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朝日真也の魔導科学入門  作者: Dr.Cut
第二章:雷神鉄鎚-1『アルテミア所長の魔術講座』
24/91

24. 魔導研究所所長による新任特務教諭への施設案内及び異世界に於いて用いられてきた謎の民族による国家間武力闘争を防止する為の少々風変わりな休戦協定に関する調査報告

 異世界生活三日目の午前中は、青年にとってひたすら少女に引っ張りまわされるだけの時間となった。


 全ては研究所に入った瞬間に少女が告げた、

「午前中は研究所を案内しようと思うの」

 の一言から始まった出来事である。まあいくら給料が無くなってしまったとはいえ、今の青年がこの研究所の職員であるという事実には変わりが無く、つまりいずれはここで働かなくてはならない立場であるのだから、彼もこの提案には快く賛成したのだが……。


 ――結論から言う。青年は、まだこの世界を嘗めていた。

 “午前中で研究所を案内する”という提案が、どんなに無茶な物なのかを全く理解していなかったのである。


 少女の提案を聞いた時の青年は完全に失念していたものの、この世界は建物だとかモニュメントだとかいう話になると、地球のそれに比してバカみたいに大きいのだ。どうやら大臣様が言うところの“銀の国の強大な国力の象徴にして荘厳なる魔導研究所”とやらもその例に漏れるつもりは全く無いらしく、眩いばかりの白銀の外壁には、一個大隊が隊列を組んで出撃できるほどに大きな扉が540も連なっている。

 ……そう。つまり少女は、この建築基準法も知らない扉のお化けみたいな建物を、僅かに午前中のみ(・・・・・)で回ろうと仰っていたのである。



 研究所の内部は、設計したバカに蹴りを入れたくなるほど広大なフロアが4つのブロックに区切られていた。少女によると、それが全部で9階層もあるらしい。

 おおまかな傾向を述べるのであれば、ちょうど各フロアが火、氷、土、風の4つの属性別に分かれており、さらに階層が上がるに伴って扱われる魔術の難易度や魔導師の格が上がる形である。王宮からの渡り廊下は5階にあった為に、青年は研究所を1階層づつ駆け足で案内されながら上に連れていかれることになった。


 1階層につきのべ数キロは歩かされようかという肉体的疲労に加えて、事情に暗い職員達から向けられる好奇の視線による精神的疲労。更には時折飛んでくる魔術の流れ弾や、“ごちそうだー”とでも言わんばかりの形相で向かってくる謎の魔法生物達による精神的苦痛も加算され、3階層もまわった頃にはすっかり減量中のボクサーみたいにされてしまった青年。


「休ませてくれ? 何だらしない事言ってるのよ!!

 まだ半分も見て回ってないんだから、休憩なんかしてたら日が暮れちゃうじゃない!!」


 ……などという少女の不満もなんとか押しのけて、確かに情けないな、などと思いつつも、残りの案内はまた後日ということで勘弁してもらったのであった。



―――――



 適当な所で休むのは逆に危険だと忠告された青年は、休憩場所へ向かうという口実で結局研究所の最上階まで引っ張られる羽目になった。ヘトヘトの身体で一番危険なフロアを闊歩させられ、不満を言う気力まで失わされながら、最終的にその最奥の部屋へと引きずり込まれる。入るときにチラリと見えた大扉の上には、荘厳な研究所には似合わない可愛らしい書体で“所長室”と記されていた。



 部屋の中は汚かった。正確に述べるのであれば、汚いというよりも散らかっていた。もっと正確に述べるのであれば、間違いなくきちんと整頓されている筈なのに、何故か散らかっているようにしか見えないという器用な惨状になってしまっていた。


 なにしろその部屋は、青年の研究室よりも二回りは容積がありそうなのにも関わらず、その3分の2以上を魔導書と本棚に占拠されている。内包された物量が大きすぎて足の踏み場も無いその有様は、この部屋が人では無く本を収める為に造られたのではないかと錯覚させられる程であった。本来であれば部屋を煌々と照らすべき陽光は、あちこちに聳える本の山に遮られ、部屋全体に落ちる影が訪問者への圧迫感を3割ほど増している。



