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朝日真也の魔導科学入門  作者: Dr.Cut
第一章:イクリプス-2『最初の敵』
20/91

20. 王宮魔術団による全元素複合魔術を用いた総攻撃による守護魔が持つ特性を確かめる為の抗魔術結界の強度試験及びとある異世界人の世界の生命体の特殊性に対する簡潔な仮説と解釈

 少年の筒から放たれたのは、空間を覆う程の炎の鉄槌だった。


 僅か数十センチ口径の砲身から放たれたプラズマの弾丸は、空中でその体積を爆発的に増大させ、太陽が2つになったかの様な熱量が瓦礫の山を覆っていく。


 青年は目を開けている事すらも出来なかった。

 視覚は一瞬で潰され、聴覚は麻痺し、肌を撫でる爆風に神経が削られていく。先程も経験した筈の五感の消失。しかし少年の武器によって齎されたそれは、少女の魔術による物とは根本から異なる現象である様に感じられた。


 ――否、それは当然か。

 先刻の少女の魔術の目的は、あくまでも視界の奪取。目眩ましが目的であり、それが最終目的であったのに比して、少年の武器の目的は破壊と殺傷。視界の消失は副次的な物でしか無いのだから。


「――――っ!!」


 地べたに這い蹲り、目を固く瞑りながら、青年は嵐が過ぎ去るのをただ待っていた。爆風に乗って何が飛んで来たのか、彼の顔には羽虫の様に無数の粒が衝突し、硬い衝撃が腕や背中を掠めていく。


 麻痺した視界。

 麻痺した聴覚。

 粉塵塗れの大気は猛毒で、呼吸すらもままならない。

 青年はその全てが煙に巻かれる暴風の中で、金属が軋む断末魔を聞いた気がした。



「ゴホッ!! ゴホゴホッ!!

 ウェェエエッ!!」


 やがてその猛威も終わりを告げた。

 未だに霞が掛かった視界と、キンキンという耳鳴りが止まない聴覚。強烈な粉塵に咳き込みながら、青年はゆらりと瓦礫の中に立ち上がった。


 世界は灰色の煙に覆われている。

 粉塵が気管に入ったのか、喉は内側からヤスリでも掛けられているかの様に痛かった。全てが消失した様な死の世界で、彼は先ず、自分が未だに原型を留めている事に安堵する。


「……ウソだろ?」


 そして粉塵が晴れた瞬間、青年は自らの視界に映った事実を理解して驚愕した。

 先刻自らが作り上げた瓦礫の山。

 視界が開けた瞬間、その量は2倍になっていたのである。


 おそらく少年は、あの大砲で残された塔の半分を撃ち抜いたのだろう。塔はその一撃に耐えきれず、塵芥の瓦礫となって瓦解し、それが山の体積を倍化させたのである。山の周囲に少年の姿は無い。あの粉塵に紛れて逃げたのだろう。



「…………」



 “お前と同じ事くらい出来る”

 煙幕の為だけにわざわざ破壊され、無造作に積まれた瓦礫の山が、彼には少年のそんなメッセージを伝えている様に思えた。



「……プハッ!!

 ゲホッ!! ゲホッ!!」


「コホッ!! コホッ!!」


 青年が呆然と立ち尽くしていると、瓦礫の山から2つの影が這い出て来た。黒いのと白いの。真紅の少女と金髪のお姫様である。

 2人とも粉塵をモロに吸い込んだのか、涙目になるほど酷く咽せ返りながら、まるで転がる様にして地表へと生還を果たした。


「…………」


 青年は、ただ無言でその姿を見詰めていた。

 敵国のお姫様。

 この事態の発端となった襲撃者。

 しかしその姿を確認しても尚、彼の心中は奇妙なくらいに穏やかだった。女と少女の距離はそう離れてはおらず、呼吸が整って立ち上がれば、あの姫様ならば即座に少女を斬りつけられる距離だろう。そうなれば、青年の命も無いに違いない。

