社畜の霹靂
気が付くといつもそう。
周囲に溶け込めず、なんのやりがいも生きる意味も見出せないまま、毎日職場と家の往復を繰り返している。
牧田 鈴三十六歳 独身
特に大したスキルもなく、特徴のないOLとして細々と生活をしている。
三十六年の人生の中で何度かの挫折と後悔、そして特に大きな目標も立てられず、同じ日常の返しに辟易しながらも、仕事も住む場所もあり変わらない日常が送れている事にどこか安堵している自分がいた。
生ぬるい日常に浸りきっている己の甘さに気づいてはいたが、かといって急に大きく人生の舵をとれば、不況の波にあっという間に流され押しつぶされてしまうだろう。
[一寸先は闇]だと、与えられた仕事を黙々とこなすしかない日常が幸せと思える日が来るのかもしれないと自分を納得させてきた。
しかし何事にも限界はある。
一月の末、年明けムードもすっかり落ち着いた頃に職員削減があるらしいとの噂が囁かれはじめた。
業務のAI化により人員縮小が進む中で、いよいよ他人事では無くなってきたなと思った矢先に私は会議室に呼び出された。
「牧田さんは今三十五だっけ?まぁギリギリの年齢だし僕個人としては残っていただきたい気持ちは山々なんだけど、上の命令がねぇ?」
「はぁ…今年三十六‥です…」
薄ら笑いを浮かべた上司にそう言われながらもどこか自分の事として受け止めきれず、生返事を返してしまったが許して欲しい。
話を要約すると人員削減として3月いっぱいでリストラになる事、引き継ぎが終わったら有給消化に入っても構わない事などを話していたようだ。
この歳で就活?その前に引き継ぎかぁ…今まで自分がしていた業務は誰が引き継ぐのかなどと、諦観の念の中でも少しはこの仕事に対する情もあったのだなと今更ながらに思いつつ会議室を後にした。
時独身で30代くらいまでの社員の方が、守るものもなく年齢的にも次の働き口が見つけやすいだろうといった理由で肩たたきに遭うのは最早慣例となっている。
だがこのご時世‥・次の仕事が見つかる可能性は上の世代よりはややマシといった具合で、何ならキャリア採用を見込めば上の世代の人の方がいい会社に転職した人はザラに居る。
若いと言うほど若くもなく、キャリアと言うほどのスキルも無いような自分みたいな奴が一番再就職に向かないのではないかとすら思えてしまう。
分かっている。
今までなんだかんだと理由をつけて挫折した諸々が身についていればこういった時にも少しは心に余裕を持てていたのだろう。
結局は自分の努力が足りていなかったのだ…。
モヤモヤと詮無い事を考えながら事務所に戻った私の席へ、待っていましたと言わんばかりに事務員のおばさんが寄ってくる。
「課長に言われて牧田さんの仕事は私が引き継ぐ事になったからぁ~。ちゃんと引き継ぎよろしくねぇ?」
ニコニコと笑うその顔を見ながらこちらも愛想笑いをしつつなんとか返事を捻り出す。
気分は最悪だ…このおばさんはお喋り大好きな上に仕事は遅く、何かあると周りのせいにして騒ぎ立てる厄介な気性の持ち主で、今まで業務上の関わりが少なかったのでなんとかやり過ごしていたが…いざ自分の業務を引き継ぐとなったら、こちらがキチンと引き継いでいないとか言いかねない所謂“地雷おばさん”だ。
頭痛を覚えながらも自分には拒否権は無い。
一先ず引き継ぎ書の内容を出来るだけしっかり作るしかないだろうと、おばさんへの挨拶もそこそこにもう一度上司と話し合いを行い、なんとか向こう半月分の残業申請を前倒しで受理させたのだった。
―バタンッッ
帰宅して家の電気をつけて直ぐにベッドに倒れこむ。
あの日から毎日、話の通じない相手に根気強く業務を教えながら通常業務をこなし、残業しながら引き継ぎ書類を作成する日々で転職情報を調べるどころか、日常生活すら疎かになってしまっていた。
当初の残業申請していた二週間はあっという間に過ぎ、三月に入っても未だに引き継ぎが上手くいっていないからと有給消化も拒否され、更には折悪く緊急の案件が立て込んでしまった為、あと少しで辞めるにも拘らず連日深夜まで残業が続いている。
帰宅してからもおばさんのキンキンした声が耳にリフレインしている。
『なんでそんな事言うの?!わざと分かりにくく言っているでしょ!!』
『私は聞いてない!教えられてない事をわざと言ってイジメてくる!』
などと言った彼女の常套句がずっと聞こえてくるのだ。
何度かみ砕いて説明しても中々覚えられないどころか、いじめだなんだのと被害妄想や逆切れで話にならない。
ある程度予想していたとはいえ、毎日これでは気が滅入るどころか仕事も進まないので上司に相談をしたのだが、「あの人もねぇ~、ちょっと困った性格だけどあの歳だからさ、君と違って次の働き先もないだろうから、牧田君が大人になってなんとか上手いことやってよ」などとヘラヘラしながら丸投げされるだけだった。
確かに五十代も半ばにさしかかった人では次の職を探すのは難しいのかもしれないが、だからと言って自分もこのままでは就活もままならない。
退職金もあまり期待出来ない上に諸事情もあり、退職したらすぐにでも別の仕事を始められないと生活が立ち行かなくなるのだからこちらとしてもたまったものではないのだ。
一先ず目先の業務をこなしながら彼女への指導もしつつ、やっと今日引き継ぎ書が完成したので(おばさんのレベルまで落とし込んで何度も修正したもので時間がかかった)明日からは何かあったら引き継ぎ書を見てくれと言えるだろう。
不安要素は尽きないが、他人の心配よりも自分の心配だ。
平日は仕事に追われている為、休日に求人情報を確認して応募をしていたのだが、今のところ書類選考で落ちるか面接に漕ぎつけても有給申請が通らなかったせいで仕事を休む事が出来ず、リスケをお願いした所で空きが無くなったと連絡が来てしまった。
本来ならばとっくに有給消化に入っており、次の会社への就職活動をしている予定だったがすっかり予定を狂わされていた。
しかも溜まりに溜まった有給は3月いっぱいで退職となる為にそれ以降での有給消化不可だという…。
八方塞がりの状態が続いていたが、今日やっと引き継ぎ書が完成した事で少しは希望が見えたかもしれない。
連日連夜の残業や進まない引き継ぎのストレスに一気に老け込んできた気もする…もう限界だった。
――人間なんて、滅びればいいのに…――
携帯から音楽を流すことで未だにキンキン声が響く耳に無理やり別の音を流し入れながら頭の中で悪態を一つ零して、気絶するように眠りに落ちる。