「……なんと表現するべきか。

 これはまた……、筆舌に尽くし難いほどにいかにも(・・・・)な部屋だな」



 人間用に残された、僅かな空間を満たすインクの芳香を嗅ぎながら、小さく呟く。

 昨日から人々が口々に唱える呼称からここが少女の部屋であるとあたりを付けた青年は、彼女と本の山を交互に見遣りながら、深々と溜息を吐いた。


「あの屋敷を見た時にも思ったが、ここもまた大概だ。

 まさかとは思うが、コレ全部読んだのか?」


「そんなワケ無いでしょ。

 あんた、あたしをなんだと思ってるのよ」


「聞いてみただけだ」


 軽く眉を顰めながら、少々不満げに返答する少女。

 半ば以上に分かりきっていた答えであった為に、青年も特に感慨も覚えずに頷いた。


 ――計算してみれば自明だろう。

 仮に少女が毎日欠かさず1冊の本を読みきる程の読書家であるという仮定をしてみても、彼女が5歳で文字を覚えたとして、10年やそこらで読める本の数は僅か3650冊程度でしかない。真也の大学の図書館でさえ確か176万冊くらいの蔵書があったのだから、この少女はあの屋敷の本を読み切っている可能性すらも皆無だろう。否、それ以前の問題として、普通の人間ならば一生掛っても、図書館の本など100分の1も読み切れはしないという計算結果が出る。

 ……つまり少女のように大量の本を持っていたとしても、人間の寿命で活用しきることは絶対に不可能なのである。


 そんな彼の分析を知ってか知らずか、少女は少々不機嫌そうな視線を彼に向けていた。


「……ナニよ、その目。

 あのね。本っていうのは、知らないことを調べる為にあるの。

 1回読んで内容知ってる本なら、わざわざ部屋の中で嵩張らせといても邪魔なだけじゃない」


「それはそうだが……。

 今時、もっと便利な物はいくらでも――」


 言いかけた青年の疑問は、口をつく前に自壊した。

 なんのことはない。

 要するにこの世界には、その“もっと便利な物”が無いのである。


 例えば青年が地球で論文に引用する資料を探すとしたら、信用性のあるサイトに検索を掛ければ直ぐに最新の論文がデスクトップに表示されるだろう。場合によっては、それを書いた研究者と、電話や掲示板で直接意見を交換することすらも可能である。近年のネットワークの発達という波に乗り、電子化されてない古い資料でもない限り、最近では本を開く機会もめっきり減った。


 この部屋の書籍群は、確かに膨大だろう。

 しかしこの程度の情報量であれば、地球ならばUSBメモリー1つで事足りるのだ。それが無いこの世界で真っ当な方法論を用いて研究しようと思えば、なるほど、必然的に巨大な書庫を抱えてその都度必要な本を取ってくるしかないということだろうか。


「……ふん。多分、あんたが思ってるほど不便なものでも無いと思うけどね。

 必要な本を検索して手元に飛ばすなんていうのは、魔導師にとっては基礎どころじゃないから。

 まあ。この部屋もあの屋敷も貰い物だから、あたしもどんな本があるのか、完全に把握しきれてるわけじゃないんだけど……」


 そんなことを言いながら、少女は本棚に埋もれているデスクの椅子にヒョイと腰を下ろした。貰い物というのは嘘ではないらしく、年季の入ったアンティーク調のその椅子は、少女の体格に比べると不釣り合いに大きい。脚を組んでいるのは、少しでも“らしく”見せようという彼女のプライドなのかもしれないが、少女特有の柔らかさを感じる生白い脚は、やはり格調高い重役椅子には不似合いに感じられる。

