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朝日真也の魔導科学入門  作者: Dr.Cut
第二章:雷神鉄鎚-3『瞬帝VS武装姫』
36/91

36. 誰もが一度は憧れる程に有名なとある氷属性特異術式についての魔術的説明とその応用及び対処法と武の国の王女が誇るとある魔法金属製の魔装が示唆する生活習慣に対する氷の国皇帝の分析

 踏み込みは地を抉る気迫と共に振り出された。

 推進の勢いは軸足を中心とした回転力に。

 全身のバネを用いて生み出された斬撃は、彼女の細身からは想像も付かない程の速度と重さを伴って標的へと落とされる。

 繰り出される剣舞は疾風の如く。

 受ければ厚手の鎧すらも二つに断ち得る一撃は、赤銅のマント一枚に包まれた敵の胴体など易々と断ち切るだろう。


 そう。

 受けさせさえすれば――。


「ちょこまかと」


 三度放たれた剣戟は、悪態と共に空を切った。

 大剣が敵の腹に叩き込まれようかというその刹那、またしても敵の姿は王女の視界から掻き消え、後には燭炎を反射した剣の銀閃と風の音だけが残る。

 次瞬、背に感じる強かな圧力。

 背後から放たれた冷気の弾丸が王女の抗魔術結界へと衝突し、纏う防御を微かに削っていく。


 境目が解れた結界を瞬時に補正し、王女は黄金の髪を振り乱しながら自らの足元へと手を這わせた。

 真っ二つに折られ、コロッセオに打ち捨てられた短剣を掴みあげ、一息の元に投げ矢へと加工して背後へと投合する。


 ――だが、その先にはやはり敵は居ない。

 当たるべき的を失った矢は、然るべき距離を飛んだ後に床板を転がるだけである。

 そんな当たり前の事実に意識を裂いている暇など有る筈も無く、王女は左手の大剣を両腕に持ち替えて背後へと振り出した。

 大剣は死角から迫っていた冷気の弾丸をその側面に受け、急激な温度変化に堪えられずに飴細工の如く変形する。

 王女は一息で大剣の歪曲を加工し直し、直感に従って敵の現れるであろう場所へと踏み込みを掛けた。

 王女の勘は正しかった。

 だが敵影は幻の如く、位置を看破されても尚、剣戟が届くに先んじて消失する。


「ほう、どうした?

 随分と息が上がっておるようだが……」


「大きなお世話です!!」


 軽口を塞ぐかの様に、王女は再度大剣を振り翳し、紺碧の瞳を神速で薙ぎ払った。

 だが、この敵は神速と比しても尚速いらしい。

 まるで霞か残像とでも戦っている様である。

 居ると認識し、剣を放った瞬間には、既にその位置には敵は居ないのだ。

 必殺の剣戟は始終、敵に掠る事すら叶わぬままに、風鳴りの呻きだけを上げ続ける。


「悲観する事は無いぞ?

