46. 異世界召喚時に成された異種間知識共有システムを利用した異次元生命体による一次元波動方程式の導出実験及び更に異次元の生命体による高高度からの重り付き自由落下に対する品種改良植物の衝撃吸収実験
「まあ、概ね満足だな。
シンよ、貴様も中々に予の嗜好を分かっておるではないか」
ピクリとも動かなくなった少年を熱っぽい視線で眺めながら、メルクリウスは心底満足そうに呟いた。
真也は、相変わらず感情の読めないポーカーフェイスを貼り付けて肩を竦めている。どうやらもう飽きたらしい。実験が終わった今となっては、少年に向ける視線からは完全に興味の色が消え失せていた。
そして、真也ははたと気が付いた。
「ああ、そういえば解錠番号を教えてなかったな。
番号は――って口頭で言ってもダメか……」
今回真也が造ったダイヤルロックには、彼以外の人間が解錠する事を想定していなかった為に地球の数字を使用してあった。守護魔として召喚主たる少女と知識を共有している真也は、自らの持つ地球の知識に加えて少女の認知する範囲でこの世界の知識を自由に扱える状態にあり、それには言語やこの世界の数字なども勿論含まれている(余談だが、この世界も人類?の指が十本の為か十進法が基本であった)。
実際に試してみると、やはり彼は問題なく地球の文字とこの世界の文字の書き分けが出来るようだった。この分なら意識すれば日本語も話す事が出来るのではなかろうか、などと、密かにあれこれと模索中な彼だったりもする。
しかしいくらこの世界の文字が自由に使えるとしても、物理学者たる彼の骨身にはやはり地球上で最も美しい言語たる“数字”が染み渡っているわけであり、この世界に来てからも彼は計算や部品の番号振りには慣れ親しんだ地球の数字を使用していたのであった。
つまるところ、例え彼が地球の数字が振られたこのダイヤルロックの解錠法を口頭で伝えたとしても、正確な番号を揃えられるのはこの世界では今のところ真也と某真紅の少女だけということになる。
「どうする?
10分あればこの世界の数字に振り直すことも出来るが……」
「いや、そこまでせんでも良い。
皇帝たる予が貴様を待つのも道理に合わんし……」
真也へと視線を合わせていたメルクリウスは、そこで一度少年へと流し目を送ると、
「それに、外せなくとも予は一向に困らん!!」
……ハッハッハ、と、悦に入った様な、清々しいまでに自己中心的な高笑いをなさったのであった。
崩折れた少年の亡骸(死んでない)が、何かを抗議する様に震えていたのは秘密である。
「さて、光栄に思え。予は貴様らが気に入ったぞ?
貢物の事もあるし、貴様らの排除は後回しにしてやっても良い。
――尤も、予も皇帝だ。
貴様らが我が国にとって脅威となる場合には、その限りではないがな」
メルクリウスが魔法円の輝く右手で椅子の背に触れると、豪勢な装飾椅子は空間の捻れに巻き込まれる様にして消失した。
恐らく、虚界転位によって氷の国の宮殿にでも飛ばされたのだろう。
後には冷凍庫を開けた様な冷気だけが残された。
「随分紛らわしいコト言ってくれるじゃない。
今のセリフじゃ、あんたが他国の召喚主を一人で殺しきるって宣言したみたいに聞こえたけど?」
「誤解するな、その認識で間違ってはおらん。
どうやら今代に、予に勝る使い手は居ないようだからな。
当面は様子見がてらに遊ばせてもらうが、予に敵対する愚か者は例外無くその骸を晒す事になるだろう」
強まる少女の敵意を受け流し、メルクリウスはあくまでも不敵に笑って魔法円の輝く右腕を掲げた。
蒼白い発光と共に冷気が滲み出し、メルクリウスの周囲では景色が歪み、
「シンよ。貴様は今の内に、予の軍門に下るための口説き文句でも考えておくがいい。
貴様が亡命してくるのであれば、そこの小娘も、まあ下働きくらいには使ってやっても良いではないか。では――」
「待ちなさい」