 だが、それはもう関係が無い事柄だ。

 何故なら、状況は既に詰んでいるからである。


「残念だな、お姫様。

 どうやら時間切れみたいだ」


 青年は静かに宣言した。

 その両手を大きく広げ、まるでナニカ指し示す様な所作を伴いながら。



「――――!!」


 そして、女は目を見開いた。

 時計塔が崩壊した瓦礫の山。

 そこに居る自分の周囲を、数え切れない程の人影が取り囲んでいる事に気がついたのである。


 闇を結晶化した様な黒の軍勢。

 漆黒のローブを纏いしその威容は、しかし少女の物とは少し違い、薄手の生地や小さめの帽子で統一されて一様に映る。そして皆が皆、手に手に剣や杖、盾などの魔装を構え、魔力を込めた攻撃を今にも放たんと準備して隊列を組んでいた。



 ――王宮魔術団。

 日夜魔導の修練に明け暮れ、その業と力を一心に磨き続けた一流の魔導師達。一度(ひとたび)戦が起これば王命に従って命を投げ打ち、敵軍を完膚無きまでに叩きのめすであろう、魔術大国銀の国が誇る最高戦力であった。


「これはこれは、武の国のご子息様。

 此度は随分と大暴れされたようで。

 いやはや、お国柄が偲ばれるというものですなぁ」


 その軍勢の中から、一つの影が歩み出た。

 黒装束の魔導師達の中にあって、やたらと目立つ派手な宝石衣装。完璧に整髪されたカツラが目立つその男は、文部大臣アスガルドである。彼は何故か最前列にしゃしゃり出ると、破壊された時計塔を憎々し気に一瞥し、お得意の嫌味をたっぷりと込めながら敵国の姫を見下した。


「武の国第一王女、ウェヌサリア・クリスティー!!

 領域侵犯、及び王都襲撃の罪により身柄を拘束する!!」


 仄かな苛立ちを孕んだその声が、瓦礫の山に高らかと響き渡った。



 -----



 アスガルドの宣言をどの様に受け取ったのか。

 ウェヌサリア・クリスティーはゆっくりとその場に立ち上がると、軽やかに周囲の群衆を一瞥した。

 そのあまりにも現実離れした容姿に、辺りからはざわめきが巻き起こる。


 彼女の佇まいには気品があった。

 ある種の花が雑草に塗れた原野から隔離され、血統種として純粋培養される様に、数多の雑種とは生まれながらに次元を別つ圧倒的な品格。

 それは例え、彼女が土埃に塗れていようとも一向に衰える気配が無かった。

 一糸乱れずに隊列を組んだ王宮魔術団の中にあっても、全ての男は彼女の一挙手一投足に目を奪われ、全ての女は宝石の様な別次元の美しさに圧倒されていた。


「私の身柄を拘束する、ですか。

 随分と面白い事を仰る方ですね」


 ウェヌスは一通り周囲を視察したかと思うと、アスガルドを正面から見据えて口元を緩めた。白薔薇に例えられるその微笑を見た観衆からは、感嘆の溜息が漏れる。

 彼女に見据えられたまま普段と変わらずに声を発する事が出来るのは、余程美的感覚に疎い欠落者か、或いは自らの品格に過剰な自信を持つ欠陥者しかいないだろう。


「面白い事を仰るのは貴女でしょう。

 何のつもりかは存じませぬが、わざわざ我が国の王都までお越し下さったのです。いやいや、このままお帰ししては我が国の名折れでしょうに」


 ……どうやら彼はそのどちらかであったらしい。

 アスガルドは慇懃な笑みを浮かべたままに鼻白み、一切声のトーンを変えずに付け加えた。


「それとも、これだけの人数を相手に鬼ごっこでもする事が、貴女様の望みなのでしょうか?」


「いえ、まさか。

 いくら私と言えども、これだけの人数を相手にするのは少々手間です。

 ええ。不可能だとは言いませんが、明らかに私よりも技量が劣る者を斬るのは趣味ではありませんので」


 ウェヌスはあくまでも優雅に頷いた。

 アスガルドにも、魔術団の面々にも、或いは真紅の少女や白衣の青年にさえも、それは余りにも場違いな態度に映った。自らと互角の技量を持つ少女と、その背後に控える圧倒的戦力。それを前にして、彼女は依然として余裕のある態度を崩さない。凛としたその佇まいにある者は困惑し、またある者は世間知らずのお姫様の世迷い事なのだと聞き流していた。


「分かりませんか?

