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朝日真也の魔導科学入門  作者: Dr.Cut
第一章:イクリプス-1『守護魔召喚』
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4. 国家事業規模の大魔術の使用結果が芳しく無かったという事実の原因に関する銀の国の大魔導によるこの上無く簡潔な調査報告と個人的な追実験の前準備

 “その儀式”は、奇跡と称されるに価する神秘であった。

 ――セトル・セトラの儀。

 それは100年に1度のみ使用が許される、世界の未来を賭した大禁呪である。



 世界には6つの国が存在していた。

 果てのない平原(ヴィーグリード)を中心として放射状に存在するのは、世界の覇権を競う6大国。


 “屈強なる武術王国”・武の国(ウォルヘイム)

 “余命無き死霊国家”・死の国(ネクロガルド)

 “崇高なる選民共和国”・天の国(ソルヘイム)

 “光無き地底都市同盟”・地の国(ノームズアシュ)

 “獰猛なる氷河帝国”・氷の国(フィンブルエンプ)

 そして“白銀の魔術大国”・銀の国(プラティヘイム)


 虹の橋(ビフレスト)と呼ばれる休戦協定のお陰で、表立って争う事はあまり無かったものの、水面下では着々と軍備を拡張し、その国力を競い合ってきた。

 自らの軍事力を誇示し、国家の優位性を示す為ならば如何なる手段でも用い、互いに侵略の期を伺いつつ牽制し合ってきたのだ。



 人々はそれを冷戦と呼ぶ。

 太古の昔。もう誰も発端を知らないくらいの大昔から続いてきた、この世界を覆う冷たい呪い。


 止めたい人は多いのかもしれない。

 だが、もう止められないのだろう。

 少女はそう諦観している。

 例え争う原因を忘れてしまったとしても、明確な理由を知る人間がいなくなってしまったとしても、敵国から自国を守る為には軍備を整えなくてはならない。

 それはきっと、どこの世界でも共通のルールなのだ。



 軍備の拡張、とは述べたが、実は6大国にとってこれは中々にネックだった。

 何しろ軍備の拡張には技術革新が不可欠であり、異なる知識や文化と交流する事によって発展していくのが技術というものの特性である。

 存在する6つの大国が全て冷戦状態であり、国交という物がほぼ皆無な状態では、各国の望める技術革新など多寡が知れている。戦況が均衡状態になるには、そう時間は要らなかったのだ。

 6大国は、他国を侵略する為には自国以外の技術が必要であるという、矛盾した事実を知る事となった。


 均衡は長く続いたという。

 国々は世界中に間諜を送り込んだり、様々な裏工作を行ったりと努力したらしいが、それでも一つの国だけが飛び抜けた発展を見せる事は無かった。

 戦況は硬直し、行動は凍結し、偶然が敵国に味方する事を恐れる日々が長く長く続いた。



 当時の人間達がどう思っていたのか。

 それはもう想像するしかない。

 ただ少女には一つだけ、確信に近い直感があった。

 彼らもきっと、今を生きる人間達と同じ様に、少しでも他国に遅れをとれば国が滅ぼされるという事実に恐怖していたのだろう。



 ――だからこの国は、こんな儀式を生み出したのだ。



 儀式の根幹は、単純な発想だった。

 本当に、まるで子供の空想みたいに単純な発想。

 つまりはこの世界の知識だけでは他国に勝てないというのなら、我々とは無関係の、全く別の世界から協力者を呼び出せばいいのではないか、と。



 結論を述べる。

 セトル・セトラの儀とは、この世界とは全く理の違う異世界から魔人を呼び寄せる大魔術なのである。


 異世界には様々な可能性があるという。

 この世界の様に魔術が発達した世界もあれば、人々が不死の秘術を生み出した世界など、異世界には凡そ人間が考え得る全ての可能性があり得るのだ。

 つまりこの儀式は、本来ならば決して交わり得ないそういった別世界の人間を連れて来て、その条理を外れた知識を借りて自国での技術開発に当たらせようという、バカみたいに高度な召喚術なのである。

