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朝日真也の魔導科学入門  作者: Dr.Cut
第二章:雷神鉄鎚-1『アルテミア所長の魔術講座』
25/91

25. 真理を探求する上での根本的な世界観及び大前提を完全に異にした二つの学問の第一人者達による歴史上最も不毛なる議論の記録

 薄暗い空間に、焼け焦げた様な臭気が籠っている。

 赤銅が楠んだドーム型の天蓋は無機質で、まるで有機物の混入による精緻の紛れを嫌っているかの様だ。十数メートルはあろうかという高さの天蓋から無数にぶら下がっているアレは、換気用のプロペラだろうか。風力発電機を思わせる巨大なウィンドミルが、硝煙に粘る空気を捏ね回すかの様に、ゴウンゴウンと回っている。


「ここが第三修練場。

 規模としては、まあ魔導研究所(ヴァルスキャルグ)じゃ真ん中くらいね」


 ――コツン、コツン。

 革製のブーツが、乾いた音を鳴らしている。

 鼻腔に張り付く様な、薬香を思わせるこの空気の粘度も、おそらくこの少女には慣れた物なのだろう。例えるなら、一般人ならば須らく頭痛に苛まれる程のホルマリンの臭気を、熟練した医師が気に留める事を忘れる様に――。

 彼女はこの場の異常な空気をまるで正常の如く呼気としながら、いつもと変わらぬ声色で、青年をドームの中心へと先導した。


「それじゃ、先ずは理論の方から簡単に説明するけど……。

 大丈夫? なんか顔色悪くない?」


「…………」


 翡翠の瞳が、見上げる様にして青年の顔を覗き込む。

 案じる様なその視線に、しかし彼は上手く言葉を発する事も出来なかった。


 修練場と呼ばれたその部屋には、別段異臭や悪臭が籠っているというわけでは無い。寧ろ地球の、排ガス塗れの都会の空気に比べれば、幾分澄み渡っているとすらも言えるだろう。

 ――違うのはただ一つ。青年には何と表現して良いのかが釈然としなかったものの、強いて言うのであれば、空気の“濃度”が違うとでも形容しようか。

 特別湿度が高いという訳でも無いのに、奇妙な程に皮膚に纏わりつく空気。

 妙に生温かく、湿り気を含んでいるとしか思えないそれは、身を動かす度に青年の体表を撫で、何者かに吐息でも浴びせられ続けているかの様な錯覚を与える。


 身震いする青年に視線を向けて、少女は含んだ様な笑みを零していた。


「……ふーん、なるほどね。

 流石に異世界人のあんたでも、ここの“濃さ”は分かるんだ」


「――濃さ?」


 ネットリと絡みついてくる、蜂蜜の様な気体。

 鼓膜をくすぐられる様な気味の悪さをなんとか堪えつつ、青年は一言だけそう聞き返した。

 少女は別段気にした様子も無く、コクンと頷きを返す。


「渡り廊下から見たとき、街が図形みたいになってるって、気付いたでしょ?

 実は王都(シルヴェルサイト)はね。街そのものが巨大な魔法円になってるの。

 ――言わば人工的な霊地ね。街自体が掻き集める魔力のおかげで、この王都の中では、魔導師は普段の3割増しくらいの力が出せるってわけ」


 言いながら、少女は空間にソロリと指を這わせた。

 細い指先の周りに、陽炎の様な景色の歪みが生まれる。

 白く、しなやかなその手を、青年は何となく目で追った。


「――で。その中でも、研究所に12カ所ある修練場の濃度は別格。

 ちょっと集積しただけでも、ホントにバカみたいな量の魔力が流れ込んで来るから、負荷を掛けてキャパを鍛えるにはもってこいなの。

 ……ま。慣れない内は霊道が焼け付いちゃって、みんなすぐに寝込むんだけどね」


「…………」


 青年は、静かに少女の言葉を吟味した。

 要約すると、ここは酸素を薄くしたジムみたいな物だという事だろうか。

 ……なるほど。実際以上に過酷な環境に身体を晒し、それに適応させることで能力を伸ばすのは、まあ確かにどの分野の練習でも常套手段だと言えるだろう。

 最も今回の場合は、酸素を減らして行う低酸素トレーニングとは真逆な理屈なわけだから、どちらかと言えば酒に慣れる様な感覚の方が近いのかもしれないが……。


「……その霊道っていうのは?」


 少女の説明を地球流に解釈した彼は、聞き慣れない単語を聞き返した。

 少女は頷きながら、動物の顎を撫でる様な動作で、さらに空中に手を這わせる。


「この世界の人間にはね。“集積器官”っていう、魔力を集める為の臓器があるの。

 そこから神経みたいな管が体のあちこちに伸びてて、それが魔力を全身に届ける道になってるってわけ。――こんな風にね」


 少女はゆっくりとその右手を開き、5本の指をまっすぐに伸ばした。

 掌の上でユラリ、と空気が揺れたかと思うと、ポッ、と燐光が4粒。まるで蛍の様に煌めきながら空中を踊る。朧な4匹の蛍達は、花火の残照の様に尾を引きながら、静かに虚空へと溶けていった。


「あんたも見たことあるでしょ?

 今のオレンジとピンクが混ざった様なのが、魔力の色」


 少女はポッ、ポッ、と、そのまま続けて何粒か燐光を舞わせた。

 ――確かに、見覚えがある。

 青年は、顎に手を当てて頷いた。


 記憶にあるのは少女が炎を出した時や、あのお姫様が武器を作った時。あとは、アダマス鉱が魔力を放出して膨張した時だろうか。確かに青年には、魔力やら魔法やらという話が出てくる時には、大抵あのエフェクトが掛っていたように思えた。


 青年はまとめながら、もう一度頷く。

 要約すると、この世界には魔力という未知のナニかが存在していて、この世界の人間の身体にはそれを集める為の臓器がある、という事らしい。これまでの話を統括すると、魔術とは、その魔力を何らかの形で使って起される現象なのだという。

 ……例えば、(恐ろしい事だが)この少女がヒステリーを起こした時によく出す火炎は、その代表例だと言えるだろう。


「…………」


 ――と、すれば。魔力というのはこの世界特有の化学物質、だということなのだろうか。

 つまりこの世界の生命体である彼女たちは、まるで地球の生命体が酸素を利用して活動する術を会得した様に、大気中に溢れ返る“魔力”という化学物質を利用しながら進化してきた、と。もしも“魔力”という名の化学物質がこの世界に溢れ返っており、尚且つそれが燃焼反応を起せる程に反応性に富んだ物質であるとするのであれば、確かにそのエネルギーを利用する事は、生化学的に見て大変に有効な手段だったと考えられるだろう。


「……なるほどな」


 青年は、なおも解釈を続けた。

 なるほど、そう考えると魔術というのは、実は思った以上に生物学的に理に適った現象なのかもしれない。

 彼は、心底感心した様子で頷いた。

 いやはや。“魔術”なんていうオカルトな名称の為に危うく混乱するところではあったが、考えてみれば、思ったよりもずっと科学的な話ではないか。

 要するに魔術とは、簡単に言うと、魔力という物質の化学反応――。



「魔術っていうのはね、簡単に言うと、精霊との契約(・・・・・・)なの。

 星の活力である魔力は、四大精霊の力の源。

 だからこうやって魔力を集めたら、力を借りたい精霊に呼びかけて――」



「………………」



 そこで言葉を区切った少女は、僅かに集中する様な仕草を見せた。

 空間の揺らめきが大きくなり、光の粒が徐々に大きくなっていく。

 やがて燐光が一カ所に集まったかと思うと、少女の掌の上で、ピンポン玉くらいの炎がポンと燃えた。

 オレンジ色に燃える火球は、そのまま少女の手の周りをふよふよと漂い、衛星の様に掌を周回してから、転がる様にして人差し指の先へと留まる。少女がフッと息を吹きかけると、紅焔はシャボン玉が割れる様に、パンッと弾けた。


「――魔術が発動するってわけ。

 なにか質問はある?」


「………………。

 ……今、なんて言った?」


 何故か、唖然としている青年。

 なんか、まるでコーラと騙されてヨウ素液でも飲まされたかの様な顔だった。

 少女は、うーん、と、自らの唇に人差し指を当てた。


「“魔術が発動するってわけ”?」


「……いや、その前だ」


 コクン、と、少女は小さく首を傾げた。

 傾げながら、自分の言葉をよーく思い出す様な仕草を見せて、再び口を開いた。


「――精霊との、契約?」


「却下だ」


 まるで酷い頭痛を堪えているかの様な、青年の表情。

 目を丸くしている少女に、彼は静かに肩を震わせた。


「君の体構造がオレの世界の人間と異なっていて、君にその“魔力”とやらを集める臓器がある。これは、いい。その魔力とやらが今の燐光の原因で、それが発火という現象を引き起こした。これも、観測出来たから、まだ納得してもいい。

 ……で。その精霊とやらは、いったいどこに居たんだ?

