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朝日真也の魔導科学入門  作者: Dr.Cut
第二章:雷神鉄鎚-3『瞬帝VS武装姫』
35/91

35. 異世界に於ける二つの大国で最も高貴な位に位置するとある姫及び皇帝の対談とその従者及び愛玩動物達による客観的な見解

 ――死んでいた。


 武の国王都・ヴィーンゴルヴの中央闘技場。

 白塗りの王塔の前庭に位置するその武の広場は、王都内に無数に存在する数多のそれと比しても尚別格な程の歴史と格式、そして荘厳さを誇っている。

 古代ローマのコロッセオを彷彿とさせる白磁のアーチ。

 飾り気の無い美しさを誇る王宮を讃えるかの様に造形された隔壁には装飾が無く、代わりにこの闘技場にて剣を振るった全ての猛者達の名がビッシリと彫り込まれている。

 傍目には無骨にさえ映りかねないその外観は、しかしエニュール文字にて刻まれた名そのものが巨大なレリーフを見ているかの様な優美さを人々に感じさせ、矛盾を正常の物として感じさせる事で民衆の心を打つ。


 嘗て“英雄”と呼ばれた猛将の像に守られた正門を抜け、過去の強者達の肖像画が並ぶ廊下に沿って歩んだ先に見えるのが、すり鉢状に設けられた観客席と、その中心に位置する“舞台”であった。

 月に数度行われる“イベント”の度に剣戟の音が響き渡り、高き音色に共鳴した人々で観客席を満員にするであろう、世界に名高きその円庭。

 だがそれも、夜の帳が訪れた今となっては静かな物である。

 まるで全てが息絶えた様な静寂の中、吹き抜けの天蓋から差し込む月明かりだけが、役者の消えた舞台を寂しげに観賞している。


 その舞台の中心に、“ソレ”はあった。


 全身を青い甲冑で包んだ“ソレ”は、大の字に身体を投げ出しながら、ピクリとも動かずに、色の消えた瞳で夜空を見詰めている。

 筋骨隆々な体躯に、包容感溢れる精悍な顔立ちが印象的なソレは、武の国の守護魔・ネプトであった。

 異世界人として人並外れた身体能力という“性質”を振り翳す猛者たる彼ではあるが、しかしそれでも人としての外見を備えている以上、“ソレ”という代名詞を用いるのは倫理上適切では無いかもしれない。


 ――否、である。

 その実、今の彼の姿を“ヒト”と形容するのには、些か無理があるだろう。

 何故ならば我々が“ヒト”と呼ぶのに必要とする要素は、ただ人型である事のみならず、生命体が醸し出す生気や息遣い、そして、それを確かめさせる為の動作だからである。

 先ほどから男は、ピクリとも動いてはいない。

 僅かに身を捩る様な、或いは痙攣する様な動きが見えなくも無いが、しかしそれを彼自身の自発的な運動であると識別するのは難しいだろう。

 それらはあくまでも、園庭の四方から照らす燭台の炎による“揺らぎ”の範疇を出る物では無いからである。

 客観的な分析をするのであれば、土気色の顔で総身を滝の様な汗に塗れ、青髪に土埃りを纏いながらピクリとも動かぬ彼の姿は、誰がどう見ても死体であった。



「ウ゛…ェ……ヌ゛ス……?」



 恐ろしい事が起きた。

 なんと、死体が苦しげに呻いたのだ。

 いや、正確には呻いたと判断して良いのかは分からない。

 あまりにも低く、小さく、苦しげに掠れたその音は、人によっては良くて風鳴りの音か、悪くすれば怨霊の怨嗟としか受け取るまい。

 充血し、生気を失った群青の瞳が緩慢に流れたのを確かめる事で、初めて人はソレがこの死体の発した声であると理解する事が出来るのである。

 ……無論。並の神経の持ち主であれば、おそらくは断末魔の悲鳴と共に。


 だが。しかし、である。

 どうやら声を向けられたその人物は、並の神経を持ち合わせてなどいなかったらしい。

 死体が視線を流した先に佇んでいるのは、あまりにも美し過ぎる天女であった。

 天人の翼を思わせる純白の衣装に身を包んだその女性は、まるで死者の魂を救いに舞い降りた天使(ワルキューレ)の様に、あくまでも澄ました顔で夜空を見上げている。

 彼女を象徴する金糸の髪は、月明かりの中で星屑を散りばめたかの様にキラキラと輝いていた。

 この神々しいまでの姿をその視界に納めれば、例えどんな名画家であろうとも自らの稚拙な技量を呪って臍を噛むに違いない。

 額には、過激な運動により微かな汗が浮かんでいる。

 しかしその無色の滴までもが、彼女程の美貌をすれば、その造形を装飾する宝石としての役割を果たしていた。

 美貌の天女、ウェヌサリア・クリスティーは、金剛石の様な汗を大きめのタオルでふき取りながら、幻想的な容姿の中に健康的な色気が混在した佇まいで、ただ白金(プラチナ)の星々に目をやっている。



