38. 銃火器作成技術の発展した異世界にて生まれ育ったとある武器商人が戦争に於ける根本条件を完全に異にした条件下で生まれ育った生命体に遭遇した際に感じた精神を深く抉られるレベルのカルチャーショック
自らの怪力によって地に叩き落とした敵を見据えつつ、ネプトは再び小刀を構えた。
粉砕された舞台の上には、未だに瓦礫の雨が降り続けている。
否。その光景は、寧ろ時期外れの雹とでも形容した方が正しいか。
石から生まれた大粒の雹達は、バラバラという鈍い音を響かせながら、舞台に立つ二人の役者の上へと容赦なく降り注ぎ続ける。
打撲以上の負傷など与え得ないそんな些末事は思考から排除し、燻し銀の切っ先は静かに雹の向こうの赤髪へと向けられていた。
「武器、無くなっちまったな」
ニヤリ、という声。
ネプトは獰猛な眼光で目前の敵を射抜きつつ、まるで揶揄するようにそう告げた。
マルスは、その幼い貌を憎々しげに顰めながら舌打ちしている。
背負い直そうとしていた火炎大砲を思い直したかの様に右手で掴むと、忌々しげに舞台の上へと投げ捨てた。
「いつ気付きやがった!?」
「ま。怪しいと思ったのは、ウェヌスから話聞いた時だな。
てめぇ、ソレであの塔を半分吹っ飛ばしたそうじゃねぇか。
おかしいと思ってたぜ。そんだけの威力がある武器なら、何で俺には撃たなかったのかってなぁ」
歯を鳴らす少年。
ネプトはフッと口元を緩めてから、続けた。
「使わなかったんじゃねぇ。
使いたくても使えなかったんだろ?
そいつはおそらく単発だ。
そりゃ、敵陣じゃ最後まで取っときてぇよな」
それは、どこか確信を帯びた様な声だった。
誤魔化せないと思ったのか、或いは初めからそのつもりも無かったのか。
少年の瞳は、ただ烈火に染まっている。
「ご名答だ!! ゴリラのクセに知恵回らぁな!!」
マルスは男の推測を肯定すると、八つ当たりする様に火炎大砲を蹴り飛ばした。
既に役目を果たした以上、最早抱え込んでいても重石にしかならないからである。
金属の抜け殻は瓦礫塗れのコロッセオをカランコロンと転がり、寂しい音を鳴らしながら舞台から転がり落ちた。
未練は無い。
連発を前提として作成した火炎小銃と違い、大威力のみを突き詰めた火炎大砲は、一発の火球を撃つだけのエネルギーを蓄積するのに一晩掛かるのだ。
今役に立つ見込みが無い以上、足元に転がっているだけ邪魔だろう。
少年は、そう考えた。
相当高くまで跳ね上がった物もあったのか。
礫の雨は未だ止む気配が無かった。
コツコツという鈍い雨音が響く戦場跡で、二体の魔人は向かい合っている。
お互いに小さな傷は幾つも見られるものの、致命的な変化は戦闘開始時から然程見られない。
――男の身体能力が急上昇し、少年が最大火力の手札を失った事以外は、だが。
自らの不利を悟ったのだろう。
少年は忌々しげに舌打ちし――。
「……しゃあない。遂にコイツのお披露目か」
ニヤリ、と。
腰のホルスターから、4種目の武器を取り出した。
「なんだそりゃ?」
男が疑問符を浮かべた。
少年が抜き出し、男の瞳に映った武器。
それは、ナイフだったのである。
黒光りする刃が、不気味な光沢を放ちつつ四方の燭炎に揺らめいている。
全長にして少年の橈骨程も無いそれは、男の持つ刀に比べれば玩具にも等しい程度の殺傷力しか無いだろう。
只でさえ文字通りに大人と子供程も体格差がある両者にして、この刺殺武器としての性能差。