 青年は、父親の仕事机に座らせてもらっている愛娘を連想した。


 少女に促されて、真也はデスクの正面に埋まっていたソファーへと腰を掛けた。

 年季の入った黒革に体を沈めると、鉛のような両脚から力が抜けて、なんとも言えない安堵が全身に広がる。……多少埃っぽかったが、今はまあ気にするまい。

 ぬるま湯のような血液が緩やかに脚を上り、再び熱い溜息が漏れた。



 ――指を鳴らす様な、パチンという音。

 反応して視線を上げると、少女の隣には青い木箱がフヨフヨと浮いていた。少女が再度指を鳴らしたのを合図に、今度は箱から1本の薬瓶がピョンと飛び出る。確かアレは、ポーションとか呼ばれていたこの世界の嗜好飲料である。


何ポ(・・)がいい?」


 酷く聞き慣れない略称で物を尋ねながら、少女は箱の口を真也の方に向けた。

 箱には例の“氷の魔法円”とやらが描かれていたのか、中に並んだ色とりどりの液体が入ったビンには結露が付着している。飲み頃らしい。

 真也は昨夜の晩餐会にて飲んだ、フルーツティー風味の“赤ポーション”も中々に気に入ってはいたが、今はなんとなくその隣でブルーハワイのシロップみたいな姿を晒している“青ポーション”に対して好奇心が湧いたりしてみる。「青ポ」、などと不愛想に答えながら、飲み物に選択肢がある場合にはついつい飲んだことが無い種類を選んでしまうのは果たして学者の性なのかと、青年は小さく首を傾げて思案するのだった。


 空間を滑る様に飛んできた青ポーションを手で掴み、コルク栓をポンと外して、中身を口に含んでみる。“青ポ”はキツイ見た目の割には随分とサッパリしていて、柑橘系の風味をしていた。色にさえ目を瞑れば、味的にはライムが最も近いかもしれない。甘みが少なく、鼻から抜けるミントの様な芳香は、確かに食後の口直しには十分に役に立ってくれるだろう。なるほど、嗜好飲料になるはずである。

 爽やかな香りに精神を落ち着けながら視線を戻すと、少女も先のビンを両手に持ち、可愛らしくもコクコクと、その中身を小さな口に含んでいた。



 ……余談ではあるが、彼女が飲んでいる液体は、何故か毒々しい赤紫色をしている。見た目だけで言えば、なにやら色々ヤバいモノを混ぜ込んだヨウ素液である。奇妙な程にトロトロとしたその水面には、恐竜図鑑でしか見ないような葉っぱが沢山浮いていた。



 昨夜の晩餐会で、アレと同じモノを飲んでいる人間が一人もいなかったという事実は秘密である。



 ポーション? を3分の1くらい飲んだ少女は、口元からビンを離すと、チロリと舌を出した。花弁の様な赤い唇を、姫苺の様な舌が、可愛らしい仕草でちょこんと舐める。唇に付いた飲料を軽く舐め取ってから、彼女はビンを太腿の上にまで下げた。



「……そんなに退屈だった?」


「――――?」



 落ち着かない様子で脚をブラブラさせながら、少女は呟く様に尋ねた。

 アンティークの椅子からはキシッ、キシッという軋む様な音が規則的に生まれ、少女が下げたビンの水面は、その音に合わせるかの様に波紋を作っている。その妙に不安そうな、居心地が悪そうな雰囲気は少々気にはなったものの、質問の意図が理解出来なかった青年は、小さく首を傾げることで意思を示した。


「誤魔化さなくてもいいのよ。

 そんなに疲れてるってことは、それだけ退屈だったってことでしょ? 

 まあ一般人のあんたから見れば、魔術なんて小難しいだけで、面白くもなんともないのかもしれないけど……。

 ……あたしも案内とか、あんまり慣れてないし」


「…………」


 ……もしやコレは、自分の案内は耐え難いくらい退屈だったのかもしれない、なんて事を心配しているのだろうか。このお転婆な少女がそんな事を気にするのは少々意外に感じられ、青年は少々反応に困った。


「……あのな、オレは学者だぞ?