「な゛……に゛か……、言゛い…わ…け゛……は……?」



 死体は、更に呻いた。

 (さなが)ら死者が最期の力を振り絞ったダイイング・メッセージの様に、消える直前の蝋燭の如く、青髪の死体は心底苦しげに呻いていた。

 そんな彼を憐れむかの様に、女神はその視線を夜空から流す。

 真夏の夜気を吸い込んだかの様に澄んだ、翠の瞳が、死体となった男とその周囲の光景を映し出した。



 ――そこは、戦場跡だった。

 闘技場だから、という意味では無い。

 死体となった男の周囲には、無数の残骸が散乱している。

 折れた剣。砕けた鎧。割れた兜。

 男の着込んだ鎧には目立った損傷が見られないが、まるでその代償となるかの様に、舞台となっているチェス盤模様の床は抉られ、砕かれ、凹み、爆散されている。

 燭台の炎では細かな染みまでは確認出来ないが、舞台には真新しい血痕が無数に飛び散っている様に見えた。

 その汗と血痕に塗れた凄惨な光景の中、例え息が有るとしても“死体”が転がっているのであれば、我々はそこを戦場跡と認識しても問題はないだろう。


 女神は只、澄んだ微笑を浮かべながら、死体となった男を見据えている。

 たった一人と一体しか居なくなった戦場跡。

 死体はその女神の微笑に寒気とデジャヴを感じながら、まるで走馬灯を見るかの様に、記憶を事の発端へと巻き戻した。



―――――



「武闘大会に出てみませんか?」


 “銀の国”での一件から一週間が経とうとしていたある日の夕方。

 その日の鍛錬を終えた男を自室に呼び付けた王女は、手短に挨拶(・・)を済ませてから開口一番にそう切り出した。

 微かに刃こぼれした短刀を鞘に収めながら、当たり前の様に疑問符を飛ばした男。

 王女は身の丈程もある戦斧を優雅に壁際の武器棚へと戻すと、コホンと咳払いをしてから補足した。


「既に存じているとは思われますが――。

 明後日は年に2回行われる、“選定の剣技会”の日なのです」


 男は、粉砕された床板を足で慣らしながら相槌を打った。


 武術王国の名を冠する武の国(ウォルヘイム)では、武闘大会は国民の人気を集める一大興業としての認知を受けている。

 王都内に散在する闘技場は、面積だけで言えば王都自体の約半分を占め、休日には恋人や家族連れ、友人同士など、老若男女が猛者達の力と技を拝もうと押しかける程である。

 この国に於いて武闘大会というのは、そこまでポピュラーな娯楽の一つとして定着していた。


 そして王女によると、そういった毎週の様に町中で行われている小さな武闘大会の他に、国中の人々が熱狂する取り分け大きな大会が年に2回行われているのだと言う。

 ――それが、“選定の剣技会”。

 国民的人気を博しているこの大武闘大会は、参加する強者達とそれを一目見ようと熱狂した民衆で、正味一週間に渡って王都(ヴィーンゴルヴ)を埋め尽くすのである。

 出場するのは名の有る名将ばかりという事もあり、国家最大規模のこの大会を勝ち抜いた者は真の猛者として認知され、強さが全てとされるこの国に於いては相応の地位を確立出来るという事だった。


 王女曰く――、


「貴方がこの国に来てから2週間程が経ちましたが――。

 そろそろ、貴方も実力を知らしめなくてはならない時期だと思うのです」


 と、いう事らしい。


 今の男の立場は、彼女の従者である。

 ならば良く考えずとも、素性の知れぬ異国民が第一王女の従者となっているという事実は民意として色々と問題があるのだろう。

 いくら男が鍛錬や王女との“挨拶”によってそれなりの技量を示しているとはいえ、実際の戦績が皆無なのでは、色々と立ち回りに問題が起きるのは道理であると言えた。

 ……まあ。強ければそれも万事解決、というこの国の住民の思考回路には、男は頭痛を覚えずにはいられなかったワケだが。


「そりゃぁ別にいいけどよ。

 あれって、確か予選があるんじゃ無かったか?」


 “挨拶”で砕け散った燭台を廃品箱に放り込みながら、男は確かめる様にしてそう問うた。


 彼も、あくまでも噂の範疇で“選定の剣技会”の内容を知っていた。

 毎週の様に行われている小大会に於いては、試合は参加者の実力に応じてかなり細かにランク分けされており、とうに現役を引退した老人から剣の握り方を覚えたばかりの子供まで、それこそ誰もが楽しめる(・・・・)様に配慮されているのだという。


 だが、国民的イベントである“選定の剣技会”だけは別なのだ。

 男が小耳に挟んだ話では、国最強の戦士を決めるその大会にはランク分けなんていう悠長な物は一切存在せず、言わば“真の無差別級”とでも形容すべき内容らしい。

 “参加資格:腕に覚えのある者。以上”

 ――比喩でも何でも無い。募集要項には、本当にこう書かれているらしいのである。

 あまりにも希望者が集まりすぎる為に参加者の絞り込みが効かず、仕方ないので、月に一回行われる予選大会の決勝トーナメントに出場する事が本選出場の条件となっている、という話であった。

 最後の予選が行われたのが一週間ほど前。

 丁度王女と共に銀の国に殴り込みを掛けていた頃のお話であり、当然ながら男は参加などしていない。


 男の疑問に対して、王女はあくまでも凛とした態度で返答した。


「問題ありません。

 ちゃんと“飛び入り参加枠”という物が存在します」


「…………」


 ――それ、ちゃんと(・・・・)してるのか?

 何やら酷い頭痛を覚えた気がして、男は破片を集める手を止めた。

 王女は当たり前の様に“はい”と答えて説明を始める。



 ――今から数百年ほど前の出来事である。

 選定の剣技会の本選が行われている最中に会場に飛び込んだ二人の若者が、並み居る猛者達へと次々に挑みかかり、その全てを瞬く間に叩きのめした事件があったのだという。

 当時は誰が誰を倒したのか分からない程の乱戦になってしまった為に無効試合扱いにはなったらしいが、それ以来、真の強者ならば予選大会に出席していなくとも本選の枠に組み込むべきではないか、という世論が武の国全体に巻き起こったらしいのだ。

 その結果生まれたのが、その“飛び入り参加枠”。

 大会の前日(・・)に希望者を集めて戦い合わせ、勝ち残った一名をその足で本大会に出場させるという、なんとも常識破りな枠なのであった。


 ……飛び込んだ二人の若者の正体が、当時の武の国第一王子とその守護魔であったという事実は秘密である。


「……なるほどな。

 つまり俺にその枠で本選に出ろって事か。

 ま、命令なら聞くけどよ。

 そんで? どれくらい勝てばいいんだ?

 第一中隊のおやっさんが3回戦に進んだのを自慢してたから、俺もそんくらいか?」


「まさか。私がそんな出鱈目を言うとでも?」


 ――選定の剣技会。

 国中の猛者が一堂に会する、武の国最大の大武闘大会。

 その熾烈さを良く知る第一王女様は、見た者全てが忠誠を誓わずにはいられない程の、澄み切った微笑を浮かべながら、男を労わる様にしてこう答えた。


「貴方は私の従者ですからね。

 無論、敗北など考えられません」

「…………」


 ある意味予想通りの返答に、男は肩を竦めながら頷いた。



―――――



 “飛び入り参加枠選考会”は、翌日の早朝から行われた。

 ウェヌスの指示通り、遅れずに“第37闘技場”の前に訪れたネプト。

 彼は到着するなり、暫しその場で呆気に取られて立ち尽くす羽目になった。


 会場に行くまでの通りが、既に大勢の民衆でごった返していたからである。


 カップル、家族連れ、酒場のバーテンにパン屋のおじさん。

 十代前半くらいの少年たちの集団が、和気藹々とした雑談を交わしながら石造りの正門へと吸い込まれていく。

 旅服に大荷物を抱えている集団もちらほら並んでいるところを見ると、かなり遠方から来ている観客も多い様だった。

 こんな予選の敗者復活戦みたいな試合にすらこんなに人が集まるのだから、国民のこのイベントに対する熱の入り様が良く分かる、などと客観的な解釈を示しつつ、男は会場内へと足を運んだ。



