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嵐が丘の娘  作者: ON
1章 〈嵐が丘〉からの逃走
6/13

6.〈嵐追い〉

 雨はいよいよ土砂降りと言っていい段階に入った。ざあざあという雨がひっきりなしに地面に叩きつける音は、メイベルにとって聞き慣れた音で、どこか心地よささえ感じた。いつもの風景だ。


「雨を見ると、やっぱり安心するわね」

「馬鹿言え! 雨が好きなやつなんているかよ」


 御者台でずぶ濡れになっているギディオンが言った。


「これで風も吹いてくれるといいんだけど」


 ギディオンは、雨が降っても呑気にしているメイベルを見て不審そうな顔をした。


「おまえ、変なやつだな。縁起でもないこと言わないでくれ。馬車が倒れるぞ」


 しかし、それからはメイベルの言う通りになってしまった。風が吹き始め、まさしく嵐と言っていいような天候になったのだ。帆の張ってある荷台にも雨は容赦なくさしこみ、メイベルもずぶ濡れになっていた。


「くそ、さっきまで晴れていたのに。どうして急にひどい天気になるんだ」


 大変そうにしているギディオンをよそ目に、メイベルは通常どおりだった。頬に当たる雨さえ心地よかった。


(わたしは、ほかの人が感じるようには雨も風もいやなものに感じない)


 丘を出たばかりなのに、故郷が帰ってきたようだった。〈嵐が丘〉にいるときから、嵐そのものが故郷ではないかという気がしていた。丘は仮の居場所で、幾重にも折り重なった、分厚くて黒い雨雲の向こうに自分の居場所があるような、そんな気がしていた。そんな風にぼんやりと考えごとをしていると、遠くからメイベルの名前を呼ぶ声が聞こえてきた。メイベルがふいと顔を顔をあげると、大雨のなかを薄茶色の影が飛んできていた。


「ヘンジー!」


 荷台の後ろ側へ這っていき、転がり込んできた小さな体を出迎えた。


「ヘンジー! 無事だったの!」


 ギディオンは後ろが何かあったことが気になるようだが、大雨のせいで後ろを振り向くことができないようで、ひたすら馬車を走らせていた。ヘンジーは体をふるわせて滴を落とすと、間髪入れず訴えた。


「まずいよ、メイベル! 〈嵐追い〉が来てる!」

「なんですって?」


 メイベルの顔から血の気が引いた。


「天候が悪くなりはじめたから、そうじゃないかと言う気がしたんだ」


 ヘンジーはあえぎながら言った。


「どうして? 天候が何か関係あるの」

「きみは嵐を呼ぶから」

「嵐を呼ぶ? そんなことした覚えはないわよ……」


 だいいち、嵐を呼ぶなんて真似ができるはずない。


「無意識で怖がっていたのさ。危険を察知してね。それで、嵐がきみを守ろうときみのもとへ集まってくるんだ」

「そんな……」


 メイベルは、自分の機嫌ひとつで嵐を起こしてしまうことにおぞましさを感じた。


「それが〈嵐が丘の娘〉の力?」

「その一部だよ。メイベル、きみはあまり取り乱さないようにしなくちゃならない」

「そんなの……」


 できるわけがない。冷静に告げるヘンジーとは反対に、メイベルの感情は乱れていった。急に恐ろしくなり、メイベルの手はふるえた。


「〈嵐追い〉はどこまで来ているの?」

「嵐の範囲内には来ていない。逆に言えば、嵐がおさまってきたら〈嵐追い〉が近づいたという証拠だよ」


 メイベルは遠くに目を凝らした。遠くまで雨が降っていたが、かすかに明るく、陽の光が雲の隙間から一筋刺しているのが、針のような大きさで見えた。


「あれじゃあ、すぐ近くに来るじゃない!」

「メイベル、落ち着いて」

「無理よ。怖いの! あれだけには捕まりたくないの」


 メイベルが叫んだとたんに、再び嫌悪感のようなものが体をしばりつけた。息苦しくなるような、締めつけられるような不快感。寒さで震えがとまらない。


 ギディオンが、メイベルの様子がおかしいことに気づいた。


「どうした! 何があった」

「馬車を止めないで、お願い!」


 メイベルの迫力に、ギディオンは黙って馬を走らせた。嵐は、尋常の嵐ではなくなっていた。風はつむじを巻き、馬車の荷台は何度も倒れそうになる。雨も痛くなるような強い雨が叩きつけたかと思うととたんに小雨のような弱さになり、そしてまた強くなることを繰り返した。


