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朝日真也の魔導科学入門  作者: Dr.Cut
第一章:イクリプス-2『最初の敵』
13/91

13. 現代に普及したとある装身具の一般的な使用目的は異世界に於いても共通であるのかという命題について考察するための使用者に対するアンケート調査

 その場所を訪れた者は、詩人であろうと言葉を失う。

 それが銀の国最大の魔導研究所、ヴァルスキャルグを形容する際に最も頻繁に使用される比喩であった。

 蒼い陽光を反射する外壁に、540の大扉が連なる偉容。

 高層の渡り廊下によって王宮と一繋がりになったその白銀の館は、晴天時には遥か隣国からも見える程に眩く輝くといわれている。

 その天上の巨大建造物の内部。

 あまりにも対照的な色彩に身を包んだ男女が、研究所から王宮へと続く渡り廊下を歩いていた。



「アル。気持ちは変わらないか?」


「しつこい!!

 コレは人にあげられる様なものじゃないって、何回言ったら分かるのよ!!」



 広場での騒動からここに至るまでの長い道程。

 彼らはずっと、それはもうず~っと、無限ループの如くこんなやり取りを続けていた。

 真也は少女の持つ羽根ペンを、相も変わらず虎視眈々と狙っている。

 涼やかな印象を受ける科学者の双眸は、あの手この手で少女を懐柔しようという意思に余念が無かった。

 だが彼の懇願を受けて尚、真紅の少女には一切の譲歩を見せる気配が無い。

 いや。彼女には譲歩を見せる権利が無かった、と言った方が正確だろうか。

 事実、先程から少女が何度も何度も繰り返し真也にしている説明は、正しくその様なものだったのである。



 ――不死鳥の羽根ペン。

 遡るは千年ほどの昔。かつて銀の国が召喚した守護魔の一人が開発した技術の一つであると伝え聞くこの魔装は、現在では材料から製造工程に至るまでその全てが国家機密に指定されている。

 現在国内に流通している数は合計しても100には至らず、使用権を公式に認められている人数は更にその半分にも満たないというレアアイテムであった。

 少女曰く、所持及び使用の権利を得る為には魔導において師範級以上の実力を示すか、もしくは一定階級以上の貴族位を取得すること、または国王から直々の承諾を取り付けるなどの手続きが必要であるという。


 重要なのは、いくら少女が高位の魔導師であるとはいえ、認められているのは所持及び使用の権利のみであり、そこには他人に譲渡する権利が含まれないという点である。

 流石に真也とて、先ほどから繰り返されているその説明を理解してはいたのだが……。

 しかし生粋の物理学者たる彼にとって、彼女の見せた現象はダメと言われて諦めきれる様な物では無かったらしい。

 真也は、顎に手を当てて何かを思案している。


「……君の言い分は分かった。

 つまりその国王様とやらを説得すれば、オレがそれを貰っても構わないわけだな。

 確か今から王宮に挨拶に行くんだろ?

 じゃあその時にでも……」


 ブツブツと、何やら不穏な計略を練り始めている天才物理学者殿。

 赤髪の魔法少女は、呆れた様に首を振っていた。


「無理よ。この国の王座には、国王なんかいないんだから」


「は?」


 真也は目を丸くした。

 ――王座に国王がいない。

 先ほどまでの少女の口ぶりからすると、この国には国王自体が居ない、という意味ではなさそうだが……。


「病気かなんかなのか?」


 国王が王座に座れない理由として、真也は最もあり得そうな仮説を口にした。

 少女はバツが悪そうな顔でソッポを向きながら、うんざりした様にため息を吐いている。


「……うん。ある意味病気ね」


「…………」


 はぐらかした様な口調。

 そんな少女の様子から、真也は国王の容体について思いを馳せた。

 ――余程の、おそらくは動けない程の重病。

 或いは精神疾患や、隔離が必要な伝染病の類なのかもしれない。

 成程。仮にも一国の王ともあろう人物がその様な状態なら、確かに無闇矢鱈と言いふらすのは憚られるというものだろう。

 もしかしたら、これから会う大臣様とやらに箝口令を敷かれているのかもしれない。


「穏やかじゃないな……」


 少女の態度に腑に落ちない何かを感じながらも、彼は詳しく追求する事はしなかった。



 渡り廊下は相当な高さにあるらしく、通路の両側に設けられた窓からは眼下の街が一望出来た。

 ゲームか何かの街をそのまま再現したかの様な、地球とはまるで異質な息遣いが感じられる、異邦の首都。街を取り囲む防壁よりも更に高いこの場所から見ると、真也にはソレがミニチュアの玩具の様に見えた。

 建物の配置を、誰かが指定しているのだろうか。

 それぞれの建物が織り成す繋がりや、合間を血管の様に走る石畳みには、意図的にそう仕上げられたかの様な規則性を見出す事が出来る。

 まるで、街そのものが巨大な地上絵にでもなっているかの様だ。

 視線を街から上げると、世界を包む群青の空が先程までよりもずっと近くに感じられた。

大気の海は地平線の彼方にて深緑の丘と交わり、境目も朧に肥沃な大地と溶け合っている。

 防壁の外に見えるあの建造物は、少女の館だろうか。

 霞んだ丘の天辺には、ぼんやりとした影が浮かんでいた。



 長い長い渡り廊下を歩む時間は、景観に見入っていた青年にはそう退屈なものでも無かった。

 街と反対側の窓からは断崖絶壁しか見えないことに、細やかな落胆と設計士の意図に対する壮大なる疑問を残しつつ、目前に巨大なホールが現れた事で彼は通路の終着を知る。

 魔導研究所とは大分趣の異なった調度品で飾られたその空間の気配から、彼は自分が王宮に入ったのだと理解した。


 プラネタリウムができそうな程に広大なホールの床は、靴が埋まりそうな程に毛の長い赤絨毯に覆われていた。歴史を感じるドーム型の天蓋には絵画が掛けられ、誰だかわからない叔父様方が、一目で美化されたと分かるタッチで描かれている。

