9.誘拐の手立て
「やっと静かになったなぁ」
〈ジャバーウォッキー〉一行の馬車の手網を握っているのは、グループ一穏やかな性格をしているマーティンだった。さっきまで馬車の中が騒がしかったのだが、落ち着いたのでほっとしてマーティンは言った。
騒ぎは彼らにとって日常茶飯事だったが、大通りや人とすれ違うときに彼らに注意しなければならないのはいつもマーティンだ。彼の隣には、簡素なワンピースを着たヘーゼルが座っていた。マーティンの穏やかな性格と、男たちの中に放り投げないことを考慮してのことだった。
「ルーカスさまのお声も聞こえておりました」
ヘーゼルがささやくような声で言った。ヘーゼルは何を喋るにも、切なげで今にも消えそうな声を出すのだった。
「仲良くなられたのでしょうか……」
「ルーカスといえば、さっきから気になっていたんだけど」
マーティンは手綱を握ったまま問うた。
「なんでございましょう?」
「あんたは、ルーカスの何なの?」
侍女のようなものですわ、とヘーゼルは答えた。
「いや、それはわかっているけど……。こう、俺にはきみらが親密そうに見えたから」
ちらりとマーティンがヘーゼルの顔をうかがったが、彼女の表情は変わらなかった。
「わたくしは、ルーカスさまのおじいさま……ご存知かもしれませんが、アルフレッドさまのもとで働いておりました。それが二年前に突然、別邸にひとりで暮らしていらっしゃったルーカスさまのお手伝いをするように言われたのです」
「あんただけで?」
「はい……」
ヘーゼルは表情を変えず、前を見ていた。
「もしかしたら、そういう意図もあったのかもしれませんね。ですが、わたくしもルーカスさまもそういう気はおこしておりません。そもそも、そんなことは邪推で、わたくしの性格がルーカスさまのお邪魔にならないと判断して置くことにしただけかもしれませんしね」
「ふうん。ぶしつけなこと聞いたな」
「いいのです」
「商家の事情はよく知らないが、大変なんだな」
「わたくしも深く踏み入りはしないのですが、大変です」
ヘーゼルは悲しげな顔をした。
「アルフレッドさまの呼ぶ人は変わり者が多くて。手元に置こうとしたものほどその傾向が強いかもしれません」
「それじゃ、ルーカスもその理屈に当てはまるが」
「まあ、ある意味では……」
ヘーゼルは片手に頬を添えた。
「わたくしにもあの方がよくわかりません。ですが、いつもどこかに何かを隠しておられるような不思議な雰囲気をお持ちです。応援したくなりますものね」
「へえ、そんなもの?」
マーティンは、やっぱりヘーゼルが恋をしているのではないかと疑いかけたが、それにしてはヘーゼルの口調はさらりとしていた。それを見透かしたように、ヘーゼルは付け加えた。
「どなたでもそう感じます、きっと」
*
馬車はときどき騒がしくなりながら、順調に進んで行った。しばらくすると、すぐに王路につながる道に出た。このまままっすぐ行けば、王路に合流する。王路は、首都クアレールの中心の王宮から、南、東、西に三本伸びた大きな道だった。ウィンバーのはずれには、西の王路がある。関所が一定間隔で設置してあったが、ルーカスたちが待機するのは、関所を過ぎてしばらくしたところにある平原の中の道の予定だった。王路からは運搬や交通のための道がいくつも枝分かれしたが、そのもっとも使われていない道を進んでいた。
「あんたたちは白髪翠眼の娘について、どこまで聞いてるんだ」
ルーカスが気になって聞いた。ジルが答える。
「何にも。詮索しないのが俺たちの売りだせ」
言外に、面倒ごとには関わらない、と言っているようだった。
「でも、白い髪なんて見たことないよな」
チャドが言った。
「おれ、そんなやつがいたら見てみたいなぁ」
「おがめることにはおがめるだろう」
仲間のうちの一人、バリーが言った。
「そいつをさらうんだからさ」
「人売りするんだろうな」
もう一人の仲間、ケイシーが言ったが、ルーカスはすぐさま否定した。
