4.俊平の朝食
今朝から空は「全国的に雨」の予報通りだ。そういえば昨晩から何となく雨が降っていた気がする。だから先日気にかけてしまった麻実について、俊平は今日が土曜日だからという明白な都合上、渋々整理整頓する事にした。同級生で幼馴染で昔々はいつだって仲良く遊んでいたはずの、麻実についての記憶や何かを。
朝食はいつも「8枚切り」の食パンを一枚、ビニール製の包装から引き抜く。焦げ茶色くらいの、仮に指が当たったとしてもザリ、と鳴るくらいの塩梅に焼く。それからごく薄くジャムを塗り、ジャムの味というより、トーストのガリガリした食感を主に味わう。いつもバターやマーガリンをつけないようにしているのは、世の中にはそれらを不健康だと主張する人達もあって、俊平はそれがもし本当だった場合の未来が末恐ろしいからだ。
続けて思うに、不確定な未来は案ずる程助長され、比例して成長してしまう。その得も言われぬ不安な思考自体が、現実に二本の腕として具現化され、じわじわと己の首を締め付ける。
つまり、いつか自分が死ぬなんて事ほど馬鹿げた話はない。バターもマーガリンもオーガニックのジャムでさえ、塗ろうが塗りまいが死ぬだなんて!とにかく今は只、二本の腕を避けて生きていれば良いのだ。この歳でそれを誕生させるには全てが未熟すぎて耐え難い。
ここまで思案してから、俊平は数秒間、酸素を吸っていなかった事に気付き、細く平べったい胸板を二度、大きく上下させた。右手には皿、皿の上にはいつものトーストが既に存在していた。僕はただ、くまのパディントンに憧れているだけかもしれない。本当はそちらの方がずっと善い。
平日は入念に焼いたトースト一枚と、インスタントコーヒーで済ませる朝食を休日然としたものに設えた。白身の外周をガリガリに焼いた、けれども半熟の目玉焼き(仕上げに塩と黒胡椒を振っておいた。黄身の上に白の薄膜をかけるか否かはどちらでも良くて、その時々の気分に任せて焼く。今朝のはフライパンへ蓋をしていないから、艶やかな黄身がひとつ、ぽってりと在る)と、レタスを二枚と、長細い種類のミニトマトを三つ、例の皿へ乗せ足した。
中学生にあがると、麻実は7組で僕は2組だった。僕が「新入生代表挨拶」を務めたことははっきりと記憶している。所謂、マンモス校というやつだったし、僕はとても忙しく学業に専念していて、麻実とは瞬く間に疎遠になった。
僕は目指す大学を眩しく思い、麻実は窓から捲き上るカーテンごと眩しく思っていた様子だった。それが図書室でも理科室でも、とにかくありとあらゆる教室で窓際に座り、窓の外を睨みつけたり疎ましくしたり、はたまた頬杖をついて、ぼんやり惚けたりしていた。
「俊平くんは、背が伸びたんだね」
いつだったか、麻実が行く手を塞いで言い放った事がある。僕の喉仏に麻実の息が、ピアノの旋律を思わせる軽やかさで、しかし淡くするりと舞って消える。麻実は自分の手を僕の頭上にかざしたり、眼球をかしましく動かしていて、なんて事のない様子で目測していた。
お互いの心身はいつの間にか成長し始めていて、僕だけが居心地の悪さを覚えたのかもしれない。いや、居心地は良かったのかもしれないけれど、それでも側に居るとはっきりした息苦しさがあった。僕の中のまぁちゃんは既に息を潜め、僕の得意とする数学では解決出来そうにない、得体の知れない存在に成っていた。
息苦しさの原因は今になって分かるが、代わりにせっかく設えた朝食も僕の淡い期待も、麻実のせいですっかり冷めてしまった。
ごく普通の幼馴染の一人で、今朝のは間違いなく美味しい朝食だと期待した俊平のそれらが、ぶっきらぼうに潰した黄身ごとぬらぬら溢れ、ついでに黄色が付着したフォークまで床に落としてしまった。
当時の麻実は勿論セーラー服が似合っていたけれど、本当に整理したい案件はあれだ。もっと幼かった頃の、僕と麻実のモンシロチョウの何か。しかし流石に食事時に蝶々はアンマッチすぎる、それでモンシロチョウの件はコーヒーの後に再開する事にした。