美味しい恩返しと安心できる場所
違和感を感じたのは、朝食の準備中の味付けの時だった。
(ん…?いつもより味が薄い…?)
ガダンは分量通り味付けを施すことはない。人数が決まっているのもあるが、都度作る量も材料によって変わってくるので、いつも大体の目安で調味料を適量に使う。最終的に味見をするが、ここで再度調整することは滅多になかった。
だが、この日に限っては入れた調味料の量よりも塩味が薄く感じたのだ。
(材料も調味料もいつも通りなのに―――おっと…)
料理中は当然立ちっぱなし状態で、いつものことなのだが僅かに目眩が起こった。その時に始めて今朝起き抜けの状態が珍しくすぐに起きられなかったことを思い出し、目眩と味覚でようやく自分の体調が思わしくないことに気づかされた。
(えー…何年ぶりだ…体調を崩すなんて)
道理でいつもやっていることが僅かに遅くなったり、いつもの味付けが納得いかなかったりと、納得はいったが取り敢えず己の味覚は放置していつもの味付けをして様子をみることにした。
食事中や後に特別に何も言われなかったので、味付けは問題ないようだ。昼食の下拵えだけ何とかこなし、運良く今日は出かける予定もないため、ガダンは自室に戻って横になった。
うとうとしながら自分の意識が風邪かなと認識したからか、段々と倦怠感が増して喉の痛みと頭痛も始まり、いよいよ本格的に風邪をひいたようだ。
(あー…これはよろしくないなぁ。でも俺しか料理人居ないし、昼の下拵えもしちゃったから材料が勿体ない…今後はこういう場合に備えて保存魔術…でもそれにも限度があるんだよなぁ)
目に少し力を入れると、目の奥と頭がずきずきと脈打つような鈍痛まで訴え始めた。だが、何とか起き上がり昼食を作りきって提供した。
カウンターでいつも通り肘をついて眺めていると、食べ終えたユフィーラがガダンの元へ来た。
「ガダンさん、今日も美味しい昼食ごちそうさまでした」
「あいよー食器はそのまま置いといてね」
「はい。ところで今日の夕食なんですが、準備はいつも夕方より少し前くらいですよね?」
ユフィーラが首を傾げながら尋ねてきた。
「ん?まあ大体はそうだな」
「良かったです。今夜なのですが、アリアナさんから急遽ディナーにご招待いただいたのです。テオ様も一緒にと言われたので行ってきますね。その前に私は一足先にアリアナさんの所へ向かいます!」
「お、そうなのか。了解。料理長によろしく言っておいてくれ」
「はい!」
ユフィーラはガダンが片付けやすいように食器類を一箇所にまとめて、食堂から出て行った。
基本ガダンは自分の聖地とする厨房に人が入るのを好まない。なので食器はそのままでとお願いしている。理由があり、厨房を使うことは問題ないのだが、自分が使用している時は出入りを遠慮してもらっているのだ。
ガダンは内心今日だけに限っては夕食の数が減ったことに安堵した。だがこれ以上調子が悪くなるようなら他の皆にも外食か適当に作って食べてもらうように言った方が良いのかもしれない。
そう考えながら、洗い物や片付けをしていると、ブラインが厨房に入る扉の向こうから顔だけを出して声をかけてきた。
「ガダン。今夜用事入ったから夕食いらない」
「ん?おお、わかった」
ブラインが夜に用事なんて珍しいこともあると、特に気にせずに片付けを再開する。
「今日これからパミラに買い物付き合ってもらって、そのお礼に夕食ご馳走するから今日は大丈夫―」
「今夜はピッタのとこで会合が遅くまであるから、外で食べてくるから夕食は大丈夫だよ」
「ジェスがどうしても私に果物とジビエが美味しいと評判の店に連れていきたいとのことなので、ここぞとばかりに奢らせようと思いますので、夕食は結構ですよ」
