ブラウン男爵令嬢との対決と静かな決着
「着実に断罪イベントが進んでいってます」
デズモンド公爵令嬢がウィリアム殿下に呼び出され、俺はその事でアルベルト第一皇太子殿下に軽く尋問されて(ウィリアム殿下が最後に来たのが喫茶同好会だから)解放された後の事だった。
店に来るなりアーロン・グレイシス子爵子息がいきなり訳の分からない事を言った。だいぶ前に書いたことだから覚えていないかもしれないが、彼女もまた転生者の一人だ。
「なんの話です?それ」
「……ああ、そうでした。貴女まるで知らないんでしたっけ」
同じ転生者だからつい興奮して……と言ってアーロンは俺が座るよう促した椅子に座った。
「……コホン、では貴女にも説明した方が良いと思うので改めて貴女に説明します」
アーロンは改まって言った。
「この世界は『紅蓮のメルゼガリア』という乙女ゲームの世界なんです。いやそう断言できる程、この世界は似通ってます」
アーロンの前世、会社のOLだった頃に携帯ゲーム機で出ていた女性向け恋愛ゲームの一つに『紅蓮のメルゼガリア』という名前のゲームがあったらしい。
内容はよくあるシンデレラストーリーの話で、ガアールベール学園という学び舎でリリィという少女が編入し、クリスティナという先輩と対決しながら、ウィリアム皇太子やニューウェルという攻略対象のキャラクターと恋愛していくゲームなのだという。
「それって……この世界というか、今の我々の状況とそっくりじゃないですか?」
「おわかりいただけましたか、コルネリア様」
アーロンが俺の問いに頷いた。俺とアーロンが今生きている世界はほとんど『紅蓮のメルゼガリア』と同じ世界観、登場人物を共有しているそうなのだ。
「しかし……前世の私は男ですよ。所謂乙女ゲームなんて縁のない人生でしたし……私もそのゲームのキャラクターなんですか」
「分かりません。少なくともお茶くみ令嬢なんてモブキャラの一人でも聞いたことがありません」
「……という事は」
「はい、その事も含めてこの世界はゲームと完全に同じではなくズレているんだと思います」
そのズレの最たる例が俺なのだそうだが、アーロンは「それ自体は大した問題ではありません。問題は肝心のメインキャラクター達がそのズレを認識しているかどうかです」とアーロンは言った。
「メインキャラクター……?」
「はい、例をあげればこの世界のリリィ・ブラウン男爵令嬢とウィリアム第二皇太子殿下でしょう。二人の交際の様は私がプレイした『紅蓮のメルゼガリア』のウィリアムルートとほぼ同じです」
アーロンによれば、いや彼女によればゲームのウィリアムルートでは主人公のリリィ・ブラウン男爵令嬢は自分を苛めて恋路を邪魔するクリスティナ・デズモンドという公爵令嬢を見事に打ち破り、愛しのウィリアム殿下と結ばれて皆からも祝福されて物語は終了するのだという。
そして、今日デズモンド公爵令嬢がウィリアム皇太子殿下に呼び出されるイベントも、原作のゲーム、ウィリアムルートにあった断罪イベントの展開と同じなのだという。デズモンド公爵令嬢のこれまでの悪行がウィリアム皇太子殿下によって晒され、ウィリアム皇太子殿下によって婚約破棄を告げられる。
しかし、俺のようなズレがある以上何かしらズレた展開になるかもしれない。恐らくその事をブラウン男爵令嬢は理解していない可能性がある。
「という事はつまり……?」
「彼女も転生者の可能性があります」
「……!!」
そう言った上で、驚いている俺にアーロンはこう言った。
「今更貴女にこんな事を言っても仕方ありませんが、ブラウン男爵令嬢……彼女の動向に注意してください。では」
アーロンは言い終えると喫茶同好会を去っていき、俺はその後ろ姿をポカンと見つめていた。
断罪イベントとやらの今日になって今更そんな事を言われても、お茶くみ令嬢、というかいち伯爵令嬢に転生したに過ぎない俺にとっては何が何だか分からなかった。
だいたい、そういう事はもっと早く……と言っても俺はただお茶をくむだけしか出来る事は無い。
アルベルト第一皇太子殿下に相談する事も出来たかもしれないが、アーロンの言う事を信じて「この世界は乙女ゲームの世界なんです!」と言った所で「頭のおかしいヤツがますますおかしくなった」と思われて終わるだろう。
いやむしろもっと最悪な事に……と思ったが想像するのも恐ろしいのでこれ以上考えるのは辞めよう。
