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3、クノサキ・トウコ

 トウコの学習能力は驚異的なものだった。

 物の名前から始めた言語学習は、2週間を過ぎるころには簡単な会話を試みるまでになっていた。

「おはよう」

「おはよう」

「今日、は、よい、天気」

「そうだ」

「・・・?」

「あれは、太陽、だ」

 幼児程度の会話ができるようになってからは、トウコとの意思疎通は加速度的に深まっていった。

「あなたの名前」

「クラヴィスだ。クラヴィス・シェパード」

「ちがう。ええと・・・」ええと、というのがトウコの国の感嘆符らしい。「あなたのお金、服、生活・・・」

「職業、か」

 わたしは自分の軍服を指さした。

「そう、職業というのね」

「わたしは軍人だ」

「大尉?」

「そうだ」

 わたしと老医師の会話を聞いていたらしい。

「それは順番ね。そのうえは?」

「少佐、中佐、大佐、准将、中将、大将、と続いていく」

「なるほど」

「きみはどうだ」わたしは言った。「故郷では仕事をしていたのだろう。貴族の令嬢ではあるまい」

「令嬢?ああ、偉い人ということね」トウコは笑った。「いいえ、ちがうわ。わたしはただの市民よ。職業は・・・この国には【探偵】はいるの?」

「なんだそれは」

「人、死ぬ、もの、消える、探す、調べる」

「なんだ、警察か」

 女の身で警察隊に志願するとは見上げたものだ、とわたしは思ったが、どうやら違うらしかった。

 さすがに概念の伝達まではうまくいかなかったが、要するに個人で動く民間警官のようなものらしい。では武器を握れるのかと問うと、どうやらそうでもないらしい。

「使うのはここ」

 と、トウコは自分の頭を指さしてみせた。

「ほう。おもしろいな」

「もっとも、今もうまく働くかはわからないけれど」

 脚は言うことを聞かないようだし、とトウコはつぶやいた。

 結局、トウコの動かない脚の原因はわからなかった。言語学習と合わせて、何度かベッドから降りようと試みたことがあったが、結果は芳しいものではなかった。

「故郷にいた時は、脚は問題なく動いていたのだな」

「ええ」

「事故に遭ったのか。それは、きみが書いた二つの国旗の断絶と関係しているのか」

「たぶん。覚えていないわ」

 われわれのあいだでは、【探偵】の意味を取るのに苦労する始末だった。彼女が書き記したあの断絶の意味は、分かるはずもなかった。

「すまないな」

 わたしは言った。

「あなた、今謝ったの?なぜ?」

「きみの脚を治す手立てを見つけられなくて」

「あなたのせいではないわ。あなたには感謝してるのよ、わたし。いつか、そのお返しができるといいのだけど」

 そう言ってトウコは微笑した。

 彼女の体調が回復するにつれて、トウコはずいぶん魅力的な笑顔を浮かべるようになった。それだけに、意思疎通にも移動にも事欠く彼女の現状は、なんとしても改善してやりたいと思った。

 幸い、当てはあった。

 わたしは言った。

「トウコ、わたしは明日、家を空ける」

「あなたが、いないの?」

 トウコが意識を回復して以来、わたしは家を空けたことはなかった。彼女の表情に、不安に満ちた暗い色が満ちた。

「心配するな」わたしは言った。「日が暮れないうちに帰るつもりだ。だが念のため、わたしの知人がこちらにやってくることになっている」

「そ、そうよね・・・」トウコはうつむきがちに言った。「あなたも、ずっとわたしにつきっきりというわけにはいかないものね」

「勘違いをするな。きみを遠ざけたくて外出するのではない。むしろ、きみの問題を解決するためなのだ。なにをするにしても、まずはその脚だ」

「治す方法があるの?」

「残念ながら根本的に治す方法はわからない」

 それは老医師に聞いてもわからないことだった。

「だが、きっときみのためになるはずだ。待っていてくれ」

「そう・・・ありがとう。楽しみにしてるわ」

 トウコは少しこわばった笑みを浮かべた。

「こういうとき、きみの国ではなんと言うのかな」

「果報は寝て待て、かしらね」

 トウコはそう言って笑った。

 トウコは笑うとき口角がきゅっと上がった。妹のミーティアは、むしろ口元は控えめに、目元が優しく下がるのが特徴だった。妹とは似ても似つかないトウコの笑顔に、妹の面影を重ねたのは、わたしがあの一件を消化できていないことの証左なのだろう。

