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朝日真也の魔導科学入門  作者: Dr.Cut
第二章:雷神鉄鎚-4『Day Hard』
42/91

42. インフラの概念が地球と少々異なるとある魔導の支配する異世界に於ける街外れの高高度に立地する邸宅の水事情に関する調査報告及び日本固有のとある文化の異世界への伝来が観測された最初のケース

「う~ん、この辺のはずなんだけどな~」


 謹慎明けを翌日に控えたその朝、アルテミア・クラリスは丘の外れで独り何かをやっていた。

 根は真面目で勤勉で勤労な部類に入る彼女は、仕事が休み(・・)であろうとも基本的に義務付けられた服装を崩す様な真似はしない。爽やかな冬の風が、大魔導たる彼女を象徴する漆黒のローブを靡かせている。


「玄関から南に30ラド。水脈が通ってるのがあそこで、霊脈があっちだから、その交差点の……。おかしいな。やっぱりココのはずなんだけど……」


 王都と屋敷を結ぶ線を右手の人差し指でなぞりながら、少女はうんうんと頷いた。

 どうやら何かをお探しらしい。

 お決まりの、しかしあまり履き心地のよろしくない革ブーツで踝まで伸びた雑草をグリグリと踏みしめながら、少女はまるで潮干狩りでもするかの様に土の感触を確かめていく。

 やがて彼女の足が一際草が深い場所を踏んだ時、靴の裏には何か固い物が当たった。

 少女の口元が微かに緩む。


「お、あったあった。やっぱココだったんだ。

 うん。やっぱ定期的に焼き討ちしなきゃダメだな~。

 ……今度からシンにでもやらせよっか」


 本人への意思確認なんか華麗にスルーした発言を漏らしつつ、少女は伸び放題の草むらを掻き分けると、そこに埋もれていた1本の()を取り上げた。雨風に晒されて少々薄汚れたその旗には、しかし少女が見慣れたシャム(犬と猫を足して2で割った様な生き物)のイラストが描かれており、元々はこの場に立っていたモノである事を自己主張している。

 おそらくは、2週間前の突風ででも倒れてしまったのに違いない。

 少女は「cen」と短く詠唱し、燐光を纏った右手を足元の草むらへと向けた。

 少女お得意の火炎魔法は冬季で乾燥した草本など簡単に燃え上がらせ、半径3メートルほどを軽く焼き払う。

 その程度の魔術行使になど特に何の感慨も見せず、少女は焼けた大地の真ん中へと目印の旗を深々と突き刺し直した。


 ――カチン、という金属音。


 本来ならば地面からは響き得ないだろうその音は、しかし少女にとっては決して驚くには値しないものである。

 何しろ彼女は、この旗の真下に埋まっているその巨大な礎の存在を知っているのだから――。



 ありとあらゆる料金の支払いを滞納してみれば実感出来る事ではあるが、人間にとって水とは取り分け重要なライフラインである。

 電気やガスが止められる頃になろうとも、水道だけは支払いが数ヶ月滞った程度では中々止まらない。

 もしもこれを生命維持に於ける重要度の低い物から順番に止められていく、という前提の上で解釈すればの話ではあるが、やはり水とは我々の生活にとっての生命線であり、裏を返せば人間はやはり水の出ない場所になんか住めないという事なのだろう。


 そして我々が常識として知る様に、水とは基本的に高所から低所へと流れるものである。上水道が整備される以前の人間の居住区を鑑みれば明らかな様に、高地に住む程に水とは得難くなる物であり、文明の利器の恩恵を受けずに住居を構える事が難しくなる。