『ブラウン男爵令嬢……彼女の動向に注意してください』
代わりにアーロンの言葉を思い返しても、いまいち俺に関わりのある話という実感が持てないでいた。俺はただの伯爵令嬢だと思っていたが、俺がブラウン男爵令嬢にどうこう出来る事があるのだろうか。
いずれにせよ、今日デズモンド公爵令嬢がウィリアム皇太子殿下に呼び出された事は確実だ。その場にはブラウン男爵令嬢もいるだろう。俺が出る幕はない。静観あるのみだ。
──そんな事を思っていたのだが。
「初めまして♪お茶くみさん」
これも運命なのだろうか。
去っていったアーロンと入れ替わるようにして、今俺の喫茶同好会に、目の前のテーブルにリリィ・ブラウン男爵令嬢が座っていた。
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「……いなくても良いのですか、殿下のお傍に」
「フフフ♪」
俺はこの場の空気が、というか目の前にいるブラウン男爵令嬢が恐ろしかった。
出された紅茶に手を付けずに俺を見つめるブラウン男爵令嬢は顔は笑顔だが、目は漆黒の闇って言葉がピッタリなほど暗かった。
「お名前、コルネリア・ローリングって言うんでしょ?」
「……はい」
「じゃあ、コリーちゃんって呼ばせてもらお♪『お茶くみさん』なんて他人行儀でしょ?」
「は、はぁ……」
「もう!コリーちゃんってば緊張してるのかな?そんなに硬くならなくても私たち初対面じゃないでしょ!」
「ま、まぁそうですね」
確かに俺たち年明けパーティーにいたから初対面じゃないけどさ、面と向かって話す事自体は初めてなのにアンタ随分とグイグイ来るね。こういう人の事なんて言うんだろう。
「そ、その年明けパーティー以来ですね。季節の変わり目は体調が崩れやすいですがお身体はお変わりないですか?」
「コリーちゃん。私たち友達になるんだから丁寧語なんてやめようよ」
「……!」
ブラウン男爵令嬢の声のトーンが一瞬低くなって冷たくなった事に俺は心臓を掴まれるような錯覚を覚えた。こんな恐ろしい感覚はデズモンド公爵令嬢相手でも経験した事はなかった。
俺はとにかくブラウン男爵令嬢から目を背けたい衝動に襲われたが、彼女から向けられた瞳がそれを許すとは思えなかった。美しい宝石のように輝いているのに、時折深淵のような闇が垣間見えるのが恐ろしかった。
「……それで?元気かって?フフフ♪年明けパーティーの時は最悪だったよ♪ウィリアム様ならともかく私までコリーちゃんの『恋人』に大恥かかされたからさ」
「……」
「あの後すぐにコリーちゃん達が別れてなかったら、ウィリアム様になんて告げ口して潰してやろうかって思ってたんだ♪この喫茶同好会なんて下らないお店屋さんごっこしてるアンタをさ」
ついにアンタと呼ばれて確信した。俺はあの年明けパーティーからブラウン男爵令嬢に敵視されていたのだ。
(ちっくしょう!ニューウェル侯爵子息め!やっぱり碌でもない事に巻き込みやがって!)
普段ならそんな事を考えてニューウェル侯爵子息に恨み節をぶつけていた所だが、この時の俺はブラウン男爵令嬢に笑顔で睨まれて頭が真っ白になっていた。
俺はブラウン男爵令嬢に恐る恐る訪ねた。
「……わ、私はブラウン様の言う通り、お粗末な喫茶店ごっこをしているいち伯爵令嬢に過ぎません。年明けパーティーでもブラウン様のお気に障ったかもしれません。そんな私と、どうしてお友達になろうとするんです?」
まるでモブキャラがメインキャラクターに(俺の場合は悪い意味で)執着されているかのようなセリフにブラウン男爵令嬢は「……フフフ♪」と不敵に笑った。
「仲直り、って所かな。コリーちゃん」
「仲直り……?」
俺が聞き返すとブラウン男爵令嬢はうんうんと笑っていない目で頷いた。
「コリーちゃんはさ、私の男があの女を呼び出したって事を知っているんだよね。『殿下の傍にいなくて良いのか』って聞いたって事はさ」
「……はい」
「フフフ♪これから始まるのはね、私が知ってるゲームの筋書き通りの展開だよ。あの女が断罪されて皇太子妃の座が私に巡り巡ってくるってね」
「……!」
アーロンが言っていた事、ブラウン男爵令嬢が俺やアーロンと同じ転生者の可能性がある事を思い出し、そしてそれが確信に変わった今思わず目を見開いた。
ブラウン男爵令嬢も俺の表情を見て何かを確信したかのように「やっぱりね」と言ってニヤリと恐ろしい笑みを浮かべた。