 ――そんな権力の()を感じる豪奢な空間において、権力(そんなもの)は求める時点で下賤だとでも嘲笑するかの様に、その存在はドームの中央に設置されていた。

 高さは、軽く10メートル程。

 奈良の大仏もかくやという大きさに造られたソレは、室内に置くにはあまりにも大きすぎる人型の像である。

 マントは靡いた形で固定され、つばの広い帽子に隠されたその顔は伺えない。

 立派な髭が生えている事から、辛うじて性別が男だと分かる程度。

 広場でも見かけたアダマス像は、先程の数十倍の存在感を伴って白い青年を威嚇した。


「またこの像か。

 えーと、誰だっけ?

 確か、ユ……、ゆ……」


「ユミル様。

 大昔に生きた、創世の大魔導」


 澄んだ声色が聞こえて、真也は隣にいる少女へと目をやった。

 真紅の少女の翡翠の瞳は、嫌悪とも憧憬ともつかない強い色を浮かべながら、ただ真っ直ぐに巨大な像を見詰めている。

 首を捻る真也に、少女は静かに続けた。


「あたし達の世界に、初めて文明が生まれた頃の話なんだけどね。

 今でこそ6つの国に分かれちゃってるけど、その頃には国は1つしか無かったんだって。

 で。そのたった1つの国を創り、治めたのがこのユミル様。

 最初にして最強の魔法使いだったって言われてる人なの」


「……成る程な。

 それじゃ、顔が帽子で見えないっていうのもその辺りが原因なのか?

 世界征服なんかしたもんだから、死後に嫌われて顔を消されたとか……」


 揶揄する様な真也の声。

 少女は、首を横に振った。


「それ以前の問題よ。

 だってこの人は、死ぬまで一度も、誰にも顔を見せた事が無かったって言われてるんだから」


「……どこの怪人二十面相だ」


 真也は、湿気た煎餅でも噛んだ様な顔で溜息を吐いた。

 ――辟易した理由は2つ。

 “国一番の魔法使い”だという少女。

 広場での跳び蹴りから、彼女はどうやらこの人物に並々ならぬ憧れを抱いているらしいと感じてしまった事と、その理由がどうしようも無いくらいの絵空事なのだろうと察してしまった事である。


