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朝日真也の魔導科学入門  作者: Dr.Cut
第二章:雷神鉄鎚-2『爆走!! 天才(バカ)二人!!』
30/91

30. 地球とは全く異なる技術体系が発達した世界に於ける現地の技術を用いたとある現代文明を代表する移動器具の試験的作成及びその性能を確かめる為の尊い犠牲を伴った使用実験の記録

 始まりは単純な思い付きであった。

 大量の荷物、及び少女を積載したリヤカーを引き摺っていた際に青年の頭を過った、本当に些細な願望である。



 ――下りだったら、楽だったのにな。



 そう。もしもこの坂が下りでさえあったのならば、例えどんなに荷物を積載していようが関係無しに、彼も少女の隣に乗りながら滑走するだけで家に帰る事が出来ただろう。もしもそれさえ出来たのならば、この拷問の如き長い長い道のりも、全く苦なんかでは無かった筈なのである。


 無論、そんな物はあり得ない空想に過ぎない。

 苦痛に苛まれた人間の、ある意味では現実逃避による精神保護、とも言えるだろう。

 だが同時に、その空想を空想で終わらせないのが科学者という人種の習性でもあるのだ。

 半ば妄想に近い程の空想に侵された彼の思考は、直ぐさま次の発想へと流動した。



 ――今が上り坂ならば、王都に行く時は下り坂になるのではないか?



 当然である。王都からの帰り道が上り坂であるのならば、昨日彼自身が経験した事実の正にそのままに、少女の家から王都に行く時には下り坂になるのだ。それは、普遍的な事実として間違いなくそこにある。では、その坂を下れるような道具を開発すればどうなるか? 青年の世界が誇る移動器具をこの世界に於いて再現し、それを用いさえすれば、昨日も経験したあの長い長い通勤時間は遥かに改善されるのではあるまいか?

 幸いにして、材料とソレを加工する為の技術、そして知識だけはあり余る程に有る。

 それを理解した青年は、直ぐにその器具を再現してみたくて堪らなくなった。

 そう。つまりは、“自転車”の製造である。


 青年が徹夜をするつもりだったというのは、別にネグリジェ姿の少女と同衾するのを躊躇ったというワケでは無かった。

 いや、その理由も少なからずあったかもしれないが、彼があの時に言った“初めから寝ないつもりだった”というのは、決して出任せなんかでは無かったのだ。

 たった一日分の睡眠時間を削る事で、これから先の通勤時間を半分以下に短縮できるのであれば、ソレは結果的に大幅な睡眠時間の確保にすらも繋がるからである。

 彼は買ってきた大量の鉱石を元に簡単な自転車の設計図を作成し、少女のバックアップから使えそうな術式を諳んじて、なんとか走れるだけの物を自作しようと取り組んだ。



 ところが、である。設計図を作成し始めた彼は、直ぐにその問題に突き当たる事になった。

 先ほども述べた様に、行きが下り坂だというその事実は、そのまま帰り道が上り坂になるという真理を示唆してしまうのだ。加えてそこそこ急勾配とも言えるその坂は、舗装なんか全くされておらず、剝き出しの土が草本に覆われているだけという程のオフロードぶりを呈しているのである。

 下るだけならばともかくとして、普通の自転車なんかで登り切れる様なレベルの坂であるとは到底思えず、これでは折角自転車を作ったとしても、帰り道ではソレを押して帰らなくてはならないだろう。

 帰り道に無駄な荷物が増えるとなると、当然ながらその有難味は半減してしまうワケで、これでは少々片手落ちである。よって青年は、どうせ作るのならば、ギア付きのマウンテンバイクの様な代物にする必要がありそうだと理解した。


 設計図にギアの構造を付け足し、次に材質を決定しようとリヤカーいっぱいの鉱石の山へと目を移した青年。タイヤに使うゴムが無いのが少々辛いかもしれない、などと思っていたが、そこはそれ、流石は異世界の不思議鉱石達である。一つ一つその名前とタグをチェックしていくと、“トロンドラス鋳鉄”なる灰褐色の金属が耐久性、性質、共にゴムと非常に近い物である事が判明した為、彼はソレをチューブ状に加工してタイヤとする事を決めた。

