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朝日真也の魔導科学入門  作者: Dr.Cut
第二章:雷神鉄鎚-3『瞬帝VS武装姫』
40/91

40. 異世界のとある国家の皇帝一族の遺伝的な趣味趣向に端を発する異国の女性達に対する精神攻撃及びその結果としてとある少女が引き起こした発生原理の想定し辛いある自然災害に関する調査報告

「あん? 何?

 おれっちの邪魔しに来たの?」


 凍り付いた舞台の端で、影がムクリと起き上がった。

 氷の国の守護魔、マルスである。

 余波(・・)のみで砕かれたタイルを見るに、先の蔦も相応の威力を伴ってはいたのだろうが、少年の軽量が幸いしたのだろう。蔦のエネルギーは身体の破壊よりも専ら吹き飛ばす方に作用し、結果として彼は重傷を免れていたらしい。

 口端から溢れる血液をナイフを持った右手で拭い、刺々しく睨みつけながら、マルスはフラつく足取りで歩み寄って来た。


「邪魔? まさか。

 僕には誰かの気分を害す趣味なんか無いよ」


 ユピテルは、事も無げに少年の敵意を否定する。

 神々しさを覚える程に澄み切った微笑は、どこか聖人の様な気配すらも湛えている様に思われた。

 だが、その余裕とも取れる態度が彼の癇に障ったのだろう。

 犬耳がピクリと跳ね、マルスの視線は更に鋭く尖る。

 ユピテルは、少々済まなそうに肩を落とした。


「そんなに敵視しないでほしいな。

 僕はこの()を守りたかっただけなんだけど……少し(・・)加減を間違えてしまってね。

 本当さ。君たちを傷つけるつもりは無かったんだ。本当に済まないと思ってる」


「ハッ、白々しい事ぬかしてんじゃねぇや。

 わざわざこんなトコまで来たってこたぁ、目的は一つだろぉ?

 い~いじゃねぇの。ほら、さっさとしろや」


「ん? ああ、そうだね。

 待たせてしまって悪かった」


 挑発的な態度で火炎銃を握りこむマルス。

 引き金に装填(・・)された左手は燐光を吐き出し、何らかの機構によってエネルギーをチャージしているのが傍目にも分かった。少年があと僅かに指を曲げれば、それだけで3000度を超える炎の弾丸が緑衣の青年へと襲いかかるだろう。

 だが、少年の武器を知ってか知らずか、ユピテルは動じない。

 余裕を通り越して平和ボケにも見える貌のまま、魔法円の焼き付いた左手を掲げ、パチンと指を鳴らした。


「に――――!?」


 ――それは、勝負にすらならなかった。


 音と同時に左手から吐き出され、舞い散った燐光。

 それが少年の瞳に映った時には、少年は既に花に囲まれていたのである。

 少年の背丈ほどもある紅い花が、4輪。彼を取り囲む様にして咲いている。

 マルスはソレを先の種だと予想し、地に伏せながら火炎銃の照準を手近な1輪の花弁に合わせた。

 だが。少年の迎撃に先んじて、プックリと膨らんだ子房達は弾け飛んだ。

 射出されたのは、種、では無い。

 種は射出される前段階で既に弾け、中身の胚乳だけがシャワーの様に少年の全身に降り注ぐ。雨粒の如き水滴を躱しきれる筈も無く、少年は乳白色の液体を全身に被った。

 ――同時に、少年の傷はモコモコと動き出した。

 それは、青い従者に成された奇跡の再現であった。

 少年がベトついた肌を拭う間に、彼が全身に負った切り傷はほぼ完全に塞がってしまっていたのである。

 治った傷口に目を落としたマルスは、身体の状態を確認するとピクピクと引き攣った笑顔を浮かべた。


「テメ、何してんの……?」


「? 染みたのかい?」


 カサブタが痛みもすっかり退いた傷跡を摩りつつ、マルスはコクリと首を傾げた。

 ユピテルはキョトンとした顔で、マルスを案じる様に首を傾げ返す。

 マルスは、肩を震わせながら息を吸い込んだ。


「ち・が・うだろがぁ!!

 何でおれっちの傷直してんだって聞いてんだよぉ!!」


「? 何でって……。

 怪我人を手当てするのは当たり前じゃないか」


「当たり前じゃねぇよ!!