 予の先天魔術(ギフト)の“銘”くらいは知っていよう。

 貴様の如き女猿が、この身に触れられると思うだけ烏滸(おこ)がましいのだ!!」


 軽口の方向に、打ち捨てられた兜から作成したチャクラムを投合する。

 声の前半は右方向から。

 後半は投合した後の背後から響いた物だった。

 投合された刃は右に2つ、背後に3つ。

 敵影は余裕の笑みを浮かべたままに、その氷河の様な髪を乱すこと無く王女の攻撃を躱し続ける。

 そして次瞬、王女の死角から迫る冷気の弾丸。

 狼霊級相当の寒波が5つ、霧を含みながら純白の衣装へと喰らい付く。

 大魔導たる王女の抗魔術結界はそれらを容易く阻んだが、しかし一撃被弾する度に確かに魔力の容量が削られ、霊道にはじわじわと負荷が掛っていく。


 ――想像以上に厄介だ。


 掠め取られた結界を瞬時に補正し直しながら、敵の持つ先天魔術(ギフト)の“銘”を知る王女は歯噛みした。



 “先天魔術(ギフト)”。

 この世に生まれ出るより前に精霊より賜った贈り物たるこの才能は、この世界の人間に詠唱や術式を構築する事無く紡げる高位の神秘を許可している。

 それは魔導を学ばずとも紡げる、最初にして最速の魔術である。

 人の扱う魔術の正しい形であり、同時に唯一無二の“才能”だ。


 だが。

 それが人間の特徴である以上、千差万別とは言えど完全に新しい物などそうは現れない。

 世界を探せば似た人間が三人は居る、とはよく言われるが、現在に限らず長い長い歴史を紐解けば、誰か一人くらいは自分と似た“才能”を持った人間が見つかるものである。

 そして突出した才能であればある程に、当時の人間達は後世の為にその情報を記録し、“銘”を付けてその能力や特徴を事細かに残そうとする。

 突出した“先天魔術(ギフト)”は、最早国宝級の神器にも等しい。

 だからこそ大魔導級の先天魔術であれば、まず間違いなく畏怖や名声と共に各国の“銘書”に記され、記録されているものなのである。

 上位の魔導師程自らの先天魔術を隠すという慣例も、この辺りに端を発している。

 当然だ。強力な先天魔術ほど詳しく、詳細に情報が残っている可能性が高いのだから、おいそれと見せて手の内を晒す様な真似をしたい筈が無い。

 先天魔術を主体に行使する王女自身とて、自らの“銘”を特定される形では、未だ自らの力を行使してはいない。


 しかし、あの敵はどうやら違う様だった。

 あの皇帝は自らの持つ銘を最強だと自負し、誰憚る事無く公言していた。

 銘を公言するなど、本来ならば大魔導にとっては正気の沙汰では無いのだが――。

 こうして戦ってみると、王女はその慢心にも頷けた。

 あの皇帝が持つ先天魔術は、確かに歴史上でも特に強力であり、同時に希少とされる代物だったのである。


 ――先天魔術ギフト虚界転位(スレイプニル)

