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形見の痣(かたみのあざ)  作者: 海凪 悠晴
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第二回:母親失格

 「死人に口なし」などと言われる。誰が言い出したことばなのかはわからないが、全くもってその通りである。


 ユウキの煽り運転事件。「被害者」がとくにいなかった――敢えて言えば車の持ち主であり運転していたユウキ自身が被害者。つまりは「自爆」したのだったが――それだけにとくに騒がれることもなく、さらに月日の経つうちに、そのまま近所の人々の記憶からも風化されていった。


 六月最後の日曜日にあった四十九日法要と納骨式。それが終わる頃になると、ナツミは元気を取り戻していた。お父さんは天国というところに行って幸せにくらしている、だから心配ないから、ということで。


 しかし、シングルマザーになってしまったアヤカ。一家の大黒柱だったユウキを失い、家計は破綻だ。結婚以来ずっとユウキの収入のみで家族三人食べてきて、専業主婦だったアヤカ。七月初めからは仕方なくスーパーのレジ打ちのアルバイトを始めていた。その賃金はというとこのボロアパート住まいでもアヤカとナツミのふたりが暮らしていくには心許ないものである。


「また保育園落ちた……くそっ……、くそう! くそう!」

 スーパーで働き始めて十日ほど過ぎたある日、夕方に退勤してきたアヤカ。市からの「保育園落ち」のお知らせを破り捨て、そうつぶやいた。

 最近になって政府もようやく少子化対策について本腰を入れて考えますと言い始めているものの、結局は、そう、「口先だけ」。まさに昔からの日本政府のお家芸である。


 今のアヤカは、保育園にも入っていないナツミを仕事のある日は毎日、朝から夕方までひとりで留守番させているのだ。昼食とおやつだけをおいて。ナツミはまだ二歳、この八月でようやく三歳。そんな小さな子を毎日留守番させるのは非常識極まりない。ネグレクトもいいところである。でも働いている間は誰が面倒を見るというのか。

 ユウキの両親からすら何の助け舟も出ない。むしろ、敵対視されている。ならば、こうなっても仕方ない話だということでアヤカは済ませようとしていた。


「マーマーァー!!」

 アヤカがアパートの大部屋に入ると、ナツミは畳の間を糞尿でびしょ濡れにし、その中央で泣き叫んでいた。


「ナツミ! ばっちいんだよ!」


『パチン!』


 無意識のうちにアヤカはナツミのほっぺたにビンタを喰らわしていた。正気に戻ったが時すでに遅し、である。ナツミは更なる大声で号泣し始めていた。

「あ、ナ、ナツミィー!」

「ああー! 取り返しのつかないことをしてしまった……」

 尿便の臭いの充満する部屋の中でアヤカは今の無意識のうちの行動にひどく後悔し始めていた。後悔のあまり、錯乱状態になるほど。


「お母さん、ナツミのママとして失格だよ……」


 その後、ナツミは小一時間で機嫌を直し、夕食を食べて、すぐに寝入っていった。ナツミを小部屋に寝かせたアヤカはその日は夜遅くまでかけて大部屋のクリーニング・消毒をひとりで行っていた。しかし、いくらナツミがとりあえずは機嫌を直したとはいえ、ビンタしてしまった母親としてあるまじき『前科』は消えないであろう。


 翌朝、アヤカは出勤時間となる前に勤務先のスーパーに電話し、レジ打ちのアルバイトは昨日で辞めることにしたと告げた。案の定、向こうからはいくらパートとはいえ無責任な、とは言われた。だが、仕事に対する責任より、子どもに対する責任のほうが母親にとっては重いのは言わずもがな。


「ユウキ……、やっぱりあなたの形見は私に必要だったのかもね……。もうすっかり消えちゃったけどね」

 仏壇代わりと言うにはあまりにも小さくて粗末なコーナー。その中央・ユウキの遺影の方に目をやりつつアヤカはつぶやいたのだった。


「これからが、大変だよね……」

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