 確かに私独りでは、多少厳しい状況かもしれません。ええ。例え私が本来の“魔装”を使用し、先天魔術(ギフト)を全力で行使したとしても、この場を抜け出すには相応の負傷を覚悟しなくてはならないでしょう。

 ……それこそ“常理を外れた力”でも無くては」


 不敵に微笑む武装姫。

 その含みのある言い回しに、場の空気は困惑から戦慄へと移った。場の殆どの者がその認識を改め、寒気を覚える程に、自信に満ちた彼女の表情は壮絶だったのだ。

 そしてその悪寒が正しかった事は、次の瞬間に証明される事になる。


「聞いていますね?

 好い加減、目を覚ましても良い頃合いですよ」



 ――彼女がそう言った瞬間である。



 突如、大地が鳴動した。



「――――!?」


 その場に居た全員の表情が驚愕に染まる。

 突如として発生した、天変地異の様な世界の振動。

 火山噴火や大型魔獣の行進を思わせるその鼓動が大地を震わせ、腹の底に響く様な波動を空間に吐き出していく。


「アルテミア。それからシンヤさん、でしたね。

 折角ですので手土産に1つだけ、我々の手の内を明かして差し上げましょう」


 その振動。立っているのも難しい程の揺れの中、ウェヌスは眉一つ動かさずにそう言った。口元には微笑。それは自らの危機に怯えるどころか、いつでも敵を殲滅出来るとでも言わんばかりの確信に満ち溢れている。


「異世界には様々な可能性があるそうです。

 異界の方々はそれぞれ、この世界の常識から見れば信じられない様な人生を歩み、そして何らかのきっかけによってこの世界に訪れます。だからこそ彼らは、我々の考えもつかない様な知識を持ち、同時に彼らの世界特有の性質を持つのです」


 何かを思い返す様に、女はそこで言葉を区切った。

 それはまるで、自らの過去の過ちを省みる様な、儚げな印象を与える雰囲気を湛えている。

 小さく息を吐き、凛とした声は更に続けられる。


「ええ、そうですね。

 例えば仮に、の話ですが……。

 もしも“その人”が鋼に馴染みのある世界の出身ならば、この世界の人間など及びもしない程の剣の技量を誇るでしょう。仮に、もしも万物全てが岩の如き重さを持つ世界の出身であったのならば、こんな瓦礫の山など木箱程度の重さにも感じないのでしょうね」


 瓦礫の山に皹が入る。

 複雑かつ乱雑に積み重なった金属の壁が、まるで生き物が呼吸するように起伏を繰り返し、振動は際限無く強まっていく。

 それが見物人たちにはまるで、噴火寸前の活火山を見ているかの様な錯覚を与えた。


「そうです。

 つまり“彼”は、そういう世界の出身(・・・・・・・・・)だという事です」


 ――そして、山は噴火した。

 家程もある瓦礫がまるでオモチャの様に空を舞い、粉塵は火山灰となって周囲の群衆を呑み込んでいく。無造作に積まれた破片は冗談の様に辺りに飛び散り、落下した瞬間の衝撃だけが、それが質量を持っていたという事実を証明する。


