うが、この兄さん……」
「うん」
ずっと話だけは聞いていたのだろう。
興味など無さそうに、そして脇目もふらずに金属塊を弄り続けていた真也の疲れ切った様な声に、少女は小さく首肯を返した。
……なんの事はない。
どうやらこの御方、まごう事無き天然さんである。
“最強の敵”達の脳内がお天気だった事に、少女はホッとしていいのか突っ込んでいいのか苛立っていいのかすら分からずに少々複雑な気分になってみたりもする。
「それじゃあ、そろそろ答えを聞かせてはくれないかな」
そして、ユピテルは本題を切り出した。
淡く色付いた水晶の様な瞳が、全てを包む程に優しげな、力強くも圧倒的な雰囲気を纏って少女の瞳を射抜いてくる。
彼が姿勢を正しただけで、丘の空気が一変した様に感じられた。
「さっきも言った通りだけど……。
僕達は、この世界の諍いをなんとかしたいと思ってるんだ。
だっておかしいだろう?
この世界の過去に何があったかなんて僕は知らない。
それでも、皆で仲良く暮らせた方が絶対にいいに決まってるじゃないか。
僕達が戦う意味なんて、初めからどこにも無いんだ」
「…………」
朗々と告げられるユピテルの言に、少女は少し返答に窮した。
ユピテルは戦う意味なんか無いと言ったが、それは少女にはすんなりと頷ける主張では無かったからである。何故なら少女が召喚主となった目的は、敵国の大魔導達を打ち破り、自分が“一番”だと皆に認めさせる事だったのだから――。
約束を何よりも大事にする“魔導師”という職にある少女は、確約出来ない約束を安易に結ぶ事には躊躇があった。
「賛成だな」
言葉を詰まらせる少女に代わって、平然と返答したのは“彼”の声だった。
「全くもってあんたの言う通りだ。だってそうだろ?
国の存亡だかなんだか知らんが、見ず知らずの他人なんかの為に、どうしてオレたちが殺しあわなきゃならない?
バカバカしいことこの上ない。オレは平穏無事に生きていければそれでいいさ」
感情の読めない声は淡々と続ける。
前向きな筈の彼の返事に、しかしユピテルは何故か、少しだけ眉を潜めた様にも見えた。
だが、少女が最も気になったのはそこでは無い。
――彼は、嘘を吐いた。
国王陛下との約束を象徴とする様に、この白い青年が元の世界への帰還を許される為には、どうしても“全ての守護魔の排除”という条件が付いて回る。少女とて彼が自力で帰る為に魔法を習い始めたことくらいは薄々感づいてはいたが、同時にそれはほぼ不可能だという事もとうに理解してしまっていた。
彼が元の世界に帰る為には、どう転んでも少女と国の協力が不可欠なのである。
金属塊から目も離さずに答えた“彼”の返答に、ユピテルは小さく頷いた。
頷いて、次に少女へと、その透き通った瞳を向けた。
「君も、同じ気持ちだって信じていいのかい?」
「別に、いいけど……。確約じゃないからね?
あたし達から手を出さなくたって、相手からちょっかい出されたら、黙ってるわけにはいかないんだから」
歯切れが悪く、そう続ける。
“彼”のお陰で、少女は嘘になるかもしれない約束を結ばずに済んだ。
ただそれでも、決して少女と“彼”の間に横たわる根本的な問題が解決されたわけでは無い。少女は、その事実を改めて強く認識する事になった。
――彼は戦い続けるだろう。
少女が召喚主であり、彼が守護魔であり、そして彼が元の世界に帰る事を諦めない限り。
彼は、この戦いから降りる事なんか決して出来はしないのだから――。
「今はそれで十分だよ。
少なくとも皆がそう思ってくれれば、世界は今よりずっと良くなるに違いないんだからね」
穏やかな声で言いながら、ユピテルはスッと立ち上がって少女の前にまで歩み寄った。
ソファーに取り残され、潤んだウラノスの目が非常に名残惜しそうに見えて仕方なかったが、それは今大して重要な事項では無いだろう。
要点は、一つ。ユピテルは和平を結ぶかの様に、そして握手を求める様に、少女の前へと自らの右手を差し出したという事である。
真紅の少女は、面倒臭そうに鼻を鳴らしながらもその手を取った。
――と、
「? ああ、ちょっと動かないで」
ユピテルは少女の手を取りながら、少女の翠色の瞳を覗き込む様に屈み込み、
(って、へ? へ!? ちょ、ちょっとッ!?)
