中編『歪み歪んで故意になり』
「……のか?霊的なものに関わるなど、後悔するやもしれぬぞ?」
「――あ?」
聞き覚えのある声。聞き覚えのある台詞。だが、それは直前の状況とは全く噛み合わない。
「ど、どうしたのじゃ?いや、考え直したのなら、それでいいんじゃが……うん?」
「は……」
目の前に広がるのは、赤いが苔の生えた鳥居と、同じ状態の石段。のじゃのじゃ口調のロリ狐に、俺をここに連れて来やがった幼馴染。
……いや、おかしい。何かが、おかしい。これはさっき体験した。したと思う。
「……夢、だったってのか?」
直前、俺は学校で赤の魔法陣を探していた筈だ。その後の記憶は、疲れていたのかあまりはっきりしていないが、とにかく神社にはいなかったし、そもそも今の状況は魔法陣を探すよりも前のことだ。
夢だとしたら、どこからどこまでが夢で、俺はどのタイミングで寝たのか。そもそも、夢だとしたら何故ここに居るのか。
考えていると、神――夢の中で神を名乗っていたロリ狐が、俺の額に手のひらを当ててくる。
「な、なん……」
「――なにか、嘉くないものを感じる」
ドクン、と。心臓が跳ね上がるのを感じた。
やけに真剣な表情で言うのだから、それが『悪い事』だということくらいは理解できた。
「お主、魅入られたな」
「どういう……」
「――状況が変わった、ということじゃ」
そういうと狐は、右手を腰に当て、キリとこちらを……睨みつけるように、憎悪を込めて見つめる。
だが、その憎しみの対象は、俺じゃない。何故そう思うのかはわからないが、直感で、わかる。
こいつが恨んでいるのは、俺を『魅入った』モノだ。
「小童よ。一つ提案があるのじゃが」
「……聞いてやる」
「さっきも言ったように、お主は蛇蝎磨羯、魑魅魍魎の類に魅入られておる。それは呪いに近い。と、いうより魔法……いや、魔法そのものと言っても過言ではないじゃろう。その効果は不明じゃが、他人が行使した魔法の効果を、何かしらの力が跋扈し、手違いでお前も受ける状況になっておる」
「もっとわかりやすく、端的に頼む」
「お主の人生は、『最悪の結末』を迎える事になる」
なるほど。わかりやすい。そりゃあ一大事だ。まだ高校生、こんな時から人生詰んでちゃ、俺だって廃人不可避だろう。
「なんとかするには、どうすればいい?」
「簡単な話よ。お主にかかった魔法は、ちと魔法の使い手が優秀過ぎる。それこそ、ネームドの神でようやく解除できるレベルじゃ。そして、儂は他の神に比べても魔法への耐性が高い神として有名でな」
「なるほどね。つまり、呪いを解いて欲しければ、結界を消すのを手伝え、と」
「簡単に言えばそういう事じゃな。これで、心変わりもできんじゃろうて」
……こいつ、呆れてくる。何がって、多分こいつ、さっきの俺の態度が、『考え直した』訳じゃないって事、わかってて言ってんだろう。じゃないと、もっと後ろめたく言う筈だ。なんとも阿呆らしい。
どこまでいっても、子供なんだ、こいつは。
だって、こいつ自身は不敵な笑みを浮かべてるつもりなんだろうけど、それがぎこちなさ過ぎる。
「わかった。引き受ける。等価交換だな」
「その通りじゃ。何かが欲しければ、それに見合う事をしなければならんのじゃよ」
「へいへい。……そいえばさ、ずーっと俺の中でのお前の呼び方が定まってないんだけど、なんて呼べばいい?」
「そうじゃな。儂のこの愛くるしいデザインにちなんで、『妖狐』と呼ぶが良いじゃろう」
「妖狐……それじゃ妖怪だろ。お前、仮にも神様じゃなかったのか」
「霊的なもの、という意味では変わらんからの。特に気にすることでもないわい」
だっはっは、と笑う妖狐。そんなに面白かったのかは謎だが、神様ジョークということで、俺にはわからない抱腹絶倒ポイントがあったと信じてよ。うむ。
「で、お前も付き合ってくれるんだろ?」
「あ、私も喋っていい?二人が話し散らかすせいで、完全空気だったけど」
「ごめん、悪かった。謝るから機嫌なおして、結界解くのも手伝ってくれ」