 ……その観客達が全て“参加者”だったという事実を知った男が卒倒したのは、それから約10分後の出来事であった。



 そう。男は未だ、このイベントに対する国民達の熱の入れ方(・・・)を嘗めていたのである。

 先も述べた様に、この“選定の剣技会”には一切の出場資格が問われない上に、本選に出場すれば国中に名を轟かせる猛者達と剣を交える機会を得られるのだ。

 銀の国の研究者に“三大欲求よりも戦闘意欲が強い生き物”とまで分析されている武の国の国民達がこんな都合の良いお祭りを見逃す筈も無く、この飛び入り参加枠を勝ち取ろうと、選考会には実に国民の過半数(・・・)もの人数が参加していたのである。

 どうやら男の居る“第37闘技場”のみならず、現在は王都内の全闘技場が似たような状況になっているという話であり、選考会は最早何の集まりなのか分からない様な惨状を呈していた。

 そしてこの暴動もかくやという大混雑の中から、本選に出場できる人間はたった一人(・・)

 ……男は、改めてこの国の人間達の頭のおかしさを実感する事になった。


 当然ながら、一々参加者を個人識別している余裕など誰にも無い。

 1回戦の内容は、大体100人くらいの参加者を舞台の上に上がらせて無差別戦闘。

 10分後に立っていた者が2回戦進出という極めて大雑把なモノであった。

 だが、まあ。寧ろ、この大雑把さこそが武の国の流儀であるとも言えるだろう。

 目につく殆どの参加者が町人とか一般人にしか見えないという奇妙な武闘大会ではあったが、しかし主人に勝てと命令された以上、手を抜くなどという常識を男は持ち合わせてはいない。

 主の命を尊守するという行司は、嘗て誓った鉄の掟として、世界を渡った今でも変わらずに男の中に在り続ける信念だからである。

 男は女子供を一人一人丁寧に舞台の外に下ろして“場外負け”にしてから、中央で乱闘しているムキムキの町人(一般人のガタイじゃない)に寧ろ積極的に挑みかかり、10分で綺麗に100人を仕留めて2回戦進出を決めた。


 ……結論から言うと、コレが不味かった。

 1回戦で図らずも圧倒的な実力を誇示する事になった男は、2回戦以降同組のメンバーのほぼ全員から徹底マークされる羽目になったのである。

 無論、ここは彼の武術王国・武の国(ウォルヘイム)である。

 マークの理由は詰まらぬ打算などでは勿論無く、寧ろ“猛者と戦うチャンス”なんていう真逆な意思による物であったのだが、そんな些細な違いは男に齎される結果を何一つ変えない。

 彼は、試合開始の合図と共に100人を超える2回戦メンバーから袋叩きを受ける羽目になった。


 だが、彼は強かった。

 1回戦の乱闘を勝ち抜いただけあって全体的にレベルが上がっており、しかもその全員から総攻撃を受けるという凄まじい状況にも関わらず、男は再びその全てをきっかり10分で場外へと叩き落としたのである。

 元々、元の世界でも戦士として名を馳せていた上に、今では“身体能力補正”まで得ている彼である。

 民衆など、それこそ1000人で掛って来ようとも全く敵では無かった。

 ……無論、いくら彼でも200人と戦えば相応の疲労は感じるが。


 後はその繰り返しであった。

 毎回毎回総攻撃を仕掛けてくる100人を超える同組メンバー達に、息つく暇すら無い連続戦闘。女子供でも強いヤツは強く、4回戦くらいまでは5キロはあろうかという鉄球|(反則)を振り回す母ちゃんとか、死角を上手く突いてくるナイフ使いの少年|(木刀以外は禁止)などが散見されたのではあったが、6回戦を過ぎた辺りからはほぼ大男ばかりのむさ苦しい戦いになった。

 おそらく、常人では体力が持たないのだろう。

 3回ほど会場を移動した頃から場外で陸揚げされた金魚みたいになっている参加者が目につく様になったので、その解釈は間違っていないのだと男は信じている。

 また、男が覚えている回戦数はそこまでである。

 その後はもう、数えるだけ無駄だと知って諦めた。


 予選は夜を徹して(・・・・・)行われた。

 比喩でもなんでも無く、国民の過半数が参加しているこのバカ祭りからたった一人の予選通過者を選ぶ為には、文字通りの意味で夜通し戦い続けなくてはならなかったのである。

 流石に日付が変わる頃になるとガタイの良いマッチョ軍団でも限界が来たらしく、発狂したり幻覚症状を起したりしてバタバタ倒れていく者が後を絶たなくなった。

 衛兵の淡々とした処理を見た限り、この事態は珍しくないどころか寧ろこの選考会の風物詩になっているらしい。


 倒しても倒しても、次の相手がどこからともなく涌いてくるという無限トーナメント。

 しかも、戦う毎に相手のレベルと発狂指数がうなぎ上りに上昇していくというデスマッチ。

 流石の男にも体力の限界が迫る中、武の国十傑に名を連ねる“サイクロプス”の異名を持つ隻眼の名武闘家|(何でこんな所にいるんだ)をどうにかこうにか叩き伏せたのは、本選開会式の30分前の出来事であった。

 直後、“開会式に整列出来なかった選手は問答無用で失格”という話を告げられた男は、人込みでごった返す大通りをフラフラになりながらも全力疾走し、宣誓の5分前になんとか中央闘技場へと辿り着いたのである。

 王族用の展望席に座るウェヌサリア王女が、会場入りした男に零れんばかりの笑顔を向けて来たのが印象的だった。



 本選は地獄だった。

 選考会と違って一応は一対一のトーナメント形式になってはいたものの、予選を勝ち抜いて来た猛者達と言われるだけあって、どの参加者一人を取っても飛び入り参加枠のそれとは練度が段違いだったのだ。

 怪しげな暗殺剣を使うマスクの男に、殴っても殴っても手応えの無い妖術師。

 流石に全員模造刀を使うというルールは尊守してはいたものの、先天魔術(ギフト)の使用が禁止されていない事もあり、男は段々自分がナニと戦っているのかすらも分からなくなってきた。

 それでも彼が本来の実力さえ出せていれば、それこそ初撃で勝負を決められる程度の相手ばかりではあったのだが……。徹夜の激戦を抜けたばかりの彼には、一戦一戦が凄まじいまでの疲労としてその背に伸し掛かったのだ。


 それでも、やっぱり彼は強かった。

 この“飛び入り参加枠”から本選に出られた選手は過去5人しかおらず、しかもその全員が試合開始と共に瞬殺されるという事態が半ば伝統として定着している程だったのではあるが、そんな常識をねじ伏せて余りある程に、やはりこの青い男は強かったのである。

 どうせ直ぐに力尽きて倒れるだろう、と、どこか諦観染みた視線を送っていた民衆たちの反応は、彼が2回戦の相手である“第一中隊隊長”を仕留めた時点で驚嘆に変わり、3回戦で身長3メートルを超える大男を場外に吹き飛ばした時点で歓声に変わった。

