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朝日真也の魔導科学入門  作者: Dr.Cut
第二章:雷神鉄鎚-2『爆走!! 天才(バカ)二人!!』
31/91

31. 他文明に機械技術を齎す科学者には相応の倫理と慎重さ及び責任能力が必須とされるという一般論を強く支持する事例の一つ及び魔術第一人者の異世界人と魔術素人の地球人の扱う魔術の効果を比較した実験結果

 正門前商店街は阿鼻叫喚の地獄絵図と化していた。

 突如として突っ込んできた黒色の獣の咆哮に慄いた民衆たちは、口々に断末魔の悲鳴を上げながら、我先へと手近な建物に立て籠もる。

 朝早い時間帯とはいえ、既に十分な数の人が集まってしまっているこの商店街の活気が災いした。

 自動車の類が無い為に、通りの真ん中だろうが端だろうが関係無しに立ち往生している民衆の群れは、今の彼らにとって邪魔な障害物でしか無い。

 それらを反射神経だけで躱し切り、真也はとても初心者とは思えないハンドル捌きで商店街を疾駆していく。

 ……無論、ソレは彼自身に運転の才能が備わっていたという意味では無い。

 ただの、追い込まれた人間が発揮する、言わば火事場の馬鹿力的技能であった。



「ちょ、ちょっと!! シン!! なんとかしなさいよ!!

 ほら!! その右手のヤツ!! それ戻せば止まるんじゃないの!?」


「無理だ!! ブレーキが弱すぎて全く減速しない!!

 それにさっきの衝突でハンドルが歪んでて、アクセルが全然戻らないんだ!!」


「はあ!? ちょ、ちょっと!! どうすんのよじゃあ!!

 なんか方法ないワケ!? どこか壊せば止まるんじゃないの!? コレ!!」


「どこかってどこを壊すんだよ!!

 コレには燃料タンクなんか無いんだぞ!?

 集めた魔力を使えない様にするには、それこそ粉微塵にするしか無い!!

 車輪でも壊せば止まるだろうが、そんな事したら、オレ達この速度で地面にクラッシュだぞ!?

 下手すりゃ死ぬ!!」


「ま、待ちなさいよ!!

 じゃあナニ!? コレもう止めようがないってコト!?

 信じられない!! 早く何とかしなさいよバカァァアア!!」


「待て待て待て待て!!

 今殴られるとバランスが……のわっ!!」


 二人がそんな会話を交わしている内にも、事態はどんどん悪い方向に向かっていた。

 未だ試作品であった事も災いしたのかもしれない。

 先の衝突事故によって、どうやら動力系に異常が出ている様であった。

 心なしか、というか間違いなく、門を通過した時よりもスピードが上がってきている気がする。

 王都の中心部に向かう程に活気を増すという商店街の性質も災いし、真也はまるで、小さい頃にゲームセンターで遊んだ、所謂“避けゲー”をリアルでやっている気分になっていた。無論、緊張感はその時の比では無い。



 正面に現れた3体の老人。

 耳が遠いのか、全くこっちに気付いた様子の無いソレらを、少女に殴られながらもハンドルを急旋回して回避する。

 完全に躱したが、風圧に煽られて一人コケた。

 追い抜きざまに視界の端に映ったその姿は、失禁しながらプルプルと震えていた。

 なんか、腰でも抜かしたらしい。

 少女の猛攻で視界がブレる中、勘と反射神経だけで動きの鈍い2体の肥満の隣を掠め、混雑の中で眼鏡を落としたらしい中年のオヤジの横を通り過ぎる。

 ――タイヤの下から、パリン、という音が聞こえた。



「アル!! ここは危険だ!!

 取りあえず門の外に出よう!!

 3時間も走れば止まるはずだ!!」


「さ……、3時間……!?

 ちょ、ちょっとふざけないでよ!!

 早く着けるからってコレに乗ったのに、それじゃ歩いた方が全然マシだったじゃない!!」


「言ってる場合か!!

 とにかく、早く外に出ないとマジで死人が出かねない!!

 どこかUターン出来る様な場所は!?」


「ああ!! もう!! 分かったわよ!!

 じゃあ、4つ先の角を右に曲がって!!

 その先に公園があるから、そこで……」



 少女の言葉は、最後まで青年の耳に届く事は無かった。

 劈く様な鐘の音が王都に鳴り響き、彼女の声など跡形も無くかき消したからである。

 その後、一昨日も聞いた、あのメガホンで拡張された様な大音声が響き渡った。



『敵襲!! 敵襲!! 敵は正門前商店街に侵入!!

 王宮魔術団は隊列を組み、騎士団は即刻出撃せよ!!

 繰り返す!! 王宮魔術団は隊列を組み、騎士団は即刻出撃せよ!!』


「敵襲!? ウソでしょ!? まさかこんな時に――」

「いや、ちょっと待て。この状況って……」


 なんか、寒気がして、青年がそう呟いた瞬間である。

 正面から、何やらモノスゴイ数の騎馬が駆けて来た。

 なんかもう、蹄の音が天高く響き渡り、“うぉぉおおおおお!!”という鬨の声が、大地を揺るがさんばかりの迫力で迫って来る。

 流石に、彼らも先日の襲撃から学んだ様である。

 騎士団の皆さんがやってくるのは、警報の発令からすると本当に、有り得ないくらいに早かった。

 ……頼もしい筈なのに、何故か、嫌な予感しかしない真也。



 ――さて。

 ここで、現在彼らが置かれている状況を整理してみよう。

 本日彼らは、この世界に存在しない“バイク”という未知の乗り物を開発し、ソレを使っていつもよりも遥かに早い時間に王都に辿り着いた。

 そして先ほど、その未知の道具で制止しようとした門番を撥ね飛ばし、そのまま商店街を恐怖の渦に包み込んでいる。

 ここで念を押しておくが、彼らは全身黒尽くめである。

 ハンプと呼ばれる旅人用の黒服を着て、頭には安全の為に、同じく真っ黒の覆面(ヘルメット)を被っている。

 一言で言えば、誰だか分からない旅人ルックである。



 えーと。つまり、ナニが言いたいのかというと……。



「「「「「「「ウォォオオオオオオオオオッッッ!!!!

 おのれ敵国民めぇぇえええええ!!」」」」」」」


「やっぱりかぁああああ!?」



 叫び声を上げながら、無数の騎馬はロングソードを抜きつつ二人目がけて突進して来た。

 その姿を見て、少女も流石にアレらがどこに向かっているのかを察したらしい。

 まさか味方に追われる日が来るなんて思っていなかった少女は、真也の背後から声にならない悲鳴を上げたかと思うと、強烈な罵詈雑言の嵐を浴びせながらバカスカと彼の背を殴り始めた。

 肺に響く鈍痛に眩暈を覚えながらも、あまりにも危機的状況に過ぎるが故か、その事が思考に上る事も無く1秒が10秒になったかの様な集中だけが彼の脳を支配する。



「のぉおおおおおおおおおわあぁあああああああああああっ!!!!」



 あの真也が、奇声を上げた。

 視界に映る騎馬は、目算で50騎程。

 あれだけの数のマッチョに正面から突っ込んでは、いかにこの黒獣だろうと無事では済まないだろう。極限状態に意識を置きながらも、脳のどこかで冷静にそう理解した彼は、自身の重心を大きく右に落としながら、車体を極限まで傾けた。

 背後から聞こえる少女の悪態が悲鳴に変わり、彼女は振り落とされまいと全力で彼の身体にしがみ付く。

 靴底が地面に擦れる程の傾きを得た黒獣は、ゴムが擦り切れるかの様な金切り声を張り上げながら、その進路を急速に右へと転換させた。

 ゴリゴリという、鈍い音。

 ハンドルの端を僅かに壁に擦り付けながら、大型バイクは車体の倍も道幅の無い、細い裏路地へと吸い込まれる。



 ――瞬間、少女が息を呑んだ。



「ま!! まままま!! 待ちなさいよ!!