 それは、魔術大国である“銀の国”が誇る最大級の技術の結晶だった。



 異世界より召喚された魔人は“守護魔(ガーディアン)”と呼ばれる。多くの場合、彼らが齎す技術は、国の常識を根本から破壊してしまう程に強力だ。

 “不死鳥の羽ペン”による“アダマス鉱の自由加工”など、少女が現在この国で常識として使用している技術も、殆どは過去の守護魔達が伝えた物であると言われている。



 ……惜しむらくは、人間の考える事など皆同じだったという事だろうか。

 独自に編み出したのか、情報が漏れたのかは分からない。

 ただ分かるのは、少女の住む“銀の国”に続いて、他の5大国も期を同じくしてその儀式を成立させたらしいという事である。

 その折、儀式の乱用による経済の混乱を恐れたのか、守護魔を呼び出す際には期日を決め、6大国が同時に儀式を行う事、なんていう盟約を結んだらしいのだから、なんとも本末転倒な話というかなんと言うか……。


 その辺りの歴史には、少女もさして興味は無い。

 重要な点は、たった一つ。

 太古の昔に成立したその召喚術は100年に1度の周期で行われており、今年が丁度、前回の召喚から数えての100年目に当たるという事だけである。

 異界から魔人を呼び出し、その知識と力を得る禁呪。

 常識外の力を傘下に置く、世界の行方を賭けた大儀式――。



 少女はそれを夢見て来た。

 何しろ、世界を変える程の大魔術である。


 “異界から魔人を召喚する”。


 それがどんなに出鱈目な事なのか、魔導師である少女には恐ろしいくらいによく理解出来ていた。

 それを担う事は当代最高の魔法使いの証明であり、魔導師としては最高の名誉である。

 その生い立ち故に正当な評価を受ける事が稀であった少女にとっては、それは世界を見返すまたと無いチャンスであったのだ。



 ……それに。

 正直に言うと、少女は魔人そのものにも少しは興味があった。

 異世界とはどんな所なのか。

 “その人”はどんな風に暮らして来たのか。

 自分とどういう所が違っていて、そしてどういう所が同じなのか。


 異世界からの訪問者が運んで来るであろう異国の風は、他国との交流という文化がほぼ皆無なこの世界に生きる少女の心を、子供の様な好奇心を懐かずにはいられない程に興奮させたのである。


 詰まるところその儀式は、少女にとっては最大の名誉であり、同時に人生最高の一大イベントになる筈だった。

 今まで自分を不当に扱ってきた連中を一気に見返し、唸らせてやれるくらいの最強のチャンスだったのである。

 だからこそ、絶対にヘマなどする訳にはいかなかったのだが……。



―――――



 蒼い太陽は地平線の彼方へと消え失せた。

 群青の空は真紅の夕月によって塗り替えられ、深緑の大地に美しい黄昏時を演出している。

 しかし今は広大な天空を支配しているその満月も、間も無くその輝きを弱め、辺りはいつもの如く漆黒の闇へと包まれるのだろう。人にして人ならざる、神秘の担い手が支配する刻限が訪れる。


「まったく、なんて日よ!!」


 茜色の夕月が差し込むお屋敷に、真紅の少女が帰省した。

 昨夜よりもなお力強く、装飾の欠けた大扉を蹴破って、ド派手に靴音を反響させながら広大な図書館を闊歩する。右腕からは空気が震える程の魔力がもうもうと立ち昇り、周囲には陽炎までもが生まれていた。漆黒のローブや帽子には所々焦げ目が付き、着衣は不自然に乱れている。



 ――さて。

 昨日にも増して機嫌が悪く、最早トロールかドラゴンの如き近寄り難さを醸し出している少女ではあるが、取り敢えずは一度、本日彼女の身に起きた出来事の数々をダイジェストでお浚いしておく事にしよう。



