表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
不完全変態  作者: 半導体
9/10

9.ボサノヴァ、夕暮れ


 夕飯の支度をする事にした。なんとなく今日は早めに食べて、ゆっくり入浴をして、さっさと寝てしまいたい。同窓会なんて誰が思い付いたんだろう、うんざりする。

再びスマホが鳴り、けれど今度は電話の着信音だった。話しながら献立を考え、電話越しの上司には、はい、ええ、分かりました、と会社員一辺倒な返事をかます。


料理の支度をする時、私はいつも音楽をかけている。音楽を聴く為の媒体にさしてこだわりは無く、だから唯一の筐体は元彼から譲り受けた「安物のコンポとスピーカーのセット」だけで、兎に角聴きたい時に聴きたいものが聴ければそれで私は舞い上がる。レコードを熱心に聴いている友人もいるが、あれは色々と嵩張って仕方ないように見えた。「針を落とす瞬間は時が止まり、流れ始めるまでの静寂は、ありとあらゆる音がレコードからのハミングを今か今かと待っている」と言っていたけれど、私には毎日出来る芸当ではなさそうだった。勿論、素晴らしい音色にうっとりし過ぎて、お礼にレコードプレーヤーを入念に観察した。

私はてっきり、それは腰の高さ程に大きく重く重厚な造りで、チューリップ型の金属部品も付いていて、そこからラッパのように音が拡がっていく物だという既成概念があったけれど、最近のそれはどうも違うらしかった。持ち運びが容易で、まな板くらいの面積で軽く小さく、例えばキッチンカウンターやサイドテーブルにまで据え置けるのだ。私にはとても衝撃的だったし、おまけに今それが「流行っている」らしかった。

けれどやはりレコードを仕舞うには嵩張る。私は友人の家で聴く程度に留めておくのが最善の策だと改めて考え、その明け透けのなさに我ながら感心した。私のコンポやスマホからは聴こえないハミングに関しては、私自身が作り足して味わえば良いとも。


夕方、こんな日はボサノヴァが丁度良いだろうと思って部屋に流す。やはり選択は丁度良く、デジタル化された旋律が部屋の中で泳ぎ始める。木べらを持ちながら私も揺蕩い、オリジナルのワルツステップまで繰り出してしまう。出鱈目に踊り、調理し、鼻歌を歌い終わった後、またドラッグストアへ行く羽目になった現実と立ち向かう。


「嗚呼、嗚呼、ついさっき、行ったあばかりなのにい」


鼻歌に立派な歌詞をくれてやった。

驚愕の事実だが、出張が決まってしまったのだ。どうせなら暖かい時期に行きたかったし、野菜もしっかり買い込んだばかりなのに、あの上司ときたら夕飯前にわざわざ連絡を寄越すなんて。

暫し我が家とお別れして、ショートステイの支度をせねばなるまい。たかだか二泊三日の出張だが、旅支度も淑女の嗜みなのだ。ふと、飛行機の中でお手玉の練習をするのはどうだろうと名案が浮かび、下手くそなワルツステップが再開された。


夕飯を食べて、また買い物に行こう。バッグに着替えと、化粧品と、書類と、充電器、手土産は空港で買おう。


「さようなら、俊平くん。また逢う日まで、ごきげんよう。」


なんだかハイカラな台詞になったのは、私とボサノヴァが一緒に音楽そのものを心から楽しんでいた結果の様に思う。いつかの甘ったるいサイダーのように、私の身体は再びしゅわしゅわと揮発していく。泡立つ二の腕を再び天井に取られまいと、自分を縋るように抱いたまま、けれど足取りは水面で踊るバレリーナだった。明日は晴れるかもしれない。


月曜日、私は東京駅に立っている。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