「限度というものを知るべきだろう…!」
次々に今夜の予定を話してくる使用人達。今日の夕食は作らなくて良さそうだ。それに関してもいつもなら全員が要らないなんてことは有り得ないのに、この日のガダンは倦怠感から特に何も考えずに片付けを終えて自室に戻ってすぐに横になった。
寝苦しさで目が覚めると外は夕陽で茜色に染まっている。
熱が上がったらしくどうにも息苦しい。ゆっくりと体を起こそうと頭を上げると、どしんと重い倦怠感がガダンを襲う。同時にぐわんぐわんと頭痛が押し寄せた。
「……っきっつー…」
ガダンは額を押さえながら、渇き切っている喉を潤そうと思うのだが、厨房まで行くのすら億劫だ。水だけでもと洗面台にふらふらと向かって歩くと、部屋の扉の前に何かが置いてあった。
アフタヌーンティーをする時などに使用するワゴンだ。
そのワゴンの上には、果実水と水差し、ハーブティーが置いてある。更にその隣には数種類の果物のゼリーも置いてあり、長時間保つように魔術で冷やされた布と端っこには小さな小瓶が三つ。。
気怠い体を動かしながらワゴンに近づくと、瓶にはラベルが貼ってあり、『総合』『頭痛』『熱』とそれぞれに書いてある。どうみても風邪薬だ。
ガダンは首を捻る。
屋敷内でガダンは自分の部屋に鍵をかけていないが、いくら体調不良だったとしても誰かが入ってくれば気づかないわけはない。
考えられるのはこの屋敷の住人が敢えて認識阻害の魔術を使って入ってきたということに他ならない。
その理由は明白だ。ガダンを起こさない為。気を遣わせない為。
「…そこまでするかねぇ」
ワゴンに置かれた品々を見てぼやくガダンの口元は自然と上がってしまう。
「…なんだかなぁ」
どうにも慣れない面映ゆい気持ちに、熱ではない温かいものが心に滲んでいく。
ガダンは果物ゼリーを食べ、ハーブティーを飲み、その後に総合の風邪薬を飲んでから、最後に水差しから水を飲んだ。次起きた時には果実水を飲むとしよう。
ガダンは汗ばんだ服を脱ぎ、浄化魔術を施してから夜着に着替える。そして再度寝台に入り目元から額にかけて冷えた布を乗せ、今度は少し心地良い微睡みに身を任せた。
コツコツ
扉を叩く音にゆっくりとガダンは瞼を開く。汗もかなり掻いたようだが、薬のおかげか先程の酷い倦怠感は緩和されていた。
声のみで答えると、入ってきたのはなんとこの屋敷の主であるテオルドだった。しかも手にはトレーを持っている。ガダンは目を丸くしてしまった。
「え。旦那何してるの」
「食事だ」
テオルドが寝台に近づき、横に備え付けられている机に置いたトレーには、リゾットに見た目は近いが、香りがいつもと違う。海鮮系の匂いだ。
「これは…」
「ユフィーラからだ。お粥という食べ物らしい」
「お粥…」
その名前を耳にしてガダンは聞いたことがある名称に記憶を探る。
リゾットには細長い米を使用するが、このお粥に使うのは東洋の国の和稲という作物から穫れる米で、形は少し丸みを帯びており水と共に炊いて、それを出汁と合わせて煮込む料理だ。だが、和稲の米も海鮮系の出汁もこの辺りでは簡単に入手出来ないはずだ。
「どうやってこの食材を…」
「今日アリアナ嬢の屋敷に訪れた際に、いつも美味しい料理を作ってくれる料理人の体調が思わしくないから、何か食べられそうな体に優しい料理はないかと料理長に尋ねたら、この一品を教えてくれたらしい」
エドワードか。
「料理人にとって厨房は自分の領域のようなものだから、どうせ作るなら材料もあるから作っていけば良いと厨房を貸してもらって、アリアナ嬢も共に参加して作っていたぞ」
