第五話:予期せぬ出会い
代々続く木こりの家に生まれた俺にとって、この森は庭のようなものだ。斧の音が響く静かな昼下がり。今日の薪割りも、そろそろ終わりが見えてきた。手慣れた動きで斧を振り上げ、丸太に力を込める。集中していたはずだった。
その時、背後の茂みが、かすかにざわめいた。
「ん?なんだ?」
風のせいか?いや、もっと動物的な、小さな気配がした。この辺りでは、このあたりでは、用心深い鹿や、時にイノシシが顔を出すこともある。でも、何かが違った。長年この森で木と向き合ってきた俺の勘が告げていた。
茂みが、今度ははっきりと揺れた。
「おいおい……」
やがて、ゆっくりと姿を現した“それ”を見た瞬間、俺の思考は完全に止まった。
金色の髪が、風にそよぎながら繊細な光を放っている。まるで、何年もかけて織られた金糸の織物のようだった。身にまとっているのは、様々な緑の葉を丁寧に編み込んだ、見たこともない衣装——まるで自然そのものだ。
「なんだ、あれは……?葉っぱでできてるのか?」
そして何よりも、その完璧な顔立ちに、俺は息を呑んだ。小さく尖った耳、吸い込まれそうなほど深く大きな瞳、それはこの世のものとは思えないほどの美しさだった。まるで、子供の頃に祖父からよく聞かされた古い物語に出てくる、人間ではない美しい生き物――まさか、あれは……伝説のエルフなのか?
「まさか、そんな……」
いや、待て。祖父の語る話はいつも現実離れしたものばかりだったが、まさか、本当にこんな存在が……? それにしても、言葉を失うほどの美しさだった。
それにしても……服は葉っぱだけ? エルフって服、着ないのか?
唖然としたまま、俺はその姿を見つめ続けた。
「うそだろ……」
いつもの言葉が頭から消え去った。まさか、毎日この森で木を割ってきた俺が、そんな空想的な出逢いがあるなんて、夢にすら見たことがない。エルフなんて、見たこともないのに……。
「本当にいるのか?」
祖父の話に出てくるだけの存在だと思っていたのに……。 こんなにも美しい生き物が、本当に存在するのか?
小さな、不安げな声が、風に乗って聞こえてきた。
「……?」
声の主は、大きな瞳で、警戒するように俺を見つめている。その瞳の奥には、純粋な輝きと、隠せない恐れが混ざり合っている。吸い込まれそうなほど深く、そして、どこか古めかしい悲しみを湛えているような瞳だ。祖父の語るエルフの瞳の色は、確かこんな色だったか……? その美しさに、ますます言葉を失う。
「一体……何なんだ?」
もう一度、同じような音が聞こえたけれど、それは俺の知るどの言語にも似ていなかった。
「何語だ?」
まるで、鳥のさえずりのように、音楽のように、耳に心地よいけれど意味不明な響き。一体、どこの言葉を話しているんだ?困っているのだろうか。その不思議な姿と、今にも消え入りそうな小さな声が、俺の胸を少しずつ締め付けた。祖父は、エルフの言葉は人間の言葉とは違うと言っていたな……。
「やっぱり、そうなのか?」
何と言えばいいのか分からなかった。
その奇妙な存在は、懸命に身振り手振りで、何かを伝えようとしている。最初は自分の体を小さく指差し、肩を小さくすくめて震え、明らかに寒さを訴えている。
それから、両手を合わせて、何かを切実に求めるように、こちらに向けて差し出した。
その必死な様子に、最初に感じた警戒心は、徐々に薄れていく。エルフは、古い森の守り手だと祖父は言っていた。
なぜ、こんな場所に?そして、なぜ、こんなにも心配そうな表情をしているんだ?こんなにも美しいのに……。
そもそも、本当にエルフなのか?そんな空想的な存在が、現実にいるなんて……。
「信じられない……」
祖父の作り話だとばかり思っていた……。
木漏れ日に照らされた金色の髪は、まるで生きている光の奔流のようで、信じられないほど美しかった。
「綺麗だ……」
それは、古い伝説の中で語られる、金色の糸で紡がれた髪そのものだ――いや、待て。伝説は伝説だ。現実に、そんな空想的な生き物が存在するはずがない。
「やっぱり、夢か?」
俺は自分の目を疑った。だって、エルフなんて、一度も見たことがないんだから。祖父の空想的な話が、今、目の前で現実に起こっているというのか……? こんなにも心を奪われる美しさを前にして、冷静でいられるはずがない。
ようやく、小さな声に出すことができた。
「……あなたは、一体……?」
言葉は通じない。それはすぐにわかった。
けれど、この不思議で困惑する状況を、何とかしなければならない。
目の前にいるこの奇妙な存在は、明らかに何かを切実に伝えようとしていた。
その大きな瞳には、不安と訴えが込められていて、俺の心を揺さぶる。
俺は、その瞳をまっすぐに見つめ返した。
少しでも理解しようと、全神経を集中させる。
—もし、本当にこの存在が“エルフ”だとしたら、一体何が起きているんだ?
理性は、現実と空想の狭間で大きく揺れ動いていた。
祖父の語っていた物語は、ただの伝説ではなかったのか……?
こんなにも美しく、こんなにも切実な存在が、なぜ今、俺の目の前に現れたのか——
答えはどこにもなかった。