 口元を緩めながら、設計図に使用予定の材質を書き加え、それから生まれるであろう器具を用いてあの坂を滑走する光景を脳裏に浮かべた青年。

 しかしその時、彼はこの計画における致命的な欠陥に思い至った。



 ――あの少女、自転車に乗れない。



 考えてみれば自明である。

 真也自身、補助輪無しで自転車を乗れるようになるまでには、幼い頃に一週間以上の練習期間を必要とした様な記憶があるのだ。彼に限らず、個人差はあるとしても、自転車に乗れるようになる為には相応の練習期間が必要になるのは日本人であれば誰でも知っている真理だろう。

 そしてそれは、異世界人であるあの少女にとってもおそらくは不変である。

 準備期間と称した休みは、残り3日。

 仮に彼女が異常なくらい物覚えが良く、かつ運動神経に優れており、しかも転んでも転んでも諦めないくらいにとても練習熱心である、というかなり都合がいい仮定をしてみたとしても、3日であの坂道を変速ギヤを駆使しながら滑走できる程に自転車を乗りこなすのは、相当に困難を極めるように思えてならなかった。勿論、舗装もされていないあの坂で補助輪なんかを使用するという選択肢は初めから存在しない。


 もしも彼女が自転車の乗り方を覚えられなかった場合には、彼女は真也の後ろに便乗する事になるのだろう。行きはいいにしても、帰り道は相当ハードな軍行になるに違いない。否、それ以前に、もしも少女が真也の後ろに便乗する事に味を占めてしまったとしたら、わざわざ転びながら練習するなんて苦労はせず、コバンザメの様に背後に張り付く様になるのではあるまいか。

 それも、これからずっと。

 魔術で補助するとかいう、尤もらしい口実をつけながら――。


 ……それでは、自滅である。


 小柄な少女がかなり軽量である事はこれまでの体感から既に判明してはいたものの、それでもやはり、人一人を乗せて坂道を走行するという行為の負担はバカに出来る物では無いと彼は判断する。

 よって青年は、発想を転換させて、少女を後ろに乗せても坂が上れるようにパワーアシスト自転車を設計しておこう、という結論に至った。



 結論から言えば、それにも少々の問題があると言わざるを得なかった。何しろこの世界には、当然ながら家庭用コンセントなんてものは存在していないのである。つまりは地球で普及していたパワーアシスト自転車をそのまま再現しようとすると、どうしても電力の供給という点で問題が起きてしまうのだ。

 実を言うと、簡易的な発電機を作る事くらいならば、不死鳥の羽ペン(悪魔のツール)強力なバックアップ(魔女の知恵)を手に入れた今の彼には造作も無い事だったりもするのだが……。

 しかしそれでも、もしも人力発電の電力をパワーアシスト自転車に利用しようというのならば、彼は予めこの屋敷内で相当量の運動をして電気を溜めておかなくてはならないだろう。それでは、なにやら本末転倒とは言えないだろうか。

 無論、下るときに余剰となるエネルギーを効率よく利用する様な機構を組み込めばかなり楽にはなるものの、そこまで高度な制御システムを組み込んだ結果がパワーアシスト自転車では、彼には苦労の割に少々リターンが少ない様に思えてならなかった。

 よって彼は、再び発想の転換を迫られる事となった。



 ――で。

 最終的にどうなったのかと言うと――。



―――――



 その日の少女は、やたらとけたたましい騒音によって現実世界へとその意識を引き戻される事になった。繰り返す。少女を起したのは、紛れも無い騒音である。煩くともどこか清々しい起床鳥(グリンカムビ)の鳴き声でも無ければ、断じて穏やかな朝の日差しなどでも無い、正に文字通りの意味での騒音だったのである。


「――って、へ!?

 ちょ、な、ナニこの音!?」


 大量のスズメバチが耳元で飛び回る様な音に不快感を覚え、驚嘆する様な声を洩らしながら少女は飛び起きた。

 本来は朝に弱い彼女なのではあるが、流石に枕もとで蜂の大群に飛び回られて平然としていられる程に図太い神経は持ち合わせていない。

 彼女は跳ねる様にベッドの上に状態を起したかと思うと、殆ど反射だけで周囲を見回し、異変の原因を探し始めた。



「お。ようやくお目覚めか。

 やっぱり君は、基本的に夜行性なんだな」



 心臓を揺らす様な大音響の中に、この3日ですっかり聞き慣れてしまったアイツの声が響く。

 決して大声じゃない筈なのに、アイツの声はこの騒音の中でも妙に良く通った。

 条件反射の様に、視線を声の方向に向けた少女。



「なに……、ソレ?」



 ――そして彼女は。

 彼と、その隣に生まれ落ちた“ソレ”の姿を目撃した。



 黒光りするボディが、天蓋から差し込む陽光を反射して煌めいている。

 計算され尽くし、流線形に成形された魔法金属はそれだけである種の芸術に近い域の存在感を醸し出し、ソレを初めて見る少女の目にさえ、ソレが既に“完成品”であるという事実を伝えている。

