序章6 出発
「おはようございます」
「やぁ、おはよう」
翌朝、浴室から出たところでエドワードはミアに声をかけられた。
「あの、昨日はありがとうございました」
「よく眠れたかい?」
「はい」
「そうか、よかった」
優しく頭を撫でる。少しはにかんだ表情がなんとも愛らしかった。
亜麻色の髪に深碧の瞳、やや猫背ながらも両手を前に重ねた仕草は、孤児という言葉に連想されるみすぼらしさとは無縁の優雅さを放っていた。
昨夜は暗かったし、とにかく汚れていたから容姿についてははっきり確認していなかったが、朝の太陽を浴びた彼女はまるで天使のようであった。
ーさすが、亡国とは言え元王女だな。
子供ながら隠し様のない気品に感心してしまう。
「あの、、?」
「失礼、何でもないんだ。朝食は食べたかい」
「ううん、まだ。エドワードさんを連れてくるように、タラさんに言われて」
「そうだったのか、ありがとう。一緒に食卓に行こう」
朝食後、エドワードはミアを部屋に呼び、感情を刺激しない程度に今までの事を聞き出した。訊かれた質問をきちんと理解し、訥々と、しかし懸命に話してくれる様子から、 聡明で真面目な性格であることが伺い知れた。
自分には親がいないこと、修道院のみんなが家族だったこと、2匹の黒猫はコウとフクという名で修道院に来る前から一緒にいたらしいこと。
あの事件の日は、大人達が忙しいので邪魔にならないよう地下の秘密基地で遊んでいたら閉じ込められてしまったこと、そのまま眠ってしまい、目覚めた後地下から抜け出したところでエドワードに会ったこと。
事件から昨日までの間に一年の月日が経っている事を改めて説明したところ、やはり認識が無いらしく怪訝な表情をしていた。
おそらく証の効力か、または何かの魔法が発動したのだろう。これも、王都に戻ったらあの方に相談してみよう。
そう考えて、エドワードは少し気持ちが浮き立った。ローレンス王子の仲介者は彼の実姉であるソフィア王女は、エドワードの想い人であった。
胸の証のことは特に彼女が自分から話そうとしなかったので、エドワードも深追いしなかった。彼女は証の意味をきっと知らないであろう。説明を行うのは然るべきタイミングが来るまで待つことにした。
エドワードが明朝ファリガの街を出て王都に戻るをこと伝えるとミアは悲しそうな顔をしたが、一緒に行って新しい生活を始めるのだということが分かると、頬を紅潮させ上目遣いで「コウとフクは…?」と問う。
本来、連れていくべきではないと思う。ただ、昨夜エドワードとミアとの縁を結び、また彼女が修道院に預けられる前から一緒にいたという点を考えると、理屈では説明できないが離さない方が良いと思った。
「もちろん、一緒だよ」
そう答えると、ミアは初めて心からの笑顔を見せた。
昼前になり、エドワードはミアを連れてファリガで一番の露店街に出かけた。明日はここを発ち王都へ向かう。自分一人であれば数日の行程だが、ミア(と今は家で留守番中の猫2匹)が一緒では無理はできない。旅の支度を整えるため、物資の調達に商店をめぐっていた。
子供用の衣類・靴・鞄、猫用バスケット、膝掛け、携帯食、猫のおやつ、護身用のアクセサリー、歯ブラシや石鹸などのサニタリー用品。
いつもの甲冑ではなくラフな普段着で買い出しに来ているためエドワードと気づく人はそう多くないが、親子連れにも兄妹にも見えない組み合わせで女児を連れて歩くのは些か居心地が良くない。できれば早く切り上げて帰りたい。
必要なものは概ね購入できたしそろそろ帰ろうかと通りを引き返したところで、ミアが雑貨店の前で足を止めた。
「どうしたんだい?」
「猫ちゃんの首輪…」
異国の輸入雑貨を取り扱う店の軒先に、赤、黄、紫など色とりどりの組紐が並べられていた。猫の多い港町を意識してか《猫の首輪にぴったり!》というイラスト入りのPOPがミアの興味を捉えたようだ。
「いらっしゃいませ!東の大陸からの珍しい交易品だよ。細いけどしっかり編んであるから丈夫なんだ。伸縮性もあるから、猫だけじゃなくもちろん人間が使うのにも便利さ」
売り子が店の奥から声をかけた。よく見ると彼女のお団子ヘアもカラフルな組紐で結い上げられていた。
「ミアの髪を結ぶのにも使えそうだな」
なんとなく口に出してみて、はっと気づく。
ーそうか、女の子だもんな。ヘアブラシも必要か。
「コウとフクの首輪と一緒に、ミアの紐と櫛も買おう。どれがいい?」
ミアは驚いて振り返り、ブンブンと激しく首を振る。
「わたし、本当にお金持ってないの。さっきもたくさん買ってもらったし…」
わしわしわしわし
「僕には気を遣う必要なんてないさ。好きなの選びな?」
エドワードはミアの頭をくしゃくしゃにして優しく微笑んだ。
「ほんとに、いいの?」
「いいよ。ほら、これなんてコウに似合いそうだろ」
「あ、えっとね。コウはこっちがいい。そっちはフク」
ーいや、どっちも同じ黒猫じゃないのか?
そう思ったが、エドワードは心の中だけに留めておいた。なかなか見られない、ミアの子供らしい無邪気な行動を微笑ましく感じていた。
結局、組紐と櫛を購入した後も露天に立ち止まっては食べ歩き、最後に立ち寄った小物屋で手袋と耳当ても追加購入して、家についた頃には日が傾きかけていた。
翌朝、フィッツジェラルド家の庭では出発の準備が整った弟を送り出す家主の姿があった。
「兄さん、それでは行って参ります」
「おう、気をつけろよ」
兄弟は、庭先で短い挨拶を交わした。
「また暫く会えないのだから、お義父さんも見送ってくださればいいのに…」
兄嫁のタラがこぼす。父親は、夜明け頃には家を出て港で貿易船の入港対応に追われていた。
「はは、父さんですから」
ずっと父の背中を見て育ってきた。幼少の頃、母親を亡くして男手一つで3人の子供を育ててくれた、大きな背中を。不器用ながらもたくさんの愛情を注いでくれたことを、子供たちは知っている。
家庭を顧みないのではなく信頼してくれている、ということをエドワードもアーロンも十分理解していた。
「ミアちゃん、またね。うちは男ばかりだから、娘ができたみたいで嬉しかったわ。またいつでも遊びにいらっしゃいね」
「お世話になりました」
ミアは、深々とタラとアーロンにお辞儀した。
修道院での躾なのだろうか、ミアは子供ながらに礼儀作法を心得ている様子が伺えた。
「さぁ、行こう」
エドワードは、ミアを抱き上げ鞍に乗せ、その膝の上に猫2匹が入ったバスケットを置いた。
そして、自身も左足を鐙に掛け、右足で地面を蹴って馬上にまたがった。
「では、みなさんお元気で。また便りを送ります」
ミアを抱えるように手綱を握り、はっ、と短く声を掛け足で馬のお腹にぐっと力を込めると、愛馬も心得たと言わんばかりに走り出し、フィッツジェラルド家を後にした。