 慣れない場所を引っ張りまわされるのが疲れただけで、君の紹介してくてれた魔術とやらは、十分に興味深い現象だ。

 機会があれば、一度まじめに習ってみたいくらいだよ」


 取りあえず、退屈だったというのは酷い誤解であった為に、素直に返答する。

 ――ポーションとやらには、鎮静作用でもあるのだろうか。

 自分の内心を人に話すという、非常に稀な行動を取った自分に少々面喰いつつ、青年はコクリともう一口、ポーションを含んで飲み込んだ。

 少女は一言だけ「そう」と相槌を打っただけで、半分以上中身の入っている薬瓶に視線を落としていた。



「…………」


「…………」



 ――会話が途切れる。

 少女は相変わらずバツが悪そうな表情を浮かべながら、手に持った薬瓶をクルクルと回している。青年は、初めはそれをこちらの飲むペースに合わせてくれているのだ、と解釈していたのだが、今では少女の性格的にそれは無いだろうと思い直している。

 ……彼女には、自分が飲み終わった時点で相手が飲み終わっていなかった場合、顎をこじ開けて無理矢理残りを流し込ませるくらいの所業が似合っているだろう。



「…………」



 妙にソワソワした態度。

 少女は借りてきたネコを思わせる挙動不審さで、視線が定まらずに部屋中をキョロキョロと見回している。いや、部屋を見ているというよりも、どちらかと言えば青年から視線を外しているような感じであった。



「…………。


 ……どうかしたのか?」



 流石に気になったので、彼は何となく問いかけてみた。

 いや。本当に大したことはないのだが、(少なくとも見た目は)目を奪う程に可愛らしい彼女にこういう態度を取られると、青年も妙に落ち着かなくて困るのだ。

 少女はキュッと目を閉じてから、コホンと咳払いをした。


「べつに、そうじゃないけど……。

 こうやって誰かとお茶飲むとかさ。

 ……ちょっと、初めてだから」


「…………。

 そうか……」


 再びポーションに口をつけながら、ポツリと答える少女。

 照れを隠す様な声色のその返答は、しかし青年の胸には妙にストンと落ちた。


 真也がこの世界に召喚されてから、今日で3日目。

 確かに彼は、少女が誰かと親しく話をしている光景など見たことが無かった。

 否。それどころか青年は、貴族も民衆も皆、彼女からは一歩距離を置いているような印象を感じていた。

 加えて彼女は今、一番寛げる場所として青年を自室に連れてきた。

 今の真也にとって一番寛げる場所とは、つまり一番他人の目が少ない場所、という事ではないのだろうか。



「…………」



 詳しい理由は分からない。

 癇癪持ちな少女の性格も、原因には多分に含まれているのだろうし、それ以外にも何か理由があるのかもしれない。

 ただ少女は今、誰かとお茶を飲むのが初めてだと言った。

 家族や友人が元の世界に帰りたくなる要素であると納得した彼女が、家族や友人を含めて、こうしてお茶を飲むのが初めて(・・・)であると。


 それが意味する物とは、一体なんなのだろうか。

 この年端もいかない少女が過ごして来た人生(じかん)とは、果たしてどんな物だったのだろうか――。



「……なんて顔してるのよ」


「? なんて顔って、いつもの顔だが?」


「……ウソ。なんか今、骨折した乗用馬とか見るような目してた」



 苦虫を噛み潰した様な少女の顔。

 ジト目で青年を睨みつけながら、彼女はそんなよく分からない例えを持ち出した。

 そういえば馬は、確か骨折して立てなくなったら処分される生き物で、馬肉として出荷される運命ある生き物だったはずである、なんて、青年の頭にはそんな無駄な知識が何気なしに過ったりしてみる。


 ……要約すると、自分は彼女に哀れむ様な視線でも向けていた、という事なのだろうか。

 青年にはまるで自覚が無かったものの、少女が言うのならそうなのかもしれない、などと、彼は少々思案顔になってみる。

 少女は、眉を顰めながら腕を組んでいた。


「……ふん。どうせあんた、あいつら(・・・・)がいつ攻めてくるかも分からないのに、呑気にお茶なんか飲んでる場合じゃないだろ、とか言いたいんでしょ?