 前方と後方に設置された、荒々しい二つの車輪。

 大地を転がる為に存在するのであろうその器具は、しかし少女の記憶に無い程に起伏に富み、“転がる”のではなく“噛み締める”為に特化された構造となっている事が一目で分かってしまった。

 奇妙な、しかしとことんまで機能美を研鑽された何かを、ソレは確かに纏っている。

 大地を揺るがさんばかりの騒音と振動は、ソレの鼓動と共に世界へと吐き出され、後方から噴き出る白煙と共に少女の皮膚をビリビリと震わせた。



 自らの生を誇る様な、猛々しい咆哮。

 少女はそれを、まるで産声の様だと思った。



「ん? コレか?

 聞いて驚くなよ、コレは――」


 自慢げに口元を緩めながら、青年は自らが生み出したその作品について、唄う様に少女へと語り始めた。



 ――その器具の起源は、1863年にまで遡る。

 フランスの発明家、ルイ‐ギヨーム・ペローが、二輪車に動力装置を取り付けるという斬新な発想を用いて発明し、1873年のウィーン万博に出展したのが始まりであるとされている。当時は動力源として蒸気機関を使用していた為、大きさ、出力、安全性など、どれ一つをとっても実用には程遠い程度のレベルでしか無かったものの、ソレを初めに実現しようとした彼の功績は決して軽視するべき物では無いだろう。


 蒸気機関が内燃機関に変更されたのは、1885年の事だ。現在のダイムラー社によって改善されたソレはその後も着々と進歩、改良を重ねられ、1920年代になると徐々に社会に浸透し始めた。日本であれば、1980年代後半のブームを記憶している方も多くいるだろう。

 現在では四輪自動車の普及や危険性の認知などにより販売台数は伸び悩んでいるという話を聞くものの、依然として、ソレが一部の方々に根強い人気を誇る“芸術品”であるという事実に変わりは無い。


 青年が作り上げたのは、この世界の常識を用いたソレの再現であった。

 通常であれば気化させたガソリンを爆発させる事によってピストンを動かし、動力へと変換させるのがその機器の基本構造なのだが、残念な事にこの世界に実用的なガソリンは未だ存在していない。

 ソレを火炎魔法によって代用するという発想に至ったのは、少女からのバックアップ以上に、彼が昨夜料理の際にコンロを使用したという事が大きかっただろうか。いくら数百のバリエーションを記憶しているからとはいえ、最適な炎の魔法円をシリンダー内に隙間なく書き込み、それらが一切の誤差無く同時に発火する様に計算したのは、“素粒子の魔法使い”とまで呼ばれた彼の面目躍如であったと言える。

 地球よりも遥かに進んでいる、この国の金属加工技術というツールを得た天才物理学者とは、正に水を得た魚に等しかった様だ。

 密集魔法円の超高熱による気体体積の増加は、並列四気筒エンジンにガソリン車と遜色ない程の運動エネルギーを生み出させることだろう。


 更に、彼が生み出したこの“魔力式エンジン”の優れているところは別にある。エンジンのエネルギー源としてガソリンを用いていない為に、燃料タンクを積み込む必要なくなったという点だ。

 この時点で既に軽量化という点で市販のソレと比肩し得る程の高性能だと言えるのだが、しかし真也はその程度で満足できる様な人間性の持ち主では無かった。燃料タンクが必要無くなった事により余裕が出来たスペースに、なんと馬鹿デカいターボを積み込んだのである。机上計算ですら排気量400ccは固いとされていたソレは、その思い付き一つによって想定以上の推進力を誇る怪物マシンへと変貌してしまっていた。