 気のせいかもしれないが、オレには一切、全くそんなモノは見えなかったんだが」


「? 当たり前でしょ? 精霊なんだから」


「…………。

 どうしてそれが当たり前だと思えるんだ……」


 少女ははてな、と、今度は反対方向に首を傾げて見せた。

 青年は、なんかこの世の終わりの様な顔で頭を抱えていた。


「……分かった。仮に、その精霊とやらが居たとしよう。それで? そいつらは見えないんだよな? 見えないのに、なぜ君は、そいつらがそこに居たと言い切れるんだ?」


「魔法が発動したから、でしょ?」


「……どうして火が出た事が、イコールで精霊が居た事になるんだ?」


「? どうしてもなにも……。

 火を起してるのが火の精霊なんだから、火が出たなら火の精霊が居たって事でしょ?」


「だから、どうして火を起してるのが、火の精霊とやらになるんだ?」


「火を起すのが火の精霊だからに決まってるじゃない。

 なに当たり前のコト聞いてるのよ」


「…………」


 青年は、目を伏せた。

 目を伏せて、静かに溜息を吐いた。

 それは酷い頭痛を堪えるかの様な、或いは酷い胸やけに悶えているかの様な、もしくは耐えきれない程のモヤモヤが、心臓にでも張り付いてしまったかの様な苦悶の表情であった。


 少女はあまり気にしないで、首を元の位置に戻す。


「うーん……。まあ、よくわかんないけど続けるね?

 とにかく、魔術っていうのは精霊との契約で、力を借りる精霊の種類によって、4つの属性に分けられるの」


「……なるほど。

 魔力が(・・・)起す現象によって、4種類に分類してるわけか。

 シンプルでいいな」


「魔力を取り込んだ、精霊が(・・・)、起す現象ね?」


「…………」


 ――ここ、正確にね?

 なんて言いながら人差し指を立てる少女。

 青年は、ナニか、深い瞑想状態に入りつつあった。

 ソレを心底不思議そうに見つめながら、少女は更に続けた。


「精霊の持つ属性は、火、氷、風、土の4種類。

 亜種っていう細かいのも沢山あるんだけど、結局は全部、この4つから派生した属性だっていうのが現代の解釈ね。加えてそれぞれの属性は、各精霊の性格と能力を反映した性質を持ってるの」


「…………」


 青年は固く目を閉じて、プルプルと肩を震わせている。

 まるで、胃の中の虫刺されが痒くて痒くてしょうがないとでもいうかの様な、非常に奇妙な震え方である。

 少女は無情にも、一切構わずに先を続ける。


「例えば――。火の精霊は、四大精霊の王だって言われてるの。

 気性が荒く、同時に力への野心が強い彼の者の力を借りる火炎魔法は、4属性の中でも特に最強ね。もしも同じ魔力で同ランクの魔法を撃ったとしたら、火炎魔法の規模は、他の3属性に比べて断トツってわけ」


「……なるほど。

 で、まさか最弱が風魔法。

 理由は燃費が悪くて威力が弱いから。とか言い出さないよな?」


「? よく分かったじゃない」


 押し黙っていた青年の、吐露するかの様な一言。

 その言葉の裏に隠された彼の内心を、果たして少女は感じなかったのか。

 彼女は、平然と頷いていた。


「確かにあんたの言う通り、風の精霊は気まぐれな上に怠け症だから、バカみたいに魔力を食う割には弱い魔法が多いけど――。

 あ、もしかして。あんたの世界でも、やっぱり風の精霊は気分家だったの?」


「……エネルギー変換効率を考えただけだ」


 えねるぎー? なんてオウム返しの様に呟きながら眉を寄せる少女。

 そんな彼女に言い聞かせるかの様に、青年は人差し指を立てながら説明を始めた。


 ――エネルギーとは、仕事をする能力を示す物理量である。特にエネルギー保存の法則より、例えどの様な変換過程を経ようと、その総和は全宇宙で普遍である事が一般に知られている。また熱力学の第二法則より、変換工程を増やす程にエントロピーと呼ばれるエネルギーの“質”が悪くなり、使用可能なエネルギーとしてのロスが大きくなるのも一般常識だろう。


 さて。そこで、先の4つの事例を考えてみる事にする。

 おそらく4つの属性とやらの内、火と氷とやらは熱エネルギー。土とやらはまだよく分からないが、これも風と合わせて運動エネルギーに関係すると考えるのが妥当だろう。そして運動エネルギーへの変換というのは、熱エネルギーへの変換に比べて格段にロスが大きいのが常である。


 例えばプロペラ無しで風を作ろうと思えば、それはそれは大変な事だろう。

 台風の事例を考えても、同じ現象を起すには風だけでも広島原爆の数千倍のエネルギーが必要であるし、人間の骨格筋を想定しても、化学エネルギーから運動エネルギーへの変換効率は30パーセントを切る。

 しかも風魔法が本当に風を生む魔法であり、もしも土魔法が土に運動エネルギーを与える魔法であるとしたら、空気という“気体”を扱うという点でも風魔法は酷い。先の扇風機がいい例だろう。密度が低い気体では、よっぽどのエネルギーを使わない限り、涼むくらいにしか役には立つまい。涼む為の道具である扇風機でさえも、内臓されているモーターを使えば、“強”の風力で動かせなかった物体でも動かし得るというのに――。



「…………」



 少女は、青年の説明を、分かったのか分からないのか分からない様な顔で聞いていた。

 ただ、何故か、ちょっとだけ不機嫌そうな顔になっていた。



「………………」



 青年はそんな少女を見てから、グッと強く目を閉じた。

 少女が分かったのか分からないのか分からない顔をしているという事実が、やっぱり本当に分からないとでも言いたげな顔で、プルプルと肩を震わせていた。



 ――突然だが、ここでいくつか有名な逸話を紹介したい。

 アルベルト・アインシュタインとニールス・ボーア。

 当時の物理学の先頭に立ちながらも根本を異にする自然観を持っていた二人の天才物理学者は、1927年の第五回ソルヴェイ会議から1935年のEPR論文に至るまで、歴史に残る熾烈な論争を繰り広げた。アインシュタインが夕食の席で示した思考実験をボーアが一晩考え抜き、次の日の朝食の席で反論を述べた、などという逸話もあるくらいであり、中でも、特に光子箱の思考実験は語るに及ばぬ程に有名だろう。


 ニュートンとフックの論争。ガリレオ・ガリレイの天文対話を巡る、当時の教会との確執。近年では、生物学におけるチャールズ・ダーウィンの自然選択論に対してインテリジェントデザインという解釈を用いる進化論否定論者もおり、中にはソレを支持する生物学者も散見される程である。

 異なる思想を持つ知識人達は、時にその意見を真っ向から異にし、真偽の程は別にしようとも、度々誇りを掛けた議論を戦わせてきた。


 えーと。つまり何が言いたいのかというと、同じ世界の同業でさえも時に思想の不一致から熾烈な論争を巻き起こすのが自然現象というモノの特性であるにも関わらず、剰え物理学者と魔法使いなどという、根本とする世界観や前提からしてそもそも異なる二人が、魔術などというたった一つの自然現象について語り合った場合、起こり得る、そして想定され得る現象は、客観的かつ単純明快に考えようとも、たった一つの事象に収束され得るわけであり――。



「…………」

「…………」



 ……二人は、大きく、息を吸った。



「ほら見ろ!! 精霊なんか、考える必要が全く無いじゃないか!!」


「何でそうなるのよ!! あんた、たった今火炎魔法見たばっかりでしょ!?」


「ふざけてるのか!? 君は!!

 火が起きたから精霊が居るって!? 君は焚火も、山火事もっ、火は全部その精霊とやらの仕業だとでも言い出すつもりなのかっっ!?」


「だから、ナニを当たり前の事ばっか言ってるのよっ!!

 焚火も、山火事も、木々が大地から吸い上げた活力を!!

 火の精霊が取り込んで起してる現象じゃない!!」


「どう考えても違うだろう!!

 どちらも単純な有機物の燃焼反応だ!!

 酸素が炭化水素と結合するだけの現象だよ!!」


「だ!! か!! ら!! ソレを起してるのが火の精霊でしょうが!!」


「そんな存在を仮定する必要がそもそも皆無だと言っているんだ!!