 な、何でよりにもよってこんなトコ入ってるワケ!?

 あ、あたしが言ったのは4番目の角!!

 ここ3番目じゃない!!

 ナニしてんのよバカ!!」


「分かってるよ!!

 あのまま4番目を目指してたら、騎士団に正面衝突だったじゃないか!!」


「そんなの何とかしなさいよ!!

 この鉄くず、ホントはもっと速いんでしょ!?

 加速すれば良かったじゃない!!」


「だからアクセルが動かないんだよ!!」


「そんな事言ってる場合じゃないのよッ!!

 だってこの道は――」


「この道はなんだって――」


 そこまで言った真也は、突如として言葉を失った。

 少女の言わんとする事を自らの目によって理解し、その事実が走馬灯となって彼の全身を駆け巡る。

 目の前に迫る、大きな、壁――!!


「袋小路なんだってばぁッ!!」


「早く言えぇぇぇぇえええ!!!!」


 驚愕する暇もあればこそ、目前の壁は恐ろしい勢いでその距離を詰めて来る。

 目算、約2秒。

 その瞬くほどの時間の後に、壁に衝突したこのバイクは大破し、二人は無残にも硬質の金属によって頭蓋を砕かれるだろう。

 一瞬、彼らの脳裏に過ったのは、潰された蚊の様に壁に張り付き、グチャグチャの肉塊に成り果てた自分達の最期……。



「「わぁぁああああああああああッッッ!!!!!!」」



 瞬間、二人の身に奇跡が起こった。

 意識してない筈なのに、まるで何者かに操られたかの様に流動する両者の身体。

 少女は自分たちの正面に向けて咄嗟に狼霊級相当の火炎魔法を放ち、その爆風によって車体を僅かに減速させた。

 同時に、まるで示し合わせたかの様なタイミングでハンドルを切り、重心を極限まで落とし込む真也。

 それは果たして、守護魔として少女と知識を共有し、ある意味では以心伝心とも言える状態であったことが幸いしたのだろうか。

 彼らは出会って3日とはとても思えない様な、素晴らしいまでの連携を成立させていた。

 真也は左足が完全に地面に着くほど、否、その地に着いた左足を寧ろ積極的に軸として使い、少女の魔法による反動を完全に生かし切りながら、幅数メートルしか無い裏路地でバイクを急旋回させる。重心をなるべく前方へと移動させ、フロントタイヤに全身を乗せる様なイメージを伴いながら――。

 後輪が流れ、悲鳴のような高い音を響かせながら白煙を燻らせた。

 あまりの急旋回故に後輪は完全に浮き上がり、後ろ向きに滑りながら壁へと突っ込む。

 ――瞬間。壁を蹴りあげる後輪のオフロードタイヤ。

 二人を乗せた車体は、物理法則など知らんと言わんばかりの、スタントマンも真っ青な程に凄まじいドライビングテクニックを見せつけ、“車幅Uターン”という神業を成し遂げながら、入ってきた路地を反対方向に向けて戻り出した。



「は、はは、ははははは、ははははははあぁあああ!!

 何とかなるじゃないかッ!!!!

 やってみれば何とかなるモンじゃないかぁッ!!!!

 あはははははははははははぁっぁぁぁぁぁぁああああ!!!!!!」


「あははは。

 キャハハハハハハハハハハハハハ!!!!!

 ほ、ホント!! 何とかなるじゃない!! あたしってやっぱり天才!!

 アハハハハハハハハハハハハハハ!!!!

 キャハハハハハハハハハハハハハハハハハハ!!!!!!」



 奇跡的な生存を果たした二人の“天才(バカ)”。

 彼らは、それはもう、未だ嘗て無いくらいに和やかに大爆笑を始めた。

 なんかそれは、もうあまりの事態に理性が半分以上機能しなくなったかの様な、どこか壊れた悲しい笑顔だった。

 きっと、アレである。強烈な恐怖を感じてしまった彼らの脳が、自己防衛本能に従って無尽蔵にヤバいドーパミンみたいなのを分泌したのだろう。

 ……そんな、ちょっと普通じゃない精神状態になってしまっていた彼らは、事態は何も解決していないと気付くのに暫しの時間を要した。


 路地を抜ける。

 来た道を戻ったのだから、彼らは当然の如く先の商店街へと舞い戻る事になる。

 瞬間、彼らが目撃したのは、ソレはソレは凄まじい数の鎧と剣、あと、馬だった。

 マッチョなガタイの騎士たちが、“いただきまーす”とでも言わんばかりの笑顔で、獲物に喰らい付く直前の肉食獣みたいに待ち構えている。

 ……そこで彼らは、ようやく、そもそもどうして自分たちがこんな道に入ったのかを思い出した。


 騎士団長らしき黒髭の男が、ニッコリと微笑みながら、号令一下高らかに剣を振り下ろした。


「突撃ィィィイイイイイイ!!!!」

「「「「「「「「うぉぉぉおおおおおおおおおお!!!!!!」」」」」」」」


「「うわああぁぁぁぁあああああああああ!!!!????」」


 正面から突き出される20本くらいのロングソード。

 真也は再び反射神経のみで車体を大きく右に傾け、地面擦れ擦れに伏せる事でソレらを避けた。

 何度も何度も鳴り響く、鳥肌が立つ様な金属の摩擦音。

 ソレが、車体に剣が掠っている事を知らせる。

 無駄な思考を脳内から追い出し、真也は、今はこの場を抜ける事だけに意識を集中させた。


 車体を右に90度方向転換させたところで、進行方向に待ち伏せていた騎士たちの馬が大きく暴れ出した。

 馬の足元に火の粉が散り、赤茶色の体毛を微かに焦がしているのが視界の端に映る。

 おそらく、少女が牽制の為に放った火炎魔法による物だろう。

 騎士たちは、暴れる馬にしがみ付いていられずに次々と落馬していった。

 こんな体勢で良く魔術が行使できる物だ、なんて脳のどこか冷静な部分が考えたところで、真也はこじ開けられた僅かな隙間に大きな車体を無理矢理に捻じ込む。

 車体は、騎馬の足元を這うようにして滑り、包囲網の外へと飛び出した。


 被害を確認する。

 目につく傷は車体の表面を軽く削られただけ、という事実に安堵の溜息を零しながら、真也は車体を起して再び逃走を始める。

 背後からは、無数の蹄の音が少しも離れずについてきた。


「どぉすんのよバカぁ!!」


「どうするってもう逃げるしか無いだろ!!」


「だからどこに逃げるつもりなのよ!!」


「だから門の外だろ!!」


「だから!! それなら何で右になんか曲がったのよ!!

 こっち王宮じゃない門は逆方向よッ!!

 信じられないナニ考えてるワケ!? あんたどこまでバカなのよ!! このバカ!!」


「方向なんか気にしてられる状況じゃ無かっただろ!!

 いいから早くUターンを……のわ!!」


 会話している内にも、背後からはピュンピュンと矢が飛んできていた。

 少女が炎で防いでいる様な気配はあるが、それでもその恐ろしい状況に、真也の背筋に汗がダラダラと滴り落ちる。

 その汗ばんだ背中を、少女は問答無用で殴り続けている。

 ……少々、呼吸が苦しくなってきた。


「バカ!! ばかぁ!! いいから!! ばかぁ!!

 早く!! 何とか!! しなさい!! この!! バカ!! バカァァア!!!!」


「待て!! ちょっと落ち着いてくれ!!

 何とかするからちょっと考える時間を――ゴフッ!!」


 バカと叫ぶ度に威力を増す少女のラッシュ。

 ソレが疲労によって落ち着いた頃合いを見計らって、真也は打開策を練り始めた。

 周囲を見回しながら、全力で思考を回し、起死回生の策を模索する。


 商店街には、既に人気が無い。

 どうやら、住民はもう既に避難を終えたらしい。

 つまり、この騎士団さえ何とかできれば、あとは門の外に出て蓄積したエネルギーを使い果たすまで走り続けるだけで助かる筈だ。

 何か無いか? 背後から群がるあのマッチョ隊を、一網打尽にする方法が――。


 そこまで考えた時、彼の視界の端にはソレが映った。


「あ、アル!! 正面の小麦屋だ!!

