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朝日真也の魔導科学入門  作者: Dr.Cut
第二章:雷神鉄鎚-1『アルテミア所長の魔術講座』
29/91

29. 海外旅行中の日本人を対象にしたアンケート調査に於いては必ずと言っても過言では無い程に不満の上位に挙がるとある日本特有の生活習慣に対する異次元文明と現代地球文明の技術を比較した人文学的考察

「それじゃ、脱いで」


 食事が終わり、真也が洗い物を済ませたタイミングを見計らって、少女はそんな爆弾発言をかましてきた。

 暫し、ナニを言われたのか分からないといった表情で硬直していた真也。

 そんな彼の様子から、今のセリフの微妙なニュアンスに気が付いてしまったのだろう。

 少女は顔を紅潮させながら、プルプルと肩を震わせた。


「そ、そういう意味じゃない!!

 服!! あんたの!! 洗濯しないワケにはいかないでしょ!?

 ほら。あたしはあっちでシャワー浴びてくるから、あんたはここで浴びる。

 服は脱いで、そこの籠の中。 分かった?」


 羞恥の為か、少々妙な日本語(ではないのだが)であちこちを指さした少女は、腕を掲げながら短く呪文を詠唱した。以前見た光景と全く同じ様に、青年の真後ろに例の即席シャワーが作成される。今回はそこから更に呪文を詠唱して、シャワーを囲む様にして数本の柱を生やした。パチン、と指を鳴らしたのを合図に、どこからともなくシーツの様な布が飛んできて、柱と柱の間を覆うようにしてピンと張られる。

 ――なるほど。どうやら仕切りの代わりらしい。

 シャワーの周囲には、あっという間に半径5メートル程の個室が出来上がっていた。


 青年は少女の気配りへの感心と、少女にとって異生物たる自分にとっての個室の必要性に対する些細な疑問を同時に抱いたりもしていたのだが、少女がシャワーの使い方を説明し始めた為に思考を中断した。

 魔術無しではシャワーも浴びられないこの世界の常識には、少々不安と不満を感じた青年であったが……、幸いにして使い方自体はそう複雑なモノでも無かった様である。

 要は、先ほど洗い物をした時に教わった流し台の使い方とほぼ同じなのだ。

 青年が問題なくお湯を出せた事を確認してから、少女はさっさと自分用のシャワーを作りに居住領域の反対端へと去って行った。



 日本のモノと少々勝手の違うシャワーに、少々戸惑いながらも汗を流し始めた青年。

 湯加減の調節が少々面倒臭くはあったが、しかしガスや電気が無くとも温水が出せるのだから、魔法というのも実に便利な物なのかもしれない、と、彼は感心した様に呟いていた。


 ……呟いた瞬間、意識が保温から逸れた為にあっという間にシャワーが冷水に変わってしまい、青年は自らの評価を酷く後悔する羽目になった。


 いやはや、やはり地球の科学技術は偉大である。

 商店街で購入した洗髪料を流しながら湯船が無い事に思い至り、それで物足りなさを感じてしまう自分はやはり日本人なんだろう、などと、彼は海外旅行気分でふむと頷いてみるのだった。




「シン? もう服着た?」


 商店街で買ってきた部屋着を適当に着込み、少々温まり足りない様な感覚を感じながら髪の水分をタオルに吸わせていると、暫くして仕切りの向こうからそんな声が聞こえてきた。短く、肯定の意だけを示す青年。少女は一言だけ“入るよ?”と告げてから、シーツをずらすようにして中に入ってきた。



「――――っ!!」



 その瞬間、青年の意識は不覚にも漂白されてしまった。



 ゆっくりと、シーツをずらす様にしながら入ってきた少女。

 その格好は、青年が知るどんな物とも違っていた。

 可愛らしいフリルが沢山付いた、少女自身の肌に溶け合うかの様に白い布地。

 少々丈の短いワンピースと表現できるその寝間着は、いわゆるネグリジェと呼ばれる物だろう。仕立て自体は目を惹く程に珍しい物では無かったのではあるが、しかしそれでも、そのフワフワと肌触りの良さそうな衣装を彼女が纏うと、ソレは文字通りの意味で破壊力が違った。予想以上に少女趣味なその格好で、遠慮がちに仕切りの中に入ってくる彼女を見ていると、まるで童話のワンシーンにでも迷い込んでしまったかの様な錯覚に襲われる。