 わたしの戦争はまだ終わっていない。トウコの体調が回復すれば、陸軍本部にも顔を出さねばなるまい。


(4)

 翌朝、約束の時間に彼女はやってきた。

「お久しぶりです。大尉」

 手持ちかばんを提げてお辞儀をしてみせたのは、いつか陸軍本部で顔を合わせたレイカーだった。

 受付嬢だった女性である。

「無理を言ってすまない」

 わたしは言った。仕事柄、女性とは縁遠い人生だったために、トウコを任せるにあたり思い浮かんだのはレイカーしかいなかった。

「いいえ、有給がたまっていましたので。祖国の英雄のためにできることがあるのなら、是非もありません」

「堅苦しいのはやめてくれ。トウコが余計に緊張してしまう」

「トウコ」レイカーは繰り返した。「それがその女性のお名前ですね」

「そうだ」

「素性もわからず、故郷も不明、大病を患っており、わが国の言葉も解さないと伺っていますが」

「簡単な会話なら可能だ」わたしは言った。「だが、それ以外はその通りだ」

「改めて、わたしの仕事内容を伺っても?」

 わたしはうなずき、トウコの部屋に案内した。

「あなたには今日一日、家庭教師兼お世話係をお願いしたい」

 歩きながらわたしは言った。

「お世話係というのはわかりますが、家庭教師とは」

「トウコは賢い。もっと深く意思疎通をはかりたい」

「理由をお伺いしても?」

「彼女の来歴、故郷を知りたい。彼女の帰るべき場所がどこなのか。彼女が望むなら帰国の手段を探すつもりだ」

「それは目的です、大尉。わたしがお尋ねしたのは、大尉がそうすべき理由です」

「・・・何が言いたい?」

 わたしは足を止めた。

「ご家族のことは、ラングレー大佐から伺っております」レイカーは言った。「お悔やみを申し上げます」

「・・・済んだことだ。それに、わたしだけ特別というわけでもない」

 そう。わたしは特別ではない。

 家族を亡くしたのは何もわたしだけではないのだ。

 それは、今回の魔法大戦の死者数を鑑みれば決して強がりでも何でもない、単なる事実に過ぎなかった。【白翡翠の魔法師】の名は、神からの天恵など一切保証しない。もっとも、わたしはアッサム教を信奉してなどいないが。

「仰るとおりです」とレイカー。「前線から帰られた大尉のようにご家族を亡くされた軍人を、わたしは多く見てきました。立ち直った方も、忘れられないままの方も」

「・・・」

「わたしは長年そういった方を見てきましたから、自然と見分けられるようになってきました。心に澱を抱えた方はすぐわかります。目で」

「目」

「前線に赴く兵士と同じ目をしています。怒りの矛先を探すように」


 戦争はまだ終わっていない。


「・・・そうか」

 わたしはどんな目をしている、とは訊かなかった。わたしは無言で歩き始める。レイカーも無言であとをついてくる。

 少し間をあけて、レイカーが言った。

「トウコ嬢の家庭教師の件につきましては、承りました。しかし、成果が出るまでに期間を要すること、ご承知おきください。なにぶんわたしも素人なものですから」

「構わない」

「それから」とレイカー。

「なんだ」

「ラングレー大佐からの伝言です。近々、大尉の昇進が決定する。昇任式には出席するように、とのことです」

 大尉のことを心配しておりました、とレイカーは言い添えた。

 わたしは無言でそれに答えた。そして、トウコの部屋の前にたどり着く。

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