 氷属性特異術式・転移魔術を湯水の如く行使する、歴史上最速の先天魔術である。


 転位とは、世界の異なる場所同士を繋ぐトンネルを生み出す魔法である。

 否、繋ぐ、などという丁寧な動詞は適さないだろう。

 事実は、寧ろ“食い破る”と表現した方が正しいかもしれない。

 氷の精霊は“奪う”事に特化した能力の持ち主だ。

 それは時として熱であり、活力であり、寿命であり、そして運動ですらもある。

 氷の精霊が空間そのものに力を強く働かせると、空間に存在する全ての存在は時間を奪われ、極致に至っては“距離”すらも奪われ得るのだ。

 あまりにも難易度が高く、また割に合わない大魔術である為、王女自身も詳しい知識を持ち合わせている訳では無かったが――。

 転位とは膨大な“氷の魔力”を氷の精霊に与え、異なる地点との距離を奪う事で、空間を食い破り“穴”を空ける魔術なのだと聞いている。


 “空間に穴を穿っての瞬間移動”。

 これだけを聞けば、到底戦闘向きの魔術では無い様にも思われるだろう。

 だが、その実質は脅威だ。

 事実王女は、既に3桁に届こうかという斬撃を浴びせ掛けながらも、未だに敵の長髪を散らす事にすら成功してはいない。

 敵は余裕の笑みを浮かべながらこちらの攻撃を躱し、まるでいたぶるかの様に死角から冷気弾を放ってくるだけだ。

 大魔導たる彼女だからこそ防げてはいるが、しかしその威力は並の魔導師の全力にも等しい。

 なるほど。帝位を奪った際、数百人の前皇帝親衛隊を皆殺しにしたという戦力も頷ける。


 事前に聞いた敵の情報を諳んじながら、王女は打開策を模索した。

 王女の記憶によると、虚界転位(スレイプニル)という先天魔術(ギフト)の弱点は、確か大魔導級にしては氷属性以外の適性が極端に弱い事だった筈である。

 全身が転位魔術の行使に特化している為に、それ以外の属性の魔術を使うには集積器官の容量が足りなくなっているのだ。

 過去の事例では――確か、良くて狼霊級を行使するのがやっとだった筈。

 つまり氷属性の波動にだけ注意を払っておけば、別属性の魔法は致命的なレベルでは飛んでこない、という事になる。

 尤も、こうもこちらの攻撃が当たらないのではどうしようも無いのだが――。

 瞬きの内に消え失せる敵影を睨みながら、王女の内心には焦りが募っていた。



「やめだ」



 何十合目かの剣戟が空振りに終わった瞬間。

 不意に、王女の背後からはそんな言葉が聞こえてきた。

 再度剣を構え直し、訝りながらも声の方へと視線を送った王女。

 先ほどまでよりも遥かに遠く。20メートル程の遠方に佇む皇帝は、素肌に薄らと汗を滲ませながら、心底不快そうに佇んでいた。



「やめだ。ああ、やめだ!! 暑苦しい!!

 まったく、なんなのだ? この国は。

 暑いし、汗臭いし、その上妙に重い(・・)ときたものだ。

 偶には良い余興だと思いもしたが……流石に飽きた。

 ああ。予はもう動かんぞ? あとは貴様独りで踊れ」


 メルクリウスは手団扇で豊満な胸元を扇ぎながら、辟易した様子で言った。

 ――重い。それは、この街(ヴィーンゴルヴ)の特性を考えれば当然だろう。

 銀の国の王都(シルヴェルサイト)がそうである様に、武の国とて、国の要たる王都には相応の環境を整えているのである。

 その整備された環境を鑑みれば、敵が動きに不自由を感じるのはある意味では当然とも言えるのだが――。


「……貴女は。

 私を、バカにしているのですか――?」


 しかしそれを差し引いても尚、敵のあまりにも身勝手な言い草には、流石のウェヌスも顔を引き攣らせた。

 底冷えする様な殺気と共に、大剣の柄が更に深く握り込まれる。


 ――あの敵は、何なのだろうか。

 細身な肩を怒気に震わせながら、王女は敵影を睨み付けた。


 自らの守護魔を(けしか)け、突然攻め込んできた。

 ここまでは、まだ許せる。どの道いつかは矛を交える相手だからだ。

 だが。この人を嘗め切ったかの様な、見下し切った態度は何なのか。

 仮にも一国の主が敵国に攻め込む時には、相応の礼儀という物があろうものを。

 そして。一度ソレが気になりだすと、ウェヌスには敵のあの格好そのものが、既に自分を馬鹿にする為だけに存在しているモノに思えてきた。

 ヒトの、些細なコンプレックスをピンポイントで抉り出すかの様な、神経を逆撫でする“その部分”を、まるで誇示するかの様に露出し、手で扇ぐ、“敵”!!


