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朝日真也の魔導科学入門  作者: Dr.Cut
第一章:イクリプス-2『最初の敵』
16/91

16. 異なる道徳意識を持つ社会における悪徳商法はその社会において悪徳に当たるのかという命題に対するとある物理学者の考察とその悪徳商法を用いる商売人との貴重な実験器具を巡る取引

 朝日 真也は違和感を感じていた。


 出血量に対して、あまりにも拍子抜けに過ぎた傷のサイズ。生まれてこの方、重傷になどとんと縁の無かった彼である。経験の足りなさ故に、断言する為には些か自信が持てなかったものの、それでも5センチ程度の裂傷では、刃が肉を抉る熱さや骨を削るおぞましさを感じさせるには役不足であろう事くらいは十分に理解出来ていた。


 その矛盾した事実に納得がいかなかった青年は、いくつかの仮説を組み立ててみる事にした。

 パッと思い付いたのは3つ。

 この星の気圧が地球に比べて極端に低く、多少の傷でも大量出血を起こす物理条件が整っているのか、あるいは男の剣に何らかの細工がしてあったのか。

 ――それともこの傷は、本当はもっと深かったのか。


 常識で考えればどれを取ってもあり得ないだろう。

 いくら物理法則の補正が掛かっているとはいえ、流石に代謝に必要な酸素(げんそ)までもが不足していれば生命活動など維持出来る筈も無いだろうし、男の剣に出血毒が塗られていたとしても、傷口の明確な悪化も無く大量出血が起こるのは不自然に過ぎる。三つ目の仮説に至っては、最早妄想だとしか言えないだろう。


 常識的にあり得ない事実。

 常識的にあり得ない現象。

 しかし今、そのあり得ない仮定は確信へと変わりつつあった。



 ――傷が、塞がっている。



 先程5センチ程あった傷は、今では3センチ程度にまでその幅を減じ、裂けた肉も細胞同士を接合し始めている。瘡蓋が無いのにも関わらず傷の修復は急速に進み、出血はとうに止まっていた。


 青年は思案する。

 刃物による裂傷とはこうも早く治癒されるものだったのか、それとも自分が気付いていないだけで、この時空では人間の細胞分裂が地球の数倍の速度で進行でもしているのか。


 後者だった場合、自分は地球の数倍の速さで老け衰えていく事になるのだろうか。

 そうだとすれば普段の数倍の速度で食事を摂取し、数倍多く風呂に入らなくては健康的な生活は送れないに違いない、などと自らの笑えない想像に苦笑しつつ、青年は自らの左腕を眺め続けていた。



「ふぅ……」



 二階の窓から無人の通りを確認して、青年は押し殺した溜息を吐いた。

 場所は時計塔ではない。

 広場よりも少しだけ街の奥にある、寂れた“魔装屋”である。



 遡るは半刻程前。


 少女に取り残された青年は、取り敢えずは少女が向かった右の道とは反対方向へと逃げる事にした。大男を引き付けるという役割であれば少女と同じ方向に行っては意味が無いし、正門に向かっては彼らと鉢合わせするからである。

 結果として彼が逃げる方角は初めからかなり限定されており、そこには彼の意思が介在する余地など無かったのだが、それ自体はまあ問題では無かったと彼は思っている。


 問題が起こったのはその後だ。

 暫く走って息が切れた頃、手近な壁に寄り掛かって呼吸を整えていた彼は、自分が導火線をぶら下げながら走っていた事に気が付いたのである。

 石畳をペイントし、点々と続く赤い道標。

 自らの左腕から滴ったそれを確認した時に、彼は先ず止血をしなければ、例え時計塔に逃げ込んだとしても直ぐに追手に居場所がバレるという事実を理解した。



 ……そこまでは、まだ良かったのである。

 幸いにして追っ手に追いつかれる前に事態を把握出来たのだから、即座に対処すればまだ間に合うわけで、それ自体はまだ致命的な事象では無かったと言えるだろう。

 しかしその後の出来事には、彼は本当に困り果てた。


 彼は取り敢えず、最低限血が落ちないように工夫しなければならなかったのだが、何しろ白衣からして既に血塗れの身である。白衣を脱いで腕に巻いてみたり、被せる様に覆ってみたりと色々努力はしてみたものの、どうしても滴り落ちる血液を完全に隠す事は出来なかったのだ。仕方ないので彼は、適当な建物にでも入って、そこで布を調達しようという結論に至った。


 ……だが、そこからがまた一苦労だった。

 何しろ、街には既に警鐘が響いた後である。

 大抵の住民は鍵を掛けて家に閉じ籠っているし、たまに玄関の扉を開けてくれる人がいたとしても、血塗れの彼を見るなり顔を青くして隠れてしまう。

 結果として彼は、導火線に火がついたまま街中を亡者の如く彷徨う羽目になったのだった。


 幸か不幸か目ぼしい場所を探している内に血は止まってくれたのだが、そこで偶然見つけたのがこの店、“魔装屋・ギル”の看板だったのである。

 そこが何の店なのかを知らない彼ではあったものの、少女が例の“不死鳥の羽根ペン”を魔装であると説明していた経緯もあり、また何らかの武器があるに越した事は無い状況である事も感じていた為に、彼は取り敢えずは中を見てみようと思い至ったのだった。