 そしてその真理は、魔導と呼ばれる神秘の理が支配するこの世界に於いてもほぼ同様なのであった。


 結論から言えば、本来少女の屋敷では水が出ない。

 丘の頂上なんていうあの屋敷の立地では河川からの水の流入など勿論期待出来る筈も無く、また貯水槽を造って水を蓄えるというのにも限界があるだろう。それでも現代日本ならば上下水道を地下に通すくらいの配慮は住宅会社に求めたいものではあるのだが、残念な事にこの世界では街から数キロも離れたこの丘にポツンと佇む少女のお屋敷1件だけの為にわざわざ膨大な予算を掛けて配管を通す様なベンチャー精神溢れる企業など存在するわけも無く、それ以前にそもそも上下水道という概念自体が地球とは少々異なっていた。その他にも諸々の事情なども噛み合わさり、原則、少女は自宅で使用する分の水を自給自足しなくてはならないという事態になってしまっていたのである。


 ここが地球の発展途上国であったのならば、少女は毎朝早起きをして近くの川まで水汲みに往復しなくてはならないところだっただろう。

 しかしながら、幸いにもこの世界には魔術という素晴らしい理が存在し、そしてこの少女こそはその分野に於けるエキスパートなのであった。


 この丘には、地下の深いところに地下水の流れがあった。水源は王都付近を流れるとある河川であると言われている。実際に少女は目にしたことが無かったものの、噂によると王宮の裏に見える切り立った崖の裏側は渓谷になっており、かなりの量の水が瀑布の如く流れている大河川があるというのである。王都で使われている水も、基本的にはこの河川から引いた物に貯水槽の雨水を加えた物であると言われている。

 大河川から引かれた水は王宮上層階の貯水庭園を流れて王都の地下に設けられた上水道を通り、そのまま地下を通って防壁の外まで流れ出ている。

 それが街で実しやかに囁かれている噂なのではあったが、こうして少女がこの場に居る時点で、その噂は既に半分以上が確認済みであるとも言えるだろうか。


 そう。現在少女の足元に存在しているこの魔法円の正体は、一言で言えば“水汲みポンプ”なのであった。組み込まれた術式は霊脈から湧き出る魔力の吸収・貯蔵と、それを用いた常駐型の軽量化及び飛行魔術である。

 この魔法円の真下を通過した水脈は重力に逆らった強力な上方向の力を受けて、丘の地下を上へ上へとグイグイ引っ張り上げられる様に設定されている。そうして屋敷まで誘導された水は最終的に屋根の上にある沈殿槽にまで流れこみ、ソコでろ過された後に少女の手元へと届くことになる。屋敷を譲渡されるより以前からあった仕組みに少女が手を加えたものであり、これによって少女は丘の頂上でも特に不自由無く水を利用することが出来ていたのであった。

 地球の住宅事情など全く知らない少女ではあったものの、コレに関してのみ言及するのならば、自分が中々に便利な技術の恩恵を受けているであろう事くらいは自覚している。

 ……まあ。何事も頼り過ぎは良くない、という事も、こうしてこの場に立っている少女は身を持って理解している訳ではあるが。


命ず(ansur)


 いつもの様に起動(はじまり)の呪文を口ずさみながら、少女は目を閉じて右腕に意識を集中させた。少女の先天魔術(ギフト)を示す白銀の魔法円が鈍い光を湛え、大地が(にわか)に燐光を発し始める。否、実際に輝いているのは地下に埋められた巨大魔法円だろうか。少女は自らの霊道と地下の術式をリンクさせながら、徐々に魔法円(ひょうてき)へと流しこむ魔力の量を増やしていく。

 傍目に派手なエフェクトではあったものの、彼女にとってそれはもはや習慣の域にまで達した日常動作の一つであった。


 そう。少女にとってこれは別段、特別な儀式でもなんでも無い。

 先に述べた様に彼女の水事情は基本的に自給自足の延長線上にある物であるからして、それは即ち、彼女が配管や貯水槽を修理・点検してくれる親切な水道屋さんなどとは一切無縁な位置で生活している人間である事を示している。特に魔導式の上に博物館に展示されそうなくらい旧式のこの水汲み機には少々デリケートなきらいがあり、つまり正常な機能を維持し続ける為には、少女自身の手による月一回の定期健診及び魔力の充填は欠かせない行為なのであった。

