序章9 王都
その後、途中魔物に遭遇しつつもエドワードの速やかな対応で難なく倒し、予定より早めに行程を進めることができた。
そして、移動休憩や夕食後毎日行ったエドワードとの特訓のお陰でミアの魔法技術はメキメキ上達していった。魔物との戦闘では、微力ながらミアも応戦した。
ファリガを発って5日目の夕刻、一行は王都ベン・ロホに到着した。
「ここが、王都だよ。ファリガよりもずっと大きくて、綺麗な街だろう」
ベン・ロホは、古くから都として栄えてきた都市だ。街並みは古都らしい落ち着いた趣があり、石畳が街中に敷かれた山と湖に囲まれ、街から一歩外に出ると風光明媚な大自然を望むことができた。
「すごい。建物がたくさん!」
ミアは目を見開いて落ち着きなくはしゃいでいる。
少しスピードを落として通りを進んで行く。城下町の門を抜ける際、衛兵がエドワードを認識し、敬礼を行った。
「ご苦労様です」
すれ違い様、エドワードも答礼し衛兵に労いの声を掛ける。そのやり取りを見ていたミアが不思議そうに声をあげた。
「お知り合い?」
知り合いではないが、同じ王宮勤めなので同僚ということになるのだろうか。おそらく役職は自分の方が上であるが。
「まぁ、そんなところだ」
その後も目抜通りの辻や王宮への門等至るところで同様の挨拶を行ったため、ミアから「本当にみんなお知り合いなの?」と疑われるほどであった。
正確には、エドワードはそれぞれの個人を認識していたわけではないが、王宮の勤め人だけではなく街中の市民にとっても、若くして中隊長に抜擢されたエドワードは有名人であることに違いなかった。
王宮のすぐにそばにある、王立騎士団宿舎に到着したのは、ちょうど鐘が終課(午後6時)を告げる頃だった。
「エドワード中隊長!お帰りなさいませ」
中隊長付きの秘書であるマーガレットが嬉しそうに駆け寄ってきた。
「メグ!戻っていたのだな。ゆっくり休めたか?」
「ええ、お陰様で。中隊長もご実家で羽根を伸ばせたようですね。お顔つきが晴れやかでいらしゃる」
エドワードが長期休暇の間、秘書であるマーガレット(エドワードにはメグと呼ばれている)も同様に休暇を取っていたのだ。そろそろエドワードが帰ってくることを見越して、昨日から業務に復帰していた。
エドワードは馬を降り、ミアと猫入りのバスケットを抱えて馬から降ろした。
「えっと、そちらは?まさか、中隊長…」
マーガレットは怪訝そうにミアを見つめる。
ミアはバスケットを抱えたままエドワードの後ろに隠れた。
「僕の大切な家族だ。メグ、すまないがペルセウスを厩舎で休ませてくれ。それから、薬草入りの飼葉を与えるよう厩務員に伝えてほしい」
エドワードは馬の瀬を跨ぐように左右に載せていた荷物を肩に担ぐと、慣れた手つきで手綱をマーガレットに渡し、指示をだした。そして、ミアの手を引いて宿舎にある自室へと向かっていく。
「中隊長…」
マーガレットは去ってゆくエドワードの背中を切なそうに見送っていた。
宿舎の3階、一番奥が第2中隊長の部屋である。
鍵を開け、日の落ちた薄暗い部屋に入る。約2週間振りの自室に、エドワードは安堵の溜め息をついた。
ーふぅ。無事に、ミアを連れてこられた。
「エドワードさん、燭台はどこ?」
魔法の訓練をしてから、燭台に火を灯すのはミアの役割となった。なぜかわからないが、ミアの灯りの方が明るく綺麗に灯るのだ。彼女は火の精霊との相性が良いのかも知れない。明日、役所でエレメントの鑑定を兼ねて届け出を行わなくては、とエドワードは考えを巡らせた。
「こっちだ。頼む」
点火しやすいよう、燭台を手に取りミアに差し出す。
灯りが点くと、ぼんやり部屋が明るくなる。
「ここが、エドワードさんのお部屋?」
「そうだよ。こっちは執務室…ええと、お仕事をする部屋。その奥が寝室だよ」