 “オッカムの剃刀”に完膚無きまでに抵触しているぞ!? 君の説明は!!」


「オカマの髭剃りなんか見たくもないわよ!!」


「オッッッカムの剃刀だぁ!! 不必要な仮定はなるべく切り落とすべし!! 自然科学の基本姿勢だろう!! そんな基礎も成立してないのか!? この世界の学問は!!」


「精霊はどぉ考えても必要でしょうが!!

 そんな基礎も出来てないとか、あんたの世界の人間こそバカなんじゃないの!?」


「だぁから!! 何故そんな意味不明なモノが必要になるのかと聞いてるんだ!!

 よぉし!! じゃあ、アレだ!! 1万歩ほど譲って、仮に精霊が居るとするぞ!? その精霊とやらの存在を、君はどうやって証明!! 或いは否定するんだ!?」


「居るモノをどうやって否定しろって言うのよ!!

 森羅万象の原因になるのが精霊なんだから!! 世界が有る事がそのまま精霊が居る事の証明じゃない!!」


「だから!! その精霊とやらが!! 森羅万象の原因となっている事を証明してみせろと言っているんだ!!」


「はぁ!? ナニよその無茶苦茶な屁理屈!! 虚次存在の精霊を!! 実次存在の人間が!! 何の神秘の後ろ盾も無しに認識出来るワケが無いでしょうが!!」


「ソレがおかしいと言っているんだろぉが!! 仮説は検証可能且つ否定可能でなくてはならないとするのが自然科学の大原則だろうッッ!! そんなバカげた脚注を付けるくらいならな!! 普通に魔力が火を起したと説明した方が遥かにシンプルで現実的だッッ!!」


「ナぁニよそのバカみたいな解釈!! あんたこそッ!! そこまで言うからにはッッ!! ソレを証明出来るんでしょうねッッッ!?」


「生憎だなぁ!! オレの世界では!! 物が燃えるのはっ!! 酸素が物質の結合エネルギーを解放するからだとっっ!! 全ての実験結果が支持しているんだよっっっ!!」


「だから!! それに精霊が関与してないって事を!! 証明してみせろって言ってるの!!」


「悪魔の証明だろ!! それは!!」


「誰が悪魔の話をしたのよ!!

 精霊の話をしてるんでしょ!?」


「誰がモノホンの悪魔の話をした!? オレが言ったのは“悪魔の証明”だ!!

 無い事の証明が求められる場合は!! その証明の難易度から!! 有ると主張した方に証明する義務があるという論証の大原則だろう!! 君こそ!! オレの世界の化学反応に精霊が関与している事を証明出来るのか!?」


賢者の最終審問(ヴァフスルードニル)じゃないッ!!」


「何だそれはぁ!!」


「全ての人間が知らず!! また知る事の叶わぬ事柄は!! それを知り得る存在によってのみ語られ得るっていう論理の大原則でしょう!? あんたの世界の話なら!! あんたしか知りえないんだからっ!! あんたこそあんたの世界に精霊が存在しない事を証ぉ明してみなさいってのよっっ!!」


「だぁかぁらっ!! それが悪魔の証明だと言っているんだ!!

 そもそもだなぁ!! 論理はシンプルな程に信憑性があり!! 数学的な美観を伴うというのが学者たる者のキホンシセイだろう!! せっかく精霊なんていう不確定要素を除外しても説明出来るというのにだなぁ!! 下手に蛇足を付けてソレを損なってどうするんだ君は!!」


「精霊無しの魔導理論の!! どこに美観があるってのよッッ!!

 そもそもねぇ!! 四大精霊が森羅万象を引き起こしてるって言ってるんだから!! それが!! この上なく!! シンプルな!!!! 説明じゃないのッッッ!!!!!!」


「君は!! シンプルの意味を!!!! 根本から履き違えて!!!!!!――ぉお゛エェっ!! ゲホッ!! ゴホッ!!」



 ……流石に、酸素が足りなくなったらしい。

 青年は涙目で咳き込みながら、ガラガラになり始めた喉を抑え、呼吸困難を訴える肺に無理矢理酸素をねじ込んだ。


「ケホッ……!! コホ……ッ!!」


 対する少女も肩で息をしながら、大声を出しすぎて荒れた喉に休息を与えていた。熱弁により紅潮した顔を帽子のつばで隠しつつ、酸素不足を訴える体に休養を与える。


 少女は、どこからか手元に木箱を飛ばした。

 氷の魔法円が内部の温度を下げるソレには、中にポーションのビンが沢山入っている。

 少女は、それから赤いビンを一本取り出すと、中身をクピクピと飲み始めた。

 青年も一本貰って、枯れた喉をなんとか潤す。

 議論に水分補給は大事である。


「なるほ…ど。君……は!! どうしても、ゼェ……、精霊とやらが……、ハァッ、居る事に、したいんだな――?」


「そっちこそ……、フゥ……ッ、どう…しても、ハァッ、認めないつもりな……わけね――?」



「…………」

「…………」



 二人は、取りあえず、無言でポーションを飲み干した。

 飲み干してから、空になったビンを床に置いて、静かに静かに見つめ合った。

 青年の喉から、息を吸う音が聞こえた。

 少女の肩が、5cm程上昇した。


「思考実験だぁッ!! 精霊が実在すると仮定するっ!! 精霊が実在するならばその静止質量mは実数領域でm=0又はm>0のいずれかの条件を満たす!! m=0の場合!! その速度は自然界の最高速度たる光速に等しくなり!! 真空中をどの観測者から見ても光速度cで動き続ける!! この場合!! 特殊相対性理論から導かれる時間の遅れΔt´=√1-(v/c)^2・Δtより!! Δt´=0となり精霊の時間は停止しなくてはならない!! これは精霊に自由意思があるとする君の主張に矛盾する!! よって精霊には質量がなければならず!! 精霊はm>0を満たす領域内でしか存在し得ない!! また精霊の質量mがm>0を満たすと仮定した場合!! その組成として想定される素粒子の種類は――」


「ナニを異次元言語喚き散らしてるのよ!! そんなワケの分からないコト言わなくても!! もっとずっと簡単な話でしょ!? 精霊は実次存在の人間とは別次の虚次存在なんだから!! その重さなんかを考える事自体が無意味で!! そもそも最速は火属性亜種の光魔法じゃなくて氷属性の特異術式を使った転移魔術!! だからあんたの光が最速とかいう前提がそもそも的外れなの!! それに精霊の自由意思(ロナ)人間の意識(エトス)なんかとはそもそも定義が違うんだから!! 例え時間が停止してもその意思まで停止するとは言い切れないでしょうが!! そもそも精霊を構成する要素として想定されてるのは創世期に原初の紅焔と暗黒の氷度から生まれた――」



 ――〈中略〉――



 ――で。

 結局どうなったのかというと……。


「――なるほどな。君の言いたい事は、まあ大体分かった」

「――うん。あたしも、あんたの言いたい事は大体わかったかな」

「ふむ。考えてみれば小さな誤解だったな」

「そうそう。ホント、考えてみたら同じことだもんね」


 補給したポーションは各自6本。

 出会ってからの総会話量と同じくらいの単語数を話したのではないか、という、まるでマシンガンの様な両者の舌戦は、一応のところお互いが納得する形で幕を下ろした。なに、大したことでは無い。お互いが使っている用語に、ほんの些細な違いがあっただけで、結局は同じ事を言っているのだと気が付いたのだ。



 ――物理学者・真也 真也の解釈。

 魔術とは、“精霊”という高分子を触媒にした化学反応である。


 ――魔法使い アルテミア・クラリスの解釈。

 青年の世界には、“カガクハンノウ”という名前の精霊がいる。



「分かり合えてよかったな」

「うん、ホントホント。なに当たり前のコトを議論してたんだって感じよね」



 ……同じコト、だった、のだ。



――――



「……なんか無駄に時間食った気がするけど。

 取りあえず、次ね」


 7本目のポーションを飲んで一息ついた少女は、コホンと咳払いをしてからそんな事を言った。人差し指が、先生の様にピンと伸びている。


「魔術って一言で言っても、その難易度とか規模にはかなり差があってね。

 魔導師の序列を決める為に、大まかに九つのランクに分かれてるの。

 下から順番に、自然霊級、戦霊級、境霊級、狼霊級、龍霊級、帝霊級、精霊級、神霊級。

 あと、番外の特霊級。まあ、これは説明するより見せたほうが早いかな」


 言いながら、少女はローブの懐に手を忍ばせた。

 取り出したのは、アクセサリーにしては大きめの、銀色の三日月である。

 青年が首を傾げていると、少女は短く解呪の呪文を唱えた。

 三日月は燐光のエフェクトと共にその形を変え、少女の身の丈ほどもあろうかという長弓へと変化する。


「コレが、あたしの魔装――。

 あ、魔装っていうのは、魔術を補助する装備のことね。

 色々試してみたけど、あたしにはコレが一番馴染むみたいでさ。

 魔導師になった頃から、ずっと使ってるけど……」


「? 魔法使いのくせに、弓が馴染む……?

