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朝日真也の魔導科学入門  作者: Dr.Cut
第二章:雷神鉄鎚-2『爆走!! 天才(バカ)二人!!』
33/91

33. 異邦の国王が自らの手によって行った異世界に於いては必ずと言って良い程に間違い無く存在するとある害獣の駆除作業に関する調査報告

 その国は、太陽に一番近い場所に存在していた。


 崇高なる選民共和国・天の国(ソルヘイム)

 貴族の中の貴族と称される“三院議会”なる円卓によって政治が行われているこの国は、同時に国土の殆どを数千メートル級の山々が支配する“空中国家”としてもその名を世界に知られている。


 無論、神の領域たる天空に程近きその場所は、本来であれば人の生活には適し得ない。

 高度の上昇に伴う酸素濃度と気温の低下。

 気圧の減少に伴って火は燃えず、湯は煮えず、日常生活に於いても高山病が多発する。

 高所から低所に流れるという摂理を持つ“水”という物は、その性格上これほどの高地を許容し、留まる事などしないだろう。

 生育が許されるのは、僅かな高山植物とソレを糧とする乏しい生態系のみ。

 それが、本来その国が保つべき常識である。



 ――だが。

 それはあくまでも、我々の世界の常識をこの世界に当て嵌めた場合にのみ成り立つ公式に過ぎない。

 魔導がありふれ、魔獣が生息し、異界の魔人達が跋扈するこの時空に於いては、高度など大して環境の過酷さを示す指標になりはしない様だった。

 魔力と呼ばれる未知の力が星から溢れ、それの生化学的な利用によって地球のソレに比してあまりにも多種多様な生命体が育くまれたこの惑星に於いては、我々の知る常識など狭量だと嘲笑せんばかりの理が、ごく当たり前の様に(まか)り通る。



 地球の植物学者がこの国に訪れる事があるとすれば、その人物は間違いなく正気を失い、自らの無学を恥じて涙を流すことだろう。

 そしてその涙はやがて感涙へと変わり、自らをこの場に巡り合わせた奇跡に生涯を通じて感謝し続けるに違いない。


 天の国首都・エラルトプラーノ。すり鉢状になったその地形の中心に聳えるのは、雲よりも高き一本の大樹である。樹齢数万年とも、或いはそれ以上とも伝えられるその巨木は、森林限界など知らぬと言わんばかりに高く、太陽を突き刺すかの様に聳え立ち、その神々しいまでの偉容は、気象条件次第では遥か隣国からでも見えると言われている。


 高さ数キロメートルにまで及ぶこの植物界の王者は、その巨体を支える為に、同じく常識外の深さにまで根を伸ばし、下界を巡る地下水源を啜る。王者の身に血液の如く流れたその水は、街が丸々入りそうな程に力強い幹の中を駆けのぼり、神の領域間際に在りしこの空中都市へと豊かな水源を供給する。更にそれらは天を覆う様に広がる、小さな屋敷程もある常緑の葉へと供給され、光合成と魔力合成の併用によってその巨体を維持するに足るだけの糖を生み出し続けている。

 結果として生じる大量の酸素は、この超高層に在りながらも、この国が世界で最も清涼な空気を纏っているという矛盾を実現していた。



 ――神々が生み出したとしか思えぬ程に、あまりにも偉大に過ぎるその生命の樹。

 故に人々はソレを神樹(レーラズ)と崇め、この崇高なる国家の象徴として奉っていた。



 すり鉢状の為中心に行くほど高度が下がり、神樹の齎す利潤をより享受出来る独特の地形。

 ならばこの国に根強い選民思想に則り、民の立地は自然と決まっていた。

 簡単に言えば、“高貴な者”ほど街の中心部に近い大樹の傍に住み、“下賤な者”ほどすり鉢の端に程近い場所で酸素不足と水不足に喘ぐという必然(・・)が成り立つのである。

 神の名を持つ樹そのものが、人の在り方に区別を齎している。

 その皮肉は、まるでこの国の常識をそのまま体現しているかの様であった。



 “下賤な場所”の中でも、特にすり鉢の淵の方に位置するとある丘。

 好んで住む者も居ないであろうその最果ての地に、この日はたった独りで歩む少女の姿があった。

 歳の頃は銀の国(プラティヘイム)の赤髪の魔導師と同じか、或いは少し上といったところだろうか。

 肩より少し短い緑髪を、薄くなってきた神樹からの風に靡かせつつ、彼女は息を切らしながらも小高い丘を登って行く。


 草本も殆ど生育出来ない砂利道を踏みしめる彼女の靴は、純粋なクリスタルの様に透き通っている。“ガラスの靴”と名付けられたその履物は、ツルツルとして硬質な質感の割には柔軟性に富み、履きやすくも美しいという点で上流階級の淑女たちの間では人気を博していた。材質が少々特殊な為に需要に供給が間に合わず、購入に際しては屋敷が5軒は建つ程の法外な額が要求される事もあり、上流階級の中でも本当に一部の人間しか手に出来ない逸品である。


