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1、戦争の終結

 形ばかりの妹の棺は軽く、墓標の下には土くれのほかに何も埋まっていない。

 わたしがトウコと出会ったのは、妹の葬儀の晩のことだった。

 だがまずは、わたしが経験した終戦から語らねばなるまい。


 第1次魔法大戦。

 それがこの戦争の名前である。


 魔法の存在が公になって以来、我々の世界は魔法文明を発達させてきた。非魔法技術、トウコに言わせれば「科学」と呼ばれる技術も、共和国を中心に一定の進展を見せていたが、魔法文明のそれは圧倒的だった。

 人知を超えるスピードで発達した魔法文明は、扱いきれないほどの技術の発達を招いた。光があれば闇があるように、驚異的な発展の裏では大きなひずみが生まれ、その結実ともいえるのが・・・

 今回の魔法大戦だった。

 主戦力として魔法が用いられた総力戦は、決着までに2年を要した。


 わたしは終戦を東部前線本部、トートル要塞で迎えた。

 大聖堂の鐘の音がゆるやかに拡散していき、戦場の空気は弛緩していく。従軍司祭が祝詞を言祝ぎ、敬虔なアッサム教徒は武器を置いて祈りを捧げた。

 祈りを。何に?

 戦争を終わらせた“何か”にだろう。戦線は拡大に拡大を重ねてもはや人間の手では収束することができなくなっていた。

 力が尽きるまでの殴り合い。

 それを終わらせてくれた神に、戦場の兵士は祈りを捧げた。

 わたしはと言えば、東部前線本部のテントのなかで呆然としていた。

 そのとき、テント内にはわたしを含む将校のほか、後輩のメイガス軍曹と主任司祭のウィットンがいた。

 戦争が終わったという実感が湧かなかった。最前線で死の足音を生身で感じながら続けていた戦いが、たかが鐘の音程度で終わったなど。

 いまも右手は懐のホルスターにある。収まっているのは魔動式小銃である。

 わたしはテントを出た。焦げ付いた魔力の残滓が鼻をついたが、東部前線本部の空虚でしめやかな空気と比べて不思議と居心地がよかった。

「終わりましたね、クラヴィス大尉」

 メイガス軍曹が後を追ってきた。脇に抱えているのは参謀本部からの暗号電文だろう。

「確かなのか」とわたし。

「ええ、本国によれば第二帝国は我々と中立同盟ソアラ、楊民主共和国による共同勧告を受諾したそうです。一部の地域で突発的な戦闘は続いているようですが、収束は時間の問題でしょう」

 メイガスは懐からたばこを取り出すとわたしに差し出した。

「いや、わたしはけっこう」

「相変わらずかたくなですね大尉も。酒もたばこもなしで、一体どうやってこの2年間を生き延びてきたのやら・・・」

「貴様のほうこそ浮かれすぎではないのか。共同勧告の受諾は、国家主導による戦闘の終結を意味するだけで民衆によるゲリラ戦の終結までは約束していない。戦後処理が完了するまで我々の任務は終わらないんだぞ」