 誰がどぉ考えても当たり前じゃねぇよ!!

 テメェ殺し合いに来たんじゃねぇのか!? アン!?」


「はは、そんな訳が無いじゃないか」


「だよなぁ!! だったらナニ治してんだ!?

 ハンデのつもりかコンチクショウ――って今なんつった!?」


 狼狽と動揺に怒り狂うマルスは、当たり前の様に告げられたユピテルの言葉に硬直した。

 マルスだけでは無い。

 その場に居合わせた殆どの人間が、まるで胡散臭い詐欺師を見る様な目をしながら呆然と固まっている。

 ユピテルは、ニコリと微笑んだ。


「そんな物騒な事をする訳が無いだろう?

 本当だよ。僕達は、君達を害するつもりなんか微塵もないんだ。

 君達だって、本当はこんな酷い争いなんかしたく無いんだろう?

 ……僕も同じなんだよ。誰かを傷付けるのなんか、もうゴメンさ。

 今日は、もう争わなくて済むようにってお願いをしに来たんだよ」


「…………。

 すみません。ナニを言っているのか、よく分からないのですが……」


 朗々と語るユピテルに、とうとう王女が疑問符を飛ばした。

 淀みなく告げられる彼の言葉に、自らの目と耳と正気を疑ったのである。

 ――争いたく無い。

 ――争うつもりが無い。

 あの青年は、一体ナニを言いだしているのだろうか。

 王女には、それが全く理解出来なかったのだ。


 6大国の確執は義務である。

 太古の昔より相争い、敵国を滅ぼす為の軍備を整えてきたこの世界の人間にとって、敵国民の排斥は最早骨身に染み付いた“習性”の域にまで達した思想であった。

 そして、その対外的軍備拡張戦略の要が“守護魔”。

 世界の外の知識を持つ、常理を外れた存在たる彼らは、皆が皆どの様な技術を齎すのかも想定不能な怪物なのだ。

 ならばいつ何時世界の均衡を崩すかも分からない魔人を野放しにする、などという選択が、剰え争いたくないなどという思考が、一体どこをどうすれば生まれてくるというのだろうか。


 詭弁だと、王女は思った。

 今の言葉はこちらの油断を誘うための欺瞞でしか無いのだろうと、この時ウェヌスは間違いなくそう確信した。おそらくは、あの敵は内心の敵意を隠し、不意をつく為に都合のいい言葉を並べているに過ぎないのだろう、と。


「…………」


 ウェヌスは、ユピテルの瞳をまじまじと見た。

 脳裏に過るのは、嘗て親愛なる母から伝授された読心術の奥義である。

 ――そう。即ち、“人の内心は目をみれば分かる”、と。

 王女は嘗て得たその秘伝(・・)に従い、視線一つで乙女の平常心を失わせかねない様な、艶のある敵の瞳を真っ直ぐに覗き込んだ。

 ……なぜか、どう見ても本気で言っている様にしか見えなくて、王女は強い頭痛に頭を抱えた。


「か~っ!! か~ッッ!!!!

 ヤベ!! 蕁麻疹出てきやがった!!

 ダメだわコイツ!! もう生理的に無理!!」


 おそらくは少年も同じ感想だったのだろう。

 ユピテルの言を理解し、しかしマルスは、それをまるで悪夢だとでも言うように切り捨てた。

 あちこち破れた迷彩を、治ったカサブタごとボリボリと掻き毟っている。


「だりぃんだよぉ!! てめぇは!!

 うわやってらんね~!!

 マジ付き合ってらんね~!!

 くっちゃべってる暇がありゃ、さっさと殺して終わる話じゃねぇかよぉ!!」


「ははは。君は冗談が好きなんだね。

 でも、君も本心じゃきっと――」


「おわぁぁぁあああ!!

 おおぉぉおわははああああああ!!!!

 ぞ、ゾワってきた!! ゾワって!!