しかもここに至るまで、男はその鎧に一切の損傷を負ってはいない。

 予選大会に出ておらず、それどころか国民が名前すら知らなかった青髪の男が並み居る戦士たちを叩き伏せる度に、会場には驚愕の声と割れんばかりの大歓声が巻き起こる。

 特に彼が“飛び入り参加枠”として、国民の過半数をねじ伏せて上がって来たのだというその事実に、人々は嘗てその枠を生み出した幻の強者の影を重ねて息を呑んだのだった。

 王女ウェヌサリアだけが、ただ落ち着き払った面持ちで、満足げに眼下で繰り広げられる“伝説”を見守っていた。



 決勝が終わったのは、太陽が既に地平線の彼方へと沈んだ後だった。

 相手は、嘗て“最強の剣士”と呼ばれた男と戦って唯一生き残ったと言われる正統派の騎士。

 一切の無駄無く、流麗に攻め立てるその騎士の猛攻をいなし、弾き、極度の疲労で霞む視界を心眼で補いながら剣戟を交わすこと、実に一刻。

 男は灯された燭台に敵が気を取られたその一瞬を見逃さず、全力の剣戟を騎士の腹へと叩き込んだ。


 そして、確かな手応え。


 模造の木刀とはいえ、彼の力で叩き込まれた一撃である。

 剣戟は騎士の鎧を砕き、跳ねあげ、一刀の下に場外までその体を撥ね飛ばした。

 ――瞬間、巻き起こった大歓声。

 観客は総立ちになり、最後まで舞台に立ち続けた“英雄”の誕生に割れんばかりの拍手が送られた。

 場外に撥ね飛ばされた騎士がよろめきながらも立ち上がり、舞台に戻って男と固い握手を交わした時、会場のボルテージは真夏の熱波よりも尚熱く燃え上がった。


 限界を超えた疲労によろめきながらも、剣を掲げて拍手に応えた青い英雄。

 本音を言えばそんな事をしている暇があるならさっさと休みたかった彼ではあったが、しかし未だ衆目に晒されている以上は、主人の手前膝を着く事など有り得ない。

 男は倒れそうな体に鞭を打ち、健在のフリをしながらあくまでもポーズを取り続けた。

 そんな彼に向けて、王族用の観覧席から降りてくる一つの影。

 “清楚可憐な白薔薇の姫”、ウェヌサリア・クリスティーであった。

 彼女は心の底から嬉しそうな、零れんばかりの笑みをその美貌に浮かべながら、祝福のキスでも授けそうなくらい感動に潤んだ瞳と共に、自らの命を果たした従者の下へと緩やかに階段を降りて来た。

 ……何故か、その腰に試合用の模造刀をぶら下げながら。


「さあ。優勝者の彼には、今大会最強の男の証明たる宝剣と――」


 不思議に思って首を傾げていた男をよそに、天高く響き渡った司会の声と観客の雄叫び。

 そんな彼の疑問をサラりとスルーしながら、司会者は感極まった声で叫んだ。



「ウェヌサリア第一王女への挑戦権が与えられます!!」



 “いらねぇぇぇぇぇええええええええええ!!!!”



 ――いらない。

 ソレは賞品では無く罰ゲームである。

 謹んで辞退しようと両手を振った男の所作を、戦意の顕れと受け取って更に囃し立てる国民(バカ)達。

 男の心からの抗議の声も、大観衆による壮絶な鬨の声に掻き消された。

 そうこうしている内に、男の前で構えを作った武装姫と間に入った審査員。

 涙目でナニかを懇願する男に姫が女神の笑みを零す中、その日最後の戦いは堂々と幕を開けてしまった。


 王女は手強かった。

 こうして正式な武闘会で戦ってみると、普段の剣戟があくまでも“挨拶”であった事を思い知る。

 いや、もうホント。どういうワケなのか、さっきまで戦っていた武の国の誇る猛者達と比べても、更に別格なくらい王女様は強かったのである。

 風を切る羽の如き身の熟しで男の攻撃線を避けたかと思えば、視界の外から神速で閃く無駄の無い剣戟。

 筋力では流石に体格で勝る男が有利ではあったが(それでも何故かさっきの騎士より一撃が重い)、疲労で満足に身動きが取れないという事もあってかなりの苦戦を強いられる事になった。

 昨日から散々に戦いまくった事で、多少なりともこの世界の“理”に身体が慣れていなかったら、それこそ一方的に遣り込められていたかもしれない。

 ついでに言うと、試合用の模造刀が木製であった事も男にとっては幸運であった。

 ……もしもこの剣が金属製(・・・)であったのならば、彼女の先天魔術を鑑みるに勝てるワケが無いのだから。


 だが。例え相手が王女であろうとも、一度“負けるな”と命じられた以上、男にとって敗れる事など許されない。

 極度の疲労で視界が霞み、崩れ落ちそうになる身体を気力だけで支えながら、男は武の国最強の剣戟を紙一重で捌き続けた。

 神域の攻防は1時間(・・・)にも及び、闘気に当てられた観客達がバタバタと倒れ始めた頃、不意に決着の瞬間は訪れた。

 散々無理を重ね続けた男の模造刀が軋みを上げ、遂には耐え切れなくなって王女に粉砕されたのである。今にして思えば、決勝戦の騎士の鎧を叩き割った時点で既に罅くらいは入っていたのだろう。

 何はともあれ、この戦闘ジャンキーな王女様がその隙を見逃す事など有る筈も無く、武器を失った男の足元を下段で叩き伏せ、転ばせた後喉元に剣を突き付ける、という見事な連携で勝負を決めたのであった。

 少々不本意な決着の仕方ではあったものの、最強の栄誉を守った王女と健闘した英雄には惜しみの無い拍手が送られた。



 さて。試合が終わった後には、王宮での楽しい楽しい祝賀パーティーが待っていた。

 大会に参加したメンバーを中心に、観戦していた観客たちを集めて皆で立食しながら酒を飲むのである。

 ……無論、コレにも武の国の流儀が多分に含まれている。

 祝賀会、と言えば聞こえは良いのではあるが、その実コレは“大会にて名を馳せた強者”と市民との交流会という名目が強かったのだ。

 そして慣習として、この国には“選定の剣技会”の本選に出場した者には、パーティーの最中ならばいつどこから斬りかかってもいい、という暗黙の了解が存在する。

 つまりはパーティーの間中、参加者は唐突に襲い来る剣戟を常に警戒しながら食事をし、酒を飲まなくてはならないのである。

 ――無礼だと思われるだろうか。

 だが、敢えて武の国流に言うのであれば、それに堪えられない様な軟弱者は強者を名乗る資格が無いのである。


 無論、それはあくまでも例年の話である。

 実力が未知数であった事や、この世界に無い未知の剣術を使っていた事、そして飛び入り参加枠から優勝した事も相俟って、今回は参加者の殆どが揃いも揃って男に挑みかかるという異常事態が発生していた。