随分と好奇心旺盛な令嬢だ。そしてそれをきっと楽しげに見ているだろうエドワードも容易に想像できた。
ガダンは湯気から香る出汁の匂いに倦怠感によって衰退していた食欲がむくりと戻ってくる。
「因みにユフィーラが風邪薬を置きに来た時には、既にワゴンが置かれこれらが並んでいたそうだ」
「…」
もう…何と言うか。
彼らの配慮しながらも粋な行動に、ガダンの心は照れるような擽ったいような、慣れない忙しなくなる心の動きに動揺してしまい、言葉が返せなくなりそうなのを、何とか持ち直して口を開こうとするが、次のテオルドの言葉で考えていた言葉が霧散してしまった。
「この屋敷の料理人はガダン一人だが、ガダンという人物も一人だけだ」
「……はい?」
思わず拍子抜けの返事で返してしまうが、テオルドは至って真面目な顔で続ける。
「皆良い大人だ。食事が数日無くなったところでどうにでもなる。無理をさせた方が彼らは心配するだろう。だがそれでもと思うなら、後日皆の知識を借りて保存魔術の改良でも研究すれば良い。お前が思っている以上に彼らは気にかけている。―――それは俺も同じことだ」
「…ぇ」
掠れるような声が漏れでた時には、テオルドはさっさと部屋を出てしまい、ガダンは呆然とその扉を見つめていた。出汁の香りで改めて我に返り、お粥に視線を戻す。
顔が熱いのは顔にかかる湯気のせいで間違いない。
深めのスープ皿に盛られているのは、卵だけを使用したシンプルなお粥だ。そこに掬いやすいスプーンと、小皿には根菜のピクルスも添えられていた。間違いなくエドワードが持たせたものだろう。
マーブル状に綺麗に混ざった米と卵の素朴なお粥に食欲がどんどん湧いてくる。お粥を掬い息を吹きかけて少し冷ましてから、口に含む。
海鮮の出汁の旨味と、丁度良い塩気、そして米そのものの甘さと、それらを包み込む卵がじわりと口の中に広がり、するっと喉を通っていく。
「……あぁ、美味いな、これは」
凝縮された出汁の深い風味の食べやすいお粥を選んだ心遣いと、その背景には皆からのワゴンに乗ったそれぞれ絶妙な加減で思い遣った行動の数々。
ここに来る遥か昔は、度を超えた余計な気遣いの押し売りを鬱陶しいからと片っ端から排除してきたが、ここでの匙加減を間違えない加減具合に、全く不快な気持ちが湧いてこない。
今まで刹那的な生き方や、時には放浪の身で束縛されない生活を楽しんできた。しかし心の自分でも気づかない底の部分には、もしかして知らずに欲しているものだったのかもしれないと、ふと思う。
心が安心できる場所。
巡り合わせときっかけが重なった不思議な縁の集まり。
それがこのような現状になっているのだから、人生面白いこともあるものだとガダンは素直に思えた。
(それに仕事も何でも基本好きにやらせてもらえるから居心地も良いしな……それにしても美味い)
ガダンはあっという間にお粥を食べ終えて、残っていたゼリーもいただいた。クラッシュされた状態で甘すぎず素材を生かした食べやすいゼリーに、喉に負担のかからない果実を選んだ果実水。ハーブティーは不調を緩和するリラックス効果もあるというもの。
彼らのしれっとした心遣い。
それが心地良く気恥ずかしさも交えて、安心感が溢れ出る。
「ぁー……こんなに居心地良くなっちゃってさ…どこか遠出したくなったらどうしてくれるんだっつーの」
そう言いながらも口角が上がってしまうのは否めない。ガダンは久々に休養をしっかりと摂らせてもらうべく横になった。
後日エドワードに東洋の品々の情報を聞き出すことと、屋敷全員の好物をどのタイミングで出そうかなどと頭の中で計画を立てながら、ガダンは心地良い睡魔に意識をゆっくりと落としていった。
不定期更新です。