 もう何なんだよコイツ!! マジでキメェ!!」


 ユピテルの言葉を聞く度に、マルスは犬耳をピョコピョコさせながら悶え苦しんだ。

 コロッセオにゴロゴロと転がり、体毛をゾワゾワさせながら身体を擦りつけている。

 ……ネプトとの戦闘や先の蔦よりも、明らかにダメージが大きそうなのが印象的だった。

 そんな彼の態度が気に触ったのだろうか。

 ユピテルの背後に佇む緑髪の少女は、ムッとした顔つきでマルスを睨んでいた。


「…………っ」


 頭を抱えたままのウェヌスは、未だに混乱から立ち直れなかった。

 彼、ユピテルの言がどこまで本気なのかは、分からない。

 分からないし、そんな不確定要素には期待すべきでは無いだろう。

 この場で確定できる事項は一つだけだ。

 自らの従者が負った傷が、おそらくはこの場の誰よりも深いという事実だけである。


 ネプトは、未だに片膝を着いたまま動かない。

 表面上治ってはいるようだが、流石に内蔵はまだグチャグチャのままなのだろう。

 この三つ巴。王女の陣営は、どう考えても分が悪過ぎるように思われた。

 ――ここであの敵(・・・)を交えながら乱戦など、無謀以外の何物でもあるまい。

 ユピテルの本音はわからないが、この場で矛を収める事を求めている以上は、王女にそれを妨げる理由など無かった。


「…………」


 そう。今は、ただ場を治める事にのみ労力を費やさなくてはならない時である。

 強敵に斬りかかってみたい邪念も湧いてきたが呑み込み、王女の理性はなんとかそう判断してくれた。

 そして、だからこそ今の王女にとって、最大の不安要素は“彼女”だった。

 ウェヌスは未だ沈黙を保っている、あまりにも行動の読めない“彼女”、メルクリウス・フィンブルエンプへと視線をやる。

 メルクリウスは、やはり転位で植物の猛威を躱したのだろう。

 内心を全く悟らせない氷の瞳が、コロッセオの王族用観客席から、真っ直ぐにユピテルを射抜いている。


「ハッ、そうこねぇとな!! メル嬢!!」


 その視線を敵意の表れと取ったのだろう。

 マルスは皇帝をはやし立てた。


「そんじゃ、チャッチャとアレ殺そうぜ~?

 青いのは弱ってるし、もう後でいいや」


 マルスは未だ動けぬ青い従者を横目で嘲笑いながら3歩、前に歩み、ユピテルへと火炎銃を構えた。

 緑髪の少女が怯えにたじろぎ、緑衣の青年の瞳が悲しげに細まる。

 ――拙い。

 事の成り行きを見詰めるウェヌスの緊張は、否が応にも高まった。


「――――!!」


 少年の火炎弾が放たれるより早く、緑の庭園には冷気が吹き荒れた。

 それは王女が既に何度も見た、瞬帝が振るう魔術の兆候である。

 ユラリ、と、ユピテルの前で空間が揺れている。

 タイムラグは、文字通りの意味で瞬き以下だ。

 皇帝はそのクリアブルーの長髪を靡かせながら緑の庭園へと降り立ち、既にユピテルの喉元へと右手を掛けていた。


「!? ユピ様!!」


 狼狽した少女の声が響く。

 彼女の悲痛な叫びを嘲笑うかの様に、深蒼の魔法円を湛えた嫋やかな手が、ユピテルの顎をガッシリと捉えている。

 場の温度が、氷点下にまで張り詰めた様に思えた。

 王女も、従者も、少年や少女すらも緊張に顔色を無くし、ただ最強の守護魔(ユピテル)の喉元に指を当てる皇帝に意識を奪われている。

 その中で、ただ一人。ユピテル当人だけが、どこかとぼけた様な雰囲気を纏ったまま、瞳を覗き込むメルクリウスの表情を見つめ返していた。


「ユピテル、といったな」


 蒼玉の瞳が、長身の青年を見上げる。

 思考を読ませない皇帝の顔が、至近距離から青年の整った顔立ちを覗き込んでいる。

 暴虐無人の皇帝は、静かに声のトーンを下げながら――、



「貴様……美しいな」



「「「「…………」」」」



 ……その場の全ての人間を、真っ白な灰へと変えてしまった。



「…………」


「え~と……」


「メル嬢……?」


「貴女、ナニを……」



 唖然とし、固まっている一同。

 半分以上化石化した彼らを尻目に、青髪の暴君はニンマリと意地の悪い笑みを零していた。


「フハハ!! なあに、血筋の悪いクセでなぁ!!