 例えば、そう。人類史においても、大昔には素晴らしい方々(・・・・・・・)が登場したものではないか。

 曰く水面を歩いただの海を割っただの、雷を落としただの終いには幽体離脱して空を飛んだり、死んでから3日後に生き返ったり……。

 往々にして、口伝の歴史とは“神話”へと誇張されるモノなのである。


 確かに少女の言う通り、この人物は実在したのかもしれない。

 世界征服を成し遂げたというのも、まあ、あり得なくは無いだろう。

 だがおそらく、少女が想像している様な人物ではなかった筈である。

 ……と、いうか。どう考えてもあり得ないだろう。

 王様の仕事とは、即ち人前に立つことなのだ。

 誰にも顔を見せない怪しいオヤジが、どうやって行政を行っていたと言うのだろうか。

 まるで中二病患者を見るかの様な、呆れきった視線を向けている真也。

 ソレに気が付いたのか、少女は自嘲気味にフッと笑っていた。


「別にあたしも、伝承をそのまま信じてる訳じゃないのよ。

 だって、本当だったらもう人間じゃないレベルだもん。

 曰く、人類が発見し得る魔術は全部使えたとか、見ただけで人が殺せるとか、果ては“神霊級魔術”の行使から不死身だったなんていう逸話まであるし……」


 儚気な笑みを浮かべながら、少女はそう答えた。

 きっと少女自身、それは“無かった”事実だと分かっているのだろう。

 あり得なかった物語なのだと、現実として納得しているのだろう。

 ――だが。

 その上で彼女は、“でもね”と付け加えた。


「でもあたしは、それでもこの人は“そうだった”んだって思いたいの。

 どう考えても夢物語だけど、それでも、昔はこういうスゴイ人がいたんだって。

 だからあたしも、頑張って魔導師を続けてれば、いつかはこの人に並べるんだ、ってね。

 ……だって、さ。

 そこまで出来る様になれば、あたしが“一番”だって、誰も文句なんかつけられないでしょ?」


 苦笑とも取れる微笑を浮かべ、はにかみながらも少女はそう言い切った。

 透き通った翡翠の瞳には、自信と理想が浮かんでいる。

 それはおそらく、幼い頃に彼女が夢見た、物語の“彼”に対する憧憬なのだろう。



「…………」



 ――だが、真也には。

 そんな真っ直ぐな彼女の視線が、何故か泣いている様にしか見えなかった。



「ん……?」



 何かおかしなモノを見た気がして、真也は咄嗟に瞬きをした。

 霞んだ目を誤魔化すかの様に、ゴシゴシと擦る。

 擦って、もう一度目を開けた時には、先の幻覚はとうに消え失せていた。

 目の前にいる少女は、一切の悲観を感じない、力強い眼差しで像を見上げている。

 ――やはり、只の錯覚だったのだろう。

 真也はそれきり、今見た幻影は気にしない事にした。



「あ……」


 ふと。少女の視線を追う様に像へと目を流した時、真也は“その事実”に気が付いた。

 目の前に佇む可憐な少女と、その視線の先にある巨像には、よく見ると奇妙な共通点があったのである。

 顎に手を当てて、3秒ほど思案してみる。

 幸か不幸か、真也は直ぐにとある結論へと至った。


「そうか。

 ああなるほど、そういう事だったんだな」


 少女の格好をまじまじと見つめながら、真也は意を得たかの様に手を叩いた。

 そう。よく見ると、彼女の纏うローブと帽子はあの像にそっくりなのである。

 おそらく、彼女のこの怪しげな風貌は、伝説の魔法使いへのリスペクトから来ているものなのだろう。

 真也はそう納得して、小さくふむふむと頷いた。


「…………」


 ……直ぐに、これが地雷だったと気付く事になる。

 真也がそう呟いた瞬間。少女の醸し出す空気は、何故かハリセンボンもかくやという程に刺々しいものになってしまったのだ。


「…………“そういう事”?

 ねえ、シン。

“そういう事”って、どういう事?」



 ――底冷えしそうな声が聞こえた。

 先程までの真っ直ぐな瞳は、一体どこに行ってしまったのだろう。

 目を伏せた少女からは、なんかドス黒いオーラが漂って来ている。

 本能的恐怖を感じた真也は、反射的に3歩くらい後退ってしまった。



「……ねえ。まさかとは思うけどさ。

 あんた、あたしが好き好んでこんな野暮ったい格好してるとでも、思ってた?」


「あー……。その、なんだ?」


 一瞬、“違うのか?”と口に出そうになったが、広場での飛び蹴りがフラッシュバックしたので彼は思い留まった。

 今の彼女は、水銀レバーが作動した時限爆弾だ。

 ちょっとでも揺らすと爆発する。

 ……尤も。5cm程上昇した彼女の肩を見る限り、なんか手遅れっぽいのではあるが。



「冗談じゃないわよっ!!

 あたしはこの格好を“してる”んじゃなくて、この格好以外“出来ない”の!!

 この人が決めた風習のせいでね、銀の国の大魔導は、特別な事情が無い限り、自宅以外じゃこのローブもっ、帽子もっ、一切抜いじゃいけない規則になってるのっ!! 夏場でもよ!?

 あーっ、もうっ!! こんな悪しき風習は、いつか絶対!! あたしの手で根絶してやるんだから~~っっ!!」



 耳が痛くなる程の大声で喚き散らす少女の姿に、多大な後悔と多少の同情を覚える真也であった。

 とりあえず、この国に四季があるらしいという情報が手に入っただけで儲けものだろう、などと、真也はなるべく前向きな解釈に努めてみる。

 なるほど。この国は温帯なのかもしれない。


 暫しの間喚き散らした少女は、乱れた呼吸をフーッ、フーッっと整えると、目の前の大扉を指差して移動を促した。

 少女はこちらには目もくれずにズンズンと進んで行く。

 ――全く。彼女は、何故怒っているのだろうか。

 真也は、小さく溜息を吐いた。


「似合ってると思うけどな」


 少女の後ろ姿に目を向けながら、聞こえないくらいに小さく呟く。

 頭髪にしておくにはあまりにもしなやかで、鮮烈な印象を受ける真紅の髪。

 地味な印象を受けるローブや帽子でも、華奢な彼女の身体を包むと童話の中からそのまま抜け出して来たかの様な、ある種幻想的な魅力となって見る者を惹きつける。

 客観的に見れば、という条件付きではあるものの。

 真也は、彼女の(容姿の)可憐さだけは素直に認めていた。



「…………っ」



 彼の声が聞こえたらしい。

 少女は一度足を止め、顔を伏せながらゆっくりと振り向いた。

 つばの広い帽子に阻まれているので、その表情は上手く伺えない。

 ただ真也には、少女の肩が何かを堪える様に震えている事が分かった。

 少女は――、



「……ありがと。

 全っ然嬉しくないっっ!!」



 ……刺々しく睨み付けながら、そう吐き捨てた。



―――――



 世界の覇権を争うは、始祖より別れし6大国。



 “屈強なる武術王国”・武の国(ウォルヘイム)

 “余命無き死霊国家”・死の国(ネクロガルド)

 “崇高なる選民共和国”・天の国(ソルヘイム)

 “光無き地底都市同盟”・地の国(ノームズアシュ)

 “獰猛なる氷河帝国”・氷の国(フィンブルエンプ)

 そして“白銀の魔術大国”・銀の国(プラティヘイム)



 志向性を完全に異にする思想、技術を持つ6つの国は、しかしその国力においては全くの互角。

 故に侵せず、侵されず、太古の昔より目立った戦火も無く、しかしいつかは矛を交えるべく、今日まで緊張に満ちた平和を保って来た。


 ――人々は、それを冷戦と呼ぶ。

 いずれ狙うは世界の覇権。

 ならば今は兵を強くし、原野を開拓し、魔獣を手懐け、敵国を焼き払う為の知恵を付けるべし。


 知恵を求めよ。

 力を求めよ。

 新たなる技術を求めよ。

 内を嗾け産み出させ、

 内で足らねば外に求めよ。



 協力は是なるか?

 無論、否である。

 我々は忘れない。

 あの平野での屈辱を。

 あの丘での裏切りを。


 交易は是なるか?

 無論、否である。

 我々は忘れない。

 かの者の非業なる最期を。

 かの者の卑劣なる嘲笑を。


 非情なる利用は是なるか?