「戦後処理なんて、軍曹である自分の出る幕ではありませんよ。各地の鎮圧だって、後方の支援部隊に任せておけばいいでしょう」

 メイガスは自らたばこに火をつけて一服した。

「貴様のそういう無責任で放漫なところがなければ、いまごろ少尉になっていただろうに」

「いやですよ昇進なんて」メイガスは眉をひそめた。「自分はいい加減、ここから足を洗いたいんです」

「・・・軍を離れるのか」わたしは言った。

「窮屈なところは性に合わないんです。大尉はご存じでしょう」

 メイガス軍曹は、東部前線開戦以来の後輩だった。ひょうきんな性格は確かに戦場にそぐわなかったが、間違いなく魔法師としては有能だった。

「退役後のあてはあるのか」わたしはたずねた。

「ええ、親戚にツテがあるので、そちらに厄介になるつもりです。酒もたばこもとがめられない、悪くない職場ですよ」

「ひっきょう、その二つか」

「それだけが楽しみで軍人やっていましたからね。そういう大尉はいかがなんですか」

「何がだ」

「本国に戻ってやりたいこと、ですよ」

「・・・さあな」

 わたしは遠くを見やった。メイガスは飄々としているようで人を見透かすようなところがあった。

「やっぱりたばこ、一服しときます?」とメイガス。

「結構だと言ったはずだ」

「つれないなあ。本国の恋人との約束ですか?」

「お前にしてはつまらん戯言だな」

「専らの噂ですよ。大尉の禁欲の陰には想い人がいるって」

「・・・」じろりと一瞥。

「おー、くわばらくわばら」

 メイガスは酒に酔ったようにけらけらと笑った。あるいはすでに、かもしれない。

 メイガスはふと真面目な顔つきをした。

「しかし、ね。クラヴィス大尉」メイガスは言った。「これは戦場で2年間をともにしたかわいい後輩の忠言ですがね。あなたは軍を去るべきですよ」

「・・・貴様」

「ふざけているわけではありませんよ。あなたは軍を去るべきだ」

 メイガスは語気を強めた。

「・・・戦友のよしみだ。具申だけは聞いてやろう」わたしは言った。

「恋人のくだりは冗談にしても、この狂気じみた戦場で一切の快楽に手を出さないあなたは異常と言わざるをえない。大尉は真面目過ぎるのですよ」

 メイガスは2本目のたばこに火をつけた。「自分はこうでもしないと生きることをあきらめてしまいそうでした」

「貴様らしくないな」とわたし。

「戦場で自分も相手もないでしょう。転がっている屍を誰が区別しますか」

「少なくとも貴様は一線を画しているように思うが」

「そういうところですよ」メイガスは微笑んだ。「あなたは優しすぎる。わたしから見れば、明らかに戦場には向いていない。高級将校目前の大尉相手には失礼ですがね」

 そのときテント内がにわかに騒がしくなった。祈りが終わり、兵站整理に向けた協議が始まるようだった。

「お呼びですよ、大尉」

 メイガスは言った。わかっている、とわたしは踵を返してテントに戻った。

「忘れないでくださいね」背中からメイガスの声。「あなたは戦争には向いていない。幸い、戦争は終わったんです」

「戦争は終わった」

「ええそうです。本国に帰ったら、そうですね・・・司祭なんてどうですか。軍服よりも白い僧衣のほうが似合いますよ、【白翡翠の魔法師】」

「・・・その呼び名は好きではない」

 戦争は終わった。

 わたしはその言葉を反芻する。それはひどい冗談のようだった。だが、本国に戻ることができる、ということだけはおぼろげながら実感が湧いてきた。

 本国。

 わたしの生まれ故郷。

 妹、ミーティア・シェパードの待つ場所である。


 さて、わたしの感傷をよそに東部前線は急激にあわただしくなった。

 あっという間に一年が過ぎようとしていた。

 わたしが故郷のミーティアに宛てた電報が届くころ、戦争終結に向けた調印式が東部前線を少し過ぎたゲーテルという都市で行われた。陸軍元帥がトートル市街を横切った際は、ひときわ騒がしくなった。

 元帥ほどになればわたしも数えるほどしか顔を見たことはなかったが、興味はなかった。わたしは、拡大に拡大を重ねた前線の収束に忙殺されていた。各師団への電報に加え、輸送用の馬車や鉄道の確保、各都市の自治に関する後始末など、やることの多さにわたしは一時、終戦の虚無感や浮遊感を忘れた。

 やがて、ミーティアから手紙が届いた。丁寧な筆致で書かれたそれには、わたしの無事を喜び帰還を待つ旨がつづられていた。本国に到着するのはいつになるか、とも。

 わたしは妹の顔を浮かべ、そして机上の書類の山を見た。その多くは、拡大した戦線に配属された兵士とその消息、復員に向けた計画表であった。動員された人数を考慮すれば、考えなしに輸送すれば鉄道がパンクすることは目に見えていた。

 これほどに戦線が広がっていたことを、最前線にいたわたしですら把握していなかった。もはや物資補給路は形骸化しており、あと少し戦争が長引いていれば力尽きていたのはどちらだったかしれない。