 世界初の魔力式エンジンである事を踏まえれば、ソレは驚異的な性能であると言わざるを得ないだろう。

 思いついた構造を、羽ペンで絵を描くだけで簡単に作成出来てしまうこの世界の金工技術には、ソレを使った真也自身すらも放心する程に驚いていた。


 難点を一つ上げるとすれば、走行時間であろうか。ガソリンの代わりに魔力を使用しているこのマシンは、当然ながら予め魔力を蓄えておかなければ動かない。しかしながらこの魔力の集積というのが魔術素人の真也にとっては中々にネックであり、どうにもその効率には術者自身の魔力運用の手腕が大きなウェイトを占めているらしかった。

 高価な“降魔聖水”とやらをふんだんに使って魔力集積魔法円を描き上げたのではあるが、お世辞にも上手く機能しているとは言えない出来にしかならなかったのである。

 それならせめて数で稼げという発想で、車体内部の描き込めるところには全て魔法円を描きまくり、結果として128もの円をびっちりと装甲の裏に詰め込んだのだが……、それでも、まだ彼が満足できる程の能力とは言い難い。一晩チャージしてみたが、現在の走行可能時間は三時間程度といったところだろうか。

 そのマシンにとって血液とも呼ばれるオイルが、リヤカーの車輪用の物しか用意できなかった事も悔やまれるだろう。

 コレの改良は後の課題である。



 とはいえ、その器具が試作品にしては恐るべき完成度を誇っている事は決して否定できないだろう。彼が魔導を用いて再現したその移動器具は、まだ試作品でありながらも、その実既に完成品であると賞して良い程の代物であった。



 ――4気筒2ストローク魔力式エンジン・オフロードオートモービル。

 排気量500ccを誇り、試算では路面の条件次第で最高時速200km/h近くをマークするというこの怪物マシンこそが、通勤事情の改善という、今回の命題に対する物理学者・朝日 真也の解答であった。



「……えーと。

 つまり、乗り物……?

 ――って!! う、ウソでしょ!?

 こんな鉄くずが、ホントに走るの!?」


 青年の説明を聞いた少女は、驚嘆に目を見張りながらそんな声を発した。

 無論、動力機関に関する知識すら無い彼女には、彼の説明なんか半分以上が意味不明であったのだが、“鉄くずが走る”という事実のみでも、彼女が驚くには十分に値する理由である。


「走るさ。まだ試運転は済ませて無いが……、音を聞く限り完成度はそこそこだろう」


 対して青年は、そんな彼女の様子に満足げに頷いて、細部を点検しながらそう答えた。流石にパーツからバイクを造るのは、魔法の金属加工技術と少女の知識、そして彼の天才をしても非常に困難を極める難題ではあったのだが、その苦労や疲労、徹夜の憔悴も、少女の反応を見た瞬間に吹き飛んだらしい。

 そして不意に、思いついたかの様にこう提案した。


「そうだな。試運転もしたいし、早速これで王都まで行ってみないか?」


「…………」


 少女は、もうどんな反応をしていいのか分からないといった様子で固まっていた。

 彼女にしてみれば、朝突然に未体験の騒音で叩き起こされたかと思ったら、起きた瞬間にワケの分からない説明をかまされ、それでもなんとか、彼が未知の“乗り物”を作った事を理解した段階なのである。

 彼女は未だ、ベッドから降りてすらもいない。

 彼の提案を吟味する余裕など、まさかある筈も無かっただろう。

 ただ、彼女は冷静に、昨夜青年がシャワーを浴びた位置へと人差し指を向けた。


「? どうしたんだ?」


 青年の疑問の声を聞いて、少女は呆れ顔で彼の服を指さした。


「……あんたさ。まさか、その格好で王都に行くつもり?」


「……ん?」


 少女に言われて、青年は自らの衣装へと視線を落とした。

 よく見ると、彼の服装は昨夜の寝間着のままであり、作業に没頭していた為か、真っ黒としか形容できない程にオイルや粉塵塗れになってしまっている。

 軽く肩を竦めながら、彼は、取りあえずシャワーを浴びて着替える事に決めた。



―――――



 正面から吹き抜ける突風が、黒光りするヘルムの中に風鳴りの音を響かせる。

 眼下に広がる深緑の絨毯は、車体の脈動に合わせて流動し、河水の様にうねっては残像を残しつつ背後へと疾走してゆく。

 雲一つ無い、爽やかな冬晴れの日差しの中。

 蒼い太陽へとその存在を知らしめる様に、猛々しく咆哮を張り上げながら、大型バイク特有の重低音が群青の空へと響いていく。



「ちょ、し、シン!!

 コレ、ほんとに速いじゃない!!