 是、しかし否である。

 彼らもまた忘れまい。

 我らの暗鬱たる歴史を。

 彼らは最早信じまい。

 我らも最早信じまい。



 異国は全て敵国なり。

 我らが求めに誰が応ずる?

 彼等が求めに誰が応ずる?

 外へ知恵を求むる事の、果たして何と無為なる事か。


 ――否々、我らには力がある。奇跡がある。

 太古の昔より受け継がれし、叡智を得る為の神秘がある。


 内で足らねば外に求めよ。

 外で足らねば更に外へ。

 世界の枠組みすらも越え、更なる叡智を呼び寄せよ。


 彼等はいずれ訪れる。

 定められしは百年に一度。

 常理の外に在りし彼らは、常理を超えた力を齎す。

 武具を、戦術を、真理を、砦を、彼らは我らに恵み与える。


 いつか戦火を交える日に、

 憎き敵国の悪しき者共、

 その腑を抉る為に――。



―――――



 蒼い陽光に照らされた、荘厳な聖堂だった。

 床には無機質なタイルが敷き詰められ、水面の様に差し込む光を反射している。

 入口の大扉から伸びる赤絨毯。

 煌びやかな金糸で縁取りされたその毛並が、涼やかなタイルの海を真っ二つに割っている。

 聖堂の周囲を取り囲む様にして並べられた豪奢な椅子も、今は使用する人間が見当たらない。

 赤絨毯の先に安置された空っぽな王座だけが、採光窓から差し込む陽光に、只々寂しげな光を帯びていた。


「なるほど」


 “謁見の間”と呼ばれたその広間へと招かれ、一通りの説明を受けた朝日 真也は肩を竦めた。

 曰く。彼が呼ばれたこの“銀の国”は現在まで5つもの国と冷戦状態を保っており、敵国を打倒する為の新技術や知識を欲している。

 しかし国内だけで賄える技術革新には限度があり、自己成長は最早均衡状態にある。

 よって新たな知恵を得る為に、百年に一回くらい、異世界から適当な人間を連れてきて技術革新に使っている。

 ……他にも長々と何やら小難しい用語や歴史などを語られはしたが、真也が受けた説明の要点はそんなところであった。

 兵器、戦術、工業製品、或いは医療技術や学問でも良い。とにかくこの国はそういった技術革新を期待していて、真也には地球(もとの世界)の知識を使って国の発展に役立って貰いたいのだという。

 

 簡潔に述べると、“かなりの長期滞在がほぼ確定の拉致被害者”。

 それが、今の真也の立場であった。

 一方的に拉致された挙句、帰れない。

 これでは溜息以外何も出まい。


「いやいや、魔人殿。お会いできて光栄ですなあ。

 実は先日“無能な小娘”が儀式を台無しにしてくれまして、全くどう取り繕ったものかと途方に暮れておったところなのです。

 いやいや。我々にとって、貴方様は正しく“救世主”!!

 よくぞ我らが“銀の国”にお越しくださいました。

 いやぁ、もう感謝してもしきれませんなぁ」


 アスガルド文部大臣と名乗った中年の男は、真也に今回の事件のあらましを伝え終わると、ニヤついた笑みで激励の建前を並べ立てた。

 肥えた太った腹を包み込む、品が無いくらい宝石で装飾された正装が、オーバーリアクションの度にキラキラと光って目に痛い。

 脂ぎった彼の額に何故か強烈な既視感を感じたのが気なったが、今は大して重要な事でも無いのでスルーしつつ、真也はもう一度深々とした溜息を零した。



 “付き合っていられない”



 自らの呼ばれた理由を理解し、真也が覚えた唯一の感想がそれだった。



 冷戦――それ自体は、まあ結構だろう。

 基本的に、朝日 真也は戦争を否定しない。

 彼は争いを嫌悪する平和主義者でもなければ、国家間和平を溺愛する博愛主義者でも無く、また偉そうに講釈を垂れる程のモラリストでもなければ、同時に暴力(あく)を憎む正義漢でもありはしないからである。

 それはここが異世界だから、というワケでも無い。

 彼は例え、この国どころか日本が冷戦状態だろうが熱戦状態だろうが、極論世界征服を企てようが滅亡しようが、そもそもそれ自体に興味など抱かない。

 物理学という単一の学問にのみ秀で、その世界に埋没する事にアイデンティティーを確立した彼にとって、文部大臣が述べた様な人間同士のいざこざなどは、正に興味を抱くに値しない些末事でしかないからだ。

 彼は、それらの事象に関心を持つ事が無い。

 関心を持たないから、やるなら自分に関係の無い、どこか別のところでやってほしいとしか思えない。


 ――面倒な事この上ないな。


 故に、彼らがよりにもよって自分を引き当ててしまったというその事実に、真也はソレ以外の念を抱く事は出来なかった。

 冷戦? 勝手に続けてくれればいいさ。好きにしていいから、関係の無いオレを巻き込むな。オレ以外の地球人なら、好きに拉致してくれても構わないから。何しろ70億超。吐き気がする程の数が居るんだ。何割か減っても種の存続に支障は無いだろうさ。ついでならガツッと20億くらい拉致して、最前線で使ってやってくれ。地球も大分住みやすい環境に改善されるだろう。だから、オレを巻き込むな。連れてくるなら、オレ以外の誰か暇なヤツにしれくれ。