 その中心。

 火山噴火の様に飛び散った瓦礫の頂上。

 山の半分が吹き飛んだその窪地の中心にて、青い従者は幽鬼如く佇んでいた。


「……主人を敵前に残したまま休息するなんて、随分な従者ですね」


 囀る様な、微笑の混じった声。

 全ての人間が驚嘆し、言葉を失った世界。

 しかしその中にあって、純白の姫だけは唯一、それがさも当然の様に視線を男へと向けていた。男は肩を竦めながら、自らの右手の甲を指差している。


「仕方ねぇだろ。

 見ての通り、チョイと手を擦り剥いちまったんでな。約束を守るんなら、俺が出て来た時点で俺たちの負けになっちまうじゃねぇか」


 言われて、女は男の手へと目線を落とした。

 確かによく見ると、男の手にはほんの小さな擦り傷があり、既に止まってはいるが血が2、3滴滲んでいる。“1滴でも血を流させたら勝ちにしてやる”。彼がそう約束した以上、彼の負傷を知った上で女が戦闘を続行しては約束の反故に当たるだろう。女は小さく息を吐きながら、身体の熱を緩やかに下げていった。


「いいでしょう。貴方が勝手に交わした約束ですが、私は従者の戦闘方針にまで口は出しません。

 ええ。貴方の心遣いには感謝しましょう。

 ……ですが。次からは、無事ならばまず私の前に出て来て下さい。

 私だって、その……、ほんの少しは不安になるのですから」


 余人には分からぬ程度に頬を膨らませ、拗ねる様な声色で告げる姫。足場として不安定な筈の瓦礫の山を当然の様に踏みしめながら、悠然と男の下へ登って行く。対する男は、やれやれといった様子で頷いていた。


「お、王宮魔術団何をしておるかっ!!

 さっさとあの連中を吹き飛ばせっっ!!」


 アスガルドの叱責が山に響く。

 唾を飛ばしながら激する文部大臣の声を聞いた魔術団の面々は、我に帰りながらもなお行動を躊躇っていた。


 “あんな化け物がいるなんて聞いていない”

 “山を吹き飛ばしたぞ。人間じゃない”

 “ここは様子を見るのが適切ではないか”



 様々な意見が轟々と飛び交い、黒い軍勢は敵を見ながらもたたらを踏んでいる。そんな彼らの様子に業を煮やしたのか。アスガルドは更に声を張り上げた。


「ええい!! 貴様らそれでも魔導師か!?

 あんな野獣を恐れるんじゃない!!

 そんなに彼奴が恐ろしいのならば、王女ウェヌサリアを狙え!! いかな大魔導と言えど、これだけの軍勢から魔術を浴びては一堪りも無い筈だ!!」


 文部大臣は高らかに標的を指示した。

 なおも行動を迷う黒い軍勢。

 しかし大臣の命には逆らえないと考えたのか、軍勢の中の何人かが、その腕に魔力を流し始めた。それを合図に、連鎖的に増殖していく魔術の気配。軍勢が発する燐光は黒装束の景色にイルミネーションの様に浮かび上がり、4属性の魔術がコーラスの様に次々と詠唱されていく。魔力が収束し、光が飽和し、その全てがただ一点に向けられて停止する。

 準備が十分に整った事を確信したアスガルドは、肩が上がる程に大きく息を吸った。


「放てぇぇぇえええええっっ!!」


 そして世界が振動する。

 純白の姫を取り囲む無数の魔導師達は、その全てが銀の国の誇る一流の使い手達なのだ。炎の上位魔法が、大嵐の如き暴風が、空気が氷る程の冷気の弾丸が、土塊の兵士が、剣槍盾杖、様々な魔装によって増幅されて放たれ、たった1人の人間を仕留めるべくその銘を誇っていく。視界を覆う4原色の閃光。標的に対して明らかにオーバーキルな破壊力のそれらは、一切の手心無く白いドレスに向けて疾駆した。


「――――っ!!」


 鳴り響く爆音。

 最早音と形容していいのかすらも分からない程の衝撃が世に放たれ、空間そのものを食い尽くすかの様に4属性の波動が暴れ狂う。あまりにもデタラメな魔術の衝撃。これだけの攻撃を受けては、純白の姫君とて骨も残らないだろう。