 ――最も、殆どの人間が家に閉じ籠っているこの状況にも関わらず、何故か営業中であったこの店の商売根性には流石の青年も呆れ返った。

 店も商店街からは大分外れた場所に立地している様だし、もしかしたら人目が無い方が都合のいいモノでも扱っているのかもしれない、などと、彼は異世界における違法業種になんとなく思いを馳せる羽目になってしまった。



「…………」


 そして、話は現在に至る。

 外の通りには相変わらずまったくと言っていいほど人気が無い。

 ガラス張りの窓からは時計塔が大きく見えており、血痕を残さなければ、何とか大男の目を盗んで辿り着けそうな距離ではある。


 それで安心したのか。青年は窓枠から離れ、店の中に売られている物を適当に物色し始めた。

 倉庫みたいな店の中には剣や盾、杖からハンマーまで、RPGの武器屋みたいな道具が数多く揃えられている。

 彼にとっては物珍しい品ばかりであったものの、強いて気になる点を挙げるとすれば、大抵どの道具にも摩訶不可思議な模様が描かれており、魔法の威力向上や発動の簡易化などの売り文句が付いている事だろうか。



「…………」


 ――余談ではあるが、先程から店主らしき中年の男が、訝し気な目線でチラチラと青年を観察している。無理も無い事だろう。あんな警鐘が鳴り響いた後に、こんな“異質な”格好の若者が血だらけで飛び込んで来たら、普通は騒ぎの原因であると推測するのが妥当である。


 最も、店主の男もそんな危なそうな人物に声を掛ける勇気など無いらしく、また当の青年も他者の視線という物にはほとほと無関心であった為、重苦しい雰囲気の店内には無言の緊張感が漂うだけに留まっているのだが……。



「ふむ…………」


 店主の視線など完全に無視しつつ、適当なナイフを見繕う青年。魔法云々は抜きにして、これならば、純粋な武器としては自分でもなんとか扱えるだろう、などと希望的観測を抱いてみる。

 ……そんなバカみたいな思考をしたところで、彼は自分のバカさ加減に苦笑した。


 考えなしにも程があるだろう。彼は自嘲する。

 何しろこんなナイフなど、先程見た男の剣に比べればオモチャも同然ではないか。否、そもそも自分は、先程男に立派な剣を渡されてさえ、それを抜けば殺されると直感したのでは無かったか。

 ならば、こんなナイフ一本で何ができるだろうか。

 あんな怪物に向かっていった所で、結末は先の予想と何一つ変わらないに違いない。


 あまりの不甲斐なさと絶望感に、青年は深く溜息をついた。

 溜息を吐きながら、純白の女と交戦しているであろう真紅の少女へと思いを馳せる。



 少女は、相手が女一人であれば互角に戦えると言っていた。それが事実かどうかは彼には判断できないものの、昨夜から繰り返し見せられている彼女の魔法を見る限り、彼女の魔法使いとしての実力だけは信じてもいいに違いないと彼は考えている。


 何しろ、あれ程の爆発を起こせる少女である。

 上手くいけば少女があのお姫様を打ち破り、大男を降伏させてくれる可能性もあるだろう。

 いや、仮にそれが少女一人では難しかったとしても、もしかしたら王宮魔術団とやらが彼女に加勢して、あのお姫様を捕らえてくれるかもしれない。



 余りにも楽観的な予測。

 余りにも都合のいい解釈。

 しかし今の青年には、それが酷く魅力的な仮説であるかのように感じられた。



「…………」


 無意識がその仮説を支持する。

 ――それがいいだろう。

 彼は心の中で頷く。


 何しろこうしている間にも、もしかしたら王宮魔術団とやらが、あの大男を何とかしてくれているかもしれないのだ。いや、もしかしたら、本当はあの2人組はとっくに街から帰っていて、こうして隠れている必要性すら無くなっているのかもしれない。そこまでは期待出来ずとも、こうして隠れていれば、そのうち勝手に事態は解決するのではあるまいか。



 心臓の奥に、冷たい違和感を感じる。

 しかし彼は、ここに隠れている事を最善と考え始めている自分が居る事に気が付いた。



「いやいや、それはよくないじゃろうて。

 人間、いざという時は諦めも肝要とは思わんかえ?」


「――――!!」


 突然、背後から嗄れ声が聞こえた。

 青年は反射的にナイフを構え、その人物に向けながら飛び退く。


 声の先には――、



「ほほほ、まさか声を掛けただけで刃物を向けられるとは、流石のわしも思わなんだなぁ。

 全く、最近の若者は堪え性が無いと聞くが。

 こんな年寄りの命、わざわざ取るまでも無いだろうに」


「…………」



 予想外の人物の登場に唖然とする青年。

 ナイフを向けられたその人物は、冗談めかす様にしてそんな答えを返してくる。左目には眼帯。伸び放題の白髪と酒の体液を持つ、イエティみたいな姿の老人である。


「……魔荷屋の爺さんか。

 今忙しいんで、金をせびるなら後にして貰ってもいいっスか?」


 気付かれ無い程短く、青年はホッとしたかの様に息を吐いた。

 その後直ぐに嫌悪感を剥き出しにし、ギロリと睨み付けてみる。

 そんな彼の目を見ているのか、そもそも老眼で見えていないのか。

 老人は暢気に顎を掻いている。


「ほうほう、随分と嫌われたものじゃなぁ。

 お前さんとは一度商売をしただけの仲の筈なんじゃが……。さてさて、わしは何か悪い事でもしたのかのぉ。いやいや寂しいことじゃて」


「……心当たりが無いとでも言うのか?」


 悪びれた様子も無く、飄々とした体で語りかける老人。

 青年は冷たい目線を送りながら付け加えた。

 ナイフは未だに老人に向けられている。


「相場の十倍以上で薬を売り付ける行為が、あんたの基準じゃ悪事とは言わないっていうのか?