冗談の様にリーチの違う現状を鑑みれば、男の疑問符も当然の物だったに違いない。
だが。そんな彼の分析に気を配る事すらも無く、少年は左手で刃を構えたまま、男に向かって一気に踏み込みを掛けた。
――鋼の音が反響した。
男の頸動脈へと振り抜かれた少年のナイフが、上段に構えられた男の小刀に易々と阻まれる。
狩猟時の肉食獣の如き俊敏さで放たれた一撃には、しかし少年の性質上全く重さが伴っていなかった。
突進の勢いを得て尚、ナイフを止めた男の剣はピクリとも動かない。
「なんのマネだ?」
「さぁな、っと!!」
鍔迫り合いにすらならない刃の会合を軽く流し、少年は再度身体を流動させた。
少年の刃が夜気に霞み、男が追撃を放つに先んじて鎧の隙間を穿たんと振るわれる。
少年の利はその身軽さだ。
慣性の法則に従い、最高速はともかく“初速”は男のそれを上回る。
不意を突かれない限り、懐の内の超近距離であれば、少年とてそうそう男の剣に捉えられる事は無いのだ。
だが。
それはあくまでも少年が男の攻撃を躱すという行為について述べた話に過ぎない。
如何に少年が速かろうと、それは彼らの有り余る体格差を覆すだけの要素に成り得る事象では無かった。
疾風の如く切り返される少年のナイフは、しかし正面から合わせられる男の短刀をピクリとも揺らせず、小さな火花を散らせるだけに終わっている。
――男は、その瞳に宿る猜疑を尚深めた。
少年が振るい始めた、小さな刃。
火炎銃を破られ、大砲を失った今、少年が取りだした、新たな武器。
ここまでは、まだ解せるだろう。距離を取って戦う事を危険と判断した敵が、接近戦にこそ活路を見出すのはある意味では道理だからである。
だが。それにしても、これはあまりにも下策に過ぎはしまいか?
少年の振るう刃は、男にとって何の脅威でもありはしなかった。
世界を渡る以前より、数え切れぬ程の猛者達と刃を合わせてきた彼である。
“斬り合い”という行為に関して言えば、彼には刃渡りに関わらずありとあらゆる種類の武器と渡り合ってきた経験がある。
そして。それ故に彼には、この少年の技量では自分に傷を付ける事は出来ないとハッキリと分かってしまった。
この少年は、確かに速い。
慣性を無視した様な足運びで縦横無尽に飛び回り、五月雨の様に剣戟を浴びせてくるその身のこなしは、確かに体術としてある種完成した物なのだろう。
先手必勝の理に適った、軽快にして鋭利な殺陣だと評せる。
――だが。言ってしまえばそれだけなのだ。
軽量故の速さとは、裏を返せば一撃毎の重さがまるで無いということ。
文字通りに子供程度の力しか感じない敵の、斬撃と言っていいのか分からない威力の斬撃など、男は何度捌いてもまるで疲労を感じない。
この程度では、上手く隙間を突かない限り、男の纏う鎧を貫くことなど出来ない。
そして、おそらく。この少年にとって、これはあくまでも全力なのである。
男の見る限り、敵の斬撃は飛び跳ねる足運びと共に、全身の力を振り絞って放たれていた。
これでは、いずれ少年がスタミナを使い果たして足を止めるのは道理だろう。
先の火炎銃の方が、男にとって経験という観点から見て遥かに与し難かっただろうに――。
「づ!?」
男が剣を合わせつつ、そう分析した時。
不意に、苦悶の声が漏れた。
十数合目の打ち合いを終えた瞬間、突如として響いた苦痛の表れ。
疲労が限界を超えた少年の物では無い。
驚くべき事に、ソレは男の口から漏れた物だった。
ニヤリ、と少年が嗤った。