 あそこに積まれてる袋を前方30メートル、高さ2メートルの位置に飛ばしてくれ!!」


「はあ!? こんな時にナニ言って――」


「いいから!! 早くしてくれ!!

 間に合わなくなる!!」


 突如、不可解な指示を飛ばした真也。

 だが半狂乱状態にあった少女には彼の意図を予想する余裕も無く、結果として尋常でない彼の剣幕に圧される形で飛行魔術を発動させた。小麦袋が3つ、高らかに宙に舞いあがり、空中にバリケードを作る様に立ちはだかる。


 ソレを目で追いながら、真也は自らの腰元の“武器”へと左手を下ろした。

 ――アダマス膨張型プリチャージ式空気拳銃。

 昨日彼が作り上げた、現在彼が所有する中で最も武器らしい武器である。


「うぉぉおおおおおおおおおっ!!!!!!」


 真也は腰のホルスターから空気拳銃を引き抜き、空中に投げられた袋をクイックドロウで撃ち抜いた。何が起こるか分からないから、常に武器は持ち歩くことにしよう、と決心していた事が幸いした形だ。いつ敵国の化け物に命を狙われるかも分からない身である彼は、ピッタリとしたライダースーツを着ている今日も、念のためにソレを身に着けていたのである。

 プリチャージ式空気銃は、可動部分の少なさ故に非常に反動が弱い。その分、現時点ではガラスを割る程度の威力しか無いが、それでも、片手でも撃てるという扱い易さは今の状況では何よりも有難い利点であると言えた。13発装填のマガジンを全て打ちつくし、内5発の弾丸が空中の小麦袋に命中。空けられた穴から大量の内容物が風に乗り、周囲一帯に巻き散らかされる。

 視界を覆い尽くす、粉塵の煙幕。

 商店街は、一時の白煙に包まれた。



―――――



 “敵国民”の駆る未知の黒獣に追従しながら、騎士団長は自慢の口髭を引っ張ってほくそ笑んだ。


 目前を逃げ惑う、おそらくは敵国が生み出したであろう“新兵器”。

 ソレを自らの率いる騎士団(・・・)が、決して魔術団なんかでは無く、誇り高き騎士団(・・・)が追いつめているという事実に神経が高ぶり、何とも言えない誇らしさと高揚が彼のプライドを満足させる。



 やはり、戦闘の本質とは剣と槍なのだ。

 騎士団長は、自らの信条が至高の物であったと確信して笑みを隠せなかった。



 銀の国は魔術師の国である。

 魔導の研究が進み、他国と比較すれば文字通りで“桁が違う”数の精鋭魔導師達を抱えるこの魔術大国は、しかし魔導師連中の厚遇に反比例するかの様に、それ以外の、特に力仕事に従事する人間を軽視する悪癖が染み付いてしまっている。


 だが、騎士団長たる彼に言わせれば、そんな物は悪癖どころか許し難い程の妄言でしか無かった。魔導師が騎士よりも優れている、などという誤りを憚りなく口に出来る人間は、言うなれば悲しき妄信に洗脳されてしまった愚か者に過ぎないのだ、と。

 何の事は無い。魔術団と騎士団が存在する、銀の国の軍隊。

 無知な者の中には、“騎士団は魔術団の二番煎じ”などという根も葉もない虚妄を宣う者も居るが、そんな物は本当にただの妄言に過ぎないのだ。


 何しろ、魔術団の連中は殆ど動かない。


 連中が現場に出てくるのは、敵国民の襲撃などの大きな事件を除いてはとんと稀であり、暴漢や盗賊やらその他の犯罪者等の検挙数は、常に町の最前線で治安に目を光らせている騎士団の方が遥かに多いのである。

 騎士団長の彼に言わせれば、それこそが騎士団の魔術団に対する優位性を示す確固たる証拠に他ならなかった。魔導師なる下種は須らく鶏の如き臆病者であり、その癖プライドだけは一人前にある、無能を隠す為に隠れるしか能の無い国税の寄生虫なのだ、と。

 彼に言わせれば、魔導師なんてモノは、頭でっかちのクセにその中身が空っぽな木偶の坊でしか無かったのだ。


 自らの愛馬を駆り、魔導師なんかには夢でも叶わない程の速度に加速しながら、騎士団長は更に嗜虐的な笑みを深める。

 ――そう。そも研究所に引きこもってばかりの、根暗な魔導師などという生き物は、一度懐に入り込まれてしまえば斬り倒される以外に道は無いのである。

 なんとひ弱。なんと脆弱で、嘆かわしい生き物なのだろうか。

 そう考えると、彼はそんな在り方を至高と信じて疑わない彼らに哀れみすらも覚えてしまう。

 ……いや、まあ。年に何回か行われている騎士団と魔術団の交流戦では、毎回毎回懐に入る前に魔術の雨で一掃されてしまうのだが、あれは、まあアレである。あくまでも、交流戦に過ぎないのだ。そもそも本気じゃ無いし、油断しただけだし、魔術団を贔屓しているお偉いさん達の手前、魔術団の顔を立ててやっているだけなのである。



「…………」



 過去の屈辱が脳裏を過った騎士団長は、一昨日の事件を思い出してハンと鼻を鳴らした。



 そう、一昨日である。武の国の王族を名乗った一昨日の侵入者どもは、あの鼻持ちならない魔術団の鼻っ柱を、ソレはもう完膚無きまでにへし折ってくれた。それも、連中が彼の武術王国の出であり、片方は魔術師ですら無かったらしいという事実がもう傑作である。あの事件は、この国が取り憑かれている魔術至上主義という妄信に一石を投じてくれたのだ。

 所詮は敵国の野蛮人どもではあったのだが、しかしそれでも、騎士団長の彼にしてみれば餌をやってもいいくらいには賞賛に値する働きだったと拳を握ったものである。


 一昨日は騎士団である彼らが到着する前に逃げられてしまったが……。

 だがソレは、裏を返せば、連中が魔術団よりも騎士団を畏れているという態度の現れだとは取れまいか? いやはや、なんと物事の本質を弁えた、素晴らしい姿勢であろうか。武の国なんていう猿山王国の姫だと言うのだから、きっと醜悪極まりない雌ゴリラだったのだろうが、なかなかどうして、ゴリラの割には知恵がある。

 舌の根も乾かぬ内に再び襲撃してきた、姑息にも魔術を使いながら逃げ惑う、目前の二匹の黒害虫に見習わせたい程だ。


 ――そう。今回は逃がすつもりなど無い。

 今度ばかりは魔術団の連中がしゃしゃり出る前にあの愚か者どもを征伐し、やはり騎士団こそが国の平和を担う最高戦力なのだと、王宮の連中の目を覚ましてやらなくてはならないのである。


「矢を射掛けろ!!!!

 右翼!! 放てぇぇぇええええ!!!!

 左翼と中央はワシに続けぃ!!!!

 何としても連中の首を取るのだぁああああ!!!!」


 号令を下した瞬間、敵が魔術を用いて小麦袋を投げ上げた。

 一瞬、敵の魔術に対して怯えを見せる騎士たち。

 恐らくは、なまじ交流戦で魔術の威力を知っているだけに、魔術を見ると条件反射で怯んでしまうのだろう。

 ――なんと嘆かわしい事か。

 寧ろ好都合であると、騎士団長は先頭を駆けながら同朋を鼓舞する。

 敵が魔術を扱うのであれば、つまりは魔術師なのであれば、ソレを仕留める事は魔導師連中に一泡吹かせる事に等しいではないか、と。


 空中で小麦袋が破裂した。

 おそらく、敵が更に何らかの魔術を重ねたのだろう。

 破られた小麦袋から、大量にその中身が漏れ出す。

 通りが、視界が、白煙に包まれる。



 なんとバカな獲物だろうか。

 騎士団長は内心でほくそ笑んだ。



 煙幕のつもりなのだろうが、白煙はその実、全くその役割を果たしていない。

 白煙の向こうには、まだぼんやりと、黒い敵影が浮かび上がっていた。

 これでは、見失おう筈も無い。

 恐らくは、相当に追い詰められたが故の苦し紛れなのだろうが……、

 ならば、打ち取る瞬間は手が届く程に近い――!!