――そこで、少女の頭はショートした。
息の掛かりそうな距離から、真っ直ぐに顔を覗き込んでくる青年の瞳。彼の端正な顔立ちは、男性経験どころか人付き合いの経験すら少ない少女にとってはあまりにも刺激が強過ぎたのである。
ユピテルの表情はヤバかった。それはもう、何がやばいのかよく分からないくらいにとにかくヤバ過ぎた。金糸を思わせるサラサラの前髪に、男とは思えないくらいに艶やかな肌。年上の男性特有の色気が醸し出される微笑にはどこか少年の様な無垢さも伴っていて、かっこいいのか、綺麗なのか、それとも愛らしいのかも判断出来ない彼の造形は、ただ向い合っているだけで少女に脳の根幹を揺さぶられる様な錯覚を与える。
真也が中性的な整い方をした顔立ちだとすると、ユピテルは性別の差異なんか考えること事態が無意味に思える様な、そんな別次元なまでに綺麗過ぎる顔立ちをしていた。
顔を見つめられているだけで、身体が芯から痺れてしまう様な錯覚。
明らかに赤くなってきてる顔をどうにかしようと意識を集中していると、突然スッと頬を撫でられて少女の心臓は跳ね上がった。ハンカチか何かを持っているのだろうか。シルクの様な柔らかい肌触りが、コチョコチョと少女の頬を這っていく。
「うん、綺麗になった」
「~~~~っ」
視界がチラチラと明滅し、もう何がなんだか分からなくなってきてしまった少女。クラクラと三半規管が麻痺した耳は、壊れかけのくせになんとかユピテルのそんな声を拾っていた。
必死に意識を保ちながら目を向けると、ユピテルの手にある赤いハンカチには所々泥の様なモノが付いている。どうやら、顔を拭いてくれたらしい。まだぼんやりとしている頭で、“あれだけ派手に転がってたんだから、泥くらいついちゃうよな~”なんて、少女は独りで勝手に納得したとかしなかったとか……。
ユピテルは、愛でる様にフッと口元を緩めながら、
「そんなに可愛らしい顔をしているんだ。
もっと身だしなみには気を――?」
――ドン、と。横からぶつかって来たナニかによって少しバランスを崩していた。長身のユピテルは足を縺れさせて転ぶ様な無様は晒さなかったものの、少々面食らった様子で突如タックルしてきたナニかを見ている。
「ユピ様!! それ以上はダメーッ!!」
ぶつかってきたナニか、ウラノスは、今にも泣き出しそうに潤んだ目でユピテルにそう懇願していた。
「そんな娘にまで優しくしちゃダメなの!!
そ、それは、ボク、なんか……さ、触るだけでも、イヤかも、しれないけど……ってソレでもやっぱりそんな娘はダメー!!
ユピ様~!! ボクだけを見てとは言わないから!!
お願いだからそんな娘に可愛いとか綺麗とか言わないで~っ!!」
後半は完全に涙声になりながら、ユピテルの胸元に縋り付いてわんわん泣き始めたウラノス。初めは呆気に取られてソレを見ていた少女は、次に言い知れない自己嫌悪と怒りに襲われ、最後には全身を溶かされそうなくらいの強烈な羞恥心によってその心を埋め尽くされた。
「ポーション持ってくる!!」
ガタッと、跳ねる様にして立ち上がった少女。
許容量を超えた感情によって赤面した顔は隠しようも無く、その足取りは未だにフラフラしている。
――と、その時。少女の視界の端には、白い青年の姿が映ってしまった。
今のをずっと見られていたのだろうか。彼は相変わらず感情の読めないポーカーフェイスを貼りつけていたが、しかし今の少女には、それが何故か自分を批難している様に思えてしまってならなかった。
いや、まあ。彼と自分の関係は異生物同士以外の何物でも無いのだから、別に批難される様な事は何も無いはずなのだけど、それでも少女は彼に批難されている様に思えてしまってならなかったのである。
未だに気が動転している少女は、他人の内心を予測するときには少なからず自分の感情が反映されるものだという事実に思い至らない。
そして、同時に。自分が慌てて彼の下に駆け寄っていることにも気付けなかった。