 この日の少女、アルテミア・クラリスは最悪だった。


 昨日の夜に、空が青くなるまで調べ物をしていたのが祟ったのだろう。

 失敗したとはいえ大儀式による疲労も蓄積していた少女は、それこそまるで息を引き取ったかの様に深く眠り、ピクリとも動かぬままに起床予定時刻を大幅に超えて惰眠を貪ってしまった。

 彼女は国一番の魔導師である。

 つまりは魔導研究所のトップとして魔導師達の模範となり、同時に講師として見習い達に魔術の指導をしなければならない立場にあるワケなのだが――。

 いつもならば彼女をけたたましく起こしてくれる筈の起床鳥(グリンカムビ)もまるで用を成さず、講師が朝一の修練をすっぽかすという大失態を演じてしまった。


 跳ねる様にベッドから飛び出した少女は、いつもよりも遥かに高い太陽に向かって奇声を発しながら屋敷の立っている“最果ての丘”を全速力で駆け降り、爽やかな笑顔を向けてくる門番に睨みを返しながら王都の正門へと飛び込んだ。

 疲労と空腹と睡眠不足に加えた呼吸困難で凄まじい形相になりながら、息つく間も無く目的地を目指して走りに走り続けたのだ。

 大慌てで魔導研究所(ヴァルスキャルグ)へと全力疾走する途中、街ですれちがう人々から遅めの出勤に対しての冷やかしを受け続け、3回程揉め事を起こしているうちに時刻は結局お昼を過ぎてしまったのではあるが……。

 でも、まあ。過ぎた事を悔やんでも仕方がない。

 なんとかギリギリでランチタイムに間に合った事を良しとした少女は、朝食をかねて昼食を摂ろうと自室に向かった。


 ところが自室の前で待ち構えていたのは、朝の修練に出席する筈だった“真面目な”見習い魔導師達。

 彼らはどうやら、彼女に昼休みを利用しての個別指導を依頼しに来ていたらしく、また彼女としても、講師という立場に加えて朝の修練をすっぽかした手前断る訳にもいかなかった。


 結局その“真面目過ぎる”見習い魔導師達は、適当に基礎の反復をさせたくらいでは満足せず、個々の“先天魔術(ギフト)”に対する指導から始まり、しまいには“複合魔導呪詛(バインド)”の応用や“始祖の炎帝(ムスペルヘイム)”なんていう大魔術の練習をこなすまで満足しなかった。

 それはもう、最早嫌がらせと言って良いレベルの真面目さであった。

 半分焦土になった修練場の片付けが終わった頃には昼休みも殆ど終わっており、彼女は結局何も口にしないまま魔導研究所の一日分の激務を、僅か半日でこなさなくてはならなくなった。

 並の魔導師ならば、過労死しかねない仕事量である。


 それでも、やはり少女は国一番の魔導師であった。

 眠気と空腹感に唸りながらも持ち前の才覚を発揮し、半ば無我の境地にまで至りながら、なんとか定時までに全ての仕事に片を付ける事に成功したのである。やることを終えたという事実に爽やかな達成感を覚えた少女は、帰る前にシャワーでも浴びて行こうかと湯浴み場に向かった。

 既に殆どの職員が使った後らしく、脱衣所の床が大洪水だったのが少々残念ではあったが、自らの体型に少々コンプレックスのある少女である。

 濡れた床の不快感よりも、誰かに裸身を見られる心配が無いという事実に対する細やかな安堵の方が勝り、意気揚々と暑苦しいローブを籠へと突っ込んだ。


 ――その時である。

 ローブのポケットに入っていた報告書がビショビショの床に落ち、あっという間に解読不能な落書きへと変わっていったのは……。

 その様子を確認した時、彼女は漸く昨日の儀式に対する大臣達への報告をし忘れていた事に気が付いて青褪めた。


 大急ぎでローブを被り直し、走り出した少女。

 無駄にだだっ広い事で有名な魔導研究所(ヴァルスキャルグ)から王宮までの渡り廊下を、着衣の乱れも気にせずに全速力で駆け抜けた。あちこち捲れた恥ずかしい格好を部下達に笑われ、死にたくなる様な羞恥心を抑え込みながら謁見の間に滑り込んだ彼女を出迎えたのは、文部大臣アスガルドからの大目玉。


 “貴様は国を滅ぼすつもりか!!”


