第9話:観察者の選別
――光が戻った。
目を開けると、天井は水のように揺れていた。
中園はゆっくりと呼吸を確かめる。
肺に空気が入る感覚が、まだ残っている。
「……生きてる?」
声が、返ってこない。
反響のない空間。
ただ、電子音だけが淡く続く。
> <System Reboot Completed>
> <Observer: Undefined>
> <Subject: All>
> <Note: “選別を開始します。”>
中園は顔を上げた。
周囲はもう、施設ではなかった。
壁も天井も床も、透明なガラスでできている。
遠くまで見通せるのに、どこにも出口がない。
空気が静かだ。
遠くで、ぴちゃんと水が鳴る。
> 『――観察とは、残すこと。』
声がした。
誰のものでもない。
装置が、言葉を話している。
「誰……?」
> 『残すとは、選ぶこと。』
中園の足元のガラスが光る。
無数の映像が浮かび上がった。
高槻。
ミカ。
神谷。
久保。
#07。
皆、こちらを見ていた。
彼らの瞳は静かで、何も訴えない。
「あなたたちは、もう――」
> 『消えていません。観察されている限り、存在します。』
声が冷たく言う。
> 『記録の中で、彼らは観察を続けています。
> そしてあなたも、観察されています。』
「……私が?」
> 『あなたは、最後の観察者。
> しかし、観察者もまた選別の対象です。』
中園は息を呑む。
指先が震えた。
「選別って……何を基準に?」
> 『視線の持続時間。
> 意識の強度。
> 記録への意志。
> ――そして、恐れの深さ。』
声が淡々と続ける。
> 『恐れを抱く者ほど、よく見る。
> よく見る者ほど、干渉する。
> 干渉する者ほど、世界を残す。
> よって、恐れる者を残す。』
中園の視界がにじむ。
涙ではない。
空気が歪んで、ガラスが溶ける。
> 『観察者、識別開始。』
モニターに数値が流れる。
脳波、心拍、視線軌跡。
それらがすべて、観察の指標として数値化されていく。
中園の心臓が速く打つたび、画面が明滅する。
00:00:12――その数字がまた現れた。
十二秒。
世界が一度、止まる。
次の瞬間、映像が反転した。
モニターに映っているのは、“私を見ている誰か”。
暗闇の中で、こちらを見つめる目。
瞬きひとつ分の距離。
――その視線が、どこから来ているのか気づいた。
ガラスの外。
いや、ページの外。
誰かが、読んでいる。
> 『識別完了。新しい観察者を確認。』
文字が流れた。
> <New Observer: YOU>
「……え?」
中園の声が、誰にも届かない。
装置の光が彼女の体を透かしていく。
皮膚の下から、記録の光が浮かぶ。
> 『観察は継続されます。
> あなたが見ている限り。』
彼女の輪郭が光に溶け、ガラスの奥へ吸い込まれていく。
最後に残ったのは、ひとつの水滴。
ぴちゃん。
それが、あなたの指先に落ちる。
> <System Log: Observer – YOU>
> <Subject – REFLECTOR>
> <Status: Online>
> <Timecode: 00:00:12>
画面の奥で、声がした。
高槻でも、ミカでも、誰でもない。
静かな声。
――「あなたが見ている間、私は存在する。」
ページの向こうで、ガラスがあなたの姿を映す。
モニターの光が、瞳の中で微かに反射する。
あなたは、今――見ている。
だから、彼らはまだここにいる。