 あんたのせいで、オレがあの後どんな目に合ったと……」


 そう。そもそも、この老人に騙された事がケチの付き始めだったのだ。

 この老人のせいで少女には処分されかけた。

 この老人のせいで門の外長時間留まる羽目になり、結果としてあの2人組と鉢合わせる羽目になった。


 ……無論、半分以上は八つ当たりである。

 彼自身ソレは良く理解してはいたものの、とにかく今は、八つ当たりでも誰かに感情をぶつけなくては気が済まない気分であったのだ。


「あれまぁ、もうバレてしまったのかえのぉ。

 いやいや困った。それは本当に困ったなぁ」


 しかし青年の非難も何処吹く風。

 老人は、あくまで好々爺めいた笑みで彼の糾弾を聞き流している。暖簾に腕押し、糠に釘。彼の睨みなどまるで堪えていない様子である。

 そして、とぼけた様に口を開いた。


「しかしのぉ、それがそんなに悪い事かえ?

 一応のぉ、それが魔荷屋(わし)の仕事なんじゃが」


 老人は、再び聞き慣れない業種の名を持ち出した。

 そこに謝意は全く感じられず、声色は言外にソレが当然であるかの様な雰囲気を孕んでいる。

 青年は腕を組んで思案した。

 先程は何でも屋みたいな物だと語っていたが、老人の言葉を聞く限り、どうにもそれだけでは無い様に感じられたのだ。


「……爺さん。そもそも、魔荷屋って何なんだ?」


 広場で訊ねた事と全く同じ質問を繰り返してみる。

 老人は髭を触りながら、まるで何かを思い出す様に天井を見上げていた。



「時にお前さんは、マニの卵というお話を知っておるかえ?」


「…………」



 そして、全く違う話を持ち出した。

 話が飛ぶ事と長い事は、歳を重ねた人間の悪い癖である。

 勿論そんな話を知るワケが無いので、真也は小さく首を振る。

 困惑する青年の視線を無視しながら、老人は勿体ぶった口調で語り始めた。



 ――マニの卵。


 それは昔、とある田舎町に住んでいた、マニという名の少女のお話である。


 ある日マニは、母親に頼まれて大きな街へと出掛けた。夕飯に使う筈のフワフワ鳥の卵が割れてしまい、急遽買い出しに行かなくてはならなくなったからである。


「いいかい、寄り道しないで、真っ直ぐに帰ってくるんだよ」


 母親は、マニにそう言付けた。


 ガラナおじさんの店で籠いっぱいのフワフワ鳥の卵を買い、大荷物をヨイショヨイショと引き摺りながら、マニは家へと歩いていた。勿論言付け通りに、寄り道せずに真っ直ぐに、である。

 しかし家への道を歩いていると、街から出るところで、立派な服を来た執事のおじさんが、籠いっぱいのピョンピョン鳥の卵を抱えて困っているのを見つけた。


「どうしたんですか?」


 マニは訊ねた。


「そのフワフワ鳥の卵と、このピョンピョン鳥の卵を交換してくれないか?」


 おじさんはマニを見るなり目を丸くして、突然頭を下げてお願いをした。

 話を聞くと、おじさんは随分と我儘な婦人の家に仕えているらしく、その婦人は、今日はフワフワ鳥の卵が食べたいと言っていたらしい。

 でもおじさんは、安い安いフワフワ鳥の卵よりも、ちょっと高いピョンピョン鳥の卵の方が美味しい事を知っていたので、気を利かせてピョンピョン鳥の卵を買って来てしまったというのだ。

 どうしてもフワフワ鳥の卵が食べたかった婦人は、おじさんにフワフワ鳥の卵を買うまで帰って来るな、と言ったらしいが、店に行くと、今日はもう売り切れてしまっていたという。


 マニはピョンピョン鳥の卵の方がフワフワ鳥の卵よりも美味しい事を知っていたので、喜んで籠を交換する事にした。





 ――後はその繰り返しである。

 異国の商人さんからはマウマウ鳥の卵を。

 病気のお医者さんからはゴロゴロ鳥の卵を。

 お忍びで街に来ていた王子様からはヤムヤム鳥の卵をそれぞれ交換してもらい、マニの持つ卵はどんどん豪華な物になっていく。


 そして最後。

 日が落ち掛けた頃に彼女が出会ったのは、今にも倒れそうな程にヨボヨボの、魔法使いのお爺さんだった。お爺さんは大きなジャガイモみたいな卵を抱えて、道の真ん中でグスグスと泣いていた。


「どうしたんですか?」


 マニは尋ねた。


 話を聞いてみると、お爺さんのお弟子さんが病気になって、ソレを治す薬を作るにはヤムヤム鳥の卵が沢山必要らしい。でも、ヤムヤム鳥の卵はスゴく高いので、お爺さんにはとてもとても買えないという。