 わたしは、出征前に見た妹の顔をまた思い浮かべた。わたしに似ず、華奢で温和な顔立ちをしていた。わたしの記憶違いでなければ、三年経った今は十六歳のはず。

 わたしは、仕事のめどがある程度たった段階で後任に引き継ぐと、前線を後にした。本国では帝国スパイによる決死のゲリラ行為が問題になっており、わたしが本国に復帰することにはすでに終戦から一年が過ぎていた。

 開戦から3年。帰国である。


 東部戦線から一路、南西に向かうこと三時間。正午すぎには喧噪にまみれた首都のターミナルに到着した。

 駅舎の喧噪はすさまじいものだった。道ゆく人々の視線はすっと前を向いて、服装こそみすぼらしいが活気にあふれた表情だった。前線では感じることのできなかった復興の足音を力強く感じた。

 わたしはまず、陸軍本部に顔を出すことにした。午後二時には、下女のアンナがミーティアを連れて首都にやってくることになっている。

 妹は開戦まもなく内陸西部の農業地帯に疎開していた。軍事的価値の低い西部には戦火が及ばないだろうというわたしの予想は当たっていた。

 妹に会いたいというはやる気持ちをおさえつつ、陸軍本部に出頭した。

 陸軍本部は首都郊外のビルを丸々一棟買い上げてあった。一階のゲートをくぐると、正面に受付、その左右に半弧をえがくように魔力検知機が備えられている。

「いらっしゃいませ。まずこちらでご登録をお願いします」一階の受付係の女性は、戦前と顔ぶれが同じだった。「お久しぶりです。クラヴィス大尉。ご壮健でなにより」

「ありがとう。そちらこそ無事で何よりだ。ええとーー」

「レイカーと申します」

 受付係は優雅にお辞儀をした。

「ミス・レイカー」

 わたしは魔力検知機に手のひらをあてる。十数秒で検知が完了し、わたしの魔力波形を受付係がパンチカードの情報と照合する。

「けっこうです。ラングレー大佐は7階でお待ちです」とレイカー。

 わたしは礼を言って階段を上がった。7階の静かな廊下をぬけた突き当りの一室が大佐の執務室である。陸軍は伝統的にノックは二回。

「入りたまえ」

 野卑で野太い声。扉を開けた先のデスクで葉巻をふかしているのがラングレー大佐である。

「おお、クラヴィス大尉」ラングレー大佐は破顔した。「東部防衛戦以来か。しばらくだったな、【白翡翠の魔法師】」

「お久しぶりです、ラングレー大佐」

 もし陸軍士官募集のビラをつくるとして、陸軍代表として誰を掲載するかと問われれば、多くがラングレー大佐と答えるだろう。絵に描いたような軍人。それがラングレー大佐だった。

 黒い口髭と隆々とした体格、座ってもわたしと視線の高さが変わらない上背。軍人として理想的と言える骨格をもったラングレー大佐は、しかしその図体と粗野な口調に似合わず知性派で知られていた。胸や肩に下げている顕彰の数は、戦場だけでは稼げない数である。

