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帰れない

作者: 花村 流花

「じゃあ、私はこれで、一足お先に失礼します」

 時計の針が8時を指す前に、声をかけ席を立った。

 もう少しいいじゃないかと引き留めてくれる声もあったのだが、家の事情を知っている上司が仕方ないよと帰りを促してくれた。

「高齢の親がいるとね、わかるよ。あ、そうだ、ちょっとだけ待って」

 一度は立ち上がった私だったが、上司の言葉に再び腰を下ろした。

 帰りの挨拶をしてしまった気まずさもあったのだが、ほんの1分ほどで上司が戻ってきたのでなんだか妙にホッとした。

「これ、持って帰って。お母さんにお土産がわりに」

 そう言って目の前に差し出したのは、宴会をしている小料理屋と同じビルの1階にある、いなり寿司屋の折詰だった。

「稲吉のおいなりさんじゃないですか、いいなあ」

 後輩女子が羨ましそうに言うと、みんなの分もあるからと上司が声を張る。みないっせいに歓声を上げた。

「ありがとうございます、いただきます」

 今度こそ席を立ち、小さく手を振りながら店を出た。



 電車で二つ先の駅で降り、そこから10分ほど歩く。

 線路を挟んでそれぞれある改札の前には商店街が伸びている。

 私が降りる改札の方が規模としては小さな商店街。なのだが、夜11時まで開いている小さなスーパーがあるので、賑やかとは言えないが、人通りはまあまあある。

 だけど今夜は人通りがまばらだ。それにガタガタと音がしている。少し歩くと工事を知らせる立て看板と迂回の方向を指す矢印が並んで立ててあった。

 このまままっすぐ行けば5分もかからず家に着くのだが、通行止めでは仕方がない。立て看板の迂回路の矢印の指す方へと足を向けた。

 住宅と住宅の間の細い路地。車一台がやっと通れるくらいの幅しかない道を、薄暗い道を足早に進む。どの家も雨戸が締まり、玄関先の電気もほとんど消えているので、うっそうとしている森の中を歩いている気分になった。

 それにしても・・

 かなりの遠回りをしている気がする。歩いても歩いても工事をしている区間のその向こう側にたどり着かない。

 工事の区間はほんの10メートルくらいにしか見えなかった。住宅密集地の路地が入り組んでいたとしても、こんなに距離があるだろうか。そう言いたくなるほど歩いているように思えるのだ。

 腕時計を見る。でも暗くてよく見えないのでスマホを取り出し時間を見る。明るい画面に表示された時間を見て、思わずえっ!と小さく叫んだ。電車を降りてからもう15分も経っていたのだ。

駅からは10分弱で家に着く。今夜は迂回をしているから多少は時間がかかるかもしれないが、それでも10分強くらいではないだろうか。

 15分も経って、メインストリートに出てこないなんて。もしかして迂回の道を途中で行き過ぎたのではないだろうか。いやでも、道は一本道で、例えば右左を間違えるような箇所はなかった。

 おかしい、おかしい・・

 しだいにイラついてきて、持っていた稲吉の紙袋ががさりと音をたてて揺れた。

 すると、目の前が急に開けて明るくなった。やっと通りに抜けたのだ。

「あーやっと出た・・えっ!」

 外灯の下で胸を撫でおろしたのもつかの間、よくよく見ると、目の前には工事中の立て看板と、迂回路の矢印看板があるではないか。

「なにこれ!出だしの場所じゃない!」

 思わず声が出た。

 迂回看板を見ていた人がはじかれたように私に顔を向けた。

 恥ずかしくなって、いったん駅へと引き返すふりをして、離れてからもう一度通行止めになっている道路を凝視した。

 その間に迂回路へと進んでいく人が何人か続いたので、慌ててその人たちの後に続いた。

 前方に人がいる事がまず安心。ついていけば通りに出るはず。

 悪い事をしているわけではないのになぜか足音を立てないようにして、先を行く人についていく。しかし、一瞬わき見をした間に前方の人が見えなくなってしまった。

・・え?もういない?私の足が遅いの?・・

 それともこの路地沿いの家の住人で、家に入ったのだろうか。いやそんなことはない。ドアが開いたり門扉が開く音など一切聞こえなかったのだから。

 焦りと怖さで足が速くなる。腕にかけた紙袋がゆさゆさ揺れて音をたてる。

 すると視界が開け明るくなり、たどり着いたのは・・

 またしてもスタート地点の看板の前だった。

 おかしい、おかしい、おかしい・・・!

 頭の中は混乱し、苛立ちに加えて恐怖さえ芽生えてきた。早く帰りたい、今何時よ、と腕時計を見ると、あと15分ほどで9時になろうとしていた。


 どうしてこんなことになっているんだろう・・

 もう一度駅に戻り、そこからあらためて帰り道をやり直すことにした。

 ちょうど駅に電車が着き、何人かが私と同じ方向を目指して前を行く。その後をしっかりとついていく。今度こそはこの人たちと一緒に迂回路を抜け出すぞ、そう呟きながら。

 さっきのようによそ見をせずにまっすぐ前に顔を向け、前を行く人の背中を追う。

 道なりに歩いて、この急なカーブを曲がって・・あ、あれ?