――グイッと、少女の右手にその腕を掴まれていた。
「アル……?」
メルクリウスを引き止める様な少女の行動に、真也は疲れ果てた顔で呟いた。
その目からは、“何をなさりますか君は”なんて批難めいた意思がやんわりと滲みでている。
どうやら彼には、折角厄介者がお暇しようとしているのに引き止める彼女の行為が理解出来なかったらしい。
真也の視線に、少女は“ナニよあたしだって好きで引き止めてんじゃ無いってのよこっちにも考えがあるんだから放っといて”なんて言葉を器用にも視線だけで返してきた。
逆らってもろくなコトにならないという真理をいい加減学習し始めていた真也は、あくまでも興味が無さそうに視線を少女から外し――。
「!?」
ふと。
青髪の女帝の顔が視界に入ったところで、その背筋を怖気に凍らせていた。
――それは、今まで彼女が見せたものとは明らかに違う表情だった。
能面の様に強張った表情筋に、血の気が引いた唇。
長時間冷水に浸からされた様な、低体温症を思わせる色をしたソレは、事実寒さを堪えるかの様に震えている。
両の目はまるで初めての恐怖に慄く少女の様に見開かれ、その中心に座すサファイアの瞳は、あり得てはならない化け物でも見るかの様に少女の姿を射抜いていた。
――一切の余裕が小削ぎ落ちた様な、この女帝にはあるまじき戦慄の表情。
それは、普段の彼女の飄々とした態度からは凡そ想像も出来ないモノであったが故に、その場の時間を凍らせるには十分に足りる程の異様さを醸していた。
「小娘よ。貴様、何をした……?」
凍える様に平坦な声。
一切の感情が見えないその声色には、しかし気味の悪い怪物に向けられる様な昏さがある。
それで漸く、メルクリウスに起こった異常に気が付いたのか。
真紅の少女は、ハッと息を呑む様な仕草を見せた。
呼吸を止めたのは1秒か、果たしてそれ以下だったのか。
次瞬、少女はまるで溜息を漏らす様に息を吐いた。
「……別に。
あんたにダイヤルロックをただでやるのも、なんか癪だな~って思っただけ。
ほら。あんただってさ、まさかあたしたちの情報だけを探ってたってわけでもないんでしょ?
せっかく全世界のどこの声でも拾える耳持ってるんだからさ。
お土産あげたんだから、代金になんか有益な情報くらい貰ってもバチ当たらないじゃない」
いつも通りの声で、しかしメルクリウスとは目を合わさずにそう告げた少女。
そのやり取りには、果たしてどれだけの意味があったのか。
メルクリウスは寒気を堪える様に自らの肩を抱いたまま、何かを思案する様に眉を寄せ、そしていつもの不敵な笑みを作った。
「……勿論だ。と、言いたいところなのだがなあ。
生憎とこの身とて一つしか無い。
いかに全世界の情報を把握する術があるとて、実際にそれを網羅しきるなど不可能だろう。
予が探りを入れておったのは、貴様らを含めて隣国のみさ」
「ま、そんなことだと――って隣国?
ちょっと待って、あんたまさか!?」
メルクリウスの言葉に一瞬だけ肩を落とした少女は、しかし今の言葉の意味を吟味し直して目を見開いた。
その予想を肯定するかの様に、メルクリウスの口元に浮かぶ笑みが深まる。
「ああ、貴様の思っている通りだ。
地の国の守護魔なら、予はこの目で見たぞ?
生憎とヤツは気配を絶つのが上手く、すぐに地下に隠れられてしまったが……。
まあ目障りではあるが、今のところは大した脅威でも無いので泳がせておるのさ」
――地の国の守護魔。
銀の国の魔導王ですらも捕捉出来なかったその姿を捉えたのだと、この暴君は平然と言う。
全ての距離を超越する才能、虚界転位という先天魔術の威力を、少女はまざまざと見せつけられた気分になった。
だが、今回問題なのはそこでは無い。
皇帝の先天魔術は確かに脅威だが、彼女の話で注目すべきはそこでは無いのだ。
どうしても見逃せない、あまりにも奇妙に過ぎる点、それは――。
「地下に、隠れた――?
