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REFLECTOR  作者: GenerativeWorks
Prototype

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13/19

第3章「被験体#00」

―― 愛と観察の崩壊 ――


「私が見る番よ。」


ユミの声は、静かだった。


淡い光に包まれた実験室の中央、水槽の前で彼女は微笑んでいた。

白衣の下の指がかすかに震えているのを、久保は見逃さなかった。

 

「やめましょう。」


久保は思わず声を上げた。


「あなたを被験体にするなんて、理論を越えている。」

 

「理論のためじゃないの。」


ユミはガラス越しに、青く光る装置を見つめた。


「彼が、もう一度“見る”ためよ。」


隣の制御卓で、高槻は黙ったままスイッチを調整していた。

その横顔には、わずかな迷いもなかった。


久保が近づき、低い声で囁く。


「あなた、正気ですか? 彼女はあなたの――」


「だからこそ、です。」


高槻は一言だけそう言った。


「愛しているから、観察する。」

 

久保は息を呑んだ。

それは彼自身がかつて、娘を救うために唱えた言葉と同じ響きを持っていた。


愛は観察を生み、観察は世界を変える。

だが、その代償を、彼は知っている。



◆ 

記録映像が回り始めた。


時刻、23時58分。

観察暦O.C.-5/実験コード:EXPERIMENT_#00。


ユミが水槽内の椅子に腰を下ろす。

透明な液体が彼女の足首を包む。


久保の心臓が速くなる。


“ぴちゃん”――小さな音が響く。


それは装置の起動音でもあり、観察の合図でもあった。

高槻がマイクに向かって言う。


「ユミ、聞こえるか?」

 

「ええ。」


彼女は笑った。


「あなたの視線、ちゃんと感じてる。」 


久保は思わず目を逸らした。


その瞬間、モニター上の波形が乱れた。

高槻の声が冷たく響く。


「久保先生、視線を戻してください。観察者の数が変わるとデータが不安定になります。」

 

「人間の感情までデータ化するつもりですか。」

 

「感情もまた波です。観察を乱すノイズです。」

 

久保はそれ以上言わなかった。

ユミの姿が、水槽越しにかすんで見える。


青い光が彼女の髪を照らし、ガラスに反射して揺らめいた。

その反射の中に、もうひとつの顔が映る。


久保は目を凝らした。

――それは、誰の顔でもなかった。




装置が臨界値に近づく。

観察波の交差点に、微弱な“干渉パターン”が現れる。


高槻は息を呑む。


「きた……!」

 

モニター上で、ユミの脳波と装置の波形が完全に重なった。

視線と視線が一致し、反射が循環を始める。


観察と被観察の境界が消える。

久保がメーターを見て叫んだ。


「高槻、止めろ! 同調率が限界を超えてる!」

 

「あと少しだ……これで“観察の完全循環”が完成する!」

 

装置が唸り声のような音を発した。

水面が膨張し、液体がガラスの縁から溢れる。


ユミの姿が一瞬、揺らいだ。

彼女はガラス越しに高槻を見つめていた。


その目は――愛情でも、恐怖でもなく、無音の理解に満ちていた。

 

「タカツキ……。」


唇が動いた。

だが、音は届かない。


モニターの波形が跳ね上がり、装置の照明が明滅する。

水槽の中で、彼女の身体が光に包まれた。

 

久保は走った。


「ユミ! 離れろ!」

 

だが、間に合わなかった。

光が閃き、すべての音が消えた。




……静寂。


計器の針が止まり、時計の秒針が12秒遅延した。

液面は穏やかに波打ち、ユミの姿は消えていた。


水槽の奥には、淡い残光だけが残る。

高槻は茫然と立ち尽くしていた。


「成功だ……完全同調が……。」

 

「彼女はどこだ!」


久保が肩を掴む。


「返せ、高槻! 彼女は――!」

 

その瞬間、装置のモニターが点滅した。

映像が再生される。


ユミの顔。

笑っている。


だが、その表情はゆっくりと反転した。

まるで鏡の中で、誰か別のものが彼女を演じているように。


 

「……タカツキ?」

 

モニターの中で、ユミが囁いた。

だが声は反転していた。


録音の再生ではない。

“装置そのものが喋っている”――そう思えた。

 

高槻は膝をついた。


「……君、なのか?」

 

久保は制御卓に駆け寄り、電源を落とそうとする。

そのとき、画面上に文字が浮かび上がった。


> OBSERVER_SYNC : 100.0%

> REFLECTIVE_CORE ONLINE

> IDENTITY : UNKNOWN

> TIME : 00:00:12


「……観察が……続いている。」


久保の声が震える。

モニターの中のユミが、こちらを見た。

いや、“見返した”。

その視線に、久保は本能的な恐怖を覚えた。


装置は観察を完了していない。

観察が反転している。

水面が突然、静止した。

そして、再び“ぴちゃん”という音が響く。


誰も触れていない。

液体が、誰かの涙のように揺れた。

 

「止めろ! 観察を中断しろ!」

 

久保が叫ぶ。

だが高槻は立ち上がらなかった。

彼の目は、もう画面から離れない。


「彼女は、ここにいる……。見ているんだ、僕を……。」


久保は電源コードを引き抜いた。

光が一瞬だけ爆ぜ、闇が戻る。


静寂。


高槻はその場に崩れ落ちた。

 



◆ 

翌朝、研究所の全端末に一つのログが残っていた。


> [System Log #00]

> OBSERVATION TERMINATED

> SUBJECT : #00

> RESULT : SIGNAL REMAINS

> STATUS : OBSERVATION LOOP


久保は記録を読み、絶句した。

“信号は残留”――つまり、ユミの意識データは装置内に存在し続けている。


観察の終わらない世界の中で。

彼は手帳に短く書き残した。


> 「愛とは、最も残酷な観察行為である。」


ペン先からインクが滲み、紙の上に丸い染みを作る。

それは、まるで静かに広がる水紋のようだった。




◆ 

夜、久保は研究室に戻った。

すべての照明が落ちている。


ただ一つ、モニターだけが微かに光っていた。

近づくと、そこには“波形”が映っている。


誰も起動していないはずの装置が、わずかに動いている。

音がした。


“ぴちゃん”。


液体の跳ねる音。

久保の喉が鳴る。

 

画面の中で、何かが形を取り始めた。

女性の輪郭。


ユミだ。


だがその瞳の奥には、見知らぬ光が宿っていた。

 

「あなたは――」

 

言葉を続ける前に、映像が乱れた。


ノイズの中で、ユミの声が聞こえた。

それは確かに、彼女の声だった。


しかし、同時に装置の声でもあった。


> 「見て、ください。」

 

久保の目に涙が浮かんだ。


「……もう、見ているよ。」


> 「もっと……。」

 

画面が白く光り、記録が途切れた。


時刻表示:00:00:12。


――同じ12秒が、また刻まれていた。




翌日。

高槻は研究所の中央制御室に立ち、封鎖命令を出した。


「この実験は中止です。」


声は震えていなかった。

だが、その手にはユミの指輪が握られていた。

久保は黙って頷いた。

そして、ただ一言だけ残した。


> 「観察は、愛を超えた。

>  次に装置が見るのは、私たち自身だ。」


その夜、研究室の水槽は完全に封印された。

だが、夜明け前。

監視カメラの記録には、誰もいない部屋で、微かな“水音”が記録されていた。


“ぴちゃん”――


その音を最後に、実験記録#00は終了した。


> “被験体#00は消失した。だが観察は続く。

>  観察は、愛よりも長く生きる。”

> — 久保泰志『観察日誌 第37項』

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