 そんなの杞憂よ。虹の橋(ビフレスト)がある限り、どうせあと8日は誰も攻めて来ないんだから」


「ビフレスト?」


 聞き慣れない単語が聞こえた気がして、青年は思考を中断した。

 そういえば、少女が噴水の広場で汚れた水(略して汚水)を掛けてくれやがった時にも、同じような単語を呟いていた様な記憶が頭を過る。確か、複雑だとかなんとか。

 少女は「うん」と返事をしながら続けた。


「簡単に言うと、この世界の国境のことね。

 この世界には6つの国があって、それぞれの国は果ての無い平原(ヴィーグリード)を中心にして放射状にあるって話、もうしたでしょ?

 虹の橋っていうのはね。隣の国に行く時に、唯一通行が許されてる所なの。

 各国が両隣の国と繋がった橋を2つ。あと“果ての無い平原”に繋がってる1本を含めて計3か所ね」


「? つまり、関所だろ?

 複雑でもなんでも無いじゃないか」


 少女は小さく首を振った。


「虹の橋はただの関所じゃなくて、休戦協定も兼ねてるのよ。

 主な役割は3つ。

 通行人数の制限と、通行期間の制限。それから、違反した国への罰則ね。

 これがなかなか良く出来てるから、殺したいほど憎み合ってる6大国も、今のところは特に目立って戦火も無し。お陰様で冷戦なんてろくでもない状態が続いてるってわけ」


「……休戦協定、か」


 諦観した様に語る少女の言葉を聞いて、青年は少し考えてみた。

 ――通行人数制限と、通行期間制限。

 やや抽象的ではあるが、まあ休戦を考えれば基本的なルールだとも言える。

 おそらくは、どちらも大規模な軍隊が他国で暴れるのを防ぐ為のルールなのだろう。


「もうちょっと詳しく説明するとね。

 1つ目の通行人数制限っていうのは、一度に橋を通れる人数は、最大で9人までっていう決まり。

 2つ目の通行期間制限は、一度橋を通った人は、9日間同じ橋は通れないっていう決まり」


「一度っていうのは往復の事か?」


片道(・・)よ。しかも、空を飛べる乗り物に乗ってる場合でも、国境を越えるときには必ずここを通過しなきゃいけないっていう制限付き。

 例えば仮に、あたし達が隣接の橋を使って武の国に行ったとするでしょ? その場合には、武の国の中で9日間待つか、別の橋(・・・)を使って回り道して帰らなきゃいけないって事。

 ……あ、そういえば昨日の筋肉コンビだけど。

 あいつら、多分隣接の橋から来たんだろうから、今頃ヤバい魔獣がゴロゴロしてる“果ての無い平原(ヴィーグリード)”をうろうろしてるんじゃないの?」


 “いい気味ね”と、少女はゾッとするほど妖艶な笑みを浮かべながらそう言った。

 どうやら、あのお姫様がしているであろう苦労を思って痛快に感じているらしい。

 ……つくづく犬猿の仲である。


 対して青年は、休戦協定だというその橋のシステムとやらをもう一度よく吟味していた。

 簡単に考察してみた結果は――成程、悪くはないかもしれない。

 もしもそれが完全に成り立つのなら、という条件付きではあるものの、確かに武装戦力が9人やそこらでは軍隊などとは言えないし、それで敵国を攻めようなどとは思わないだろう。

 軍隊を小分けにして送るなどして、密かに敵国に大軍隊を送る事が出来た場合でも、今度は二つ目の条件が致命的になる。万が一敵国軍に遣り込められる、などの不足の事態が発生してしまった場合、隣接の橋が使えないのであれば、今度は敵国を突っ切らなくては撤退もままならないからである。少数ならばともかくとして、大人数では必然的に動きが遅れ、別の橋まで辿り着く事が難しくなる。