 予は、美しい物は全て手元に置かねば気が済まん性質(たち)なのだ!!」


 皇帝がナニを言っているのか理解できず、それぞれ個性的な面持ちで硬直している各々方。

 具体的に述べるのであれば、赤い少年は“またか”とでも言いたげな表情で呆れ返り、白い姫は実はずっと夢でも見ていたんじゃないかと疑って自らの頬を抓り、青い従者は我関せずの体で傷の回復に専念し、緑髪の少女はオロオロといった形容詞がピッタリの顔で両腕をパタパタしていた。


 そんな彼らには目もくれず、メルクリウスは、未だに不思議そうに首を傾げているユピテルの顎をクイッと引き寄せた。

 彼女の体格上、至近距離で人の顔を覗き込むと、どうしても豊満に過ぎる胸部が相手の身体に密着する形となる。

 特に意識した様子も無い青年の腹部で、ほぼ全容を露出しているメルクリウスの胸が、圧迫されてムニムニと形を変えている。

 その圧倒的な物量に、王女は開いた口を手で隠しながら赤面していた。

 その圧倒的な格差に、緑髪の少女は自らの胸部と比較しつつ顔を青くしていた。

 メルクリウスは、見ただけで男を骨抜きにしそうなほど艶っぽい表情を浮かべながら、更にユピテルの顎を自らの眼前に引き寄せた。


「光栄に思え。

 貴様、予の軍門に降る事を許してやる」


 まるで玩具を(ねぶ)り、楽しむかの様に、自らのプックリと紅い唇へと、青年のソレを引き寄せた。


「――って!?

 ユ、ユピ様に触るなオッパイオバケ~っ!!!!」


 そして、少女はついに耐え切れなくなった。

 ショートの緑髪が夜気に舞い踊り、右手が強烈な翠の閃光でコロッセオを照らす。

 瞬間、大嵐の如き暴風が舞台の只中を駆け抜けた。


 ――それは、まさしく風の弾丸だった。


 風速50m/sに迫ろうかというその突風は、庭園の植物を容易にひっぺがし、砕けたタイルを塵の様に巻き上げ、龍種の咆哮を思わせる轟音を夜空に響かせる。

 舞い上がった瓦礫は致命的な威力を誇る投石へと変わり、しかしユピテルには傷ひとつ負わせない軌道で、皇帝の佇む位置のみを無残に爆散してみせた。

 ――龍霊級風魔法・風龍の息吹フヴィーズズ

 無詠唱で、しかもこのヴィーンゴルヴで放たれたその魔術の威力を見せつけられ、ウェヌスは驚愕に目を見張った。

 少女の放った風魔法は、魔導研究所の精鋭が30人掛かりで詠唱しても再現出来るか分からないレベルだったのである。


「フハハハハハ!! 

 ユピテルよ!! お互い愛玩動物(ペット)の躾けには苦労するなぁ!!

 だが覚えておけ。下僕が余りにも不作法では、主人の品格を疑わ――」


 転位で軽々と暴風を躱し、余裕に嘲笑しながら少女の背後へと立った皇帝。

 しかし、彼女の軽口は最後まで続かなかった。

 フーッ、フーッっと息を荒くした少女が右手を構え、王女ですら怖気を覚える程の圧倒的な魔力を、右手の魔法円に収束させていたからである。


「こっのぉ~~ッ!!」


 ――そして、コロッセオは崩壊した。

 城一つを吹き飛ばしかねない程の巨大竜巻が天から伸び、舞台を底から巻き上げたのである。

 舞台は空中で飛ばされた観客席と接触し、生成された大量の粉塵が世界を覆い尽くしていく。

 それは、王女の半生でも一二を争う程に信じがたい出来事となった。

 ――帝霊級風魔法・聖域の風帝(アルフヘイム)

