『オオヒメカワマスを求めて』
ちょっと長いですが、よろしくお願いいたします。
俺コルネリア・ローリングは喫茶同好会なんて名前の喫茶店を開いているが、他にも趣味という趣味がある。幼少の頃から読書だとか裁縫だとか演劇鑑賞だとか、ローリング伯爵家のご令嬢として相応しい趣味をしろと言われていたが、どうしても前世の名残りが消えなくて今世でもやっている趣味がある。
その一つが釣りだ。フィッシングだ。
肌寒い季節になったからと言って、世界と言うかメルゼガリア帝国にはこの季節にしか釣れない魚が、特に雪が降り始める冬が始まる前に冬眠の準備として沢山食べている魚がわんさかいる。例えば頭頂部がゴブリンのそれに似ている事から名付けられたゴブリンナマズとか、イヌバスとか、大きいのだとビンチョウザメとかエトセトラエトセトラ。
俺はそう言った類の魚を求めて、小さい頃から(今は死んだ)婚約者ジェームズと一緒に大物を求めて釣りに出かけていた。小さかった頃の俺は力はそれほど強くなくて、大物が来た時はいつもジェームズと一緒に悪戦苦闘しながら釣り上げていた。
そうした懐かしく愛しき日々を懐かしむのもまた悪くないし、単純に俺は前世から釣りが好きなのだ。
大物が釣れた時は食べるもヨシ、剝製にして飾るもヨシ、と楽しい事が色々とある(そのおかげでローリング伯爵家には色々な箇所に俺とジェームズが釣った魚の剝製が置いてある)。
今回はそんな釣りをしていた時の出来事なんだ。
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俺はこの日、ガアールベール学園から少しだけ遠いところにあるレッドストーン湖に釣りに来ていた。狙いはもちろんレッドストーン湖にいると言われる大物だ。
名前をオオヒメカワマス。
メルゼガリア帝国が出来る前の大昔、異国の姫君が敵から追われている際に、もはやこれまで、生きて辱めを受けまいとレッドストーン湖に身を投げた事から、この湖にいるカワマスは全て姫君の生まれ変わりと言われている。
そうした経緯からこの湖にいるカワマスをヒメカワマスと呼ばれている(ちなみにカワマスって名前からして川に住んでいるイメージがあったが湖にもカワマスがいるらしい)。
今回狙うのはその中でもオオヒメカワマスと呼ばれる大物だ。どれくらいの大物かと言うと馬一頭のお尻に乗せなきゃ運べない程大きく、両手で抱えても重くて持ち上がらない程の重量を持っている。
この世界と言うかメルゼガリア帝国にも少なからずいる釣りの愛好家達の間では、オオヒメカワマスはこの季節がまさしく伝説の宝魚だ。
そんなオオヒメカワマスを求めて釣りにレッドストーン湖にやって来たのだが……。
「また釣れましたわコリー!」
「……」
「コリー、この釣った魚の名前って何て言いますの?」
「……パーチです」
「なぁんだヒメカワマスじゃありません雑魚ですのね」
「……」
「お、お姉様。俺もまた掛かったんだけど……」
「……多分ブルーギルです」
今回来ているのは俺だけじゃなかった。喫茶同好会でお茶を飲んでいた時に、俺の誘いに心良く了承してくれたギャレット・カルヴァン侯爵令嬢と、何故かそれを聞きつけたタウンセンド公爵令嬢までついてきていた。
事の発端は喫茶同好会に来ていた客から、『レッドストーン湖にでかいオオヒメカワマスがいる』との情報を提供してもらった事が切っ掛けだった。当然の事ながら釣り好きとしてはこの千載一遇のチャンスを逃す訳には行かず、直ぐさま釣り具を用意してレッドストーン湖に出掛ける事にした。
その際に釣れる可能性は少しでも高い方が良いと思い、元男のギャレット様にも来て欲しいと頼んだ所、「姉様と釣りデー……」とか何とか顔赤くしながらブツブツ呟きながら来てくれた(よっぽど釣りが好きだったのかな?)。
そしたら偶々同じ時間に喫茶同好会に来ていたタウンセンド公爵令嬢まで、「私もコリーと一緒に釣りというものをしてみたいですわ!」と釣り具を初めて買って付いてきたというわけだ(彼女が付いてくると聞いたギャレット様が何故か少し不機嫌になったが)。
んで、肝心の釣果は今の所どうなのかと言うと……。
「……」
「わぁコリー!またパーチが掛かりましたわ!」
「お姉様……あの」
「……また掛かったんですね」
貴族の娘が三人並んで釣りをしているのだが、釣果の全体を十とするとタウンセンド公爵令嬢が六、ギャレット様が四。
