序章5 覚悟
5つの精霊と、光と闇の調和で構成されている世界。
光の加護を受けた先導者と、闇の加護を受けた守護者に、世界の命運は委ねられている。
加護の証を授かった少年と少女の、試練と小さな恋のお話です。
「僕は、エドワード・フィッツジェラルド。騎士だ。キミは?」
「わたし、、ミア・ルンデル、です。ここに、住んでいました」
修道院跡で出会った女児は、行方不明になっていたミア・ルンデルだった。
孤児で身寄りのない少女が1年間も何処にいたのか、彼女に訊いても地下にいたというばかり。修道院が襲撃されて1年が経過しているという事実も受け容れられていない様子だった。
寒空の中、しかも夜にミアを一人にするわけにもいかない。
ーとりあえず今日は自宅で保護するしかないな。義姉さんに手伝ってもらおう。
ふぅ、とエドワードは白い息を吐き、ミアをみた。
ミアは寒そうに両腕を抱き、今にも崩れ落ちそうな修道院をじっと見つめていた。
彼は自身のマントを脱ぎ、驚かせないよう徐にミアを包み込んだ。
「今日はもう遅い。僕は家に帰るけど、キミも一緒に来ないか。修道院は、その、もう…」
努めて優しく声をかけたつもりだったが、続く言葉がどうしても残酷で言い淀む。
「…うん」
全てを察したのか、ミアは吹っ切るように目を閉じ、力強く頷いた。
「良い子だ」
わしわしと頭を撫で、マントに包んだミアを抱き上げる。
「わ、わ」
ミアがあたふたと身動いだので、エドワードは安心させようととびきりの笑顔を向ける。
「大丈夫だよ。お馬さんに乗って帰るからね」
馬を停めたところまで歩きだそうとして、何かの重みが加わる。
不思議に思いミアを見てみると、先ほどの黒猫の片割れが乗っていた。直後、もう片方の猫も垂れたマントを足掛かりに登ってきた。
「君たちも一緒に行きたいのかい」
つーん。
エドワードの問いには応えず、2匹はマントの中に入り込みミアの胸とお腹の上でそれぞれ丸くなった。
「…この子たちは、ダメ?」
「いいよ。家族なんだろ?」
「ありがとう」
離れようとしない2匹の猫もろともフィッツジェラルド家に連れ帰り、簡単な食事の後湯浴みをさせて客間のベットで眠らせた。
その頃、エドワードは自室の机で頭を抱えていた。
連れ帰ってきたもののこれからどうしたものか。ミアが普通の孤児であれば事を急ぐ必要はない。だがもし、闇の加護の証を持つものであれば仲介者に知らせる必要がある。しかし、まだ幼い。そしてまた異形の魔物に狙われる危険性を考えると、仲介者にもリスクが及ぶ。
まずは、証を確認しなければ。証は身体のどこか一部に宿っているはず。アーロンの妻が湯浴みに付き添っていたはずなので訊きに行こうと席を立ったところで、控えめにドアをノックする音が聞こえた。
「エド。ちょっといいか」
アーロンの声だ。慌ててドアを開ける。
「兄さん、ちょうど良いところに。僕もお伺いしたいことがあったのです」
珍しく神妙な面持ちのアーロンは、部屋に入りそっとドアを閉めると、眉をひそめ低い声でぼそりと話し始める。
「アシュリン・ドイル・オブライエンという名に心当たりはあるか」
それは、エドワードがミアと同一人物ではないかと憶測している、今は亡きクルアン国の王女の名であった。
「証があったのですか!!!」
ーしっ。
アーロンは素早い動きでドアに耳をつけ、廊下の気配を探る。その後、何事もなかったかのように部屋の中央にあるソファに身を沈め、煙草を取り出した。エドワードは慣れた手つきで火をつけ、灰皿を差し出しながら自身もソファの向かいに先ほどまで座っていた椅子を持ってきて腰を下ろした。
ふーっ、とアーロンは天井に向かって煙を吐いた。
「落ち着け。でかい声を出すな。誰かに聞かれでもしたらどうするんだ。まったく」
「す、すみません」
「証はあった。胸元にある黒い紋様をタラが見つけた。間違いなく闇の加護の証だとよ」
アーロンだけでなく、その妻タラもファリガの仲介者の協力者であった。
「そうですか、やっぱりミア・ルンデルはアシュリン王女だったのですね」
「で、どうするんだ。このままファリガの仲介者に引き渡すのか?」
エドワードは頭を振った。
「昨年、修道院を襲った異形の魔物は彼女を探していました。また襲って来ると思います。仲介者では彼女を守りきれませんし、街の人たちも危険に晒してしまいます」
