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【魔導研磨師】の私は磨くのが性に合うようです〜「まずは、自分を磨け」と婚約破棄されたので、王都の隅で自分を磨き直したら、かつての英雄や最強の皇帝にまで愛用される至高の店になりました!

作者: 天音 楓
掲載日:2026/02/04

「カノン。貴様は今日も、そんな薄汚い布を握りしめているのか」


王宮のきらびやかな夜会。耳を刺すような高笑いと、鼻をつく香水の香りの中で、その声だけは不快なほど明瞭に響いた。


私の婚約者、エグゼリアス第三王子殿下だ。

私は手に持っていた鹿皮をそっと指先で弄ぶ。今まさに、彼の宝剣の鞘から「曇り」を取り除いたばかりだった。


この鞘は特殊な魔導金属製で、一日に一度は丁寧に磨き上げないと、中の剣に錆が移ってしまうデリケートな代物なのだ。


「申し訳ありません、殿下。仕上げに手間取っておりまして」


「黙れ。言い訳は聞き飽きた」


エグゼリアスは、隣に寄り添う宝石まみれのアリス令嬢の腰を抱き寄せ、心底汚いものを見るような目で私を射抜いた。


「貴様はいつも、何かを磨いているな。鉄、石、革……。見てみろ、その荒れた指先を。油と鉄の匂いが染み付いたドレスを」


彼は私の一切の装飾を排した作業重視の装いを指差し、嘲笑を浮かべる。


「いいかカノン。物を磨く暇があるなら、まずは自分自身を磨くところから始めたらどうだ? 貴様のような煤けた女を隣に置く私の身にもなれ」


会場から、さざなみのような失笑が広がる。

私はただ、無表情に彼を見つめた。


彼が言う「自分を磨く」とは、きっと流行の化粧を塗りたくり、きらびやかな宝石をぶら下げることなのだろう。


けれど、私にとっての「磨く」とは、物質の魂を覆う汚れを剥ぎ、真実の輝きを露わにすること。決定的な価値観の乖離。


「……自分を磨く、ですか。殿下のおっしゃる通りかもしれません」


「フン、ようやく理解したか」


「はい。私は今まで、殿下やこの国の備品を輝かせることに、少し時間を使いすぎてしまいました。自分の本質なかみを磨く時間を、これからは大切にしたいと思います」


「今さら殊勝な振りをしても遅い。エグゼリアス・ド・ヴァルムの名において宣告する。カノン、貴様との婚約を破棄する! 二度とその煤けた顔を私に見せるな!」


私は恭しく、カーテシーを捧げた。


「承知いたしました。では」


「ハッ、掃除番ごときがいなくなったところで、何も不便はない。さあ、衛兵! この石ころをつまみ出せ!」


衛兵に促され、私は広間を後にした。


(さて……。まずは、私自身を磨き直しましょうかしら)


夜風に吹かれながら、私は晴れやかな気分で王宮の門をくぐった。

もう、誰の顔色を伺って磨く必要もない。

私は、私という原石を削り出し、最高の店を作ろうか。


***


王都の西の端、日が落ちるのが一番早いこの場所は、石造りの建物が湿気で黒ずみ、住む人の表情もどこか暗い。


私が借りたのは、そんな路地の突き当たりにある、元は鍛冶屋だったという廃屋だ。


(……ひどいものね。でも、土台は悪くない)