そして言いだしっぺの俺は……ゼロだった。
時間が経てども経てども一向にかからない。タウンセンド公爵令嬢やギャレット様は雑魚のパーチだとかブルーギルをコツコツと釣り上げていたが、俺のバケツの中には小魚さえ一匹たりとも入っていなかった。
「釣りって面白いですわねぇ!コリー!この調子ならターゲットのオオヒメカワマスを釣り上げるのも夢じゃありませんわ!」
「……」
タウンセンド公爵令嬢は初めてやる釣りの成果が上々で大はしゃぎしているし、ギャレット様も順調に釣り上げているのに対してこのザマと来てしまい、俺は内心来なきゃ良かったなんて考え始めていた頃だった。
「スケフィントン様の所に行ってきます……」
「はいは~い♪」
「お姉様……」
俺はむしゃくしゃし始めた気分を変える為に、これまた偶々レッドストーン湖に来ていて、俺たちからは少し離れた湖畔で絵を描いているスケフィントン侯爵令嬢の下に歩いていった。
「あらあら、クスクス♪さっぱり釣れなくて拗ねちゃったのかしら?ローリング伯爵令嬢」
スケフィントン侯爵令嬢は俺が来た事を認識すると意地悪な笑みを浮かべた。
「うぅ……そっちこそ絵の調子はどうなんですか。良いの描けてますか?」
「こっちはアンタと違って成果を争ってないのよ。見る?」
スケフィントン侯爵令嬢に促されて彼女が描いている絵を覗かせてもらうと、湖畔で釣りをしている三人の令嬢が描かれていた。
「これは……」
「アンタたちよ。中々珍しい光景があったのでね。ほらここご覧なさい」
スケフィントン侯爵令嬢が指差した所を見ると、一人の令嬢が空のバケツを横にむすっとした表情で釣りをしている所が描いてあった。
「……私こんな顔してませんよ」
「してたわよ、頬膨らませてね。フフフ♪アンタも可愛い所あんのね」
「……」
ぐうの音も出なかった俺は話題を変える事にした。
「そ、そう言えば今日デズモンド様は来てないんですね」
「クリスティナ様?」
スケフィントン侯爵令嬢は描いている絵から目を離して俺を見た。
「ほ、ほら……スケフィントン様ともお友達ですしひょっとしたら一緒に来てるんじゃないかなーって」
「あの方はいつも暇じゃありませんのよ。クリスティナ様には未来の王太子妃として王妃教育がみっちりとありますから」
「へぇ……最近はよく喫茶同好会に来てくださってるんですけどね」
「週に一二回アンタの紅茶を飲みにくるだけでしょう?あれでもクリスティナ様はアンタが考えている以上に執務を抱えている多忙な方なのよ」
「なるほどぉ、私はてっきり……」
とウィリアム第二皇太子殿下との事を言おうとしたところで「いずれにせよ伯爵令嬢のアンタ如きが口を挟む事じゃないわ」とスケフィントン侯爵令嬢に遮られた。
「とにかく馬鹿な事言ってないで戻ってくれないかしら?気が散るし」
「……じゃあ湖畔を歩いてきます」
タウンセンド公爵令嬢たちの所に戻っても釣れる気がしなかった俺は気晴らしに湖畔をぐるっと歩くことにした。
そうしてしばらくレッドストーン湖の周りをポツポツと歩いていると、ふと見た先に俺たちと同じくらいの年齢の一人の少女がいた。
「……?」
俺は少女の様子が少々おかしい事に気が付いた。足元はフラフラとふらついていて、血の気のない顔には悲しみが溢れている。
そうして彼女はおぼつかない足取りで湖のほとりに来たかと思うと──
「……!!うっそでしょおい!」
──ドボンと湖の中に飛び込んだのだった。
「なんてこったい!ぼ、ボートは近くにないか?!」
レッドストーン湖はそれなりに深く、身投げしても十分溺死出来る深さだ。騒ぎを聞きつけて周囲にいたタウンセンド公爵令嬢やギャレット様含む釣り人たちも一斉に集まってくる。
しかしボートが置いてある場所は少女が身投げした場所とは反対方向の場所にあり、投げる浮き輪を探している内に飛び込んだ少女はどんどんと溺れていく。
最早万事休すと思われた時だった。
ドボンと新たに湖に飛び込む音が響き渡ると、水面を物凄い勢いで泳いでいく青年がいた。その青年は身投げした少女がいる所まで泳ぎ切ると一気に水面下へと潜り込み、あっという間に少女を水面へと引き上げた。
「大丈夫ですか!?」
その頃にちょうどレッドストーン湖の反対側から、タウンセンド公爵令嬢の使用人たちが乗るボートが到着し、少女はボートへと引き上げられた。