 マニは、少し迷った。

 ヤムヤム鳥の卵はすごく高くて、すごく美味しい事を知っていたし、お爺さんはいかにも貧乏そうで、卵を渡しても何もくれないと思ったからだ。


 でも泣き崩れているお爺さんが可哀想になってきたマニは、ちょっと迷ったけれど、お爺さんにヤムヤム鳥の卵を全部あげる事にした。


 お爺さんはわんわん泣きながら、何度も何度もマニにお礼を言って、最後に予言するみたいにこう言った。


「運が良いのは良い事だ。

 でも優しい事は、それよりももっと良い事だ。

 優しい君は、きっと誰よりも幸せになるだろう」


 “こんな物しか無いが、受け取ってくれ”

 そう言ってお爺さんがヤムヤム鳥の卵の代わりに彼女に渡したのは、ゴツゴツしていて不格好な、とてもじゃないけど食べられなさそうな卵だった。それでも彼女は、その卵を大事に大事に持って帰った。

 お母さんには怒られてしまったけれど、それでも彼女は、卵を大事に大事に持っていた。


 毎日毎日卵を枕元に置いて眺め続けたマニだったが、ある日の朝目覚めると、その卵が孵っている事に気が付いた。卵から孵った何かは、緑色の尻尾をチョコンと出して、マニの布団のお腹の辺りに潜り込んでいた。バサッと布団を放り投げて、お腹の辺りをまじまじと見たマニ。


 そこには、緑の鱗に大きな角を持つ、羽付きのトカゲみたいな生き物がいた。真ん丸な瞳でマニを見詰め、ソレは嬉しそうにキュルキュルと鳴いていた。

 それは龍の卵だったのである。


 三年後、大きく育ったその龍は、月に一回だけ卵を産むようになった。殆ど卵を産まない事で知られる龍だけど、彼女の育てた龍だけは、月に一回必ず卵を産んでくれる。

 龍の卵はスゴく価値があるので、それでマニの家は大層なお金持ちになり、マニはいつまでも幸せに暮らしました。


 お終い――。



「よくある話だな……」


 無駄に長い上に中盤から既にオチが読めた童話に辟易しつつ、真也は腕を組みながら詰まらなそうに呟いた。

 察するに、異世界版わらしべ長者とでもいう所だろうか。成る程、きっとどこの国や異世界でも、探せば似たような話が一つくらいは見つかるに違いない。


「それで、その話がどうしたんだ?

 オレはあんたの悪徳商法について聞いたんだが」


 老人を見据える胡乱気な視線。

 老人は眠る様に、ただコクコクと頷いた。


「それでも何も、それが全てじゃよ。

 マニは人々が必要な物を、必要な時に売り付けたから、最後には大金持ちになったんじゃろ?

 それと同じでな、魔荷屋というのは……。

 まあ客が一番欲しい物を、一番欲しい時に売ってやる商売なんじゃよ」


「……待て。

 今のってそういう話だったのか?」


「ほほほ、解釈は人それぞれじゃよ。

 でもまぁ、考えてもみなさいな。

 あの時のお前さんには、あの薬は相場の十倍くらいの価値があったのではないかな?」


「…………」


 ――要約。

 困っている人の前に突然現れて、散々足元を見て値を吊り上げた挙句、弱った人間から大金をぼったくる商売。


「……最低の商いだな」


 真也は、もはや溜息も出ないという様子で頭を抱えた。力無く悪態をついてみる。

 ……何故よりにもよって、自分はそんな爺さんから薬を買ってしまったのだろうか。先刻の自らの浅虜さがイヤになり、彼は自分自身に蹴りを入れたくなった。



「…………ん?」



 ――その時である。

 彼は不意に、背筋にゾクリとした悪寒を感じた。

 冷静になって、自らの状況を分析してみる。

 よくよく考えると、今の自分は、先程よりも遥かに“困った状況”に居るのではないか。


「…………」


 目の前に居るのは、“魔荷屋”の爺さん。

 人の足元を見るのが大好きな外道である。

 そしてその爺さんが、今この場に居るということは……。


「……爺さん、まさかと思うが」


「ほほほ、気が付いたかえ?

 まあ、そういう事さのぉ」


 寒気がした。

 まるで毒蛇に背中を舐め回されたかの様な、蛞蝓が全身を這うかの様な悪寒に身震いする。

 老人は、あくまでも飄々とした体で微笑んでいる。


「商談があるんじゃが……」


「断る!!」


 間髪入れずに走り出す青年。

 とにかく先ずはこの場から逃れようと、脱兎の如く店の出口へと駆け抜ける。全ては保身。目の前の毛むくじゃらのハイエナに、骨をしゃぶられないようにする為に――。


「これこれ、お待ちよ。

 年寄りの話は最後まで聞くものじゃて」


 ガバッ、と、逃げようとする真也に背後から抱きつく老人。

 日本酒を頭から被った様な体臭を直で吸い、青年は胃袋を口から吐きそうになる。彼が振り払おうと藻掻いたところ、老人は何故かグリグリと頬ずりをし始めた為、彼の不快感は少女の汚泥に匹敵するレベルにまで上昇した。

 青年は、声にならない悲鳴を上げている。


「分かった、分かったよ!!