「はいはい。ま、やんなきゃ君が『最悪の結末』ってのを迎えるらしいし、手伝ってあげる。いくらなんでも、そこまで薄情になれっこないや」
「……俺もそうだけど、お前もなかなか、二人称の統一が苦手だな」
「仕方ないでしょ。そもそも、いつだったか忘れたけど、君が『俺はお前に名前で呼ばれたくないし、お前を名前で呼べない』って言ったからでしょ」
「まぁそうなんだけどさ……なんかややこしいやっちゃなーって思って」
「それじゃあ、うん、えっと……」
もじもじしだした。なんだこいつ。怖い。
「あなた、って呼んでいいかな?」
「?それくらい、聞くほどのことか?」
確かに、あなたという二人称は、夫婦間で女性が男性に対して使うことが多いイメージだろう。だが、それが全てというわけでもない。
ましてや、俺達は幼馴染だ。そんな事を気にするような仲でもない。少なくとも、俺は断じてそんな事を気にしたりは……、
「……しないよな。うん」
しないと思う。自分を信じる心が大事だって、きっと誰かが言っていた。
そう、こいつは恋愛対象ではないのだ。そもそも、俺がこいつをそのポジションに置くのは本人にとっても嬉しい事ではないだろう。
「よし、んじゃあ行くか。このままじゃ、怖くて夜も眠れねぇよ。妖狐に呪いを解いてもらうために、仕方なくだ」
「全く、素直になりなよ。どっちが子供かわかんないじゃん」
「待て、子供扱いはやめんか。さっきも言った気がするが、これでも歳は何百……」
「神様の中じゃお子様の方なんだろ。知ってる」
「けっ」
嫌そうに顔をしかめる妖狐。だが、そこに悪意も、嫌悪も感じない。
嫌そうにしてるだけで、全く嫌がってない。
つまり、アレだ。こいつ、典型的なツンデレだ。まだそんなものが存在していたとは。
「優しい優しい妖狐様は、俺のために呪いを解いてくれるらしい」
「別に、お主のためではないんじゃからねっ」
「んー……」
「…………」
何も言うまい。俺から言うことは何もないのである。もし妖狐の顔が赤くなっていようと、幼馴染の目線がゾッとするほど青かろうと、俺は何も言〜わない。
「じゃあ、本当にそろそろ行くか。実際、『最悪の結末』が嫌だってのは本音だ」
「そうだね。あ、あな、あなたが居なくなるのも、それはそれで寂しい……し?いや、別に他意はないけど!」
……なんていうかなぁ。
ついさっき「こいつは恋愛対象ではない」なんて考えてた癖に、こいつのこういうところが、たまに可愛く見えてしまうから参る。
……良くないなぁ、などと。
それは、ずっと思っていたことだった。
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謎の夢のことは忘れ、とりあえずは呪いを解くことを優先する。
一階、二階、三回は見終わっている。夢の中で、ではあるのだが。故に、今は四回を捜索中だ。
ただ、ここまで鮮明に、今と同じような状況を再現しているとなれば、きっとアレは正夢だろう。と、俺は結論付けてみた。
何故あのタイミングで意識が戻ったのかは全くわからないけれど、最早それ以外に可能性を見出せない。時間遡行なんてこと、ある筈もないのだから。
「なぁ、俺って、階段上がってる時とかってぼーっとしてたか?」
「え?何さ、急に。そりゃあ疲れてたから口数は少なかったけど、大していつもと変わらなかったよ。というか、なんであなたの方から聞くの?自分の事じゃん」
「いや、まぁそうなんだけどさ」
うーむ。
夢というのは間違っているのか?けど、意識は確実に飛んでいた。
とすると……、
「じゃあさ、妖狐と話すまでの俺と、話してからの俺って、明らかに態度とか性格が違ったりしなかった?」
「さっきからどうしたの?二回目になるけど、いつも通りだったよ。他にも、特に怪しいところはなかった」
むむむ。これで二重人格説も否定された。