 彼女の身を包む薄紅のドレスも、仕立てからして相当に高価な物である事が見て取れた。ボタンというボタンには七色に輝く“彩色金剛石プリズム・ダイヤモンド”が嵌め込まれ、その全てを外して掻き集めたとしたら、おそらくはそれだけで小さな城が建つ程の額になることだろう。少女の緑髪を束ねるハイビスカスを模した髪飾りは、彼女自身の片手と比してもなお大きく、総重量1kg近いルビーが惜しげも無く括り付けられている。



 ――社交会に出席していた令嬢が、何らかの気まぐれでも起したのだろうか。



 ――もしくは、宮廷の庭でも散策している内に帰り道を忘れてしまったのかもしれない。



 彼女が纏う装飾の数々は、見る者にそんなあり得ない幻想を抱かせてしまう程に、この最果ての地にはあまりにも不似合いに過ぎた。

 これ程高貴なお召物を纏うご令嬢がこのような僻地を単身で歩くなどと、この国の人間達の常識からすれば、自らの目と正気を疑うどころでは済まない程の異常である。



 もっとも少女の挙動には、大貴族の令嬢の物にしては少々の違和感があったが……。



 砂利を蹴飛ばし、羽の様な身軽さで丘を登って行く少女。しかしその軽快な歩調は宮廷貴族の洗練された所作からは程遠く、寧ろ酒場で料理を運ぶ給仕のソレを連想させた。足運びに慎ましさを纏わせる、などという器用な概念は彼女の両脚には存在せず、地面に着きそうな程に長いスカートの裾は、小石と少女の靴の攻撃によって既にボロボロになりかけている。どうやら髪に結われたルビーもお気に召さないらしく、5歩踏み出すごとに大粒の髪飾りに手をやり、邪魔者を扱う様にグリグリと弄っている。


 その、まるで庶民の果実飲料を神酒(ネクタル)の瓶に入れて包装したかの様なアンバランスさは、見物人が居ればコレは夢か幻かと自我崩壊を起こしかねない程におかしなモノに思えただろう。



 だが、ソレも無理からぬ事だったのかもしれない。

 何しろその彼女自身ですらも、未だにコレが悪い夢か何かだとしか思えなかったのである。

 ……いや、まあ。悪夢だなんて言ってはバチが当たる程恵まれ過ぎた状況だという事は、彼女自身が一番よく分かってはいるのだが。



 まるで童話のお姫様にでもなったかの様な、キラキラのドレス。

 決して美人だとは思えない自分でも、ちょっとは可愛く見せてくれていると信じたい、でも全然似合っていないと分かってしまうソレに視線を落としながら、少女はバツが悪そうな溜息を吐いた。

 頭の中に不安とも罪悪感ともつかない感情が飽和して、圧し潰されそうになる。



「…………」



 ――正直。馴れないドレスは、肌に擦れて痛い。

 胸元の青いリボンがぎゅうぎゅうに縛ってあるせいで、肺には空気が半分くらいしか入らないし、こんな格好でこんな場所に居たら、きっと自分じゃなければ水揚げされたお魚さんみたいになっているんじゃないか、なんて少女は思ってしまった。

 こんなに長くて、重いスカートなんか履いた事も無いし、だから歩き方が分からなくて、小石を踏む度に何度も何度も転びそうになってしまうのだ。

 クリスタルの様に透き通った履物はとても綺麗で、履かせて貰えるって聞いた時には舞い上がるくらいに嬉しかったけど、実際に履いてみると、ツルツル滑って歩きにくいだけだった。

 ……あと、なんか。足が蒸れてちょっと痒い。

 靴を地面にトントンと叩き、足に適度な刺激を与えながら、少女はその沈鬱な表情を更に深める。



 ――ケーキにでもなったみたいだ、なんて少女は思う。

 キラキラの飾りを沢山刺されて、赤くて重たい果物(ルビー)を乗せられて、箱詰めにされてギュウギュウのリボンで縛られている。

 あの、綺麗でおいしそうなケーキ達がこんなに窮屈な思いをしていたなんて、少女は想像した事もなかった。

 ……自分の格好なんか、どうせ鏡でしか見れないし。

 …………どうせ、全然似合ってなんかないし。

 少女の気がどんどん滅入っていく。

  

 ――もしも、さっきの社交会で食べたガトーショコラが喋れたら、口に入る前に恨み言の一つくらいは言われたのかもしれない。

 せめてリボンくらいは、もうちょっと緩めてくれないかな、とか。

 君も仲間だね。大変だね、とか。

 君、綺麗に包装されてるクセに、かわいそうなくらい安物だね、とか。



 細やかな自虐に浸りながら、少女は薄い唇をキュッと結んだ。

 比較的童顔と褒められる(遠まわしに子供っぽくて色気が無いとバカにされている)顔立ちを、不機嫌そうに膨らませる。



(――分かってるよ。

 分かってるよ!! どうせ、ボクは安物だよ!!

 こんな服着てるのとか、絶対なんか間違ってる、ケーキで言ったら売れ残って固くなったスポンジだよ!! 