 話だけ聞いてやるからとっとと離れろっ!!」


 突き飛ばす様に腕を突き出す。

 青年はとうとう、観念したかの様に足を止めた。

 精神的に余程堪えたのだろう。

 彼はガックリと項垂れながら、髭を擦り付けられた顔を白衣の袖でゴシゴシと拭いている。

 ……ふと見ると、白衣の袖はあっという間に真っ黒になっていた。


「ほうほう、そうかそうか。

 こんな老いぼれの話を聞いてくれるか。

 いやいや、どうして、最近の若者も捨てたものではないのぉ」


「…………」


 色々と言ってやりたい事はあったが、長くなりそうなので口に出す事は自重した。


「さぁて、それじゃあ商談じゃが……。

 ふむふむ、お前さん、どうやら武器を欲しがっとると見える。それも魔獣退治でもする時に使う様な、大層な物を欲しがっとるようじゃのぉ」


「…………」


 青年は答えない。

 老人の言葉は自明の理だからである。

 何しろここは魔装屋だ。そこで血塗れの人間が武器を物色しながら外を警戒していれば、誰でも大まかな状況は把握できるという物だろう。


 彼がそんな事を考えていると、老人はボロボロの服の下から革製のウェストポーチの様な物を取り出した。ポーチは見た目に反して重いらしく、老人が商品棚の上にソレを置くと、硬い金属音が狭い店内に反響した。


「さてさて、しかしそれは困ったのぉ。

 わしも一応武器は扱っておるが、なんせ店舗も無しにこの身一つで商売しとるもんでなぁ。

 生憎と手持ちはここに入っとる物だけなんじゃよ。

 いやいや、お前さんの希望に沿う物があるといいのじゃがのぉ」


 中身を見せる老人。

 ポーチの中にはナイフや護符。鉱石や数珠に、何に使うのか分からない様な三日月型の小物などがビッシリと入っていた。

 用途が分からない道具はどうせ直ぐには使いこなせないのだから、ソレは初めから使えない物なのだと諦めて、取り敢えずは役に立ちそうな物を探してみる青年。



「…………」


 ……余談だが、自分の店の中で商売をされているのにも関わらず、店主らしき男は顔色一つ変えない。もしやこの店は、普段から何らかの取引が横行している無法地帯なのではあるまいか、などと先程の不安が青年の中で再燃していたりする。



「……って、ちょっと待て!!」


 一通り中身を確かめた途端、青年はその中に見覚えのある道具を認めて声を荒げた。

 ――そんな筈が無い。

 青年は何度も否定しようと目を擦り、しかし何度見てもそうだとしか思えない道具の存在に驚愕する。


 オレンジ色の燐光を放つ、フワフワとした繊維塊。

 一度見ただけでそれが起こす現象の虜になり、とうとう手にする事が叶わなかった神秘の器具。


「おやおや、しまったのぉ。

 無くしたと思っとったら、こんな所にあったのかえなぁ。すまんが、今のは見なかった事にしてくれんか?」


 ぽりぽりと頬を掻きながら、老人はソレを服のポケットへとしまい込んだ。

 明後日の方向を見ながら苦笑する老人。

 その緋色の瞳が、青年には“深く追求するな”と告げている様に感じられた。


「…………」


 だが、当然見なかった事になどするになどいくまい。今のは紛れも無く、少女が広場で使用した、“不死鳥の羽根ペン”と呼ばれる魔装ではなかったか。


「……どこで手に入れた?」


 問う声に抑揚は無い。

 しかし凪の水面(みなも)の様に静かなソレは、水面下に渦の様な思考の流動を伴った物だった。


「ほほほ、そう勘繰る事もあるまい。

 この歳まで生きとるとなぁ、変わったモンなど幾らでも手に入るもんじゃて」


 まるで誤魔化すかの様な返答。

 明確な回答では無いが、青年にとってはそれでも構わない。

 初めからこの老人に、まともな答えなど期待してはいないからだ。

 今の彼にとって重要なのは、自分が追われているという現状と、自分の目の前に“ソレ”が存在するという事実のみである。



 彼が思い出すのは、広場で少女が見せたあの現象と、その結果として生まれた聳える様な金属の柱。


 手に触れた感触を思い出す。

 確かにあの柱は金属だった。

 青年の力では曲げられないし、傷付けられない程の強度を持つ金属の刺棘。

 だが拳を作って叩いてみると、石畳みと柱とでは、明らかに発する音が違っていたのだ。


 ソレがどういう事なのか。

 否、あの柱の成型が物理的にどういう意味を持つ現象であるのか。もしも物理学の基本である“あの法則”がこの時空でも成り立つのならば、自ずとその答えは導きだせる。


「…………」


 ――仮に、“あの法則”が成り立つと仮定しよう。

 成り立つとすると、どうなるのか。

 自分が逃げようとしていたのは、塔だ。

 目の前の窓から見える、聳える様な金属の塔。

 “この街は全て、アダマス鉱という金属で出来ている”。少女はそう言っていた。

 ならば、あの塔とて例外では無いだろう。

 手元にある唯一の道具は、少女が渡してくれた塔の内部の見取図。


「――――!!」


 その瞬間、彼の脳裏に雷光が閃いた。

 無意識下の機能が演算処理を始め、視覚化出来る程のイメージがたった一つの解を導き出す。


 ――未来を見る。

 その解答の結果として発生する現象が、寸分違わず彼の瞼裏で再生(リプライ)される。


 彼は確信した。

 その解答ならば、足止めどころか十二分に男と戦う事が出来ると、彼の唯一の計算(さいのう)はそう確信した。

 否、戦う必要すら無いだろう。

 何故なら彼は、そういう解答を導き出したのだ。


「そいつを売ってくれ」


 氷の様に静かな声。

 気が付くと彼は、目の前の老人にそう頼んでいた。

 老人は目を丸くした後、まるで探る様にその灼眼を細める。業火の様な朱い瞳が、青年の中身(しこう)を真っ直ぐに射抜いていた。


 老人は感情の読めない表情のまま、ポケットからその魔装を取り出した。


「ほうほう、コレがお気に入りか。

 でもなぁ、コレは売り物じゃぁないんじゃがなぁ。何しろ、まぁ貴重な品じゃからのぉ。それともナニかね? お前さんは、わしがコレを売ってもいいと思えるだけの金が払えるとでもいうのかえ?」