 騎士団長は、魔導師という生き物の無能を糾弾し、魔導師と騎士の立場が逆転する未来をその瞼の内に幻視しながら、立ち込める白煙の中に意気揚々と突っ込んだ。



―――――



 ――掛った。

 背後で白煙が靡き、敵影が無数に映ったその様子を見て、真也は自らの策が成った事を確信した。

 落ち着いて、ゆっくりと、空気拳銃をホルスターへと戻す。

 次に自らの左掌に視線を落として、そこに存在する“武器”を自覚する。

 そう。左手に輝く自らの存在証明。

 燈赤色の燐光を吐き出す、自らが常理を外れた存在なのだと周囲に知らしめる、この世界が誇る“奇跡”を――。


 白煙を抜ける。

 視界が一気に開け、一瞬だけ蒼い太陽の輝きに目が眩んだ。

 無駄な思考は脳内から一瞬で排除し、精神をどこまでもクリアにしながら、真也はその声を張り上げた。


「アルッ!! 伏せろぉおッ!!」


 叫び声を上げながら、左手を背後へと振り翳す。

 空中に鮮やかな白線が描かれ、オレンジの残照が、閃光の様に彼の網膜に焼き付いた。

 白色の雲を掴む様に、振り上げた左手を戻す様に引っ張り抜く。

 白煙から生じた導火線(・・・)が、虚空に弧を描きながら、彼の左手へと繋がっていた。

 少女が困惑する事、0.5秒。意味が分からないままに彼女が伏せたのを確認したところで、真也は強く“その現象”をイメージし、左腕に魔力を飽和させた。



「いっけぇぇぇええええええっっ!!!!」



 ――そして、爆音が全ての音を奪い去った。



 射程僅か2cmの火炎魔法が、空気中に散布された小麦へと次々に引火し、視界を覆う業火となって背後の騎士団へと疾走する。既に雲塊に飛び込んでいた騎士達に、ソレが躱せるワケが無い。否、おそらくは、彼が火炎を放とうとしていた事にすらも気付けてはいなかったに違いない。通りは一瞬にして火の海へと変わり、40を超える騎士たちは、高熱と爆風によって瞬く間に吹き飛ばされた。


 比表面積の大きい可燃性の粉塵が、空気中で十分な量の酸素と混じり合う事によって燃焼反応に対して過敏な状態となり、僅かな火種でも爆発的に燃焼する災害(・・)。小麦粉や粉末金属の様なポピュラーな物質を、危険な爆薬へと変貌させてしまう恐ろしい化学反応。



 ――“粉塵爆発”と呼ばれる現象である。



 最弱とも言える自らの火炎魔法を火種として利用し、その災害を意図的に再現するという荒業。

 ソレこそが、今回の命題に対する物理学者・朝日 真也の解答であった。



 背後では、馬の戦慄(わなな)きが高く響いていた。

 爆炎に巻き込まれずとも、炎を見た馬たちが興奮して暴れている。

 危うく難を逃れた後続の騎士達も、呆気にとられた様子で呆然と沈黙していた。

 敵が使用した想定外な規模の大魔術に、完全に戦意を喪失してしまった形である。



「ヴァァ…ハ…アア…ァアア!!!???

 見…だが……マドウジどもぉ……!!!!

 こでで…ダジバ…逆…で……ん…………………」


「騎士団長……?

 お気を確かに!! 騎士団長!!!!

 ソレは魔導師では無く貴方の愛馬……ああ!! ダメです!!

 そんな風に毛を引っ張られては蹴られ……」


「ボブフゥゥウウウウ!!!!????」


「騎士団長ぉぉぉぉおおおおおおお!!!!!!

 おのれ敵国民めぇ!!!! よくも!!!! よくも騎士団長をぉぉおおおおお!!!!!!」



「…………」



 ――背後で、ナニか聞こえた気がしたが、真也はあまり気にしない事にした。



「ウソ、でしょ……?」



 驚愕の声は少女の物であった。

 困惑の度合いで言えば、彼の素性を知っている彼女のソレは、騎士団の面々を遥かに凌駕する程に大きな物であった事だろう。

 自らの頭上を通過した巨大火球の破壊力をまざまざと見せられた少女は、殆ど放心状態で背後から立ち上る黒煙を眺めていた。



 ――まただ。



 その事実を認識して、彼女の背筋に冷たい汗が滴り落ちる。



 どう贔屓目に見ても、魔術の才なんか皆無だった筈の彼。

 確か昨日の時点では、彼は“戦霊級”と呼べるかも怪しい様な、火打石程度の火しか扱えなかった筈なのである。

 ――だが。それなら彼が今使った魔術は何だったと言うのだろうか。

 通りを完全に覆い尽くした炎の弾丸。

 魔力の消費量こそ戦霊級の最下位程度のモノであったが、しかしその威力は甚大だった。

 大通りを爆散したその破壊は、少なく見積もっても“狼霊級”。否、人によっては、もしかしたら“龍霊級”の最下位と判定するかもしれない。

 いずれにしても今の彼女に分かるのは、自らの正面にて異界の騎馬を駆るこの青年が、再びランクを無視した大破壊を成し遂げてしまったという事実だけである。

 ――最小限の力で、最大の破壊を齎してしまう、あまりにも不可解な彼の“性質”。

 彼の振り翳す理は、奇妙さというその一点に於いて、明らかに常理を外れている。



 と、いうか……。



「ナニしてんのよバカァッ!!

 手ぇ出したら完全に襲撃者じゃない!!」


「仕方ないだろ!? 緊急事態だったんだよ!!」


「その緊急事態を生み出したのはあんたでしょうが!!!!

 ちょっと!! もっと他になんか方法無かったワケ!?

 せめてなんか安全な手が思いつくまで待つとかさ!!!!」


「そんなの待ってたら弓矢でハリセンボンだっただろ!!

 大体!! 話も聞かずに襲い掛かってくるアイツらも悪い!!

 オレの世界じゃな!! こういうのを正当防衛って言うんだ!!」


「あんたが今やってるコトのどぉこに正当性があるってのよッ!!!!

 門番轢き倒して、商店街襲った挙句、今度は火炎魔法で大爆発!?

 本物の襲撃者(ウェヌスたち)より遥かに性質(たち)悪いじゃないばかぁ!!!!」


「襲撃じゃないコレは事故だッ!!

 それに、技術提供は確か特務教諭の義務じゃないか!!

 きっと、あの連中だってソレを話せば分かってくれる筈――」


「きゃ、ちょ、ちょっと!!!! ちゃんと前見て運転しなさいよ!!

 振り向かないって約束したのに……、

 ――あ、そうだ!! あんた、さっきも約束破ったでしょ!!!!

 信じられない!! 絶対に見ないって約束したのにッ!!!!

 あんたってそういうヤツだったワケ!?