それは自らの武器が用を成した事を確信し、口端を吊り上げた悪鬼の笑みだ。
再度。少年は男の頸動脈に向けて、黒光りするナイフの刃を振り下ろした。
「アア゛ァ!!」
再度、そして今回はよりハッキリと、男の口から苦悶が漏れた。
斬られてはいない。男は少年の刃をしっかりと受け太刀している。
接触自体も、傍目にはコツン、という形容詞が似合いそうな程度の、本当に軽いものだった。
しかし。それにも関わらず、少年の刃を受け止めた瞬間、男は確かに呻き声を上げていたのである。
ジリジリという、耳障りな音が聞こえる。
苦痛に歪んだ彼の目が見据える先。
彼の持つ剣からは、何故か陽炎が立ち上っていた。
少年は、尚も満足気に破顔する。
――電気メスという道具がある。
人体に高周波電流を流し、人体そのものを抵抗とする事によって電熱を生み出し患部を切除する医療器具であり、タンパク質の変性によって切断と同時に毛細血管の止血も行える優れ物だ。
コレは、対象を加熱するという点で少年の振るうナイフに共通している。
しかしその性質は救命と殺傷という相反する目的が示す様に真逆の物であった。
少年のナイフは電熱を発するのでも無ければ、電流を流して対象物に熱を発させるのでも無い。
もっとシンプルで、彼の持つ理の根源に関わる現象。
純粋に“熱”のみを放出するのである。
少年が振るう黒塗りのサバイバル・ナイフの柄には、彼が扱う他の武器と同様の機構が組み込まれ、刃に鋼鉄の融点を超える程の熱を帯びさせていた。
――その温度、最高値にして実に摂氏2000度。
これも耐熱性能に優れた氷の国謹製の“ルシフェル鋼”の刃だからこそ形状を維持可能な数値であって、武の国の剣に広く使用されている“アッシュ鋼”では刃を合わせ続けるだけで易々と変形を起こす熱量だ。
否。剣の形状以前の問題として、刃から柄に伝わる熱量に、持ち手の皮膚が耐えられない。
――高熱ナイフ。
剣技で圧さずとも剣士を仕留め得る、近接戦闘用刀剣殺し。
前回の戦闘より敵の性質を理解した少年・マルスがその対策として編み出した回答がそれだった。
「の野郎。次から次へと――!!」
熱伝導によって既に100℃を超えた柄を気力で握り、ネプトは苦々しげに歯を鳴らした。
その間も、高熱ナイフは休む間も無く振るわれる。
初撃よりも熱量を増した黒塗りの刀身は最高値に近づき、今では赤熱すらも始めていた。
黒塗りの刃がコロナを纏い、燭台に照らされたコロッセオの夜気を斬り裂く。
――鋼の音が鳴る。
――鋼の会合の度に、火花が散る。
小刀の柄に近い部分に刃を合わせ、形だけの鍔迫り合いを演じつつ、男は少年が溜飲を下げた様な笑みを浮かべているのを見つけた。
「バーカ。おれっちを誰だと思ってんだ」
悪鬼の口が、言葉を紡ぐ。
「武器商人・マルスっていや、地元じゃチィと有名だったんだぜ!?」
小刀から白煙が燻った。
男の掌から煙が上がり、肉の焼ける臭いが立ち込める。
胼胝に覆われて厚くなった皮膚が焼け爛れ、男の貌が苦痛に歪んだ。
「チッ!!」
ネプトは反射的に脚を振りだした。
幹の様な脚が振るわれ、マルスの横腹目掛けて致命的な威力を伴った蹴りとなる。
――少年の身体が飛んだ。
蹴りを受けたから、では無い。
男の蹴りを予期し、回避する為に背後へと自ら飛んだ結果であった。
同時に、男の手からは小刀が落ちた。
彼の繰り出した蹴りは、剣を握っていられなくなったが故の苦し紛れである。