ちょっと待ちなさいよ!! つまりあんたは、地の国の守護魔を地上で見たって言うわけ!?」
光無き地底都市同盟・地の国。
国土の大部分を砂漠地帯に覆われるこの国は、過酷な気候から逃れる様にして蟻の巣の様に発達してきた地下帝国としてその名を世界に知られている。
――そう、地の国は地下帝国なのだ。
地上には重要な施設や拠点と呼べるモノは一切存在せず、首都機能すらも定期的に移動させるというこの国は、そのあらゆる意味での気密性の高さによって銀の国の魔導王の目すらも掻い潜ってきた。そしてそもそも、地上よりも遥かに地下に便があるこの国に於いては、何か特別な事情でも無い限り地上に出るメリットすらも殆ど無いのである。
“亡き左目が未来を映す”と言われるヘリアス王に“異常”とまで言わしめたタイタニウスの慎重さを鑑みれば、何の意味も無く秘するべき守護魔の姿を地上に現すなんて事はまずあり得ないだろう。
もしもメルクリウスの言う様に地の国の守護魔が地上に居たとすると、そいつは一体何をしようとしていたのか。
魔王・タイタニウスが、貴重な守護魔の姿を晒してまでも許可した行動。
それが少女には、何か得体の知れない不気味さを孕んでいる様に思えてならなかった。
「フム。まあ、確かに奇妙な話ではあるが……。
別段、ヤツは何をしている風でも無かったぞ?
予の見たところ、アレは……」
そこで言葉を切ったメルクリウスは、一度だけ目を閉じた。
そして、まるで自らの記憶を反芻する様に浅く頷くと、
「――アレは、何かを待っているといった様子だ」
静かに、何かを暗示する様な声でそう告げた。
―――――
「ジロ、ココ、ゴロス……。
ジロ、イノ、マジ、ブブブブッコロス……!!」
――怨霊の怨嗟が聞こえた。
気になった真也が目を向けると、先程屍に変わり果てた某赤い少年がアンデットとして蘇生を果たしている最中だった。
いや、正確には、最早呪縛霊だとか自縛霊だとかそんな次元を超越したバーサーカー的なナニカに近いオーラを醸し出しながらゾンビの様な足取りで立ち上がっている。
度を超えた怒り故なのだろうか。
皮下の血管はミミズでも這っているかの様に浮き上がり、白目は完全な赤色に変わり果てるまでの充血を果たしていた。
赤い少年・マルスは、異常なストレスで痙攣する左手で、しかし真っ直ぐに例の火炎銃を真也の元へと突きつけていた。
「漸く起きたか、駄犬よ。
さて、予は先に帰るぞ?
貴様も寄り道せずに、一刻も早く宮殿に戻って来るがいい」
メルクリウスの言葉に、少年の犬耳がピクリと反応した。
おそらく、今の一言がナニを意味するのかを悟ってしまったのだろう。
少年の肩が、末期癌患者かナニカの様にプルプルと震えだす。
果たして聞こえなかったことでもしたのか。少年は銃口を真也の方へと向けながら、ハアハアと危ないくらいに息を荒らげていた。
「ほう、この予の命令が聞けんと申すか。
やれやれ、それは困った。これはまた躾が必要か……」
は~、と。わざとらしく、憂う様な声色で呟かれるメルクリウスの声を聞き、ビクビクと震える少年の背筋。
少しおかしくなった表情筋でそれでも表情を作ろうとする彼の笑顔からは、激しく何かを押し殺している様な雰囲気を感じる。
少年は、痙攣する左手を必死に右手で抑えつけながら、憎っくき白を焼き殺そうと更に銃口に殺意を込めた。
「よし、ならば仕方ない。
折角新しい玩具も手に入ったことだし、貴様が宮殿に着くまでの間10分に1回程電流を流してやろう。それなら、貴様とて寄り道もせんだろう?」
表面上は哀しそうに、しかし明らかに笑いを噛み殺しながらそう仰るメルクリウス。
少年の目からは激しい葛藤が感じられた。だってこの少年のアイデンティティーからすれば、自分にこんな屈辱を与えたこの白い青年を生かしておくなんていう選択肢はまず存在しないのである。気に入らないヤツが目の前に居たら、問答する前に即座に焼き殺すのが彼の持ち合わせる常識なのだから。
――だが、電流。
生憎と少年のご主人様は、それはもうやるといったらやる人なのである。この電流、やられてみると実は見た目以上にキツイのである。もし、ホントに彼女がソレをするつもりだとすると、少年は多分、到底戦っているどころでは無くなってしまうのである。
「……5分に1回にしてやろうか?」
「…………」
ギリッ、と、奥歯が鳴る音が聞こえた。
「オッッボエてやがれよ白いノォォォオオオオオッッッ!!!!
