第二十九話:始まりの予感
青年とエルは、教会を後にしてしばらく歩き続けた。教会の敷地を出た瞬間、青年はふと足を止め、振り返って静かに言った。
「爺さん、しばらく家を留守にするよ。俺には冒険する理由ができちまったからな」
墓前に向けた言葉が、風に乗って消えていく。青年はそのまましばらく立ち尽くし、無言で空を見上げた。後ろでは、エルが静かにその姿を見守っていた。彼女は何も言わず、ただ青年の背中を見つめる。
青年は少し深いため息をつき、気を取り直してから言った。
「湿っぽいことに付き合わせてごめんな、エル」
エルは言葉が通じないため、ただ静かに青年を見つめる。青年はそれに気づき、苦笑いを浮かべながら言った。
「あー、言葉が通じないんだったな…」
青年はエルを見ながら、思い出したように手に持っていた本を取り出した。それは、神父様からもらったエルフ語の辞書だった。青年はそれを開き、片言でエルフ語を探しながら、口を動かした。
「えーっと、エルフ語で…」
青年は本をめくり、言葉を探す。
「俺、の名前、はアラン、アラン・ヴェリウスって言うんだ」
青年アランは慎重に発音し、エルに向かって言った。エルはアランの言葉を静かに聞いていたが、その目にはうっすらとした微笑みが浮かんでいた。
続けてアランは、片言ながらも精一杯に言葉を続けた。
「あなた、の本当の、名前を、教えてくだ、さい」
エルはしばらく黙っていたが、やがて満面の笑顔を浮かべ、口を開いた。
「エル」
その一言は、アランにとって安心のような気持ちをもたらした。アランはほっとしたように息をつく。
「良かった…初めに聞いた言葉が名前だったんだな」
アランはその言葉をエルに伝えた後、ふと考え込んだ。少し躊躇いながらも、エルフ語で言葉を続けた。
「これからよろしく。」
そして、アランはエルの手を取ろうとした。だが、すぐに疑問が浮かび上がった。エルフの文化では、手を交わすことが適切なのか、それとも触れてはいけないものなのか…。アランは少し悩んでいた。
すると、エルが優しく手を差し出し、両手でアランの手を握った。彼女の動きは、どこか温かく、そして自然であった。アランはその瞬間、少し戸惑いながらも、心の中で安心感を覚えた。
アランは、エルとしっかりと握手を交わしながら、心の中で決意を新たにした。これから二人で過ごす冒険が、どれほどのものになるのか。だが、その予感は、胸の中で確かなものとして広がっていた。
この物語は、後に世界を揺るがす冒険の始まりに過ぎなかった。青年アランは、世界を救うために立ち上がり、英雄として成長していく。彼のそばには、人々から「大聖女」と呼ばれる、美しいエルフの女性エルが寄り添い、共に運命を切り開いていくことになる。
彼らの旅は今、静かに、そして確実に始まったのであった。