 ううん、違うかな。宮廷の皆に比べたら、どっちかっていうと、“失敗して焦げちゃって、お店に出されないで捨てられちゃう炭”、とかかも。

 ……せめて、ネコとか、くらいは、食べてくれないかな。

 …………あのガトーショコラも、ボクみたいな炭に食べられるのは、イヤだったの、かな。

 ………………泣きたくなるくらい美味しかったけど)


「…………」


 考えれば考える程、少女はどんどん鬱になってしまった。


 ――どうして自分みたいな売れ残りの炭が、我慢してまで、こんな丁寧な包装なんかされてなきゃいけないんだろう?


 ――なんで、どうせ全然似合ってないし、可愛くも無いのに、こんな苦しい思いをし続けなきゃいけないんだろう?


 そう考えると、なんだか、こんな格好で独り突っ立っている自分が、酷く虚しい事をしている様に思えてならなかったのである。



 キョロキョロと、辺りを見回す。

 酸素が薄くて、寒過ぎるからだろうか。

 街の淵に住んでいる筈の貧民層の人たちも、どうやらこの丘には寄り付かないようだった。

 お目付け役といって纏わりついてくる執事達も、社交会を警備していた衛兵達も、あの、何故か少女をイビリ倒して悦に入っているエウロパ炎民議長も、今は、誰も居ない。


 ――“あの人”も、多分。

 自分があの窮屈な社交会がイヤになって、つい抜け出してしまった事には、まだ気づいていない。


 誰も見ていない事をハッキリと確かめた少女は、2度3度と深呼吸をして気合を入れたかと思うと、胸元の青いリボンへと手を伸ばした。

 端を握って引っ張ると、スルリ、とそれが緩んで、呼吸が一気に楽になる。

 ついでに歩きにくいスカートも膝上までたくし上げて、重たいルビーの髪飾りでそれを留めた。

 貴族の人たちに見られたら、多分お説教どころじゃ済まない様な格好だけど……、今の少女には新鮮な空気の齎す爽快感の方が遥かに意味のある物だったのである。

 そもそも先週まで、いつももっと、ずっとスゴイ格好で過ごしていたんだし……。

 寧ろ、そっちの方が自分にとっての“当たり前”だったんだし……。



「…………」



 いつもの格好。

 ソレを思い出した時、彼女は自分の手が無意識に首元を撫でていた事に気が付いた。

 ――落ち着かない。

 “そこにあるべき物”が無くなったという違和感にはまだ慣れず、それどころか、少女にはこの感覚に慣れる日が来ることなんか想像も出来なかった。

 まるで“ソレ”の代わりになっているみたいに、そこだけ変色して、硬くなった皮膚。

 周りの肌に比べて、酷く感覚の鈍いその部分から伝わる信号が、解放感と同時にそれを上回る不安感を彼女に齎している。

 そんな事を感じてしまう、自分に染み付いたその根性に、少女は何とも言えない複雑な気分になった。



 緩められたリボンのせいで、ドレスの合間から覗く胸元。

 瑞々しい筈の少女の素肌には、生々しい痣が幾つも見受けられた。



 見物人の居ない丘を、少女は更に登って行く。

 酸素濃度は、既に高山病を発症する人間が居てもおかしくはないレベルにまで低下していた。

 だが、幸か不幸か。この少女にとって“空気”が問題になる事なんかまず有り得なかった。少女はまるで平地を跳ねる様な軽快さで、未知の土地を探検する子供の様な足取りで、人気の無い丘を上へ上へと登って行く。

 空気が薄い筈のその地にあって、少女のショートの緑髪は、しかし踊る様に風に靡き続けていた。

 少女は街から離れ、誰も居ない(・・・・・)その丘を登って行く。



 ――考えてみれば、少女はその時点で気付くべきだったのである。

 いくら酸素が薄いからと言っても、高所で過ごす事を当たり前としてきた天の国の貧民層にとっては、この程度の高度など実は大した苦にもなりはしないのだ。

 この丘の先には小川が流れており、美しい高山植物が花を咲かせる憩いの場があるのだから、本来ならば、誰か一人くらいは人が居てもおかしくは無いのである。

 万物が死に絶えた様なこの静寂を、彼女はおかしい(・・・・)と思わなくてはならなかったのだ。



 ……いや。彼女にそれを要求するのは酷だっただろうか。

 外の世界というモノ知らずに育った彼女は、知らなかったのだ。

 この国に於いて一般常識を持ち合わせている国民は、この時期、絶対にこの丘にだけは近寄らないという事を――。




 “死”が待っていた。




 丘を登り切った少女の瞳に映ったのは、どこまでも黒い、悍ましいまでに黒い房。

 あまりにも黒く、大き過ぎた為に、少女はソレが“鱗”だと気付くのに暫しの時間を費やさなければならなかった。

 茫然としていた時間は、果たして5秒か、或いは10秒だったか。

 一つ、言えるのは。その僅かな時間の内に、彼女の運命は既に決してしまったという事である。


 “死”が彼女の存在に気づき、その鎌首を擡げた。

 まるで深い、底の見えない湖底を見る様な、死人を思わせる黒い(まなこ)