 わたしはラングレー大佐の前で敬礼する。

「東部前線ではお世話になりました」

「やめろ敬礼なんぞ、しゃらくさい」ラングレー大佐はうとましげに手を振った。「知らない仲ではないだろう」

「では、失礼して」わたしは微笑した。「変わりませんね、大佐」

「貴様も相変わらず報道官のようなきれいな面だな」ラングレー大佐は言った。「まったく、東部前線帰りとは思えんな」

「誉め言葉として受け取っておきます」

 するとラングレー大佐は口角を上げた。「そうそう、それくらいの生意気さでちょうどいい。こっちは杓子定規なやつらばかりでかなわん」

 ラングレー大佐は短くなった葉巻を灰皿に押し付けると、二本目に火をつけた。

「貴様も吸うか」

「わたしはけっこうです」

「それも相変わらずだな」ラングレー大佐は紫煙をくゆらせた。「では、本題に入ろう。東部前線の状況は」

「治安部隊を残して、ほぼ全員の撤収が完了しております。死体と兵員名簿の照合にはいましばらくの時間がかかるかと」

「いましばらく、か」ラングレー大佐は嘆息した。「永遠に、の間違いではないのかね」

「しかし、やらないわけにはいかないでしょう」

「わかっておる」ラングレー大佐は葉巻をかみつぶした。「そのほかは?」

「現時点でご報告できることは以上かと」わたしは言った。

「ふむ。では、今度はこちらの状況だな」ラングレー大佐は言った。「本国の状況について、貴様はどこまで知っておる?」

「ほとんどなにも。帝国スパイが自爆行為をしていることは聞き及んでいますが、一定の収束を見せているとか」

「なけなしの軍事費をはたいてな」

 ラングレー大佐はデスクの上の書類の山を見やった。階級こと大きく異なるが、東部前線のわたしと大して変わりない。

「困ったもんだよ、クラヴィス大尉」ラングレー大佐は言った。「戦時中は湯水のように資金をそそいで、我々を馬車馬のように働かせていたくせに、戦争が終わったとたん、平和だ復興だ軍縮だと馬鹿の一つ覚えのように・・・」

「大佐」

「・・・失礼。愚痴をこぼす相手にも事欠く状況でな」

 ラングレー大佐は大きなため息を一つこぼした。

「本部に増員を要請しては?」わたしは言った。「前線帰りが手持無沙汰で仕事を待っているでしょう」

「馬鹿を言え。その逆だ」ラングレー大佐は言った。「前線帰りで継続して軍属を希望している人間は驚くほどわずかだ。貴様くらいのもんだよ。東部前線の同輩で軍に尽くしてくれる人間は」

 退役者が続出しているという話は初耳だった。しかし、考えてみれば自然な流れと言える。今回の魔法大戦は、魔法師を主力としたこれまでに類例のない規模の戦争だった。

 広がる戦火、想像を絶する死闘、隣で戦っていた同胞が死に自分が生き永らえたのは、ちょっとした魔力指向の差異、ただの偶然にすぎない。

 そんな戦争だった。

 わたしはふと、メイガス軍曹の顔を思い出した。彼は一足早く本国に帰還していたはずだ。親戚を頼って軍を離れると言っていたが、今頃何をしているだろう。

「貴様は違うだろうな」

 ラングレー大佐の言葉に、わたしははっとした。

「失礼、今なんと?」

「貴様は軍に残るだろうな、と言ったのだ」ラングレー大佐は言った。「殺伐とした軍を離れて田舎に引っ込みたい、というセリフは聞き飽きたのでな」

「・・・わたしの戦争はまだ終わっていません」

 わたしの言にラングレー大佐は満足げにうなずいた。

「それでこそわが戦友だ。つくづく大尉にしておくには惜しい人材だな」ラングレー大佐は言った。「クラヴィス大尉、貴様の判断は間違っていない。貴様は軍に残るべき人材だ、【白翡翠の魔法師】よ」

 それは、どこかで聞いたようなセリフだった。

 わたしが嫌いなその呼び名も、あるいはわたしの行く末の暗示も。

 しかし後者については、メイガス軍曹はまったく逆のことを言っていた。わたしは軍に向いていない。わたしをよく知る二人の人間が正反対のことを言っている。どちらを信じるべきかという指標をわたしは持ち合わせていない。

 一つたしかなのは、わたしのなかに終戦の実感がないということだ。

 それだけを頼りに、わたしは軍属を続けている。

 ラングレー大佐は「そのうち少佐昇進を進言してやる」と冗談とも本気ともとれるセリフを残して、その日の面会は終了となった。

 一階の受け付けで魔力検知機をくぐって時計を見れば、午後二時はまもなくだった。わたしは馬車の乗り継ぎ場へと急いだ。すでに妹が待っているはずである。

 陸軍本部のある郊外から中心部へ戻ること数刻、ひときわ喧噪の激しい乗り継ぎ場が見えてくると、馬に特有の汗じみた匂いが漂ってきた。

 そういえば戦場では馬を使わなかった、と考えたそのとき、耳をつんざくような爆発音と視界を覆うような閃光がとどろいた。主観的な視点では、一瞬にして視覚と聴覚を失ったような感覚であった。