 あれほど前から目を離すものかと意気込んでいたのだが、どうしても視線をそらさずにはいられなかった。それは・・

 さっきも曲がった一本道。ちょっときついカーブをしているその一番膨らんでいる箇所に小さな赤い鳥居があったのだ。お稲荷さんの祭られてある、小さな祠。

 全然気づかなかった。

 二度も同じ場所を通ったのに、なんで目に入らなかったんだろう。そしてなぜ、今は気づいたんだろう。

前の人を見失っちゃいけないと思いながらも足を止め、そして手を合わせた。

 その間に、前を行く人は見えなくなってしまったのだが、前へ前へと歩を進めていく。

 すると、前方に外灯の光が広がってきて先ほどと同じように通りに出たのだが、立て看板はなく、塞がれていない道がすっと前方に伸びていた。

 反射的に振り返ると、後ろに工事中の看板が立ててあった。そして迂回路の矢印は、さっきとは逆を向いている。先の方には駅の灯りも見えていた。

やった・・やった!抜け出せたのだ。やっと通行止めの向こう側にたどり着くことができたのだ。

安心した途端に足に疲れがどっと出たが、とにかく早く家に帰ろうと、するようにして足を必死に動かした。



家にたどり着いたのは、9時近かった。

「お帰り、遅かったね」

「これでも8時半くらいには駅に着いていたんだけど、工事中で駅前の通りがふさがれてて、迂回路を通ったんだけど全然抜けられなくて二度も同じとこに戻っちゃって、もうまいっちゃったわよ。あ、これ、会社からお土産いただいたよ」

 おいなりさんの入った紙袋を受け取った母は、ここのはおいしいのよねと笑顔を浮かべた。

「それにしてもなんで同じとこグルグル回ってたんだろう?迂回路は一本道だったのよ。なのにまた同じとこに戻って。三度目でやっと抜け出せたんだけど・・そういえば路地の奥にお稲荷さんの祠があったのね、三度目で気づいたのよ。それほど必死になってたんだわ」

 苦笑いを浮かべる私を見て、母は声を張り上げた。

「もしかしてあんた、お狐さんに化かされたのかもしれないよ」

「はあ?化かされた?」

「お揚げさんを持ってたんでしょう?おいなりさんよ。油揚げ持ってたから、だから」

 真顔で話す母を横目で見ていると、ほら、昔おとうさんも、と言いながら袋から折詰を取り出した。

「昔、あんたがまだ小学生だった時、おとうさんがキツネに化かされて夜中過ぎに帰ってきたことがあったじゃない」

 そう、そんなことがあった。キツネに化かされたのかは定かではないが。

 私が小学生だった40数年前、当時自転車で仕事場まで通っていた父が、夜中の12時を過ぎてからやっと帰ってきたことがあった。こんなに遅くにどうしたのかと尋ねた母に、父は狐に化かされたと言ったそうだ。頂いた油揚げの袋を下げ自転車でいつもの道を走っていたのに、同じところをグルグルと回ってしまってなかなか家にたどり着けなかった。疲れて煙草を一服吸ったら、やっと家に帰ってこられたと言っていたそうだ。

「キツネに化かされたらタバコを吸えばいいんだよ」

 話して聞かせてくれた父は、おもむろにタバコに火をつけたっけ・・

「そんなの、昔の人の言い伝えでしょう?信じろって言ったって無理があるけど」

 いつのまにか皿を用意しいただいてきたいなり寿司を取り分けている母に、そうはいってみたものの、今夜の出来事の明確な答えは出ない気がした。



 翌日、駅向こうのスーパーマーケットで買い物をしてきた帰り道、通行止めの看板の前でまずは立ち止って前方の通行止めの終わり地点を見据えた。

 土曜日で工事はお休みだったから作業員はいないので、心ゆくまで到達地点を遠目に眺めてから迂回路の矢印に導かれた。

 細い路地を歩き出してすこししてきついカーブになり、小さなお稲荷さんの祠があった。

ちょこっと頭を下げてから通り過ぎる。そこからはすぐに路地の終わりに到達し、駅前とは逆側の通行止め看板の前に出た。時間を計っていたのだが、ものの2分ほどだった。


 昨夜の出来事はなんだったのか。結構な量のお酒でも飲んでいれば酔いのせいにできるのだが、乾杯のビールを一杯飲んだだけだった。




おわり







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― 新着の感想 ―
[良い点] 類似の話はいくらでも転がっていますが、似たような経験を何度もしているので、思わず、これ、ほんとうに怖いよな、と親近感がわきました。 [一言] 工事中迂回で似た経験はもちろんあります。 あと…
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