 無数に枝分かれした角はまるで合体した昆虫の脚の様で、触れただけで切り裂かれそうな程に刺々しいソレが、この世ならざる禍々しさを感じさせている。

 山ほどもあり、しかし大蛇の様にうねるその体躯の背には、退化して形を失ったボロボロの翼がはためいていた。



 ――黒龍。

 この世界の生態系の頂点に位置し、相対する者に絶対の死を齎す“災害”の名である。



 最強の魔獣たる龍種の中でも特に力強く、そして攻撃性の高いこの種は、同時に世界を最も広く旅する“渡り龍”としてもその名を知られている。身の丈の数倍はあろうかという巨大な翼で天を駆ける彼らは、数十年周期で世界各地へと空を飛び、そこで他に類を見ない大きさにまで成長する。そして寿命が尽きて、空を飛べなくなる間際。彼らは出生地たる天の国へと集い、そこで次代を残す為に繁殖してその生涯を終えるのである。


 重要な点は、たった一つ。

 地球の多くの生物種がそうである様に、この世界の龍種に於いても、繁殖期にはその攻撃性が酷く高まるという事である。そして中でも、この黒龍という種のソレは、他種に比してそれこそ異常だとすらも言えた。

 彼らの雌には、卵を温めている時に近づく生き物は、何であろうが見境なく食い殺す(・・・・)という習性がある。雄にこの習性があるのか否かを、検証出来た人間は未だ居ない。雌が卵を温めている時期であれば、その伴侶となった雄の黒龍は、既に雌に食われた後だからである。

 黒龍の母親はこの高層の国に独り座して、近寄る生き物を食い尽くして栄養を蓄えつつ、寿命が尽きるまで卵を温め続けるのだ。やがて、自分の死後に生まれてくる子供たちが、自分の死骸を糧として成長し、大空へと羽ばたいていく様にと――。



 無論。少女にはそんな、黒龍の生態など知る由も無かったが――。

 しかしそれでも、この存在の前に立つというその意味は、理性では無く本能が理解してしまった。

 相対する存在を見境なく食い尽くす、捕食者の双眸。

 少女は呼吸すらも忘れ、身じろぎ一つ出来ぬままに、目前に立ちふさがった“死”に魅入られている。


 咆哮が腹腔に響いた。

 生き物が、聞いただけで血を凍りつかせて絶命してしまう程の、地の底から響く様な異形の鳴き声。空気の薄いこの丘にあって、尚もその音波は少女の素肌をビリビリと震わせた。傍聴人に死を約束するソレは、宛ら地獄からの怨嗟である。

 黒龍はその、下手なナイフよりも遥かに鋭利な歯列を覗かせながら、少女の身体を噛み砕こうと鎌首にため(・・)を作った。爛々と燃える様に光る死者の瞳が、全身の骨をバリバリと噛み砕かれ、内臓をズルリと引きずり出されるという、少女の無残な最期を予言する。



 自らの運命を悟ったのだろうか。

 少女はただ、静かにその目を閉じながら、祈る様に胸元で手を組んでいた。



「待ってくれないかな?」



 ――時間が凍りついた。



 突如として最果ての丘に響き渡った、静かな声。

 その、まるで友人に語りかけるかの様な、何気ない一言だけで、黒龍は振り出そうとした首を止めていた。



 あり得ない。



 少しでも常識を持ち合わせている人間がこの光景を見たとしたら、間違いなくそう形容して正気を疑っただろう。事実、その時が止まったかの様な静寂は、本来あり得てはならない出来事であった。


 何故ならば前提として、黒龍は人語を解しない。

 然るべき技術によって調教された翼竜ならば話は別だが、本能だけで動くこの獣は、そもそも人の言葉を聞いて行動を変えるなどという“機能”を持ち合わせてはいないのだ。

 獣が、動きを止める理由。

 そんな物は思考や言語などでは勿論無く、もっと生物としての根本にある、本能的なナニかでなくてはならないだろう。


 ――だからこそ、有り得ないのである。


 繁殖期であるこの時期、黒龍が視界に入った生き物を食い殺すのは習性だ。

 それは余分な思考など入る余地の一切無い、遺伝子に組み込まれた絶対の本能としてそこにある。

 本能の止め得る要因があるとするのならば、ソレは、黒龍としての本能より優先して組み込まれたモノ。つまりは、黒龍という種が生まれる以前に組み込まれた、生物としての原初の機能を置いて他には無いだろう。

 ならばソレを、今のたった一言が呼び起こしたとでもいうのだろうか?