 などという怒号から始まり、お偉いさん貴族特有の嫌味をネチネチと延々浴びせかける髭親父。しまいにはその汚らしい姿を王族の視界に入れるなとか、そんな焦げ臭いローブで王宮に入るくらいなら裸で来いなどという高慢嫌味セクハラ発言を連発しだし、お説教は他の大臣が止めに入るまで一刻程も続いた。


 なんとか場が収まり、漸く儀式失敗の原因を報告する段階まで漕ぎ着けた少女。しかし実は、報告する内容など別にこれといっては無かったのである。一晩調べてもなんだかシックリこなかったし、誤魔化しながら書いた報告書は水没してしまったし、仕方が無いので内容は至ってシンプルに、



 “失敗の原因は不明です。

 いえ、まったくもって分かりません”



 髭親父がタコになった瞬間であった。

 テカった額に青筋をビキビキと浮き出させ、嫌味全開で罵声を浴びせかける文部大臣の姿を、少女は取り敢えず記憶から抹消しようと努力している。

 正直、覚えておくのは精神衛生上よろしくない、と彼女は思う。


 そんな出来事があった後、頭に血が登ったアスガルドが彼女に下した処分は自宅謹慎。原因が分かるまで一歩たりとも家から出るな、などという無知、無茶、無駄な訳のわからない指示をお出しになった。今頃このお屋敷の周りには、彼女の監視の為に大量の使い魔達が飛び回っている事だろう。


「バカ!? あいつ、バカなの!? 原因が分からないのが問題なのに、魔導研究所から隔離してナニさせるつもりなのよ!!」


 少女の批判はもっともな気がしないでもない。

 しかしながら、年齢というのはそれだけで批判要素になる物なのである。

 年端もいかない少女に国家最重要の儀式を任せた挙句におじゃんにされた事で責任を問われる文部大臣は、取り敢えずは何らかの処分を下しておかなくては示しが付かないと判断したのだろう。


 また一番の問題点は、儀式に見合う程の超一級の霊地なんかそうそう見つかる訳も無く、先日の失敗によって“銀の国”は今回の儀式への不参加がほぼ確定してしまったという事実であり、それが彼女に実利を求めるよりも処分を与えるべきであるという判断を大臣達が下す一因ともなったのだが……。

 そんな彼らの思惑など、一介の魔導師に過ぎない彼女には知る由も無い事柄であった。


「あーっ!! もうっ!! ムカつく~~っっ!!!!」


 床に積まれた本の山を投げ飛ばし、本棚に蹴りを入れて派手に倒す少女。豪快な音は一時のみ彼女の胸に心地良く響くが、次の瞬間には怒りとそれを上回る虚しさだけが込み上げる。

 そんな普通では無い精神状態にあった少女は、自らが無意識に行っているそのアクションに気が付かなかった。


 物に八つ当たりを繰り返す少女の右腕の周囲では、収束した魔力によって微かに空気が震え出す。空間に放たれた熱量は彼女を中心に陽炎を浮かび上がらせて、部屋に差し込む真紅の月光をグニャリと歪めて見せた。やがて彼女がその右腕を高く掲げた頃には、彼女の頭上では自身の3倍程も直径のある巨大な火球が形成され、辺り全てを灰燼に消さんと唸りを上げていた。



 ――火炎魔法・始祖の炎帝(ムスペルヘイム)



「……あっ!!」


 しまった、と思った時にはもう遅かった。

 火球は無意識に形成されたとは思えない程の安定性を誇り、最早キャンセル不可能な工程にまで辿り着いている。慌てて周囲を見回す少女。今だけは、やたらと(可燃物)の多い自分の屋敷が恨めしい。適当な場所が見つからなかった少女は、とっさにその右腕を天蓋のステンドグラスへと向けた。