 ――ああ。なるほどな」


 弓使いの魔女というのがあまり想像出来なかった彼は、少し考え込む様な仕草を見せた。

 しかし少女の体格をまじまじと観察したところで、すぐに納得したように手を打っていた。


 ――時に弓道においては、胸当てを付けずに弓を引く女性はあまりいない。

 何故ならば、胸当て無しで弓を引こうとすると、どうしても体の一部(・・・・)が射線の障害になってしまい、大変に危険だからである。

 逆に言うと、女性がローブ姿で弓なんか引こうと思ったら、その人物は必然的にある条件(・・・・)を満たしておらねばならず、またその前提の上に立つのであれば、少女の体型は正にその為の必要、いや、十分な条件を満たしていると――。



「……シン。それ、言ったら殴るから」



 ……青年は、思考を中断した。



「――ふん。とにかくね。魔装っていうのは、魔術を補助する装備品のこと。

 剣とか盾とか網とか箒とか。あと、専門によっては鍋とかギターとかね。魔導師によって、種類は本当に様々。……っていうか、戦闘学閥でも無い限り、大抵は専攻とかで決めてるの。書籍系の魔導師なら、魔装が紙とかインクなんてのも沢山いるし」


「魔導師っていっても、王宮魔術団(きのう)の連中みたいに戦闘一色じゃないってことか。まあ、建築に携わってるヤツもいるんなら、当たり前って言えば当たり前だよな。

 ……それにしても、剣に盾に弓、か。

 オレの世界じゃ、魔法使いって言えば普通は杖だぞ?」


「うーん。まあ、確かに杖は基本にして万能、とかって言われてるけど。

 ……ちょっと器用貧乏な感じは否めないのよね。

 “戦霊級魔術”を掛けても、杖じゃどうしても迫力に欠けるし。

 まあ、その辺は今から説明するけど――」


 言いつつ、少女はその右手をローブの懐に忍ばせて、一枚の羽を取り出した。

 オレンジ色の蛍光が目を引くソレは、不死鳥の羽ペンと呼ばれる、魔法金属の加工に特化した魔装である。少女はしゃがみ込むと、ソレを使ってチョコチョコと、アダマスの床に基本図形を描いていく。今回はそこから更に象形文字の様な文様をびっちりと書き込んでいき、基本図形の内部をソレで埋め尽くしてから、羽を翳して解放の呪文を唱えた。

 床からは一束の矢が燐光と共に生えてきて、完全に伸びきったところで、散らばるように四方に倒れる。


「取りあえず、こんなもんでいいかな。

 ……あ、そうだ、シン。これ、ホントはこうやって使うんだからね?

 塔とか壊す為にある魔装じゃないんだから。

 せっかく陛下から許可もらったんだし、ちゃんと術式とか勉強しなさいよ?」


「まあ。そりゃ折角の金工技術だし、利用しない手は無いが……。

 ――ってちょっと待ってくれ。

 良く考えたら君達、そもそも本当にそんな物が必要なのか?」


 床から生えてきた矢を見た青年は、顎に手を当てながらそんな疑問を口にした。

 青年の記憶が正しければ、確かこの不死鳥の羽ペンという魔装は、嘗て銀の国が呼び出した異世界人の一人が伝えた技術であるという。おそらくその異世界人とやらは、今の青年と同じ様にのっぴきならない状態に追い込まれ、自分の世界の知識を総動員してこの世界でも役に立つ“武器”を作り上げたのだろう。


 ――だがそもそも、これは魔法に馴染みの無かった異世界人だったからこそ必要とした装備ではないのだろうか。

 青年の記憶によると、確か少女は昨日の朝、指を鳴らすだけでアダマス鉱をシャワーやコンロに変えていた筈である。それにあのお姫様も、地面の金属からバカみたいな数の武器を作ってはいなかったか。ならばそもそも、彼女たちクラスの魔術師であれば、別にこんな羽ペンなんか無くても一切困らないという事だと思われるのだが――。


 青年の疑問に、少女は小さく肩を竦めた。


「……あの家は別よ。あの家にはね。魔力の波長を合わせると、予め決められた形に変形する様に特別な術式を組んであるの。

 ――それに、ウェヌスの武器作成は例外中の例外。

 だってアレ、絶対あいつの先天魔術(ギフト)だもん」


「ギフト?」


 聞き返す青年の声。

 少女は、コクリと頷いた。


「誰でも一つだけ持ってる、生まれた時から使える魔術のこと。

 詠唱も術式構築もすっ飛ばして使える魔術だから、まあ最初にして最速の魔術ね。

 人が扱う魔術の、正しい形とも言われてる」


 そこまで言って、少女は自らの右手に視線を落とした。

 彼女の手の甲にて燐光を放つのは、銀色に煌めく刺青の様な紋様である。

 少女は左手の指先で、それに軽く触れていた


「――あたし達の身体はね。本来はソレを使う様に出来てるの。

 一般的な詠唱魔術は、その本来あるべき形を崩して、無理矢理に汎用的な神秘を扱えるように工夫してるってわけ。術式とか詠唱って言うのは、その本来の形から“無色の力”を取り出して、別の色に変換する過程のこと。

 本当に使うべき形から逸脱して行使するから、どうしても複雑な工程が必要になるの」


「ふむ……」


 少女の言葉を聞きながら、青年はソレを自分の常識に則って解釈しようと努めた。

 少々抽象的な彼女の注釈から、具体例を考えようと暫し逡巡する。


 ――ふと。青年の頭に浮かんだのは自動車の設計図だった。

 自動車の基本要素は、車輪とエンジン。あとは、ソレを動かす為の燃料(ガソリン)といったところだろうか。


 仮に、その先天魔術とやらを自動車だと考えてみよう。自動車を動かす為には、エンジンを掛けてアクセルを踏むだけでいいだろう。ソレが本来の用途なのだから、車輪で地を駆ける分には、特に大がかりな仕掛けなど要するわけもない。



 だが自動車の構成要素を一つ一つ見ていくと、ソレは地を駆ける以外の用途にも使えそうだという事に気が付くはずだ。



 例えば自動車の動力部分を取り出して、車輪の代わりに歯車とスクリューでも繋いでみよう。車体が水に浮き、動力で前進する事さえ出来れば、それは既にモーターボートと呼んでよい代物である。車体の形を工夫して翼を付ければ、エンジンの出力次第では飛行機にすらもなるだろう。ガソリンだけを取り出して、然るべき器具から吹き付ければ、もしかしたらガスバーナーの様な使い方も出来るかもしれない。



「…………」



 青年は、なおも思案する。

 と、すると。つまり術式の構築とやらは、エンジンをそういった付属物に繋いで改変する工程、と言えるのかもしれない。本来はその“先天魔術”とやらを使う為にある魔力を、何らかの操作によって別の魔術にも使える様に改変する手段、だという事だろうか。先天魔術がアクセルを踏むだけの物だとするのならば、なるほど、ボートや飛行機に変化させる為には手間が必要になるわけである。



「――――ん?」



 そこまで理解した彼は、不意に少女自身の事が気になった。



「なるほどな。

 ――て事は君も、その先天魔術とかいう便利なのを持ってるわけか」


 少々興味が湧いて、何気なしに尋ねてみた青年。

 何しろ、癇癪を起しただけで火を吹く少女である。

 国一番の魔導師であるという彼女なら、きっと、それはそれは大層なモノを持っていらっしゃるのだろう。あのお姫様も中々に興味深い能力を持ってはいたし、この少女の先天魔術とやらも、一度くらいは見てみたい気がしないでもない。



「……見せないからね?」



 しかし、少女の返事はつれない物だった。



「? 一番簡単に使える魔術なんだろ?」


「……あのね。先天魔術っていうのは、魔導師の切り札なの。先天魔術を分析されたら、その魔導師の属性も、使用魔術の傾向も、魔装の使い方までバレちゃうんだから。つまり先天魔術を教えるっていうのはね。自分の弱点を大声で叫ぶのと同じなの」


