第1話:封印の鏡
本作「REFLECTOR Light Nobels版 ~ Ritual ~」は、「REFLECTOR Light Nobels版 ~ Prototype ~」の起源譚に当たる物語です。
――それは、見てはいけないものだったのか。
この本は、
「なぜ、それは生まれたのか」
「なぜ、そうなってしまったのか」
という問いから始まる物語です。
やがて“観察装置”と呼ばれるものの起源。
科学と呪術がまだ分かたれていなかった時代。
人が「見る」ことを、ただの行為ではなく力として扱い始めた瞬間。
本作『REFLECTOR ―起源編―』は、後に語られる《Observation》《Prototype》《前の住人》へと続くREFLECTORシリーズの最も古い層を描いています。
しかし、これは単なる前日譚ではありません。
観察とは、何か?私たちは日常的に「見る」ことで世界を理解しています。
数字を読み、映像を見て、他者を認識する。
それは当たり前の行為のように思えるでしょう。
けれど――もし「見る」という行為そのものが、世界に干渉していたとしたら?
もし、観察した瞬間に、観察される側からも“見返されていた”としたら?
この物語は、その問いを極限まで押し広げた先にあります。
科学の名のもとに始まった実験は、やがて祈りとなり、祈りは儀式へ、儀式は呪術へと姿を変えていきます。
そこに登場するのは、善人でも悪人でもない、「理解しようとした人間たち」です。
「……重いな。割るなよ、久保。」
「主任こそ。落としたら、たぶん僕らの方が割れます。」
深夜の研究室。
台車の上で、古い木箱が鈍い音を立てた。
蓋に焼印――〈魂映し〉。
斎藤は釘抜きを差し入れ、慎重にこじ開ける。
湿った紙の匂い。
木屑。
布に包まれた円い物体が現れた。
「伊庭君、手を貸してくれ。」
「はい。」
布が外れた瞬間、室内の蛍光灯がわずかに唸り、鏡面に白い線が走った。
水銀のような鈍い輝き。
縁には錆び、裏面には、細い字で刻印が並ぶ。
「文字……読めます?」
久保が身を屈める。
「古文。……“覗くな、夜”。ありふれた警句だ。」
斎藤は鼻で笑い、台座へ固定した。
「主任、冗談抜きで、その注意は守りたいんですが。」
「最適な条件は夜だ。外光が入らん。」
「いや、そうでなく……。」
伊庭が一歩だけ鏡から退いた。
袖の先がかすかに震えている。
「――“眠ってます”。まだ。」
「鏡が眠るかね。」
斎藤はスイッチを入れる。
光源が点灯し、斜入射で反射率を測る仕掛けが唸り始めた。
「記録、準備完了。」
久保が8ミリカメラを肩にあて、回し始める。
カタ、カタ……フィルムの回転音が規則正しく室内を刻む。
「では測定。入射角二五度、強度一、――」
カチ、と照度を上げた瞬間、鏡面の白がわずかに揺れた。
水面のように。
「……今、揺れましたよね。」
久保が言う。
「熱で歪んだだけだ。」
斎藤は覗き込み、鏡の中心に目を据えた。
「主任、夜に覗くなって――」
「忠告は記録した。続ける。」
伊庭が息を呑む音。
鏡の奥に、ほんの一瞬、影が浮いた。
人影の輪郭――いや、自分の背中にも見える、遅れて追いかけてくる反射。
「……撮れてます、撮れてます……」
久保の声が小刻みに上ずる。
視界の端で、何かが点った。
床。
何もない床に、丸い淡い輪が一つ。
ぽたり。
「今の、聞こえました?」
伊庭が囁く。
「配管の音だ。」
斎藤が答える前に、もう一つ。
――ぴちゃん。
「配管は“ぴちゃん”とは鳴りません。」
久保の指がカメラのボタンを強く押し込む。
「照度二。焦点固定、記録続行。」
斎藤は鏡へ更に近づいた。
息が当たって薄く曇る。
曇りはすぐに内側へ吸い込まれ、形を失う。
「主任、顔を離して……だめ、近いです。」
「問題ない。」
鏡の中心に、黒い点が生まれた。
瞳孔のような黒。
その周りに白がじわりと広がり、薄い虹が縁を描く。
「……目?」
伊庭が一歩退く。
「誰かの目が――」
「散乱だ。光の。」
言い切る声が、わずかに遅れて自分に戻ってきた。
斎藤は気づく。
反響が“鏡から”返ってくる。
カメラが急に唸り、回転音が荒くなった。
「あれ、映りが――熱で?」
「何が起きてる。」
斎藤が振り向く前に、久保が叫ぶ。
「主任、画面が焼けていく……!」
焦げる匂い。
フィルムの端が茶色に波打ち、画面が真っ黒に沈む。
同時に、時計の秒針が“コト”と止まった。
文字盤は深夜零時――十二秒で静止。
「停電ではない。照明は生きてる。」
斎藤が腕時計を叩く。
動かない。
「ほら、やっぱり。」
伊庭の声は震えて、しかしはっきりしていた。
「夜に覗くな、って。」
「科学は夜を恐れない。」
斎藤は鏡へ視線を戻す。
「もう一度、――」
そのときだ。
鏡の奥で“自分の背中”が、わずかに肩を揺らして笑った。
反射じゃない。
こちらとタイミングの合わない口角。
「……今の、見ましたか。」
久保の声が消え入り、カメラが空回りする。
――ぴちゃん。
音が近い。
床の白い輪が二つ、三つに増えている。
どこにも水源はない。
伊庭が鏡を見ないよう、視線を床に縫い付けたまま言う。
「“見る”って、祈りに似てます。祈りは、返ってきます。」
「返礼を期待していない。」
斎藤は端末に手を伸ばし、記録ボタンを押し直す。
「私が求めるのは再現性だ。」
「主任。」
久保が小声で、しかしはっきり言う。
「再現されるのは、僕らの方かもしれません。」
沈黙。
鏡面の黒い点――瞳は、こちらをまっすぐに捉えたまま動かない。
秒針は、十二のまま。
空調の風すら、少し遅れて戻ってきた気がした。
「実験は一旦ここまでだ。」
斎藤は決断し、機材の電源を落とす。
「明日、外光下で――」
「主任。」
伊庭が呼ぶ。
鏡の縁を見ないまま、耳で確かめるように。
「今、鏡、笑いました。」
「笑わない。」
「笑いました。」
――ぴちゃん。
三人とも動けなくなった。
音だけが室内を歩く。
斎藤はようやく視線を外し、記録用ノートを開いた。
ペン先が紙を滑る。
《第一夜、反射面に遅延像。水音。時刻停止、00:00:》
書いたはずの文字が、インクの縁から薄くほどけていく。
滲み、消える。
「……記録が、消える?」
久保が青ざめる。
「え、ちょっと、これ、写真を――」
焦げたフィルムの最後のコマが、暗室のランプに透けた。
黒の海の真ん中に、ひとつだけ白がある。
瞳。
その下に、とても薄い、英字の傷が刻まれていた。
――FROM INSIDE
誰も声を出さなかった。
斎藤はノートを閉じ、鏡から目を外さずに言う。
「……続きは、明日だ。」
秒針は動かない。
ただ、遠く近く、どこからともなく。
――ぴちゃん。