 アドレナリンが筋肉を臨戦態勢に於いたのを確認し、ウェヌスはその怜悧な視線を尚も細めた。

 あの敵がいかに速かろうと、油断しているのなら切り伏せる隙は幾らでもあろう。

 王女は両の脚に深いタメを作りながら、大剣を大きく下段に下げ、隙を伺いつつ“敵”を睨み付け――。



「逸るな。予は踊れと命じたのだ。

 反論は許さん」



 皇帝がマントの裏から取り出した一本の短剣を視認して、纏う空気を反転させた。



「――なるほど。漸く本気を出す気になりましたか」


 王女は大剣を正眼に持ち直し、足を肩幅に組み直しながら口元を緩めた。

 その雰囲気からは激高が引き、代わりに武者震いに似た高揚が感じられる。

 王女自身が構える(つるぎ)に比すれば、それこそ玩具にも等しい、手の平に収まる程度の短剣。

 外見に鍔の無い、そして女性の親指程の細さしか無い、恐らくは投合用の刃。

 だがそれを理解した上で尚、ウェヌスは敵の持ち出したその短剣を、確かな脅威として認識していた。

 このタイミングで、敵が取り出した武器。

 それはおそらく、敵の“魔装”に他ならないからである。


 魔装。それは魔術を補助する装備品の総称である。

 魔術を用いる者は自らの先天魔術を理解し、研鑽し、高める事によって、先天魔術の行使に最も相応しい相棒を探していく。

 魔術師が扱う武具とは、それ単体で考えていい物ではあり得ない。

 魔装とは、魔術師の先天魔術を反映する鏡なのである。

 敵がソレを選んだからには、それ即ち敵の先天魔術の長所を強化ないし弱点を補助する物、もしくは、その先天魔術無しでは扱えない様な特殊武具でしか有り得ない。

 そして先刻から披露されている、敵の先天魔術。

 それを鑑みるに、あのナイフの能力が脆弱であろう筈が無いだろう。


 ――あの魔装の効果はどんな物か。

 背筋に感じる冷たさと共に、武装姫は推察した。

 真紅の少女の弓矢の様に、遠方に高威力魔術を炸裂させる為の爆弾か。

 或いは、王女自身の魔装がそうである様に――。


「死んでくれるなよ?

 初撃で終わっては興ざめだ」


 王女自身の思考をよそに、皇帝は死神めいた笑みを浮かべながら、短剣を20メートルの彼方より投合した。

 問題は、無い。

 この距離から投げられる短剣など、王女にとっては静物にも等し――



「――――っ!?」



 その攻撃を躱せたのは、研ぎ澄まされた彼女の第六感故だったのか。

 突如首筋に感じた、死神の鎌の気配。

 それを認識した瞬間、王女は咄嗟に、自らの持つ大剣を背後に(・・・)振り抜いていた。

 高い、高い金属音が鳴り響き、正面から迫っていた筈の短剣を逸らした感触が掌を痺れさせる。



「ハッ!! 凌いだか!!

 良いぞ、そうでなくては詰まらん!!」



 敵の声に反応する時間は無かった。

 大剣を振り翳した瞬間、0秒の誤差で真上(・・)から感じた風の変化。

 視界の外から迫るその刺突を半身で躱し、次瞬には眼球の前に現れた短剣を屈んで避ける。

 雷霆の如く、屈みこんだ背に落ちる鋼の反射光。

 王女は地に転がりそれを躱しつつ、短刀の柄に刃を合わせて弾いた。

 勢いを奪われた短刀は空に跳ね、次瞬には虚空に空いた“穴”によって吸い込まれる。


 追撃が来る前に起き上がり、構えを正す王女。

 焦燥の色が濃いその視線の先では、弾き返した筈の短剣が再び皇帝の手に収まっていた。

 皇帝の顔に浮かぶは、余裕の笑み。

 王女の額に、冷や汗が滴る。



「――虚界転位(スレイプニル)