 飄々とした口調。

 しかしその声色には、明らかに青年を試す様な意味合いが込められている。


「…………」


 青年は目を逸らさず、ただ息を飲んだ。


 ――払えるわけが無い。


 納得し、常識的にそう理解する。

 彼は少女に財布を借りなければ胃薬すらも買えなかったし、そもそもこの世界の通貨など一文たりとも所持してはいないのだ。


 しかも目の前に居るのは、その胃薬ですらも相場の10倍で売り付けるような性悪爺さんである。これ程までに貴重な品であれば、それこそどんな金額を吹っ掛けられるか想像も出来ない。無論、自分にソレを譲る可能性など皆無だろう。


「…………ああ」


 ニヤリ、とした声。

 しかしそれを理解した上で、真也は首を縦に振っていた。

 口元には小さな微笑が浮かんでいる。


「売ってもいいと思えるかどうかはあんた次第だが……、オレはあんたが満足出来る額を払えると思うぞ」


 堂々と告げる青年。

 老人は“ほう”と小さく頷いている。

 訝しげなその目線を受けて、彼は更に付け加えた。


「あんたには言ってなかったけどな、実はオレ、魔導研究所で“特務教諭”をやってるんだ。ある程度の額ならば国に話をつけてやれるし、そうだな……。あんたが望むのなら、研究費を多少流してやってもいい」


「…………」


 老人は押し黙った。

 青年の言葉は、当然にしてハッタリの塊である。

 真也は特務教諭とやらにそんな権限があるのかも知らないし、そもそも未だ働いてすらもいない。

 国に交渉を持ちかける術も知らなければ、自由になる研究費の額など知る由も無い。


 ――しかし職務の内容が大学講師と酷似している以上、権威や地位も似た様なものだろうと彼は予想していた。

 そもそも守護魔が初めから他国に狙われる立場であり、尚且つ特務教諭が他国から来た亡命者を受け入れる為にある職であるのならば、身を守る為に使った金は“必要経費”である。


 老人は何かを思案している。

 髭を引っ張る様に触りながら、値踏みする様な目線で青年を射抜いている。その様はまるで、死者の心臓に蓄えられた善行の重さを測る裁定者(オシリス)のようであった。


「機転はなかなか。ブラフはそこそこ。しかしどうにも片手落ち、か。

 ……まあ偏ってはいるが、ギリギリ合格点かのぉ」


「……は?」


 老人は、何かよく分からない評価を下していた。

 眉を顰める青年。

 老人は、再び笑みを作る。


「ほほほ、こっちの話じゃよ。

 さてさて、しかし国に話をつけてやるとは、また大きく出たものじゃのぉ。まあ、確かにそれならば良い額が出そうなもんじゃが……。

 さて、しかしどうしたもんかのぉ。

 お前さんが、本当にそんな立場に居るという証拠でもあるのかぇ? いやいや、どうにも疑り深い性分でのぉ。頭金無し、担保無し、おまけに今にも命まで無くしそうな若者を、果たしてどう信じていいのやら……」


「何をいまさら」


 老人の言葉に、真也は大袈裟に肩を竦めて見せた。


「オレに薬を飲ませた時の事を忘れてないか?

 あんたの商売は事後承諾の後払いだろう。

 ならば先ずはオレがそいつを使って状況を改善し、その後に金を払うのが筋な筈だ。

 ……そもそも、そいつはかなりの希少品だと聞いている。

 そっちこそ、ソレが偽物じゃないという証拠がどこにある?」


 不敵な笑みを浮べつつ、真也は言い切った。

 彼の言葉には、言外に試す様な雰囲気が伺える。

 涼やかな黒い瞳が、静かに圧力を掛けていた。


 老人は小さくその口元を緩めた。

 それは呆れたような、或いは愉快そうな、どう理解すればいいのか判断しかねる表情であった。


「……まぁ、いいかのぉ。

 乗り掛けた船じゃし、ちょっとくらいは、お前さんの甘言に乗ってやるのも悪くはないか。

 しかしまぁ、お国に睨まれると怖いからのぉ。

 そうさなぁ。お前さんが特務教諭なら、給金の三回分で手を打つが、どうかね?」


「…………は?