「そうだろうな。調和の神殿が安全だろうな。あそこなら神殿騎士もいる。ちょっと遠いが、連絡すれば護衛をつけて迎えに来てくれるだろう」
「いえ。僕は調和の神殿ではなく、王都に連れて行こうと思っています」
ぴくり、とアーロンの眉が僅かに持ち上がる。
「光の加護の証を持つローレンス王子は仲介者による監視の下、王都内の施設で証を魔法の力で隠して教育と訓練を受けているのですが、そこにアシュリン王女も合流していただくのが良いかと考えています」
アーロンは目を閉じ、足を組んでソファの背もたれに身を預けた。彼が考え事をするときの癖だ。
エドワードはこの考えが適切かどうか自信がなかったが、少なくとも自分が想定し得るいくつかの選択肢の中では最適解であるように思われた。そして、ローレンス王子の教育に関する情報は王宮内でも上位の機密事項であり、例え絶大な信頼を寄せている兄とはいえ開示できる内容ではなかった。
突然アーロンは立ち上がり、うーんと伸びをした。
「へっ。なんだかきな臭えことしてやがる。ま、いいんじゃねえのか。頑張りな、アシュリン王女の後見人さんよ」
目を細めて煙草を燻らすアーロンに対し、エドワードは《王女の後見人》というパワーワードに気後れしていた。
「こ、後見人なんて大層なものでは。ただ、一人にはしておけないというだけで、、」
「そうだろうよ。アシュリン王女であるミア・ルンデルは身寄りのない孤児だ。おそらく本人は滅んだクルアン国の生き残りだなんて覚えてないだろう。そんな子供がどうやって王都でローレンス王子と合流するんだ?この子の身元は誰が保証するんだ?」
「それは、僕が責任をもって王都に連れていきます。ローレンス王子の仲介者にも伝がありますし」
「ローレンス王子には王宮があるけど、この子はひとりぼっちだろ。神殿に行かずに市井で生活するなら、誰か事情を知ってて、かつ有事の際に彼女を守れるつよーい騎士様以外、後見人の適任なんざいなさそうだがな」
「それは、、」
「子供っていうのはな、大人と違って環境の変化に敏感なんだよ。物心つかないうちに産みの親と死に別れ、育ての親も殺されちまった。次は仲介者のおっかない特訓だ。自由を犠牲にして世界を護れ、調和しろってな。そんな洗脳まがいの教育をされた子供に世界の命運を預けてもいいのか?」
「…兄さん」
「彼女はまだ幼い。子供のうちはたくさんの愛情が必要なんだ。親じゃなくたっていい。周りの大人が、子供の心を豊かにするんだ。使命とか役割はそのあとなんだよ」
「…はい。僕も、そう考えました。アシュリン王女は、僕を信じてついてきてくれました。これ以上、彼女が不幸な目に遇わないよう導いてあげたいと思っています。ただ、僕はまだ兄さんや父さんのような立派な大人ではありません。中隊長を拝命したばかりで騎士としての任務もあるので、ずっと一緒にいることも叶いません。その間、寂しい思いをさせてしまうかもしれない、そう考えると僕では力不足なのかもしれません」
ぽん、とアーロンはエドワードの肩を叩いた。
「誰だって最初は不安さ。完璧なんかじゃない。たくさん間違って失敗して後悔して大人になっていくんだよ。ま、お前は要領がいいから今までの人生順調だっかたも知れないがよ。大切なのは、お前が、どうしたいのかってとこだ。アシュリン王女を導きたいんだろう。重畳じゃねえか」
声を抑えたまま、がははと笑う。
「結果は想いの総重量、っていう言葉があってな。父さんが仕事で壁にぶち当たったときによく言ってるんだがな。どんな無理難題だって、心の底から本当にやり遂げようって想って行動すれば、結果はちゃあんとついてくるんだよ。想いが強ければ行動に繋がる。信念を持って行動すれば周りも協力してくれる。そういうのが積み重なって結果に結び付くんだとよ。だから、できない理由なんて今は無視だ。できる理由だけ探して行動してみろ。問題が起こったらその時考えりゃいい。俺も協力してやる」
兄の言葉が、驚くほどすんなり浸透する。すっと心が軽くなった気がした。
「ありがとうございます、兄さん。僕、やってみます。王都に着いたらローレンス王子の仲介者に相談してみようと思います」
「おう、頑張れ。お前ならできるさ」
そう言ってアーロンは部屋を出ていった。
残されたエドワードは、よし、と腹を決め、机に向かい凄まじい勢いで手紙を書き始めた。