 人語にて発せられた、たった一言の言葉が、黒龍として獲得した習性に勝る程の本能。

 ――つまりは、被食者としての死の恐怖(・・・・)を。


 最も困惑が大きかったのは、他ならぬ龍自身であった。

 侵すモノなど有り得ない、生態系の王者たる自分が、矮小なる人間が発する声一言によって動きを止めてしまったという矛盾。黒龍自身、何故自分が攻撃を止めたのかを理解出来てはいなかったのだ。

 黒い暴君は、そのあり得てはならない存在を映すべく、死者の瞳を丘を悠然と登って来る気配へと向けた。



「驚かせてしまったね。

 でも、彼女にも悪気は無かったんだ。

 どうか、それだけは分かってほしい」



 深淵の瞳が、その姿を捉えた。

 黒い瞳に映った、一つの人影。

 声の先にあったソレは、確かに人の形をしていた。

 否。確かに人型ではあるが――、

 アレは、本当に“人”なのだろうか?

 人と断言するのが戸惑われる程に、その人物は“違っていた”。

 落ち着き払った気配が年齢以上に大人びた気配を醸し出す、一人の青年。

 だが目が眩まずにはいられない程、その人物の容姿は異質だった。



 青年は、美しかった。

 否。美しいなどという陳腐な表現では、彼の貌を無為に貶める役目しか果たさないだろう。

 6国に存在し得る全ての言葉を知ったと伝え聞く、創世の大魔導・ユミルですらも、彼の容姿を形容する為の言葉など持ち合わせてはいなかったに違いない。

 世界中に存在する賛辞を全て受け切り、しかしソレをしてなお表し切れぬ程に圧倒的な雰囲気を、その青年は確かに纏っている。


 光を纏った様な黄金色の髪が、吹き抜ける風と戯れる様に、しなやかに揺れる。

 その淡い碧色の瞳を向けられた者は、それこそ老若男女の差異無く意識を奪われ、神々しいまでの美貌に陶然と魅入る以外の選択肢など持ち得まい。

 スラリと伸びる長身の体躯が、異国風の緑色の衣に抱かれている。

 首元に巻かれた赤いスカーフが、彼自身の芸術品の様な容貌と相俟って鮮烈な印象を強め、胸に煌めく翡翠のブローチには、彼がこの国の頂点に位置する者である事を示す“王華の紋”が模られていた。



「その子を傷つけられると困るんだ。

 直ぐに立ち去るから、今日のところは見逃してはくれないかな?」



 三度掛けられる、涼やかな声。

 しかしその優しげな音色を聞きながらも、黒龍は確かに感じてしまっていた。

 この青年は。自分よりも、生物として遥か上位に位置する存在であると――。



 ――何をバカな。



 黒龍は一瞬だけ自身を満たしたその畏れを、次瞬には理性の声で塗り潰す。



 そう。最強の魔獣種の名を冠する龍という種族は、この世界の生態系の頂点に位置する存在である。そして、その中でも成長しきった黒龍とは、最早生物では無く“災害”だ。人間に害を成し、しかし矮小なる人という種族には御する事など叶わない、圧倒的な暴力。災害とは、どうする事も出来ないからこそ災害なのである。黒龍とは人にとっては天敵に当たる存在であり、人が黒龍を畏れようとも、その逆は天命に従ってあり得ないのだ。


 そう。人間などそれこそ数百人で掛ってこようとも、黒龍はブレスの一息で蹴散らすことだろう。人間の扱う魔術も、剣も、年輪を重ねて十分に育った黒龍の鱗を貫くことなど出来はしない。幼生期の子供ならば別として、既に飛べぬ程にその身体を育てた黒龍を殺す方法など、この世界の理にはある筈が無いのである。

 ならばこそ。あの青年が何を口走ったところで、黒龍には恐れる理由などありはしないのだ。


 黒い巨龍は何度も自らを制止しようとした本能の声を塗りつぶし、遺伝子に組み込まれた本能(アイデンティティー)に縋ろうと、再びその歯列を剥いて少女の肌へと食い掛かった。