「…………」



 青年は、なおも思案する。

 なるほど。もしもコレが完全に成り立つのならば、という仮定の上ではあるが、よっぽど国力に差でも無い限りは、迂闊に敵国に攻撃を仕掛ける事なんか出来ない訳だ。

 要約するとこの虹の橋(ビフレスト)というシステムは、9日間敵国に滞在が許される様な人物か、もしくは別の橋を通って国に帰還出来る様な少数精鋭。或いは、両国合意の上での大使などしか他国には行けない、という事を意味している。



 さて。問題があるとすれば――。



「……で。それはどこのどいつが管理してるんだ?」



 ――この点だろう。

 そもそもこのシステムは、国を完全に律する事が出来る組織が存在しなくては成り立たない筈ではないのだろうか。

 すでに聞いている情報を統合すると、六大国の国力はほぼ同等。そして警備すべき関所の数は、隣接の二国と中央の平原に至る所の計三カ所。ならば自明の理として、一つの関所に裂けるであろう人員は、侵攻して来る敵軍に比べれば紙にも等しい数しか用意できない筈である。よって、各国が自主的に管理しているなんていう可能性は初めからあり得ない。このシステムを成り立たせる為には、敵国の軍隊を止め得る程の戦力を持った組織が、関所付近に常時駐在していなくてはならない筈なのだ。


 しかもその組織に要求されるのは、決して戦力だけでは無いだろう。仮に関所を設けたとしても、いくらなんでも物理的に通れる場所がそこしか無いとは考え難い。つまりそれは、“虹の橋”以外から進軍されると手の打ちようがないという事実を示唆する。それを防ごうと思うのであれば、その“橋を管理している組織”は、敵国の軍隊を丸々止める戦力のみならず、その動きを完全に察知するだけの諜報技術まで併せ持っていなくてはならないという事になる。

 ……そんな巨大戦力が、全国家冷戦状態の火薬庫みたいなこの世界で、堂々と存在しているとでも言うのだろうか。考えれば考える程、青年には、このシステムを現実に成り立たせるのは無理がある様に思えてならなかった。


 青年がそんな事を考えていると、少女は軽く肩を竦めて見せた。


「橋を管理してるのは“橋の番人(ヘイムダル)”って連中よ。

 古くから橋を守ってきた民族で、諜報の秘術を持ってるって事以外、あたしもよく知らないけど……。

 ――まあ、流石に大挙してやって来る軍隊を止めるほどの力は無いから、いざどこかの国が戦争を仕掛ける段になったら、別に止めはしないらしいけどね」


「……だよな」


 真也は当たり前のように相槌を打った。

 勿論彼はそんな連中の事などまるで知らなかったが、仮に戦争を起させない事が目的であり、尚且つ国と真っ向から戦って勝てる程の戦力があるのならば、そもそも通せんぼなんかに甘んじている必要はまるで無い事くらいは分かるからである。自分たちで団結して世界征服でもした方が、戦争を無くすには遥かに手っ取り早くて旨味があるだろう。

 ……仮に少女の言う“諜報の秘術”とやらがどれほど優れていたとしても、戦力の伴わない組織では情報などいくらあっても宝の持ち腐れでしか無い。

青年は、大きく溜息を吐いた。


「……そんなの誰が守るんだ?

 殆ど努力義務じゃないか。

 それで何百年も冷戦状態とか、この世界の人間はバカか?」


「それがそうでもないのよね」


 ピン、と、少女は3本の指を立てながら青年の揶揄に答えた。

 どう見ても若すぎるのに、青年には一瞬だけ、この少女が学校の先生に見えてしまった。


「そこで重要になるのが3つ目の役割、違反者への罰則ってわけ。

 ……連中、止めない代わりにこう言ってるらしいのよ。

 『我々の管理を好ましく思われないのであれば、その意思を尊重いたしましょう。

 9日程、貴国に隣接する全ての橋の制限を解除いたしますので、その間、私共が本当に不必要かどうかを熟考なさって下さい。

 新たな試みをなされる貴国を讃え、我々はその行いを、角笛にて全世界に響かせましょう』

 ――ってね」


「……なんだそれは。

 要するに、注意しても聞かないんならボイコットしてやる、って事だろ?