 無論。いかに簡単な日常の作業であるとはいえ、それは決して怠って良いという事を意味するワケで無い。こまめな注意を怠っていると、いざとなった時に手痛いしっぺ返しを食らうという教訓を、彼女は身を持って知っているからである。

 シャワーを浴びている真っ最中に突然シャワーが止まってしまい、素っ裸の泡まみれのままここまで修理に降りて来なくてはならなかった幼き日の黒歴史(トラウマ)を、彼女はまだ忘れてはいなかった。


 ――因みに余談ではあるが、彼女が前回この魔法円を点検したのは3週間ほど前であり、実はいつもの定期健診まではまだ少し余裕がある。

 彼女がこうして今日点検に来ているのは、主に思いがけないお休み(・・・)で時間が出来たことと、些細な変更点(・・・・・・)があった風呂事情によって想定していない負荷が掛かっているかもしれない魔法円を憂慮して、今の内に一度くらいは点検しておいてもいいかと思い立ったというのが実情であった。


水量(lagu)流速(eoh)異常無し(daeg)

 残存魔力量(othel)約4割(ansur)

 再充填を開始(ken)目標数値(nied)9割強(hagalaz)


 作業以上の意味を持たない言霊を唱えながら、少女は魔力の奔流を加速させていく。

 ――些細な変更点。

 その素晴らしい記憶が脳裏に浮かび上がって、少女の口元はつい綻んでしまった。

 些細だなんてアイツは言うけれど、それはとんでもない謙遜だろうと少女は思っている。

 何しろアレ(・・)は、間違いなく、アイツが齎したモノの中でも最大最高の発明品だったのだから……。



 そう。確かあれは、あの“悪夢の初体験”が終わったすぐ後の話である。

 審問会から自宅謹慎処分が言い渡された後、少女と青年は一言も口を利く事が無くなった。敢えて端的に原因を語るとするのならば、少女は仏頂面でひたすら青年を無視し続け、青年は未だ嘗て無い程の少女の猛攻によって少々おかしくなった顎が開かなくなっていたから、というのが真相なのではあるが、そのあたりの詳しい事情はあまり重要では無いので割愛する。

 少女自身、あの日の記憶はもう封印しようと決めているからである。


 アイツがアレ(・・)を造ったのは、その翌日の夜の事であった。

 誰がどう見ても全治3ヶ月は掛かりそうな重傷を僅か1日(・・・・)で治してしまった彼は、漸く瞼の腫れが退いて前が見えるようになったのを機に、自分用のシャワーの周りで不死鳥の羽根ペンを使ってカチャカチャと何かをやり始めたのである。

 まだ彼を完全に許したワケでは無かったので、少女も初めは無視を貫いていた。

 でも、よくよく考えてみるとアイツが羽根ペンを取り出すとろくなコトが起きないという事を少女も流石に学び始めていたので、少女はアイツが何かやらかす前にもういっぺんくらい制裁を加えておこうか、などと思ってアイツのところに行ったのである。

 ――そして、少女は驚いた。

 なんと、アイツは人が一人スッポリ入れるくらいの横長の桶を造って、ソレにジャボジャボとお湯を汲んでいやがったのである。


 アイツがナニをしているのか全く分からず、少女は未だ治まらない怒りも忘れて彼に桶の用途を聞いてみた。彼曰く、それは“浴槽”とかいうお湯を汲んで浸かるための道具らしく、彼の住んでいた国では毎晩ソレに入って身体を温めるのが習慣だったらしい。