 ……本音を言うと、真也の内心はそんな感じだったのである。


「おや? あまり乗り気ではありませんのかな?」


「……いえ。あまりに大きな話故、少々整理が追い付いておらぬだけです」


 尤も。比較的常識を欠いた人間性を育んだ彼にも、ここで内心をぶちまけても状況が好転しない事を悟る程度の分別はある。

 朝日 真也は現状を割り切り、受け入れる事が出来る程に枯れてはいなかったが、同時に損得勘定が出来ない程に幼い精神の持ち主でも無かった。

 ここでこの大臣様に逆上しても自らの首を絞める結果にしかならない事くらい、彼は重々理解している。

 故に彼もまた、心にも無い建前を用いて返答する事にした。


「この国に協力する事自体は、まあ(やぶさ)かではありませんよ。

 それで? 私はどれくらいの間(・・・・・・・)、この国に滞在すればよいのでしょうか?」


「それは貴方様が気になさるべき事ではありませんなぁ。

 いやいや。貴方様は、心行くまでこの国に滞在してくだされば良いのです。

 然るべき地位と報酬の用意も御座いますしな」


 幾重にも含みのある真也の問いに、アスガルドは目に浮かぶ憐憫の色を微かに強めながらそう答えた。

 ――成程、おとなしく地球に帰してくれるつもりはないらしい。

 まあ攫われた理由が理由なので、当然と言えば当然ではあるのだが……。

 暗に終身労働を示唆された真也は、再び小さく肩を竦めた。


「…………」


 ――地位。報酬。ハッキリと言えば、彼はそんな物に興味など無い。

 この世界での地位も、金も、決して地球に持ち越せる物ではあり得ないからである。

 故に今の真也が必要としている情報は、取り分けて三つだけだった。

 

 ・帰る方法はあるのか。

 ・あるとしたら、その方法は何か。

 ・その方法は真也個人で成し得る物なのか、或いは複数の協力者が必要な規模の物なのか。

 

 まあ。この大臣様がそんな“都合の悪い情報”を教えてくれるとも、彼には到底思えなかったのではあるが……。

 ――カマ(・・)を掛けるだけなら、タダだろう。

 真也は思考の温度を静かに下げ、頷く様な仕草を見せながら思案した。


「……感服致しましたよ。随分とお心が広いのですね。

 しかし――。私の様な部外者を、そう簡単に信用しても良い物なのでしょうか?」


「ほう。それはまた、どうしてですかな?」


 お互いに、建前しか存在しない会話。

 それは真也自身が最も嫌う人間関係の煩わしさではあったものの、今はそんな個人の主義を優先して良い状況では無い。

 ピクリと眉を動かしたアスガルドを正面から見据えつつ、真也は感情の無い声で先を続けた。


「誤解なさらないでください。

 別段、私に反意があるだとか、不満があるなどという訳では無いのです。

 しかし、私は昨夜この世界に訪れたばかりの人間ですからね。

 反意などは勿論御座いませんが、同様にして愛国心や忠誠心といった物も、当然ながら未だ皆無です」


 ほう、というアスガルドの相槌。

 真也は軽く周囲を見回し、僅かに間を取ってから続けた。


「以下はあくまでも仮定の話として聞いて頂きたい。

 もしも私が、大臣様の仰るところの“悪しき敵国”の方に魅力を感じる様な蛮族であった場合には如何なされますでしょうか?

 あり得ない、とは言い切れませんよ?

 我々の世界の例を見ましても、特定の生物の肉を食べる、などという些細な行為が相当な精神的苦痛に繋がる方々もおるのです。

 これは、決して善悪や優劣の問題ではありません。

 単純な文化の違いで、避けがたい齟齬であり、つまり異文化の人間を雇用するとはそういう事なのです。

 繰り返しになりますが、現時点で私に反意は御座いません。寧ろ見ず知らずの敵国に比すれば、この銀の国の方が遥かに私にとっては安泰でしょう。

 しかし――。これから先も、ずっとそうだと、果たして誰に言い切れますでしょうか?

 この国では当たり前の、どんな些細な出来事から、私がどんな感情を抱くのか。

 現時点では、私自信を含めて、それは誰も分からないのです」


 真也は朗々と、あくまでも客観を装ってその可能性を仮定した。

 言葉を選んで、なるべく礼を失しない様に気を付けながら。

 口調が挑戦的にも思えるのは、無闇に(へりくだ)る必要も無いという彼の意思表示である。

 何しろ今の真也の立場は、“協力者”。

 つまりは、“対等”である筈なのだから。

 真也の述べる極端な、しかし“否定し得ない可能性”の話を聞き、アスガルドは目を細めながら鼻を鳴らした。


「確かに、貴方様の仰る通りでしょう。

 我々とて貴方様には最大限の礼を持って対応する所存ではありますが、確かに、その可能性は否定しきれますまい。

 さて、しかし……。

 それでは貴方様は、一体我々にどうしろと仰るのですかな?」


「難しい話では御座いません」


 愚か者を見下す様な、或いは揶揄するかの様な大臣の視線。

 それを正面から受けながら、真也はわざと不敵な笑みを作り、続けた。


「反意を翻した守護魔は、最早貴国にとって害悪でしかありません。

 国をあげれば処分も容易でしょうが、しかし守護魔が未知の技術を持つ存在である以上、正面から排除を行っては予想外の損害を被る可能性も否定はしきれないでしょう。

 そこで、です。

 いざという時に備えて、最低限守護魔を元の世界に“送還”する方法くらいは用意するべきではありませんでしょうか?