「し、シン!!」
そして少女は、彼の名前を呼んだ。
どうしてそんな事をしているのか自分でも分からなかったが、気が付いた時には、少女は彼の名前を口にしていた。
「あ、ああ、あたしの、か、顔っ!!」
ユピテルに見つめられた時よりも、更に顔が紅潮していくのが分かる。
もう少女には、自分が何を言っているのかも分からなかった。
おそらく、それほどまでに今の少女は動転していたのだろう。
ユピテルに拭かれて綺麗になった筈の顔が、何故か却って汚れてしまっている様な気がした。
「あ、あたしの、顔……ふ、ふふ、拭い、て……?」
羞恥で震える声を振り絞って、少女は一言だけそう言った。
おそらく、少女が正気だったら恥ずかしさのあまり失神してしまっていただろう。でも失神すらも出来ないくらいに、今の少女はとにかくいっぱいいっぱいだったのである。何故なのかは自分でもよく分からなかったが、今の少女は、ただどうしても“彼”に顔を拭きなおして貰いたかったのだ。
それはもう、さっきのハンカチの余韻が消えるくらいに。
その言葉を、彼がどう受け取ったのかは分からない。
彼はただ、コクリと頷いた。
一度だけコクリと頷いて、金属塊の一つに引っ掛けてあった、小汚い雑巾みたいな布を取り上げた。
――手頃な布が他に無かったのだろう。
彼は黒ずんだオイル塗れのそれをむんずと掴むと、無言かつ真顔のまま、ベチョリと少女の頬に擦りつけた。
ネトネトしてベトベトするその感触が、一発でユピテルに撫でられた余韻を弾き飛ばす。
少女は、全力で彼の顔面を殴り飛ばした。
―――――
さて、そんなこんなで少女は屋敷の中にポーションを取りに戻った。
魔術で飛ばせば済むところをわざわざ自力で取りに行ったのは、果たして昂った気持ちを落ち着かせに行ったのか顔を洗いに行ったのか。
真也にそれを判断する術は無く、またわざわざ知りたいとまで思えることでは無かったものの、結果として彼は天の国の二人の前にたった独りで残される事になったのであった。
因みに、某緑髪の少女はとっくに気持ちを回復させてしまっている。
いや、とっくになんて言葉だけでは表しきれないだろう。何しろ彼女は(驚くべきことだが)ユピテルに3度程頭を撫でられただけで泣き止み、2言程何かを言われただけでニパッと笑い、その後何かを囁かれただけで蕩けそうな表情でピョンピョンと飛び跳ね始めてしまったのだから。
色男もここまでくると最早洗脳の域ではなかろうか、などと割りと本気で考察をしてみる羽目になった某物理学者の青年であった。
「ねえねえ、君はさっきから何を作ってるの~?」
妖精の様にふわふわピョンピョンと飛び跳ねながら、真也の周りをクルクルと周り始めた緑髪の少女。
噂の風魔法の余波によるものなのだろうか。真也としては彼女が飛び跳ねる度に部品が飛び散ってしまうのが気が気でなく、そのあまりの邪魔さと鬱陶しさに顰めっ面にならざるを得なかったのではあったが、まじめに取り合うとそれはそれで却って疲れそうだった為に適当にあしらうに留めていた。
そんな彼の顔をヒョイと覗き込みながら、ニッパリと笑う緑髪の少女。
鮮やかな赤いスカーフが、真也の視界でヒラヒラと揺れる。
「あ、そうだ。一つ聞かなくちゃいけなかったんだ」
そして少女は、何かを思い出した様に薄い唇に人差し指を当てた。
明らかに必死になって真面目な表情を作りながら、真也の耳元にそ~っと口を近づけて、
「……ねえ。あの娘の先天魔術って、なに?」
まるでひそひそ話でもするように、ウラノスはコッソリと尋ねる。
それは敵から情報を引き出そうとしている女スパイの様な仕草にも見えたが、しかしこの少女がやるとちょっと抜けた子供が洋画か何かの真似事をしている様にしか思えないのがまた残念なところだろうか。
――ガクッ、と。真也は肩の力が抜けるのを感じた。
「……知らん。てか教えるわけが無いだろ」
「えーっ、いいじゃんケチ!!