「あ、なるほどな」


 言われて、青年は納得した。


 先ほど彼は、先天魔術を自動車に例えて解釈した。しかしよく考えてみると、実際はそんなに穏便な物であるとも限らないだろう。魔術は戦闘にも使う様な物騒なモノなのだから、少女の先天魔術はピストルやナイフ、或いはミサイルや戦車に相当する概念である可能性も十分にあり得る。


 そして実際に戦闘になったとしたら、ソレを知られる事は、確かに生死を別つくらいに重要な問題になるだろう。こちらの得物が拳銃なのか、散弾銃なのか、或いは機関銃なのか。威力はどのくらいで、レンジやクールはどのくらいなのか。

 それが分かってしまえば、対策を立てるのは随分容易になってしまう。

 戦場で不用意に自分の武器をバラすバカなど、そうそういる筈も無い。


 だが、そうなると……。


「……でもな。

 あのお姫様、昨日はソレをバカスカ使ってなかったか?」


 ……と、いう問題にならないだろうか。

 否。寧ろ青年には、彼女がそれ以外に魔術を使っていた記憶が無かった。

 もしも少女の言う通り、武器を作る事があのお姫様の先天魔術とやらであり、尚且つ先天魔術が少女の説明通りのモノだとしたら、あのお姫様は昨日、敵国の王都で弱点を叫びながら戦っていた、という事になるのだが……。


 少女は、小さく溜息をついた。


「……そりゃそうでしょ。だってアイツは、確かに大魔導だけど、魔導師じゃなくて戦士なんだもん。武の国なんて変態国家の王族に、魔導師(あたしたち)の流儀なんか通じるワケ無いじゃない」


「…………。

 言えてるな……」


 王女様の破天荒ぶりを思い出した青年は、酷い頭痛を堪える様に頭を抱えた。

 成程、あり得る話である。確かにあのお姫様ならば、敵地で自分の弱点を叫びながら戦った上に、“弱点を隠すのは弱者の証拠です”――とか言いそうな気がする。

 ……いや、割と本気で。

 殆ど会話もしていないのだが、青年には、そんな彼女の声が割とリアルに聞こえた。


「そういう事。あんなバカの言動なんか、考えるだけ無駄なの。


 ……って、言うのは簡単だけど。

 アイツの場合はそれだけじゃないか。

 実際アレだけバカスカ先天魔術を連発してたのに、あたしでもアイツの先天魔術(ギフト)の“銘”は特定出来なかったし。

 そういう意味で言えば、アイツは先天魔術を隠してるのと変わらない、とも言えるかも……。

 ――きっと、よっぽど特殊な亜種か複合属性なんだと思う。

 よく考えたら、いくらアイツでも迂闊に自分の切り札を見せるとは思えないし、もしかしたら、武器作成の他にも何か隠し玉があるのかもしれない。

 まあ、あのバカがそこまで考えてるとも思えないけど……」


 そんな分析を宣いながら、少女はなにやら長考に入り始めてしまった。

 青年の手がリズムを刻み始めるまでたっぷり考え込んだ後、やっぱり結論が出ないといった様子で首を振って、コホンと咳払いをした。


「……とにかく、あたしが言いたいのはね。

 あたしは自分の弱点を自慢げに喚き散らすような、氷の国の高飛車女とは違うってこと」


「ふーん。まあ、そんなもんなのか」


 その高飛車女とやらがどんな人物なのか、青年は当然の様に知らなかったものの、取りあえず少女は、自分の能力を見せるのは気が進まないらしいという事だけは理解した。

 少女は魔導師である事を誇っている様な節があるし、自分の一番の武器であれば、それはもう自慢気に見せてくれそうな物でもあるのだが……。

 もしかしたら、曲がりなりにも身体的特徴の一つとも言える“先天魔術”とやらは、見せるのにも少々照れを伴うのかもしれない、などと青年は解釈した。


 先天魔術を分析すれば、個人情報とも言える様々な特徴が分かってしまう様でもあるし、それから推測するに、先天魔術を教えるというのは――。


「つまり、裸を見せる様なモンなんだな。

 ……いや、待てよ? それなら、なおさら気にする必要なんか無いじゃないか。

 君とオレは本質的に異生物なわけだし、そもそもだな、オレは既に“恵まれてない方”を見ているわけだから、いっそ“恵まれてる方”を見せた方が君も……」


 ――ゾクリ、と、青年の背筋に悪寒が走った。

 咄嗟に口を噤んで、3歩ほど後退さる。

 ニコリ、と、少女は寒気がする様な笑みを浮かべていた。


「あんたにだけは、絶対に(・・・)、イヤ」



―――――



「それじゃ、ランクに話を戻すけど。

 今あたし、羽ペンを使って矢を作ったでしょ?

 実はコレが魔術の最下級で、自然霊級魔術って呼ばれてるヤツなの」


「ん? 今のも魔術に入るのか?」


 少女は、コクンと頷いた。


「魔術っていうのは精霊との契約で、魔力を捧げることで発現する神秘だって話はしたでしょ? つまりね。別に術者本人が魔力を供給するんじゃなくても、人為的に魔力を用いて引き起こされた現象は魔術の範疇に入るの。

 自然霊級魔術っていうのは、勝手に魔術を使ってくれる道具を使う事で、ホントに誰でも使えるヤツ」


「……なるほど」


 青年は、顎に手を当てる仕草と共に思案した。

 例を挙げるとすれば、先のポーションの冷却箱や、少女の家で見たコンロなどの日用雑貨だろうか。誰でも使えるという事は、専門的な魔術というよりは、どちらかと言うと定義上仕方なく入ってしまった分類なのかもしれない。

 概して分類を含む学問というのは、常にそういう曖昧な領域が付き物なのである。


 青年がそんな事を考えていると、少女は床から矢を一本拾い上げ、ゆっくりとその長弓につがえた。慣れた様子で、壁の方向へと視線を移す。

 少女の視線の先には、金属製の的が墓標の様に、それこそ無数に立ち並んでいた。

 10メートルくらい先の一つに向けて狙いを定め、ゆっくりと弓を構える。

 集中すること、一呼吸。音が消えたかの様な静寂が漂った瞬間、少女の右手はブレの無い動作で矢から離された。矢は水平に近い放物線を描きながら、空気の音を鋭く残し、決して大きいとは言えない的のほぼ真ん中に命中する。

 なるほど、見事な腕前である。

 ……最も、流石に金属製の的は固すぎたらしく、矢は軽い音を響かせながら床へと落ちてしまったが。


「……ま、普通の矢なんてこんなもんよね。

 じゃ、次は魔術使うから。見てて」


 少女の弓術に感心している青年をよそに、彼女は二本目の矢を床から拾うと、再び銀の長弓へとつがえた。

 先と全く同じ動作、同じリズムで、ソレを的へと構える。

 弓道に限らず運動に於いては、多くの場合、競技者の技量が上がる程に動作間の差異は小さくなるのが常である。まるで時間が戻ったかの様に、一度目の残像と寸分違わぬその挙動は、少女の射手としての卓越した力量を示すのには十分な材料となっていた。

 ――しかし、今度は先ほどと違う点が一つだけある。

 少女が構える白銀の鏃は、まるで熱せられたフライパンの様に、ブスブスと白煙を燻らせていた。


「これが、戦霊級魔術――」


 声と共に、矢切りの音がヒュンと鳴った。

 少女の弓から放たれた一矢の銀閃は、まるで先ほどのリプレイの様に、僅か数ミリの誤差しか無い軌跡を描きながら的へと向かって行く。

 ――そして、当然の様に着弾。

 ただし今度は、先の様な軽い音は聞こえない。

 代わりに青年の耳に届いたのは、ジュッ、という、フライパンに水が落ちる様な音だった。

 鏃に触れた的が、前方で燻らせる白煙。

 金属製の筈のその墓標は、少女の射た一矢によって易々と貫通されていた。


「――戦ていう名前がついてるけど、別に戦闘用魔法だけを表す名前じゃないの。

 一応『触媒そのものの機能を過度に変化、強調しない範囲で触媒に機能の向上及び性質の付与を行う術式。または抗魔術結界を要しない副次的難易度の中位術式』なんて小難しい定義があるけど……。あんた、これで意味分かる?」


「簡単に言うと、物本来の機能を上げる魔法、ってことか?」


「――オマケで正解。よくできました」


 少女の弓と的を交互に見比べながら、青年は簡単にまとめた。

 少女の矢は、確かに熱で金属を溶かすことによって的に刺さったらしい。しかし矢とは、そもそも的を貫く為にある物であり、例え的が金属であったとしても、ソレを貫くのはあくまで矢という道具の概念を超えるものではないだろう。