 どの文化の人間にとっても、郷愁の念というのは中々に根強い物らしいですからね。

 “処分”ならば闘争にもなりますでしょうが、“送還”ならば抵抗される事無く守護魔をこの世界から排除できる可能性が高いと考えます。

 この世界に置く期間も定め、一定以上の利益を齎した暁には元の世界に戻すと餌を与えておけば、反意を削ぐ事にも繋がるでしょう。

 異世界人を運用するに当たっては、“送還”の方法を明示する事こそが効率を上げる為の要であると私は考えるのです。

 万が一未だ送還の方法が存在せぬのであれば、一刻も早くそれを確立する事こそが肝要かと……」


 静かに、あくまでも現状を客観的な言葉で分析しながら、真也はそう言い切った。

 言葉の裏には彼自身の意思が含まれている事は明白であったが、しかし一切の主観を交えずに語られた科学者の分析は、聞き手に相応の説得力を感じさせた事だろう。

 アスガルドが気を付けていなければ分からない程に顔を強張らせ、蔑む様に眉を顰めたのは、果たしてそれが理由だったのか。

 ニタリ、と、アスガルドは嫌味な笑みを張り付けながら、口を開いた。


「中々のご弁舌ですなぁ。

 確かに、貴方様の仰る事も一理ありますでしょう。

 しかし――そんな必要は、どこにも無いのですよ」


 先ほどまでとは、明らかに異なる大臣の声色。

 真也は微かに瞳の温度を下げ、とぼける様に首を傾げて見せた。


「何故でしょうか?

 確かに私に反意は御座いませんが、しかし万が一という事もあります。

 与える餌は効果的な物にするべきであると思われるのですが……」


「いえ。ですから、そもそも余計な餌などを与える必要が無いのですよ」


 あくまでも、第三者視点を装った分析を続ける真也。

 アスガルドは尚もニタニタと不気味な笑みを零しながら、真也の隣へと顎を突き付けた。


「…………」


 真也の隣には、黒いローブに身を包んだ少女が居る。

 彼をこの世界に呼び出した赤髪の少女は、謁見の間に入ってから一通りの説明が終わるまで一切の言葉を発さずに、気配を潜める様にして彼の傍に寄り添っていたのである。

 大臣から話の水を向けられていると悟り、少女は気が進まない様子で溜息を吐きながら、ここに来て初めて口を開いた。


「……シン。ナニか勘違いしてるみたいだけどさ。

 あんたの立場、そんなに余裕があるモノじゃないから」


 呆れた様な、或いはどこか諦めた様な声でそう言いながら、少女は真也の左手を指さした。

 つられる様にして、真也は自身の左手に視線を落とす。

 掌には橙赤色に輝く魔法円が浮かんでいた。

 聖堂の採光窓から差し込む陽光の中に、淡い燐光をキラキラと吐き出している。

 ――それを見た瞬間。

 何故か、彼の背筋には底知れない悪寒の様な物が走り抜けた。


「待て……」


 ――左手の、魔法円。

 それの果たしている役割について、真也は既に少女から説明を受けている。

 この魔法円は、例えるのならそう、“宇宙服”である。

 物理法則の違うこの世界に於いて、別世界の物理法則に従って形成された彼が生命活動を維持する為の、必要不可欠な生命維持装置だ。

 ほんの僅かでも環境が変化しただけで致命的なダメージを受ける人間という生き物が、決定的に物理法則(環境)の異なるこの世界で存在する為に必要な、生きている限り死守しなくてはならない生命線。

 だが……。

 彼女は昨日の晩、果たして何と言っていたのか――?



 “ま。取りあえず、それが消えたらあんた死ぬから。精々頑張って守りなさい”。



 真也の脳裏に、昨夜聞いた少女の言葉がフラッシュバックする。

 その一言が現状へと連結し、たった一つの事実を示唆して組み合わさってゆく。

 ――消えたら、死ぬ。

 ――消すだけで、死ぬ。

 まさか? いや、まさか。

 そんな事が、そんな、バカな事が……。

 だが――。

 あの大臣は、今何と言った?

 餌を与える(送還する)必要が無い?

 何故か。それは送還せずとも、損害無く守護魔を排除できるからでは無いのか。

 いや、だが……。

 もう何千年と異世界人を拉致し続けている彼らが、そんな単純な保険も掛けていないだろうか――?