 その場にあった人の多くは、状況が把握できず呆然と立ち尽くした。一部の人だけでも危険を鋭敏に察知してその場で防御姿勢を取ることができたのは、戦争の副産物と言えよう。

 わたしはと言えば、一瞬にして東部最前線に立ち返っていた。馬車の残骸に身を隠して魔動式小銃を構えると、周囲の敵影を探した。

 自然現象ではないことは間違いなかった。だが、使用された魔法の詳細がつかめない。

 後にトウコに聞いたところによると、トウコの世界では魔法とは空想の産物だという。それが才能の産物であるか、努力の賜物であるか。遺伝的か後天的かは語り部の都合によると言うが、我々の世界では、才能4割努力6割といったところである。

 何より特徴的なのが、魔力とは換言するところ「現実への干渉」に集約されるということだ。つまり、ないものを出すことはできない、ということである。

 運動物を加速させることはできるが、瞬間移動はできない。

 あるものを分解することはできるが、増殖はできない。

 トウコは「実体を持つ有機物、無機物の性質を変数的に操作すること」と解釈していた。小難しい言い回しはトウコらしいが、実際のところ、魔法はそう単純ではない。

 現実に干渉するということは、現実の態様を深く把握することが前提である。魔動式小銃を使いたければ、基礎的な銃のメカニズムと弾丸の形状把握が不可欠なように。

 たった今の爆発に照らせば、爆発源に加えてそれをごまかすような閃光が3発、我々の視界を奪った。爆発はともかく閃光の着光剤はなんだろう。

 陸軍本部に戻るべきか。人民救助には間もなく警察隊が来るはずである。

「クラヴィス様!」

 引き返そうとした足を止め振り返ると、下女のアンナだった。戦争のあいだにずいぶんと老けたようだが、面影は確かだった。

「アンナ!」

「クラヴィス大尉様!いえ、もう少佐になられておりますか」

「まだ大尉だ」

「さようでしたか・・・い、いえ!そんなことより」アンナはまくしたてた。「ミーチャを見ませんでしたか」

 わたしは愕然とした。

「なんだと!?」

「ミーティア様です。つい先ほどまでは一緒だったのですが、わたくしが席を外したばかりに・・・このアンナ、面目の次第もーー」

「そんなことはどうでもよい!」

 もはや魔法の詳細もアンナとの再会もどうでもよかった。陸軍大尉としての体裁も、警察隊の面目も。

 足に軽く魔力を注いで跳躍。荷馬車のうえからミーティアの姿を探す。3年前の妹の姿、今はどれほど変わっているのだろう。爆発の混乱で人々の顔を識別するのは難しい。

 怒号、絶叫、悲鳴。

 女の悲鳴はだれかの名前を叫んでいる。呼ばれた相手は返事をしない。

「・・・」

 戦場では感じることのなかった感情のささくれが、徐々に大きくなっていく。あれだけ戦場で人の死にざまを見てきたのに、妹の死に姿を想像することはわたしにはできなかった。

 魔力のリミッターを外すと、すっと視界から色が消えていった。


(2)

「まったく、貴様らしくないことだと思えばーー」ラングレー大佐はそびやかしていた肩を深く落とした。「こういうことだったか」

 場所は陸軍本部――ではなく、町はずれの戦没者墓地の一角である。

 ようやく物語は冒頭に戻ってきたわけだ。

「ご迷惑をおかけしました」わたしはつぶやいた。

「やめろ、しゃらくさい」

「しかし」

「くどい!」ラングレー大佐はぴしゃりと言った。「貴様の魔力暴走は、爆破テロの鎮圧の功績を合わせてチャラだ。わたしが出る幕でもなかった」

 先の爆破事件は、ラングレー大佐の暗躍によって陸軍主導で調査された。その結果、一人の帝国人の姿が浮かび上がった。もっとも、我々の眼前に現れたころには四肢が四散した、見るも無残な有様だったが。

 自爆テロである。

 もともと、わが国に帝国スパイが潜入していることは、複数筋の調査によって判明していた。彼らの摘発も戦後処理の一環として行われていたが、彼らの一人が最後の仇花として首都でのテロをもくろんだ。