周りを見回すと、ソファとテーブルの応接セット、仕事用の机と椅子、2つ並んだ本棚には国の歴史や兵法、魔物や薬草、魔法に関わる本等が雑然と並んでいた。そして、奥に衝立で仕切られた先には、ベッドと簡易テーブル、折り畳み式のスツールが備えつけられていた。
ソファに座り一息ついていると、軽いノック音が聞こえてきた。
てっきりマーガレットか誰か部下と思い、どうぞ、と素っ気なく答えたが、ドアを開けて入ってきたのは予想外の人物であった。
「エディ様、お久しゅうございます。王都に戻っていらっしゃったのですね」
カスラーン王国の第2王女であるソフィアが、優雅な物腰で佇んでいる。後ろにはお付きの近衛兵が2名控えていた。
「ソフィア様!」
エドワードは慌ててソファから離れ片膝をつき頭を垂れ最敬礼を行った。
「エディ様、長旅でお疲れでいらっしゃるのでしょう。私のことはお気になさらずどうか姿勢を楽になさってくださいませ。」
慈愛に満ちた女神のような声だ。愛おしい女性が自分を気遣ってくれている声がこんなに耳に心地良いとは知らなかった。エドワードは初めての感覚に幸せを噛みしめた。
「明日お戻りになるとお手紙で伺っておりましたのに、先ほど門を通られたと小耳に挟みましたの。私もう、居ても立っても居られず押し掛けてきてしまったのですわ」
ソフィアはやや照れた表情でそっと手の甲を差し出す。
エドワードは恭しくソフィアの手を取り、王家の紋章が刻印された指輪にそっと唇をつけ、立ち上がった。
「ソフィア様、申し訳ございません。旅の行程が思いの外順調に進み、つい先ほど王都へ帰還いたしました。本日はもう遅いので明日ご挨拶に伺うところでした」
だらしないところを見られてしまったと俯いて恥じるエドワードに対し、王女はそんな彼を見て愛おしそうに微笑んだ。
「私が貴方にお逢いしたかっただけですのよ。ところで、例のお子はご一緒ではないのですか?」
「一緒ですよ、そちらに…」
エドワードは振り返ってミアがいた場所を見たが、姿を消していた。
ー寝室に隠れたか。
「少々お待ちください。今、連れて参ります」
エドワードが衝立を退かして寝室に入ると、壁に張り付いて隠れているミアを見つけた。
しゃがんで、ミアと視線を合わせる。
「ミア、大丈夫だよ。明日、王宮で会うお方がわざわざ来てくださったんだ。ご挨拶だけ、一緒にしような」
「あの人も、エドワードさんのお友達?こわくない?」
「ああ。こわくないよ。とても優しいお方だ」
「わかった…」
エドワードにしがみつきながらミアはおずおずとソフィアの前に出た。コウとフクもミアの両脇に並ぶ。
「ソフィア様、こちらがミア。それから黒猫のコウとフクです」
ミアはやや緊張しながらもスカートをつまみ片足を後ろに下げて礼儀正しくお辞儀を行う。猫達はじっとソフィアを見つめていた。
「まあ、貴女がミアさんね!猫さん達もとっても可愛いらしいわ。私はソフィア。よろしくね」
ソフィアも簡単に膝を曲げて答礼を行い、ミアに聞こえないようそっとエドワードに早口で耳打ちした。
(アシュリン王女で間違いございませんわ。)
にこり、と雅な笑みを浮かべてソフィアはエドワードから離れた。
「明日は今後についての詳細と併せて、市民登録等手続きが必要なものは全て対応してしまいましょう。役人も手配してありますわ。エディ様の上司であるノア大隊長にも、今回の件につきましては遣いを送っておきますわね」
そして、ソフィアはミアの手を取り両手で優しく握る。
「ミアさん。明日、また王宮でお会いしましょうね。朝食と湯浴みはこちらで準備いたしますわ。朝課(朝6時)に馬車で迎えを出しますのでお越しくださいませね。約束ですわよ?」
あどけない笑みを浮かべて、小指をミアの目の前に差し出す。
ミアは警戒心が解けたのか、少しはにかみながらソフィアの小指に自分の小指を絡め、頷いた。