「じいさんはそういうの嫌いだよ。そんな商売はやらない」
「でも、そうしたら何のためにわざわざ軍の馬車なんて襲うんだ?」
「聞いた限り異民だろう。それを使って国に喧嘩売るくらいしそうじゃないか」
ルーカスが考えていたことを、ジルが言ってしまった。ルーカスが驚いて顔を上げると、ジルは笑みを浮かべていた。
「少し面白そうな気がしてきたな」
ジルは思慮分別あるようで、かなりの気分屋らしい。興味のあるほうへ、深く考えずに飛びつくのだろうとルーカスは思った。祖父を裏切り、彼らが娘を利用するのだろうかと懸念したが、祖父の信頼したグループだと思い直した。
「ところで、〈ジャバーウォッキー〉という名前はだれがつけたんだ」
ルーカスが聞いた。年少の男子がつけそうな名称が、ずっと気になっていたのだ。
「ああ、ジルだよ。名前のことは、ずいぶん揉めたよね」
チャドが言った。ケイシーがうなずく。
「〈ワイバーン〉か〈ジャバーウォッキー〉で揉めたんだ」
「今考えても〈ワイバーン〉の方が良かったぜ」
バリーが苦々しげに言った。
「チャドも〈ワイバーン〉派だったのに。それをジルが〈ジャバーウォッキー〉でごり押ししちまったせいで」
「うるさいなあ。多数決じゃないか」
ジルが勝者の笑みを浮かべた。
「俺と、マーティンと、ケイシーが〈ジャバーウォッキー〉。チャドとバリーが〈ワイバーン〉。チャドは中立より。文句はなしだろ」
バリーはジルをにらむと、むっつり黙り込んでしまった。
「名前は未だに大きな論争なんだ。おれは〈ジャバーウォッキー〉もかっこいいと思うから異論はないけどね!」
チャドがルーカスに耳打ちする。
「で、ルーカスはどっちがかっこいいと思う?」
残念ながらチャドのよく通る声は全員に聞こえており、メンバーはいっせいにルーカスの方を見た。
どっちもださいと思う、とは口が裂けても言えなさそうな雰囲気だった。
*
ルーカスが返答をはぐらかして後、王路に近づいてきた。馬車を隠すものも何もない開けた場所なので、王路とつながる道から少し手前のところに馬車を置き、標的が来たときにタイミングよく馬車を動かす手はずになった。ジルは実に手際よく指示をした。仲間のほうでも、すべてを心得たふうにうなずき、迷いがなかった。
「ルーカス、おまえも手伝え。その時になって指示するから」
「もちろん。身内が身綺麗でいるわけにいかない。ヘーゼルは待機でいいね?」
「うん。彼女は馬車の中で待機。いざとなったら機転をきかせてどうにかしてくれ」
「ずいぶん信頼するんだな」
ルーカスは驚いて聞いた。さっきからジルの指示は、大ざっぱなことは決めるものの相手にゆだねる部分が多かったのだ。
「できないと思うやつには言わないよ。できなかったらどうすりゃいいのか俺が言うし、もしマズイことになったのなら、そのとき助ける」
「そういうものなのか」
「そういうもん。俺たち仲間の信頼と経験もあるけどね」
今から人さらいをするとは思えない陽気さで、ジルは腰に手を当て、王路の西の地平線に目をやった。もうすぐ夕暮れに近く、空がオレンジ色に染まっている。太陽の反対側、東を見ればすでに夜の藍色をしていた。
「日没直前がいいな」
つぶやいたジルの隣に並んで、ルーカスも西の地平を見つめた。
「もう、暗くなってきた。早いな……」
ルーカスが、暗くなった地平線を見て顔を曇らせた。日没は、こんなに早かっただろうか。
「いや、違う」
ジルが突然、緊張した声を発した。
「あれは雨雲だ」
遠くから雨の白い線が見えた。不思議なことに、雨はこちらに近づいてくる。予知したように風が吹き、不穏な強さでルーカスたちの足もとの草をざわざわと揺らした。目を凝らすと、黒い布を張った馬車のようなものが小さく見えた。
「来た。乗れ!」
ジルの指示で、馬車を降りていた者は急いで馬車に飛び乗った。
「行くぞ」
ジルが短く言い、馬車の中には、静かな空気が流れた。
間を置かず、馬車の車輪が回りだした。