 つまりは、そういう道具本来の機能を底上げするのが戦霊級とやらに分類される魔術、ということなのだろうか。

 他にこのランクの魔法を考えるとすれば、似たような原理で剣の切れ味を上げたり、或いは魔術の火力を上乗せしてコンロの熱を上げたり、なんて魔法があればそれに当たるだろう。


「次が抗魔術結界の境霊級。

 その上が魔導師認定試験で有名な狼霊級ね。

 ――じゃ、ちょっとあたしの手を見てて」


 青年が思考を終えると、少女は集中する様な仕草を見せた。

 少女の手に注目していると、やがて視界に焦点がブレたかの様な違和感が生じる。青年が咄嗟に目を擦り、瞬きをしている間に、少女の手の周りには空気の膜の様な物が現れていた。屈折率の変化により蜃気楼になったその領域が、黒いローブごと、少女の腕全体を覆っている。


「先ず、コレが抗魔術結界。

 今は見せる為にちょっと大げさにしてるけど、ホントはもっと薄くして、無駄が無いようにして使うの。結界に使われてる魔力量以下の魔術を遮断する防御魔術で、まあ魔導師にとっては基本中の基本ね」


 少女はそのまま、空気の膜に覆われた手で矢を拾い上げた。

 三度、その矢を弓へとつがえ、ゆっくりと引き絞る。

 今度の矢は完全に赤熱し、高熱により乱された気流が、矢を覆う螺旋となって渦を巻いていた。


「――で、コレが狼霊級」


 声と共に放たれた矢は、小鳥の囀りの様な残響を響かせながら的へと疾駆した。先の二つに比して明らかに速度を増しているその銀閃は、ほぼ水平な軌道を保って空を駆け、既に前の矢が突き刺さっている墓標へと直撃する。

 そして、着弾と同時に解放される炎の魔力。

 鏃は的に触れた瞬間、まるで手榴弾の様にその熱量を爆散させ、雷光を伴いながら、目標物を木端微塵に吹き飛ばしていた。

 飛び散る破片と、腹腔に響く程の爆発音。


「……なるほどな。

 これは……、確かに先の定義からは外れるか」


 青年は、呆気に取られたかの様にそう呟いた。

 粉塵が治まると同時に現れた光景は、消し飛んだ的と抉られた床板。

 ……これでは、弓矢どころか重火器の領域である。

 最早矢では無い威力なのだから、確かに“物の能力を強化する”という先の定義には合わないだろう。


 ふむと頷く青年に、少女は視線を向けた。


「ちなみに。境霊級は抗魔術結界だけで、狼霊級を習得出来た人は晴れて王宮から魔導師になる許可が下りるの。魔導師になれれば、この国じゃ、取りあえず働き口には困らないくらいなんだからね? ……まあ、余計な出費も多いんだけど。

 取りあえず覚えておいて欲しいのが、狼霊級以上の魔術は、抗魔術結界無しじゃ打てないって事」


「? 抗魔術結界って、防御の魔法なんだろ?

 何でそれが、自分が攻撃する時にも必要になるんだ?」


「……あのね」


 とぼけた様に聞き返す青年。

 少女は、何やらバカを見るような視線を送ってきた。


「あたし達は、あんたみたいに魔法防御カンストじゃないの。

 このレベルの魔術使うなら、防御陣組まなきゃ自分の手が火傷しちゃうじゃない」


「――あ、なるほどな」


 言われて、納得した。

 よく考えてみれば、確かに防護服無しで火炎放射器を使うバカもいないだろう。毒ガスを使うならガスマスクは必須であるし、ウイルス兵器を使うなら、ワクチンや抗ウイルス薬を用意しないのは自殺願望の有るヤツだけである。

 物理法則とは万物を支配し、そして例外は無い物なのだ。

 どうやらゲームや漫画の様に、自分で出した炎は自分には効かない、なんて都合よくはいかないようである。


「……そういう事。

 ただ、実際にやってみるとコレが中々にネックでね。だって、ほら。戦霊級なら魔法だけに集中できるけど、狼霊級になると、抗魔術結界を維持しながらさらに難しい術式を組まなきゃならないでしょ? 難易度は、この辺りから一気に跳ね上がるの。

 だからこれが使えるかどうかが、魔法を使える人を指す魔術師と、国に認められたプロを指す魔導師との境界線」


 少々、指が疲れてきたのかもしれない。

 二、三度、指を曲げたり伸ばしたりする動作をしてから、少女は床から4本目の矢を拾い上げ、もう一度弓へとつがえた。


「まあ、並の魔導師が個人で使えるのはこの辺りが限界ね。

 ――ここから先は、一生修練して出来るかどうかの世界」


 ――静かにそう言った少女の雰囲気は、先ほどまでとは完全に別物になっていた。

 無感情なままに集中するその仕草は、妖精の様な彼女の容姿と相俟って、見る者に神聖な印象を与える。前の三度と全く同じペースで行われたはずの、弓を構えるという動作が、今度は矢鱈とゆっくりに感じられた。込められた魔力によるものだろうか。赤熱した鏃はなおも熱く、キラキラとした燐光を周囲に吐き出している。

 翡翠を思わせる、翠色の瞳。薄暗い修練場の中でもなお煌めくその宝石が、僅かにハイライトを変えた気がした。


 その幻想的な姿に魅入る青年。

 彼を視界に収める事も無く、少女はその魔術の銘を高らかに告げる。


火龍の火炎弾(ファーヴニル)


「は――――?」


 ――そして、龍が現れた。

 空間を切り裂き、駆け抜ける矢を包み込む様にして現れる、橙赤色のフレア。

 空中放電による轟音が、広い筈のドームを埋め尽くす様に響き渡り、憤慨した獣を思わせる咆哮が、四方八方から共鳴する。プロミネンスを彷彿とさせる、常識外の熱量を圧縮したその紅焔は、矢そのものを巨大な火龍へと変貌させた。


 火龍の雄叫びが、視界の全てを食い尽くす。

 飲み込み、蹂躙し、万物を灰燼へと帰しながら、魔導の焦熱が領域を覆い、行く手の全てを溶解し尽くしていく。留まる事を知らず、止め得る存在も無く疾走した炎の龍は、最果ての壁へと到達した瞬間、その全ての力を解放するかの様に爆散した。



「――――っ!!」



 閃光の後に、緩やかに回復していく視界。

 青年が再び目を開けた時には、的の墓場はその半分以上を焦土へと変えられていた。

 向かいの壁は、まるで削岩機でもぶつけられたかの様に抉られている。



「――コレが、龍霊級。

 ……ま。今回は詠唱無しだから、威力はちょっと抑え目になったけど」


 大した感慨も見せずに、まるで当たり前の様に説明する少女。

 対する青年は、唖然として言葉を失っていた。

 ……コレは弓とか爆弾とか言う以前に、最早地球の近代兵器と比較しても遜色の無い威力である。しかもコレが抑え目だとすると、全力で撃ったとしたら何ジュールくらいの破壊力になると言うのだろうか。

 青年は、魔力が化学物質だという自らの仮説に、少々自信が無くなってきた。


「アル……」


「……なに?」


 訝る様な、少女の視線。

 青年は、大げさに溜息を吐いてから続けた。


「……君、昨日は一体ナニをしてたんだ?

 こんなの、あんなお姫様なんか一捻りじゃないか。

 いや。というかコレ、軍隊とかと戦えるレベルだぞ?

 昨日は使わなかったのか? 街中だったから?」


「……使ったわよ。

 完全詠唱の、補助霊道魔法円まで使ったヤツを、しかも不意打ちで。

 ……アイツ、ソレを軽い火傷だけで済ませたのよ? 信じられる?

 裸に剝けば、鱗の一、二枚見つかるんじゃないの?」


「…………」


 ――君も同類だ、という呟きは、取りあえず飲み込むことにした。

 青年は思案する。どうやらこの世界は、個人の戦闘能力格差が恐ろしいコトになっているらしい。この少女やあのお姫様の相手をするとなれば、地球では自衛隊あたりが出動しても危ないのではないだろうか。

 戦闘機とかが少女の吹いた火炎に飲まれていく様を想像して、なんとなく、青年には彼女の姿が某黒い大怪獣と重なって見えた。


「じゃ、ここから先は名前だけね。

 ――というより、流石に帝霊級以上はこの修練場じゃ持たないから」


「帝霊級――ってことは、龍霊級の上か。

 ……今のより上ってどんなだよ」


「もう知ってるでしょ?