 無詠唱で、まるで呼吸する様な自然さで放たれたその一撃は、しかし完全詠唱の帝霊級火炎魔法・始祖の炎帝(ムスペルヘイム)を凌駕する程の威力を秘めていたのである。

 正に大自然の猛威と言えるその破壊力に、王女は愕然としたままに足を踏ん張ることしか出来ない。

 そしてその間にも、呼吸すらも難しい程の突風が、瓦礫や轟音と共にコロッセオを蹂躙していく。

 舞台を根こそぎにした竜巻が治まったのは、コロッセオ全体の半分以上が天空へと消失した後だった。


「フン。なるほど、愛玩動物(ペット)では無く農耕馬だったのか。

 いやいや、道理で性奴にしては貧相な風体をしておると思っておったのだ。

 まあ貴様の美貌に免じて、家畜(・・)の無礼程度は許してやらんでもないが……。

 ……帰るぞ、マルスよ」


 闘技場を半分消し飛ばした大魔法を当たり前の様に転位で躱し、メルクリウスは赤マントを羽織り直しながら呟いた。

 だが、その決断に納得がいかないのだろう。

 飛び交う瓦礫を地に付してやり過ごしていたマルスは、憮然とした面持ちで青髪の皇帝を見上げていた。


「……マルスよ。

 予が帰ると言っておるのだぞ?」


 マルスは、やはり叛意の籠った視線でメルクリウスを見る。

 ――いけ好かない青年に、今にも死にかけの大男。

 少年にしてみれば、どちらも最低で3回は殺したい相手なのである。

 加えてこれだけの戦闘を終えて尚、召喚主たるメルクリウスはその露出の激しい肢体に一切の傷を負ってはいない。

 彼の立場からすれば、皇帝の決断に即座に賛成出来ずとも不思議は無かったかもしれない。

 だが、


「……3度は言わん。

 これ以上時間を取らせれば仕置きを増やす」


 メルクリウスは、声のトーンを落としながらそう宣言した。

 少年の知る限り、コレは割りと逆らったらヤバイ時の声である。

 マルスは10秒程たっぷりと(皇帝基準)考え抜いていたようだったが、自らの立場を悟ったのか、やがてチッと小さく舌打ちし――。


「だぁ!! クソ!! わぁったよぉ!!

 ヘイヘイ従います~!!

 だっておれっち駄犬だしぃ!!」


 非常に納得のいっていない表情を浮かべながら、観客席をピョンピョンと飛び越えて夜空に溶けていった。



 少年の姿が見えなくなる頃には、青髪の皇帝の姿も既にコロッセオには無かった。



―――――



 まさに台風一過とでも表現するのが適切な惨状であった。

 荘厳な雰囲気を湛えていた、ヴィーンゴルヴの中央闘技場。

 白塗りの王塔の前庭に位置していた武の広場は、僅か1刻と経たぬ間に見る影も無い程に崩壊してしまっている。

 舞台は砕かれ、抉られ、爆散され、深さ5メートルはあろうかという大穴が空き、地下の礎が覗いている。

 先刻まで散らばっていた無数の武具の残骸は既に投石の如く乱舞した瓦礫に粉微塵にされ、埋もれ、今では金属片がキラキラと散らばっている程度でしか無い。

 観客席の被害は特に甚大だった。

 惜しみなく振るわれた帝霊級風魔法の余波は石造りの筈の観客席をバラバラの石片に変えながら天空へと巻き上げ、コロッセオの半分を消し飛ばすに至っていた。

 まるで絨毯爆撃でも被ったかの様な、凡そ人の身で佇むには似つかわしくない廃墟。

 その中心で、青い従者の前にて迎撃の構えを取りつつ、武装姫は眼前の敵を睨みつけていた。


「ユピ様、ゴメンナサイ。

 イヤ、だよね……? こんな、怪獣みたいな…娘。

 せっかく、ユピ様が止めに来たのに。

 さっきの、アレ(・・)、見てたら。なんか、ワーッてなっちゃって……。

 ……気がついたら、魔法まで使っちゃってて。

 …………ボクなんか、全然、怒る権利なんて無いのに」


「泣かないで、ウラノス。

 僕は、君には本当に感謝しているんだ。

 世界中の誰よりも、僕は、君にだけは泣いて欲しくないんだよ」


「…………。

 ……ほんとに?」


「本当さ」


「……ホントのホントに、ボクが、一番?」


「勿論。本当の本当だよ」


「い、いいの? ユピ様。

 信じちゃうよ?