嗤ったのは少年だ。
敵が武器を手放すこの瞬間こそ、彼がナイフを抜いた瞬間より待ち続けていた好機だったのだから――。
虚空に身を躍らせつつ、少年はナイフを右手に持ち替え、左手で火炎小銃を抜いた。
狙いは刀剣。
男が手放し、今地面に落ちようとしている敵の牙だ。
最速弾として放たれた火球は刃の側面を貫き、鋼の持った熱を更に上昇させた。
――刃が、砕ける。
蓄積された熱量に耐えられず、半ばから折れて砕け散る。
少年が5メートル程の距離を跳躍し、着地した瞬間、残ったのは右腕を抑えて苦痛を堪える男と、その足元に散らばる用を成さない鉄くずだけとなった。
「武器、無くなっちまったなぁ!!」
先の意趣返しの様に、少年はそう嘯いた。
火炎銃の銃口が、再度5メートルの距離を隔てて男へと向けられる。
右手には高熱ナイフ。
どのような原理なのか。
右手に移された瞬間から徐々に赤熱を弱めているそれは、しかし依然として刃物としての役割を果たすだろう。
――対する、男の装備。
剣を折られた今となっては、男が所持しているのは総身に纏う鎧のみである。
それは一般的な矢程度ならば弾き返す程に上等な代物ではあるが、しかし少年の火炎銃に対して効果があるかと聞かれれば首を傾げざるを得ないだろう。2000℃の刃を受け続ければ、熔解は免れまい。
今度こそ、決まりだろう。
少年の弾丸は、今度こそ男の身体に致命傷を与えるに違いない。
それは、最早確定した未来である。
少年がそう確信した瞬間――。
男は半身の姿勢を取りながら、その重心を深く下げた。
「あん? 何してんの? てめ」
少年の顔に疑問符が浮かんだ。
恐らく、男の行動の意味が本当に分からなかったのだろう。
男はただ、フッと口元を緩めていた。
「ちぃと昔の話だけどよ。
俺の生まれた島じゃ、中々良い鉄が採れなくてな。
あんま良い刀が作れなかったんだわ」
少年が首を傾げた。
男の独白の意図が分からず、少年は只々戸惑いの色を深めた。
男は、静かに静かに呼吸を落ちつけながら、続ける。
「お陰様で、武器の不利を補う為に剣術が発達したらしいけどよぉ。
それでも、流石に限界があってな。
まあ。言っちまえば、駄目なモンは駄目なんだわ。
とんでもなく硬ぇ鎧が自慢の“クソッたれ帝国”が攻めて来た事があってなぁ。
ドンパチやったあの日にゃ、そりゃぁ酷ぇ目に会ったもんだ。
……百人斬り程度で剣が折られるんだもんな。ありゃ反則だ」
断片的な史実に、少年の頭は追いつかない。
男が語る歴史の真偽も、意味も、意図すらも分からない。
困惑する少年を余所に、男は只々、懐かしむ様にフッと笑っていた。
「だからよ。剣が折れた後にゃなぁ。
こうやって、拳で鎧をぶん殴ったもんだぜ!!」
「ア・リ・エ・ネ・エ・だろぉがっ!!」
少年のツッコミがコロッセオに響いた。
男は首を傾げている。
――何故、そこで首を傾げるのか。
少年は犬歯を剝きだしにしながら、ビシッとナイフを男に向けた。
「バカかテメェは!! ど~考えてもオカシイだろ!!
剣が作れねーのに何で剣技が発達すんだよ!?
1人で100人斬らなきゃなんねぇとか、そんなに戦力差あんなら剣使うな!!
そんで殴んなや!!
普通に大砲とか榴弾とか他に手ぇあんだろ!?」
「タイホウ? ああ、“大陸”の新兵器だっけか?
は。あんなちゃちな道具で“南方”の鎧がどうにかなるかよ」
「どんな鎧だぁっ!!
ってか、待て!!
大砲が効かねえ鎧を殴った!?