 少女は、初めは彼を怒ろうと思った。だってあんなモノ、誰がどう見たって水の無駄使い以外の何物でもなかったからである。

 ……でも、まあ。流石にもう既に汲んであるモノを捨てろと言うのも勿体ないし、彼は気になるなら一番湯を譲ってくれるとか言いだすし、ソレに、実はちょっとだけ、ほんのちょっぴりだけ気になったりもしたので、少女は身体をシャワーで流してから彼の造った巨大桶に浸かってみる事にしたのである。


 ――結論から言うと、少女にとってソレは衝撃の体験だった。


 きっと、銀の国が比較的寒冷な気候だというのもあるのだろう。

 普段の激務で、少々疲れが溜まっていたというのもあったかもしれない。

 理由は少女自身にも定かではなかったが、冷えた身体を恐る恐る湯に浸してみると、なんかもう、身体の芯から蕩けそうな、信じられない心地よさでふやけきってしまったのである。こう、体中をジンワリと包みこむ様な温かさなんかがもう最高で、口からはなんか勝手に声とか漏れるし、一部から魔術狂と賞賛される少女をしてああこの為に生まれてきたんじゃないかな~と思わせる程に、それはもうとんでもないくらいに気持よかったのだ。

 そう。それこそ、タップリ30分も浸かって少々のぼせ始める頃には、もうアイツがやらかしやがった色々な事もなんかどうでもいいかな~なんて思えてしまうくらいに。


 それから少女にとって、毎晩の“入浴”は絶対に欠かせない物となった。

 特に彼女が今気に入っているのは、お気に入りの香油を何滴か湯に入れて入ることで、最近では毎晩違う種類の香油を試してみるのが密かな楽しみになっていたりする。

 昨日はハーブ系にしたから、今夜は柑橘系から何か一つ試してみようかと予定も組んであるくらいであり、ハッキリ言って、少女はもう今から楽しみで楽しみで仕方なくなっているのだった。


 “ホント。アイツもたまには、ほんと~~にたまには役に立つんだから”。

 作業的な呪文を軽快に唱え続けながら、少女の頭にはなんとなく今一緒に生活しているアイツの姿が過ぎったりする。

 ――と、その時。何故か、不意に少女の口元は停止した。


「……アイツ。

 うん。アイツ……って、さ」


 何か気にかかる事でもあるのだろうか。

 少女は不自然な表情でむ~っと唸りながら、何かを思い出す様な仕草を見せていた。

 ――アイツ。

 少女の頭に浮かんでいたのは、何日か前に見かけた、月明かりの下で本を読んでいる彼の姿であった。

 月夜の晩に、本棚の影からつい覗いてしまったアイツの姿が、ぼんやりと脳裏に浮かび上がる。


 ――綺麗な手、してた。

 こう、男のくせに指とかスラって長くて、線の細い顔立ちとか、仕草とか、なんかやたらと様になっていた様な気がする。

 特にあの、本を見ている時のあの目はヤバかった。

 物憂げで、こう、頼り気がありそうなのにちょっとどこか寂しげで、でも、そんな危うい感じがどうしてか妙に色っぽく見えて……。

 独りで居る時の彼の視線からは、どこか氷の様な冷たさを感じた。でも少女には、そんな彼の視線すらも、どうしてかとても綺麗なモノに思えてしまったのである。男に使う形容詞じゃ無いかもしれないけれど、それでも、あの感じは綺麗(ソレ)以外の言葉じゃ表せなかったと少女は思う。

 例えば、そう、例えばの話である。

 夜、アイツがあんな雰囲気で、ベッドの隣で小さな椅子とかに座って、何かいい雰囲気の話でもしてくれたらどんな感じなのだろうか?