 湯上りの為に、いつもに増してなお艶っぽい唇。

 しっとりと水分を含んだ真紅の髪が、温かみのあるランプの光に照らされて、珊瑚を散りばめたかの様な煌めきを得ている。

 洗髪料の香りだろうか。

 春先の苺の様な、甘い匂いがふわりと漂って来ただけで、意識が朦朧とする様な錯覚を覚えてしまう。

 真紅の少女の寝間着姿は、彼女を異生物であると強く認識している青年をして尚、その心理的堤防を容易く崩壊させる程に凶悪に過ぎた。

 “チンパンジーに欲情する変態性癖の異常者”の姿を思い浮かべる事で、真也は動悸が起きそうな心臓を全力で抑え込む。

 もっとも、情けなくも直ぐには収まりがつきそうに無かった為、暫くは目を閉じて、深く深く思索に耽る羽目になりそうではあったが……。



「…………」


 そんな彼の様子を、少女は果たしてどう受け取ったのだろうか。

 暫し訝しそうな、そしてどこか不安そうな表情を浮かべて彼の顔を覗き込んではいたものの、彼の表情には(少なくとも表情には)何の変化も無いと知るや否や、少々不機嫌そうに眉を顰めてしまった。

 まあ、何故ちょっと不機嫌になったのかは、少女自身にもよく分からなかったのだが……。


「……洗濯物、これで全部?」


 青年が目を閉じたまま頷いたのを確認した少女は、「じゃ、洗っとくね」と言いながら、籠の方に目をやった。

 ようやく落ち着きを取り戻してきて、ゆっくりとその目を開けた青年。

 しかし次の瞬間、少女の言葉が意味するところを察して、今度こそ本当に卒倒しそうになった。



 ――考えてみて戴きたい。

 現在、ここは異世界なのである。

 動力期間も電力も存在している様子が無いのだから、当然洗濯機なんていう便利な物も無いだろうし、という事は、やはり洗濯と言えば、手とか洗濯板で洗うのだろう。

 ……と、いう事は、である。つまりこの少女が服を洗うという事は、青年の脱いだ物を一枚一枚手に取って、ソレをゴシゴシと擦り合わせるという事なのである。


 不意に、青年の脳裏には、自分の下着が目の前の少女に洗われている光景が過ってしまった。

 あの籠に放り込んだ布地が、少女の白い手にむんずと掴まれて、ゴリゴリと洗濯板に押し付けられている映像が無慈悲にも脳内で再生される。

 その瞬間、青年の心中には、何故か底知れない羞恥心の様な物が湧き上がってきてしまった。


 ……いや、まあ。

 目の前の少女は異生物なのだから、下着を洗われようが裸身を見られようが別段問題など有る筈も無いのではあるが……。

 少女のネグリジェによって少々脳が沸騰していた青年には、そんな事を冷静に思考している余裕など無かった様だ。


 ――やはり、自分の服くらいは自分で洗おう。

 彼はそう決心し、その意を少女に伝えようと脳内で制止の言葉を組み立てた。

 しかし、正にその瞬間である。

 少女は右腕を掲げ、短く飛行魔術の呪文を詠唱しながら、パチンと一度指を鳴らしてしまったのだ。

 青年が制止する暇も無く、籠はふわりと空中に浮かびあがり、滑空するかの様に部屋の奥の方へと消えていく。

 瞬く間に手の届かない所まで飛んで行ってしまった僕達(いふく)を見送りながら、彼は、自らの遅すぎた判断を暫し後悔し続けていた。

 ……おそらくアレらは、明日にでも少女の手元に戻って来て、桶の様な物でゴシゴシ洗われてしまうのだろう。

 まあ、でも。それならば、少女がアレらを洗う時にもう一度説得するチャンスが……。



「――――ん?」



 そこまで考えた彼は、今の一連の行為に少々不可解な点を見つけて首を傾げた。



「そういえば、アル。

 昨日も思ったんだが、何で服を飛ばす必要があるんだ?」


 そう。この点である。

 昨日の朝の時点では、青年は、少女の行動は服をクローゼットに仕舞う様な物なのだと解釈していた。