 粉塵が立ち昇る。

 灰色の煙は三度(みたび)世界を覆い、その惨劇の凄惨さを呂実に語る。単身王都に乗り込んで来た美貌の姫君は、今この瞬間、圧倒的戦力の前にこの世を去ったのだろう。その場に居合わせたある者はそれを誇り、またある者は、麗しの姫君の姿が世から消えた事に落胆していた。





 ――少なくとも、その光景を見るまでは。





 煙が晴れる。

 爽やかな涼風が土埃に塗れた大気を浄化し、爆心地の様子を見物人に伝え始める。その刹那。一個大隊の総攻撃を受けてクレーターとなった筈の瓦礫が健在であるという事実を理解した瞬間、その場に居た殆どの人間は言葉を失った。


「うるせぇな。

 悪いが花火は間に合ってるぜ?」


 爆心地には男が居た。

 先刻瓦礫の山を吹き飛ばした、青い甲冑の大男。彼はまるで姫を庇う様に魔術団の前に立ちはだかり、鎧に焦げ痕一つ無いままにその場に佇んでいた。

 男は退屈そうに溜息を吐きながら、細めた視線を女に向ける。


「……ったく、無用心な姫様だな。

 敵国の軍隊に背中向けるか? 普通」


「まさか攻撃されるとは思わなかった、というのが一つですが……。

 仮に攻撃されても問題は無いと思ったのです。

 ええ。貴方ならば間に合うと信じていましたから」


 清流の様な信頼を込めた声で言いながら、女は先刻まで男が居た場所と現在地を見比べた。距離にして、凡そ20歩程度。男ならば魔術の発動を感じ取った瞬間に、十分に間合いを詰め得る距離である。


 王宮魔術団は沈黙している。

 あれ程の魔術の直撃を完全に無効化した怪物。その存在が信じられないのだろう。守護魔の存在が一部の魔導師と大臣達にしか知られていないという事実が裏目に出た。魔術が効かない世界の存在が居る事すらも知らない殆どの魔導師達は、まるで悪夢を見た様に放心し、頭を抱えたり首を振ったりしている。


「――さて」


 そんな魔導師達の間にあって、男は一際目立つ宝石衣装に目を留めた。獣の様な眼光で、殺気を込めて睨み付ける。男の視線を受けたアスガルドは、小さく呻きながら2歩後退していた。


「おっさん。武器も持ってねぇ女の背中ぁ攻撃させるたぁ、大した信念の持ち主みてぇだな。俺の主に手ェ出したからにゃ、相応の覚悟は出来てんだろうなぁ?」


 低い声が空気を伝播し、向けられた存在に死の恐怖を抱かせる。捕食者に睨まれた哀れな獲物は、カクカクと顎を震わせながら、怯える様に周囲をギロギロと眺め回していた。


「お、王宮魔術団!! 王宮魔術団っ!?

 何をしておるか愚か者どもめがぁっ!!

 貴いこのワシが狙われておるのだぞ!?

 さっさと追撃を始めぬかこの間抜けどもっっ!!」


 再度攻撃を命じるアスガルド。

 しかしその憐れを誘う程に蝋梅した声には、今度ばかりは本当に返答が無かった。

 王宮魔術団は完全に沈黙したまま、微動だにせずにお互い目配せ合っている。



 ……そして、やがてどこからとも無く叫び声が上がった。



「やってられるかぁぁぁぁあああ!!」

「あんな化け物どうしろってんだよっっ!?」

「まだ死にたくねーっっっ!!

 大臣!! やるならてめえでやりやがれ!!」


 口々に奇声を上げる銀の国最高戦力(・・・・)

 彼らは上司たる大臣に思い思いの罵声を浴びせかけると、隊列の最後尾に居た何人かが逃げ出したのを合図に散り散りになって逃走を始めた。


「な、お、おい貴様らぁぁあああ!!