戦わないんだったら教えてよ~」
「戦わないんだったら何で知りたがるんだ。
その時点で既に矛盾してるぞ、君は」
「ボクだって本当は興味無いよ~。
でもさ。だって、イオくんが聞いてこいって言うんだもん」
ぶ~っと膨れながら、ウラノスは拗ねる様にして言う。
普段から可愛らしい顔立ちを仏頂面に固定しているアルに比べて、この少女の表情は見ているだけでもコロコロと目まぐるしく変わるようだった。
呆れた様にその姿を観察しながら、おそらくその場合の聞いてこいとは探って来いの意であり、間違ってもこんな風にバカ正直に物を尋ねろという意味では無かったんじゃないかとなんとなく推測してみた真也。
なるほど、天の国にも割りと好戦的な派閥がいるという事なのかもしれない、などと、彼は少し留意しておこうかと頷いてみるのであった。
「ね。ボクにだけさ、コッソリと教えてよ。
ほら、属性とかだけでもいいからさー」
“お願い”と、ウラノスは顔の前で両手を合わせ、軽くウインクしながら更に続ける。真也はその妙に馴れ馴れしい仕草と、何よりもその尋ねられている内容に対して頭痛が抑えきれなかった。
だって教えるも何も、属性なんて誰がどう考えたって……。
「…………火だろ」
真也は心底どうでも良さそうに呟いた。
アルから聞いた話によると、先天魔術の属性はそのまま魔術師の適する属性を表すらしい。まあ、通常の詠唱魔術は先天魔術を改変して放つ物だというのだから、当たり前と言えば当たり前だろう。そしてその前提に則るのならば、少女の先天魔術の属性など最早考える間でも無い。
何しろ、あの怪獣少女のことである。
未だ彼女の先天魔術など知らない真也ではあったものの、普段からバカスカ放たれる彼女の巨大火球を見ている限り、なんとなく彼女の先天魔術はソレの超強化版の様なイメージが浮かんで仕方がなかった。
きっと、某黒い大怪獣の如く口から放射能熱線でも吐きだす様なブツなのだろう。髪も思いっきり攻撃色であるし。使うときには背中が光るのかもしれない。
「火……。火、かぁ~」
「?」
真也の言葉を噛み締める様に反芻し、む~っと唸ったウラノス。
疑問符を飛ばす真也に、彼女はコホンと咳払いを返した。
「べっつに~。だって火属性って、なんか嫌なヒトが多いんだもん」
何かを思い返す様な顔になった少女。
そして俯きがちに、鬱々とした日陰オーラを出し始めた。
「高慢ちきで~、タカビーさんで~、威張りんぼで~。
それで……。き、きっとボクみたいな子をイビリながら、オーホッホッホって高笑いするんだ!!
あ~嫌だ!! 見てるだけでも目が痛いし」
キュッと拳を握りしめながら、極めて具体的な人物像をイメージさせる愚痴を零すスカーフの少女。なるほど、どうやら一見して天真爛漫に思える彼女も、密かに色々と抱えているらしかった。
「……フン。情緒不安定の風属性に言われたくないってのよ」
と、その時。真紅の少女がポーションの箱を抱えて戻ってきた。
蓋を大きく開けながら、2言ほど詠唱しつつパチンと指を鳴らす。
箱からは色とりどりのポーションが4本飛び出し、各々の手の中へと収まった。
何故か一度だけ、アルは真也とその目の前にひっついているウラノスを刺々しく睨みつけた様にも見えたが……。
アルは、妙に苛立った様子でポーションの箱を地面へと置く。
「あはは、やだな~。冗談だってば。
そんなに怒らないでよー。
ボク、君とは仲良くしたいなって思ってるんだよ?」
鼻歌交じりにクルクルと回りながら、ウラノスは言う。
運が無い性質なのだろう。
自分のだけやたらと固くハマっていたコルク栓に悪戦苦闘しながら、最後にはソレを歯を使ってキュポンと開け、ポーションのサッパリとした甘みに目を丸くしながら満足そうに一気飲みしていた。
腰に手を当てながらゴクゴクと喉を鳴らすその飲みっぷりに、真也の頭には何故か銭湯とコーヒー牛乳の文字が浮かんだりもする。
アルはそんなウラノスの所作にどこか冷たい視線を向けながら、瓶を両手で持って少しずつコクコクと飲み始めていた。
ウラノスは相も変わらず能天気そうにピョンピョンと飛び跳ねながら、ポーションを補給中のアルを背後からヒシッと抱きしめた。
お気に入りの人形でも扱う様に、スリスリと頬擦りをし始める。
心底鬱陶しそうに眉を潜めるアル。
ウラノスは、無邪気にニパッと笑った。
「だってさ。ボク達、同じでしょ?」