 降りたら絶対!! もう絶対記憶が無くなるまで殴ってやるんだからぁ!!!!」


「言ってる場合――アル!! 伏せろ!!」



 視界の外からナニかが迫っている事に気が付いて、真也は突如叫び声を上げた。

 咄嗟に少女の身体を抱き寄せて、腕で包み込む様にしながら庇う。

 瞬間、20発を超える火炎弾が黒色の車体へと降り注いだ。

 半数が車体の表面を僅かに溶解し。残り半数が少女を庇った真也へと次々に命中していく。腕、頭部、腹部、背。全身に灼熱の業火が降り注ぎ、皮膚が一瞬で炭化する程の熱量が襲い掛る。

 もっとも、ソレらは彼に触れようとした瞬間に霧散してしまい、彼には傷一つ付ける事が叶わなかったが……。

 ソレで彼は、今のが魔術による攻撃であった事を確信した。



「――――っ!!」



 細く、しかし見た目よりも逞しい彼の腕に包まれて、少女は微かに頬を染めていた。



「ちょ、し、シン!?

 な、ナニしてんのよ!!

 あんた、今のが魔術だって分かったワケじゃ無いでしょ!?」


「どっちでも同じコトだ!!

 君に怪我なんかしてほしくないんだよ!!

 世界を敵に回しても守り抜くって誓ったろ!!

 魔導師なら約束くらい覚えとけ!!」


「ちょっ!? こ、ここここんな時にナニ口走ってんのよあんたは!!

 だ、大体、あ、あんな簡易魔術なんか、100発撃ったってあたしの結界に傷一つ付けられないんだから、気にしなくていい、のに……」


「そんなワケにいくか!!

 君が死んだらイコールでオレも死ぬんだぞ!?

 オレは怪我してもすぐ治るんだから、この状況じゃ庇うのが当然だろ!!

 君こそ、オレの為にもうちょっとくらい健康には気をつけてくれ!! 頼むから!!」


「――なっ!? ち、ちょっと待ちなさいよ!! あんた!! 人がちょっと見直してやろうかなとか思ってたら、結局自分の為だったワケ!? は、放してよ!! いつまで抱き寄せてるつもりなのよバカ!!」


「不満なら助かってから聞く!!

 次弾!! 来てるぞ!! 備えろ!!」


「あ、あたしを誰だと思ってんのよ!!

 魔導研究所の所長で、銀の国の大魔導よ!?

 あんな連中の魔術なんか、目を閉じてても見えてるの!!」


「そりゃ頼もしいな!!

 じゃあ一緒に車体守ってくれ!!

 今度のは、流石に一人じゃキツそうだ!!」


「あーっ!! もう!!

 あんた絶対後で泣かすからぁ!!!!」


 会話を交わしている間にも、上空からは絶え間なく魔術の雨が降り注いでいた。

 蠅でも払う様に腕を振り回し、真也はその大部分を車体に到達する前に霧散させていく。

 正面から迫る7つのつむじ風を片手で払い除け、人魂の様に不規則に飛び回る蒼炎を蹴り飛ばし、冷気の弾丸を指先一つで無効化する。理の外から来た異世界人(守護魔)である彼には、この世界の理である魔術など4桁撃っても効きはしない。常人には一撃で死が訪れる程の魔術の雨を、真也はそれこそ雨粒でも払うようにして消滅させ続ける。


 ――だが、ソレが雨粒であるのならば、人間が身一つで防ぐのは少々苦しいだろう。

 どう努力して車体を雨から保護したところで、どうしても彼の防備をすり抜ける水滴(モノ)は出てきてしまう。

 その討ち漏らしを処理するのは、背後に控える真紅の少女だ。

 抗魔術結界を自らの身体から車体全体へと展開し、車体の魔法防御を一時的に補強する。

 まるで空気の膜を纏ったかのような黒色のバイクは、降り注ぐ大量の魔術を完全に弾き飛ばし、一切のブレを見せぬままに無人の街道を駆け抜けていた。


『ちぃ!! 抗魔術結界か!! ちょこざいな!!』


「「――――?」」


 その時、彼らの耳には、まるでメガホンで拡張されたかの様な老人の声が聞こえた。

 不思議に思って、なんとなく耳を澄ます二人。


『まあまあ、魔術団長殿。連中も魔導師の端くれの様ですし、頑張ればあのくらいは防げるでしょうよ。まあ、もう息が上がっているとは思いますがな。はっはっはっ』


『連中の攻撃魔術も、おそらくは先の火炎弾で打ち止めでしょうしな。

 今頃、霊道が焼け付いてのたうっているのではありませぬかな?

 まったく。実力以上の魔術行使は身を滅ぼすというのに、よくやりますなぁ』


『いやいや、お見事!! 流石は二番煎じの騎士団だ!!

 あんな蛮族どもにしてやられるとは、仮にも銀の国の軍隊の名が泣くという物!!

 いっそ、この辺りで解体を打診しておくのも……おや? 魔術団長殿? “遠声”のスイッチが入っておりませんか?』


『おや。ははは、コレはしまったなぁ。

 襲撃者や騎士団の面々に聞かれてしまったかもなぁ。

 あー。気を悪くしたなら申し訳無い。聞こえないと思ってつい本音が漏れてしまった様だ。

 いや、何。君たちはよく頑張っているよ? うん。

 敵国の野蛮人や二番煎じの割には、まあ、うん。頑張った頑張った』



「「…………」」



 取りあえず、二人は聞こえなかった事にして、無言でバイクを走らせる事にした。

 だってこうしている間にも、遠方からの魔術の掃射は続けられているのだ。

 なるべく、余計な事は考えたくなかったのだろう。

 わざとらしい口上を努めて無視しながら、どこか方向転換出来る場所を探そうと、大型バイクは無人の商店街を駆け抜ける。


『お? 頑張るね~。

 諸君。彼らを讃えてやってくれたまえ。

 やっとあそこまで辿り着いたようだよ?

 はっはっはっはっ……』


「「…………」」


 ……無視、したかったのに。

 何故か、正面に“声の主”っぽい集団が現れてしまった。

 王宮に続く道を遮る様に隊列を組んでいる、街道を埋め尽くす黒の軍勢。

 “王宮魔術団”が、まだぼんやりとしか見えないくらいの距離に沢山佇んでいる。

 現在降り注いでいる魔術の雨は、どうやら彼らが撃っているモノらしかった。

 ……放っておいてほしいのに、“魔術団長”と呼ばれた老人は、何故か、意味の無さそうな口上を続ける。


『さて、異国の三流魔導師諸君。

 我ら銀の国に楯突いたその勇気に免じて、我ら一流の“王宮魔術団”が、君達に魔導師のなんたるかを身を以て教えて差し上げよう。

 精々、自らの無能を死の淵で悔いるがいい!!』




「…………。


 ……三 流(・ ・)?」



 ゾクリ、と、青年の背後から底冷えする様な声が聞こえた。

 一瞬、彼の脳裏に過ったのは、一昨日丘で少女に処分されかけた時のあの声である。

 向けられたモノに絶対の死を齎す、冷酷な魔導師の空気が、背後に感じる小さな気配から滲み出し、全身の血液が凍りつきそうな程の恐怖を与える。


 ……なまじ、魔術を覚えてしまった事が災いしたかもしれない。

 今の彼には、少女がどれだけ邪悪な魔力を発しているのか、それはもう明確なまでに感じ取れてしまった。



「……誰が。

 誰に向かって、三流魔導師(・・・・・)ですって~~~~っっ!!!?」


「――――っ!!」



 声だけで、真也は背に衝撃を感じた。

 瞬間、彼はこの少女の本質を完全に理解する。

 彼女は、良くも悪くも一流の魔導師なのである。

 確かな実力と、ソレを裏打ちするだけの鍛錬を重ねてきたであろう彼女は、当然ながら、それに見合うだけのプロ意識(プライド)を持ち合わせているのだ。

 そしてソレを否定する様な言動は、彼女には許し難い侮辱として映る。

 ……つまりは、あんな。三流”なんていう、魔導師としての彼女の努力を貶める様な中傷は、彼女には絶対に言ってはならない禁句に当たるのである。



「あ、アル……?

 ちょ、ちょっと待て一回落ち着こう!!