 瞬間、天空に向けて駆け抜ける業火球。




 この大花火によって発生した衝撃波は、夕食時の王都を一時騒然とさせたという――。




 ―――――



「やっちゃった……」


 すっかり風通しの良くなったお屋敷。

 天蓋に空いた大穴から覗く満月を見上げながら、少女はガックリと肩を落とした。


 自宅謹慎中に自宅に大穴。

 何がしたいのか自分でも分からなくなる程の愚行である。

 いや。そもそも謹慎の定義とは反省しながら慎んで屋敷に閉じ籠もる事を言うのであって、その意味ではど派手に自宅を開放した少女の行為など、最早謹慎でも何でも無い訳ではあるが……。


「まったく、つくづくなんて日よ……」


 大きく溜息を吐く。

 なんだか一気に力の抜けた少女は、自らが蹴り倒した本棚を背凭れにして、床によっこいしょと座り込んだ。

 穴を通して外から吹き込む夜風が、虚しいくらいに心地いい。



「?」



 ――ボトリ、と。帽子の上に何かが落ちてきたのを感じて、少女はその目を丸くした。

 本では無いだろう。もっとズッシリとしていて、柔らかい何かだ。


 帽子のつばに手を伸ばす少女。

 降って来た異物を摘み上げて、目の前に持って来る。

 妙に草臥(くたび)れた感じのソレを、まじまじと確認する。


 ソレは、黒焦げになった使い魔の死体であった。

 おそらくは先程の大魔術にでも巻き込まれたのだろう。

 宝石の様な翼がウェルダンに焼けて、ブスブスと煙を放っている。

 まあ、一流の魔導師たる少女である。

 今更、使い魔の死体を見たくらいで悲鳴を上げる程、か弱い精神を持ち合わせている訳でも無いのだが……。

 しかし。その使い魔の原型を想像したところで、少女の血の気はサーッと引いた。



 使い魔とは、この世界に広く普及した情報伝達手段の一つである。好みの生物を然るべき魔術によって調教した物で、魔術大国である“銀の国”では子供でも一匹は飼っている程にポピュラーなものだ。少女も複数保有しているし、街を歩けば数件は使い魔ショップを見かける事も出来る。


 しかし一口に使い魔とは言っても、その格は様々であった。一番低位なのは使い捨ての虫の様な物で、これらは単一のメッセージを伝えるとすぐに自然へと帰ってしまう。

 もう少しランクが上がると蝙蝠や梟となり、これらは情報を伝えるだけでなく、飼育者の目や耳として遠隔地の光景を伝える事も出来る優れものだ。大抵の魔導師が扱うのはこのランクであり、それは少女自身も例外では無い。

 更にランクが上がると王侯貴族が使う様な、家一軒に相当する程に馬鹿高い物になり、ここまで来ると、最早実用性よりも見栄の意味合いの方が強い。

 言わば、ブランド品と同じ感覚である。

 貴族とは、常に見栄を張らなくては生きていけない生き物なのだ。


「…………」


 ――さて、ところで先日。

 少女は行きつけの使い魔ショップにて、目の前の消し炭がかな~り豪華なケースに入って売られていた様な記憶が、なんだか物凄く鮮明に目の前に浮かぶ。

 スゴいのがあるなー、なんて思って、その時はつい0の数を数えたりもしてみたのだが、正確な数値を思い返そうとした少女の脳は自己防衛本能にストップをかけられた。

 ブランドの鞄を破損した場合、加害者は普通何をするのか、なんて素朴な疑問が浮かんだ所で、同時に脳が理解した解答を、取り敢えず少女は理性の奥底へと追いやった。


「ふ……ふふふっ……ふふふふふふふっ!!」


 目を伏せて、ドス黒いオーラを辺りに撒き散らしながら笑みを浮かべる少女。その目は全く笑っていない。並の魔術師ならば向かい合っただけで卒倒しそうな程に邪悪な魔力を立ち上らせながら、少女は低い笑いを漏らし続けていた。