「すでに陸軍本部はこの一件を解決済みとして処理している」ラングレー大佐は葉巻を取り出した。「貴様が案ずることは何もない」

「すでに終わった、と」

「その通りだ」

 そう言ってラングレー大佐は煙をふかした。「貴様もやるか?」

「いえ、けっこうです」

「潔癖も行き過ぎれば身体に毒だぞ」

「・・・妹との約束ですから」わたしは言った。

 ラングレー大佐はため息をついた。「貴様の想い人のうわさは耳に入ってはいたが、出征前の身内との約束を律儀に守るとは【白翡翠の魔法師】とはよく言ったものだな」

「その呼び名はあまり好きではありません。それに」わたしは言った。「もはやわたしにふさわしいとも言えないでしょう」

 翡翠という石がある。

 世にさまざまある鉱石のなかで、その硬度に合わせて階層分けしたとき、翡翠はその最上位に来るという。

 傷つかない石。

 特に不純物の少ない翡翠は、その純度から乳白色になるそうだ。

「前線にあって傷一つない軍人、【白翡翠の魔法師】」ラングレー大佐はつぶやいた。「わたしは嫌いではなかったがな。貴様の優秀さをよく表している」

「本部の引きこもりとよく揶揄されたものです」

「それは前線を知らぬ軟弱者のたわごとだ。実際には、誰よりも最前線で戦っていたのが貴様だ。東部前線を維持できたのは貴様の働きが大きい。誇るべきことだ」

「しかし、そんな誇りなどもはや・・・」

「クラヴィス大尉!」

 ラングレー大佐は二本目の葉巻を差し出した。「やりたまえ」

 わたしは一瞬ためらって墓標に目をやった。ミーティア・シェパードの碑文。しかしその下は空っぽであることを思い出して、葉巻を受け取った。

 ラングレー大佐はわたしの葉巻に火を分けつつ、

「クラヴィス大尉」

「はい、大佐」

「味はどうかね」

「うまくはありませんね」

「最初はそんなもんだ」

 ラングレー大佐は笑った。やがて真面目な顔つきになり、

「クラヴィス大尉」

「はい、大佐」

「貴様の戦争は終わったかね」

「・・・わかりません」わたしは言った。「わたしは、士官学校に志願したときに両親の隣に眠ることをあきらめました。わたしの墓は戦場になるのだと。だが、妹は・・・」

 3年前に見た妹の姿は、少しずつおぼろげになっている。出征前に写真を撮っておくべきだったと今更ながらに後悔した。

「妹は、幸福な人生を歩むと思っていました。火薬や魔力残滓の匂いとは縁のない場所で、平凡でも小さな幸せを一つずつ拾い集めるような人生を歩んでくれると。それなのに、まさか亡骸のない空の棺を背負うことになるとは・・・」

 ラングレー大佐は何も言わなかった。戦没者墓地が静寂で満たされた。

 客観的にみれば、戦争が引き起こした数ある悲劇の一幕にすぎないのだろう。それは、ここ戦没者墓地の墓標の数が証明している。

 だがわたしは、終戦から3年たって初めて、そうした客観性の無意味さを知った。戦争には独立した主観が人間の数だけあるばかりで、客観性を帯びたものは何もない。

「ラングレー大佐」わたしは言った。

「なんだね、クラヴィス大尉」

「・・・敵は、いったいどこにいるのでしょう」

「知らんな」ラングレー大佐は答えた。「しかし、一つだけ確かなことがある。敵の正体が分かるまで、あるいは貴様の戦争が終わるまで、貴様は軍に残るべきだということだ」

「・・・」

「とはいえ、しばらくは休息をとるべきだろう」ラングレー大佐は葉巻の火を消した。「そのあいだに、わたしはおまえを少佐にねじこんでおく。こたびの戦争の功績と今回の自爆テロの鎮圧を利用すれば、そう難しい話ではない」

 ラングレー大佐はわたしの肩をたたいて戦没者墓地を去っていった。

 残されたわたしは、しばらく墓標の前にたたずんでいたが、やがて帰路についた。そこには妹はおらず、少なくともここに敵はいないことに気付いたからだ。

 トウコと出会ったのは、その帰り道のことである。

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