 こう、なんかどうしても眠れない夜とかで、なんとなく布団だけ被ってる様なときに、なんか優しいセリフでも言いながら、こう、いたわる様な感じでフッと微笑でも浮かべたりなんかしたら……。



「……ヤバい、かも」



 ――うん、ヤバい。

 ナニがヤバいのかはよく分からないけれど、少女には、それはどこか物凄くヤバいモノの様な気がしてしまった。

 アイツ、顔だけはけっこう良かったんだ、なんて、少女は彼を褒めているのか貶しているのかよく分からない呟きをなんとなく零してみたりする。

 読書中の彼の仕草に関しては、某アホ毛のハムスターが“反則”とコメントした事があるとか無いとか言われていたりいなかったりしているなんていう事情を勿論彼女は知る由も無い。


 少女は、どこかヤバい気がしながらもなんとなく続きを考えてみる。

 そう。例えば、アイツならどんな事を言うんだろうか?

 眠れなくてぼんやりしてる時に、ベッドの隣の椅子に座って、こう、額に掛かってる髪とかを寄せてくれたりしながら、アイツならなんて言うんだろうか?

『眠れないのか? 

 仕方ないな。それじゃ少しだけ付き合おう。

 オレが眠くなるまででよければ、だけどな』

 ――いや、これじゃ普通過ぎる。

 きっとアイツの事だから、もうちょっと違う感じの事を言うに違いない。

 多分アイツの事だから、こう、髪を梳かれてちょっと照れてる自分に向かって、きっと――。



『発情期か?

 別に君たちの生態にまで口出しする気は毛頭無いが、交尾なら同種に限った方が生産的――』



 ――ボウンッ、と、少女の足元で信じられない様な爆音が響いた。

 どうやら、少し魔力を多く込め過ぎたらしい。

 メーターが振り切れていつもチャージしている量の倍くらいはイッてしまった気がするが、まあ多少のオーバーくらいなら大丈夫だろう、などと、少女は比較的前向きな解釈に努めてみたりする。



「……一生黙ってればいいのに」



 なんとなく、一発くらいは殴っとこうかと割りと本気で思案してみたりする少女。

 ……青年にしてみればとばっちり以外の何物でも無いのではあるが、普段の行いを鑑みるに9割方当たっていそうな気がしないでも無いのが彼の恐ろしいところだろうか。

 キュッと拳を握りしめながら、顔があれなのに中身がアレな男ほど質の悪いものは無いんだな~、などと、少女はうんうんと頷いてみるのであった。


 因みに、問題の彼は玄関前でカチャカチャと何かを作業中である。

 また何か良からぬモノを作っているのかもしれないが、説明を聞いても結局よく分からなかったので、今回少女はあまり気にしない様にしていた。まあ浴槽の前例もあるし、何よりアイツのやることなす事全てに突っ込んでいたら日常生活が全く成り立たなくなってしまうので、少女は気にするだけ無駄なのだと既に半分以上諦めていたりする。

 ……例の“バイク”と同じくらい複雑な機器を弄っている様に見えてしまったのが不安で不安で仕方なかったのではあるが、まあ乗らない分にはきっと大丈夫なのだろう、などと、なんとなく前向きに解釈してみる少女なのであった。



「……ま、だからと言って放っとくわけにもいかないんだけど」


 ――それが少女の立場の辛いところでもあった。

 守護魔とは、この世界とは全く異なる異世界より呼び寄せられた異世界人の事である。

 当然ながら彼らは、この世界の住人などとは根幹とする文化や思想や生活習慣などが根本から異なっているのが寧ろ普通の事なのであって、それはつまり、この世界の常識に則った責任能力を求める事そのものが既に難しい存在である事を示唆している。

 実際、嘗て呼び出された守護魔の中には、“ある特定の時間帯に出会った人間ならば問答無用で食べていい”なんていうトンデモナイ常識を引っさげて召喚されやがった輩も居たらしい。


 それは流石に極論ではあるものの、本質的に守護魔とはそういうモノなのだ。

 自分たちの常識など紙くずの様に打ち破ってしまう様な、常理を外れた異邦人。

 だが、それでもこの世界で存在していく以上は、彼らの行為に対する社会的責任をどこかに求めなくては道理が立ちゆかない。

 よってこの国に於いて、基本的に守護魔と召喚主とは一蓮托生の連帯責任を負わなくてはならない関係にあり、つまりは召喚主とは自分がとばっちりを食わない様にこの世界の常識を守護魔に教え込んで監督していかなくてはならない立場にあったりするのである。