 それはもう、誰がどう見ても集団リンチにしか見えない様な惨状であった。

 最強の座を防衛した自分よりも多くの民衆に挑まれている男を見て、機嫌を損ねた王女様までもが男に挑みかかるというアクシデントも発生し、彼は再び中央闘技場に舞い戻って全ての挑戦をさばききる羽目になってしまったのである。


 ……最終的に倒した人数は、果たして何桁だったのか。

 数えようとして、思い返しただけで過労死しかねない程の精神的苦痛を覚えた男は諦めた。

 正味丸一日と、更に半分を通した連続戦闘。

 人間の限界を超えた労働の代償として、当然の如く男は死んでいたのである。



―――――



「貴方は、未だ本来の実力を出し切れてはいませんね?」


 散々暴れた皆が帰った後の、中央闘技場の舞台の上。

 死体となった男が発した問い、“ウェヌス、何か言い訳は?”に対する彼女の返答がソレであった。

 あくまでも凛とした、思慮深そうな面持ちを崩さぬままに、第一王女は銀細工を鳴らした様な声で弁明する。

 男はその言い分に、苦笑しながらも頷いた。


 王女の言う事は、確かに正しかった。

 男の生まれ育った世界では、何もかもがこの世界よりも重く、動かしにくく、そして硬かったのである。某物理学者がその話を聞けば、おそらくは重力がこの世界よりも遥かに強く、そして電磁気力による結合も同様にして強固な世界であったと分析するだろう。

 ――今の男の状態を理解するには、月に降り立った地球人の例を想像して頂けると分かりやすい。

 月の重力は、地球のソレに比べて僅かに6分の1程度しか無い。

 もしも我々が月面に降り立ち、全力で跳躍したとしたら、恐らくは地球上での約6倍の高さにまで飛び上がる事が可能だろう。


 だがそれは、そのまま月面での行動が地球よりも楽である、という事実を意味する訳では無い。何故ならば重力が6分の1になる、という事は、即ち重力に従う全ての運動の速度が6分の1になってしまうという事だからである。

 例えば剣の重さを利用した振り下ろしは当然にして地球上よりも動きが遅くなり、投合という動作の狙いは狂うどころでは無くなる。

 否、それどころか。普通ならば戦闘はおろか歩行すらもままならないだろう。

 それは例え本職の宇宙飛行士であろうとも、である。


 男は当然の如くそんな知識など持ち合わせてはいなかったが――。

 だからこそ特に、この世界があまりにも“フワフワし過ぎて”動きにくいという事実を肌身に感じる事になった。

 人間離れした身体能力故に誤魔化しが効いてはいるが、男が生涯を掛けて磨いてきた“技”を満足に生かせていない以上、王女の主張はこの上なく正しいと言える。

 苦笑いを浮かべて夜空を見続ける男に、王女は凛とした雰囲気を崩さずに続けた。


「貴方は私の守護魔(ガーディアン)です。

 いくら私や他の騎士達と鍛錬に勤しんでいるとは言え、やはり“訓練”では実戦とは勝手が違うでしょう。

 私は貴方に、武闘大会という実戦の場で多数の猛者達と剣を交える事で経験を積み、一刻も早くこの世界の理に慣れて頂きたかったのです。

 少々荒療治かとも思われましたが――。

 真の力を温存した状態で生き残れる程、この“儀式”は温い物ではありませんから」


「…………」


 王女の返答は完璧であった。

 これだけを聞いていれば、彼女はなんと思慮深く、才色兼備な素晴らしい王女様だろうかと、男はつい感心してしまった事だろう。

 ホント、もしも男が彼女というものを全く知らず、このセリフだけを聞いていたとしたら、心からそう感じて頷いていたに違いない。

 ……ありえないが。


「……それだけか?」


「本来の実力を発揮した貴方と本気で戦ってみた――こ、コホン。

 いえ。何でもありません。

 ネプト、今日の剣舞は見事でした。

 あれ程の腕があれば、この世界に貴方の敵など居ないでしょう」


「…………」


 男は、漏れてくる溜息を抑える事が出来なかった。

 ……そうである。

 このお姫様の考える事など、大体そんな感じなのである。



 呆れを通り越し、極度の疲労もあってか呆然と空を見上げ続ける男。

 湿り気を含んだ夏の夜風が、妙に生温く感じられる。

 王女は、切り替える様にして咳払いをした。


「でも、残念でしたね」


「ん?」


 疑問符を飛ばす。

 疲れきった男の顔を覗き込みながら、美貌の王女は神妙な面持ちで話を続けた。


「もしもあの時剣が折れなければ、勝ち名乗りを受けたのは貴方だったでしょう。

 あと半刻も凌がれれば、流石の私でも息が上がっていました」


「……俺は息が上がってるどころじゃなかったけどな。

 それに剣なんざ、折られた俺の負けだろ。

 実戦じゃ、得物が折れたからって敵は待っちゃくれねぇからな」


 ――珍しい事もあるものである。

 試合とはいえ、勝負は勝負だったのだ。

 模造刀が折れたのが決め手であったとはいえ、決着に“たられば”を持ち出すのは、彼にはどうにもこの王女様らしくない態度に思えた。

 男が訝しそうに目を丸くしていると――。



「私に勝てていれば、素晴らしい“副賞”があったかもしれないのに、ですか?」



 ……お姫様は、そんな恐ろしい事を仰った。



「要らねぇよ!!」



 余りの恐怖に、男は動かない身体で尚身震いした。

 ――何と恐ろしい事を仰る王女様なのだろうか。

 優勝したと思ったら王女との戦闘なんていうトンデモナイ副賞(・・)があったばかりだと言うのに、もしも彼女に勝ってしまっていたとしたら、更なる副賞が彼に襲い掛っていたと言うのである。

