第5話 虚夢
翌日、御木はあろうことか寝坊してしまう。
慌てて自転車を飛ばして学校に向かうが、そこで別の自転車と衝突してしまう……。
「う、うんん……。って、しまった!」
いつもと変わらない朝が御木にやって来た。と言いたい所だったが、どうやら今回はそうでは無さそうだ。目覚めた時間は始業チャイムが鳴る丁度20分前。片道10分近く要する通学路ではあまりにも無理があった。しかし、この御木忠義にとっては遅刻など以ての外、絶対に許されざる失態なのである。ここに、絶対に負けられない戦いが始まったのである。
「くっそ、もっと早く寝ておくべきだったかか……!」
御木は慌てて制服に着替えていくが、それと共に時は1分、また1分と時は無慈悲にも過ぎ去っていくのである。
「まずい……、遅刻なんてしたら末代までの恥だぞ……!」
制服のボタンを慌てて閉じながら颯爽と階段を駆け下りて、外にある自転車の方へ急行する。慣れた手つきで自転車を家の正面にある坂まで運んだ。そしていざ出発。この時点で始業まで残り10分を割ろうとしていた。幸いにも、家を出てすぐ本格的な下り坂が控えているので、危険も承知の上でカーブミラーだらけの道でペダルをこぎ進めながら一直線に進んだ。その先には直角カーブがあったが、これをなんとかドリフトの様な何かで切り抜けた。その先の区間も順調に快走していった御木選手は、始業5分前にして敷地外最後の道路区間、御幸道路(詳細はグーグル先生へ)に突入する。緩やかで長めの上り勾配が続く道を、なんのこれしきと言わんばかりに直進を続ける。ここまで来たら引き下がれない、玉砕覚悟で間に合わせて見せると決意する。
「ま、間に合うか……?」
巨大な大鳥居がかかっている御幸道路の上り勾配をあっという間にほぼ完走し、いよいよ交差点から学校の敷地に入ろうとする。まさにその時だった。交差点の方から、直角に御木の方へ自転車がもう1つやって来る。慌てて反応し急ブレーキをかけるが、どうあっても間に合う距離では無かった。
「う、うわぁー……!」
ド派手に激突してしまった。このまま立ち去ってすぐに学校へ……という訳にもいかず、御木は痛がりながらもすっと立ち上がりって相手の方へ向かう。
「お怪我は?」
心配そうに地面にもたれている相手に身を屈めて話しかける。金色の様で、実はそうでも無いような長い髪している。朝日が木々の隙間からその髪を照らし妙に神々しくさせている。しばらくすると、黙ったまま蒼い瞳をこちらの方にそっと向けてくる。ハーフか何かなのだろうか、そんな事分からなかったし、考えすらしなかった。その人はこくりと頷くと立ち上がろうとする。そこに御木が手を差し伸べる――――――
「……!?」
ベッドから跳ね起きた。慌てて時間を確認してみると、そこには『7時30分』というデジタル文字で刻まれていた。
「……馬鹿馬鹿しい話だな」
ゆっくりと立ち上がり、1階のリビングの方へと向かった。下からは家族の話し声が聞こえて来る。
「お兄ちゃーん? もしかして寝坊ー?」
「しねーよそんな事」
階段を降りながら妹に返事をした。そんな事ある訳無い、ありえないと自身に対しても戒めていた。
しばらくして、今度こそ出発だ。妹と一緒に最初の坂を歩きながら下ると、そこでお別れ。そこからはゆっくりと自転車を漕ぎ始める。坂でドリフトだとか、御幸道路で衝突事故だとか、そんな野蛮な出来事など起こるはずも無かった。そうして10分前後すると学校に到着だ。倉田山の一角にそびえる大鳥居高校は、県内では有名な公立進学校というやつだ。この学校の特徴として間違いなく取り上げられるのは、徹底した生徒自治だろう。生徒議会での決定事項は絶対。職員会議で否決されようものなら学校中が荒れに荒れる。昔生徒が団結し職員に対し暴動を起こした事件があったらしく、その名残がこのような伝統という形で今も尚受け継がれている。
一見すれば、生徒自治というのは素晴らしい話では無いかと思うが、そんな良い話ばかりでは無いのが実情。従来の学校の場合、生徒会という制度が存在し、きちんとそれなりの活動範囲を持ちうるが、それはあくまでも教職員の絶対的優位の下であった。しかし、それが覆えされるとどうなるのか。その空位の一大権力を求めて熾烈な争いが繰り広げられることになる。この学校の場合、複数の学閥が形成されており、これらが生徒会本部の座をめぐって争う。ざっくり要約すると政党政治の様な状況となっているのだ。御木も例外では無くある学閥に属しているし、そこのNo.2として君臨してはいる。その話は、また後々に。
自転車置き場の屋根の中に自転車をしまい込むと、昇降口はもうすぐそこだった。スリッパに履き替え、階段を上って教室へと向かう廊下には2年連続同じクラスの黒瀬がいた。
「どうだ、コツは掴めそうか?」
「うーん、昨日の所は結構出来るようにはなってきたんやけど……他の分野はちんぷんかんぷんよ」
「それなら今日も特訓だな」
「えっ今日も!?」
「当たり前だろ。お前を思ってだぞ」
「左様でございますか……」
「露骨に落ち込むな。そんな俺の説明が合わないのか?」
「いや、そうじゃないけど……」
廊下で鉢合わせた2人は、そのままゆっくりとした足並みで一緒に教室の方へと向かうようになっていた。昨晩の指導のおかげか、教えて貰った範囲はある程度出来るようになった黒瀬だったが、まだまだ数学の頭の使い方に慣れていない様子だった。
「にしても凄いな光景だなこれは」
御木が指を指した先には、爆発で焼き焦げたとある教室があった。御木は、事件の存在自体は知っていた、というより直に爆発音を聞いた1人ではあったのだが、誰が犯人だとかどうとかは一切知らなかった。
「なぁ黒瀬」
「どうした?」
「結局この事件の犯人って誰なんだ?」
「いや、知らなかったの!?」
「あ、あぁそうだが」
すると黒瀬が御木の方へと近寄って来る。そして左手を御木の耳に当てた。
「それはズバリ、あの鶴海十江なんだよ」
「いや、誰」
「誰!? うち屈指の問題児として超有名じゃんか!」
そんな大きな声で話していて、果たして元からコソコソ話にする必要性はあったのかと疑問に思った御木だったが、黒瀬が言い放った人物名にただ『?』としかならなかった。例え有名だとしても御木自身にとってはどうでも良い話だったからだ。
「そのクセして、理系科目のテストではいっつもトップに躍りでる化け物らしいぜ……!」
「何? それは本当か?」
「おぉ、勉強の話では食いつくのが。それでなそれでなー……」
黒瀬の背後から誰か1人、こちらの方に向かってきている。
「もしかしてあの人のことか?」
冗談半分でその人のことを指差してみると、黒瀬がそちらの方へ振り返った。すると、黒瀬の顔色が変わったのが見えた。
「あ、当たり……」
金色とも言えない微妙な色合いの髪が窓から射し込む光を反射し、神々しく輝かさせている。蒼い澄んだ瞳がこちらの方を真っ直ぐ見つめながらこちらへやって来る。御木もまたふと驚いた。あの姿に見覚えがあったのだ。そんな正夢みたいで、そうでは無い現実の出来事。