「そうか……」



 悼む様な、音色が聞こえた。

 一瞬、黒龍の眼に映ったその表情は、翳り。

 心の底から対象を憐れむ様な、本心からの悲しみに満ちた色を、その青年の瞳は湛えている。

 それを無視して本能の動作を続けようと動く黒龍に向けて、彼は、その橙赤色の図形が煌めく左手を翳し――。



「残念だよ」



 そして――。



 黒龍の視界は、地に堕ちた。



 ナニかが弾ける音が聞こえたと思ったその瞬間には、既に全てが終わっていた。

 ズルリ、という、粘着質な音と共に、龍の視界は傾きながら滑り落ちていく。

 頭部は空回りする様に回転し、鮮血を飛沫の如く飛び散らせた。

 驚愕に見開かれた龍の右目に、弾け飛んだ臓物の欠片が突き刺さる。

 激痛に呻く自由など、既に発声器官から切り離された龍の頭部には無い。

 重力に従いボトリと落ち、グチャリと脳漿をブチマケル以外の行為は、既にこの哀れな肉塊には許されていなかった。

 幸いなのは、ソレを理解するだけの時間すらも、身の程を弁えなかったこの被食者には与えられなかった事か――。


 頭蓋を地に砕かれ、意識が途切れるその刹那。

 黒龍は挽肉になった自らの巨体と、綺麗な、赤い、アカイ華を見た――。



―――――



「は、はふぅ……」


 そして少女は、ぺたりと地面にへたり込んだ。

 空気の抜けた風船の様な声を出と共に、糸の切れた人形の如く、その臀部を丘の地面へと接触させる。

 どうやら、あまりの事態に腰が抜けてしまったらしい。

 いや、まあ。先天魔術(ギフト)の格だけで言えば、彼女とて他国の召喚主にも引けを取らない程の物を持ってはいるのだが……。

 あんな大きな龍に襲われるのは、やっぱり理屈じゃなくて怖いのだ。

 それは、もう。どうしようも無いくらいに、怖い物は怖いのである。

 安堵の溜息を零しながら、少女は大きく空を仰いでいた。



「大丈夫かい? ウラノス」



 いつの間にか歩み寄っていた“彼”が、声を掛けてくれた。

 仰いだ天に浮かぶ様に、黄金色の髪がサラリと靡いている。

 何度見ても馴れないくらいに、あまりにも綺麗すぎる“彼”の容姿。



 少女は、まるで夢でも見ているかの様に、その姿にポーッと魅入ったまま思考を止めていた。



「…………」



 ――1分、経っただろうか。

 少女の放心は、中々解けてはくれなかった。

 否、彼が顔を覗き込んでくるせいで、余計に復活が遅れてしまっていたのだが……、

 彼がその手を差し伸べてくれていたのを見つけて、慌てて少女はその手を取ろうとした。


 そして、不意に。

 少女は彼の顔に浮かんだ悲しみに気づく。


 気になって彼の視線を追うと、そこには少女自身の右手があった。

 差し伸べられた彼の手を取ろうと伸ばした、彼女の手。

 龍に睨まれた時の恐怖が抜けきっていなかったのだろう。

 (あかぎれ)が痛々しいその手は、しかしどうしようもないくらいに震えてしまっていた。

 彼はそんな少女の手を、本当に寂しそうに見つめている。



「怖がらせて、しまったかな」


「――へ?」



 ありえない一言を聞いた気がして、少女の背筋はピクンと跳ねあがった。



「ち、違うよ!! そんなのじゃないよ!!」



 気が付くと、少女はあたふた(・・・・)としながら必死に首を振っていた。

 急いで彼の手を取って、跳ねる様にピョンと立ち上がる。


「ぼ、ボクがユピ様のこと、怖がるワケなんか無いよ!!

 だって、ユピ様だもん!!

 ユピ様は、ユピ様で、またボクを助けてくれたんだから、ユピ様で、だからボクが怖がるわけなんかないユピ様で――あれ?」


 ……慌てていたから、だろう。

 少女はだんだん、なんだか自分でも何を言っているのか分からなくなってきてしまった。

 言葉が上手く扱えない、舌っ足らずな自分が、ちょっとだけ悔しい。

 でも、とにかく。自分が彼を怖がるなんて事は絶対にありえないという事を、少女は必死で伝えようと頑張った。



 だって、この人は――。



「ふふ。ありがとう」



 少女があたふたする様子が、よほどおかしかったのだろうか。

 青年は一瞬だけ堪える様な仕草を見せてから、安堵の微笑を浮かべた。

 その優しげな顔を見ているだけで、少女の頭の中はまた真っ白にされてしまう。


「安心したよ。

 君に怖がられてしまったら、僕は今夜を泣いて過ごすところだった」


 笑顔だけでも、頭の中が溶けそうになるというのに――、

 あろうことか彼は、そんな誤解しそうな事を言いながら少女の瞳を覗きこんで、身体を優しく抱き寄せてきた。既にショートしかけていた少女の思考が完全に許容量を超えて、ちょっと大変な事になってしまう。


「あ、う……、ゆ、ユピ、さま……?