 便利なものですね。

 まさか、魔装にまで有効な先天魔術だとは思いませんでした」



 敵の手札を理解したウェヌスは、虚勢を張る様にそう呟き、理解した。

 あの刃自体は、それこそどこにでもあるナイフと変わらない程度の代物だろう。

 だが。確かに、あの敵にとって投げナイフ以上に適した魔装など有り得まい。

 否、そもそも強力な魔装を選ぶ必要性自体が無かったのだ。

 太刀筋も刃渡りも無視したままに、突如として至近距離に現れる刃。

 そして、投合の方向と出現の方向が出鱈目な自由度。

 これでは、常に死角を取られているのと同じだ。

 剣一本では、流石に王女の練度をもってしても対処するのは難しい。

 呼吸を整える王女に向けて、皇帝はどこまでも嗜虐に満ちた笑みを向けた。


「誰が休んで良いと言った?」


「――――ッ!!」


 再度放たれる転位の刺突。

 短剣は皇帝の手を離れた瞬間、0秒の誤差と共に王女の死角から、それも至近距離に現れる。

 脇腹を抉る様に飛来したその刃を、王女は直感だけで身体を捻って回避した。

 回避されると同時に行使される虚界転位。

 虚空に溶けた刃はその運動量を維持したままに、次瞬、王女の後頭部へと現れる。

 金糸の長髪を振り乱しながら、王女は頭を傾けてそれを避けた。

 羽根の様に舞い散る、一房の金髪。

 自らの頬を掠めて飛び去った刃が、金糸の装飾を纏って視界の端を横切る。

 その速度を見定めた彼女は、その鍛え上げられた勝負勘によって、転位する武器の構造を天啓の如く把握した。


 (速度は投げられた瞬間から変わっていない――。

 いや、転位する前から(・・・・・・・)変わっていない。

 ならば――!!)


 王女の大腿を切り裂くべく現れた白刃。

 脚とはいえど、大動脈を傷つけられては致命的だ。

 王女は足運びのみでその刃を躱しながら、風を受ける柳の様なしなやかさで、大剣を刃の正面へと合わせた。

 純白のスカートの裾を切り裂きながら、二つの刃が接触する。

 ――鈍い、小さな鋼の残響。

 王女の大剣は敵の短剣を、一切の反発無く軽やかに受け止めた。

 前進する速度を奪われた短剣は空中に停止し、転位の穴に到達出来ずにチェス盤模様の舞台へと落下する。



 ――“エネルギー保存の法則”、という物がある。

 それは“閉鎖系内でのエネルギー量の総和は不変である”、という、最も根源的な物理法則の一つであると言われている。

 さて。これを投合されたナイフに適応するとどうなるだろうか?

 先の法則に則るのであれば、例えナイフが転位しようとも、ソレが持つ力学的エネルギーは投合された時点での速度と高さのみに依存する、という意味になるだろう。

 そう。つまりこの法則は、一度投合者の手を離れたナイフは、再度投げ直されるまではその速度を回復出来ないという事を示しているのである。剣との“緩やかな”接触によって失われた速度は、再び敵がソレを投げるまでは回復する事は無いのだ。

