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プロローグ「自然体という嘘」

 ──朝。


 タワーマンション高層階の一室。遮光カーテンの隙間から差し込む光がお世辞にも綺麗とは言えない私の部屋を照らし出している。


 脱ぎ捨てられたハイブラの服、昨日食べたきりのコンビニ飯のゴミ、そして引き出しから溢れ出たコスメの山。ローテーブルの上にはスリープモードのまま静かに熱を帯びているノートパソコンと、殴り書きされた脚本のメモが散乱していた。


「うぅ……」


 寝起きのぼやけた頭のまま、手探りでスマホを掴み取る。液晶の眩しさに眉をひそめながらロックを解除すると、画面には限界を迎えた脳で書いていたであろうメモが表示された。


 そこに並んでいたのは、怪文書一歩手前の私の願望だった。


 猫になりたい

 犬になりたい

 下北に自生する人間みたいなキノコを駆除したい

 道に痰を吐いたら死刑になる法律を作りたい

 鳩に選挙権を与えたい

 カピバラに面接されたい

 恋愛リアリティショーに出て王子様系の男を全員振りたい

 キスシーンと濡れ場は恥ずかしくなるから撮りたくない

 たばこを一箱七万円とかにしたい

 ゴールデンキウイのくせに酸っぱい個体を無くしたい

 不死鳥でフライドチキンを作りたい

 燃えるゴミと燃えないゴミの境界線を知りたい

 アイドルになって卒業セレモニーがしたい

 熱愛報道がいらないぐらい匂わせをしてみたい

 インスタをやめたい

 スマホをやめたい

 タクシーの運転手は毎回上品なおじさまがいい

 毎日八時間寝たい

 そこら辺の優しそうなおばあちゃんが作った煮物が食べたい

 人生に脚本家が欲しい

 全肯定してくれる恋人が欲しい


 私はしばらく無言で画面をスクロールした。指を止め、深く重いため息をつく。


「……終わってるな私」


 誰かに見られたら一発で株が暴落しそうな内容だ。だが、洗面所の大きな鏡の前に立った瞬間、私の思考は綺麗に上書きされた。


「あ。でも今日、ビジュいいかも」


 寝起き特有の少しアンニュイな目元と、綺麗に流れている横髪。それらを確認しただけで、さっきまでの鬱屈とした気分は綺麗さっぱり霧散した。現金なものだけど、自分の美しさは何よりの精神安定剤だ。


 とはいえ、無理な体勢で寝落ちした代償は大きく、首から肩にかけてズキズキと鈍い痛みが走る。


 映画監督、脚本家、モデル……。


 世間は私を「若きマルチな天才」と呼ぶけれど、その実態はすべてを自分で抱え込んだ結果の慢性睡眠不足。


「流石に働きすぎなんだよなぁ私……」


 誰に届くでもないぼやきを漏らしながら、私はシャワーを浴びるために浴室へと向かった。今日という戦場へ赴くための、お決まりのルーティンが始まる。


 ──夕方。


 都内スタジオで行われている、大手ファッション誌の撮影現場。


 テーマは「飾らない自然体」。


「怜奈ちゃん、今の角度最高! 透明感やばい!」

「肌のツヤどうなってんの? めっちゃ盛れてる!」

「天使……!」


 シャッター音に混じって、スタッフたちの熱を帯びたお世辞が飛び交う。私はそれらを、完璧にコントロールされた柔らかく無垢な笑顔で受け流した。


 カメラを見つめる瞳の奥では、恐ろしいほど冷徹な自分が毒づいている。


(ハイブラ着て、プロのメイクに二時間かけられて作る『自然体』なんて、この世で一番不自然に決まってんでしょ)


 そんな歪んだ本音は一切顔に出さないし出せない。


 カメラマンが何百枚、何千枚とシャッターを切り続ける中、私はミリ単位で首の角度や視線の外し方を変えていく。


 求められた顔。


 求められた角度。


 世間が求めている完璧な神崎怜奈。


 それを誰よりも深く理解し、体現できるのが私だった。


 しかし、撮影の終盤。カメラマンが姿勢を低くし、下からのアングルで連写を始めたその瞬間、私の眉がわずかに動く。


(こいつ、今絶対、変な風に撮ったな)


 案の定、直後の休憩中。


 スタッフたちがチェックしている確認用モニターを後ろから流し見していた私の指が止まった。


 そこには、いわゆる「事故画」が映し出されていた。


 ライトの加減で少し顔が浮腫んで見え、絶妙な半目。あくびを噛み殺した瞬間だったのか、口元が微妙に歪んでいる。前髪は頬に張り付き、半目の視線はどこか遠くを睨んでいるように見えた。