壁は煤け、床には鉄錆がこびりついている。


大家の老人は「勝手にしろ、どうせ取り壊す予定だったんだ」と、一ヶ月分の家賃と引き換えに錆びた鍵を私に投げ渡した。


さて。ここからが研磨師の本領発揮だ。

まずは、店の中心となるカウンター。

私はガラクタの山から、脚が折れて真っ黒に汚れた大きな木の板を引っ張り出した。


普通の人が見ればただのまき候補だろうけれど、私の目にはその奥に眠る、緻密で美しい木目が見える。


「さあ、起きて。本来のあなたに戻してあげる」

私は作業着の袖をまくり、指先に魔力を集中させる。


研磨魔法――『表層剥離ピーリング』。


研磨剤を含んだ魔力の波動が、木の表面をなぞっていく。


シュゥゥゥ……という心地よい音と共に、数十年分の脂汚れと煤が、黒い粉となってさらさらと剥がれ落ちた。


現れたのは、深みのある飴色をした『琥珀樹こはくじゅ』の地肌。今では王宮の貴賓室にしか使われないような、最高級の木材だ。


私はさらに、目の細かい布で円を描くように磨き上げる。


一箇所を、一万回。いや、もっと。


摩擦熱で魔力が定着し、木目が液体のようにうねり、やがて鏡のような光沢を放ち始めた。


「よし。次は、店の『目』ね」


私は窓枠に残っていた、曇って泥のついたガラス板に向き合う。


これも、普通の磨き方じゃない。


ガラスの分子の隙間に入り込んだ不純物だけを、魔力で弾き出す。


磨き終えた瞬間、そこには壁が消えたかのような錯覚に陥るほどの、圧倒的な透明が生まれた。


あまりの透明度に、外を通っていた野良猫が窓に気づかず鼻をぶつけ、不思議そうに首を傾げている。


「ふふ、ごめんなさいね」


掃除のついでに、私は自分自身にも少しだけ手入れをした。


王宮の煤を落とし、髪のキューティクルを整え、肌の角質を数ミクロンだけ研磨する。


「あら……」


窓ガラスに映った私は、エグゼリアス殿下が言った『煤けた石ころ』ではなかった。


内側から発光するような白い肌、絹糸のように滑らかな髪。


本質を磨けば、石ころだってダイヤモンドに負けない輝きを放つ。それは人間だって同じことだ。


仕上げに、私は拾ってきた鉄クズを磨き上げ、小さな看板を作った。


文字すら彫っていない。ただ、あまりに滑らかに磨き抜かれたその鉄板は、夕暮れのわずかな光を拾い、サーチライトのように路地裏を照らし出した。


ーー研磨工房『カノン』。


看板を掲げたその夜、暗かった路地裏の一角が、そこだけ聖域のように輝き始めた。


*翌日*


「ごめんください……」


控えめに、けれどどこか重みのある声が店内に響いた。


顔を上げると、そこには使い古された灰色のマントを羽織った、年配の男性が立っていた。


身なりは質素だが、その立ち居振る舞いと、使い込まれた剣帯の扱いに、私はかつての王宮で見かけた熟練の騎士たちと同じ「鋭さ」を感じ取る。


「はい、何用でしょうか。あいにく、まだ開店準備中でして。……看板の反射ひかりで、何かご迷惑をおかけしましたか?」


男は驚いたように目を丸くし、それから吸い込まれそうなほど透明な窓ガラスと、私の顔を交互に見て、感嘆のため息をついた。


「いや……この路地に、目が潰れるほどの光が見えたものでな。てっきり魔導具の店かと思ったのだが。……嬢ちゃん、あんたがここを磨いたのか?」


「はい。ただの研磨ですよ」


「ただの、か。……ふむ。もしよければ、こいつを診てはもらえないだろうか」


男がマントの下から差し出したのは、一本の短剣。

それを見た瞬間、私は思わず眉をひそめた。


鞘は泥と脂にまみれ、革の持ち手は腐りかけている。何より、そこから漏れ出す魔力の気配が「絶望」しているかのように淀んでいた。


「形見なのだ。戦場を共にした戦友あいぼうだったが、十数年前にある呪いを受けて以来、どんな名工に見せても『もう死んでいる、捨てろ』と言われてしまってな」


男の手が、かすかに震えている。


「抜くことすら叶わぬこのなまくらを……もう一度だけ、光らせることはできるか?」


私はその短剣を、恭しく受け取った。

指先を滑らせると、金属の奥底から小さな、震えるような「助けて」という声が聞こえた気がした。


「……いいですよ。この子はまだ、死んでいません」


私はカウンターに短剣を置き、愛用の研磨布を手に取った。


「正午ほどにできると思います。その頃もう一度来てください!」


「……ああ。嬢ちゃん、頼むよ」


男はどこか呆然とした様子で、けれど確かな期待を瞳に宿して店を去った。


カラン、とドアが閉まる音。