 ……そんな副賞の無限ループなど、一体誰が要るものか。

 男は、謹んでお断りする事にした。



「……む。

 随分と、失礼な事を言うのですね」


 男の返答を聞いたウェヌスは、形の良い頬を余人には分からぬ程度に膨らませながら、僅かに不機嫌そうな声色でそう言った。

 理由が分からず、訝しげに首を捻った男。

 ウェヌスは、少々気まずそうな面持ちになっていた。


「……何でもありません。

 ええ。そういえば、貴方はそういう為人(ひととなり)の持ち主でした。

 分かってはいましたが。

 はぁ……。まったく、随分と無欲なのですね……」


「?」


 何故か頬を赤らめつつ、妙にソワソワした態度でそう告げた王女。

 ……後日、“選定の剣技会”がナニを選定(・・)する会だったのかを聞いた男は青褪める羽目になるのだが、ソレはまた別のお話である。




「――さてと」


 “祭り”が終わってから、どれくらいの時間が経過しただろうか。

 全身の筋肉を満たしていた疲労物質が分解され、ある程度身体が動く様になった事を確認した男は、ユラリとその上体を起こし、立ち上がった。


「? もう動いても大丈夫なのですか?」


「んあ? まあな」


 気遣う様に尋ねる王女に、男は埃塗れの短髪をグリグリと掻きながら答えた。

 因みに、男がこうなる理由を作った張本人たる彼女が目を丸くしているのは、別段無責任でも何でも無い。

 少なくともこの国に於いては、“通過儀礼”を終えた優勝者は3日ほど寝込むのが極々当たり前の行事として罷り通っているからである。

 ソレがこの国と、そして彼女の常識なのである。

 誰が何と言おうと、常識と言ったら常識なのである。

 常識なのだから、もう仕方の無い事なのである。

 ……無論、男とて完全に納得している訳では無いが。


「なんかよぉ。こっち来てから、やたら疲れが取れんのが早ぇんだ」


 とは言え、郷に入っては郷に従えである。

 自分の主人がソレを“常識”として持ち合わせている以上、従者という立場を与えられた男にはあれこれ講釈を垂れる権利も主義もありはしない。

 せっかく疲労回復が早い、なんていう特典が付いている様なのだし、一々主に不満を言う程の事では無いと男は考えていた。


 それに――、


「それによ。休みたくても、悠長に寝てるワケにゃいかねぇみてぇだ」


「――――?」


 どういう事なのか、と王女が声を発しようとした時には、既に男が剣を放った後であった。

 鍔鳴りの音が闇夜の静寂を断ち切り、剣風がゴウと音を鳴らしながら空を薙ぐ。

 瞬間、王女の視界には拳大の紅焔が断ち切られ、男の生み出した真空に吸い込まれて消滅したのが映った。

 鳥が囀る様な炎の音と、高い金属音がコロッセオの舞台に残響し、王女の意識が一瞬で氷点下へと切り替わる。



「……ったく、これで昨日から何戦目だ?

 一の二の三の……やめだ。めんどくせぇ。

 ……おい、ガキ。中途半端に隠れてねぇで出てきやがれ」


 辟易した態度で、しかしそれ故に余裕を醸しながら、青い従者はその双眸を観客席へと流した。

 すり鉢状に設けられた観客席の一角。

 席数にして20段目に当たるその場所から、燭台の灯りに紛れるかの様に、赤銅色の影はユラリと乗り出した。


「ヒヒヒ!! さっすがチャンピオン!!

 よく気付いたじゃね~の」


 甲高い、しかし相手を小馬鹿にした態度を隠そうともしないふてぶてしさで、その少年は彼らの前に現れた。

 右手に奇怪な形状の武具を構え、背には身の丈程もある大筒を背負った小柄な影。

 氷の国の守護魔・マルスである。

 少年は自らの奇襲を悪びれた風も無く、しかし(ネプト)がそれを防いだ事が心底愉快だとでもいった様子で、ケラケラと笑いながら舞台を見下ろしていた。


 マルスの揶揄に、ネプトは双眸に敵意を漲らせながら答えた。


「テメェの殺気は隠せてねぇんだよ。

 それとその赤髪は目立ち過ぎだ。

 ま。テメェは暗殺にゃ向かねぇな」


「んあ? 殺気? 何で隠さなきゃなんね~の?

 何でおれっちが、テメェの為に気ぃ使わなきゃなんねーワケ?」


 少年は青い従者の殺気を浴びて尚、飄々とした態度を崩さずに観客席の階段を降りてくる。

 奇妙なのは、少年の歩みそのものであった。

 見た目に硬質な靴を履いているのにも関わらず、白石造りの階段を踏みしめる彼の足からは、一切の足音が響いてはこないのである。

 ――歩行。

 守護魔がその単純な所作一つを取っても常識を外れる存在である事を思い知らされ、王女の背筋には冷たい汗が滴った。

 少年は男の剣へと悪ぶった視線を向けながら、心底嬉しそうに破顔した。


「見てたぜ~? デカブツ。

 テメェ、今日も色々大活躍だったじゃねぇの。

 まったく良くヤルねぇ。

 何かっつーといっつも姫様姫様主様ってよ~。

 “主様の為にしか、剣握りません!!”ってか?

 よっ!! ゾッコンだねぇ!!

 バカじゃねぇの?」



 ――12段。

 少年は尚も怖じずに、男に雑言を喚きながら歩みを進める。

 右手に収まる火炎銃の照準は、その軽口とは裏腹にブレる事無く男の姿だけを捉えていた。

 少年が歩を進める毎に、纏う殺気を徐々に強めながら、男は柄を握る手に力を込める。



「……知ってるか?

 誰かの為に使えない力ってのは、只の暴力だそうだ」


「タ~コ。力なんざ全部暴力だよ。

 自分(テメェ)の為に使えなきゃ損だろ」



 ――3段。

 舞台の前列に程近いその石板を踏み抜いたところで、少年の身体は軽やかに宙を舞った。

 ネコ科の動物を思わせる身軽さで跳躍した赤髪の獣人は、軽快な足遣いのみでその身体を十数メートルも跳躍させ、足音一つ無いままに、20メートルの距離を隔てて舞台の上へと降り立った。

 その在り方は、それその物が、既に青い従者とは真逆。

 体格、理のみでなく、世界観すらも対極に位置する少年は、自らの立ち位置を明確にするかの様に、左腕の火炎銃を前方へと突き出した。


「ハッ!! そんじゃ決勝戦といこうぜ、チャンピオン!!

 今日は邪魔者もいね~しよ。

 きっちりケリ着けようや」


 宣戦を告げる少年。

 男はただ黙したまま、ニヤリとその口元を緩めた。


「姫様。暇だと思うが、ちぃと下がっててくれ。

 どうせ直ぐに終わるからよ」


 少年が引き金に意識を向けたのを感じた男は、握った短刀を下段に下ろし、いつでも迎撃出来る様に重心を下げた。

 ――“加勢が必要か”。

 青い従者の消耗を知っている王女は、一度だけそう問おうとして、口を噤んだ。

 彼の纏う闘気を見れば、そんな物が不要である事は明確だからである。

 疲労も、憔悴も、意識を“殺し合い”に切り替えた男にとっては何の枷にもなりはしないらしい。

 男の纏う雰囲気は、その実先刻の大会時と比しても尚充足した物であった。


「いいでしょう。ですが――。

 あまりに王族を待たせては従者失格です。

 私が暇だと感じぬ内に仕留めて下さい」


 ――彼は、負けない。

 未だ手に残る剣戟の残照を余韻とした王女は、それを確信したからこそ、微笑を浮かべつつ自らの従者から3歩、距離を取った。

 残骸の散乱する闘技場にて対峙する、二人の魔人の姿をその翠の瞳に映しながら――。



「安心しろ、武装姫よ。

 心配せずとも、どの道貴様に暇など許さん」




 ――瞬間。

 耳元(・・)で囁かれたその声に、王女の背筋は凍りついた。




「な――――!?」



 寒気がした。

 反射的に“祝賀会”から持ち続けていた剣を振り出し、耳元の“誰か”に向かって一撃を加える。

 ――手応えは、無い。

 剣を振り出した先には、その実燭台の炎しかありはしなかった。

 だが錯覚、などでは断じて無い。

 今の一瞬、王女の左には、確かに誰かが居た(・・・・・)のである。

 突如として感じた冷気と共に、耳元に掛った生々しい吐息の感触。

 全く気配を感じさせずに現れたその“誰か”は、王女の耳元でそう囁いた次瞬、その場から既に消え失せた。

 そうとしか、思えない。



「やれやれ。見た目に似合わず随分なジャジャ馬だな。

 予が敵で無かったらどうしたというのだ?