 なんか、風を裂いてるみたい!!」


「そんなに速度出して無いぞ?

 速度計は付けてないから分からんが、多分20~30km/hくらいじゃないか?」



 背後から響く少女の驚声を聞きながら、真也は平然とした声でそんな答えを返した。

 無論、17歳にして大学教授を務めている彼である。

 天才の名をほしいままにしている物理学者であり、日々研究者としての激務に追われてきた彼は、当然の如く大型バイクの運転免許なんか持ってはいない。

 否、それどころか実を言うと、彼は自転車より大きな二輪車に乗った経験すらも無かったりする。

 よって現在、彼は練習も兼ねて、ノリで造ってしまったこの怪物マシンのスペックからすれば誤差にもならない程度の超安全運転に徹していたのではあるが――。

 どうやら乗り物初体験の少女は、この程度の速度でも十分に刺激的に感じている様である。

 少女は真也の腰に手を回し、ライダースーツの裾をキュッと握りしめながら、車体が揺れるたびに小さく悲鳴を上げている。


 因みにライダースーツとは、勿論真也の比喩である。

 当然ながらライダーの居ないこの世界にライダースーツなんかが存在している筈も無く、正確には“ライダースーツみたいな黒服”であった。

 正式名称は、確か“ハンプ”とか呼ばれている物で、この世界の旅人に人気の衣装の一つなのだという。

 昨日、商店街の衣類店に立ち寄った際に、着用者の体型ピッタリに伸縮するという不思議さが真也の興味を惹き、3着ほど購入してみた物である。



 シャワーを浴び終わった彼に、少女は昨夜洗濯していた衣服を渡してくれた。

 初めは彼も、何の迷いも無くその服を着ようとしたのではあるが――。

 よく考えると、どうにも、素人が丈の長い白衣を着てバイクに乗るのは自殺行為に思えてならなかった。

 よって仕方なしに、彼は手元にある中で一番バイクの乗車に適しているであろうと思われるこの服を卸してみる事にしたのである。


 少女曰く、実はこの服は7代くらい前の守護魔が着ていた民族衣装を参考に作られた物らしい。

 こんな些細な所にまで守護魔の恩恵が生きているというのだから、やはりこの世界の人間にとって異世界の知識という物は偉大なのかもしれない、などと、光沢のある黒服が風を切る感触を楽しみながら、彼は文字通りの意味で肌に感じていた。



 ……余談だが、白衣は不気味なくらい真っ白になっていた。



「うわっ!! もうこんなトコまで来ちゃったの!?

 ホント、どうなってんのよコレ!!

 あんた、実は魔術師だったんじゃないの!?

 コレ、あんたの先天魔術(ギフト)か何かなんでしょ!! ねえ!!」


 風鳴りの音に混じって、背後からは少女の良い反応が返ってくる。

 無論、少女が身に着けているのもそのハンプである。

 理由は青年の白衣と同じで、少女が普段身に着けているローブや帽子などは、やはりバイクの走行には適さない為だ。

 ……今でこそ機嫌を直してくれた様だが、しかし実は、初めコレを着る様に指示した時には相当な反発を招いたものである。


 理由は明確である。

 先に述べた様に、このハンプという服は着用者の体型ピッタリに(・・・・・)サイズが変化する。

 そう。つまり簡潔に表現するのであれば、コレを着用したりすると、胸部や臀部などの身体のラインが、ソレはもう露骨なまでに浮き出てしまうのだ。

 真也には気付けなかったものの、自らの体型に少々コンプレックスのある少女にとっては、ソレは拷問に等しいくらいの辱めであった。


 尤も、ソレを正直に彼に告げるのは、当然の事ながら少女自身のプライドが許さない。

 よって彼女の主張は――、


「あたしはね、大魔導なの。このローブも、帽子も、特別な事情が無い限り、自宅以外じゃ一切脱いじゃいけない規則になってるんだから、そんなの着て出かけられるワケ無いじゃない!!」


 ――という正論であったのだが、よく考えるまでも無く、特務教諭たる真也には自らの世界の知識をこの世界に伝えるという最重要の義務があり、尚且つ特務教諭の実験は言うまでも無く、十分に“特別な事情”とやらの適応範囲に収まる。

 ソレを指摘されても尚渋っていた少女だったのだが、最終的には真也の、


「馬より速い乗り物に乗ってみたくないのか?