テメェ次会ったらマジで10回はブッッッ殺すッ!!!!
オアアアアアアア青も緑も白も纏めて真っ赤に染めてヤラァァアアアア!!!!」
奇声を発しながら、全速力で丘を駆け降りていく少年。
漸く復活し、擦り寄ってくる魔犬を撫で撫でしながらその背に跨ると、マルスは発狂している様にしか見えないくらいに大慌てで北の方へと走って行った。
頬を掠めた冷気に気づいて真也が振り返った頃には、青髪の皇帝の姿は既に丘から消え失せていた――。
「……フン、なによ。デレデレしちゃってさ」
「?」
メルクリウスが去った後の、皇帝の装飾椅子の跡が微かに残っているだけの丘の一画。
何気なくそこを眺めていた真也に向けて、少女は不機嫌そうにそう零した。
「デレデレって、オレがあの陛下にか?
別にそんな事――」
「ううん、してた。すっごくしてた。
鼻の下こ~んなに伸ばしちゃってさ。それで、あの女の胸ばっかジ~ロジロみちゃって。
あーヤダヤダ。あんたがこんなケダモノだなんて思わなかったわ。
あたし、今日からでもベッドに結界張ったほうがいいのかも」
首を傾げる真也を、少女は更に詰る。
無論、朝日 真也に限って少女の言う様な内容はあり得ない。
人よりも感情の起伏が少なく、そして人間嫌いである彼は、そもそも意識すること無く人に対して心の機微を見せる事自体が稀なのだ。
増してや、ソレが表情にまで現れるケースなど殆ど0に等しいと言って良いだろう。
故に少女は、今批難した様な事柄を実際にその目で観察したわけでは勿論無い。
要は半分以上があの女のせいで溜まった鬱憤を解消する為の憂さ晴らしであり、残りが抉られた些細なコンプレックスを誤魔化す為の意地っ張りなのであった。
無論、人間の感情というモノに対して致命的なまでに疎い真也には、少女の本心など知る由もない事柄ではあったのだが――。
「そうか、それは気が付かなかったな。
この世界でも“そう”だったというのがまず驚きだが――。
実はオレの世界でも、女性の胸が体格に比して必要以上の大きさにまで発育する理由は、進化史に於ける雄へのセックスアピールの意味があったとされててな。
だからかもしれんが、オレも自分で気づいてないだけで、もしかしたら君の言う様な目をしていたのかもな」
「――――っ!!」
だからこそ彼は、少女の冗談めかした批難に真顔でそんな返答をしてしまったのだろう。
「……あんたもなんだ。
へ~、あんたもああいうのがいいんだ」
ジト~なんて効果音が似合いそうな、酷く蔑み切った視線を向けてくる少女。
それはもう、なんかまるで潰されたカエルを見る様な目をしていた。
その意味が理解出来ず、コクリと首を傾げた真也。
少女は、プイッと明後日の方向に顔を逸らした。
「……男って最低」
フンと鼻を鳴らしながら吐露された少女の一言に、真也は面倒くさそうに溜息を漏らした。
「あんたもってな、この世界の人間とオレは本質的に異生物なんだから、そこに共通項を見出そうとする事自体がまず無意味じゃないか。
そういう君こそ、たまにはおめかしでもしてみたらどうだ?
服……は仕方ないんだろうが、髪型とか長さとか、他にも弄れるところはあるだろ?