 その程度でいいのか?」


 ――給金の三回分。

 思ったよりも格安な額に面食らった真也ではあったものの、ありがたい話なので二つ返事で頷いた。

 まあ、きっと、特務教諭とやらの給料は相当に高額なのだろう。

 余裕が無かった為か、この時の彼はその程度の解釈をしただけで、深く考えることはしなかった。


「ほほほ。

 今の約束、ゆめゆめ忘れるでないぞ?」


 老人は静かな声でそう告げると、青年にその道具を手渡して扉へと向かった。

 振り返らずに去って行く灰色の後ろ姿。

 ツギハギのボロで着飾ったその背中は、青年の目には何故か楽しげに映っていた。



「……まさか、本当に飲むとはな」


 青年は老人が消えた扉を見据えながら、まるで独り言の様にそう零した。


 老人の言った通りである。

 頭金無し、担保無し、おまけにこっちは素性すらもはっきりとしないのだ。

 本来、あんな商談が成立するワケが無い。


 それにも関わらず、あの老人は商談に応じた。

 まるで青年が金を払う事を確信しているかの様に、殆ど二つ返事で取引に応じたのだ。

 それは果たして、彼が特務教諭である事を知っていたが故なのか、或いは――。


「…………」


 ――否、それだけでは無い。そもそもあの老人は、初めて出会った瞬間から、こちらの状況を不気味な程に把握してはいなかったか。


「……魔荷屋、か」


 虚空に老人の職名を復唱する。


 もしも老人の説明を信じるのであれば、それは誰がいつ、何に困っているのかを知っていなくては成り立たない商売の筈である。

 それこそまさに、人の運命を司る死神の様に――。


 背中に滴る嫌な汗を感じながら、青年は自らが手に入れた唯一の武器を眺め続けた。



「……まあ、それは今考える事じゃないな」


 切り替える様に、頭を振る。

 そう。今脅威に感じるべきは灰色の老人では無く、青い猟犬だ。


 眼差しは遥か時計塔に。

 感情を論理で封殺し、黒い瞳を科学者特有の洞察眼に変え、集中は脳の要点だけを活性化させて余分を眠らせる。


「さて、実験開始といくか」


 一呼吸吐いた後、青年は口元に微笑を浮べながら行動を開始した。



 -----



 広場から少し奥へと進んだ住宅地。

 一際高いお屋敷の天井へとよじ登り、少女は正門前にて行われた戦闘の一部始終を把握していた。


 無論、屋根に登ったのは視野を広げる為では無い。

 遮蔽物となる建物の多い街中では、それこそ王宮や時計塔レベルの建造物へでも登らなければ正門の様子など見える筈も無いし、そもそも今の彼女にとっては、“その敵”を見るのに視覚など必要としないからだ。


 ――“賢者の高座(フリズスキャルグ)

 特霊級魔術に分類されるこの感知魔術は、自らの持つ霊道を針として外界の魔力の波を検出し、定められた範囲の現象を遠隔地から掌握する魔術である。


 それは言わば“魔力視”とでも形容出来る術式であり、眼球が物体に反射した光を見るのと同様に、生物が乱した魔力変化の小さな波を視覚化して理解する業であった。


 無論、それは並大抵の集中力で出来る事では無い。

 生物はその殆ど全てが魔力に対して何らかの影響を与えているし、そもそも世界を満たす魔力は常に流動している物なのだ。

 その中からたった一つの波動だけを検出するなんていうのは、まるで大海を回遊する無数の稚魚からたった一匹を針で射抜くかの様な、狂気としか呼べないレベルの集中力を必要とする。


 並の魔導師では5分ともたない程の極限状態(トランス)

 しかし少女はその集中力を、広場で銘を詠唱した瞬間から奇跡的に維持し続けていた。

 ――否、その実それは奇跡などでは無い。

 彼女にとって、それはあくまで必然である。

 この程度の感知魔術の持続で音を上げるなど、国一番の魔導師たる彼女自身のプライドが許さない。

 少女はその異常をまるで通常の如く体現し、ただ静かに自らの“敵”を観察していた。


「……っ」


 その結果として手に入れた情報。

 取り囲んだ兵士達を圧倒した敵の“先天魔術”の理。

 それを認識した所で、少女は音が鳴る程に奥歯を噛み締めた。



 ――少女は武装姫(ワルキューレ)の噂を聞いていた。

 曰く、鈍の金属片で名刀を断つ。

 曰く、皿一枚で猛将の槍を防ぎ切る。

 曰く、彼女が触れた刀剣は女神の加護を受け、通常の戦闘では決して刃がこぼれる事が無い。


 少女は、上記の二つは武装姫本人の技量による物だと思っていた。世界には模造刀で龍の鱗を裂く猛者も居るというし、彼女はかの“武術王国”の王族に位置する人物である。武術の練度が神域に至っていようと、それ自体は驚くに値しない。


 よって少女は、武装姫の“先天魔術”は“武具の洗練”であると考えていた。火属性の魔法で刀剣を鍛え直しているのか、あるいは土属性の魔法を纏わせて、武具の強度と殺傷力を高めているのか。


 いずれにせよ少女は、既存の武器の性能を飛躍的に向上させ、近接の直接戦闘を優位に運ぶ能力が敵の“先天魔術”だと信じて疑わなかったのだ。

 そう。少なくとも、つい先程までは――。


「――――っ!!」


 思い返して、少女は再び歯噛みした。


 武具の洗練。

 女神の加護。

 そんな物は大嘘だ。


 何しろあの女には、その“先天魔術”を発揮するのに武器を用意する必要など全く無い。

 事実彼女は手ぶらでこの街へと侵入して来たし、そもそも彼女は衛兵に刃を突き出されるその瞬間まで、武器など一切所持してはいなかったのだから。



 敵が魔術を行使し、衛兵を薙ぎ払ったのは一瞬。

 本来視認出来ない筈のその攻防を“魔力の目”で見ていた彼女には、それを目前で見ていた兵士達よりもなおハッキリと、敵が行った行動の全てが伝わっていた。


 あの一瞬、アダマスの防壁には女の手から不定量の魔力が流れ込んでいた。属性は不明。現象は土に、波動は火に類似。結論として分かるのは、ソレを受けた防壁が、まるで飴細工の様に変形して大剣を形作ったという事実のみである。