 ほら。一昨日の夜にあんたにぶつけたヤツ。

 始祖の炎帝(ムスペルヘイム)は帝霊級魔術よ」


「……待て。龍霊級がプロでも一部しか使えない魔術なんだよな?

 君、さらにその上の魔術を、あんなくだらない理由でオレに撃ったのか?」


「……べ、別に本気じゃなかったわよ。

 アレだって、本来の威力の4分の1も出てなかったんだから」


「…………」


 気まずそうに頬を描いている少女を見ながら、青年の背中には嫌な汗が滴っていた。

 何のことは無い。この少女、どうやら本物の大怪獣である。癇癪を起しただけで火を吹いて、街とか簡単に破壊出来る生き物なのである。

 青年はこの時ほど、自分の世界の法則でしか傷つかないという守護魔の特性に感謝した事は無かった。いや、まあ。魔術でシバかれない代わりに、鉄拳制裁でバカスカ殴られているワケではあるが……。


「さて。その上が、いよいよ精霊級ね。

 精霊一体分の力を丸々使う最強の術式で、魔術の最高峰。

 各属性に1つづつの、計4つしかないの」


 “精霊”という単語に、青年の眉がピクリと跳ねたが、少女は無視して続けた。


「ちなみに大魔導っていうのは、この精霊級魔術を単騎で使える魔術師に贈られる称号。人の身で、最高 存在である精霊の力を扱えるその技量に対して、畏怖を込めて、ね。

 でもそんなことが出来るヤツは、各国に1人居るか居ないか。

 ――銀の国の魔導師では、あたし1人だけ」


「なるほど、それはまた……。

 凄まじいな……」



 半分以上放心状態になりながら、青年はここまでの説明を簡単にまとめた。


 曰く、魔術師というのは、魔法を使える人物の事を指すらしい。流石に日用雑貨の自然霊級魔術は含まないと思われるから、おそらくはその上の戦霊級魔術が扱えれば、一応は魔術師と呼ばれるようになるのだろう。魔法が使える人という意味だから、コレは職業とは無関係の呼称だと思われる。


 その上が抗魔術結界とやらの境霊級。コレは高ランクの魔術を使う為には必須の魔法で、防護服の様な役割を果たすのだという。その上が狼霊級で、少女はこれを魔導師認定試験と言っていたから、おそらくはこの狼霊級以上を使える人間を魔導師と言うのだろう。魔導師は国に認められたプロ(・・)だと言っていたから、おそらくは魔導師というのは、呼称では無く職業名である。少女は魔導研究所の所長なんていう職に就いているのだから、まあ完全に魔導師だろう。対して昨日のお姫様の職業は“姫”なのだから、例え魔法が使えても魔導師では無い。

 ……いや、まあ。確かに“戦士”かもしれないが。


 そして魔導師達の中でも、4つの最強魔術のどれかを使える人間は、特別に大魔導と呼称される。精霊級魔術と呼ばれたそのランクを独りで使えるのは、国に1人居るかどうかであるという。少女によると、そんな事が出来る大怪獣は、この国では少女だけらしい。

なるほど、自ら国一番の魔導師だと謳うワケである。

 また精霊級魔術を単騎で使える人間が大魔導だとすると、あのお姫様がソレを使えるとすれば、確かに彼女は魔導師ではないが大魔導だという事になる。


 ――そこまでを纏めたところで、青年は疲れ切った様な溜息を零した。


「アル……」


「……ナニよ」


「いや、なんと言うか……。

 君、本気で人外だったんだな……」


 少女の怪獣ぶりを再認識した青年は、まるで吐露するかの様にそう呟いた。

 因みに今回の人外とは、別にホモサピエンス以外という意味で言ったワケでは無い。

 要するにこの世界の常識に当てはめても、少女やあのお姫様は、十分に規格外の大怪獣なのである。魔導師以外の一般人も沢山居るであろう事を想定すると、この世界の戦闘能力格差は、それはそれはモノスゴイコトになっているのだろう。

 この少女は、その中でも特に危ない方の位置にいる生き物なワケである。


「……ふん。どうせ魔導師なんかそんなもんよ。

 それにね。どうせ敵国の召喚主も殆ど大魔導なんだから、このくらい出来なきゃ直ぐに殺されて終わりじゃない」


「…………」


 ……どうやら怪獣は、少女とお姫様の他にもあと4匹いるらしい。

 5体の怪物(しゅごま)だけでも既に頭が痛いというのに、さらにそいつらのペアが怪獣だったとは……。青年は、あまりの頭痛にいっそ頭を割りたくなった。


「……取りあえず、この世界が怪獣王国だったという事実は理解した。

 それで? さっきは君、魔術のランクは9階級あるって言ってなかったか?

 今の精霊級を含めて7つなんだが、精霊級が最強なら、あと2つはなんなんだ?」


 最早半分自棄っパチになりつつある青年の声。

 少女は少し考える様な仕草をしてから、続けた。


「――特霊級と神霊級。

 特霊級は、まあ番外みたいな物よ。現象が特殊だったり、規模によって難易度が大幅に変動したり、あとは相当特殊な先天魔術が無いと使えなかったりする魔術を分類する為にあるランク。例を挙げるとすれば、賢者の高座(フリズスキャルグ)かな」


 少女の言葉に、少し記憶を辿ってみた。

 賢者の高座、と言えば、確か少女が昨日使っていた感知魔術である。

 原理はよく分からなかったものの、もしもあれがレーダーの様なモノであったとすれば、確かに目標の距離や数、補測時間によって難易度は大幅に変わるかもしれない。

なるほど。確かに2メートル先の人間と、2キロ先のミジンコを感知する難易度の差を考えた場合、同じランクに分類するのは憚られるだろう。


「で、最後が神霊級だけど……。

 これは、まあいいわ。

 だって、存在してないから」


「は? 存在してない?

 じゃあ、どうしてランクなんか設けてるんだ?」


 訝しげな青年の声に、少女はうーん、と言いにくそうにしていた。


「ユミル様の伝承にね、真理の宿木(ミスティルテイン)っていう、“死者殺し”の大魔術が出てくるのよ。でもね。伝説の魔術っていうだけあって、威力や属性どころか現象自体も全部不明。

 ……と、いうかね。精霊級が精霊の力を全部使って撃つんだから、原理的にそれ以上の魔術なんかあり得ないのよ。そもそも死んでるヤツをどうやって殺すのかとか、それ以前に死んでるんだから殺す必要なんか無いじゃないかとか、色々突っ込みどころ満載のヤツでさ……。魔術が始まった頃からある伝承だから、便宜上残ってるけど――まあ、おとぎ話みたいなもんだと思ってて」


 少女は、そんな歯切れの悪い言い方で説明を終えた。

 青年にはその様子が、“個人的には信じたいんだけど、流石にちょっと眉唾っぽいな~”なんていう、少女の複雑な内心を顕著に表している様に思えた。いやはや、夢と現実の区別は大事である。



「――あ。ちょっと待った。

 ゴメン、一つだけウソついた」


 ――と思っていると、最後の最後で、少女はそんな事を言い出した。


「? まだ他にランクでもあるのか?」


「いや、そっちじゃなくてさ。

 さっきの属性の説明。

 火が最強って言ったけど、よく考えたら正確じゃ無かったから。

 まあ、殆どあり得ないケースだから、あたしもつい除外しちゃったんだけど……」


「?」


 困惑している青年をよそに、少女は神妙な顔つきで付け加えた。



「――最強は、“光”だって言われてる。

 数百年に1人しか現れない、英雄の先天魔術(ギフト)よ」



―――――



「まあ、魔術の概要はそんな感じだけど。

 なにか質問とかある?」


 説明を終え、弓を収納した少女を見て、青年は暫し思案した。

 思考の結果、質問は――特には無い。

 いや、正確には聞きたい事は山ほどあるが、おそらくソレは聞いても切りがない事だろう。


 少女の説明は、まあ比較的簡潔であったとは思う。

 しかしそれは、裏を返せば細かいところは何も説明してはいないという事なのだろう。

 例えば地球の学問、物理学あたりを例に考えれば明らかではあるが、本来学問の一分野というモノは、人一人が数時間説明しただけで語りきれる様な物では無いのだ。今少女が説明をしたのは、おそらくは中学の教科書の導入に羅列されている様な、一般常識の中でも本当に基礎の様な部分だったのだろう。