その、なんだ。折角、綺麗な髪してるんだしな」
どこかはにかむ様にして、しかしハッキリとそう言った真也。
ストレートに褒められること自体が稀だったからなのだろうか。
相変わらずソッポを向いたままの少女は、照れる様にピクンと肩を跳ね上げると、まるで顔を隠す様に帽子のつばを下げて――。
「…………」
――そして、ひどく寂しげな。
本当に寂しげな溜息を零した。
「あたしの髪、これ以上伸びないのよ」
「へ――?」
平然と、どこまでも当たり前の様にそう言った少女。
目を丸くする真也の方に、少女はゆっくりと顔を上げた。
「ちっちゃい頃から魔術薬とか使ってた影響みたいでさ。
別に抜けたりだとか、色が落ちたりとかはしないんだけどね。
なんか肩まで伸びたら、そこで足並み揃えたみたいに髪の成長が止まっちゃうの。
いいでしょ? 面倒くさくなくて」
あはは、と、不自然なくらいに自然な笑みで少女は続ける。
一番おしゃれに興味がある年頃の筈のこの少女は、自分は髪型一つ自由にする事も出来ないのだというその事実を、本当に何でもない事みたいに笑い飛ばしていた。
青空が映った様な、蒼銀の魔法円が煌く右手が、綺麗で鮮やかな真紅の髪を、本当にどうでも良いモノを扱うかの様に梳いている。
その仕草が自然すぎて。そのあまりにも当たり前の様な彼女の仕草は、それがどこまでも自然すぎたが故に、真也には見ていられない程に痛々しいモノに思えてしまった。
「……悪かった」
「いいの。誇りに思ってるから」
少女はまっすぐな声色でそう締め括る。
――“誇りに思っている”。
その言葉には、おそらく嘘は無いのだろう。
少女の言葉から感じる意思には、自分がそうなってしまった事に対する悲観や悲壮感といった負の感情が一切感じられなかったからである。
そこにはただ、虚勢も虚飾もあり得ない、彼女自信が積み上げてきたモノに対する確かな自信だけがあった。
だからこそ、真也にはそれが酷く哀しいモノに思えた。
10歳で魔導師になったという少女。
いくら才能に恵まれていようとも、貴族ですら無い彼女がそこに至るまでどれほどの努力が必要だったのか、それは想像に難くないだろう。
それから5年経った今、たったそれだけの期間で国一番の魔導師とまで言われる様になる為には、果たしてどれほどの苦難が伴ったのか。
無論、朝日 真也はその意義を知っている。若干17歳にして大学教授を務める彼は、その努力がとても尊いモノだという事を誰よりもよく理解している。
全てをかなぐり捨ててまで一つの事に打ち込み、それで誰よりも早くその頂に立てたのなら、それは最高に崇高で尊重されるべき功績の筈だ。
だから、彼が哀しく思ったのはその理由だった。
髪の成長が止まり、味覚に異常が起きるまで魔術薬を呷って努力し、一つの道を極めようとした一人の少女。
一体ナニがあれば、こんな年端もいかない少女がそこまで苛烈に魔導を追い求める様になるのだろうか。
強い眼差しで、しかしどこか寂しげに笑う少女の視線の先からは。
「ギャァァァァアアアアアアアアッッッ!!!!」
……10分が経過した事を知らせる、いい悲鳴が聞こえた。
―――――
「アル、点火具をつける必要はありそうか?」
「いぐないたー?
あ、始点陣のことね。それなら大丈夫。
霊道の主集中領域に一括しておいたから、あとは適切な手順で魔力を流せば一気にいくと思うよ?」
「パスのバルク……? ああ、推進装置のことか。
やっぱ燃料の重さを考える必要が無いっていうのが一番の利点だよな。
ところで外部からのエネルギーの補給効率についてなんだが……」
「活力のことね。う~ん、どうだろ。
そればっかりは実際にやってみなきゃ分かんないかな。
まあ、ホントにそんな事が出来るならの話なんだけど。
流石にそんな速さで精霊を扱った魔術の前例なんか無いからさ」
「触媒と反応速度の問題ってことか。
でもそれなら大丈夫だろう。
前回バイクを起動した時にも問題なかったし、何より……」
蒼い太陽が頂点を過ぎ、徐々に王都の方角へと傾ぎ始めた頃。
白い青年と真紅の少女は、そんな誰がどう考えても成立しないはずの会話を奇跡的な器用さで成立させつつ何か作業をこなしていた。
青年がカチャカチャと煩雑な機器を弄り回している隣で、真紅の少女は金属塊のあちこちに魔法円を刻みこみながら魔力を流し込んでいく。
それは傍目にはあまりにもチグハグでアンバランスな光景にも思えたが、見方によっては以心伝心に見えないこともないというのがまたなんとも奇妙な点だろうか。
だが、一応のところこんな光景が発生しているのには些細な理由があったりもする。
話は2時間程前に遡る。
氷の国勢が帰途に発った後、自前の昼食(オムライス?)を少女と一緒に食べて一息吐いた青年は、玄関前で例の金属塊を弄る作業に戻ろうとした。
作る度に段々と腕を上げていく青年の料理に多少なりとも満足し始めた少女も、先刻散らかした対人火炎魔法円の処理にでも戻ろうかと彼の後を追って外に出たのである。
「クッ……やっぱ空気抵抗がネックだよな。
せめて重力だけでもなんとかなれば……って、ん?