 君、さっき自分で、今これ以上手を出したら不味いって……」


「ううん、いいの。全然いいの。

 だってほら。格の違いもわからないようなバカな部下は、しっかり指導してあげないと、ホントに敵が来た時に危険でしょ? これ、あたしの仕事だから。所長としての役目だから」


「…………」



 無駄と知りつつ、何とか説得を試みた真也。

 だが、彼女の有無を言わせぬ雰囲気から、やっぱりこの少女に説得は無駄なんだろうな~、と、心のどこか冷静な部分が諦観してしまった。


「シン、防御とかしなくていいから。

 そのままあっちに直進して」


 努めて冷静を演じながら告げられる、少女の命。

 ……拒否すれば、彼女の怒りの矛先が自分に向きかねない事を悟った彼は、海よりも深いため息を吐きながら、目前に構える黒い軍勢へと距離を詰めるのだった。



―――――



 徐々に大きくなってくる黒い影を見据えながら、魔術団長は杖に嵌った霊石を磨いた。


 頭の軽い騎士団を蹴散らし、息も絶え絶えになりながらここまで辿り着いたであろう、魔術後進国たる敵国の放った刺客。魔術大国・銀の国以外からやってきた彼らが魔術を扱い、そして辛くも騎士団を退けたというその事実が、魔術団長のプライドを震わせた。



 やはり、この世界の至高は魔術なのだ。

 魔術団長は自らの信条が正しかった事を確信して、ニタリとその口元を緩ませる。



 先日やって来た武の国の王族を名乗る襲撃者。彼らは銀の国の最高戦力たる王宮魔術団の総攻撃を受けて尚、幸運にも(・・・・)無傷なままに生還してしまった。

 野蛮人とはいえ、中々に見目麗しき彼の王女が飼っていた、青いゴリラ。

 あのペテン師染みた大男のせいで、辛くも(・・・)あの王女を取り逃がしてしまった事で、あの無能な騎士どもが愚かしくもつけ上がり始めていたのである。

 ――全く、なんと許し難い事か。

 魔術団長は、その日から行われた仕打ちを思い出して胃酸が強くなったのを感じた。



「…………」



(全く、なんと嘆かわしい。なんと許し難い。使いっ走りの下っ端の分際で、最後まで前線に出てこなかったばかりか、まさか全てに於いて上位たる魔術団を侮るとは……。

 こっちはあの一件のせいで、昨日からあの魔女の組み上げた修練という名の拷問を、普段の2倍も熟しているのだぞ? そう!! あの薄汚い魔女の命令をである!! この辛さが、頭の軽い蛮族や騎士風情に理解出来て堪るものか――!!)



 そこまで思い出したところで、魔術団長の脳裏には、一瞬だけその魔女の姿が過った。

 あまりの嫌悪感に、怒りを通り越して遂には吐き気すらも込み上げてくる。


 そう。魔術団長の彼にとっては、アレは断じて魔導師などでは無かった。

 何故ならば魔術とはこの世界が誇る至高であり、それは即ち、同じく至高なる者によってのみ学ばれなくてはならないからである。

 魔術は崇高なる物であり、故に魔術大国たる銀の国は、この世界で最も優れた国家である、とするのが彼の信条だ。

 ソレに則るのであれば、つまりそこで魔導師を名乗る様な人間は、家柄、才能、否、存在そのものがこの世界で最も優れた人種でなくてはならない。


 詰まるところ彼に言わせれば、あの小娘はあくまでも魔導研究所に寄生している害虫であり、即ち魔女と蔑まれて然るべきモノでしか無いのである。

 そんな魔女の命令に従わざるを得ない、魔術団の辛さが、果たして魔術団以外の誰に理解出来ようか。

 魔術団長の心痛には果てが無い。



「…………」



 あまりの怒りに、団長は奥歯を鳴らした。

 そう。そもそも、あんな何処の下民の出身かも分からぬ小娘が由緒正しき魔導研究所の所長職に就いている事自体、彼にしてみれば魔術という概念そのものに対する冒涜でしか無かったのである。

 代々続く魔導の名家に生まれ、幼い頃より“神童”と持て囃されてきた彼は、あんなぽっと出の汚物に指図されなくてはならないという事実だけで、何度殺してやろうと思ったか分からない程の屈辱を感じていたのだ。


 何しろ、国王陛下の気まぐれで拾われただけのあのドブネズミなど、少々魔術の運用が優れているに過ぎないのである。調子のいい時に、偶々まぐれで“精霊級魔術”を使えてしまったが為にあの椅子に座る事が許されてはいるが、先日もナニか大きな儀式に失敗したと噂されていたし、実力の程など全くもって怪しいモノだ。

 否、きっとその“精霊級魔術”の行使にしたって、程度の低いイカサマによる物であったに違いないのである。あの売女は、下種で雑種の割には少々恵まれてしまったその容姿でもって、王宮の貴族たちを誑かしているだけに違いないのである。



 彼の怒気に呼応するかの様に、霊石が赤く、そして強く輝きを発し始めた。

 徐々に近づいてくる、覆面で顔を隠した侵入者の姿。

 ソレを真っ直ぐに視界に収めながら、魔術団長はふと、今がチャンスである事に気が付いた。



 そう。今この場に、あの生意気な小娘はいないのである。

 先日はあの武の国の襲撃者から逃げ惑っていたらしいが、おそらくは、それで敵国民に恐れをなしたに違いない。きっと今頃、最果ての自宅ででも震えているのだろう。

 何にしても、王都が襲撃されるというこの緊急事態に、イカサマとはいえ大魔導の名を冠しながらも現れないとは、最早弁明のしようも無い程の大失態である。

 ――そうだ。ここであの侵入者を葬ったとあれば、王宮や研究所の皆も目を覚ますに違いない。

 あんな小娘など、そも魔導を学ぶに値しない亜人なのだと。

 歴史ある魔導研究所を総べるべき所長は、歴史ある名家の出身たるこの私こそが相応しいのだと――。


 あの魔女を糾弾し、最果ての丘へと追い返すその瞬間を幻視して、魔術団長は知らず拳を握りしめていた。霊道が疼き、一刻も早くソレを成し遂げたくて仕方なくなってしまう。


「下がっていいぞ、諸君!!

 あの凡俗共には、団長たるこの私自らが引導を渡してやろう!!」


 思い立ったが吉日。

 団長は部下たちを自らの背後へと下がらせると、自らの魔装たる杖を迫りくる敵影へと掲げた。

 杖は基本にして万能の、魔法使いの象徴である。

 器用貧乏などとは断じて言わせない。

 魔術を至高とする信条を掲げる彼にとっては、ソレはそれ以外に認められぬ、唯一無二の本物の魔装であった。

 通りに描かせた魔法円を補助に使い、霊道に魔力を流し込みながら、徐々にその奔流を加速させつつ言霊を紡ぐ。

 その詠唱を聞いている部下たちが感嘆に息を呑むのを、彼は背後に聞いていた。


 ――無理も無い事だろう。

 このランクの魔術を単騎で扱えるのは、一流の魔導師の中でもほんの一握りなのだ。

 多くの魔導師が一度は目指し、しかし辿り着く前に諦めてしまう、魔導師としての到達点の一つ。


 さあ、見るがいい。

 選ばれし者にしか成し得ぬ大魔術。

 “龍霊級魔術”の一撃を!!

 野蛮人の分際で、一流の魔導師に楯突いた事を、最期の業火の中で悔いるがいい――!!