「まさか……?」


「……うん」


 瞬く間に青褪めた真也に向けて、少女はバツが悪そうに頭を抱えながら、続けた。


「その魔法円ね、維持してるのはあたしなの。

 つまりあたしが魔力をストップしたら、その時点であんたはお陀仏ってわけ」


「――――ッ」



 ――血の気が引いた。



 一瞬、彼の視界が幻視したのは、グチャグチャに腐った自分の左手。

 幼い頃に見た、重度の放射線被曝を負った患者の写真が脳裏を掠める。

 新陳代謝が止まり、新しい皮膚が生まれる事無く、ボロボロに崩れて酷い有様だった。

 アレはあくまでも被曝であり、他人事。自分とは無関係だと言ってしまえばそれまでだが……。

 今回、死に様の悲惨さで言えば真也とて退けは取らないだろう。

 身体を構成する分子が結合を止め、無秩序な化合物を作り、グズグズに混ざって無意味な肉塊へと変貌していく自分の身体。

 溶解した皮膚からは血が噴き出し、細胞が剥離してゆく強烈な苦痛を伴いながら、瞬く間に人間じゃ無い物に変わっていく、自分の最期。

 死体は残らないだろう。

 物理法則の差異によっては、原子単位にまでバラバラに分解され、最終的には大気中に飛び散ってしまうに違いない。

 ――“協力者”などと、よく言えたものだ。

 真也は、内心で悪態を吐いた。

 ――これでは実質、奴隷や捕虜と変わるまい。


「ハハハ、お分かり頂けたようですなぁ。

 いやいや。“生存本能”という物は、どこの文化の人間にとっても中々に根強い物らしいですからな。

 貴方様がご心配なさらずとも、損害を防ぎ反意を削ぐ為の手段は十分に講じておるのです」


 文部大臣は高らかに嗤い声を上げると、満足気に少女の言葉を引き受けた。

 細められた瞳は愚か者を揶揄する様な侮蔑に緩み、上擦り気味の声色からは勝ち誇った様な態度がありありと伺える。

 ――それで、真也は気が付いた。

 おそらくはこの世界の貴族に当たるであろうこの男は、口でどんなに建前を並べようとも、芯の部分では異世界人たる真也を卑賤なる者として卑下しているのだろう。

 そして、事実自分が圧倒的優位に立っているからこそ、その態度を本気で隠そうとは思っていない。

 “この男は、生理的に受け付けない”。

 真也は立場を自覚すると共に、アスガルド文部大臣を自分が最も嫌悪する人種の一つとしてはっきりと理解した。

 尤も、今の真也はそんな事をおくびに出せる様な立場では勿論無いのだが……。


「いやぁ。我々とて、勿論そのような真似はしたくないのですぞ?

 何しろ貴方様には、是非とも貴方様の世界の技術を伝えて頂かねば、我々の方も困りますからなぁ。

 ……無論。貴方様が非協力的ならばその限りでは御座いませんが。

 いえ、なに。貴方様風に言うのなら、あくまでも仮定の話(・・・・)ですからなぁ。

 ハハハ。まあ、相応の地位の用意も御座いますので、それで納得して頂ければ幸いです」


「……聞かせて頂きましょう。

 まあ、立場が立場ですからね。

 あまり期待もしてはおりませんが……」


 つい皮肉な口調になりながら、真也はそう答えて溜息を吐いた。

 アスガルドは特に意に介した様子も無く、コホンと咳払いをしてから続けた。



「今代の守護魔・アサヒ シンヤ殿。

 貴殿には今より、我が国における“特務教諭”の地位を保証しましょう。

 報酬は、まあ一先ずは魔導師範格と同等。

 後は働きに応じて応相談という所でいかがでしょうか?」


「特務教諭?」



 聞いたことも無い単語に、真也はコクリと首を傾げた。

 アスガルドは一々説明するのも億劫なのか、真紅の少女へと目をやっている。


「“特務教諭”は、魔導研究所(ヴァルスキャルグ)における役職の一つよ。

 確か、万が一異国からの亡命者が出た時に、ソレを受け入れる為に設けられた役職、だったかな?

 まあ、あたしが知ってる限りじゃ、もうかれこれ60年は空席になってる幽霊職だけど……」


 憂鬱そうに溜息を吐きながら、少女は面倒臭そ~に説明を初めた。

 未だに疑問符を浮かべている真也の視線。

 それが職務の詳細を聞いているものだと気が付き、少女は条文を思い返す様な仕草をしながら続きを告げた。


「確か職務は――主に、専門分野での研究と開発。

 それと、見習い魔導師達への講習を週に何回か。

 あとは……、暇な時間は学生として修練に出る権利とかもあった筈だけど?」


「待て、それって…………」


 朝日 真也は硬直した。



 ――翻訳。

 物理学者としての研究。

 教授としての学生への講義。

 あと、暇な時には他の講義の見学等。



「…………」



 ……頭痛がした。

 なんだろうか。この、まるで海外旅行でレストランに入って、適当に注文したら全部和食だった時みたいな遣る瀬無さは。

 彼は思った。

 ソレ、昨日までの自分の仕事と何が違うのか、と。

 真也はあまりにも強烈な脱力感に襲われ、もう本日何度目になるかもわからない溜息を吐いた。

 ガックリと肩を落とすと、目に付いたのは高級感溢れる赤絨毯。

 ……おかしい。

 元の世界ではお目に掛かった事も無い様なソレが、何故かボロ校舎の木造廊下にしか見えない。



「さて、他には何か要望や質問などありますかな?

 最も、要望(・・)は我々が応じ得るものに限らせていただきますがね。

 ハッハッハッ……」


 耳障りな高笑いをかましつつ、話を終わらせようとするアスガルド。

 その嫌味な視線を受けて、漸く彼は先程の既視感が何だったのかを理解した。

 ……なんの事は無い。

 この文部大臣様とやらは、真也が良く知る人物と同類に属する生き物だったのである。

 そう。あの、嫌味な学長(ハゲ頭)と――。



「…………」



 一気に新鮮味が無くなった異世界ライフにげんなりしつつ、真也は再度息を吐いた。

 ……要望など、帰らせて欲しい以外にはあるワケが無い。

 それが却下されると分かっている以上、これについて考える事には一切意味が無いくらいだ。帰還の為の交渉を行う手もあるが、それは時期尚早だと言わざるを得ないだろう。


 質問――まあ、聞きたい事は山ほどあるが意味は無いだろう。

 何しろこの大臣様とやらは、先程から細かい説明は全て少女に任せている。

 それならば、細かい事は追い追い少女に直接聞いた方が、遥かに手間が省けるというものだろう。

 ……というか、正直。

 もうこれ以上、この生物と会話を続けていたく無い。


「…………」


 無い、のだが……。

 逆に、この大臣様にしか聞けない質問があるような気も――。


「ふむ……」


 真也は、アスガルドの全身を観察した。

 体型は、典型的なメタボ。服にはジャラジャラとした宝石が付いて、中々に悪どい政治をしている事が伺える。脂ぎった顔には立派に整えられた口髭が生えていて、頭には完璧に整髪された黒髪が“乗って”いた。



