エッセイ『心が届くプレゼント』
エッセイ『心が届くプレゼント』
プレゼントをもらう機会は、人生の中で少なくない。誕生日、記念日、お祝いの席。形式的な贈り物から、心のこもった品まで、さまざまだ。けれど、本当に心が込められていると感じられるプレゼントは、そうそうあるものではない。
最近、特に印象に残る三つの品物をいただいた。眼鏡ケース、名刺入れ、PC鞄。どれも日常的に使う実用品だ。これらは私にとって特別な意味を持つ。
・ 眼鏡ケース
ブラウンの美しい革製の眼鏡ケースは、手のひらに収まるほどの控えめなサイズだった。蓋を開ける磁気スナップボタンは真鍮色で、開閉のたびにかすかな金属音を立てる。外側の革には細かなステッチが走り、職人の手仕事を感じさせる。内側は起毛したベージュの柔らかな生地で覆われ、レンズを傷つける心配がない。蓋を閉じた状態での厚みはわずか三センチほど。革の表面には、私のフルネームが刻印されている。
このケースは、この世に一つしかない。同じデザイン、同じ色のケースは他にもあるだろう。でも、私の名前が刻まれたこのケースは、唯一無二だ。
遠近両用レンズでは細かな文字がぼやけるようになり、読書やPC作業に支障をきたし始めていた。特に読書は辛くなった。そこで、中近用のレンズで新しく眼鏡を作ったばかりだった。それまでは眼鏡は一本で済んでいたのに、突然二本持ち歩く生活が始まった。無料でついてきたプラスチック製の眼鏡ケースは安っぽく、二つ持ち歩くには嵩張った。
そんな時に、このケースが届いた。驚くほど軽く、鞄の中で場所を取らない。革の質感は使い込むほどに手に馴染むだろう。
・ 名刺入れ
黒い型押しレザーの名刺入れは、表面に細かな斜め格子の模様が施されている。光の当たり具合で微妙に表情を変える、マットな黒。左下には白い文字で「COMME CA MEN」のロゴが控えめに刻まれている。開くと、片側には透明なカードポケットが付いており、もう片側には名刺を収納するスペースと、青いカードがすでに差し込まれている。内側の黒い革も同じ型押し加工が施され、統一感がある。角はしっかりと縫製され、ほつれる気配はない。厚みは約一センチ。手に取ると程よい重みがあり、ビジネスの場にふさわしい品格を感じさせる。
今使っている名刺入れは、十五年間も私と共にあった。角は擦り切れて革がめくれ、色も褪せてきていた。そろそろ新しいものをと考え始めていた矢先に、このコムサの名刺入れが手元に届いた。
十五年という月日は、革製品にとって決して短くない。よく頑張ってくれたと思う。でも、買い替えを決意するには、もう少し時間が欲しかった。そんな私の逡巡を見抜いたかのように、新しい名刺入れは現れた。
・ PC鞄
紺色のナイロン製ブリーフケースは、実用性を追求したシンプルなデザインだ。正面は一面フラットで、上部には黒いレザーの持ち手が二本並んでいる。ファスナーは鞄の周囲を大きく開くタイプで、中身の出し入れがしやすい。表面には目立った装飾はなく、ビジネスシーンに溶け込む落ち着いた佇まい。素材は撥水加工されたナイロンで、多少の雨なら問題なさそうだ。持ち手のレザー部分は手に馴染む柔らかさがあり、長く使えそうな丈夫な作りだ。
そして、ファスナーの引き手には、手作りのネームが取り付けられていた。小さなビーズを繋げて作られた、繊細なチャーム。先端には青い小さな飾りが揺れている。既製品にはない、温もりのある一工夫だ。
「ACE」というブランドは日本の老舗鞄メーカーで、品質への信頼がある。
会社から支給されているPC鞄は、正直言って貧相だった。薄いナイロンでできた簡素な袋のようなもので、とても大切なPCを入れて持ち歩く気になれない。自腹で買うしかないかと、通販サイトで鞄を検索し始めていた。
そこへ、このACEの鞄が届いた。機能的で、しっかりとした作り。これなら安心してPCを持ち運べる。
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不思議なことに、頂くタイミングが絶妙で、不思議な偶然が三度も重なると、もはや偶然とは言えない気がしてくる。
眼鏡を二本持つようになった時、名刺入れの買い替えを考えた時、会社の支給品に不満を感じた時。そのたびに、必要なものが手元に届く。まるで私の心の中を覗いているかのような、絶妙なタイミングで。
贈り主は私の生活を観察しているわけではない。日常会話の中で、何気なくこぼした愚痴や願望を、丁寧に拾い上げてくれるほど、時間を共にしているわけではない。あるいは、私が口に出す前から、必要なものを察知する力があるのかもしれない。
物をもらうことの嬉しさだけではない。自分のことを、もしかして気にかけてくれている——いやいや、それは私の勝手な思い過ごしかもしれない。単なる偶然を、大袈裟に意味づけしているだけなのかもしれない。たまたまタイミングが合っただけで、私が勝手に深読みして感動しているだけなのかもしれない。
それでも、こんな都合のいい妄想を抱かせてくれるほど、絶妙なタイミングで必要なものが手元に届く。この不思議な偶然に、私は深く感謝している。
プレゼントの意味
考えてみれば、プレゼントとは何だろうか。
高価なものが良いプレゼントとは限らない。流行の品や、誰もが欲しがるものが、必ずしも相手の心に響くわけでもない。本当に心が込められていると感じられるプレゼントは、相手の日常を見つめ、その人が今何を必要としているかを感じ取ることから生まれる。
私がいただいた三つの品物は、まさにそれだった。
眼鏡ケースには私の名前が刻まれ、この世で唯一の品となった。名刺入れは十五年の歳月を共にした相棒に代わる、新しい仕事のパートナーとなった。PC鞄は、毎日使う道具への小さな不満を解消してくれた。そして、そのファスナーには手作りのネームチャームが揺れている。
どれも日常の中に溶け込む実用品だが、私の生活に確かな変化をもたらしてくれた。そして何より、これらのプレゼントを通じて、私は自分がある意味、大切にされているという実感を得た。
これ以上の幸せがあるだろうか。
次に私が誰かにプレゼントを贈る時は、こうありたいと思う。相手の日常に寄り添い、その人が本当に必要としているものを見つける。高価である必要はない。ブランド品である必要もない。大切なのは、相手のことを想う時間と、その気持ちが形になることだ。
プレゼントとは、物を贈ることではなく、心を届けることなのだと、私は三つの贈り物から教えられた。
相手に寄り添うとは、こういうことなのだろう。
言葉にならない小さな困りごとに気づき、さりげなく手を差し伸べる。相手が口にする前に、必要なものを察する。押しつけがましくなく、自然に。
プレゼントに限らず、あらゆる人間関係は、こうありたいと思う。互いの日常を見つめ、互いの言葉にならない想いを感じ取り、さりげなく支え合う。そんな関係性の中にこそ、本当の温かさがあるのではないだろうか。
私は幸運だった。こんなにも心に響くプレゼントをいただけたのだから。そして、この経験は私に、人との関わり方の本質を教えてくれた。
次は私の番だ。誰かの日常に寄り添い、その人の心に届く何かを見つけたい。それが物であれ、言葉であれ、行動であれ。