 だ、ダメ、だよ。ボクなんかに、触っちゃ……」


 少女の口から辛うじて出たのは、やっぱりそんな、自分を貶める様な言葉。

 こんな事で、やっぱり自分には、本当に“その立場”が骨身に染み付いているんだな~、なんて事を、少女は再確認させられてしまう。

 彼はそんな彼女を、少しだけ悲しげに見つめていた。

 背の高い彼に抱かれて、顔を覗き込まれると、自然に“その部分”も見られてしまう気がして――。



「あ――――」



 隠そうと思ったのが、不思議だった。


 少女は咄嗟に首筋に手をやり、浅黒く変色している“その部分”を隠す。

 自分は“そういうモノ”だと分かっているんだから、別にその証を見られても、全然気にする事なんか無い筈なのに――。

 でも、何故だろうか。

 少女は、彼にだけは、自分の身体で一番醜い“その部分”を見てほしくないと思ってしまったのである。

 多分。

 彼の碧色の瞳に映すには、自分の身体は、あまりにも汚すぎるから――。


 彼は、そんな少女の目を真っ直ぐに見詰めながら、ゆっくりと彼女の緑髪に指を絡ませた。

 サラり、と彼の手櫛で髪を梳かれると、少女の頬はまた染まってしまう。

 自分には、彼の温かさを感じる権利なんか無いって事は、良く分かっているけれど――。

 それでも少女には、そう感じてしまう自分の感情を抑える事なんか出来なかった。


「目、閉じて」


 囁く様な、彼の声色。

 少女はただ、その言葉に素直に従う。

 ――だって、きっと。

 こんな汚い自分にジロジロ見られて、よく思う人なんか居ない筈だから。

 ソレが良く分かっているからこそ、少女はいつまでも彼を見ていたい名残惜しさを振り切って、静かにその目を瞑った。



 首筋に、柔らかい布の感触が掛った。



 温かくて、優しい感触が、首筋から体中を満たす。



 最後に、首の後ろで何かがキュッと締まる感触がしたかと思うと、額に一瞬だけ、柔らかくて湿った感触が当てられて、直ぐに離れていった。



「――って、へ? へ!?

 ゆ、ユピ様!! い、今!! ボクのおでこに――!?」


「開けていいよ」



 未だに額に残る余韻にオロオロしている少女をよそに、彼は悪戯っぽい声色でそんな事を言った。反射的に目を開けて、パタパタと奇妙なダンスを踊り始めてしまう緑髪の少女。

 どうやら、脳の処理能力がとうとう限界を迎えたらしい。

 誰がどう見ても分かるくらい、それはもう見事なまでに真っ赤になっている少女に向けて、彼はニコリ、と、見ただけで頭の中が溶かされる様な、あの笑顔を浮かべた。

 少女の顔の紅潮が、天井知らずに悪化する。



「うん。やっぱり似合ってる」


「――――?」



 だが。

 殆ど放心状態だった少女は、彼のその一言によって冷や水でも浴びたかの様に硬直した。

 咄嗟に彼の視線を追って、自らの首へと視線を落とす。



「こ、コレ……。ユピ様、の」



 少女の首元には、赤いスカーフが巻かれていた。

 未だに彼の温もりが残っている、手触りのいい、華やかな布地。

 自分の隠したい部分を覆う様に巻かれたそれに、どうしようもないくらいの安堵を感じてしまう反面、彼の物に触ってしまっているというその事実を理解して彼女は卒倒した。



「だ、だだだ、ダメだよ!! こんなコト、しちゃ……。

 だ、だって、ボクなんかに巻いちゃったら、コレ!!