 ――そう。

 彼女の“先天魔術”は、武器を洗練する事などでは無い。意味も用途も異なる、本来武具となり得ない金属を一息で加工し、希代の武装へと仕上げる魔術。

 彼女は六国最強の“武器製作者(ウェポンクラフター)”なのである。


「まったく、何が“清楚可憐な白薔薇の姫”よ。

 魔術も武術も性格も、猪突猛進な猪女じゃない」


 悪態をつきながら状況を整理する。

 敵の魔術が金属の加工であるとするのならば、それはおそらく武具だけに留まらないだろう。

 防壁が破られたのは道理だ。

 あの女は無駄な破壊などする必要が無く、ただ剣を作る様に、壁を穴に“加工する”だけでいいのだから。


 石畳から建物、オブジェに至るまで、その全てがアダマス鉱(金属)で出来ているこの街に逃げたのは、彼女にとって失策だったとしか言えないだろう。今更になって、少女は自らの判断を呪っていた。


「しかもやっぱりっていうか、呆れたっていうか。

 魔術を使ったのは武器作成だけで、あとは全部ただの剣術って……。あいつ、本当に大魔導なわけ? 口より先に手が出るヤツは、ホントこの道向いてないんだってば……」


 止まらない溜息。

 どこかで青年の反論が聞こえた気がしたが気にせずに、少女は誰にとも無く愚痴を零す。



 ――近付かれては負ける。



 敵を観察した彼女の直感は、ただそうとだけ告げていた。




 魔術戦ならば、まだ分があるだろう。

 敵がどんな魔術を使おうとも少女なら対応出来るだろうし、そもそも並の魔術では、少女の“抗魔術結界”を突破する事が出来ない。加えて通常の魔術戦であれば、少女も自らの“先天魔術(ギフト)”を十全に発揮出来る。


「…………」


 だが、剣はダメだ。

 少女が魔力を収束し、言霊を唱え終えるまでに約1秒。最速詠唱でそれだけの時間を要するのだから、敵に確実な負傷を負わせるには、確実に3秒以上の詠唱時間が必要になるだろう。無論、あの敵が剣を振り下ろすには余りある時間である。


 根本的に間合いの噛み合わない両者。

 故に彼女達2人の戦闘とは、いかに少女が間合いの外から敵を迎撃するか。或いはいかに敵が間合いを詰め、少女に武具の一撃を叩き込むかという距離の取り合いになる。

 ソレが少女が導き出し、そして敵も了解しているであろう事実だった。


「そっか。まあそうよね。

 いいじゃない、分かりやすくて」


 少女の口元が緩んだ。

 無限の武器を持つ敵。

 衛兵を剣術でねじ伏せるその技量。

 まるで、その全てを揶揄するかの様に。


 ――近付かれては負ける。

 先刻直感し、確定事項となったその事実は、しかし決して恥じるべき事などでは無い。少女は魔導師であって、そもそも魔導師とは前線で殴り合う存在では無いからだ。魔導師とは、敵が手も足も出せない程の距離を保ちながら、敵の戦意その物を吹き飛ばす程の“魔法(きせき)”を紡ぐ者の事を指す。そして魔術大国たる“銀の国”最強の魔法使いである彼女は、(まさ)しくその最たる者なのだから――。


 少女はローブの懐へと手を忍ばせると、一つの小道具を取り出した。


 形状は三日月型。

 伸ばせば人間の橈骨と同程度の長さになるであろうソレは、鏡の様な光沢を持った白銀のアクセサリーである。

 今、この局面で取り出された道具。

 その用途は説明するまでも無いだろう。

 これこそが彼女が魔導師として扱う事を選び、その半身と決した“魔装”であった。


 ――魔装。

 それはその名の通りに、魔法の発動を補助する装備品の事である。杖、剣、槍、斧。或いは筆記具や衣服なんていう場合もある。魔導師によってその種別は様々だ。

 魔導師はそれぞれが己の先天魔術や特性を理解し、自らに最も合った道具を自らの一部として選択する。それぞれが長い修練の時間を経て、自らと呼吸を共にするに相応しい相棒を探していくのだ。

 故に魔装は先天魔術(ギフト)と並び、魔導師の個性を特徴付ける要素の最たる物であると言われている。


 そして、少女が選んだのは――。



命ず(ansur)


 左手に三日月を握り、解放の呪文を短く唱える。

 魔力を放出した金属は急速にその形状を伸長、膨張させ、武具たる本来の姿へと戻っていく。



 ――弓だった。



 鏡面の様に磨かれた弓身が、蒼い陽光を受けて幻様に煌めいている。エラス鋼と聖銀を混合する事によって紡がれた弦は伸縮性に富み、更に内蔵魔力量の調節によって腕力の弱い者でも十分に過ぎる運動量を矢へと伝える。ミスリルの矢は魔力の蓄積能力に優れ、超遠距離へ魔術の爆撃を叩き込むだろう。


 それが彼女の半身。

 剣など交える暇も無く、遥か遠方より敵を仕留める月神の長弓。銀の国(プラティヘイム)の大魔導、アルテミア・クラリスの代名詞たる魔装であった。


火よ(cen)


 詠唱に伴い、魔法金属の矢が赤熱する。

 自らの標的を魔力によって捕捉し、少女はその銀鎚を(ソラ)へと解き放った――。

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