マサル大衆食堂
都会と田舎の中間くらいの街、工業地帯と商業地域とを分断する片側2車線の直線道路から北に1㎞。縞々靴下をはいたピエロのゆる渋キャラで人気の某ファストフード店の程近く、商業地域の隅っこに、その大衆食堂は存在する。
店主の本名からとった店の名前は「マサル大衆食堂」、けれども人々はこう呼ぶ、「マッスル食堂」と。
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店主、犬飼馬猿の両親は動物園でプロポーズして結婚に至ったらしい。せっかく苗字に動物が1匹入っているのだから、2人の愛の結晶とも言うべき息子の下の名前にも動物を入れ、愛を誓った日をいつでも思い出せるようにしたのだとか。動物園には沢山の動物がいる。それならば、虎や豹や象や獅子など、他にも魅力的な動物がいるではないか。犬にしても馬にしても猿にしても、動物園でなくとも出会う機会はあるだろうに。
中学2年生のある日、第二次成長期を迎えた馬猿少年は両親との口論の中で、記憶に残らないような第一次成長期から幾度となく母から聞かされ10年の歳月と共に膨れ上がった自身の命名についての疑問を両親にぶつけた。
「動物園? プロポーズ? お前の名前は父ちゃんと母ちゃんの干支から付けたんだぞ」
父と母の間には認識の違いが存在していた。夢見るアラフォー乙女であった母はリアリスト父に激昂し、平素であれば静かなはずの犬飼家の夕食は親子喧嘩から夫婦喧嘩に発展。場の主役だった馬猿少年は脇役通行人Bに降格。会話の輪から弾き出されて居たたまれなくなり、プチ家出した先の駅近のゲーセンでカツアゲ被害に遭い、気まずい表情を浮かべた両親が警察署まで迎えに来たことは今となっては懐かしい思い出である。
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「へい、らっしゃい」
擦り硝子の引き戸がキュルキュルぎしぎしと音を立て、客の来店を告げた。
「カツカレー。ガチの」
「あいよ」
入店と同時注文する客は常連だ。
工業地帯に存在する某大手企業の下請け工場勤務。力のいる仕事らしく、作業着姿でも分かるくらい角ばった体つきをしている。
駐車場にそこそこの台数がとめられるので、昼の休憩時間に食べにやって来る工場関係者や会社員は多い。
人気メニューの「カツカレー」はコンソメで下味した肉を使用しており、噛めば噛むだけ味が染み出て美味しいと評判だ。
ギシギシきゅるきゅる、また客の来店を知らせる音がする。
「あのぉ、3人なんですけど、いいですか?」
「あいよー。そこのテーブルに、申し訳ないけれど相席でお願いしますね」
店には不釣り合いのお洒落女子3人はやはり初めての来店らしい。個人営業の大衆食堂が見慣れないのか、店内をきょろきょろと眺めている。
「はい、お冷やと手拭きをどうぞ。うちのメニュー、あそこの木札に書いてあるのはどれも500円。で、長机に並べてあるお皿の惣菜が一皿100円です。おでんは筋だけ100円。あとはどれでも80円。全部税込みです」
壁に吊るされた木札を見詰める女子3人。
女子達は3人仲良く同じメニュー、牛スジおでん乗せカレーを注文した。
親子丼や炒飯は注文が入ってからの調理の工程があるので少し時間がかかるが、カレーはご飯にかけるだけなので、提供が早い。
「へい、お待ち」
女子達は「わぁー」と喜びながらも、3人で目配せをしながら手指を交差させてもじもじした素振りで、こちらをチラチラ見ている。
「あ、あのっ」
1人の女子が決心したように店主の目を見て声を発した。
内心で「来たな」と思いながらも、分からない風で尋ねる。
「はい、何でしょう?」
「追加注文を……まっ、ま……マッスルください」
「へい!!!!! マッスル!!!!!」
間髪入れず、返事は威勢良くを心の合言葉に。
何が楽しいのか分からない言葉を顔面スマイルと共に繰り出す。
手の平をぎゅっと握って、肘を直角90°に曲げて、二の腕にぽこんと力こぶを作る。
女子達は「わぁーきゃー」言いながらパチパチと拍手した。
「ははっ、マサルさん、モテモテっすね」
相席の男が笑いながらさりげなく口を開く。
「綺麗なお客さん達に喜んでもらえて嬉しいですね。こっちのお客さんもなかなか良いマッスルしてるんですよ」
女子達の意識が相席の男に向くよう気を効かせた会話をする。
「え、……あのぉ、お仕事は何をされてるんですか?」
女子達は男の腕や体に視線を遣り、男の顔を見て、社交辞令と多少の興味でもって男に話し掛けた。
その後の会話が弾むかどうかは相席の男の頑張り次第だ。
マ◯ドナルドの無償メニューを真似ただろう「マッスル0円」は常連客が数年前から冗談で注文を始めた。まぁそれくらいなら付き合おうか、と快く接客していたのだが、いつしかそれは大衆食堂の客層に変化をもたらした。工業地帯勤務者やサラリーマンが昼休憩に職場を抜け出て食べに来ることが多いのだが、そこに何故かきゃぴきゃぴした若いお洒落な女性客が加わった。「マッスル0円」の注文と、普段訪れないような素朴な店の雰囲気が楽しいらしい。もちろん、安かろう早かろう旨かろうの料理も人気で、カレーは特に注文が多い。店のカレーには過労を吹き飛ばす効果があるのだと店主は豪語する。
「マサル大衆食堂」の人気メニューはスマ……じゃなくて「マッスル0円」と、惣菜のカツを乗せた「カツカレー」なのだが、普通の常連客がカツカレーを注文する際には「普通のカツカレー」との注文が多い。
勇気ある未婚の常連客は入店と同時に「婚活カレー」または「ガチのカツカレー」と注文してくるので、店主は売り上げに貢献してくれる客の未来を願い、慮り配慮して忖度する。
店主と普通の常連客は「若さって良いなぁ」と思いながら、相席の男女の様子を暖かい目で見守っている。
イラストは茂木 多弥 様が描いてくださいました!
とっても嬉しいです♪
素敵なマッスルを有り難うございました(*´ー`*)
●詩作品『満月と流れ星の夜に誓う with 令息殿(=婚約者)』
https://ncode.syosetu.com/n5387hc/
●肉フェス(長岡更紗 様 主催の「肉マッスルフェス3」)参加作品『どうしてもハニーブレットを手に入れたい騎士と、どうしても教えを乞いたい令嬢の話』
https://ncode.syosetu.com/n9629hl/
●ホラー?作品『狂った「時計」とホットケーキ、んなもん、ほっとけい』
https://ncode.syosetu.com/n8515hj/
●詩作品『カミキリ虫がすくったら』
https://ncode.syosetu.com/n0292he/
にも 茂木 様 に描いて頂いたイラスト有ります♪