「コリーちゃんって転生者でしょ?」
「……!!」
俺が何も言えないでいると、沈黙を肯定と受け取ったのかブラウン男爵令嬢は話を続けた。
「私ね、おかしいと思ってたんだ。ゲームじゃ知らない、変に目立ってる子が学園中で評判になってるってさ。例をあげればあの女とその取り巻き。ニューウェル侯爵子息とアルベルト様。その他にも大物貴族と顔馴染みなんですって?」
「……わ、私は彼ら彼女らとは単なる客と店主の関係で」
「私正直かなりイライラしてたんだよね。コリーちゃんがモブキャラの癖に出しゃばった真似してさ。特に攻略対象のニューウェル侯爵子息と一時的でも恋人になったりして。次から次へと男を侍らせて楽しかった?」
「は、侍らせてなんか!」
俺が反論するとブラウン男爵令嬢はケラケラと笑った。ただし声には一切の感情が感じられなかったが。
「なーんて冗談♪色々あってもコリーちゃんが身の程を弁えている事を私はね知っているんだ♪」
俺はブラウン男爵令嬢の目をじっと見ながら、恐怖からはぁはぁと自分の息遣いが荒くなる事を感じていた。
「だとしたら……だとしたら貴女は何をしに来たんですか」
「言ったでしょ?仲直りだって」
というブラウン男爵令嬢の目は笑っていなかった。いや確かに笑ってはいたが、悪意がこもりにこもった笑顔だった。
「あの女は今頃ウィリアム様に断罪されてる。そうなれば次はコリーちゃんだよ?ニューウェル侯爵子息とグルになって私に恥かかせたんだもの。あの時の事、ウィリアム様だって覚えてるんだよ」
「……」
「でも私は優しいからね♪私に謝って専属のメイドになるって言うならウィリアム様にとりなしてあげる」
「……!!」
「良い考えだと思わない?一生私のお茶くみをさせてあげるわ。給料は一切出してあげないけど未来の皇太子妃に仕えられるなんて光栄な話はないでしょ?どうする?コリーちゃん」
この人、ブラウン男爵令嬢ってヤバい人だ。なんで私が……と言おうものなら何をされるか分からない。そう思っているとブラウン男爵令嬢はニヤリと笑って言った。
「いつまでも死んだ男を追い求めてる無様なアンタにはピッタリでしょ?ジェームズだっけ。つまんなそうな男の名前よね」
……
…………
ブラウン男爵令嬢のセリフを何度も反芻する。
何度も何度も。
…………
そして、
ブチッと頭の中でキレる音がした。
「……もっぺん言ってみろ」
俺の言葉にブラウン男爵令嬢は「フフフ♪」と笑った。
「もう一度言ってみろって言ったんだよ!」
「あれれー?お茶くみばっかりしてて耳が遠くなっちゃった?ジェームズなんてつまんなそうな名前の男を追い求めてるアンタは無様だって言ったのよ」
「ジェームズはな……お前なんかが!お前なんかが軽々と口にしていい名前じゃないんだよ!」
わなわなと怒りが湧き上がってくるのが分かる。拳を握り締めるせいで爪が肉に食い込んで血が流れていく。それを見てもブラウン男爵令嬢はケラケラと余裕そうに笑った。
「未来の皇太子妃に随分と無礼な口の聞き方だね、コリーちゃん」
「……アンタはまだ皇太子妃じゃない!婚約者がいる皇太子殿下にちょっかい出していい気になってるだけだ!」
「もうすぐなるのよ。世間知らずのお茶くみさん」
「クリスティナ様が……デズモンド様が断罪されるのは、アンタが苛められたからってんだろ!苛められたって証拠はあんのかよ!」
「状況証拠だけでもウィリアム様には充分よ」
「……!アンタは破滅する!婚約破棄されてデズモンド公爵家が黙ってるはずがない!」
「知らないの?皇帝陛下も皇后陛下も、ウィリアム様には甘いのよ。二人が守ってくれるわ」
「……うぐ」
「ほら、もう終わり?コリーちゃん」
ブラウン男爵令嬢はさもガッカリしたかのようにため息をついた。
「残念だなぁ。せっかくの仲直りのチャンスをあげようと思ってたのに」
ブラウン男爵令嬢は俺に向かって立ち上がると、悪意の籠った笑顔を俺に向けた。
「破滅するのはクリスティナと私に逆らった出しゃばりのモブキャラよ。私はゲームのシナリオ通り、ウィリアム様と添い遂げる、そして皇太子妃になるの♪」
何も言い返せず、ただ俯くしかない俺をアハハ!とブラウン男爵令嬢が嘲笑っていた。
その時だった。
「半分正しく半分間違いだな」
喫茶同好会のドアの方から聞き覚えのある声がした。
「アルベルト第一皇太子殿下……?」