――パチン、と。
肌を打つ様な、乾いた音が響いた。
「どういう、意味……?」
抑えきれない憤怒に顔を歪ませながら言う声は、真紅の少女の物だった。
少女は自らを抱き留めていたウラノスの手を、まるで汚らしいモノでも扱う様に叩き飛ばしながら、明らかに殺意を込めた貌でスカーフの少女を睨みつけている。
アルの手から取り落とされたポーションの瓶が地に落ちて、石に当たって綺麗に砕け散った。
その音が合図だったのか。
アルの右腕には、陽炎が立ち上る程の炎の魔力が収束を始めていた。
「!? おい、アル!!」
――マズい。
少女の豹変の理由は定かでは無かったものの、突然の事態に真也の緊張は一気に高まった。
何しろ、相手は戦闘の仲裁を求めに来た天の国勢なのである。
真也が彼らの要求を呑んだのは半分以上がただの話合わせに過ぎなかったが、それでも今ここで戦闘を開始しようだなんて無謀な意思は微塵も無かった。
否、仮に戦闘までいかなかったとしても、攻撃行動だけでも十分にマズいのだ。
全く勝ち目の見えないユピテルを擁する天の国勢に反感を持たれる事だけは、今の真也はどうしても避けたかった。
だが、幸か不幸か。少女がその腕から魔術を放つ事は無かった。
「――――ッ!?」
二人の少女の間に割って入るように、緑衣の青年は無言で、敵意無く、しかし絶対の雰囲気を纏って歩み入って来たからである。彼の持つ圧倒的な存在感は、それだけで真紅の少女の敵意を吹き飛ばすのには十分に足る何かを秘めていた。
だが、少女が攻撃を止めた真の理由はそこでは無い。
そしておそらくは、ユピテルも少女の攻撃を止める為に割って入って来たわけでは無いのだろう。
何故ならユピテルは、哀しそうな、本当に哀しそうな、只々憐れみだけの篭った瞳で、真っ直ぐに真也の瞳だけを射抜いていたのだから――。
アルに気を取られて振り返ったからだろう。
ユピテルに興味を見せる事の無かった真也の瞳は、今初めて、直にユピテルと交錯を果たしていた。
「君は、哀しい目をしているんだね」
その言葉には、果たしてどれほどの意味が込められていたのだろうか。
真也の目を真っ直ぐに見つめるユピテルは、今にも泣き出しそうな、心の底から悼む様な表情で目を細めていた。
「エルフの王族がそんな目をしていたよ。
君のそれは、誰にも頼れずに、たった一人で生きてきた人の目だ。
どうしてなのかな。僕達人間は、一人で生きていけるほど強くはないのに。
一体何が、君をそんな目にしてしまったんだい?」
どこまでも彼を憐れむ様な、ユピテルの問い。
その蒼い視線を正面から受けながら、真也はフウと小さく息を漏らした。
「それは、オレの居た世界じゃとっくに形骸化し始めた格言だな。
人間関係は年々希薄化してるし、皆他人には無関心だ。
人口が増えるに反比例して、人間はどんどん独りになってるよ。
――良きにしろ悪きにしろ、な」
「?」
独り言の様な真也の返答。
それは彼にとっては十分な答えでは無かったのか、ユピテルは訝る様に眉を潜めていた。
「ユ……ユピ……。
まあいいか、ユピ様。アンタ、金に価値があるのはどうしてだと思う?」
「さあ、どうしてかな。
そういう高価な物は、エルフやオーガに独占されてしまっていたからね。
馴染みがなさすぎて、考えたこともなかったな」
何かを思い出す様にして、肩を竦めたユピテル。
真也には彼の言葉の意味など分からないし、興味も無かった。
今の真也に関係があるのは、決してそんなモノなんかでは無かったからである。
ユピテルは、
「でも僕は、金なんかよりも価値のある物を知っているつもりだ」
ただ、真っ直ぐな。迷いの無い視線でそう言い切った。
――結局は、その答えが全てだったのだろう。
真也は何の感情も浮かばない、どこまでもどこまでも透明な瞳でソレを聞くと。一度だけ、どこか自嘲気味な微笑を零した。
「ああ、そうか。あんたがどういう人間なのかはよく分かった。
さっきも言ったとおり、オレはあんたと争うつもりなんか毛頭無いからな。
あとはお互い不干渉でいこうじゃないか」
感情の起伏が一切見られない声で真也は続ける。
元から大して惹かれなかった興味が、今では完全に失せてしまった様な態度で、
「そうだな……。せっかくだ、帰り際にいいものを見せてやる」
円筒形に整形された金属塊の蓋をパタリと閉めながら、真也は不敵な笑みでそう言った。