火龍の火炎弾(ファーヴニル)!!」



 魔術団長は、必勝の手応えと共に、その銘を高らかに響かせた。



―――――



 眼前に広がる黒い海。

 闇が結晶化したかの様なその軍勢へと向けて、それよりも更に深い黒を纏った鋼鉄の騎馬が駆け抜ける。

 自らの前で、脇目も振らずに操縦を続ける異界の青年。

 彼が覚悟を決めたのを確認した少女は、視線を更に遠くへと移し、“敵”の動向を注視した。

 軍勢が退き、魔術の雨が止み、こちらに杖を向けている老人の姿だけが目立つ。

 老人の足元では大量の炎の魔力が渦を巻き、解放の時を今か今かと待っていた。

 恐らく、単騎で決着を着けようと考えているのだろう。

 その事実を認識し、少女は自分の身体が震えている事を自覚した。



 武者震いだ。



「上等――!!」



 血が冷たくなった様な感覚と共に、彼女の細い肩が静かに震える。

 敵が行使するのは、龍霊級魔術。

 補助霊道魔法円を用い、完全詠唱で放たれるであろうその威力は、通常の魔導師の価値観から言えば神域と賞しても構わない程のモノだろう。

 ――対する、少女自身の戦力。

 彼にしがみ付かなくてはならない現状では、使えるのは片手のみ。

 少女のシンボルたる魔装は、弓という両手武器の為、現在は使用不可である。

 高速での移動にともなって、魔力の集積も難易度が高い。

 敵が既に術式を完了させている事を考えると、通常の魔導師の基準で考えれば、ハンデ戦どころか最早虐殺の域に入る状況だろう。



 敵が、魔術の銘を告げた。

 龍霊級火炎魔法・火龍の火炎弾(ファーヴニル)

 龍の姿を模した巨大火炎を放つ、火属性を得意とする魔導師が個人で扱い得る中では、最上位と言って良い大魔術である。

 こんな悪条件であんな大魔術を向けられては、通常の魔導師は絶望して辞世の句でも詠み始めるに違いない。



侵攻せよ(tir)炎の(ken)巨人(thorn)!!

 虹橋を渡りて(raidho)世界樹を(sigel)焼け(yr)!!」



 ――だが、それはあくまでも通常の魔導師を基準にした場合の話。

 “大魔導”の名を冠するこの少女は、この世界の理の中に在りながらも、既に常識の枠からは外れた場所に立っている。

 ならばこそ、彼女が今詠むのは辞世の句などではあり得ない。

 詠むべきは精霊へと語りかける神秘の言葉。つまりは言霊だ。

 神速で術式を構築し、詠唱を終えた少女は、その魔術の銘を高らかに響かせた。



始祖の炎帝(ムスペルヘイム)!!」



―――――



 そして、魔術団長の顎は5cm程下がった。

 ナニが起きたのか理解できず、バカみたいに大口を開けたまま目を剝く黒服の老人。

 哀れを誘う程に放心したその様は、彼の年齢を更に10程も更けて見せた。

 あまりの驚愕に白髪は逆立ち、顔面からは色々な液体がダラダラと漏れ始めている。


 ――アリエナイ。


 目前に現れた壁の様な炎球を視認し、彼の頭の中にはそのシンプルなフレーズだけが、いつまでも無限にリフレインされる。



 火炎魔法・始祖の炎帝(ムスペルヘイム)

 帝霊級魔術に分類されるこの大魔術は、別名を“焼夷の紅炎”とも呼ばれる。

 頻繁に修練場を焦土へと変えるソレは、完全に発動させれば火龍(サラマンダー)のブレスを上回る程の火力を発揮するという軍用魔術であった。

 ――そう、軍用魔術(・・・・)

 帝霊級というのは本来、あくまでも敵の軍隊を吹き飛ばす為に運用される魔術であり、発動する上でも、術式構築の難易度や使用魔力量から、最低でも10人以上(・・・・・)の魔導師達が連携して放つ事が前提とされているランクなのである。

 そう。間違っても、あんな、高速で疾走する謎の敵が、たった二人で使用できる様な魔術では無いのだ。


 否。それだけでは無い。

 不可思議なのは、それだけでは無いのだ。

 こんな事は、絶対にあり得る筈がないのである。

 こんな、視界を覆い尽くす様な業火が、こちらの放とうとした“火龍の火炎弾(ファーヴニル)”がみすぼらしいトカゲにしか見えなくなる程の巨大火球が、目の前にあってはならない筈なのである。



 何故なら、あまりにも速すぎる。



 魔術団長の彼が発動したのは、龍霊級魔術だった。

 それも事前に術式を構築し、通りに補助霊道魔法円まで描き、更に敵よりも先に詠唱を開始したのである。ならばそれに遅れてあの敵が放ったあの魔術は、絶対にこちらよりも数ランク簡単な魔術。よくて狼霊級か、下手をすれば戦霊級も怪しい程度の魔術しか放ててはならない。


 だが、アレは明らかにこちらのランクを超えている。

 敵がソレを撃てたという事は、即ちあの敵は、龍霊級よりも格上の大魔術を、あんな不利な条件の上に、魔術団長たる彼よりも更に速く紡いだとでもいうのだろうか。

 そんな、無茶苦茶な速度で術式を構築する事が、一体どんなイカサマをすれば可能になる?

 否。そもそもあの敵はいつ、どこで術式を構築したのか。

 魔力を集めている素振りなど、一切無かったのではなかったか――?



 自らの天才を疑わなかった彼には、気付けなかった事ではあるが――。

 少女は今回、間違いなく正規の手順を踏んでから魔術を放っていた。

 一般的な詠唱魔術の手順に則り、魔力を集め、霊道へと飽和させ、意識を無意識に転換させるという一連の工程を経て、何の特異性も無く魔術を放っただけなのである。

 彼がそれに気付けなかった理由は幾つか挙げられようが……、中でもとりわけ大きな要因が一つ、ある。


 人は、知らない内に、自らの常識に照らし合わせる事で外界を認識する。

 例えばここに林檎が一つ、あるとしよう。

 仮に、事実ソレが林檎であったとしても、見た人間の常識に比してあまりにも大きすぎたり、色が濃すぎたりすれば、ソレを見た人間は、咄嗟にはそれが林檎だと断定できないに違いない。

 本質的に、人間の知覚とはそういう物なのである。

 見たモノがあまりにも自身の持ち合わせる常識から外れていた場合、人間は、ソレをソレとして正しく認識する事が出来ない。


 そう。つまりは彼女のソレは、魔術団長の彼が術式の構築だと思えない程に、あまりにも完璧すぎた(・・・・・)のだ。

 あまりにも、ソレが速すぎたが故に、彼には、それが自らが常日頃から行っている動作を数倍加速したモノだと気付く事が出来なかった。



 ――銀の国(プラティヘイム)の大魔導、アルテミア・クラリス。

 この少女を大魔導たらしめているのは当然ながら彼女の扱う“精霊級魔術”ではあるが、しかし彼女を国一番の魔導師たらしめている理由は別にある。

 つまりは才能と圧倒的練度に裏打ちされた、人外の魔術の発動速度であった。

 この真紅の少女の扱う魔術は、魔力を集積し、霊道へと飽和させ、意識を無意識へと転換させるという一連の予備動作が、ほぼゼロに等しいのである。

 それは、それこそ、注意していなければ、大魔導級の魔術師であろうとも、彼女が魔術を行使しようとしている事に気付けない程に――。


 並の魔導師が40秒で術式を構築し、5秒で詠唱して撃つ魔術を、彼女は僅かに5秒の詠唱のみで再現してしまう。

 狼霊級までならば、毎秒一撃。

 龍霊級だとしても、最速詠唱で3秒もあれば発動させてしまうのだ。

 彼女の魔術行使を見た人間には、彼女が魔力も集めずに、いきなり魔術を出している様にしか見えないのである。

 ――それこそ、腕のいい魔術師が見る程、誰か別の人間が撃っているのではないか、などというイカサマを勘ぐってしまう程に。


 真っ当な魔術戦に於いて、コレは脅威になる。

 何しろ高位の魔導師同士の戦いとは、本来は心理戦なのだ。

 お互いに術式の構築に時間を要し、お互いに敵が何の魔術を行使しようとしているのかを認識した中で、いかに相手の裏をかき、攻撃を凌ぐか。或いは、いかにこちらの魔術を命中させるかが争点となるのが、高位の術者同士の魔術戦なのである。