 君がこの世界一番乗りだぞ?」


 という悪魔の囁きによって陥落した。

 いやはや。魔導師たる少女は、本質的に未知への好奇心という物には逆らえない生き物であるらしい。


 この際、彼女が真也に出した条件が三つあった。

 王都に着いたら先ず着替えさせる事と、運転中は絶対に後ろを振り向かない事。あと、絶対に顔が分からない様に工夫する事、である。

 着替えはともかくとして、運転中に後ろを振り向くのは危険極まりないし、どの道安全の為に“ファンサント闇銅”なるプラスチックみたいな鉱石から造ったヘルメットを被ってもらう予定であったので、これらの条件には、真也も別段意義は無かった。


 まあ。何はともあれその様な経緯があり、現在、二人は全身真っ黒のライダースーツに身を包み、黒塗りのヘルメットを被り、黒光りする大型バイクに跨っているというアメコミの悪役みたいな恰好になってしまっていたりする。

 だが、まあ。初めてのドライブに夢中になっている彼らにとって、そんな些細な事を気に留めるのは野暮という物だったのだろう。

 異界の車輪は大地を噛み締め、二人の高揚を代弁するかの様に雄叫びを上げ続ける。



「どうだ? アル。

 異世界の乗り物ってのもいいもんだろ?」


「ふん。ナニ調子に乗っちゃってるのよ。

 ……なんかヤな感じ」


 走り始めてから5分が経過していた。

 少女も、大分ドライブという物に慣れてきたらしい。

 真也の腰から左手を離すと、彼の背中をチョンチョンとツツきながら、からかう様にしてそう言った。



「言っとくけど、乗り物ってホントは動物の事なんだからね?

 こんなうるさい鉄くず、この世界じゃ乗り物でもなんでもないんだから。

 ……あんまり調子に乗ってると、蹴るよ?」


「ほう。それで? その鉄くずの乗り心地はどうだ?

 君のお気には召さなかったのかな?」



 わざとらしく、ちょっとムッとした口調を作って言う少女。

 真也もそれが分かったのか、わざわざ慇懃な口調で返答してみた。

 ――背後で、少女がフッと笑ったのが分かった。

 少女はもう一度、彼の腰に両腕を回し、一際強くその背を抱き寄せる。



「最っ高!!」



 どうやら、少女はかなりご機嫌らしい。

 未だ練習の域を出ない程の超低速ではあったものの、無邪気に喜ぶ彼女の声を聞いていると、真也はそれだけで心が和むのを感じた。

 人間嫌いの筈の彼が、他人の声を心地のいい物として感じているという矛盾に、この時の彼自身は全く気付いてはいなかった。


「飛ばすぞ? アル!!」


 真也も、少々運転に慣れてきたところである。

 少女の反応に気を良くした彼は、一際強くアクセルを吹かした。


「――へ? ちょ、きゃ!?」


 背後から聞こえる可愛らしい声に応えるかの様に、車体は尚も加速する――。




 加速を始めると、なんと3分もしない内に王都の正門が近づいてきてしまった。

 その有り得ない程の速度と、丘を滑走する車体から感じる浮遊感によって恐怖と快感が入り混じり、少女は彼の後ろから悲鳴に近い驚声を発し続ける。

 真也は約束通り、始終前だけを見て運転をしていたが、声だけでも彼女が酷く高揚しているであろう事は容易に想像する事が出来た。

 可愛らしい容姿なのに、しかし基本的には仏頂面を崩さないこの少女が驚嘆しながら声を上げている様子を思うと、知らず口元が緩んでしまう。

 ミュージックプレーヤーが搭載されていないのが惜しまれた。

 これでロックな音楽でも流れてくれれば、演出としては最高だったというのに――。



 このドライブも、もうすぐ終わりを告げる。



 本音を言えば少々物足りないと感じてしまう程に、少女と異世界をドライブするというのは、彼にとってなかなかに爽快な経験であった。

 これからは毎日の様にする事になるのだろうが、それでもつい、いつまでも続けていたいと思ってしまうほどである。



「シン、門の前で止めてね?

 流石に、これで王都の中に入るわけにはいかないからさ」


「ああ、了解」



 少女の声に相槌を打ちながら、真也はこのドライブの終わりを理解した。

 バイクは、まあ門の外に止めっぱなしでも構わないだろう。

 大型バイクなんか1人2人で盗める様な物じゃ無いし、そもそも、盗んだって乗れる人間なんかこの世界にはいないのだ。

 ――さて。王都に着いてからはどうするのだろう。

 時間もあるし、やはり魔導研究所の案内だろうか?