 無論。王女はそんな理屈など全く(・・)知らなかったが――。

 彼女が戦士として鍛え上げた直感は、ここに来て確かに正確な答えを弾き出していた。

 先の法則など、全然、全く、露ほども知らなかったのにも関わらず、である。

 ――結果が同じならば過程は無関係だ。


 王女は弾き落としたナイフへと手を触れ、彼女自身の先天魔術を行使する事で刃を殺そうと動いた。

 重心を落としてナイフを掴み上げながら、魔装による攻撃を破られて蒼白な表情を浮かべているであろう敵へと視線を送る。

 その時――。

 彼女は、信じられない光景を見た。



「ほう。そんなに予のダガーが気に入ったか。

 確かに同程度の銀に匹敵する程の値打ち物だが――。

 欲しければくれてやろう。

 好きなだけ(・・・・・)な」



 嗜虐に満ちた笑みを浮かべながら、青髪の皇帝が嘯く。

 皇帝の右手には、既に4本のダガーが収まっていた。

 握られた拳の、指の隙間から生える様に立ち並ぶ、鈍く光る4条の刃。

 左手にも同様の物が見える。

 計8本の短剣。

 その時になって、王女は漸く、自らの浅慮に気が付いた。

 驚愕に息を呑む王女の声を代弁するかの様に、生暖かい夜風が敵のマントを揺らした。

 マントの内側には、無数の刃がズラリと並び、投合される瞬間を待ち詫びている。


「さあて、第二幕だ。

 精々滑稽に舞うがいい!!」


 狙いも付けず、否、狙いを付ける必要すらも無く空中に放られる8本のダガー。

 白刃は夜気に溶けるかの様に消失したかと思うと、次瞬には五月雨の如く王女の全身へと襲い掛った。

 それも、方向には一切の規則性が見られない。

 上下左右、そして前後。全く予想外の位置から、それも至近距離に現れ、王女の身体を切り裂かんと迫る。

 咄嗟に大剣を2本の短刀に加工し直し、振り翳す事で刃を躱す王女。

 だが、何分手数と距離が違い過ぎる。

 完全に防ぎ切るには至らず、白刃は容赦無く、王女の纏う純白の装束を切り裂いていった。

 腹部の布地が浅く破られ、血が滴る。

 彫像の様に白く、綺麗な王女の頬に、一筋の赤い線が走った。

 切れ目の入っていたスカートが深く抉られ、燭炎の中に細身な生脚が白く覗く。

 ――だが、未だ窮地と言うには温い。

 何故なら、敵は明らかに遊んでいるからだ。

 敵が本気ならば、あのマントの内に覗く無数の短剣を次々に追加して早々と勝負を決めに来ているだろう。

 あの敵に、明らかに手加減されている。

 その事実に、王女の思考は怒りを通り越して冷え切った。



 “剣では、防ぎ切れない。ならば――”。



 王女は両の腕に強く魔力を流し込み、求める形状を無意識下にて作り上げた。

 砂金を思わせる黄金色の燐光が夜のコロッセオの中に踊り、双剣が瞬きの内に繊維状に解れて王女を包む様に展開される。

 光り輝くエフェクトと共に王女を囲んだ、白銀の装飾帯。

 見た目に細く、柔らかいそれは、事実双剣に使用された鋼にて作られた檻である。

 王女の周囲を飛び回る白刃は煌びやかな銀の檻へと囚われ、次々とその運動エネルギーを奪われて停止した。

 自身を覆う様にして生まれたその鳥籠と一体化したダガーへと魔力を流し、王女は剣の一部に帰す事で無効化する。

 流石に繊維状に伸ばした鋼を剣に加工し直すのは物理的に無理があったらしく、造形し直した大剣は、根元から砕けて床板に飛び散ったが……。



「……随分と嘗めた真似をしてくれるのだな」



 ――不快そうな声が聞こえた。

 王女が魔術で血止めをしながら正面を見据えると、皇帝は苦々しげな表情でこちらを見ている。

 その身を切り裂かれた王女は、しかし気丈に敵を睨み返していた。



「それはこちらのセリフです。

 随分と私を侮辱してくれましたね。

 どうやら貴女は、一々私の誇りを傷つけねば気が済まない性分の様です」


「ハッ、手加減だと?

 手の抜き具合で言えば、貴様には負けよう!!」



 皇帝の揶揄に、王女の気配が温度を下げた。

 それは果たして否定か、或いは肯定だったのか。

 メルクリウスは新たな短剣を、熱帯夜の涼風に靡くマントの内から抜き出しながら、王女の纏う気配を高らかに笑い飛ばした。



「この予を相手に、“魔装”すら使わぬとはなぁ。

 これはまた随分と嘗められたモノだ。

 その上、予には本気を出せ、か。

 フハハ!! 数年来、予をここまで愚弄した娘は貴様だけだ!!