 ……アイツは毎度毎度思いもしない大惨事を起こしやがるのではあるが、彼に求める役職上ソレを止めるわけにもいかず、少女の立場としてはアイツが何かをする度にひたすら胃が痛いのであった。


 魔力の注入を止めて、少女は魔法円の活動を終息させる。

 魔術行使によって心地良く火照った霊道を深呼吸で落ち着かせながら、少女はいつの間にか暗い影が落ち始めた丘を戻ろうかと、屋敷の方角に足を向けたのであった。


「って、あれ?」


 そこで、少女は気がついた。

 ――丘に影が落ちている。

 無論、今は別に夜でも夕方でも無く、それどころか朝食直後の朝っぱらではあるのだが、早朝の丘に影が落ちている事自体は別に不思議な事では無い。

 自分たちが明るいと感じるのは(ひとえ)に太陽光線の恩恵であり、つまりは太陽が雲の影に入ったりすれば今日の様な晴天でも一時的に暗くなる部分もあるワケであって、それ自体は、まあ別段不思議でも何でも無いただの自然現象だろう。


 不自然だったのは、丘を暗くしているその影が尋常では無い速度で動いている事であった。

 勿論、それだけならばまだ理解出来る。

 上空で風の流れが速いのなら、風に流される浮雲だって超特急で飛ばされていく事もあるだろう。丘にはこうして気持ちのいい冷風が吹きわたっているワケだし、上空で少々風の流れが速かろうと、そこには別に驚く事なんか何にもありはし無い。


 ――その影が、まるで風向きを無視するかの様に丘をグルグルと旋回してさえいなければ、の話ではあるが。


 少女の頭がソレを理解した次の瞬間である。鼓膜を破らんばかりの、劈く様な異形の鳴き声が丘へと響き渡った。

 もう2週間程前になるだろうか。

 時計塔跡の瓦礫の山で聞いたあの耳障りな鳴き声が、今再び、確かに少女の耳へと届いて来たのである。

 純白の“翼”は猛禽とは思えぬ優雅さを纏って滑空し、静かに少女の眼前へと降り立った。



「久しぶり、というわけでもありませんね。

 お元気でしたか?」



 蒼い陽光に照らされて、光を纏った様に見える怪鳥の背から飛び降りる人影。

 武装姫、ウェヌサリア・クリスティーは、見目に眩い純白の衣装を風に遊ばせながら、軽やかに少女の前へと再臨した。



―――――



 突如として、何の前触れも無く目の前に現れた純白の姫。

 その眩い容姿を翡翠の瞳に収めながら、少女は穏やかにその口元を緩めていた。


「なんだ、誰かと思ったらウェヌス?

 あはは、もう元気も元気だよ~。

 おかげ様で無病息災、寧ろ病気も逃げていくって感じ?

 そっちこそ大丈夫? ま、あんたに風邪なんかあり得ないだろうけどさ」


「ええ、問題ありません。

 普段から鍛錬は欠かしていませんからね。

 武の国の王族たるもの、病魔にだろうと敗北は許されません」


 青い従者を背後に従えながら、にこやかに言葉を返す王女。

 和やかな微笑を浮かべたまま、彼女は腰元からスッと長刀を引き抜いた。

 少女も朗らかに笑ってそれを見ながら、平和な平和な笑みを浮かべたまま、サッと右手を高く掲げた。


侵攻せよ(tir)炎の巨人(ken thorn)