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「ご迷惑をおかけして申し訳ございません……」
「いえいえ、お礼なら彼に言ってください」
「本当にありがとうございました……」
「いえいえ」
身投げした少女は名前をジャズミン・ローズ男爵令嬢、助けた青年はカールとだけ名乗った。タウンセンド公爵令嬢が温かい飲み物とタオルを使用人たちに用意させて少女と青年に与えていると、彼女は俺たちに申し訳なさそうにしながらそう挨拶した。お礼を言われた青年はペコリと軽く頭を下げた。
「しかし、何かあったのですか?身投げするほどお辛い時はお話だけでもすると、気が楽になるかと思いますが……」
俺がそう聞くと、ローズ男爵令嬢は悲しそうな顔をしながら訳を話してくれた。
少々長くなるので諸々割愛させてもらうが、ローズ男爵令嬢には将来を誓い合っていた婚約者がいたらしい。その婚約者と結婚式を目前にした時に、婚約者が妹と浮気をしていたことがが露見し婚約は破綻。元々政略結婚だった事と、家族から良い扱いをされていなかった事から、ローズ男爵令嬢はそのまま婚約者を妹に取られて、『文句があるなら出ていけ』と少ない手荷物と一緒に家を追い出されてしまったらしい。
そうして自暴自棄になったローズ元男爵令嬢は人生に絶望し、レッドストーン湖にまつわる伝承の通り自分もヒメカワマスになろうとして今に至ったそうだ。
貴族の娘にはよくありそうな話ではあるが、なんにせよ酷い話だ。
そう思った俺は何か彼女の気持ちを元気づけられる事は無いか、と考えていた時だった。カールがローズ男爵令嬢の顔を見ながら言った。
「良ければ一緒に釣りしませんか?僕も釣りがしたくて来たんです」
「お、例のオオヒメカワマス目的ですか?」
「!ご存知でしたか。ひょっとしてお三方もこの湖のオオヒメカワマスを狙って?」
「そうなんですよ!コリーもオオヒメカワマスを狙ってきたんです」
「ハハハ、どうも」
「……」
俺たちがオオヒメカワマスを巡って話を盛り上げていると、ローズ元男爵令嬢は「私釣りした事ないんですけど……」と言った。
「あら!私だって釣りは初めてですけど、沢山釣れて楽しいですわ!貴女もやれば気晴らしになるかもしれませんよ!」
タウンセンド公爵令嬢が明るい声で言い俺たちも同調するように頷くと、ローズ男爵令嬢は渋々ながらとカールから釣り具を分けてもらうと俺たちと一緒に釣りを始めることにした。
「カール……釣り……」
この時、騒ぎを聞きつけて一緒に来ていたスケフィントン侯爵令嬢が、カールの事をじっと見つめている事に俺は気がつかなかった。
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「釣れませんわねぇ……」
「釣りってのは待つのが一番難しい事ですからね。ここからが本番って事ですよ」
「……お姉様なんか嬉しそうな顔してない?」
「してないしてない♪」
ローズ男爵令嬢とカールが釣りに参加し始めて早いこと一時間が経過していた。あれほどホイホイ釣れていたタウンセンド公爵令嬢さえ一匹もアタリが来なくなっていた。
え?みんな釣れなくなってる事を俺が喜んでないかって?そんな事ないよ、うん。
「やっぱり……私が湖に飛び込んでしまったせいで、皆さん釣れなくなってしまったんでしょうか」
「そんな事ないと思いますけどなぁ。ほらあっちの方は釣れてるみたいですし」
ローズ男爵令嬢はずぶ濡れになった服を着替えさせてもらったが、心まではまだ暖かくなってはいないようで、大分卑屈になっていた。
「やっぱりあの伝説のルアーが無いとこの湖のオオヒメカワマスは釣れないのかなぁ……」
その時、ポツリとカールが気になる事を呟いた。
「伝説のルアー?」
「釣り好きの間では有名な話ですよ。ルアー作りの名人が作ったとされる伝説のルアーでしてね。何処かの貴族が持っているって言われているんです七色に光るってだけしか分からなくて、本当にあるかどうかは真偽不明なんですがね」
カールがそんな事を俺に教えてくれていると、ローズ男爵令嬢がピタリと動きを止めた。
「ルアー……」
「え?」
そう言ったかと思うと、唯一彼女が持っていた小さなカバンをガサゴソと探り始めた。「どうしました?ローズ様」と俺が言い切る前にローズ男爵令嬢はある物をカバンから取り出した。
「あの……そのルアーってこれの事ですか?」
「「!!!!!!」」
それは虹の宝石のごとく七色に輝くルアーだった。