 ここまで嘗められては、最早怒りを通り越して愛しみを覚える程だぞ!!」



 メルクリウスは飄々とした態を僅かに緩め、冷えた眼差しでウェヌスを射抜いた。

 ――紛れは許さない。

 静かに、しかし確かにそう命ずる氷の蒼眼。

 敵の意思を悟った王女の思考が、緩やかに熱を帯びていく。

 “あの敵は、自らの本気を求めている”。

 それを確信した瞬間、王女は、自身の神経が高ぶっていくのを確かに感じた。



「後悔しますよ――?」



 王女は、微笑った。



「私が魔装を解放した時点で、貴女の勝ちは無くなるのですから」



 だからこそ――。

 彼女は、心底嬉しげに微笑った。



 短く、解呪の呪文が詠われる。

 銀細工を鳴らす様な響きと共に、黄金色の光の粒子に覆われる王女。

 純白のドレスが眩く発光し、白いベールが王女の総身を包み込む。

 星空の天蓋を抱いたコロッセオの中に(たお)やかに靡く、彼女を象徴する金糸の髪。

 神秘的な燐光の中に踊るその芸術と相俟って、彼女の姿は(さなが)ら生まれ出でたばかりの女神の様であった。


「……フン。猿の割には随分と派手な演出だな。

 だが――。

 まさか、終わるまで待つ、などと楽観してはおらぬだろうなぁ」


 しかし。如何にそれが神々しかろうと、彼女は敵の衣装になど興味を示さない。

 優劣を示すに当たり、後の記録に不明瞭を残す事はこの皇帝の望むところでは無いが、しかしそれは、別段無駄な時間を浪費してまで待つ程の事でも無いからだ。

 ――躱すのなら良し。躱せぬのなら、所詮そこまで。

 皇帝はダガーを一本構えると、様子を確かめる様に黄金に包まれた敵の背へと投合した。



 金属音が、高く響いた。

 敵の背に命中したダガーは、まるで巨大な防壁にでも突き当たったかの様な圧倒的な反響だけを残し、虚ろなままにチェス盤模様の床へと落下する。

 ただ阻まれただけでは無い。

 刃の先端が欠けているのが不自然だった。


「ぬ――――?」


 一度、眉を顰めたメルクリウス。

 それは恐らく、彼女がこの国に来て初めて見せた驚きの表情だっただろう。

 マントから4本のダガーを取りだし、更に投合する。

 心臓、頸動脈、大腿静脈、脊髄。

 どこ一つを取っても致命となる位置に、白刃は20の距離を0として現れる。

 その全てが完全に阻まれ、虚しく地に落ちたその瞬間にこそ、皇帝の顔は真に色を失った。

 夏夜に溶けたその金属音こそが、武装姫の魔装が完成した事を示す鐘楼だったからだ。

 収まった光の粒子の下から現れた、神々しいまでに白い、白い鋼。

 彼女の身を覆う白磁の武具を見た瞬間、色を失った皇帝の顔は驚愕へと変わった。



 それは、鎧という名の要塞だった。



 白磁の鋼が、虹色に輝く光のベールに包まれている。

 無彩色にも関わらず、位置によって色が変わって見えるその偏光は、世界最強の魔法金属・オリハルコン特有の性質である。

 ――“オリハルコン”。

 最強の魔法金属の二つ名が示す通りに、この金属を超える強度を持つ材質は、今のところこの世界には存在していない。

 書物によると、その強度は文字通りの意味で他を圧倒しており、金剛石で研磨しようとも傷一つ付かない代物であると記されている。

 つまり、一言で言えば“使えない”金属だ。

 不死鳥の羽ペンによる自由加工すら受け付けず、龍種の牙でさえも傷一つ付ける事が叶わぬその強固な鋼は、あまりの強度故に加工する術が存在せず、今日まで無用の長物としての扱いを受けてきた。