 背後にいたマネージャーがそれに気づき、血相を変えてタブレットを奪うように操作した。


「あ、これ消しとくね! 完全にカメラマンのミスだし!」


 私はすぐに返事をしなかった。


 代わりにマネージャーの手元からタブレットをすっと奪い返し、前後の写真と見比べた。


 周りに並ぶのは、文句のつけようがない完璧な私だ。


 小顔で、脚が長くて、透き通るような肌。一切の隙を見せない姿。


 そしてその中にぽつんと混ざる、たった一枚の、無様な事故画。


 疲れていて、眠そうで、少し不機嫌そうで──生々しいまでの生活感が漂っている。


 なのになぜだろう、完璧な写真よりも、その酷い一枚から不思議と目が離せなかった。クリエイターとしての本能なのか、それとも単なる気まぐれか。


「……ねぇ、これ混ぜよ」


「は?」


 マネージャーが耳を疑うような声をあげる。私は画面を指先でトントンと叩きながら、不敵に微笑んでみせた。


「これ、次の投稿に混ぜる。五枚目あたりにコッソリ忍ばせとけば、ギリ燃えないでしょ」


「絶対ダメ」


「いや、絶対伸びるから」


「伸びてもダメなの!」


 絶句するマネージャーを置き去りにして、私はすでに自分のスマートフォンでデータの転送を始めていた。


 帰りのロケ車の後部座席。


 私はプライベートのスマホを開き、慣れた手つきで投稿画面を作っていく。完璧な写真だけ並べるとそれは広告になる。だからこそ、ノイズに人は惹きつけられるはずだ。


 選択する写真。


 一枚目:横顔の美しい完璧なショット。

 二枚目:光を味方につけた、これぞ神崎怜奈というカット。

 三枚目:アンニュイな表情。

 四枚目:透明感溢れるバストアップ。


 そして、五枚目。

 誰もが見落とすはずのない、最悪の事故画。


 私は迷うことなくキャプションの欄に指を走らせ、短い宣誓をした。


『病める時も健やかなる時も一番可愛い私であることを誓います』


 トン、と小気味よい音を立てて、投稿ボタンをタップする。


 隣の席でスマホを眺めていたマネージャーが悲鳴をあげた。


「ちょっと待って!?!? 本当に載せたの!? チェック通してよ!」


 数十分後。投稿に表示されているのは、「20万いいね」。


 真っ青な顔で震えるマネージャーを横目に、私は画面をスクロールしていく。


『5枚目好きすぎるんだけどwww』

『逆に人間味あって親近感湧く! 好き!』

『疲れてる顔まで愛おしいのずるいな……』

『こういう飾らないところ載せてくれるの推せる』

『5枚目が一番クオリティ高くない?』


 好意的な意見が画面を埋め尽くしていた。私は画面の光を消し、静かに呟く。


「……結局、人間ってこういうのが好きなんだ」


 狙い通り。完璧な姿よりも少しの歪みや人間らしさに大衆は熱狂する。それが分かっていて仕掛けた悪戯。


 視線を上げると、夜の闇に紛れた車の窓ガラスに自分の顔が映っていた。


 一日中連れ回されてぼさぼさになった前髪。崩れて生々しくなったベースメイク。そして、隠しきれない疲労の色。


 お世辞にも「完璧」とは言えない。


 でも。


「……可愛いじゃん」


 私は窓に映る歪な自分を見つめながら小さく笑った。


 その時だった。スマホが震え、画面に表示された名前を見て、私は軽く眉を上げた。


 『東都ピクチャーズ 橘』


「はい、神崎です」

『お疲れ様です、神崎監督。夜分にすみません』

「いえ」


『明日の企画会議ですが、スポンサーの皆さんも参加されます。新作の方向性について正式にお話ししたいので、よろしくお願いします』


「分かりました」

『それでは、明日十時に』


 通話が切れ、暗くなった画面をぼんやりと眺める。


「さて……次は映画監督か」


 モデルの次は、映画監督。


 毎度のことだけど、頭の切り替えが一番しんどい。今度はどんな無茶を言われるんだろう。


 恋愛かヒューマンドラマか。


 適当に誰かを死なせて、誰かを立ち直らせとけば、泣かせる映画にはなるんだけど。


 ……本当はコメディ撮りてぇー。

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