そんなモンどうやって――」
「お前こそバカか? そんなモン、内功練って鎧の内側で共鳴させりゃ一発で――」
「どうにかなって堪るかバッキャロォォォオオオ!!!!」
――守護魔。
彼らの戦闘とは、即ち常識破りを競う戦いである。
この世界の常識からすれば考えられない様な常識の下で生まれ育った彼らは、この世界では考えられない様な理を当たり前の事象として持ち合わせる。
そして、それは各守護魔間の常識の差異についても同義であり、今回はそれが最も分かりやすい状態で現れた一例だと言えよう。
……えーと、つまりナニが言いたいのかというと。
武器商人なんていう肩書きを誇った少年にしてみれば、剣の不利を覆す為の剣技だの大砲を跳ね返す鎧だの、剰えソレを殴ってどうにかするだのという無茶苦茶は商売上がったりというかブッチャケ悪夢でしか無かったワケである。
発狂しかけた精神を保護するかの様に、少年は火炎銃の引き金を引いた。
3000℃を超える熱プラズマにて形成された最速弾である。
カルチャーショックどころか触れただけで精神が汚染されるレベルで男と前定条件を異にする少年は、目の前の“ヘンな生き物”を一刻も早くこの世界から消し去りたかったのだろう。
火球は、少年の嫌悪を代弁するかの様に空を切った。
「らぁぁぁああああ!!」
だが。
雄叫びと共に振り出された男の手刀は、まるでそんな少年の気持ちを嘲笑うかの様に紅球を切り裂いてしまった。
熱プラズマに触れた男の手は一瞬で炙られ、表面が炭化する程の重度の火傷を負う。
効いている。焼けただれた男の皮膚は、確かに効果があった事の証明だ。
しかし少年にとって、そんな事実は何の気休めにもなりはしなかった。
――敵は、生き延びた。
プラズマの弾丸を向けられて、しかし素手で生き延びた。
その事実が、彼の心に焦りを生んだ。
「って!! テメェ本当で人間かぁ!?」
「その形で言えたセリフか犬っコロッ!!」
炎を素手で掻き消した魔人が、踏み込みを掛けようと両の脚に為を作る。
少年は動転しながらも、小脳に記録された日常動作として銃を構え、引き金を引いた。
振るわれる手刀に斬られる火球。
プラズマが一撃触れる毎に男の手からは白煙が燻り、目を覆いたくなる程に酷い火傷を負っていく。
傍目に見れば、遠距離から放たれる少年の火炎に男が一方的に嬲られているだけの虐殺。
だが、男の怪力を知る少年にすれば、火球を斬り裂きながらも男がジリジリと距離を詰めてくるという事実に追いつめられずにはいられなかっただろう。
――それもその筈。
少年にしてみれば、これで男を殺せなければ、残るは切り札の“狂炎結界”しか打つ手が無いのである。
まだ全ての守護魔が存命し、しかも内3体とは出会ってもいない現状、切り札出すのはあまりにも早計に過ぎる。
そうなった場合、損害が大きいのは少年の方だ。
瓦礫の雨は既に止んでいた。
身軽さを頼みにステップを踏み、火炎靴の加速跳躍を駆使しつつ、マルスはネプトから距離を取る。
左手の魔法円は燐光を吐き出し、火炎銃は無限に弾幕を吐き出し続ける。
ネプトは迫る炎を躱し、負傷を顧みずに手刀で斬り裂きながら、青い弾丸と化してマルスへと猛進を繰り返す。
――男の手が焼き尽くされるのが先か、少年の身体が捉えられるのが先か。
二人の魔人の戦闘が、終局に向けて静かに終息してゆく。
男が拳を振りだした。
怪力を用いて放たれた正拳は空を切り、しかし少年の眼前10センチを掠める。
拳圧だけで少年の眼に風がぶち当たり、眼球が乾いたかの様な錯覚を味わわされた。
――当たっていれば、少年の頭蓋はスイカの様に砕かれていただろう。
背筋に這う冷や汗を抑え、鼻腔にこびりついた焼けた肉の臭いを擦り落としつつ、少年は火炎靴を駆使して距離を取る。
「クソが!!」
少年の口から怨嗟が漏れた。
右手はナイフをホルスターにしまい、左手の魔法円へと添えられる。
鋭い視線が男を射抜いた。
「おれっちが。
切り札を、こんなトコで――!!」
少年の周囲に、禍々しい光が渦を巻く。