 強いて言うのならば、その希少性故に金に次ぐ金銭的価値を誇る程度の代物だった筈なのである。


 ――だが。

 ならばこれは、果たして夢か幻か。


 皇帝の目の前に佇む王女は、それを総身に纏っていた。

 王女はその無用の長物を見事なまでに加工し、文字通り戦女神(ワルキューレ)を彷彿とさせる程に神々しい鎧へと仕立てあげてしまっていたのである。

 武器作成という、敵の正体不明の先天魔術は、最強の魔法金属すらもその支配下に置くと言うのだろうか。

 純白の鎧を8層に渡って取り巻く抗魔術結界。

 薄く、しかし洗練され切ったその密度の前では、帝霊級魔術の一撃であろうとも幻の如く霧散するに違いない。

 あの鎧は、既に個人が破壊し得るなどという次元に存在する物では無い。

 事実、これならば銀の国の防壁を粉微塵にする方がまだ簡単だと言えるだろう。

 武装姫が纏うその鎧は、正にそういった類の存在であった。



 ――オリハルコンのホワイトメイル。

 この世界で彼女にしか纏えぬ、世界最強の総鎧。

 それが武の国の第一王女、ウェヌサリア・クリスティーの魔装であった。



「なるほど、大した先天魔術ですね。

 貴女に勝てる程の使い手は、この世界でもそうは居ないでしょう。

 ……私を除けば、ですが」



 要塞と同等の防壁を身に纏った王女は、対極的なまでに軽装の皇帝を見据えながら不敵に微笑んだ。

 魔装を解放し、朗々と告げる彼女の気配は、コロッセオ全てを飲み込む程に壮絶だった。



「背後でも、急所でも、好きな所に打ち込んで頂いて結構です。

 私はその全てを受け切り、正面から貴女を打倒しましょう」



 腰元に備えられた白磁の大剣。

 鎧と同じオリハルコンにて編まれたそれを正眼に抜き放ちながら、武装姫は静かに、敵の打倒を宣言した。



 驚愕したのはメルクリウスである。

 彼女は、確かに敵に魔装を解放しろと言った。

 自らの最強を疑わぬ王者たる彼女は、後の歴史家が記すであろう記述に対する紛れを何よりも嫌うからだ。

 全力を振り絞った敵を悠々と打倒してこそ自らの有能が証明される物なのだと、皇帝という“記される”立場にある彼女はそう考えていたのである。

 そういった意味で言えば、敵が彼の魔法金属を纏える程の強者であった事は彼女の有能を示す又と無い秤であり、悦びこそすれ驚愕する事など何も無い。


 だがそれでも、敵の隠していた手札は彼女の常識の範疇を遥かに凌駕し過ぎていた。

 メルクリウスが予想した魔装とは、精々敵が今構えているオリハルコンの剣か、或いはそれに追従する程度の一振りの武具であると考えていたのだ。

 ――それが、まさかの総鎧(・・)

 如何に魔術という神秘の理が存在し、物体の重量を軽減する魔術が当たり前の様に罷り通るこの世界であろうとも、物体の“質量”その物を変える方法は未だ存在してはいない。

 あの敵は、恐らくは件の先天魔術でもってあの鎧の形状と体積を変え、ドレスの下にでも仕込んでいたのだろうが――。

 だからこそ、その事実がこの唯我独尊たる皇帝から驚愕の色を引き出した。


 如何に皇帝とはいえ、希少なオリハルコンの正確な重さなど知らない。

 しかし恐らくは、あの剣一本を取ってもその重量は5kgを下らないだろうと予想する事は出来た。

 ならば鎧一式を含めれば、その総重量は10~20kg。

 通常ならば、これだけで既に女が身に付けて動ける限界などとうに超えている。

 だが。ならばコレは、一体どういう事だろうか。

 この場で当たり前の様にアレを出したという事は、つまりあの敵は、常時20kg近いウェイトをその腹にぶら下げて生活していたとでも言うのだろうか?

 否。それだけでは無い。

 メルクリウスは、あの敵が今日武闘大会で1時間に渡って剣を振るったという事実を知っていた。

 あの、相当な手練れと称して間違い無い大男を打ち破ったとも。

 そして先刻、皇帝自身のダガーの雨を防ぎ、剣を振るい続けたあの動き。

 アレが、本当に20kgもの重りをぶら下げた人間のモノか?

 そんな、冷静に考えれば足枷にしかならない代物を背負って、おそらくはソレ故に、先は自らの放るダガーにすら切り裂かれたというその在り方。

 そして、ソレが示唆する驚愕の事実。

 つまり、あの女は――。



「……武装姫よ。

 お前バカだろ」


「貴女にだけは言われたくありません!!」



 虹色のベールを纏いながら踏込みを掛ける武装姫。

 総鎧を担ぎながら日常生活を送っているバカに、物凄くバカなモノを見る様な視線を投げつつ、皇帝はバカみたいに呆れた顔でその両手にダガーを構えた。

 絶対防御の要塞を纏う武装姫と、空間を転位する最速の瞬帝が再度鋼の音を夜空に響かせる。

 ――先天魔術と魔装。

 自らの手札を開示しあった二人の大魔導の戦闘は、速さを増した夏風の中で第二幕へと傾れ込んだ。

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