どうかしたのか?」
作業を再開し始めて5分ほど経った頃。
設計図にガリガリと数式を殴り書きし続けていた真也は、少女がぼんやりと自分を見ている事に気がついて首を傾げた。
「いや、よく飽きないな~って思って」
「?」
呆れた様な口調で、しかしどこか興味を引かれた様な表情で言う少女。
どうやら彼女にとっては、ここまで一日中ガラクタ弄りに没頭出来る人間というのが少々珍しかったらしい(魔術研究に関してなら少女もほぼ同等の集中力を発揮するという事実はこの際横に置いておく)。
その揶揄とも取れる感心の仕方に、真也は小さく肩を竦めた。
「別に飽きないってわけでもないけどな。
どちらかと言うと、飽きる暇が無いと言った方が正しいかもしれん」
一心不乱にペンを走らせながら、真也は横目で少女を見つつ答えた。
審問会で決定された彼らの謹慎は一週間であり、つまり彼らにとっての休みはこの日が最後という事になっている。朝日 真也は未だ特務教諭としての職を経験してはいなかったが、それでも流石にこうして自由にガラクタ弄りをしていられる程に暇になる事は無いだろうとは了解していた。
よって彼は、最低限コレくらいは今日中に完成させてしまいたいと思っていたのである。
――尤も、実際に作り始めてみるとコレを個人で1から再現するのは彼の天才をもってしても想像以上に難しく、既に半分以上諦めてもいたのではあったが。
若き天才物理学者は、自らの能力が理想を再現するに一歩足りていない事を自覚して、憂鬱そうな溜息を零しながらただ只管にペンを走らせ……。
「?」
そこで、ふと。
何やら些細な、本当に些細な閃きを得た。
「アル、ちょっといいか?」
「ん? 何……ってちょっと待って。
ナニよその目は。なんか今のあんた、前に“不死鳥の羽根ペン”を要求した時と同じ目して……」
「いいから、ちょっとこっちに来てくれ。
コレを見てくれるだけでいいんだ」
急に少年の様に無邪気な目になった彼に、何やら身の危険らしきモノを感じ取った少女。内心ではほんのちょっとだけ引きかけたが、真也があまりにも積極的に手招きするので、恐る恐るながらも近寄ってみる事にしてみた。
彼は左手で手招きをしながら、右手で羊皮紙にガリガリと何かを書き綴っていた。
「アル、ちょっとこの式を導出してみてくれないか?」
そんな事を言いながら、少女に一枚の紙を差し出した真也。
そこに書かれていた内容を見た少女は、誰がどう見ても一目でそれと分かる程明快な疑問符を飛ばし、
「? 『∂^2u/∂x^2=1/v^2・∂^2u/∂t^2』?
なによこの意味不明な暗号文。
あんたあたしをからかって……ってちょっと待って?」
――ハッと、その翠色の双眸を見開いた。
「これ……“一次元の波動方程式”?
加速度a=∂^2u/∂t^2で質量mはpdxと表わせるからma=pdx・∂^2u/∂t^2
また張力をTとするとF=T(sinθ1-sinθ2)
θが微小の場合にはsinθ≒tanθが成り立つから……ってウソ!! なにこれ!?
何であたし、こんなの知って……気持ち悪っ!!」
全く身に覚えのない知識がスラスラと出てきた事が不気味だったのだろうか。
少女は、まるで寒気を堪える様に自らの肩を抱いて狼狽していた。
その様子を見て、心底嬉しそうにニタリと笑った真也。
それは天才科学者に特有な、明らかにマッドな忍び笑いであった。
「忘れたのか? 君とオレは知識を共有しているんだろ?
じゃあこの数式の知識をオレの知識が補完したってだけの話じゃないか」
「お、覚えてるに決まってるでしょ!?