火炎銃を握る手の周囲では世界が歪み、限度を超えたナニカによって時空が悲鳴を上げている様がまざまざと見て取れた。
――本能的な危険を感じ取ったのは男だ。
アレだけは使わせてはならないと、男の脳は理性よりも遥かに深いところでそう理解した。
だからこそ、男は踏み込んだ。
危険を感じたからこそ、それに先んじて敵を仕留めるべく、男の両脚はコロッセオの舞台を強く踏み砕いた。
跳ね上がる瓦礫と共に、男の身体が弾丸へと変わる。
否。その様は寧ろ多段式ミサイルとでも表現した方が正確か。
一段目に当たる男の身体から、二段目に当たる爆弾を搭載した弾頭が放たれ、少年の身体を破砕せんと駆け抜ける。
――そして。
男の貌が驚愕に歪んだ。
殴りつけようとしたその刹那、目の前の少年が消えたのだ。
標的を失った弾頭は虚しく空を切り、空を切る音だけを残響として役目を終えた。
――これが少年の仕掛けた切り札か?
――だとしたら、一刻も早く少年の姿を捉えなくては命が無い。
男は今、真に絶望すべき立場にあっただろう。
否、である。
男が驚愕したのは、少年が消えた、などという、そんな事実が理由では決して無かった。
……何故ならば。男の眼球が捉えた少年の最後の姿は、その顔を男自身を遥かに上回る程の驚愕に染め、「ヒャベバァ!!」なんて叫びながら顔面にヒールを食わされた状態だったからである。
そう。敵は、消えてなどいない。
何者かに横っ面を蹴り抜かれて、左に大きく吹き飛ばされただけだったのである。
そして、だからこそ、そんな訳のわからない事態が発生しているという事実こそが、男から驚愕を引き出したのであった。
男は、チラリと少年の飛んだ方を見る。
「無礼者!! 貴様のせいで予のマントが汚れたではないか!!」
青髪の皇帝はそんな理不尽な事を言いながら、少年の口にヒールの脚をゴリゴリと押し込んでいた。
豊満な身体を包む赤マントの裾には、薄っすらと埃の様な物が着いている。
成程。どうやら、先に降った瓦礫の雨がお気に召さなかったらしい。
一度件の魔術でコロッセオを離れ、埃が治まったのを確認して戻ってきた、というところだろうか。
皇帝に顔を踏まれる少年の口からは、「が…ゴ…」という切ない呻きが漏れ続けていた。
電気を流されたカエルの様に、手足がビクンッ、ビクンッと痙攣を繰り返している。
……先の禍々しい光は、一体どこに行ってしまったのだろうか。
涙目で許しを乞うている少年を複雑な面持ちで見据えつつ。
男は、それが他人事では無いという事を思い出した。
「…………」
背後を、振り返る。
男の背後には、武装姫・ウェヌスが佇んでいた。
無論、彼女が纏うのは最強の魔法金属で編まれた総鎧である。
あんな瓦礫の雨どころか、矢や鉄球が降ってきても平然と無傷を通す事だろう。
――だが、埃や衝撃はそうはいくまい。
事実ウェヌスは不快そうに眉を潜めながら、髪や鎧に纏わりつく埃を溜息交じりに払っていた。
主人を埃塗れにしてしまうなどと、従者としては不手際どころでは無い程の大失態である。
「気にしないでください」
「…………」
粉塵をモロに吸い込んだのだろう。
美貌の王女は少々掠れた声で、しかし言葉を失っている男に向けて言った。
「気にしないで下さい。
悪いのは、壊れる様な舞台しか作れなかった職人です」
白薔薇の様な笑みを浮かべつつ、王女は男に向かってそう言い切った。
注)武の国王女、ウェヌサリア・クリスティーの思考
争い事は、負けた方が悪い。
→だから、破損物が発生した場合、壊れた物の方が悪い。
→即ち、壊れる様な物しか作れない職人が悪い。
「……いや。それもどうかと思うけどよ」
武の国の流儀に、改めて頭痛を抑えきれない男であった。
武の国主従がそんなやり取りを終えた頃、皇帝の拷問劇も一段落を迎えたらしい。
漸く解放された少年の口から、ヒューッ、ヒューッという可哀想な音が響いている。
かなり憔悴の色が濃い少年ではあったものの、青い皇帝が熱っぽい目で「立て」と命令した瞬間、バネ仕掛けの様に飛び起きた。
少年は、犬歯を剥いてニッと笑った。
「やるじゃね~か青ゴリラ!!