 逃げるな!! 今逃げたヤツは減給じゃ済ま--だから頼むから逃げないでくれぇぇぇえええ!!」


 去りゆく黒色の軍勢の背に、大臣の声だけが虚しく響いていた。



「…………」



 言葉を失って立ち尽くすアスガルド。

 ポツンと取り残された文部大臣は、寂し気に明後日の方向を眺めたまま、何かの化石の様に固まっている。


 コホンと咳払いをする。

 大臣はゆっくりと瞼を閉じながら振り返り、純白の姫君へと視線を向けた。その口元には、妙に馬鹿丁寧な笑みが浮かんでいる。


「さて、武の国が第一王女様。

 我が国の誇る余興はお楽しみ頂けたでしょうか?

 ええ。楽しんで頂けたのであれば結構です。では、そろそろお帰りになってはいかがでしょうか。 勿論、我が国の威信にかけて、ご客人に無礼は働きませんとも。

 では御機嫌よう」


 最後まで慇懃な笑みで取り繕ったまま、文部大臣はよろめく様に去って行った。



 -----



「……あいつら、何しに来たんだ?」


 一気に人口密度が低下した時計塔跡。

 たった4人残された、2人の守護魔とその召喚主。

 すっかり寂しくなった景色を疲れた瞳で眺めながら、朝日 真也は頭を抱えた。


 “暫くしたら王宮魔術団も来ると思うから、それまで時間を稼いでくれればいいの”


 先刻聞いた少女のセリフが、虚しげに何度も脳内でリフレインする。あの時には、彼女の言う魔術団とやらが、一体どれ程の希望の光に思えたことか。

 あんな連中に一度でも期待したという事実が汚点にしか思えず、彼は凄く死にたくなった。


 少女へと視線を移す。

 真紅の少女はまるで酷い頭痛を堪える様に、或いは身内の至らなさに恥じ入る様に、ほんのりと頬を染めながら頭を抱えていた。


「あたしを怒らせに来たんじゃない?

 アスガルド……はほっとくとして、取り敢えずあの連中、明日から修練の量2倍だから」


 ドス黒いオーラを滲ませつつ、少女は妖精の様な笑みでそんな事を言う。魔術団の連中が逃げたのは、ある意味では正しい判断であったかもしれない。魔導師としての少女を知る者が彼女にこんな笑みを向けられたとしたら、その人物は恐怖のあまり失禁してもおかしくは無かっただろう。


 幸運にも、魔導師の何たるかを良くは分かっていない青年にはそれ程顕著な効果は現れなかったが、それでも風邪を引いた様な悪寒が背筋に走るのを彼は感じた。溜息を1つ吐いてから、視線を少女から外して瓦礫を見上げる。



「ケッ、腰ぬけどもが」



 視線の先では青い男が、悪態をつきながらアスガルドが消えた方角を睨んでいた。その隣には寄り添う様にして白い女が立ち、同様にして不快そうな視線を投げかけている。やがて彼らは青年の視線に気が付いたのか、瓦礫の山から悠々と眼下の2人を見下ろした。


 青年の緊張が再び高まる。

 緩んだ神経が一気に引き締められ、アドレナリンが心臓の拍動を情けないくらいに速めていく。


 何の事は無い。

 色々と余計な出来事が起こりはしたが、結局状況は門前での邂逅に戻っただけだ。この場にはたった4人しかおらず、純白の姫とその従者は丘の上からこちらを見下ろしている。先刻と違い、青年は不死鳥の羽根ペンという魔装を所持してはいるものの、魔法円という前準備をしていない現状では何の役にも立ちはしない。このまま時が過ぎれば、今度こそあの男は青年を串刺しにするだろう。


 純白の姫は真紅の少女を見据えている。

 その怜悧な視線からは、女の内心は到底伺えない。否、彼女の言動は常に青年の理解の外なのだから、今だけ都合良く彼女の思考を把握出来るなどという話は無いだろう。ただ少なくとも、彼には女の視線が、自分の短命を哀れんでいる様に思えたのだ。


「アルテミア、どうしますか?