「エディ様も、明日はミアさんとご一緒に国王にも謁見いただきますわ」
「御意のままに」
「ふふっ。あっ、私大切な物を忘れておりましたわ。王宮から軽食を持ってきたんですの。よろしければお召し上がりくださいませ」
後ろに控えていた近衛兵が、手際よく応接テーブルに食事を並べ始めた。
「それでは私、そろそろ戻りますわね。急に押し掛けてごめんなさいね。エディ様とミアさんにお会いできて嬉しかったですわ」
「勿体なきお言葉」
「ごきげんよう」
ふわり、と軽やかに一礼してソフィアは近衛兵と共に部屋を出ていった。
深く礼をしていたエドワードは、ソフィアの足音と入れ違いでやってくる別の足音に顔を上げた。
「ソフィア王女までいらっしゃるとは。何があったのですか、中隊長」
マーガレットが無遠慮に部屋に入ってくる。
「明日、ミアと共に朝課より王宮に赴く。おそらく終課までかかるだろう。ノア大隊長には別途王宮から報せが行くそうだ。第2中隊の皆には、引き続き警備と訓練に励むよう伝えてくれ」
「ミア、とはこの女児のことでしょうか。このまま宿舎に、中隊長の部屋で暮らすのですか?彼女は何者なのですか?」
マーガレットは前のめりに質問を浴びせる。エドワードに女性が絡むと、彼女は感情の制御が利かなくなる。
ミアが不安そうにエドワードを見上げたので、大丈夫だよ、と頭に手を乗せる。
「言ったろう、ミアは僕の大切な家族だ。彼女の今後については、明日王宮での話し合いで決まる予定だ。それ以上の詮索は不要だ」
証を携える者のことは、おいそれと口に出せる話題ではない。秘書とは言え明かすことはできない。訊かないでくれ、と強めに念押しする。
「…申し訳ございません。出すぎた真似をいたしました」
マーガレットはしょんぼりと肩を落とす。
ー言い過ぎたか。
はぁ、とエドワードは溜め息をついた。
「おそらく、暫くはこの宿舎で僕と一緒に生活することになるんじゃないかと思われる。ただ、女性のことは僕も解らないから、メグを頼らせてもらうこともあるかも知れない。その時は、力を貸してもらいたい」
マーガレットへの慰めのつもりで言うと、ミアは「嫌だ」と言わんばかりに眉根を寄せてエドワードの手を引く。
「中隊長の頼みとあれば、承知しました。ところでこの子、中隊長とは全然似てませんね。母親似ですか?」
「は?」
エドワードとミアは顔を見合わせてポカンとしてしまう。
「大切な家族とは、中隊長のお子様なのでしょう?」
ーどうしてそうなるのか?
「君がどう思おうと勝手だが、事実と異なることを憶測で広めるような事だけはしないでくれ」
「なんだ、違うんですね。良かった!」
マーガレットは嬉しそうに破顔しだ。
「それを聞いて安心しました。それでは、お休みなさい、中隊長殿」
元気に敬礼をして、マーガレットは自室へと戻っていった。
ー疲れた。
エドワードは本日何度目かの溜め息をつき、ソファに深く身を預けた。
マーガレットはしっかり者で優秀な秘書なのだが、やや自信家で気が強く私情を挟みがちなのが欠点であった。
それに引き換え、ソフィア王女の対応は素晴らしかった。
事前に手紙に状況を認めて共有していたとはいえ、内容を理解しただけでなく、そこから先回りして各方面への調整や段取りまで行い、全てがスムーズに進むように自ら考えて場を整えてくれていたのだ。
王との謁見なんて申し込んで直ぐに許可されるものではないが、申し込む前に既にセッティングされているのは見事としか言い様がない。
ーさすがソフィア様。頼りになるお方だ。
エドワードは、ソフィアから差し入れられたパンを頬張りながら、王女の笑顔を思い出していた。きっとこの差し入れも、遅い時間の帰還で食事を十分にとれないことを見越して、慌てて持ってきてくださったのだろう。
デレデレと表情が崩れていくエドワードを、ミアは不思議そうに見ていた。