でも、やっぱり知識にあるのと、実際に経験するのはまた違うっていうか……。
……ってちょっと待って。
あんた、何でそんな“この手があったか”なんて目であたしを見てんの?」
なんとな~く嫌な予感がして、つい一歩引いてしまった少女。
真也は一心不乱に紙へと何かを書き出しながら、引き下がろうとする少女の腕をクイッと掴んだ。
そして、ニッと、とんでもなく爽やかな笑みを浮かべながら、
「いや、実は今少しばかり問題を抱えててな。
子細はこれを見れば理解出来る筈だ。
片っ端から書きだしていくから、魔術で解決する術が無いかを考えてみてくれないか?」
……制御不能の“学者モード”でそう言ったのだった。
―――――
さて、そんなこんなで作業開始から2時間が経過した現在。
初めは嫌そうに退屈そうに作業に参加していた少女も、今ではすっかり“その道具”の作成に没頭してしまっていた。
元々生粋の魔導師である少女は、基本的に未知への好奇心といったモノを抑えられる様な性質の持ち主では無い。
異世界の道具をこの世界の理を用いて再現するというその挑戦と、何よりも彼の説明した“その道具”の用途を知った今となっては、彼女は寧ろその作業が楽しくて楽しくて仕方なくなってしまっていたのであった。
彼とは少々使う用語に齟齬があるようで戸惑う面もあるが、まあそのくらいならばご愛嬌だろうと流す事にしている。
ともかくとして、そんなこんなで物理学者と魔法使いによる奇妙な共同作業は順調に進行していたのであった。
「アル、推進装置の出力はどうなってる?」
「主集中領域の容量のことね。
足りてるけど……う~ん、蓄積用魔法円を満タンにするにはちょっと時間かかるかも。
補助霊道魔法円を作って外部からブースト掛けてみるけど、敷設に手間が……ってちょっと待って」
そんな傍目には意味不明なやり取りを交わしながら、ふと何かを思いついた様子の少女。
魔力を流し込んでいた金属塊から一旦手を離すと、立ち上がってトコトコと焦土の方角へと歩いて行った。
「何をするんだ?」
「コレを転用しようと思って。
ほら、さっきの対人火炎魔法円。
さっきは敷設の途中で発動したから、実はまだちょっとだけ魔力が残っててさ。
勿体ないから、コレもそっちに移しちゃうね? 命ず!!」
起動の呪文を謳いながら、華奢な右腕に燐光を纏わせた少女。
大地に描かれた対人魔法円は少女の指を向けられた先から鈍い光を湛え始め、辺りには再び例のフィンフィンという高周波音が立ち込め始める。
どうやら、また魔法円に魔力を充填しているらしかった。
あの殺人魔法円が再起動しているという事実は些か真也の不安を煽りはしたものの、魔力を移すといっていたから、おそらくはビーカーにちょっとだけ残った試薬を試験管に移す為に試薬を追加してビーカーを濯ぐ様な行為なのだろう、などと解釈し、あまり危険視することも無かった。
「!? って、へ!? ウソ!?」
……少女がそんな叫声を発し、魔法円から再度炎の嵐が吹き荒れるその瞬間までは。
「は――――?」
青年が疑問符を飛ばした。
あくまでも純粋な疑問から形作られたかの様な色が見えるその視線の先では、デジャヴの如く悪魔の様な噴火を繰り返す活火山。
咄嗟に離れて青年の隣に転がり出てきた少女をよそに、そのホーミングミサイルの様な炎の弾丸たちは、瞬く間に天空に向けて駆け抜けていった。
「アル!! これ何が起きたんだ!?
君、まさか何か失敗を……」
「失礼なこと言わないでよ!!
あたしがこんな単純な作業失敗するわけ無いでしょ!?