 ボク、ホントのホントに信じちゃうよ?」


「ああ、信じて欲しい。

 君に疑われてしまったら、僕は今晩を泣いて過ごさなきゃならないよ」


「ユピ……様。

 で、でもでも、ボク、綺麗じゃ、ないし……。

 女の子っぽくないし、可愛くないし……風の、民、だし……」


「君は君じゃないか。

 僕をこの世界に呼んでくれた、たった一人の女の子だよ。

 ……それに、君の髪はこんなに綺麗な色をしている」


「ユピ様……」


 氷の国勢との戦闘を治めた天の国からの訪問者は、そんな歯の浮くような会話をしながら広場の真ん中で見つめ合っていた。

 廃墟の様に荒れ果てたこの場ですらも、彼らには全く斟酌するに値しない些末事であるらしい。

 ……ハッキリ言って、傍迷惑以外の何物でも無かった。

 ウェヌスは暫しの間、イケメンに髪を撫でられた少女が、蕩けそうなくらい恍惚とした表情でポーッとしているという、傍から見ている分には拷問にしかならない様な甘々空間を延々と見せつけられる羽目になった。



「……結局。貴方達は、ナニをしに来たのですか?」



 ――5分、経っただろうか。

 このままでは埒が明かないと判断したのか、王女は馬に蹴られる覚悟で見つめ合う二人の男女に声を掛けた。

 ハッとした様子で、少女はピクンと青年から飛び退いた。

 青年は、相変わらずのとぼけた様な微笑を浮かべながら、ごくごく自然に振り向いた。


「ああ、済まない。そうだったね。

 さっきも言った通り、僕達はこんな争いを止める様にお願いに来たんだよ。

 僕達はね、この世界の諍いを無くしたいと思ってるんだ。

 今回は手遅れにならなくて良かったけど……」


 ユピテルはそこで言葉を切ると、北の方へと視線を投げた。

 それは氷の国の守護魔、マルスが去って行った方角である。

 ユピテルは小さくため息を吐き、視線をウェヌスへと戻した。


「はぁ……。どうやら、彼らには今日はもう話を聞いて貰えそうに無いね。

 仕方ない。帰る前に、氷の国にも行ってみる事にするよ。

 ――さて。それで、君は僕達に賛成してくれるのかな?」


 ユピテルは、夜気に煌く金髪を静かに梳きながら同意を求めた。

 端整な微笑には、王女の見る限り一切の邪気や敵意が含まれていない。

 どうやらこの青年は、本当の本当に、もう心底本気でこんな事を言っているらしかった。

 だが、


(帰る前に、“氷の国”に――?)


 王女の意識は、今の彼の言葉が示唆する不吉極まりない事象に奪われていた。

 ――氷の国への、訪問。

 虹の橋が存在する限り、彼らは1度通った橋を2度使う事は出来ない。

 武の国が持つ橋は、合計で3つだ。

 南西の死の国に至る橋と、北西の果ての無い平原へと至る橋、そして、北東の銀の国へと至る橋。彼らが天の国の住人であるのならば、彼らがここに来る為に使った可能性のある橋は、死の国経由と果ての無い平原経由のどちらかしかあり得ないだろう。

 この時点ではまだ、ウェヌスは彼らが死の国経由でやって来た可能性を除外出来なかったのだが、それでも、これから彼らの取り得る最も可能性の高いルートを想定する事はできた。

 もしも彼らの主張が本当だとすれば、氷の国に行く際に、中途の国を無視する事などまず有り得ないからである。


「…………」


 ウェヌスは、更に考えを進めた。

 ――どうなるだろうか?

 只でさえ一度襲撃を受けている“彼ら”が、突然訪れたこの二人に出会った場合。

 彼らは、果たしてこの二人にどのような対応を取るのだろうか?