 それとも、昨日は行けなかった様な、少々変わった店でも見て回るのかもしれない。

 何をするかはまだ決まっていなかったものの、今日は何やら退屈しない一日になりそうだ、などと、真也は心の中で頷いた。



 ハッキリと言葉には出来ないものの、真也はこの時既に、ナニかが起こりそうな予感をヒシヒシと感じていたのだろう。



 遠目には、門番の姿が見えた。

 まだボンヤリとしか見えないものの、恐らくは一昨日見た白い歯の好青年と同一人物である。

 遠くからでも、記憶に新しい爽やかな笑顔がキラリと光っているのが分かった。



 彼の姿を目印に、真也は車体を減速させようとし――、



「…………?」






 鈍い音が、響き渡った。






 爽やかな笑顔が、明らかにヤバい角度に傾き、モノスゴイ速さで遠ざかって行く。

 門番の青年は、ボロクズの様に回転しながら宙を舞い、鎧の破片を飛び散らせながら通りの端へと突っ込んだ。

 まるで水飛沫みたいに飛び散る木箱の山。

 ソレが、彼の突っ込んだ衝撃の大きさを物語っていた。



「…………」



 ……チラリ、と、そこを振り返ってみた少女。

 崩れた木箱の山から、一本。門番の彼の物らしい腕だけが伸びていた。

 砕けた籠手を纏ったソレはビクン、ビクン、と規則的に痙攣し、やがて、パッタリと、動かなくなった。



 異世界初の交通事故が発生した瞬間であった。



 周囲から悲鳴が上がる。

 車体は問答無用で王都の中へと侵入し、咆哮を張り上げながら疾走していく。

 撥ね飛ばされた門番の姿は、あっという間に見えなくなってしまった。



「……シン?」



「……なんだ?」



「……止まって、って、言ったんだけど」



「…………」



 真也は、何故か答えなかった。

 まるでお化けでも見たかの様な蒼白な表情を浮かべたまま、何故か、その信じられない事実を信じたくないとでも言わんばかりの、感情の伺えない能面の様な顔になってしまっている。



 後ろに乗っている上に、彼はヘルメットを被っている為、当然ながら少女にはその表情など知る由も無かった。ただ、何となく、スゴくスゴく嫌な予感だけは感じてしまった。



 ――さて。ここで、二輪車の歴史について少し語ろう。

 この偉大なる発明品の起源には諸説有る。

 有力な説としては、1817年頃にドイツのドライス男爵が、当時存在していたベロシフェールと呼ばれる玩具にハンドルを取り付けたのが始まりであるという物がある。

 当時の二輪車にはペダルが存在せず、漕いで進むという行為が成り立たなかった為、足で地面を蹴ったり坂を下ったりなどと玩具の域を出ない使い方しか出来ず、現在一般に認知されている様な移動器具としての地位を確立する為にはもう暫しの時間が必要であった。

 その後、1840年頃のマクミラン型自転車の開発をもってペダルを得た二輪車は、急速に社会に普及していくことになったと言われている。


 ソレが取り付けられたのは、19世紀後半頃の事である。

 ベロシフェールではそもそも大した速度を出すことが前提とされておらず、精々靴の裏でも使えばソレの代わりを果たすには十分だっただろう。

 マクミラン型自転車でも、前輪とクランクペダルが完全に連結しており、ペダルを止めれば車輪も止まった為、特にソレは必要とされなかったのだ。

 その後、馬車や自転車の高機能化・高速化に伴って、より高度な構造が必要とされるようになってきたソレは、現在では競技用などの一部を除き、ほぼ全ての二輪車に取り付けられている。



 その定義を以下に記す。


 “速度を減ずる装置で、自転車の安全性を司る極めて重要な部分(・・・・・・・・)である。

 これを前後両輪に備えない自転車は、日本の公道を走行することが法的に許されない(・・・・・・・・)

 その重要性ゆえに、古来より幾多の改良工夫が繰り返されており、さまざまな形式が存在する。”〈Wikipedia より抜粋〉



 えーと、つまり何が言いたいのかというと……、




「ブレーキ……。


 自転車のままだった……」




 ――ここに、惨劇の幕が上がった。


教授~!!

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