 見たところ居住領域内にはそれらしき物は無いし、きっと衣類は嵩張るから、屋敷の別のところにでも保管してあるのだろう、と。


 だが――。それならば、洗濯する前の服をわざわざ飛ばす理由はなんなのだろうか?

 居住領域は二人で住むにしても十分広いし、どうせ洗濯するのであれば、籠ごとそこらへんに置いておいた方が遥かに手間も省けると思われるのだが……。


「? 何でって、洗濯でしょ?」


 青年の疑問をどう理解したのだろうか。

 少女は、心底不思議そうに首を傾げながら、



「明日までには舐め終わってる(・・・・・・・)と思うけど……」



「………………。


…………そうか」



 ……スルーした。青年は、好奇心という名の邪念を全力で抑え込んでスルーした。

 なんか、小一時間ほど少女を問い詰めたい様な欲求に駆られもしたのだが、ソレをしてしまうと、どうもあの白衣を二度と着られなくなってしまう様な気がしてしまったからである。

 多分、何かの隠語なのだろう、などと彼は解釈してみる事にする。

 きっと、この世界には既に全自動洗濯機兼乾燥機みたいな物があって、きっとソレを使用する事を、一般的な慣用句か何かで“舐める”、と表現するに違いない、と。

 ……守護魔の翻訳システムが働かないのが少々気がかりではあったものの、取りあえず、この日の彼はそう信じてみる事にした。



―――――



 長かった一日もこうして終わる。

 食事が終わり、汚れを落とした人間がする事など、通常ならばたった一つしか無い。

 つまりは睡眠である。

 彼らに残された仕事は、少なくとも今に限って言えば何も無く、あとはただ心地よい夢の世界へとダイブするだけで明日への活力を養う事が出来る筈であった。



 ……この日最後の問題は、いざ寝ようかというその段になって発生したのである。



「しまった」


 全ては、青年のこの一言が物語っていた。

 少女も同時にその事に気が付いたのか。

 殆ど放心に近い状態となって、自らが潜り込むべきベッドを見詰めている。

 その隣に立ち、同じ様にベッドを見詰めている青年。

 彼は分かり切っていたその事実を、まるで反芻するかの様に明文化した。



「……布団、買い忘れたな」


「…………」



 そう。彼らは完全に失念していた。

 二件目に入った鉱石店から暴走状態に入ってしまった青年は、興味の赴くままにもの珍しい道具を買い揃えていったのだが、そこからは当初の最重要項目であった“布団”がスッポリと抜け落ちてしまっていたのである。

 いや、まあ。リヤカーが既にいっぱいであった為に、無意識に思考から排除されてしまっていたのかもしれないが……。

 ともかくとして、今重要なのは、現在この家にはベッドが一脚しか存在していないというその事実のみである。

 年若い姿をした二人の男女は、たった一つしか無いベッドをまじまじと見つめながら、途方に暮れた様子で暫し突っ立っていた。



「――――っ!!」


 5分くらい、だろうか。

 まるで何かの化石みたいに立ち尽くしていた少女は、不意に弾かれる様にしてベッドへとダイブした。

 そしてぼふっ、という柔らかそうな音を居住領域に響かせた後、なにやら布団の上で奇妙なブレイクダンスを踊り始める。

 ……どうやら、あまりの事態故に布団の被り方を忘れてしまったらしい。

 暫し尺取虫の様にゴロゴロと布団の上を転がりまわっていた少女は、やがて布団とは一度捲らないと中には入れない物である、という真理を思い出したらしく、枕の辺りをペロンと捲ってその中へと潜り込んだ。

 顔を口元まで、スッポリと布団に埋め、む~っと唸りながら青年の方を睨み付ける。



「……いいわよ」



 そして、ポツリと呟いた。



「……いいわよ。

 いいわよ!! ほら、来るんでしょ!?