「ローズ男爵令嬢……どうしてこれを!?」
「間違いない!これが伝説のルアーだ!」
カールと俺が興奮していると、ローズ男爵令嬢は「祖父から貰ったんです」とだけ言った。
「妹は……魚臭くなるから要らないって言ってたんですけど、私は妹と違って宝石の類なんか持てなくて綺麗だったので取っておいたんです。家から持ち出せたのはこれしかないんですけど……」
そう言うと、ローズ男爵令嬢はカールに伝説のルアーを差し出した。
「良ければ使って下さい。私なんかよりよっぽど上手く使えると思いますから」
「あ、ありがとうございます……」
カールは伝説のルアーを大事そうに見つめながら、糸に括り付けて湖へとキャスティング(竿やリールを使って、餌やルアーを遠くに飛ばす事)した。
──そして、伝説のルアーが本領発揮するのはそう長いことかからなかった。
「お?お?うおおおおおおお!!?」
カールが伝説のルアーを付けた竿がピクピクと引っ張られたかと思うと、ぐいっと強い力で引っ張られた。
「きたきた!こいつは今までにない大物だ!」
「ローズ様!貴女も手伝って下さい!」
「は、はい!」
俺とカール、そしてローズ男爵令嬢やギャレット様、タウンセンド公爵令嬢までが竿に集まりカールを支えた。竿は凄まじい力で折れ曲がり、糸は暴れ馬の如くレッドストーン湖を縦横無尽に暴れまわった。カールは必死になって魚と格闘しながらリールを巻きあげて行く。
そして、バシャリとその魚が水面に姿を現した。その立派な姿こそまさしく──
「「「「「──オオヒメカワマスだ(ですわ)!!」」」」」
それから何分ぐらいオオヒメカワマスと格闘しただろうか、オオヒメカワマスは五人の力を合わせてやっとこさ釣り上げられた。こんなに魚と格闘したのは初めての事だった。バチバチと暴れるオオヒメカワマスを縄で縛りあげた。
「ありがとう!ありがとう!ローズ男爵令嬢!貴女のおかげだ!」
「いえ……その……私は何も」
ローズ男爵令嬢は謙遜していたが、カールの興奮は冷め止まなかった。
「貴女に是非ともお礼がしたいんです!僕の家に来てくれませんか!?」
「カール様の……家ですか?」
でも悪いですわ、とローズ男爵令嬢が渋っていると後ろから声が掛かった。
「心配ありませんわ、ローズ男爵令嬢」
「スケフィントン様……」
スケフィントン侯爵令嬢はじっとカールの事を見つめてこう言った。
「貴方もそろそろ戻られた方がよろしいと思います、カール様。いえこう言った方が良いですわね」
カール・アンダーソン侯爵子息様。
その言葉に俺たちは全員目を見開いた。アンダーソン侯爵家と言えば有力な超名門の侯爵家の名前だ。
「アハハハ……貴女にはバレていましたか」
「世の中広しと言えども釣り好きで有名な侯爵家と言えばアンダーソン侯爵家しかあり得ませんわ」
カール、いやアンダーソン侯爵子息が苦笑した時、街道から馬車が止まったかと思うと、カンカンな表情の使用人たちがアンダーソン侯爵子息の下へ集まってきた。どうやらアンダーソン侯爵子息は使用人たちに黙ってレッドストーン湖に釣りに来ていたらしい。
そうしてアンダーソン侯爵子息はローズ男爵令嬢の手を取った。
「ローズ男爵令嬢……貴女のおかげで良い思い出が出来ました。そのお礼をアンダーソン侯爵家として是非ともしたいのです」
「まぁ……」
「駄目ですか?」
ローズ元男爵令嬢はじっと握られた手を見ながら「私なんかで良ければ……」と言って、オオヒメカワマスと一緒にアンダーソン侯爵子息に連れられて馬車に乗っていった。
それからガアールベール学園を卒業した後の話だが、ローズ元男爵令嬢とアンダーソン侯爵子息はめでたく結婚する事になった。その際にオオヒメカワマスの剝製を結婚式に持って行ったらしい。
ちなみにローズ男爵令嬢の妹や家族はアンダーソン侯爵家に取り入ろうとしたようだが、アンダーソン家の計らいで金輪際近付けないようにしているらしい。その影響でローズ男爵家は肩身の狭い思いをしているのだとか。
ひょっとしたらローズ男爵令嬢が持っていた伝説のルアーはアンダーソン侯爵子息をも釣り上げたのかもしれない。こんな事もあるもんだ、と俺はスケフィントン侯爵令嬢が描いた五人の釣りが描かれている風景画を見ながら思った。
題名は「オオヒメカワマスを求めて」。
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