まさかおれっちをここまで追い詰めるとはなぁ!!
でもここまでだ!! おれっちを本気にさせた事後悔させてやるぜぇ!!」
「…………」
……どうやら少年は、今の一幕を無かった事にしたいらしかった。
火炎銃を握り、鋭く睨みつけてくる少年の目は、清々しいまでに先刻の色を再現しようと努力している。
文字通りに涙ぐましい努力だったので、男は敢えてスルーする事にした。
わざわざ触れる程の事でも無いし、
それに、状況はそんな物に触れていられる程余裕のある物では無いからである。
「チ、またか――!!」
男が視線の温度を下げた。
彼の双眸が見つめる、その先。
少年の左手からは、再度光が漏れ始めていた。
あの禍々しい燐光が、グニャリと空間を曲げてゆく。
「……マルスよ。
“ソレ”の采配は予が振る、と言った筈だが?」
「ケケケ!! 時化たコト言うなや!!」
渋る様な皇帝の声。
左手に何かを集束させ続ける少年は、しかし軽薄に嗤い、嘯いた。
「見たヤツが全員死ねば同じコトだろ!!」
少年の殺意に呼応するかの様に、空間の悲鳴は高く響く。
「ネプト、アレは何ですか!?」
「分からねぇが見るからにヤバい。
ウェヌス!! 武器をくれ!!」
男の声に瞬時に応え、ウェヌスは足元に散らばる金属片を掻き集めると瞬時に太刀へと加工して男へ投げ渡した。
再度、先よりも遥かに上等な牙を得た青い従者が、少年の下へと踏み込みを掛ける。
――届くか?
敵の隠し持つ、謎の手札。
その正体も脅威も釈然とせぬまま、男は悲鳴を上げる空間へとその身を投じ――。
「およ? お仲間さん発見~!!
ただいま目下戦闘中でありま~す!!」
遥か上空より響いたその声に、その場の全員が意識を凍らされた。
「「「「な――――!!」」」」
4つの声が重なった。
突如として上から振ってきた、この場の誰の物とも似つかない、新たな声。
あまりにも緊張感に欠けた様な、凡そ戦場には似つかわしく無い様なその声は、事実年端も往かぬか弱い少女を思わせる。
――否。あまりにもこの場に似合わぬからこそ、その声が存在するという事実が、彼らの動きを停止させるに足るだけの奇妙さを備えていたのだろう。
4人の、色彩様々な8つの眼が、空を仰ぐ。
空には、月。
燭炎に照らされたコロッセオを覆う漆黒のカーテンに、キラキラと煌めく白金の星。
風が速いのか。
上空では、朝霧の様な白雲が、忙しく月の周りで渦巻いている。
――その中心。
紅く輝く月をバックに踊る、一つの影。
小さな家屋程もある葉が、何の冗談なのか、まるで天駆けるグリフォンの如くそのシルエットを浮かべている。
月明かりの中に、ライトグリーンの髪を靡かせて。
新たなる闖入者は、葉の上から頭だけを出し、コロッセオで繰り広げられる異能の死闘を観賞していた。