第1章「視線の音」
本作「REFLECTOR Light Nobels版 ~ Prototype ~」は、短編小説(エピソード0〜9)の内容を再構成し、ライトノベル化した「REFLECTOR Light Nobels版 ~ Observation ~」の前日譚にあたる物語です。
――最初の“観察”は、愛から始まった。
だが、それが「装置」へと変わるまでに、どれほどの命と記録が犠牲になっただろう。
『Prototype』は、後に“観察装置”として知られる《REFLECTOR計画》の原点を描く物語です。
ここで語られるのは、科学と感情が交錯した最初の実験――すなわち、「人間がどこまで“他者を理解できるか”」という禁断の問いに挑んだ研究者たちの記録です。
本作では、知識や理論の背後にある“祈り”や“孤独”にも焦点を当てています。
観察とは、ただ見つめることではない。
そこには、見つめずにはいられなかった理由と、見つめたことで壊れてしまう何かが、必ず存在するのです。
あなたがこの本を手に取った瞬間から、その観察は再び始まります。
――どうか、この物語を「傍観者」ではなく、「記録者」として読んでください。
「ねえ、お父さん。いま、誰かが見てる。」
そう言ったのは、実験室ではなく、自宅の暗い居間だった。
久保泰志は、娘のその言葉を最初は幻聴だと思った。
病室で光を失ってから三ヶ月。
光が見えないはずのその瞳が、誰かを見返すように動いたのだ。
――“見られている感覚”。
人はそれを、恐怖や不安の文脈で語る。
だが久保にとっては、それがすべての始まりだった。
◆
「視線は、音になるんです。」
その一文で始まる論文を、久保は十年前に発表した。
視覚と聴覚の神経回路が同調したとき、人は“見られる音”を知覚する。
これは幻聴ではなく、量子レベルの干渉――そう仮定した。
彼が呼んだそれは、「視線干渉現象」。
論文は学会で嘲笑された。
「霊的」
「オカルト」
――そんな言葉が飛び交った。
だが久保は気にしなかった。
娘の声だけが、真実を知っていたからだ。
◆
ある夜、久保は病室に録音装置を持ち込み、娘の傍で眠った。
静寂の中で、微かな“ぴちゃん”という音がした。
水がないはずの部屋で。
翌朝、彼は波形を解析した。
心拍でも、環境音でもない。
だが音は、人の視線と同期していた。
その翌週、久保は助手を連れ、国立神経科学研究所の実験室に籠った。
視線の向きと音波の相関を測る――それが最初の“観察実験”だった。
壁の向こうから覗く高感度センサーが、光より速く“誰かの視線”を検出する。
結果は異常だった。
視線を向けるたび、装置の水面が震えたのだ。
「光ではなく、意識が揺らしている……。」
助手が息を呑む。
久保は震える指で記録ボタンを押した。
それが“視線の音”――REFLECTOR計画の最初の記録だった。
◆
翌月、研究所に新しいメンバーが配属された。
若くて、冷静で、妙に無表情な男。
工学系出身、名は高槻貴之。
初対面の印象は“透明な人間”だった。
声に抑揚がなく、常に何かを計算しているような目をしていた。
久保の理論書を手に取ると、最初の一行だけを読んで、「意識を波として扱うのは間違いです」と言った。
久保は笑った。
「間違いだとしても、測れるなら正しいでしょう?」
高槻は一瞬だけ、目を細めた。
「では、測ってみましょう。あなたの“祈り”を。」
その夜、彼らは初めての共同実験を行った。
二つの観察装置を対向させ、人間の視線を“干渉波”として記録する。
画面上の波形が重なり、ふたりの視線が一点で交わる。
その瞬間、音が鳴った。
“ぴちゃん”――水が弾けるような、小さな音。
「これは……何の音だ?」
「あなたの視線です。私のも。」
高槻の瞳に、装置のモニターが映り込む。
久保は、その中に自分の目を見た。
鏡のような、反射する世界。
二人はそれを、意識反射と呼んだ。
◆
それからの日々、彼らは研究に没頭した。
久保は「意識反射理論」と名づけ、論文化を進めた。
観察は存在を変化させる。
視線とは、世界を描き換える行為だ――。
高槻はその理論を実装するために装置を設計し始めた。
「観察の原理を証明したいなら、観察を機械に任せるべきです。」
「それは違う。装置に心はない。」
「だからこそ、偏らない観察ができるんです。」
夜を徹した議論は、次第に哲学から告白に変わっていった。
高槻の妻・ユミが研究所を訪れたのは、その頃だ。
彼女は音響学の研究員で、久保の論文に共感していた。
「視線の音、聞こえる気がする」と微笑むその声は、まるで遠い水面に触れるように、静かだった。
彼女が微笑むたび、実験装置の波形が微かに揺れた。
観察と感情は、同じ周波数で共鳴する。
久保はその事実を恐れた。
――観察が、愛情に似ている。
見つめることで、存在を確かめる行為。
それは祝福か、呪いか。
◆
やがて装置の試作機が完成した。
名称《REFLECTOR-α》。
高槻が命名したその言葉に、久保は一抹の嫌悪を覚えた。
「反射する者」。
それは観察対象ではなく、“観察そのもの”を意味していたからだ。
実験当日。
久保は記録席に座り、高槻が装置のパネルを操作する。
ユミは静かに水槽の前に立った。
その顔には恐怖も迷いもなかった。
まるで自らを映す鏡を見つめるように。
「準備完了。反射角、臨界域まで上昇中。」
「――始めてくれ。」
装置が低い唸りを上げる。
空気がわずかに震え、ガラス越しに光が揺らぐ。
ユミの瞳が装置を見つめた。
久保もまた、その視線を見た。
そして、“音”がした。
“ぴちゃん”。
音は、一度だけだった。
だが確かに、誰も水を触れていない。
久保の背中に、冷たいものが走った。
高槻はただ、黙って波形モニターを見つめていた。
その波形は、二つの視線が一つに重なった形をしていた。
◆
翌朝、久保はユミから一通の手紙を受け取った。
“もし、私が見えなくなっても、あなたたちは私を見つけられる?”
文字の下に、水滴の跡が残っていた。
インクが滲んで、形を失ったその跡が、久保には“眼”のように見えた。
――それは、観察が愛に変わる瞬間だった。
彼はその日、日誌にこう書き残した。
> 「観察の音は、誰かを思う心臓の鼓動に似ている。
> だが、その鼓動を止めたとき、世界はどんな音を立てるのだろう。」
この記録がのちに「観察暦 O.C.-10/視線干渉第1報」として《REFLECTOR計画》の正式な出発点に登録されることを、その時の彼はまだ知らなかった。
◆
夜更けの実験室に、ひとり残った久保は、録音機のスイッチを入れた。
静寂。
それでも耳を澄ませると、微かな“水音”が聞こえる。
装置の電源は切れている。
だが、どこかで誰かが見ている。
「……そこにいるのか。」
彼は、闇に向かって問いかけた。
答えはない。
ただ、再び音がした。
“ぴちゃん”。
その瞬間、モニターが勝手に点灯し、記録ファイルに時刻が刻まれた。
00:00:12
――それがすべての始まりだった。
> “視線が世界を揺らすなら、祈りは観察の原型だ。”
> — 久保泰志「意識反射理論ノート(未公開)」