「ん――――?」



 その時。

 ふと、真也の頭には疑問が浮かんだ。



 彼の視界に入った“ソレ”。

 その装身具の使用目的は、一般的には3つに大別されるという。


 一つ目は、装飾品として。

 例を上げるとすれば、俳優がドラマ撮影で使う場合や、女性がオシャレの一環として使用する場合がコレに当たるだろう。往々にして“その部位”は、短期間では目指す外観へと至れない事が多い為、そういった場合は“ソレ”を使用するのが手っ取り早い解決法となるのである。


 二つ目は、正装としての役割りだ。

 古来、特にヨーロッパではノミやシラミが流行した過去があり、当時は“その部位”を短く刈り込むのが主流であったという。当時の音楽家達の肖像画において、“その部位”が奇抜かつ一様に見えるのは、彼らが皆“ソレ”を使用していたからである。その名残として、現在でも裁判官などは“ソレ”を正装として使用する習慣があるという。


 三つ目は、最早語る間でも無いので省略する。

 しかしながら近年では、この使用目的は“ソレ”自体の金額の高さと“隠さない”ファッションの普及により、衰退傾向にあるという。



 さて。ところで真也が持った疑問とは、つまるところ“ソレ”についての些細な好奇心に集約され――。



「…………(ブルッ)」


 傍らの少女が不自然な身震いをしていた事を、彼は知らない。

 真也は真顔のまま、じっと大臣の頭部に目を向けた。




「この世界でも、やはりハゲは隠すものなのでしょうか?」




「「…………」」




 ――空気が、凍った。




「……どういう、意味、ですかな?」


 ピキ、と、脂ぎった額に青筋が走った。

 慇懃な笑みが引きつったのは、多分少女の気のせいじゃ無いだろう。

 しかし白衣の彼は、そういった他人の感情には非常識なまでに無関心であった。


「いえ、大した事では無いのですが……。

 大臣様が現在頭に乗せている装飾品は、我々の世界では“カツラ”と呼ばれておりまして、主に男性型脱毛症を隠蔽する為のツールとして使用されています。

 さて、そこで私の質問なのですが。

 この世界でも、やはり薄毛は隠すべき対象なのでしょうか?

 大臣様の頭にあるその装身具を、我々の世界の“カツラ”と同じ意味で解釈して良いのか、些か判断しかねる所でして……」


 ――ふと。真也は、左肩に何かが触れているのに気が付いた。

 視線を向けると、少女が小さな右手を肩に乗せ、トントンと真也の意識を引いている。

 ……視線を彼女の顔に移すと、なんか物凄い形相で睨んでいた。

 猫の様な瞳が見開かれて、“これ以上刺激するな”と無言で訴えている。


「は……ハハハッ!!

 お、面白い事を気に掛けるお方ですな、貴方は。

 まあ、確かに、我々の世界にも薄毛を隠す人間は居ると聞きます。

 いえ、私にはとんと無縁な話ではありますけどな。

 貴方様の言葉は翻訳されているのですから、貴方様の言うそのツールは、そりゃぁ我々の世界でも“カツラ”と呼ばれているでしょう。

 いえ、ホント。私には無縁な話でありますけどな」



 “そうですか、分かりました”

 アスガルドの返答を聞いて、真也は視線を前方へと戻した。

 小さく頷いて、再び視線を大臣と交える。

 ……いや、視線はもう少し上に向いている。



 ――カツラ。

 現代においてその材質は人毛、もしくはポリエチレンなどの人工毛であるという。

 という事は、“アレ”はやはり人毛なのだろうか。それとも実はポリエチレンに近い素材か、或いはポリエチレンそのものが、既にこの世界には存在しているとでもいうのだろうか。好奇心に歯止めが聞かない真也は、次の爆弾を投下した。


「もしよろしければ、大臣様が頭に乗せているその“カツラ”を、一度外して見せては頂けませんでしょうか。

 私と致しましては、それが我々の世界の“カツラ”と同じ材質の物なのかを、是非とも確かめた……ァァアアアアア゛」


 ――左肩に、激痛が走った。

 涙目で視線をやると、少女が肩を砕かんばかりの握力で、ミシミシと肩甲骨を握り締めている。それはもう、万力もかくやという力加減で。

 立ち昇る魔力のせいだろうか。

 少女の周りでは、明らかに空気が震えている。


「ハハハハハっ!!

 本当に面白いお方だ。

 さて、質問は以上で宜しいですかな。

 ああ、宜しいですか。

 それではこれより4日は、準備期間としての休暇を与えましょう。その間に、この国の風紀や常識などを、是非とも、くれぐれも、しっかりと学んでおいて頂きたい。

 それではまたいつか、機会があれば」


「待って下さい。

 まだ謎が……たたたた。

 待て、砕ける!! 砕けるって!!」


「失礼いたしました、大臣様。

 このバカには国の礼儀作法を一から叩き込んでおきますので、どうか先程のご無礼はお忘れ頂くようお願い致します」


 軽やかに礼をしてローブを翻すと、少女は青年の白衣を握り締め、引き摺る様にしながら“謁見の間”を後にした。


「無礼?

 アルテミア・クラリスよ、無礼とは一体何の事だ?

 まさか貴様も、ワシの頭に“ナニか”が乗っていると、本気でそう思っているのか? ん?」


「…………っ」


 少女は答えず、華奢な肩をプルプルと震わせながら去って行った。

 大扉が閉じられる様を、にこやかな笑みで見守るアスガルド。

 握り締められたその拳からは、赤い雫がポタポタと滴っていた――。


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