 まあ、可愛気があるだけましと評してやるが……」


「――――!!」



 今度は、右。

 突如として現れた気配に身震いしながら、王女は再びその剣を突き出した。


 だが、またしても居ない。


 耳元で声を発しながら、しかし一切の姿を見せないその相手に、王女は底知れない不気味さを感じていた。

 ――声からすると、恐らくは女。

 それも王女自身よりも、ほんの2~3ばかり年上の物に思える。

 王女はまるで纏わりつく幽霊を振り払うかの様に、自らの周囲を破れかぶれに薙ぎ払い続けた。


 凍りついたのは王女だけでは無かった。

 相対していた二人の魔人すらも、突如おかしくなった王女の様子と謎の声に、強い困惑と血も凍る様な恐怖を覚えて硬直していた。

 ――因みに、困惑しているのが青い従者。恐怖を覚えているのが赤い少年である。

 青い従者が硬直した本当の理由は、寧ろ聞こえた声によって、少年の様子が死病持ちもかくやという程におかしくなってしまった事であった。

 赤髪の少年は目を剥き、ガチガチと歯を鳴らし、ガクガクと膝を震わせながら、先ほどまでの気勢がウソだったかの様に蒼白な表情で怯えている。



「フハハハハ!! 少々悪ふざけが過ぎた様だな。

 まあそう逸るな。予は逃げも隠れもする気は無い」



 三度聞こえた、傲岸不遜な女の声。

 ソレが響き渡った瞬間、強烈な冷気が闘技場内に吹き込んだ。

 まるで現在は夏季に当たる筈の武の国が、一瞬にして極寒地帯にでも繋がってしまったかの様な、あまりにも自然の摂理を無視した冷気の奔流。

 ブリザードすらも含んだその突風が吹き抜けたが為に、闘技場の四方に設けられた燭台は消えそうな程にユラユラと揺らめき、チェス盤模様の床に散乱していた鎧の破片は飛ばされ、割れた兜には結露が付着した。

 ――そして猛風に目を覆おうとした瞬間、王女は“ソレ”を見た。

 まるで凹レンズの様に歪み、切り取られたかの様に空中に浮かんでいる雪原(・・)

 大魔導としての素養も持ち合わせる王女は、瞬時にその意味を理解した。


 “アレは、穴だ”。


 世界を喰い破り、遠く離れた氷の国(フィンブルエンプ)とこの闘技場を縫い合わせた、虚界のトンネル。

 それは恐らく、件の“特異術式”を用いた結果なのだろう。

 そしてソレを可能とする先天魔術(ギフト)を保有する人物は、この世界ではただ一人。

 彼女がそう理解した瞬間、極寒の冷気を纏いながら、その気配は闘技場へと姿を現した。

 ……何故か、赤髪の少年の真上から。



「ヒャブゥゥウウウウッ!?」



 奇声をくぐもらせながら、赤い少年は床を舐めた。

 否。食い破られた空間を通り抜けて現れたその女に頭を踏みつぶされ、床に顔面を押し付けられたのである。


「な――――っ!?」


 驚愕の声を上げて、あまりの事態に言葉を失って硬直する王女。

 その理由は突如女が現れたから、というだけでは無い。

 女が現れたという状況に加え、何よりもその“姿”を見た瞬間、王女の脳内は凄まじい激情の奔流によって侵される事になったのである。



 だって――。



「何ですか貴女その格好はーーーーっ!!??」



 王女の目の前に現れた女は、なんと下着姿(・・・)だったのである。

 否。下着なんていう生易しい物では無い。

 下着とは恥部を隠すモノを指すのであって、断じて局部を隠す為の物では無いからだ。

 クリアブルーの長髪を靡かせる女は、本当の、本当の本当に一番ヤバい部分しか隠していない様な、富裕館のダンサーみたいにアリエナイ服装に赤マント一枚という凄まじい格好で、でも何故か妙に堂々としながら現れたのである。

 しかも、その……。色々な部分が、かなり大きい(・・・)