 どうやら、あの方々は我々の戦闘には干渉しないつもりの様ですが」


 発せられたその問いは、戦闘続行の意思の確認であった。

 女は真っ直ぐに少女を見据えながら、無色の声で静かに問う。

 少女は一瞬だけ目を丸くしたが、直ぐに溜息で返事を返した。


「勿論続ける、って言いたいところだけど……。

 なんかさ、あの連中見てたら気が削がれちゃった。

 ……どうする?

 あんたがどうしてもって言うんなら、今日のところは見逃してあげてもいいけど?」


 最後の方にはクスリという声色を滲ませて、真紅の少女は女を見据える。

 その視線を正面から受け止め、純白の姫は微笑を返した。


「そうですね。私個人としましては、続ける事に何の支障もないのですが……。

 約束を反故にしては王族の名折れですからね。

 ええ、今日のところは帰らせていただきましょうか。貴女の奮戦に免じて、今の発言は見逃して(・・・・)差し上げます」


 少女に負けじと言い返し、ウェヌスはその長髪から髪飾りを外した。金砂を散りばめた様な彼女の髪に良く映える、羽根を模した白い髪留め。彼女はそれを天高く掲げると、祈る様に目を閉じた。髪飾りからは燐光が漏れ、彼女が何らかの魔術を行使している事を周囲に知らせる。


 そして、街には劈く様な異形の鳴き声が響き渡った。


 蒼い陽光が遮られる。

 天を覆い尽くす程の影が天空を舞い、瓦礫の山が夜が訪れたかの様な常闇に包まれる。その暗転した世界。天の運行を乱す程の存在感と共に、鳴動の如き羽音を響かせて、その“翼”は飛来した。


「……冗談だろ?」


 惚けた様な声。

 白い青年は半ば放心しながら、茫然自失の体でその“翼”に目を奪われていた。


 人間が2人乗っても余裕がある程に巨大な背。

 羽毛に覆われた翼は力強く、その体躯が宙に浮くという異常を正常の如く誤認させる。

 先端が曲がった、鋭い嘴。

 クリクリとした猛禽の眼は捕食者を思わせる鋭さながら、しかし辺りを見回す様には愛嬌と気品が感じられる。



 ――怪鳥・グリフォン。


 この世界において、天の国の翼竜(ワイバーン)と並び称される天空の覇者。武術王国武の国(ウォルヘイム)が誇る長距離移動用生物であり、そして王女ウェヌサリア・クリスティーの愛鳥の1羽であった。


 怪鳥はまるでその力強さを誇るかの様に、悠然と瓦礫の山に降り立った。おそらくは、かなり丁重に扱われているのだろう。白い羽毛に所々灰色のメッシュが入ったその体色には、しかし一切の汚れが見られない。叫ぶ様な声でわななきながら、翼は自らの主に頭を摺り寄せていた。


 王女はその僕の頭に手を置き、まるで慈しむ様に撫でる。やがて青年の内心を悟ったのか、恐々としている彼の顔に目を移して小さく笑った。


「安心して下さい。

 “彼女”は大変に勇敢ですが、同時に節度を弁えてもいます。貴方が危害を加えるつもりが無いのならば、“彼女”とて貴方を襲う事は無いでしょう」


 ウェヌスはそう言って会釈をすると、簡単な謝辞を述べてから翼へと飛び乗った。気品に溢れる彼女と白い翼の組み合わせは、青年には天の使いを彷彿とさせる程に神々しく映った。


「それではアルテミア、それからシンヤさん。

 次にお会い出来る日を楽しみにしています」


 翼の背中を優しく撫でながらそう告げて、王女は自らの従者にも搭乗を促した。


「…………」


 ……しかし青年は、天女の様な彼女がその安全性を保証して尚、何故か目の前の怪鳥に対する警戒心が拭えなかった。



 大男は一度大きな溜息を吐くと、何故か青年よりも更に警戒する様な素振りでグリフォンの背に跨った。青年はその素振りに、何か確証に近い様なイヤな予感を感じたが、男が思い出したかの様にこちらへと目線を移したのを見て思考を止めた。男は捨て台詞の様に、その低い声を唸らせる。