 ウェヌスの脳裏には、ただ最悪の光景だけが過る。


 王女の背後では、未だに青い従者が膝を着いている。

 王女は、今自分が健在でいられるのは、彼が盾となってくれたからだと知っていた。

 出会って間もないこの二人を、未だ信用しきれぬという要因もあるだろう。

 だがそれ以上に、この守護魔ならば“加減を間違えた”だけでソレを成してしまう可能性も十分以上に考えられた。


 周囲がざわめき出していた。

 “祭り”の余韻で休んでいた国民達も、これだけの騒ぎがあっては流石に寝てはいられなくなったのだろう。

 神経の太い住人の多い武の国でも、流石に王女が気まぐれに暴れているだけでは無い、とようやく気づき始めたらしい。

 王塔の隔壁には篝火が焚かれ、闘技場の惨状をありありと暴きだしている。

 鎧が擦れる、高い音が、徐々に周囲から集まって来ていた。


「……一考に、値しますね」


 夜空に響く警鐘に紛れるかの様に、ウェヌスは静かにそう答えた。

 緑衣の青年が、ホッとした様に息を吐いたのが分かる。

 緑髪の少女は、嬉しそうに目を見開いて王女と青年の顔へと交互に視線を向けていた。


「ありがとう。

 分かってくれて嬉しいよ」


「一考すると言ったのです。

 当然、確定ではありません。

 しかし……。

 貴方達に戦闘の意思が無いのなら、私達から手を出す事は出来ませんから」


 王女は小さく息を吐き、


「長旅で疲れているでしょう。

 本日は王宮に部屋を設けます。

 祭事の後故、大した御持て成しは出来ないでしょうが、一晩くらいなら泊まっていって下さい」


 淡々と、透明な声でそう続けた。

 天の国からの来訪者達は、互いに息をつきながら目を合わせている。

 おそらくは、思った以上に簡単に話が通ってホッとしたのだろう。

 その間にウェヌスは、訪れた衛兵達に二人を“祭りの観光に訪れた地方領主の嫡子夫婦”という適当な素性で紹介し、塔の中へと招く様に告げた。

 衛兵に招かれると、二人は簡単に感謝の意を示し、手を繋ぎながら王塔の中へと消えていった。



「ネプト、動けますか?」


「……ああ、大分楽になったぜ?」


 取り巻きの消えた戦場跡。

 見る影も無い程に崩壊した廃墟の中心にて、ウェヌスは自らの従者に問いかけた。

 ダメージは、やはり相当に大きかったのか。

 油汗を流しながら発せられる声は掠れていたが、彼は精一杯の強がりを告げたようだった。

 果たして、ソレをどう受けとったのか。


「安心しました。

 それでは、今の内にゆっくりと休んでおいて下さい。

 ……今晩は少々忙しい事になりそうですから」


 ウェヌスは、女神の様な微笑を零しながらそんな事を言った。


「は…………?」


 彼には、王女が何を言っているのか分からない。

 彼は今、疲れているのである。

 否。疲れていると表現するのも生易しいくらい、それはもう、どうしようもないくらいに疲れきっているのである。

 昨日の朝から続けられた連戦に次ぐ連戦に、敵国の守護魔との殺し合いに、“最強の守護魔”の攻撃を受けた事による重傷。

 普通なら、もう当分は寝込まなくては命に関わるくらいに、彼はどうしようもないくらいに疲れに疲れているのである。

 そんな彼に対して、この王女様は一体ナニを言おうとなさっているのだろうか?

 困惑する彼をよそに、ウェヌスは風切羽を模した髪飾りをパチンと外すと、魔力を流しながら天高く掲げた。

 舞い散る燐光に惹かれるかの様に、紅い月に翼のシルエットが浮かび上がる。



「……ウェヌス。

 ちょっと待てまさか!!」


「安心して下さい。

 天の国の二人に対しては最高の(もてな)しをし、同時に一切の戦闘行為を禁じると言付けておきました。

 ……彼らの主張を鵜呑みにするつもりなど毛頭ありませんが、しかしあの程度の手合いであれば、あとは宰相にでも任せておけば上手く執り成すことでしょう」


 相変わらず男の内心を鑑みること無く、純白のお姫様は、信頼しきった眼差しを向けながらそう言った。

 その内容が示唆する事象に思い至り、末期ガン患者もかくやという程に青ざめ、震える男。

 そんな彼の様子を“武者震い”であると解釈し、お姫様は、見た者全てが忠誠を誓ってしまう様な、眩しい笑顔を浮かべながら、断言した。


「今夜中に、銀の国に飛びます」


 自らの愛鳥の頭を撫でる主人の姿に、男は心の底から絶望した。

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