 あ、ああ、あんた。同じ、種じゃ……、ないんだもん、ね?

 い、いっしょに、ね、寝たって、ベベ、別に、何とも、無い、し……。

 ……く、来るんでしょ? 寝るんでしょ!?

 く、くくく、来るなら来なさいよ!! さあ!!」


「…………」



 初日の青年の言葉を覚えていた少女は、もう半分以上意地だけでそんな事を言っていた。

 声はどうしようも無いくらいに震えているし、顔も、布団で隠しても丸わかりなくらいに真っ赤になってしまっている事は、彼女自身十分に分かってはいたのだが……。

 彼女は、この青年がそんな事を全く気にしない生き物である、という事も重々理解していたので、我慢した。

 だって、どうせ彼もこの布団に入って来るのだろうし、自分だけが“そういう事”を意識しているなんていう状況は、彼女のプライド的に許せる事では無いのである。


 初日よりはましだ、と、少女は何度も自分自身に言い聞かせる。

 だって今日は、ちゃんとシャワーだって浴びたのである。

 彼の黒くて、綺麗な瞳とか、線の細い顔立ちとか、スラリと長い指先とか、意外と、引き締まっている体つき、とか――。ホントに、ちょっとは、慣れた筈なのである。

 そう。もう全く知らない仲じゃ無くなったのだし、彼が一緒に寝ても何もしない(というか人間だとすら思われてない)という事は既に証明済みなのだし、このくらいは、別に何の問題も無いのである。これは、そう。アレ。猫とか犬を布団に入れる様な物で、ちょっと布団を温めてもらうだけなのである。


 そんな混乱した決意と共に、完全に臨戦態勢で彼を睨んでいた少女。

 真也は相変わらずのポーカーフェイスを保ったまま、小さく溜息を吐いた。



「……いや。オレは、今日は寝ないからいいよ」


「――――へ?」



 少女は、目を丸くした。



 正直、彼が布団に入ってこないのは、いい。

 ……だって本音を言うと、もしもまた彼と一緒に寝る、なんて事になったら、少女は今度こそどうなるか分かったモノじゃなかったのだ。さっきはもう慣れてきたから、知らない仲じゃ無くなったからと自分に言い聞かせたが――。

 知らない仲じゃ無いからこそ、余計に強まる羞恥心という物もあるのである。


 

 でも、たったそれだけの理由で彼に徹夜を強いるのは、流石の少女にもちょっと気が引けた。

 否。それ以前の問題として、そもそも彼は、デリカシーなんて概念は全く無い生き物では無かったのだろうか。

 いや、そんなモノが無い生き物であるのは間違いがない。

 それだけは、もう、少女は命を賭けても断言できる。

 

 ……でも、そうなると。

 じゃあコレは、一体どういう風の吹き回しなのだろうか?

 少女はあまりの困惑に、少々放心状態になりかけていた。


 真也は、軽く肩を竦めて見せる。


「……実は、今日はもともと寝ない予定だったんだ。

 昨日、久しぶりにたっぷり寝たからな。

 布団を買い忘れたのは確かだが、まあ、きっと初めから使うつもりが無かったから忘れたんだろう」


 困惑している少女に、真也はそんな言葉を付け加えた。

 意味が分からず、なおも疑問符を強める少女。

 そんな彼女をよそに、真也はゆっくりと、その視線を部屋の隅の方へと移し――。



「造ってみたい物があったのさ」



 リヤカーに積まれたままになっている、大量の鉱石を見据えながらそう呟いた。

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