7.実家に届く私宛のハガキ
母からのメールに気付いたのは、ドラッグストアとスーパーマーケットをはしごした後の事だった。
「同窓会のお知らせが届いています、どうする?小学校のらしいです、往復ハガキだから代わりに返送しますよ」
文末にはちんちくりんな絵文字が踊っている。どうする?とは果たしてどういう意味なのか、買ってきたゴミ袋と柔軟剤、大根と白菜と人参と豚バラ肉を仕分けながら考える。
スマホを冷蔵庫の上に置いた瞬間、指先から極微量の仄青いプラズマが走り、文字通り電光石火の勢いで右腕の血管をズタズタに駆け上がり、私の心を通電させた。
その衝撃が起因したのか、普段は折り目正しく仕舞ってある、古くなった記憶たちが間欠泉の如く噴出する。そのまま天井にぶつかるや否や頭上から舞い降り、部屋中を旋回し、やがて自立して羽ばたき始めた。
それは銀河のように雄大で美しく、或いは桃源郷に咲く桃色の花々のように瑞々しく在って、寸分の狂いも時差も余計なフィルターも一切無く、今まさに生き生きと飛び廻る。素直に立ち尽くす私の目線よりも少し上で、ひらひらと、無限の鱗粉を溢しながら。
今も何処かで元気に暮らしているのだろうか、私の指先を痺れさせ、安らかに眠っていたモンシロチョウまで叩き起こしてくれた、あの俊平くんは。
麻実が俊平を悪く思った事など、只の一度として無かった。モンシロチョウの実験に失敗してから、彼は麻実という少女を真実ごと引っ括め、目を逸らし、存在自体を避けるようになってしまった。しかし、それでも彼に悪いところが果たしてあっただろうか。小学生の時分、母親という存在が如何に強靭で絶対的なものか、麻実はそういったくだらない事にも理解ある少数派の少女だった。
多感な時期に己と対峙する事が如何に辛かった事だろう、渋々私は思い返してみる。
悔しくて恥ずかしくて無力で無知であった自分と生まれて初めて出会い、心底怒りを感じた筈だ。大抵の場合、人はそこで都合良く大人になり、あらゆる些細な何かに揺らがぬ様、鈍化させてしまう。大人はポップコーンを遥か遠い地面に落としても、それはなんの変哲も無いポップコーンなのだから、一々悲しんではいけない。勿論、私はいつまで経っても悲しむままの大人になってしまったけれど、でも大抵の大人はぼんやりしなきゃ、やってられないのかもしれない。
けれど、もしも今、大人になってから後悔させてしまっていたらどうしよう。だからずっと私は明るく踊って過ごしていたのに、それがたった今の彼を傷付ける事になっていたら。破裂したお手玉をやっと思い出して、今更悲しんでいたら、どうしよう。
俊平くんはあれから沢山のものをかなぐり捨て、自分に課した大勢の嘘共を本当にしようと、血反吐を吐きながら生きていたように見えた。
私は小利口な事が到底出来なくて、不器用に一つ一つを吟味し、丁寧に味わい、咀嚼し、血肉にして生きてきた。
柔軟剤や人参を容易にやれても、その行いの善悪だけ、私は未だ仕分け出来ずにいる。高校受験と引き換えにサッカーを辞めて、それで俊平くんは良かったのか。あんなに大切にしていたサッカーボールをどうして自ら手放せるだろう、本当はまだ持っている筈なのに。モンシロチョウだって、本当は立派に生きて飛び回ってる筈なのに。心の中のものまで壊して殺して焼き払って無かった事にしなくたっていい筈なのに。嘘なんて吐かなくてもいいのに。事実をありのまま受け入れる事は決して恥ずかしい事じゃないのに。
麻実は部屋中に散らばった思い出を、やおら綺麗に仕舞い直す。丸腰の生々しい感性に飲み込まれ、溺れて居やしないか、俊平くんは心から元気にぼんやり生きているだろうか。
「ハガキ、行かないので捨てて下さい」