 ……つまり、真也自身の目的には殆ど役に立たなかったと言ってもいい。


 そもそも今回、真也が魔術を学んでみたいと言い出したのは、知的好奇心があったことは間違いが無いが、それ以上に帰還の為の足掛かりになると考えられたからなのである。彼をこの世界に拉致したのがその魔術だと言うのであるから、つまりはその魔術とやらを学べば、自力で帰る方法を見つける事も出来るかもしれない、と思ったのだ。自力で帰る事さえ出来れば、そもそも5体の化け物達と殺し合う必要すら無くなる。


 ……まあ最も、異世界に移動する方法を開発した地球人が居ない事からも察する事が出来る様に、異世界への帰還というのは、魔術とやらにとっても相当に難易度の高い事なのだろうと予想はついていた。青年もこの場ですぐに召喚陣とやらの仕掛けまで理解できるとは楽観視していなかったし、まあ当分は、例の化け物連中に対抗する手段でも考えながらゆっくり魔術を学ぶくらいが最善だろう、などと思っている。

 少女の見せてくれた現象は、純粋に学者として面白かったと考える事にした。


「ん? そういえば……」


 そこまで考えた青年は、ある重要な懸案事項を思い出した。


「アル。魔術の事は何となく分かったが――、

 やっぱりオレには使えないのか?」


 ――この問題である。

 よく考えると、仮に魔導とやらを学び、自力で帰る算段が付いたとしても、ソレを自分で使えなくては意味が無いのだ。魔術を使わなくては帰れないと仮定し、さらにこの世界の人間にしか魔術が使えなかった場合、結局全ての守護魔を倒してからでなくては地球に帰してはもらえないだろう。

 それでは、あまりにも意味が無い。


 少女はコホンと咳払いをしてから、妙にわざとらしい仕草で、ピンと人差し指を伸ばした。


「――1つ。貴方の左手には、貴方を維持する為の魔法円があります。

 実はその魔法円自体にも魔力の集積機能があって、貴方の因果律歪曲はその魔力によって行われています。そして守護魔の魔法円はかなり余裕をもって組まれている為、貴方の魔力は、毎日ちょっとづつ余った状態になっています」


「? なんだ。それじゃあオレは、別に君が居なくても生きていられるわけか」


 どこか安心した様な青年の声。

 少女は溜息を返した。


「……あのね。その魔法円は、あんたの維持に必要な魔力を集めてるだけなの。

 あんたがランプの炎だとしたら、それは自分で油を足してくれるネジの無いランプで、壊れない様に抑えてるのがあたし。少しでもあたしから魔力が流れてる内は問題じゃないし、そのくらい意識しなくても出来るくらい簡単だけど――。

 あたしが死んだり魔力を止めたりしたら、その時点であんたはお陀仏よ」


「――例え世界を敵に回したとしても、君だけは最後まで守り抜こう」


「……ソレ、そんな死んだ魚の目で言うセリフじゃないと思うんだけど」


 青年は、遠い目をして心で泣いた。

 ――ああ、どうやら自分は、やはりこの少女には逆らえない運命にあるらしい。

 昨日の様に機嫌を損ねて殺される可能性もあれば、少女が敵国の刺客に殺されてしまう可能性もあるだろうし、もっと言えば、彼女が事故や病で死んだ場合にも殺されてしまう立場にあるワケである。

 今の青年には、この少女が世界中の誰より大切な、掛け替えのない存在に思えた。

 ……勿論、色も素っ気も無い意味で。


「まあとにかく、オレにも自由になる魔力とやらがあるってことか……。

 それじゃ、オレにもその魔法とやらが使えるのか?」


 コホンと、気を取り直すかの様に咳払いしてから、彼はそう訊いた。

 少女は、呆れた様に頭を抱えている。



「……あんた、馬に乗ったことある?」



「いや、無いが?」



「……今から馬術とか覚えて、本職の騎兵になる自信は?」



「…………」



 ――そのやりとりだけで、青年は少女の言わんとする事を悟った。



「……そういうこと。

 いい? あたしが組んだ術式なんだから、確かにあんたは、一般人に比べたら多少ましなくらいの魔力を持ってる。

 でもね。それがそのまま、魔法をポンポン使えるって意味じゃないの。

 あたし達魔導師は、物心つく前から毎日毎日修練を積んできて、ようやく今のレベルにいるんだから。

 先天魔術が無い時点で一般人より不利なのに、他所から来たド素人のあんたが、今から魔術なんか始めたところで、そうそう使えるようになるワケが無いでしょ?」


 少女は、今までより少々厳しい口調で、言い聞かせる様にして青年へと告げた。

 おそらくこれは、魔導師としての彼女の言葉なのだろう。

 初めからモノにならない事が分かっているのであれば、初めに現実を教えておくのは、確かに先達としての務めであると言えるのかもしれない。


「…………」


 しかしそれを聞いた青年は、人差し指をピンと立てた。


「……アル。科学者とは、常識を破壊する為に存在する職業のことなんだ」


「…………? うん」


「君は今、他所から来たド素人には、そう簡単に魔術を使う事は出来ないという常識を述べた。ならば科学者たるオレは、その常識を一度検証し、場合によっては破壊する義務を負っている」


「…………? うん、それで?」


「加えてオレは、今現在特務教諭の任に就いていて、オレの世界の技術をこの世界に伝える義務も負っている。そして技術というモノは、異なる技術や知識と共鳴する事によって発展するのが常である。

つまりだな、もしもオレが魔術を使える様になったとすれば、それによって何らかの未知の要素が生まれる可能性もあるわけだ。よってオレが魔術とやらを学ぶ事は、ある意味では国王陛下直々に仰せつかった任務であるとも言い換える事ができる」


「…………。だから?」


「…………」


 青年は、コホン、と咳払いをした。


「――言い方を変えよう。仮説の是非とは、本質的に実験によってのみ証明され得るんだ。君は今、オレに対して魔術を使えるワケが無いという仮説を立てた。オレの世界の知識を伝えるとだな。立てた仮説は、実験によって証明されなくてはならない。今回のケースであれば、オレが魔術を使えるようになるのかどうかは、君がオレに魔術を教え、ソレを実際に使ってみるという実験を経て漸く結論を得られる物なんだ。つまり何が言いたいのかというと……」


「………………。


 …………要するにさ。使ってみたいの?」


 青年は、コクリと頷いた。

 使いたいかと聞かれれば、答えは勿論使ってみたい。

 ――何しろ、地球へ帰る為の第一歩なのだ。

 自分の命が風前の燈火である事がはっきりした以上、化け物と殺し合うなんて悠長な事は言っていられない。

 一刻も早く帰りたいのは当然である。



「……どうしても、教えなきゃダメ?」



「? 教えてくれるんじゃなかったのか?」



 何故か、バツが悪そうな顔をし始めた少女。

 青年は、先の所長室での言質を返した。



「あ、あの時は基礎知識って言ったじゃない。

 使うのを教えるのは、その……、

 ちょっと、心の準備が必要というか……。

 と、とにかく、なんかまた違うの!!


 …………。

 その……。どうしても、教えなきゃ、ダメ?」


 少女はモニョモニョと何かを口籠りながら、明らかにおかしな様子でそんなコトを言った。

 目を泳がせ、頬を染めながら、む~と唸っている。



「…………」



 ……その態度はどうにも気になったが、しかし青年にしてみれば、魔術を使えなくては自力での帰還は絶望的になるのだ。少女の異変を努めて意識しない様に気を付けながら、無言でコクリと頷いた。



「……ホントのホントに、ど~しても、あたしじゃなきゃダメ?」



 コクリ、と青年は頷いた。

 他に魔法使いのあても無いし、そもそも彼は、少女の実力を既に知っているからである。

 国一番の魔導師であるという少女。ならば、この国に彼女以上の講師なんか居る筈が無いのだ。それに青年の性格的に言って、顔も知らない誰かになど、教えを乞える筈も無い。



「……………………。

 はぁー…………」



 少女は暫し悶々とした様子で唸っていたが、青年の魔術を学ぶ意思が固いのを悟ったのか、やがて諦めたかの様に溜息を吐いた。紅潮した頬はそのままに、本当に仕方なさそうな感じで、呼吸を落ち着ける様に二度三度と深呼吸を繰り返す。

 そして伏し目がちに、軽く俯きながら口を開き――。



「……わかったわよ。

 あーっ!! もう!! 分かったわよ!!

 それじゃ、本当に初歩の初歩だけね!?

 一番簡単な、自然霊級すれっすれのヤツ!!

 そうよね!! 良く考えたらあんた、特務教諭だもんね!!

 そういえば、暇なときには魔術を学ぶ権利があるんだった!!」



 ――本当に、仕方なさそーに、教えてくれる事になった。


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