いや、もちろんもう一人の俺が巧妙に隠していた可能性はあるが、性格が違っていようが俺は俺だ。性別も名前も違うとしても、俺という人間から生まれた精神である以上、そんな器用なことができるわけもない。却下だ。
「あのさ」
「ん?どうした?」
「なんか困ってることあったら、なんでも私に言ってよね。一人で抱え込むの見せられても……苦いだけだから」
「ぅ――」
……何を返すべきだっただろう。この場合、何も返さないのは正解か。
不正解だとしても、驚いて返せなかったのだから、それくらいは許して欲しいものだ。
「わ、わかった。すまん」
……あぁ、クソ。
一体なにを恥ずかしがっているんだ、俺は。
こんなような言葉、今まで一度も言われなかったわけでもないのに。なんかあったら言ってね、とか、相談だったら乗るよ、とか。
その二つのどこにも、違いはないはずなのに。
「……なぁ、あ――」
「なに、今の音?」
呼びかけたのに、無視された。というより、こいつが別のものにより強い関心を抱いた所為で、俺の声が届くより先に体が動いた。
こいつが興味を持ったという、『音』がなんなのか俺も気になって、目を瞑って聴覚に神経を集中させる。
すると、聞こえた。
――夢で聞いたように、カサコソ、カサコソ、カサコソと。
「待て!」
「?」
――間に合わない。夢で見た通りなら、今いた教室から廊下に出て、こいつを押し倒して回避するより先に影の触手が届く。
どうする、どうする、どうする。
……俺が、身代わりになるなら、どうだろう。
しゃがむ時間は短縮されて、ギリギリで間に合うかもしれない。
思いついた時、迷わずそれを実行していた。
「ぐ――」
彼女の身を庇う方が、影の到達よりコンマ一秒早かった。けれど、その代償に、俺の腹部にその影が纏わり付いた。
ぐるぐるぐるぐるぐるぐる廻る。
『きもぢわルイ、はらだたジい、はきぞう、ゔざい、むかつぐ、なげ、じね、じね、じね』
――やめろ。入ってくるな。誰だ、お前ら。来るなよ、気持ち悪い。
悪意が入り混じる。それを跳ね除けようとする度に、体を侵食されていく。
もう既に、喋れないし、考えられないし、見えない。
体全体は影に覆われて、中身まで入ってくる勢いで、もう残ってるのは聞く能力だけだ。
カサコソカサコソカサコソ、体中を這いずり回っていて、うるさい音がする。
そんな音だけの世界で、唯一、『声』が聞こえた。
「……か……き!なにや……さ!」
けど、わからない。誰の声で、何を言っているのか、俺にはもうわからなくなってしまった。
――最後にわかったのは、世界が歪んでいくことだけだった。
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「……のか?霊的なモノに――」
目覚めと共に聞こえた、三度目の声。だが、それに意識を向けるより先に、俺の体は横向きに倒れ込んだ。
「ちょっと、大丈夫!?」
「待て!寄るな!お主もこっちへ来い!」
「なに言ってんの!?いま、私の友達が倒れて……」
気持ち悪い。本当に気持ち悪い。
なんだ、なんなんだ。変な気持ちがする。影が纏わり付いていた時の感覚が残ってるんだ。
――いや、違う。その感覚は、世界が切り替えられた瞬間に完全に消え去った。今残っているのは、心に錆び付いた憎悪の感情。
アレは……なんなんだ。
「貴様、急に気配が妖しくなったな……なにが憑いた!答えろ!」
「何、何……?」
地面に蹲る俺に、容赦ない言葉を浴びせる妖狐。
取り憑いてもないし、一応意識は俺のままだ。
「別に……なんも取り憑いてねぇよ……けど、気持ち悪い……」
「っ、お主、本当にあの小童か?口調も変わっておらんし……しかし、ならばなぜこうまで妖しくなっておるのじゃ……?」
「口調が、変わらないくらいで……」
「怪異や神の類なら、正体を隠す為に宿主の真似事をしたりはせんよ。唯一、そういった輩も一人だけいるが……今、あやつがここらに来るとは考え難い……。一体ナニモンじゃ?お主は」
「ただの、凡人未満の高校生だよ」