 虹橋を渡りて(raidho)世界樹を(sigel)……」


「って待てぇぇぇえええええ!!!!」


 何の前触れも無く剣を振り上げ、少女を切り伏せに掛かったウェヌス。

 ネプトは条件反射のみでその前に立ち塞がると、短刀を引き抜いて王女の剣戟を受け止める。

 金属音は聞こえなかった。

 聴覚など容易く麻痺させる程の爆音が従者の背後から響き渡り、周囲の音など全て容易く飲み込んだからである。

 守護魔の抗魔術結界は背に受けた帝霊級火炎魔法(ムスペルヘイム)の炎を完全にかき消したが、余波のみで冬季で乾燥した草本は一気に炎上し、辺りはあっという間に焼け野原になった。

 尾羽根が少し焦がされて、グリフォンがギャアギャアと暴れ始めた。


「待て――?

 バカ待つワケ無いでしょバカじゃないのあんた自分達がそんなコト言えた立場だと思ってるわけこのバカァッ!! どぉぉせまた性懲りもなく殴り込みに来たんでしょっ!? 上等じゃないッ!! 今日こそはテッテーテキに決着つけてやろうじゃないのッッ!!!! 命ず(ansur)ッ!!!!」


「いや、だから嬢ちゃん!! まずは話くらい聞けって……ウェヌス!! 剣!! 剣しまえ!!

 今日はそうじゃねぇんだろ? なあ!!」


「? 何を言っているのですか?

 一国の王女が挨拶(・・)も無しで何を話せと?」


「だからその挨拶は地元に居る時だけにしとけってあれ程……」


火龍の火炎弾(ファーヴニル)!!」


「おわぁッ!? ってだから嬢ちゃんも話を――」


 疾風の如く長刀を振り回す王女様の剣戟を受けきりながら、背後から放たれる大魔術の数々から王女を護り続ける青い従者。

 彼が守護魔で無ければ10秒ともたずに惨殺死体と化していただろう。

 傍目には二人の大魔導にリンチされている様にしか見えない彼の姿は、従者自身の恐ろしい消耗を知らない第三者から見ても哀れを誘ったに違いない。

 だが、幸か不幸か。彼の苦労がそう長く続く事は無かった。



「のわぁ!? ヤバいッ!!」



 ……とある物理学者が張り上げたその声と共に、爆音を発しつつ飛行するナニカ(・・・)が、屋敷の方面から猛スピードで飛んできたからである。



「グォォァァアアアアアアアアアッッ!!!!」


 ――断末魔、としか形容出来ない絶叫が響き渡った。

 丘の頂上から転がり落ちる様に飛来してきた、ナニカ(・・・)

 それが自分たちの方向に飛んできていると判断するやいなや、ネプトは瞬時に二人の大魔導を庇う様に前に飛び出し、正面からソレを受け止めたのである。

 無骨な金属で出来たそのナニカは、昨夜の激戦でかなり脆くなっていた青い鎧を粉々に吹き飛ばし、未だ完治していない彼の傷口を容赦無く抉った。

 開いた傷口から、ビチャビチャと血液が零れ落ちた。

 表面がくっついていただけの、内蔵にまで達する傷痕がパックリと口を開け、筋肉に脂肪層の混じったピンク色の汚濁が焼け爛れた焦土へと撒き散らされた。

 あまりの激痛に立っていられず、否、呼吸すらもままならなくなり、ネプトは丘に片膝を着いてその動きを止めた。


「ウソ……!!

 ちょっと、あんた何で……」


 驚愕したのは少女である。

 まるで自分たちを庇う様に前に出て、謎の(・・)金属塊を受け止めた青い守護魔。

 召喚主無しでは生存出来ない守護魔たる彼が、重傷を覚悟してまで召喚主(ウェヌス)を守った。それは、まだ納得出来る行動だ。


 ――そう、それだけならば。


 今の瞬間、この守護魔にはこんな痛い真似をする必要なんかどこにも無かった筈なのだ。

 もしウェヌスを守りたいだけだったのならば、金属塊では無くウェヌスの方に向かい、彼女だけをあれの軌道から外せばよかっただけの話なのである。

 そう。そうすれば一切の怪我無く自らの召喚主を守れたし、もしも少女が逃げ遅れれば、上手くしたらノーリスクで敵である少女を排除する事だって出来たかもしれないのだ。

 少女とてこの程度の危険ならば無傷で対処出来る程の高位の魔導師ではあるが、彼は少なくともこんな、自分だけが怪我をする様なやり方をしてまで少女達を守る意味なんかどこにも無かった筈なのである。