 汚くて、使えなくなっちゃう、よ……?」



 このヒト、なんてコトするんだろう。

 少女は狼狽しながら、心の中で彼を軽く非難した。

 だって、彼みたいに綺麗な人のモノを、こんな自分の、一番醜いところに巻くなんて、ソレはナニか、酷く間違っている事の様な気がしたのである。

 咄嗟に外そうともがいたけど、あまりにも慌て過ぎていたから、結び目は中々解けてはくれなかった。

 あたふたしている彼女の手を、彼はそっと握って、止める。



「――――!!」



 そして。そのまま彼女をゆっくりと引き寄せて、彼は再び額にキスを落とした。

 少女の抵抗の意思が、それだけで頭の中ごと溶かされる。



「ユピ、さ、ま……?」


「貸しておくよ」



 再び、頭の中を真っ白にされてしまった少女。

 蕩けた様に潤むその瞳を覗きこみながら、彼女の背に腕を回し、青年は囁く様にそう言った。



「君の傷が――。

 首の傷だけじゃなくて、心の傷も消えるまで。ソレを、君に貸してあげる。

 だから。いつでもいいから、君が自信を持てたと思えた時に、返してくれないかな。

 それまでは。せめてソレが、少しでも君の傷を癒す助けになるように、ね」



 耳元で囁かれる、彼の言葉。

 その優しい声に鼓膜を撫でられると、身体を中から溶かされそうになってしまう。

 まるで、魔法にでも掛けられた様に、頭の中が真っ白になって、絶対にイケナイ事だって分かっていても、制止する意思ごと蕩けてしまった。

 緑髪の少女は、彼の言葉の意味を半分以上理解出来ないままに、小さく頷く。

 ――耳元に掛る吐息に、彼が、小さく笑ったのが分かる。



「うん。それじゃあ、戻ろうか。

 ここに居続けるのは、ちょっとマズイみたいだ」



 彼は腕の中から少女を解放して手を引くと、軽く周囲に目をやった。

 遠くからは、まだ何頭かの黒龍がこっちを覗いている。

 流石に彼に襲いかかろうとするような猛者はもういない様だが――。

 でも、マズイ、というのは、多分危険という意味じゃないんだろう。


 彼が殺めてしまった黒龍。

 よく見ると、その隣にはいくつかの卵が転がっていた。

 親の温もりを失ったアレらは、きっと生まれる前にこの寒さでダメになってしまうんだろう。

 勿論、龍は人を襲う“災害”なんだから、それが生まれてこないという事は、人にとっては間違いなく“良い事”の筈なんだけど……。



「……ゴメン、なさい」


 青い瞳を少しだけ翳らせて、でもソレを少女に悟られまいと、必死に隠している彼を見ていると――。


「ゴメンなさい。

 ボクの、せい、だよね……?」


 少女には、自分のせいで生き物が死んでしまうというその事実が、どうしようも無いくらいに悲しい事に思えてしまった。

 緑衣の青年は、小さく首を横に振って答える。


「ううん。悪いのは僕だよ。

 君が気に病む必要は、どこにも無いんだ」


 安心させる様に少女の緑髪を撫でた青年。

 彼は自らの左手に視線を落としながら、小さく溜息を零していた。


「本当に……。ダメだね、僕は。

 この世界に来て1週間も経つのに、まだ手加減(・・・)の一つも覚えられないんだから」


 漏れた言葉は、彼にとっての切実な嘆きだった。

 緑衣の青年――ユピテルは、この世界よりも遥かに強力な力が存在する世界から呼び出された守護魔らしい。緑髪の少女、ウラノスの知っている限り、彼がその力を揮ったのは、今回を含めてたった3回である。勿論、全て天の国を徘徊する凶悪な魔獣に対してであった。


 そして彼はその3回の行使に於いて、国が軍隊を動員して退治すべきレベルの魔獣達を、例外なく一撃で滅ぼしている。

 しかも。本人は、決して殺さないように手加減したつもりにも関わらず、である。

 強力に過ぎる力を持つ彼にとって、殺さない様に標的を制圧する為の“手加減”を覚える事は、どうやらこの世界に来てからの最重要課題となっている様だった。



 もっとも少女は。

 彼がどんなに強くても、絶対に怖がったりはしないのである。

 だって――。



「とにかく、君が無事で良かったよ。

 疲れてるよね? 帰ったら、午後まではゆっくり休もうか」



 彼はこうして、どんな時でも他人を気にかけてしまう様な、どうしようもないくらいに優しすぎる性格の持ち主なのである。

 ……たまに。ちょっとお人好し過ぎて、少女が不安になる事もあるのだけど。



 少女の目線から、その内心を悟ったのだろうか。

 ユピテルは誤魔化す様な笑みを零してから、僅かにその雰囲気を変えた。

 爽やかな、しかしこの丘に比べると穏やかな温もりを含んだ風が神樹(レーラズ)から吹き抜け、彼の金髪を鮮やかに靡かせる。



「確かに、あの卵の事は心苦しいけどね――。

 でも、助けが必要な人たちは沢山いるから。

 あの卵達と、その親を殺めてしまった分。

 せめて“彼ら”くらいは救わないと」


 風に流れた髪を寄せ、ユピテルは遠い空を見詰めながらそう言った。

 まるでその碧色の瞳に、異国の景色を映す様に――。

 彼の視線の先には、無数の山々を抜けた先に、広い空と“果ての無い平原”が広がっている。

 彼はその遠い景色へと、微かな憂いを含んだ視線を向けていた。


「何日か前、だったかな。

 “銀の国”で、僕たちの仲間が戦ったらしいよ。

 ……もっと早く分かってれば、止めに行きたかったのにね。

 怪我人が出てないといいんだけど」


 少女は、小さく頷きを返した。

 少女も一応、彼の“召喚主”としてその話は聞いていたからだ。

 銀の国の大魔導が守護魔を召喚した事と、その翌日に銀の国に攻め込んだという、武の国の王女。そしてそれに便乗する形で参戦した、氷の国の守護魔の情報。

 少女は、彼が酷く悲しそうな目で語っているのに気付いたが――。


 だが。今のあまりにもこの人らしい言い回しには、少女は苦笑を洩らさずにはいられなかった。


「ユピ様。仲間(・・)なんて言ったら、“三院議会”の皆に怒られちゃうよ?

 国王としての自覚がどうとか、ってね」


「はは。そうかもしれないね。

 でも僕は、それでも彼らを敵だなんて言えないよ。

 だって、僕は――」


「みんなが笑える平和な世界を、でしょ?」


 満面の笑顔で告げられた少女の言葉に、ユピテルは目を丸くしながら口を噤んだ。


 ――彼を召喚してから、1週間。

 彼が口癖のように呟いて、そして少女も、そんな世界になったらどんなにいいかと共感してしまった、彼の夢。

 冷たい呪いに覆われたこの世界にとっては、あまりにも温かすぎる、彼の希望。

 それはとても難しい事に思えたけれど――、


「……信じてるよ?」


 だからこそ、緑髪の少女ははっきりと言った。



「ユピ様なら出来るって、ボクは信じてるよ?」



 少女に先を越されたのが、少々バツが悪かったからだろうか。

 ユピテルは、妙に複雑そうな表情を浮かべていた。

 しかし直ぐに首を振って――、



「……勿論だよ。

 きっと、やってみせる」



 祈る様に、口を開いた。



「僕はきっと、そのために君に呼ばれたんだからね」



 どちらからとも無く微笑みながら、緑衣の王とその召喚主は、風が吹き抜ける丘を下っていった。

 残されたのは、先刻までは絶対者であった筈の、哀れな獣の亡骸。

 どこまでも黒いその骸からは、赤く美しい、一輪の花が咲いていた――。


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