見れば生徒会長のアルベルト第一皇太子殿下が扉を開けて立っていた。
「失望したぞコルネリア・ローリング。あの程度も言い負かす事が出来ないとはな」
だが、話はそこの女にある。ウィリアム殿下の兄、アルベルト第一皇太子殿下が言った。
「あれ?殿下が私に何の用ですか?もしかして──」
「──下らん話をする気はない。単刀直入に言おう。ウィリアムとデズモンド公爵令嬢の婚約破棄が決まった」
この瞬間、頭を何かで打ち付けられるような感覚があった。以前から破綻していたウィリアム第二皇太子殿下とデズモンド公爵令嬢の婚約破棄の事ではない。このまま行けばブラウン男爵令嬢の思い通りになる、と。
「俺も兄として、証人として愚弟に呼ばれていてな。ウィリアムはブラウン男爵令嬢、お前をご指名だ。添い遂げるにはお前以上の女性はいないそうだ。すなわちお前がウィリアムと添い遂げるというのは正しい」
「ええ!ええ!そうですよね!」
彼女の方もニマリと勝利を確信したかのように笑っていた。
だが、ブラウン男爵令嬢はアルベルト第一皇太子殿下の言葉を思い返したのか、ふと何かを考えた表情になった。
そして真っ青な顔になった。
「……え?では間違っているっていうのは?」
アルベルト第一皇太子殿下は頷いた。
「ウィリアムは帝位継承権の放棄を宣言した。つまりもうウィリアムはもう皇族ではない」
「……え?あ?え?」
「継承権放棄が婚約破棄の条件だとウィリアム自身が嬉しそうにそう言った。すなわちアイツと結婚してもお前は皇太子妃にはなれん」
「……は?」
「クリスティナから自由になるには、殿下と呼ばれる自分の立場を捨てれば良いと考えたらしい。それにブラウン男爵令嬢、お前はウィリアムにこう言っていたそうだな?『ありのままの貴方が好きです』と。ウィリアムが婚約破棄の場でも誇らしげに言っていた。ほら、ありのままの姿になったぞ。喜んだらどうだ?」
「……あ」
そう言ってアルベルト第一皇太子殿下がテーブルの一つに座ると、改めて俺を見た。
「どうしたローリング伯爵令嬢。注文は聞かないのか」
はっと我に返った俺はメニュー表を渡して紅茶の注文を受けた。
「ふん、お前の茶を飲むのは初めてかもしれんな」
「そう……ですかね」
その時だった。ブラウン男爵令嬢が縋りつくようにアルベルト第一皇太子殿下の隣に座った。
「あ、あのアルベルト殿下?私、実は貴方の事前から──」
「──それ以上喋ったらどうなるか分かってるな?」
アルベルト第一皇太子殿下は冷たく言い放った。
「俺は、我がメルゼガリア家はお前たちの事に関して多くのことを不問にしている。ウィリアムが勝手にデズモンド公爵家との婚約を不意にした事、デズモンド公爵令嬢という婚約者がいるウィリアムをお前が誑かした事、デズモンド公爵令嬢に謂れもない非難をした事、ウィリアムの執務を妨害した事、……そしてお前が俺の許可なく隣に座った事。すべて不問にする事にする」
継承権を放棄したウィリアムとお前が本当にありのままの姿で添い遂げる事を条件にな。アルベルト第一皇太子殿下は凍り付きそうな目でブラウン男爵令嬢を見た。
「父上も母上も、愚弟を甘やかしすぎたと激しく悩んでいた。そんな折にこの宣言をしたのだ。デズモンド公爵家に何度も頭を下げる事にはなるが、ようやく二人の肩の荷が降りる事だろうよ」
アルベルト第一皇太子殿下は目をつむってトントンとテーブルを指で叩いた。
「ウィリアムはな、婚約破棄を告げてから学園の門でお前が来ることを待っている。ブラウン男爵令嬢、お前に残されたのは今すぐにアイツの所に行くことだ。拒否するならお前を罪に問う。俺はそれを伝えにここに来た」
これ以上の問答は許さん。
アルベルト第一皇太子殿下がそう言って喫茶同好会の扉を指差した。言わずもがな早く行けという事だ。
「……嘘よ!……だって、そんな」
「……」
ブラウン男爵令嬢はブツブツと呟きながらよろよろと喫茶同好会を出ていった。
ざまぁとは言わなかった。国を揺るがしかねない事をした女にしては呆気ない最後のように思え、何の感情も湧かないでいた。
「……湯が沸いたぞ。ローリング伯爵令嬢」
こうアルベルト第一皇太子殿下に言われるまで、俺は去っていくブラウン男爵令嬢の後ろ姿をぼんやりと眺めていた。
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