 困惑したまま問う少女の視線を受けながら、青い従者は、


「……勘違い…すんなよ。

 姫様の会談邪魔させる従者がどこにいる」


 ニッと、気持ちのいい笑みを零しながら、呻く様な声でそう言ったのだった。



「アルー!! 無事かー!?

 あ、オレが無事なんだから無事だよな……。

 いや、悪い。少し試算が甘かったみたいだ。

 どこか怪我は……って、ん?」


 丘の頂上から涼やかな声が降りてきた。

 なんとなく三者が視線を向けると、明らかにこの惨状の元凶たる青年が、いつもの白衣を靡かせながら丘をまっすぐに駆け降りて来る。

 そしてすぐ間近までやって来ると、彼はそこに広がっている異様な光景を見て、全く悪意を感じられない疑問符を浮かべたままに何やら考察を始めたのだった。



 青年、朝日 真也の目に映った光景は、次の様なものであった。

 先ず、何故だかよく分からないが辺り一帯は焦土と化している。

 焦土の真ん中には見慣れた真紅の少女が佇んでいて、少女はいつか襲撃に来たあの武の国のお姫様と向い合っていて、その二人の正面には青い従者が膝をついている。

 従者は物凄く見覚えのある金属塊を腹に抱えたまま、まるで背後の二人を庇う様にして正面に立ち、腹からは夥しい量の血液を垂れ流している。


「あんた……」


 ――真也は、理解した。

 重傷を負った青い従者の姿を見て、真也は今の状況を完全に理解した。

 否。他に解釈の余地などどこにも無い程に、この状況は誰の目にも明らかな物だったのである。


 あまりの事態に、真也の手は情けなくも震えだした。

 自らのした事が、起こってしまったその事実が信じられず、それでも認めざるを得ないこの現実を認識し、真也の全身にはジットリと汗が滲んだ。

 真也は、少女を庇って傷ついたであろう青い従者の目を真っ直ぐに見据えながら、一度だけコクリと頷くと、躊躇いなく腰元に備え付けておいた“その道具”を引き抜いた。

 ――アダマス膨張型プリチャージ式空気拳銃。

 彼が今現在保有する中で、最も武器らしい武器である。

 真也は苦痛を堪えている様な表情を浮かべている従者を見据えながら、その脂汗の滲む額へと、カチャリと冷たい銃口を突きつけた。


「……おい、白いの。

 てめぇ、何してんだ……?」


「いや、動けないみたいだから止めを……」


「どこまで外道だてめぇはぁぁああああッッ!!!!」


 先の断末魔を上回る程の絶叫と共に放たれた剣戟。

 白い青年の喉元を狙ったその一撃は、しかし男の全身に走った想像するのも恐ろしい程の激痛と疲労によって大きく狙いを逸れ、標的の髪すら散らせずに壮大に空振った。

 元から深い傷が更に悪化し、男は噴水の様に吐血しながら地にくずおれた。

 その姿を見た真也は、“なんだ、まだ活きがいいじゃないか”などと残念そうに零しつつ、自らが偶然引き起こした絶好の機会(・・・・・)が一歩足りなかった事を知って“害獣の駆除”を先送りにする事を決めたのであった。


 ……ともかく。

 あまりにも対極的な組み合わせと言える彼らの二度目の邂逅は、こうして青い従者の悲劇と共に始まったのであった。


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