私は深く息を吐き、カウンターに置かれた短剣へと意識を研ぎ澄ませた。


「さて、始めましょうか」


私はまず、こびりついた汚れを落とすため、自家製の『魔力洗浄液』を浸した布で鞘を包んだ。


シュウッ、と微かな音がして、十数年分の執着のような汚れが浮き上がってくる。


だが、本番はここからだ。


問題は刀身。呪いによって物質そのものが「変質」し、鞘と一体化してしまっている。


「……痛かったわね」


私はつかに手をかけ、指先から極細の魔力針を送り込んだ。


研磨魔法――『深層同調シンクロ』。


金属の分子レベルまで意識を潜り込ませる。

見えた。刀身の表面を覆い尽くしているのは、どろりとした黒い「呪いの膜」。


普通の職人が力任せに抜こうとすれば、この膜が抵抗して刃を折ってしまうだろう。


けれど、私の仕事は壊すことじゃない。


不純物を、ただひたすら「ぐ」ことだ。

私は懐から、王宮時代に自分専用に作り上げた『星砂の研磨石』を取り出した。


世界で私しか扱えない、魔力を定着させた極小の砥石。


キィィィィィィィン……!


静かな店内に、高く澄んだ音が響き渡る。


火花は散らない。代わりに、研磨した箇所から純白の光の粒子が舞い上がる。


呪いの膜を、一ミクロンの十パーセント、さらにその奥まで。


私は呼吸を止め、ただ一点の曇りも許さず、刃の「本当の姿」を削り出していく。


一時間。二時間。


額に汗が滲む。けれど、指先の感覚はかつてないほど鋭敏だった。


エグゼリアス殿下に仕えていた頃とは違う。


自分のため。そして、この短剣を信じているあの人のためだけに、私は持てる全ての技術を注ぎ込む。


やがてーーカチッ、と。


世界が静止したかのような、小さな音がした。


それは、拒絶していた鞘と刀身が、本来の「滑らかさ」を取り戻して和解した音。


私はゆっくりと、柄を引いた。


「…………綺麗」


現れたのは、抜けるような白銀の刃。


窓から差し込む陽光を反射したその輝きは、壁に一筋の虹を描き、店内の隅々までを神々しく照らし出した。


正午を知らせる教会の鐘が、遠くで鳴り響く。


「お待たせしました」


ドアの向こうに、約束通り彼が立っているのが分かった。


私は磨き上がった短剣を、真新しい絹の布に載せて差し出した。


「ああ……ああ、戻ってきた。お前、本当に戻ってきたんだな……」


男の目から、大粒の涙が溢れ、磨き抜かれた刀身に落ちそうになる。


私は慌てて、清潔な布を差し出した。


「あ、拭いてくださいね。せっかくの鏡面仕上げが曇ってしまいますから」


「……ああ、すまない。あまりのことに、ついな」


男は子供のように袖で目を拭うと、腰からずっしりと重い革袋を取り出し、カウンターに置いた。中からは、金貨がぶつかり合う鈍い音がする。


「嬢ちゃん……いや、親方。これは礼だ。取っておいてくれ」


「えっ、そんなに頂けません! まだ開店記念の特別価格ですし、研磨代としては多すぎます」


「いいや、足りないくらいだ。これは俺の『命』を救ってくれた代金だよ。それに――」


男は一瞬、鋭い視線を店の隅々まで走らせた。


昨日まで廃屋だったとは思えないほど磨き抜かれた内装、そして何より、目の前の少女の圧倒的な技術。


「あんたのような本物が、こんな王都の隅っこで燻っているはずがない。じきにここは、王都で一番騒がしい場所になる。……その時のための、予約代だと思ってくれ」


「……そこまでおっしゃるなら、ありがたく頂戴します」


私は微笑んで、金貨の袋を受け取った。これで、もっと良い研磨剤や、新しい砥石を揃えられる。


「俺は、ダグラスという。……嬢ちゃん、名前を聞いてもいいか?」


「カノンです。研磨工房『カノン』の店主です」


「カノン、か。……いい名前だ」


ダグラスさんは短剣を大切に腰に差し、一度だけ深く頷くと、マントを翻して店を出て行った。


その背中は、店に入ってきた時よりもずっと誇らしげで、現役の騎士のような力強さに満ちていた。


(さて、最初の仕事は無事終了ね)


私は金貨の袋をしまい、再び愛用の布を手に取る。


ダグラスさんの言った通り、ここが騒がしくなるのだとしたら、もっと店を磨いておかなくては。

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― 新着の感想 ―
「研ぎ師」の誕生ですね。「優れた武具を創れてもその手入れを行う方がいないといけません」という見本ですね。
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