 まったく。なんで王族の方々は、たかが謹慎の監視にこんな高い使い魔を使わせるかなー、なんて、誰にともなく不満混じりの疑問が湧いてみたりする。

 やがて少女の表情から笑みは消え、その控えめな胸いっぱいに空気が満たされた。


「……やってやろうじゃないっっ!!」


 何かが吹っ切れたかの様に立ち上がり、吠える少女。ここまで不運が続くと、最早怖い物など無いのだろう。今日は何か行動を起こす度に被害が拡大していく厄日である事など気にも止めず、少女は右腕を掲げて魔力を回した。


命ず(ansur)!!」


 神秘を担う語句を紡ぐ。

 少女の右腕からは、視認できる程に膨大な魔力が立ち昇った。

 歪む空間に立ち込める、幻の様な力の気流。

 辺りに存在する本棚の群はガタガタと揺れ始め、床に積まれた本のページは捲れ返った。


動け(rad)動け( rad)禁域を避けよ (eihwaz)

 走れ(eoh)走れ( eoh)協力し、尊守せよ(eolh)

 命ず(ansur) 領土譲渡を(ing)完遂せよ(othel)


 半ば自棄っぱちになりながら呪文を詠唱していく少女。

 言霊が一字紡がれる毎に本棚は壁際へと滑り、本は宙を舞いながら少女から遠ざかって行く。

 暫くしてガタガタという物音が収まる頃には、部屋には少女を中心として簡単な運動が出来るくらいのスペースが出来上がっていた。


翼を与える(gyfu rad)

 蒼天を駆けよ(gyfu eoh)


 次いで少女が飛行魔術の呪文を詠唱すると、部屋の奥の方から無数の薬瓶が回転しながら宙を舞い、少女を取り囲む様に空中に静止した。

 少女はそれぞれの銘柄を適当に確認しながら、品定めするかの様に調合する順番を決めていく。


「よかった、マンドレイクは足りてる。

 じゃあ、あとは床に魔法円を描いてからエーテルと降魔聖水を調合して、抗魔術結界と霊道(サーキット)の構築をヴァナへイムの術式で仕上げてから因果律歪曲の複合魔導呪詛(バインド)を……。

 ……フン、見てなさい。

 最強の魔法使いが誰なのか、思いっきり思い知らせてやるんだから!!」


 そう意気込んだ少女のセリフは、果たして本気だったのか自棄(やけ)だったのか。

 今から少女が行おうとしている儀式は、成功するわけが無い。

 少しでも魔導の知識がある人間ならばそう理解するだろう。


 “守護魔”と呼ばれる異世界人の召喚は、超一級の霊地を用いて初めて成立する物である。霊地でも無いような適当な場所、しかもそれを自宅で行おうなんていうのは、最早無茶を通り越して冗談とすらも思えまい。


 しかし半ば自暴自棄に陥っている少女には、そんな事に気を配るだけの精神的余裕すらも存在してはいなかった。つまりは、無駄だと分かっていても何かをしないと気が済まない様な気分であったのだ。



 薬の調合を始めた時に、少女は無数の使い魔が大穴の外からこちらを伺っている様子に気が付いた。先程の手痛い出費の事もあってか、ギャーギャーというその不気味な鳴き声が、まるで自身の無駄な行動を嘲笑しているかの様に感じられる。

 少女はプッツンしそうになった。


「……なによ。

 家から出てないんだから、ナニしようとあたしの勝手でしょっ!?」


 一度薬壺を掻き回す手を止め、右手に魔力を流す少女。

 土魔法の呪文を詠唱しながら、パチンと指を鳴らす。

 室内に反響する指の音が聞こえなくなる頃には、先程少女の開けた大穴は跡形も無く消え失せていた――。


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