 メイベルが腕を抱いて耐えていると、ふっと辺りが静かになった。雨が文字通り、ぴたりと止んでしまったのである。灰色の雲が、メイベルたちの走ってきた道を中心に分かれて、間からは青空と、陽の光がさした。


(だめだ。もう)


 顔を上げなくても、晴れはじめたことがわかった。メイベルは恐怖を通り越して、落ち着いていた。もう逃げられないことがわかったからだった。


「ギディ。わたしとは無関係だと言ってね」


 そう言うと、メイベルは速度を落とした馬車から飛び降りた。


「おい、待て、嬢ちゃん!」


 ギディオンを無視して、メイベルは来た道と反対へ歩いていった。斜め後ろにはヘンジーが飛んで、ふたりはしばらく進む。すると、目の前に馬と、馬を引いて歩く人びとの軍団が見えた。彼らは黒く長い外套のようなものをひらひらさせ、急いで追いかける様子もなく、ゆっくりと歩いてくる。メイベルがそこにいることを、わかっているのだった。


 両者は一定の距離を保って対峙した。黒い軍団の背後には晴れた青い空があり、メイベルの背後には薄暗い雨雲が控えていた。


「あなたが〈嵐が丘の娘〉だな?」


 先頭の、短髪で黒髪の憮然とした男が聞いた。彼は細身でいかにも冗談の通じなさそうな、きつい雰囲気を醸し出す男だった。


「私は天候整備班のグラナスだ。今代の〈嵐が丘の娘〉。クアレールまで来てもらう」

「天候整備班?」


 メイベルは眉をひそめた。グラナスは無表情のまま答えた。


「〈嵐追い〉と呼ばれているようですね。あなたたちには」

「あなたたち……何のためにわたしを追うの」


 メイベルは硬い声でたずねた。グラナスが答える。


「さて。〈王〉がそう仰せですからね」

「〈王〉が?」

「無駄話は無用です。そこの、向こうの男は誰ですか」


 グラナスはやや離れた場所で止まっている馬車に目をやった。ギディオンは馬車を降り、こちらの様子を見守っている。


「あなたたちが追ってくるから、逃げるため乗せてもらってたの。関係ない人よ」


 メイベルは責める声音で言った。メイベルの態度に、後ろに控えている黒服の仲間たちが眉をひそめた。しかしメイベルは虚勢を張っているのだった。今も恐怖でいっぱいだった。肩にのっていたヘンジーが口を開いた。


「よくやってきたね。〈王〉も飽きないもんだね」


 ぎろりとグラナスがヘンジーをにらんだ。


「だまれ、フクロウ。相変わらず小賢しい」

「お褒めの言葉どうもありがとう」

「いまお前をここで殺してもよいのだぞ」


 グラナスがすごんだが、ヘンジーは肩をすくめるだけだった。


「やれるもんならやりな。〈女王〉は執念深いから、あとが怖いけどね」

「その名前を口にするな」


 グラナスが剣を抜き、ヘンジーに向けた。メイベルは血の気を失いながら身を引いた。


「ヘンジーに変なことしたら、許さないわよ」

「これは失礼」


 失礼とは微塵も思っていない様子で、グラナスは剣をおさめた。


「しかし、あなたはなかなか気丈だ。先代はおとなしい方でしたが」

「あまり怒らせないでくれる?」


 メイベルが睨みつけると、グラナスは「おお、こわい」と言ってみせた。


「嵐を呼ばれてはたまりませんからね」

「隊長。はやく捕らえるべきです。何をするかわかりません」


 グラナスの後ろにいた、赤髪の若い青年が囁くように助言した。メイベルはそれを聞いて、かっとなった。


「何をするか分からない、ですって? まるでわたしを人間じゃないみたいに」

「では、その白髪はなんだ。緑色の目も。異人のあかしだ。人間づらをするな、嵐の娘」


 青年が疑心たっぷりの目でメイベルを見た。メイベルの黒い頭巾はいつの間にかとれ、白髪が風になびいていた。


「メイベル、クアレールのとくに中心部あたりは、血にこだわるやつが多いのさ」


 ヘンジーがすかさず言う。メイベルは、自分でも意外なことに、青年の言葉に傷ついていた。今まで、白髪は珍しがられたり、からかいの種になったりすることはあっても、人間扱いをされなかったことはなかったからだ。