気持ち悪いが、それなりに落ち着いてきた。まだ許容できるレベルだ。あの影の事を思い出すと、それだけで鳥肌が立つけど。
「なぁ、妖狐。お前、他の神様より魔法耐性が高いって有名なんだろ?」
「……有名ではない。儂が勝手に言っておるだけじゃ。しかし、魔法耐性が人一倍強い自覚はあるがの。しかし、どうしてお主がそれを?」
「それも込みで話がしたい。俺と、お前、サシで」
「ほう……?」
「ちょっと待ってよ。それ、私だけ抜きでってこと?」
「そうだ。お前に話すのは、ちょっと怖い」
「でも……」
「――頼む。お前を信用してない訳じゃないんだ。だからこそ、こんなことは話せない」
「……わかった。それで納得しておく」
頷くと、こいつは階段を少し降りたところで、膝に肘をつきながら座ってくれている。
あの位置なら、どうあっても聞こえまい。だから、
「じゃあ、話をしようか」
「いいじゃろう。その様子、どうも神の知恵を頼らねばならんようじゃな?」
不敵な笑みを浮かべ、堂々と仁王立ちをする妖狐。
その姿が、今の俺の不安な心に、かなり大きな日差しとなってくれた。
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「ふぅむ……それはちと、厄介なことになったな」
今まで起きた全てを話し終えた。
謎の影の襲撃を受けたこと。
あり得ないほどの悪意に自分の存在を塗り潰されたこと。
――世界を、なんども繰り返してること。
「あぁ。今でもちょっと気持ち悪い。一体なんなんだ?あの影は」
「これは、あくまで儂の予想じゃが――一人、儂とは別にとある神がおってな。儂に嫌がらせしたのと同じやつじゃが……それは、この世の全ての人間の願いを具現化した神、ということになっておる。しかし、願いが一つの場所に行き着けば、希望と絶望のバランスがめちゃくちゃになる。それが起きないよう、あの神は自然と、どこかに悪意の塊を産み落としておるんじゃ。危険すぎるが故に、大抵は人間の世界には落とさんのじゃが……お主が時間をループしていることと、何かしら関係があるじゃろう」
「何かしら関係?それとこれに、話の繋がりが見えない」
「儂も、そこまでは考えが至らぬな。なにせ、今回はちとイレギュラーが過ぎる。このような事態は、この世界が生まれてから、片手で数えるほどしか起きておらんじゃろう。良くも悪くも、神は秩序の維持は得意じゃからな」
「にしては、一人の人間がこの世全ての人間の悪意をその身に受けてるぞ。時間を跨いでも感じる気持ち悪さだわ。死ぬかと思ったよ」
「そこは儂からも謝らせてもらわんとな。これは、全ての神の連帯責任といえる。なにがあっても、お主に宿る呪いと影を祓うと、そう約束しよう」
それは嬉しい。ちょっとした意地悪で言ったつもりが、とても真摯に返されてしまって、若干申し訳ない気もする。
けれど、こいつ、こんなこと信じるんだな。てっきり、
「もっと疑われると思ってた」
「馬鹿を言うな。確かに年長者とは言えぬかもしれん。が、これでも一人の神じゃ。小童の嘘に騙されるほど甘くはないわ」
「そう思ってるほど騙されやすいってのは、小学校でもよく習うけどな……迷惑メールには気をつけて」
心外そうな顔の妖狐。けど、頬を膨らませたり、やっぱり仕草は子供っぽくて、ちょっと可愛い。
「なぁ、小童よ」
「ん?なんや」
「儂からも一つ、質問させてもらってもいいか?」
「?いいよ。どうぞ」
なんだろう。やっぱり疑われたかな。
けど、そもそも世界の巻き戻しだなんてこと、疑われないのがおかしいんだ。正直、俺の語彙力と人間性で納得させられるかはかなーり怪しいが、できるだけのことはしなければ。
「お主とあの娘は、付き合っておるのか?」
……その後どうなったかは、ぜっっっったいに秘密だ。言わない。そっちで想像してく……いや、想像しないでくれ。頼む。
ただ、言ってもいいことがあるとすれば、途中で幼馴染のあいつが止めに入ったことと、終始ロリがニヤニヤしてたことだ。