この魔法円は10~200ラドの範囲に踏み込んだ相手を無差別に攻撃する攻性結界だから……ってまさか!!」
何かに気が付いた少女が目を見開く。
真也には、その内容を尋ねる時間など与えられなかった。
「キャァァァァァァァァアアアアアアアアアアッッ!!!!」
遥か上空で響き渡った爆音と同時に、真紅の少女のモノでは無い、劈くような女性の悲鳴が最果ての丘に木霊したからである。
その聞く者に強制的に危機感を抱かせる音波につられるかの様に、銀の国の二人は反射的に空を仰いでいた。
――誰かが、降ってくる。
彼らの瞳に映った影は、2つ。
一つは踊るように無軌道に舞う深緑の葉と、もう一つは振れる事すら無く真っ直ぐに落下してくる緑色の人影。
彼らの視力がもっと良ければ、その人影が緑髪の少女を抱えた緑衣青年の姿に見えたことだろう。
劈くような悲鳴を上げる少女をしっかりと抱きとめつつ、青年は恐れた様子一つ無く自由落下してくる。
――死んだ、と真也は思った。
通常、人体が地面に落下する際に生死の分かれ目になる高さは約45mであると言われている。落下点が水面であろうとも75メートル以上の高さから落下すればほぼ死亡するし、それを超えれば命が助かるケースなどほぼ皆無に等しい。
無論、中には今降ってくるあの青年の様に、高さ100m以上から落下して足首の骨折だけですんだというケースもあるにはある。
だが、それはあくまでも単体で落下した場合の極めて稀なケースに過ぎない。
少なくともあんな、人間一人を腕に抱いたまま目算150m以上もの高さから落下して原型を留める方法など、地球の常識にはあろう筈も無いのだ。
あの人影はあと10秒もしない内に地面にその身を叩きつけ、潰れたラズベリーケーキの様な肉塊に成り果てるのだろう。
それが、常識に則ってあの人影が辿るべき運命である。
――そう考えてしまった時点で、彼は未だ固定観念という名の枷に囚われてしまっていたのだろう。
大地が、脈動した。
地面との距離が30mを切ろうかとしたその瞬間、足元に向けて左手を翳した緑の青年。
それは、果たしてどのような手品だったのか。
眩い燐光が辺りを包んだ次瞬には、高さ10mを超えようかという巨大な蕾が新緑の草本を押しのける様にして生え、瞬きの内に大輪の花を咲かせてしまったのである。
その赤く、気高い偉容は、見方によっては薔薇にもチューリップにもラフレシアの様にも見えた。
そして、そこに降り立った緑の青年。
花弁は彼が落下した衝撃を完璧なまでに吸収しきり、そのショックによって辺りには赤い花吹雪が舞い散った。
「怪我は無い? ウラノス」
緑衣の青年は、腕の中で青くなったり赤くなったりとめまぐるしく表情を変えている少女に尋ねる。
緑髪の少女は震えたり固まったり慌てふためいたりを繰り返しながら青年の腕から降りると、ぴょんと地面に降り立って――そしてコケた。
どうやら、腰が抜けてしまったらしい。
青年は尻餅をついた少女を丁寧に抱き起こすと、何かを囁きながら立たせた。
少女の顔が一瞬にして髪の反対色に固定されてしまったのだが、それはこの際あまり気にすることでは無いだろう。
そして、青年は振り向いた。
冬風に、流れる様な黄金の髪を靡かせながら――。
「待ってたぞ。遅かったじゃないか」
青空が映った様な、紺碧の瞳が射抜いてくる。
その圧倒的な存在感に気圧されまいと、真也は一言だけそう言葉を発した。
「…………?」
そして、その時。
隣が静かな事に気がついて目を向けると、真紅の少女が硬直してしまっていた。
あまりの事態に呆然としてしまったのだろうか。
彼女は立ち上がる事すらも、否、呼吸すらも忘れた様子で、花吹雪の中に佇む緑衣の青年の姿に目を奪われている。
ポカンと口を開けて、どこか陶酔した様な、明らかに見蕩れた様な表情を浮かべながら――。
“うそ……。ナニあいつ、ホントにヤバい”
……少女のどこか赤らんだ表情からは、そんな内心が語らずとも滲みでてきてしまっていた。
「…………」
そんな少女の顔を見た真也には、ある一つの思いだけが去来した。
まじまじと、少女の顔を見つめ続ける真也。
少女は、ハッと息を呑んだ様に見えた。
「…………!? う……な、ナニよ。
言いたい事があるんなら、ハッキリ言ってみなさいよ!!」
真也の視線に気が付いたのか、少女は居心地が悪そうにしながらもそう呟いた。
その剣幕に何故か理不尽さの様なモノを感じた真也ではあったが、いま重要なのはそこでは無いので思考から排除する。
――少女は言いたいことを言えという。
つまり、“この疑問”を口にしてもいいという事なのだろう。
真也はそう解釈した。
彼は少女の顔を見つめながら、真顔でフムと頷き、
「発情期か?
別に君たちの生態にまで口出しする気は毛頭無いが、交尾なら同種に――」
顔に、神速の拳をめり込まされた。
――ともかくとして。
こうして、今代に於ける最強と最弱は初めての邂逅を果たしたのであった。