「気にするな。真に受けたほうが負けだ」


 そうね、とメイベルはかすかな声で返した。「怒るだけ無駄ね」

 グラナスは咳ばらいをした。


「失礼した。少なくとも私には、あなたがたの血を侮辱する意図はない。異民の血が流れるのは私も同じですからな」


 グラナスに睨まれた若者は震え上がった。


「し、失礼しました。隊長を侮辱するつもりは……」

「文明の国ハイオネストが術を使えるのは、異民による技術のおかげだ。私はあくまでその技術を使おうとする〈王〉の命で動いているに過ぎない。異民の血を引きながら忠誠を捧げているのだ」


 グラナスは剣を目の前の土に立てると、メイベルの目を見た。


「私たちの術は、きみたちの嵐の力とは真逆だ。制御し、コントロールするための術」

「それが、どうしたの」


 メイベルは何かの予感を感じ取って後ずさった。


「きみの力は術とも呼べない。ただ暴力をふるうだけの、不明瞭で幼稚で混沌とした、愚鈍ななにかである」


 グラナスが声高に叫ぶと、あたりの空気が泥のように重くなった。追われているときに感じていた嫌悪感が一気に降りかかったような感じだった。具合の悪さを覚え、メイベルはひざをついた。手先が氷のように冷えて、力が入らない。頭もぼんやりして、難しいことを考えられなかった。ヘンジーは地面に転がり、ぐったりと目を閉じていた。


 異変を察知したギディオンが、遠くから駆けてくるのが見えた。


(来てはだめ)


 そう思いながら、メイベルの意識は遠のいていった。地面に倒れこむ直前、軍人たちがメイベルのもとへ近づいてくるのが見え、そこで意識がとぎれた。





 メイベルが目を覚ましたのは、馬車の中だった。相変わらず気分は悪く、体が信じられないほど重い。体を起こすと、そばにいた者の気配が動いた。ぼんやりとした意識のなかで、こうささやくのが聞こえた。


「隊長に、娘が起きたと伝えろ……」


 そこで、メイベルの意識がはっきりした。メイベルは馬車の腰掛けに眠っていたのだった。馬車といっても、ギディオンの乗っていたような小さな馬車ではなく、人が乗るようにつくられた、布のはられた馬車だった。外は見えない。張ってある布は黒く、天井には小さな電燈がぶら下げられていた。


 馬車の中には、三人ほどがいて、メイベルを見つめていた。その中には、メイベルを罵った赤髪の若者もいた。


「おい。大人しくしていろよ」


 若者が嫌悪感を隠さずいいつけた。


「ナイル。必要以外のことを言いつける必要はない」


 ナイルと呼ばれた若者は、憤然としながらも、黙った。


 メイベルの隣にいて、伝言を頼んでいたのは女だった。対峙しているときには気が付かなかった。メイベルの様子をいちばん近くで見守っていたらしい。しかし、短髪で顔立ちはりりしく、武人然としているので親しみは感じられなかった。


「寝ていろ、娘。これだけ術をかけられていては起きていられまい」


 女が言った。たしかに、メイベルの体は信じられないほど重かった。とてもではないが、動ける力は湧いてこなかった。


「ヘンジーはどこ……」


 それでもメイベルが立ちあがろうとすると、女が肩をおさえて寝かせた。


「あれは、かごの中だ。痛めつけはしない」


 女があごで指ししめしたのは、馬車の隅に置いてある小さな檻だった。ヘンジーはその中に入れられているのだった。


「ギディオンは? 彼はどうなったの」

「あの男は、運送法の違反をしていたからしょっぴいて帰した。それだけだ」

「そう……」


 メイベルはほっとした。ひどい目には遭わせられなかったようだ。


「これからクアレールに行くのよね?」

「そうだ」

「〈王〉はわたしを捕まえて何をしたいの」

「存じ上げぬ。〈王〉ご自身に聞け」


 女はどこか決まり悪そうに答えた。


「そっか」


 メイベルは膝を抱えた。

 それきり誰も喋らなかった。馬車の走る音だけが響く。目をとじると、外ではかすかに雨が降っている音が聞こえた。


(自由を奪われている)


 メイベルにかけられた術は、すべてを押さえつけ、しばりつけるものだと本能で感じていた。しばらく、抵抗はできそうになかった。


(ずっとこのままなのだろうか……)


 生きることを放棄するような絶望だったが、とうとう力は尽き果てた。何も考えたくなくて、メイベルは再び暗い意識の中に沈んでいった。



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