 そんな拗ねた子供みたいな条件で誰が――。

 ……って待てよ。制限解除に、全世界への報告?」


 もう一度よく思案し直してみた青年は、この条件の意味するところに気が付いた。

 “9日間の制限解除と、世界中への報告”。

 つまり少女の話を要約すると、協定を破った国は橋の制限が解除される上に、少女が言うところの“諜報の秘術”とやらで軍隊の動きを世界中に告げ口されてしまうわけである。



 少女に説明された、この世界の地理が思い出される。

 大陸の中心に広がる平野と、それを囲むように隣接する6つの国。

 それはつまり、それぞれの国は、必ず2つの敵国と隣り合う状態になっているという事である。


 例えば仮に、この状態で銀の国が武の国に侵攻でもしたとしよう。この場合、武の国と反対方向に位置する氷の国はどうするだろうか。傍観する可能性も有るには有るだろうが、背中を叩く様にして銀の国に攻撃を仕掛けても何ら不思議は無い。そもそもの前提として、この世界の地理は、既に下手な侵攻など出来ない程に睨み合った状態となっているのである。


 さて。ここで、先ほどのルールを加えて考察してみよう。

 再び銀の国が武の国に侵攻したケースを考えると、この時には銀の国に隣接する全ての橋の制限が解除されるのだから、氷の国が銀の国に攻め入る分には一切の罰則が無い。しかも氷の国にしてみれば、優秀な間諜が銀の国の動きを逐一報告してくれるオマケ付きである。青年が采配を握る立場であったとしたら、おそらくは喜び勇んで出撃するに違いない。



「……なんて陰湿な」



 知らず、溜息混じりに悪態が漏れる。

 しかし、なるほど。確かに、上手くいきそうなシステムかもしれない。

 戦争を禁止する為に国際規模の組織が存在しているワケでは無いが、結果として各国がそれを避ける為の抑止力に組み込まれてしまっている。


「まあ。橋の番人達も、表立って戦った記録が少ないってだけで相当な手練れ達だって言われてるしね。 各国も絶対に勝てるっていう保証が無い限りは、なかなか戦争なんか仕掛ける気になれないってわけ」


 再びポーションに口をつけながら、少女は肩を竦めて説明を終えた。



―――――



 その後の会話は、特に特筆する事もないくらいに他愛のない物となった。

 6大国がどんな特徴を持っている国だとか、各国の召喚主の噂だとか、伝説の魔法使いの伝説だとか、そんななんてことの無い噂話である。

 武の国のお姫様に対しては、少女の矢鱈と口汚い説明が目立ったものの、説明に要した語数が一番多かったことに気が付いた時には、青年はつい呆気にとられた物である。

 最も、それを指摘した瞬間には強烈な罵詈雑言の嵐を貰う羽目になったが……。


 現状の説明とはいえ、長々と話した事が良かったのだろうか。

 そんな素っ気ない会話をしている頃には、少女もすっかりいつもの調子を取り戻した様子だった。大臣達や国王のダメさ加減について共感しながら、二人はクイッとポーションの残りを飲み干す。


「それじゃ、そろそろ行かない?」


 空になった瓶を空き箱の中へと飛ばしてから、少女はピョンと床に飛び降りた。


「……やれやれ。

 今度はどこに連れて行くつもりだ?」


 散々引っ張り回された記憶がまだ堪えているのだろうか。

 どうにもつれない様子の青年。

 少女はタンッと床を蹴りながら、扉の前でフワリと振り返ると、


「――魔術に興味があるんでしょ?

 あたしも、あんたの準備期間に合わせて休暇貰えたからさ。

 基礎知識くらいなら教えてあげる」


 息を呑むほどに、可憐な笑顔でそう言った。




 ……この時の彼らは、まさかこの提案が“あんな争い”に発展するなんて、全く予想すらもしていなかったのである。


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