 いや、もう。一途に訓練に勤しんで来た王女の拙い思考回路を一瞬で崩壊させてしまう程に、その女の姿は兎に角ヤバ過ぎたのである。

 あまりにも際ど過ぎるその格好を、羞恥心で見ていられずに、赤面しながら王女は顔を逸らした。


 ……その先に居たのが、青い従者だった。

 従者はまるで食い入る様にしながら、脇目も振らずに女の肢体を凝視していた。

 瞬きすらせず、目を剥きながら、まじまじと女の身体を観察している。

 その様を見ていると、何故か王女の脳内には、彼の両目に全力の剣戟をくれてやりたい衝動が沸き上がってきてしまった。

 切れ長な視線の温度を更に下げながら、自らの従者にむけて剣を構えた王女。


 だが、次瞬。

 王女は、従者が女を見る目には殺気と洞察以外の感情が一切見られない事を知って溜飲を下げた。


 どうやら一度戦闘体制に入った男にとっては、“敵”の服装など大して意識を惹く物になりはしなかったらしい。

 信頼と感心を込めた微笑でニコリと頷いて、また自身もそういった彼の姿勢を見習おうと、王女は気合を入れてモノスゴイ格好の敵を睨んだ。

 知らない間に命を落としかけ、知らない内に命拾いしていたという事実を従者自身は知らない。


 ――クリアブルーの長髪に、氷の帝位を示す赤銅のマント。

 そして何よりも、突如として闘技場の中心に現れたその“先天魔術”。

 敵の正体と状況を理解した王女は、怜悧な視線を更に細めながら頷いた。


「“瞬帝”、メルクリウス・フィンブルエンプ。

 成程。彼を召喚したのは貴女でしたか。

 道理で貴女に似て、品性の欠片も無いケダモノなわけです」


「ハッ、こんな汗臭い国の女猿如きがソレを言うか。

 それに、品性の無さでは貴様には劣ろう」


 露出の激しい敵を揶揄するかの様な王女の呟き。

 メルクリウスは片手で胸元を扇ぎながら(あんな格好でもまだ熱いのか)、サファイアを思わせる双眸を王女から青い従者へと移した。

 眉を顰めている王女と従者を交互に見遣りながら、ニタリ、という効果音がピッタリな、意地の悪い笑みを浮かべている。


「ナニか、言いたい事でもあるのですか?」


「決まっていよう。

 召喚から二週間足らずで絶対服従(・・・・)、とはな。

 武装姫よ。貴様、見かけによらず随分と下僕の調教に抜かりが無いのだなぁ。

 ハハハ!! どう躾けたのか、是非とも奏上願いたいものだ!!」


「な――――!?」


 その一言で、姫の美貌は茹で上がった。


「な!! ななな、なんてコトを口走りなさるのですか貴女はッ!?」


「ほうほう。図星か。

 いやいや、そう慌ててはなんとも分かりやす――」


 メルクリウスの揶揄は最後まで続かなかった。

 王女が流れる様な動作で床に散乱した兜の残骸を掴みあげ、尋常ならざる殺気と共に赤マントを目がけて放り投げたからである。

 兜は投げられる直前に分散し、5本のクナイとなってメルクリウスの肢体へと飛来した。

 ――だが、届かない。

 メルクリウスの姿はクナイが触れようとしたその瞬間、まるで幻の様に王女の視界から掻き消えてしまったのである。


「のわぁ!?」


 ……不幸にも、クナイの一本は踏まれていた少年の頭へと狙いを外れていた。

 おそらく、王女は精神的にかなり動揺していたのだろう。

 何はともあれ、本能的に危険を察知した少年はゴロンと半回転することでそのクナイを躱し――。



「ひゃべばぁ!?」



 真上に現れた皇帝によって、その顔面を踏み抜かれていた。



「フン。驕るなよ、武装姫。

 下僕の調教ならば、この予とて負けてはおらん!!

 マルスよ!! 手始めに足を舐めろ!!

 予の調教の成果も見せてやろうではないか!!」


「誰がやるかバッカやろぉぉぉおおおお!!!!

 おれっちはそこまで堕ちちゃいねぇんだよぉ!!!!」


「……ほう。一週間仕置きした割には、まだ随分と反意が残っておったのだなぁ。

 いやいや、そうでなくてはつまらんが。

 さぁて。この予に口答えする生意気な犬には、素晴らしい褒美をやらねばなぁ」


「ま!! 待てやメル嬢!!

 こ、ここ敵国!! アイツら、敵――ギャァァアアアアアアア!!!!」



 メルクリウスは嗜虐的な笑みを浮かべながら、マルスをゴロリと転がしてうつ伏せにすると、その背中に右足を乗せてギュウギュウと踏みつけた。

 少年の背には、尖ったヒールの脚がモロに食い込んでいる。

 重心の位置を見る限り、メルクリウスは相当な体重を掛けてグリグリと足を押し込んでいる様だった。

 ……アレは、痛い。


 悦に入った表情で自らの呼び出した魔人を踏みつける暴君と、涙目で奇声を発しながらのたうち回る赤い少年。

 “もうしませんゴメンナサイ”とか、“ご主人様には逆らいませんだっておれっち下僕だし”とか、“絶対服従しますからもう許してぇぇぇ”とか、聞いてて切なくなる様な言葉が少年の口から漏れ続けていた。

 ……青い従者の行司に近いが、ニュアンスは聞き手に真逆であった。

 メルクリウスは少年が裏返った声で許しを請い、その後声が枯れて、ピクピクと痙攣を始めるまで背を踏み続けた。

 突如として始まった皇帝の拷問劇を見せられた武の国の二人は、凄惨な光景に軽く目を逸らしながら、呆れきったかの様に暫し頭を抱えていた。

 やがて満足した皇帝が足をどけ、少年が意識を取り戻したのを確認し、男は静かに口を開いた。



「……おい、ガキ」


「あん?」



 男は、まるで深い後悔に苛まれたかの様な顔で、倒れたままの少年に目をやり――。



「……悪かった」


「うっせぇぇぇえええええええ!!!!

 ぶっチねテメェはあぁぁぁっぁああああああ!!!!」



 憐れみの視線に耐えきれなくなったのか、少年は発狂しながら火炎銃の引き金を引いた。

 ソレはもう、烈火の如く引いて引いて引きまくった。

 男は条件反射だけでその全てを切り裂いたが、しかし少年の途轍も無い気迫に少々飲まれかけている。


「――――!!」


 加勢しようと鎧の破片に手を伸ばした王女は、脅威を感じて咄嗟に背後へと飛び退いた。

 彼女が地を蹴るに一瞬後れて、飛来した冷気の弾丸は鎧の破片を直撃し、破片は急激な温度変化に堪えられずに更に粉微塵にまで破砕される。


「相手を間違えるな。

 予を退屈させて良いと誰が許可した?」


 凍て付く様な存在感と冷気を纏いながら、皇帝はその右手を純白の姫へと突き出した。

 結露が燻る白煙となり、(たお)やかな腕から立ち上っている。

 自らに向けられた敵意を敏感に感じ取り、王女は刃の様な闘気をその全身に纏わせながら、左手に掴んだ剣の柄を深く握り込んだ。


「……そうでしたね。

 確かに加勢など、御節介以外の何物でもありませんでした」


 静かな、抜身の剣の様に研ぎ澄まされた気配。

 思考から一切の無駄を弾き出した清涼な眼差しが、スゥと敵意の元へと流れる。

 10メートル程の距離を隔て、氷の女王と武具の姫は対峙した。


「ええ、そうですね。

 簡単な話ではありませんか」


 一度剣を握り込めば、彼女の思考は瞬時に戦闘へと切り替わる。

 元より彼女は、一つ以上の事を考えるのが極端に苦手なのである。

 意識を剣舞へと傾けた今、彼女の意識からは先ほど思考を苛んだ敵の衣装すらも弾き出されていた。

 姫は怜悧な視線に清流の様な殺気を纏わせながら、静かに微笑う。



「私がこの場で貴女を倒せば、話は全て解決です!!」



 踏み込む足が風を切り、黄金の長髪が燭台の灯りに残滓を残す。

 10メートルの距離を一瞬で無にする疾走と共に、武装姫の剣戟は白銀の夜空へと響き渡った。

 燭台の炎が揺らめく、石造りのコロッセオ。

 今代2度目の代理戦争は、炎の揺らめく熱帯夜の中で幕を開けた。

……わたし、武の国にだけは召喚されたくないです。

い、いえ!! 何でもありません!!

と、言うワケで、ドS陛下VS脳筋姫です~。

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