「……おい、白いの。

 これからお前は、5つの国に命を狙われる事になる。

 俺も同じ立場だから分かるけどよ、それはきっと、息つく暇も無い血みどろの修羅道だ。気ぃ抜いたら、明日にでもお陀仏だぜ」


 大男は睨みつけながら言い捨てる。

 その声には未来を暗示する様な響きと共に、何故か青年の身を案じる様な色も含まれている様に思えた。

 男の意図するところが理解出来なかった青年は、首を傾げながら男の真意について考察する。


 そんな彼を呆れる様に睨みながら、男は堂々と続けた。


「……まっ、要するにだな。

 お前を殺すのは俺だ!!

 だからお前は、その時まで絶対ェ死ぬんじゃねぇぞ!!」


 王道バトル漫画みたいなセリフが響いた瞬間であった。

 突如として巻き起こった突風が、4人だけの世界に吹き荒れる。

 グリフォンの羽撃きは大気を鳴動させ、旋風が粉塵を巻き上げて視界を遮った。白衣の袖で顔を覆う青年。粉塵に遮られた世界の中、絹を割く様なけたたましい鳴き声が、ドップラー効果を残して遠ざかっていくのを彼は聞いていた。



「殺せなくなるから死ぬな、って事か。

 出来れば二度と会いたくないな」



 風が収まったのを見計らって、白衣の袖をどける。

 視界には瓦礫の上に広がる青空と、大空をかける白い翼だけが写っていた。


 溜息を吐きながら、視線を隣へと移す。

 真紅の少女は悔し気に唇を噛み、睨み付ける様にして空を見上げている。

 ――と、青年の視線に気が付いたのか眼を合わせてきた。


「とんでもない事に巻き込まれたもんだな。

 あんな化け物があと三体居るって言うんだろ?

 ……やれやれだ。こんなに家が恋しいと思ったのは、もしかしたら生まれて初めてかもしれないな」


 肩を竦めて恨み言を言う科学者。

 その視線が痛かったのか、少女は目線を隣へと泳がせた。

 

 彼女の目線の先には、瓦礫の山がある。

 つい数分前までは荘厳な時計塔だった筈のその金属塊は、今や元の面影すらも残さず、ただの無秩序な残骸としてそこにあった。



 ――この白い青年が、僅かペン一本で成し遂げた破壊の痕跡。



 少女は、背筋に冷たい物が走るのを感じた。

 知識としてだけは知っていた事実を目の当たりにし、静かな戦慄が心臓から脳天へと突き抜ける。

 そしてその感覚は、少女の口元をフッと綻ばせた。



「……化け物、ね」



 翠の瞳が、再び青年の方へと向けられた。

 その翡翠の様な双眸は心底楽しそうに、そしてどこか誇らしそうに青年を見つめている。



「あんただって、十分に化け物じゃない」



 思わず鼓動が速まる程に可憐な笑顔で、少女は真っ直ぐにそう告げた。

 なにを言われたのか理解出来なかったのか、或いは理解している余裕が無かったのか、青年はキョトンとした顔で少女の言葉を聞く。

 やがて我に帰った彼からの返事は、どこまでも深い溜息と軽い皮肉だった。



「ありがとう。

 全くもって嬉しくないな」



 頭を掻き上げながら、青年は空を見上げる。

 純白の鳥はもう見えなくなっていた。

 それは長かったこの日の事件の終わりであり、そしておそらくは、全ての始まりを告げる狼煙だったのだ。


 どこまでも青い群青の空の下。

 6つの世界を巻き込む魔導師達の祭典は、こうしてその火蓋を切って落とした。

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