 大魔導クラスの魔術戦においては先天魔術(ギフト)の差が決め手となる、と言われる要因はここにある。

 大魔導の持つ先天魔術は、どれ一つを取っても例外なく強力に過ぎるからだ。

 それこそ、ソレ一つだけで、並の魔導師など一個中隊で掛ろうとも歯が立たない程に――。

 当然の帰結として、それだけ強力な魔術を無詠唱で扱う怪物を相手にしては、通常の詠唱魔術など行使する暇はどこにも無い。何しろ長々と何十秒も術式を構築している間に、敵はその右手を翳すだけで相対する存在を消し飛ばしてしまうのだから。

 無詠唱魔術以外は、役に立たない早撃ち勝負。

 持って生まれた才能(ギフト)同士の競い合い。

 それが、大魔導クラスの魔術戦なのである。


 そして、だからこそ。その先天魔術以外は役に立たない筈の戦いに詠唱魔術を介入させ得るこの少女は、若干15歳にして、魔術大国たる銀の国の魔導師達の頂点に立つ事を許されているのである。彼女の行使する最速詠唱は、時と場合によっては、無詠唱で紡がれる先天魔術と比しても尚速い。



 無論。敵を完全に格下と侮っていた魔術団長には、そんな事など知る由も無い事柄ではあったが……。


 大通りの幅いっぱいに広がる、否、通りに面した店舗を次々と溶解しながら迫る業火を眺めながら、魔術団長の胸には、ごく些細な疑問だけが去来していた。



 ――アレ、ナンダロウ。



 魔術では、無い。

 術式を構築し、集中して、詠唱して、何とか頑張って撃つのが彼の知る魔術なのである。

 アレは詠唱しかしてないんだから、魔術っぽく見えるけど、魔術じゃない。

 個人で撃てるのは龍霊級くらいが限界で、一回それを撃たれちゃえば、あとは逃げるしかないのが魔導師なのである。

 アレは、逃げないで、ソレの5倍くらいのヘンなの(・・・・)を撃ってきたんだから、アレは魔導師じゃない。

 あれだけの魔術の雨を無傷で抜けて、でも魔導師じゃなくて、しかも魔術じゃないヘンなのを撃ってくる生き物。

 ソレって、なんだろう――?



「…………」



 ふと、なんとなく、後ろを振り向いてみた魔術団長。

 背後には、もう誰もいなかった。

 なんか、みんな、スゴイ悲鳴とか上げながら、必死に必死に逃げていた。



 ――あ、わかった。



 逃げ惑う人々を見た瞬間、彼は、アレが何なのかを漸く理解した。



 魔導師じゃないのに、魔術も使わずに、あんな大きな火を吹く生き物。

 大暴れして、火を吹いて、人々が悲鳴を上げながら逃げていく物。

 そんなモノは、一つしか無い。




 ――怪獣(・・)だ。




「ぃぃぃぃぃいいいいいいいやぁぁぁぁぁぁあああああああッッッ!!!!!!!!!!!!」



 魔術団長は、太陽みたいな大きさの火に呑まれた。



―――――



「……おい。大丈夫か?

 なんか、杖持った爺さんが一人呑まれたぞ?」


「杖持った爺さん……って、もしかして魔術団長?

 あー……、もう歳だから走れなかったのかな。

 ま、多分大丈夫でしょ。

 て言うか、このくらいで死ぬ様なヤツは後で補習だから」



 “始祖の炎帝(ムスペルヘイム)”の一撃によって、完全に焦土と成り果てた大通り。

 地獄の様に燻る黒煙に少々目を細めながら、二人はそんな、魔術団長の火傷に塩を塗りたくってヤスリで削る様な会話を交わしていた。

 “遠声”に受信機能が付いていなかったのは、果たして魔術団長にとって幸運だったのか否か……。



「まあ。とりあえず、これで……」



 ポツリ、と呟きながら、真也は辺りを見回した。

 前方では、一時退避した魔術団が、編成を整えながらこっちを睨んでいる。

 ソレはもう、親の仇でも見る様な目で睨んでいる。

 “よくも魔術団長をぉぉおおお!!!!”とか、叫んでいる。


 背後からは、なんかもう、凄まじい数の蹄の音が響いてきている。

 何となく振り返ると、目算だけでも100騎くらいの騎士たちが、キリキリと弓矢を引き絞っていた。

 “殺せぇぇえええええ!!!!”とか、なんか、物騒な声が聞こえた。



「……これで、完全に襲撃者だな」


「…………」



 彼が一際深く溜息を吐いた、その時である。

 魔術団と騎士団による、息を合わせた一斉射撃が始まった。

 前方からは、4属性の魔術の雨が、視界を覆い尽くさんばかりの勢いで迫って来る。

 後方からは、大量の矢が、もうどこから飛んできてるのか分からないくらい飛んできている。



 ――軍隊vs二人の戦い。

 その現実を理解した瞬間、あまりの絶望感に、彼らは肺に空気を満たしていた。



「あ、アルッ!! どぉするんだよコレ!!

 あいつら完全に殺るつもりの目してるぞ!?

 君、あんなの撃ったんだから、ちゃんと責任を――」


「元はと言えばあんたがこんなの造るからでしょうが!!

 そっちこそ何とか出来ないの!? ほら!! さっきの爆発魔法は!?」


「粉塵が無きゃ無理に決まってるだろ!!

 大体、ソレを言うなら君こそもう一回!!

 今の癇癪玉撃ってくれ!! 早く!!!!」


「か、癇癪玉ぁ!?

 あ、あんた、今始祖の炎帝(ムスペルヘイム)を癇癪玉って言った!?

 ちょっと、どういう神経してるのよ!!!!

 アレは帝霊級に分類される火炎魔法で、本来なら10人で使う軍用――」


「小言は後で聞く!! いいから早く撃つんだ!!!!

 魔術が多すぎて、そんないつまでも防ぎきれないぞ!? オレ!!!!」


「出来るワケ無いでしょうが!!

 こっちだってねぇ!! 後ろから飛んでくる矢を燃やし尽くすだけで手いっぱいなの!!

 帝霊級なんか撃とうとしたら、詠唱してる間にハリセンボンじゃない!!」


「頼りにならないな!! 君は!!

 自分で国一番の魔導師とか言ってたくせに、いざという時には役に立たないのか!?」


「召喚から3日連続で!! 毎日毎日なんかブッ壊してるバカに言われたくないわよ!!

 塔壊して、魔導研究所をボコボコにして、挙句の果てには王都の襲撃!?

 どこの疫病神よ!! どこの邪神よ!! どこの大魔王よぉ!!!!

 国王陛下の言ってた事が良く分かったわバカァァアアア!!!!」


「のわぁ!!?? ま、待て待て待て待て!!!!

 今殴られるのはマジで洒落にならない!!

 ってかアル!! 矢!! 矢!! 飛んできてるから何とかしてくれ!!」


「なんとか!! するのは!! あんたの!! 頭の!! 中でしょうがぁ!!

 いいから何とかして降りる方法を探しなさいってのよ!!」


「降りるってどうするんだ!!

 この速度でクラッシュしたら怪我じゃ済まないぞ!?

 君の魔法を使えばある程度なら減速出来るかもしれないが、相応の制動距離が必要だろ!!

 それとも君は、そんなに長くて人が居ない、都合の良い直線でも知ってるって言うのか!?

 素晴らしいな!! ついでに、飛び降りても大丈夫なくらいフカフカのマットでも敷いてあれば言う事無しだ!!」


「はぁ!? そんな都合の良い場所なんかあるワケ無いでしょうが!!

 無駄に長くて、人が居なくて、その上フカフカの赤絨毯でも敷いてあればいいってワケ!?

 そんな税金の無駄遣いも甚だしい様な、見栄っ張りな貴族の巣みたいな場所がどこに――」



「「――――!!!!」」



 ――瞬間、二人の脳裏には、同時にある場所が去来した。



「「あった!!!!」」

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