第二十話:森への道
青年は、神父様から渡された古びた本を読んでいた。この本が、エルフの言葉を解き明かす鍵だと信じていた。
突然、神父様がぽつりとつぶやいた
「さて、わしも何かせねばな」
その言葉に、青年は顔を上げた。神父様は教会の奥でひとり、静かに立ち尽くしていた。まるで何かを決意したかのように、背中を丸めている。その姿に、青年はどこか重い決断を感じ取った。
「どうしたんですか、神父様?」
青年が問いかけると、神父様はにやりと笑って振り向いた
「伝説が目の前に現れて、興奮しておるのじゃ」
その言葉に、青年は少し驚いた。神父様の表情からは、興奮と共に懐かしさも滲んでいた。どこか遠くを見つめるその目には、過去の記憶が映し出されているようだった。
だが、次に神父様が口にした言葉は、さらに青年を驚かせた
「ただ、今の教皇様には頼めんのじゃ」
その言葉には、確かな怒りと失望が込められていた。
「教皇様が、ですか?」
青年は思わず声を上げた。教会の頂点に立つ教皇様に対して、このように口にする者は珍しい。ましてや、神父様がここまで言い切るとは思ってもみなかった。
神父様は軽くため息をつき、続けた
「今の教皇様は、わしには全く信用できん。いい噂は聞かなくてな」
その言葉に、青年は言葉を失った。教会の長である教皇様に関して、ここまで明確に不信を口にする神父様の姿を見たことはなかった。
「それで、どうするんですか?」
青年は神父様の目を見つめ、尋ねた。その問いに、神父様は少し考え込んだ後、静かに答えた
「エルフをどうにかするためには、最良の方法は…エルフを森に返すことじゃ」
青年はその言葉に驚き、目を見開いた
「森に返す?エルフを?」
「そうじゃ」
神父様はゆっくりとうなずきながら続けた
「エルフは、あの世界でこそ生きるべきだ。ここで過ごすのは、長い目で見れば良くない。森に帰れば、エルフは本来の生き方を取り戻せる」
青年はその言葉を呑み込むことができなかった。森に帰る、ということには深い意味があるように感じられた。単なる帰還ではなく、エルフという存在がどう生きるべきかを示す言葉だと思った。
「でも…それは…」
青年は言葉を詰まらせた。エルフには、どこに行くかを決める権利があるはずだ。けれど、その権利を他人が決めるのは、どこか違う気がしていた。
「おぬし、考えが甘いぞ」
神父様の声が少し鋭くなった
「エルフを森に返すことこそが最も自然な道じゃ。しかし、わしがエルフ語を理解できるのは、この教会ではわしだけじゃ」
神父様は肩をすくめ、困ったような表情を浮かべた。
「だが、なにせわしも年じゃからな…エルフを故郷に帰してやりたい気持ちはあるんじゃが。他の街の教会に頼んだとしても、教皇様の耳に入るかもしれん」
その言葉に、ようやく青年は神父様の意図を理解した。
「それで、どうするんですか?」
青年は再び尋ねた。神父様は静かに深呼吸をし、顔を上げた。
「そこでじゃ、おぬしがエルフを森に返すんじゃ」
青年は驚愕の表情を浮かべた
「え、俺ですか?」
「そうじゃ」
神父様は自信満々に言った
「お前さんならできる。昔、冒険に出たかったんじゃろ?」
その言葉に、青年の胸にかすかな懐かしさが蘇った。確かに、子供のころは冒険の夢を見ていた。しかし、今は違う。祖父から受け継いだ土地と家がある。現実が次第に彼の心を縛りつけているように感じた。
「確かに、子供のころはそうでしたが…今は、そんなことを考えている暇はありません」
青年は小さくため息をついた。
「ふむ」
神父様はじっと青年を見つめた後、ため息をついた
「余計なことを考えてないで、エルフ語を覚えることに集中せんか!」
その言葉に、青年は驚き、目を見開いた
「わ、わかりました」
反論する間もなく、青年は本を手に取った。神父様の目が語る厳しさに、無意識のうちに従わざるを得ないと感じた。
「おぬしがエルフを森に返すべきだと信じておる」
神父様は少し柔らかな表情を浮かべ、静かに言った
「だが、少なくともエルフ語を覚えんことには、何も始まらんぞ」
その言葉に、青年はしっかりとうなずいた。次に進むためには、まず言葉の壁を越えなければならない。そして、それがすべての始まりだと感じていた。
青年は本を広げ、エルフ語のページに目を落とした。少しずつ言葉を覚えながら、心の中で静かに決意を固めていった。